2011年12月11日 (日)

さようならジャスミン

 ここひと月ほど、毎日の通勤時間を利用して中島みゆきさんの新譜を聴いています。今年の新作のタイトルは『荒野より』。昨年の『DRAMA!』(…のA面)があまりにも素晴らしかったので、それと比較は出来ないとしても、今回のアルバムも創造力の衰えをまったく感じさせない力作に仕上がっています。前にも書いたことですが、自作の曲を歌うシンガー・ソングライターというジャンルの人で、彼女ほど長く第一線で活躍している人は世界的にも珍しいと思います。今年はデビュー36周年で、今回のアルバムは38作目に当たるのだそうです。300曲を超すオリジナル曲のなかには、驚くほどの数の傑作がある一方で、凡作と呼ぶしかないような作品も少なからず含まれている。しかし、どんな凡作にも天才の刻印が刻まれているのが中島みゆきです。同時代を生きるクリエイターのなかでも、この人の天才性は際立っていると思う。とても誰かと並び称されるような人ではないと感じます。

 中島みゆきファンなら誰もが経験していることではないかと思うのですが、毎回、新作アルバムを最初に聴いたときに感じるのは、感動や興奮ではなく、戸惑いと違和感です。長年彼女の歌を聴いて来て、そういう経験は何度も繰り返している筈なのに、第一印象の悪さというか、拒絶感にはどうしても慣れることが出来ない。今回のアルバムは特にそうでした。いや、もしかしたら、これは自分だけの問題なのかな? 年のせいで音楽を受け容れる脳の機能が低下して来たのかな? みゆきさんの楽曲には、耳に馴染みやすい所謂〈いいメロディー〉の曲とは対極のところにあるものが多いと感じます。カラオケで彼女の歌を歌ってみると分かりますが(哲学者がカラオケ? 笑)、いつも聴いていてよく知っているメロディーの曲なのに、うまく音程が取れないことが多い。いや、これは私が音痴なだけかも知れませんが、理由はたぶんそれだけではありません。基本的に中島みゆきさんの楽曲には、転調や半音階を多用した複雑な旋律が多いのです。初期のアルバムに収められた曲には、シンプルなメロディーラインの名作が多かった筈ですが、後期になればなるほど曲作りが技巧的で難解なものになって来ている。

 だから最初に聴いた時には、なにか耳慣れない、一種不快なメロディーの寄せ集めのように聞こえてしまうのだと思います。それが何回か聴き込むうちに、自分の脳の方が変化して、いかにも自然で説得力あるメロディーとして像を結んで来るのです。この変化はほんとに劇的なもので、私が知る限り中島みゆき以外にそんな音楽体験をさせてくれる現代の作曲家はいません。おそらく、クラシックの名曲と言われる曲の多くも、私たちの脳のなかで独自の回路構成がすでに組み上がっているからこそ、名曲として聞こえるのではないでしょうか。ところがそれは子供の頃に出来上がった回路なので、自分の脳が変化して行く過程として追体験することが出来ない。『トルコ行進曲』や『ラプソディ・イン・ブルー』を初演で聴いた当時の聴衆が、どのようにこれらの傑作を受け取ったかは想像するのが難しいのです。(そう考えると、古今の名曲を子供の耳に無選択に流し込む現代の音楽教育というものも、見直す余地があるかも知れませんね。) みゆきさんは、専門の音楽教育を受けて作曲技法を学んだ人ではない筈ですから、天性のメロディーメーカーとしてそうした作品を紡ぎ出している訳です。

 『荒野より』について書こうと思っていたのに、話が脱線していますね。今回のアルバムのなかには、残念ながら中島みゆきの代表曲として残るような作品は無いというのが私の評価です。それでもアルバム全体をひとつの作品として聴いた場合、際立った特徴があることにも気が付きます。それを何と表現したものだろう。やまとことばよりも漢文調と言うか、メロディーだけでなく詞の内容においても硬質な曲が多いという印象を持ちました。力強く、格調高いが、その反面、説教くさく、教訓じみた曲が多い。シングルカットされた1曲目の『荒野より』から、最後の『走(そう)』まで、中島みゆきの曲に癒しを求めたい人たち、彼女の歌を聴いて泣きたい人たちには厳し過ぎる作品が並んでいるという印象です。いや、欠点を指摘しているのではありませんよ、これもみゆき作品のなかでは『世情』や『裸足で走れ』などの由緒正しい系譜に連なるものですからね。それに収録された11曲すべてが説教くさい訳でもなく、『バクです』や『あばうとに行きます』のような肩の力を抜いた曲もあるし、『鶺鴒(せきれい)』のような端正な秀曲も含まれている。あくまでトータルでの印象です。

 そんなアルバムのなかでも、一番テンションが高いのが『旅人よ我に帰れ』という曲でしょう。「僕が貴女を識らない様に 貴女も貴女を識らない」という歌い出しで始まるこの曲は、全編、男性が〈上から目線〉で女性に説教をしているような歌詞の内容なのですが、曲の最後の部分になって突然「癒しの中島みゆき」が姿を現すのです。このアルバムのなかでここだけです。「植えつけられた怖れに縛りつけられないで ただまっすぐに光のほうへ行きなさい」という囁きで始まるこの部分は、中島みゆきファンが息苦しい空気のなかで唯一解放されるところでもあります。作者は、この部分の効果を最大限高めるために生硬な歌詞を持つ曲ばかり並べたのではないかと思われるほどです。「私たちはジャスミン 茉莉花(まつりか)の2人」と呼び掛けられているのは、みゆきさんのファンなら誰でも知っているあの彼女、「ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて」と呼び掛けられていた彼女のことですね。「さようならジャスミン 私の妹 私とは違う人生を生きなさい」。ここに来て作者独特の癒しの物語が大きな円環をなして聴く者の心に降りて来る。中島みゆきを聴く醍醐味です。

 それにしても、歌詞カードを見ずに最初聴いた時には、「まつりかのふたり」が何の意味だか分かりませんでした(祭り課の二人?)。なるほどジャスミンは日本語で茉莉花というのですね。美しい響きの言葉だと思います。みゆきファンが中心になって、このコトバを流行らせられないものかな? 昔から「ネクラ」だとか「オタク」だとかいう美しくないコトバがあって、最近はさらに「喪男」だとか「腐女子」なんてひどい呼び方も出て来ているようですが、それに比べると「茉莉花」はいい。ぜひこれは男女の区別なく使いたいところです。みゆきさんに倣って、私も茉莉花の人たちを応援します。

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2009年11月29日 (日)

中島みゆきさんの新譜を聴いて

 今週は発表されたばかりの中島みゆきさんの新譜、『DRAMA!』をずっと聴いていました。通算36枚目のオリジナル・アルバムなんだそうです。デビューの時から10枚目の『予感』の頃までは、毎年新譜を待ちわびる普通のファンでした。その後長いブランクがあって、やっと昨年、聴きそこねていた二十数枚のアルバムを集中的に聴くということをやってみた、そのことはブログの記事にも書きました。だから自分にとって今回のアルバムは、みゆきファンとして復帰して二十数年ぶりにリアルタイムに聴く新譜だった訳です。で、感想をひと言で言えば…、「やっぱりいいよね、中島みゆき!」。このアルバムには、みゆきさんとしては初めてになるミュージカルへの提供曲6曲と、二十年来続けているコンサート『夜会』のために書き下ろされた7曲が収録されています。そのせいもあるのでしょうか、タイトル通りドラマチックな効果を狙った〈重量級の〉作品が並んでいるという印象です。みゆきさんの数多いアルバムのなかには、個々の作品の出来・不出来は別にして、アルバム全体として非常に気力の充実した傑作と、(中島みゆき作品としては)さほどではない凡作があるように思いますが、今回のアルバムは間違いなく傑作のラインナップに並ぶ1枚だと思います。

 最近のみゆきさんの歌を聴いて感じることは、最初に聴いた時の印象と、聴き込んだあとの印象とがまるで違うということです。どんな音楽でも耳に馴染めば聴きやすくなるということはある訳ですが、彼女の場合その印象の落差が極端であるような気がする。何故だろうと考えてみました。メロディーを聴いて五線譜を思い描ける人ならともかく、自分のように楽譜の読めない人間にとっては、繰り返し聴き込んでメロディーを脳細胞に刻みつけるしか音楽を理解する方法がありません。転調を多用する彼女の曲は、思いもかけない旋律がめまぐるしく展開して、初めて聴いた時には何だか適当に音符が並べられているだけのような気がしてしまう。それが5回、6回と聴き込むにつれてニューロン・マップがその旋律に合わせて形を変え、そうなるともう最初の印象は消え去って、まるで子供の頃からずっと親しんで来たメロディーのように自然なものとして聞こえて来る。この脳内変化の感覚はほんとうに鮮烈なもので、少なくとも私が知っている限りでは彼女以外にそんな音楽体験をさせてくれるアーティストはいない。今までに聴いたこともない斬新なメロディー、しかも耳に馴染めばずっと昔から知っていたような気がする懐かしいメロディー、これこそ理想的な音楽との出会いと言えるのではないかと思うのです。これは彼女が当代随一の作曲家であることの証だと私は考えています。よくサビの部分は非常に印象的な旋律なのに、その他の部分は平凡であるような作品がありますよね。これはたまたま思い浮かんだ旋律に、作曲家自身が負けてしまっているのです。ポピュラー音楽ばかりでなく、クラシックの名曲のなかにもそういった例はいくらでもあると思います。ところがみゆきさんの歌にはそれがない。これはすごいことだと思う。私の感覚では、そんな作曲家は中島みゆきと、もうひとり挙げるならモーツァルトくらいしかいない。

 LPレコード全盛の時代に育った音楽ファンには、好きなアーティストのアルバムをA面とB面とに分けて値踏みする習慣がありました。「やっぱり『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』のB面が頂点だよ」、「音楽性で言うなら『ブックエンド』のA面でしょう」、そんな会話がファンの間で交わされていたものでした。CDの時代になって、A面・B面という概念も無くなってしまった訳ですが、これは寂しいことです。曲数は増えて演奏時間も長くなったのに、ひとつの作品として提供されるアルバムには、なんというか句読点が無くなってのっぺりしてしまった感じがする。だから最近の人はアルバムをトータルな作品として聴かないで、試聴して気に入った楽曲だけをダウンロードするという聴き方をするようになった。まったく嘆かわしい風潮です。と言いながら、実は私も中島みゆきのアルバムに関しては、好きな曲だけをiPodにダビングして、自分なりのベスト集を作って聴いているのですが。何故そんなことをするかと言えば、彼女の場合には作品のバラエティと言うか、作風の幅が広過ぎて、自分の好みではないタイプの曲も多いからです。おそらく作者自身、1枚のアルバムをトータルな組曲のようなものとして構成するという指向をあまり持っていないのだと思う。まあ、熱心なファンのなかにはそれをまるごと受け止める度量を持った人もいるのでしょうが、とても私にはその境地に達することは出来ない。何の話をしているのかと言うと、今回の『DRAMA!』はA面が圧倒的に素晴らしいということが言いたかったのです。これも自分の印象ですが、これほど緊密で充実したアルバムの片面は、30年前の『親愛なる者へ』のA面以来ではないか?(笑)

 最初にも書いたように、今回のアルバムの前半の6曲(つまりA面)は、ミュージカル作品への提供曲です。私は未見ですが、杉原千畝を題材にした『SEMPO』というミュージカルだそうです。杉原千畝(すぎはらちうね)と言えば、第二次大戦中のリトアニアの外交官で、自らの政治生命を賭けてナチスの迫害から多くのユダヤ人を救ったという人です。自分にはそのくらいの知識しか無いのだけれども、それだけの史実を思い合わせてこの6曲を聴くだけでも、実に心に染み入るものがある。これは聴く側の想像力の問題ではありません、作者自身がおそらく1940年のヨーロッパの街角に身を置いて、そこにいた人たちに乗り移って曲を紡ぎ出しているのです。もともと中島みゆきという歌手は、すべての不幸な者、虐げられた者の代弁者として歌って来た人だと思います。失恋した女性の悲しみから始まって、すべての時代の、すべての人に共通した哀しみを一身に引き受けて歌って来た。ひとつの曲のなかでも、1枚のアルバムのなかでも、そして彼女の歌の全歴史のなかでも、こうした個人の小さな不幸の感覚を、人類全体の大いなる連帯の意識にまで拡大する動きがあって、そしてそれを歌い切ることで救いとカタルシスを聴く者の心にもたらして来た。私はそのように中島みゆきの歌の本質というものを理解しています。そういう彼女にとって『SEMPO』のテーマは実にうってつけのものだった。誰がこの企画をみゆきさんのところに持って行くことを思い付いたのか知りませんが、これだけの傑作となって結実したのですから、この企画は大当たりでした。この私の感想を大袈裟だと思うのなら、ぜひ『掌』や『愛が私に命ずること』といった曲を心を澄まして聴いてみて欲しい。

 ということで私はこのアルバムのA面にぞっこん惚れ込んでしまった訳ですが、これに対してB面の方、つまり後半の7曲はだいぶ趣きが違います。いい意味でも悪い意味でも、ここ二十年間の中島みゆき作品を特徴づけているのは、『夜会』というコンサートへの「出品」が曲づくりの動機としてあったことではないかと思います。いわば「舞台受け」する作品を目指すという方向で、これがあまたのスケールの大きな傑作を生んで来た。今回の7曲もこれがステージで歌われたらさぞ映えるだろうと感じさせる佳作ぞろいなのですが、でも、何故だろう、私はその歌の世界に没入することがどうしても出来ないのです。例えば『十二天』や『らいしょらいしょ』なんて、実にユニークな中島みゆきでなければ書けない傑作だと思います。ただ、これは多分に私自身の趣味の問題でもあるのですが、何故杉原千畝に感動したあとに、こうした曲を聴かされなければならないのかとも思ってしまう(笑)。傑作であるのは認めるけど、なんだかありあまる才能の濫費といったものを感じてしまうのです。もっと端的なのはアルバムの最後に置かれた『天鏡』という曲です。ふたつのコンセプトによって成り立っているこのアルバムには、2曲の終曲があります。前半を締めくくる『NOW』とこの『天鏡』です。前者はコーラスを実に効果的に使った重厚な曲で、同じくコーラスに乗せて歌われた過去の傑作『世情』などと比べても遜色がない作品だと感じました。が、後者の方はメロディーも悪くないし曲も盛り上がるのだけれども、歌詞の内容は凡庸だし、いかにもアルバムの最後を飾るために技巧的に作られた曲という感じを否めないのです。例えてみれば宝塚歌劇のフィナーレといった印象(なんて言うと宝塚ファンの方に失礼ですね)。

 個人的な希望を言えば、今回のアルバムはふたつの別の作品としてリリースしてもらいたかった気がします。そうすればアルバム『SEMPO』の方は、これまでのみゆきさんのアルバムのなかでも最高の作品になっていたのではないかと思います。もちろんアルバム『夜会』の方も魅力的であるには違いありません。ただ、これだけは言えると思うことは、36枚もの傑作を生み出した後では、もう「愛」だとか「悲しみ」だとかいった抽象的なコトバに頼っていたのでは、みゆきワールドも限界に来ているのではないかということなのです。今回、『SEMPO』というテーマを与えられることで驚くほどの傑作が生まれたのを見て、私はそのことを確信しました。私が今年出会ったもう1枚の傑作アルバムに宝達奈巳さんの『16 Years Later』があります。これは作者がトールキンの作品を(朗読を通して)徹底的に自分自身に叩き込み、それを長い時間をかけて発酵させた末に生み出された作品集でした。これは現代における詩的創造のための重要なヒントだと私は思ったものです(ブロガーとしての自分に対する自戒も含めてそう思いました)。中島みゆきクラスの天才になると、インプットが少なくてもオリジナルな作品があふれるように生まれて来るのでしょうが、やはりマンネリの時期は来る。ひとりのファンとして、私はこれからの中島みゆきさんが、第二、第三の『SEMPO』とめぐり逢えることを願ってやまないのです。

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2009年8月16日 (日)

Three Monumental Masterpieces

前回からの続き)

 デビューして16年のキャリアを持つ宝達奈巳さんは、まだ進化途上のシンガー・ソングライターですから、その作品を回顧的に分類しても仕方が無いのですが、常に新しいスタイルを追求して来たその歩みから、これまでの活動を大きく3つの時期に区分出来るのではないかと思います。そしてその3つの時期を代表する、3枚の傑作アルバムを残している。聴く人の好みによって、どのアルバムがより傑作だというような話ではありません、作者自身がぎりぎりまで彫琢して完成させた、揺るぎない3つの代表作があるのです。

1.『HOTATSU‐NAMI』(1994)

 ホームページに掲載されている音楽的自伝によれば、宝達さんはもともとピアニストを志して、正規の音楽教育を受けた人だそうです。在学中から作曲やバンド活動にも手を広げて、シンセサイザーによる曲作りもその頃から始めていたと言います。音大卒業の翌年にはデビューアルバムの『たからたち』を出していますから、ほとんど習作時代というものも無かったのではないだろうか。今でもまったく色褪せることのない楽曲の完成度の高さを思うと、そう推測せざるを得ないのです。ただ、私たちが知っている宝達奈巳の高いレベルで統合された個性は、まだそこには姿を現していない。タイトルが示すようにきらめくような音の宝石箱といった趣の作品集です。宝達奈巳さんの名を高らしめたセカンドアルバム『HOTATSU‐NAMI』が世に出たのが、その翌年ですから、この時期の音楽家としての成長には目をみはるものがある。そしてこのセカンドアルバムこそが、「シンガー・ソングライター宝達奈巳を確立させた」記念碑的作品だったのです。おそらくこの1枚のアルバムを成立させるための、作者の〈仕込み〉の量はたいへんなものだったのではないかと想像します。しかもひとつのテーマを展開してたくさんの作品に使い回すのではなく、それを渾身の1曲に凝縮させるのもまた宝達奈巳流なのでしょう。以下、このアルバムのなかでも特に私が好きな曲についての簡単な紹介です。

「月の夢」

 アルバムの1曲目に置かれたこの作品は、その後のアルバムのなかでもアレンジを変えて取り上げられることになる、宝達奈巳のテーマソングといった印象の曲。シンセサイザーによるアップテンポで浮遊感あふれるアレンジに乗せて歌われる、澄んだハイトーンのボーカルがとても魅力的な1曲です。単にノリがいいだけではなく、作曲技法的にも高度なテクニックが駆使された巧緻な作品ではないかと思います(素人の印象ですが)。詞のテーマは、作者が夢で見たという月の世界をイメージしたものだと、どこかでご本人が書いてらした気がする。もしも私がこのアルバムからシングルカットするとしたら、有名な「へび」よりも絶対にこちらを採るでしょう。ヒット曲不在の2009年のミュージック・シーンに、突如この曲が脚光を浴びたりしたらとても面白いと思うのですが。

「かの人は」

 アルバム中、最もパッショネートでソウルフルな1曲。シンセサイザーとエレキギターの掛け合いがとてもスリリングで、特に中間のインストの部分なんてジェフ・ベックかリッチー・ブラックモアかというノリの良さ(古いね、どうも。笑)。宝達さんのボーカルは、決してビートの利いたロック調の曲に向いた声質ではないと思うのですが、この作品では演奏に負けない力強い歌を聴かせてくれています。それでいて歌詞の内容をよく聴いてみれば、これがまた古風な言葉づかいで、想う人を待ちわびる女性の気持ちを歌った、なんとも古めかしい内容の詞なのです。そのアンバランスさがとても斬新です。「かの人は夢の中現はれまた去りて/誠のことのみぞ知らまし知らまほし」 歌詞カードを見れば、すべて旧仮名づかいでカタカナ語なんてひとつも無い。これが和製英語を散りばめた最近のポピュラー音楽へのアンチテーゼだと見るのは深読みのし過ぎでしょうか(って自分もカタカナ語ばっかし使ってるけど)。ぜひステージ・ライブで聴いてみたい傑作です。

「成山」

 バイオグラフィーによれば、デビュー前の宝達さんは一時期沖縄に滞在し、三線(さんしん)を習っていたことがあるそうです。このアルバムに収められている「干瀬節」(ひしぶし)と「成山」(なりやま)の2曲は、そこで収穫したものの成果であるようです。インターネットで検索してみると、原曲である「干瀬節」と「なりやまあやぐ」のオリジナルの演奏を聴くことが出来ます。これは今回、私にとって新しい発見でした(このアルバムが出た1994年当時なんて、インターネットはまだ普及していなかったもんね)。アレンジは宝達奈巳オリジナルでも、原曲のメロディーや歌詞はそのままで、彼女の沖縄音楽に対する尊敬の気持ちがよく分かります。特にこの「成山」というのは、前作の『たからたち』にも取り上げられていた曲で(こちらの方が原曲に近い)、これがひとりの音楽家のなかでどう変遷していったかを知る意味でも興味深い作品です。沖縄の伝統的な演奏家の方々にもぜひ聴いてもらいたい1曲です。

「雲の影」

 とても美しいメロディーと詞を持つ詩情あふれる1曲。宝達奈巳さんの清らかなボーカルとアコースティック・ギターのたゆたうような演奏が心を癒してくれる。アルバムのなかで一番好きな曲です。この曲を聴くと、どこか懐かしい自然の風景が映像となって浮かんでくるような気がします。これも今回の発見ですが、この曲には「Ring Kerry」というサブタイトルが付いているんですね。調べてみたらこれはアイルランドの地名のようです。インターネットで写真を見付けました、ため息が出そうなほど美しい景色の場所ですね。宝達奈巳さんのホームページによれば、彼女は学生時代に北欧とアイルランドを旅しています。おそらくそこで見た景色が曲のインスピレーションを与えたのではないかと思います。そう言えば、この曲に続くアルバム最後の曲は「To Lappland」というタイトルですが、これはやはりこの旅で訪れた北欧のラップランドのことでしょう。彼女の旅日記では、美しいフィヨルドの写真なども見ることが出来ます。これもラストを飾るにふさわしい佳曲です。

2.『天の庭』(1999)

 名作『HOTATSU‐NAMI』の翌年に発表された『月の夢』は、前作を踏襲したミニアルバムでしたが(こちらはピアノの弾き語りが中心)、その翌年の1996年に発表された『Stranger Than Movie』は、それまでの宝達奈巳ファンにとっては戸惑いを感じさせる1枚でした。それまで封印されていた(?)地声を使った歌は、音楽性よりもメッセージ性を重視したような内容で、悪く言えば普通のフォーク系シンガー・ソングライターの作品に近いもののような気がした。それから宝達さんは、しばらく沈黙の期間に入ります。私はCDショップに行くたびに新譜が出ていないか確認していたのですが(当時は渋谷のタワーレコードに宝達奈巳のコーナーがあったのです!)、もう諦めかけていた頃に偶然また新譜を見付けました。それがこの『天の庭』というアルバム。たぶん1999年のことです。最初に聴いた時にどのようなインパクトを受けたかは覚えていません。とにかくすぐにこれは自分にとって最も大切なCDの1枚になってしまった。その想いはいまも変わりません。このアルバムでは、壮大な宇宙意識の表現とでも呼ぶべきスケールの大きな曲と、『Stranger Than Movie』で垣間見せた若い女の子の等身大の想いを綴った曲が、不思議な調和を織りなしていて、音楽的にも精神的にも実に奥の深い世界を作り出しています。曲の配置順も心憎くて、宇宙意識→日常意識→宇宙意識という視点の移動が面白い。喩えて言えば、Google Earthで宇宙から見た地球がズームアップして、見なれた近所の景色が映し出され、それがまたズームアウトしていくような印象です。またこのアルバムでは、シンセサイザーよりも民族楽器もまじえたアコースティック楽器によるライブな音作りに主眼が置かれていて、それが非常に成功していると思います。おそらく宝達さんご自身が同じ仲間ともう一度録音しても、これと同じ緊張感のものは生み出せないだろう、そう思えるくらいの奇跡の傑作です。

「青い朝」

 作者自身のピアノ弾き語りによるシンプルだけれども、とてもスケールの大きな曲。新しい朝の訪れと、地上の生命の息吹をたたえる地球スケールの祈りの歌といった内容の曲です。「この世のすべてのいのちのために歌う」、そんな歌詞を持ちながら、決して安っぽい“Save The Earth”的なレベルの曲ではないのです。やはり宝達奈巳さんの歌は、今の時代が抱える問題や矛盾に対する警告や告発といったちっぽけな視点ではなく、もっと大きな生命の流れや宇宙の広がりにまでテーマを射程する時に最も輝きを増すものだという気がします。彼女の代表曲と言ってもいい名曲です。アルバムの中では、1曲目に置かれたこの曲と、最後から2曲目の『地球の日』が同じピアノの弾き語りによる曲ですが、このふたつの曲はテーマにおいて共鳴し合うものを持っている。生命の賛歌と呼ぶには少し語弊があります、それはもしかしたら人間が地上から姿を消したあとの生命の楽園を見据えているのかも知れません。

「極楽浄土」

 アルバム2曲目のこちらの曲は、最終曲の『癒しの神殿』と対をなす曲だと捉えます。作者のイメージする「極楽浄土」がどこにあるにせよ、それは間違いなく生命の痕跡すらない地球の引力圏外の世界であるに違いない、そんな感覚に捕えられるほど冷厳な雰囲気が漂う楽曲です。絶対零度の極楽浄土。歌詞を持たずスキャットで歌われるその歌声は、天上から舞い降りて来るものというより虚空から響いて来るもののように感じられる。これが果たしてヒーリング・ミュージックと呼べるものなのだろうか? 作者自身はこのアルバムを「癒しの効果がある」音楽と紹介していますが、私にはどうしても単純な〈癒し〉以上のものが聞こえて来てしまうのです。(だってこれが極楽浄土のテーマ曲だとしたら、誰がそんな場所に行きたいと思うでしょう?) いや、しかし、音楽の解説というのは難しいですね。だからといって決してこれは難解な曲ではないのです。シンセサイザーのアレンジも素晴らしい、美しい旋律を持つ珠玉の作品というべき1曲です。聴いてみたくなるでしょう?

「夕暮れ道を行く」

 このような荘厳な雰囲気の4曲に挟まれた中間には、これとは対照的な日常感覚から歌い出された曲が並びます。「Something Remained」、「ちょっとしたこと」、「夕暮れ道を行く」という3曲です。これを私は三部作のように捉えているのですが、これがまた実に素晴らしいのです。特にこの3番目の作品は、曲、詞、演奏、ボーカルが完璧に調和して、ちょっとこれ以上はあり得ないだろうと思われるほどの完成度に達している。いまも深夜ひとりでこの曲を聴きながら文章を書いているのですが、心がふるえてしまって、感動を言葉にしようという邪念も消えてしまうほどなのです。これほど繊細で無垢な響きを持った歌を私は他に知らない。宝達奈巳さんはハイトーンのファルセット・ヴォイスが魅力の歌い手ですが、この3曲は主に地声を使って歌っていて、それがまた絶妙な対比の効果を生み出しています。これは『Stranger Than Movie』での試みが進化して、ここにまで至ったのだと思います。その間の語られなかった3年のブランクのことを想像すると、単なる傑作と呼ぶだけでは済まない重みを感じる。誰も言わないので私は敢えて言いますが、現代において本物の天才の作物(さくぶつ)というものを知りたければ、ぜひこのアルバムを聴くべきです。

3.『16 Years Later』(2009)

 今年発表されたこの新作については、前回の記事でも紹介しましたから、多く語ることはありません。宝達さんはシンガー・ソングライターとして10年近いブランクがありましたが、その間に彼女の創作力が枯渇していた訳ではありませんでした。実験的で意欲的なアンビエント作品が何枚かのアルバムとなって結実しているからです。私はこれらのアルバムも聴き、それが決してシンセサイザーによる安易な環境音楽といったレベルのものではないところまでは分かるのですが、それを繰り返し聴いて自分の脳に刻印するところまではどうしても行き着けなかった。(原稿書きのBGMとしては結構いいかも知れないと、いま気付きました。『White Space』を聴きながら。) つまるところ、やはり私はメロディー・ラインのはっきりしたいわゆる「いい曲」が好きなんですね。このまま宝達奈巳は自分などには手の届かない〈現代音楽〉の世界の人になってしまうのだろうか? そう思っていた時に今年出たこのアルバムを聴いたので、喜びはひとしおだったのです。これはクラシックの作曲家でも、現代のシンガー・ソングライターでも同じですが、天性の音楽家というのは独自の旋律を持って生まれて来る人のことではないかと思う。宝達さんはよく「歌が降りてくる」という表現をされます。作曲をするということは、五線譜に向かって音符を置いて行くことではなく、心を静かにしてインスピレーションを待つということなのでしょう。(一度でいいから、そんな体験をしてみたいものですね。) この最新アルバムに収められているのは、ふつうの意味でポピュラリティのある美しいメロディーの曲たちですから、宝達奈巳の入門アルバムとしてもいいかも知れない。音楽だけを純粋に楽しみたいなら、昨年出された『Ring of Life』の方が聴きやすいと思いますが、トータルな作品として味わうなら、英語詩の朗読を付け加えたこちらの新作の方がおすすめです。詩のあいだから歌が立ち昇ってくるさまは感動的ですらあります。

「Ring of Life」

 作者自身の解説によれば、『天の庭』に収められた「青い朝」、「地球の日」の流れを受け継いだ、「宝達奈巳の歌の核心に迫った渾身の一曲」ということです。曲想が似ているというよりも、生命の大いなる連環というものをテーマとしているという点で、作者のなかでは同じ系列に連なる作品なのではないかと思います。ずっと彼女の歌を聴いて来た自分としての感想を言えば、これほど自信に満ちた力強い生命賛歌は、これまでの彼女の歌のなかにも無かったものなのです。実に驚くほどの名曲だと思う。何故この曲が今年のポピュラー・ミュージック界の一大事件として認知されないのだろう? そんなことさえ思ってしまいます。宝達さんの曲はどれも非常に映像的な印象を強く与える特長がありますから、この曲も映画音楽などにも最適だという気がします。トールキン原作の映画『ロード・オブ・ザ・リング』のテーマ曲を書いたのはエンヤですが、私が監督だったらむしろこの曲を採用しただろうな。

「I feel the light」

 英語による曲作りで、最初にしっかりした手ごたえが感じられた作品と作者が言うのがこの曲。シンセサイザーによる曲作りですが、むしろ生楽器の伴奏でライブで歌われるのに適した曲という印象です。アコースティック・ギター1本でも歌えそうなノリの良い曲で、モロ私の好み(残念ながら私はギターも歌もダメなのですが。笑)。最初の旋律が地声で歌い出され、サビの部分でファルセットに切り替わって曲が盛り上がって行く。心憎いほど巧い曲作りだと思います。それにまた英語の響きの魅力的なこと。ネイティヴな英語話者が聴いてどう感じるかは分かりませんが、詩的言語としての英語の美しさというものを久し振りに聴いた気がします(20年くらい前に大好きだったケイト・ブッシュ以来?)。これは詩の朗読でも同じですが、このアルバムには音(オン)として気分を高揚させる英語の単語ばかりが集められている。コトバも音楽の要素のひとつであるという作者の姿勢がはっきり伝わって来ます。すべての曲を解説することはしませんが、実際にアルバムを聴いて確認してみてください。「In the woods」、「Live in harmony」、「Birds fly away」、「I want to be」…どれも魅力的な旋律を持った美しい響きの曲ばかりです。

「The Dragon Song」

 伴奏の無い、声だけを重ね合わせて作られた実験的な曲。ここでも印象的な響きを持つコトバと、多重録音による美しいハーモニーが組み合わされて、とても不思議で魅力的な世界が作り出されています。映画の『ロード・オブ・ザ・リング』は第1作をビデオで見ただけだけど、この曲をバックに使いたいようなシーンが確かあったよね。アルバムの解説には、この曲の製作過程を説明した文章があって、「まるで完成図を見たことがあってそれを思い出しながらパズルのパーツをひとつずつはめ込んでいくよう」な作業だったと書かれています。今回のアルバムは、この作者自身の解説というのが重要なアイテムで、これが宝達奈巳の世界への何よりの道案内になっています。創作の舞台裏をこんなにあからさまに見せてくれるアーティストというのも珍しいのではないか。楽器やシンセサイザーを使っていないだけに、創造の源泉を直接覗き見ることが出来るという意味でも貴重な一曲です。

 ということで、私がおすすめする3枚のアルバムと、そこに収録された推薦曲を紹介して来ました。今回の記事は、これまで宝達奈巳さんというアーティストを知らなかった人に、ぜひその作品を知って欲しいという気持ちをこめて書いたものであると同時に、彼女自身にも読んでいただいて、私の解釈がどの程度核心をついているものか、評価してもらおうという図々しい意図を持って書いたものでした。というわけで、宝達さん、いつでもいいですからコメントをくださいね。(笑)

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2009年8月 3日 (月)

ふたたび歌が舞い降りて来た!

 ここ2ヶ月にわたって、かなり根をつめた記事を書いて来たので、このへんで少し気分転換をしましょう。以前、私が好きな日本のポピュラー音楽について書いた記事に、コメントが付きました。取り上げたアーティストのひとりである宝達奈巳さんご本人が、コメントをくださったのです。やっぱりインターネットってすごいよね、昔まだインターネットが無い時代に、好きなアーティストにファンレターを送ったことがあるけど、返事なんてもらえなかったもんね。それがネット検索で私のようなマイナーブロガーの記事を見付けて、ご本人がコメントを書いてくださるんだもの。で、その宝達さんが、久し振りに新作アルバムを出されたというので、早速送ってもらい、ここ何週間かずっと毎日それを聴き続けています。これが素晴らしいのです。もう私にとって2009年のベストアルバムはこれで決まり! 私はブログの記事を書くときも、いつもiPodを手放せないほどの音楽アディクトなのですが、前回までの連載記事に漂っている一種の高揚感は、半分は彼女の歌に乗せられたものと言えるほどです。とにかくこれだけの優れた音楽性・精神性を持ったアーティストが、商業ベースではまったく無視されていて、世間にもほとんど知られていないことが実に惜しい。で、今回は自分なりに宝達奈巳ワールドの紹介記事を書こうと思うのです。まあ、宝達さんの音楽以上にマイナーな私のブログで紹介記事を書いても、何も反響は期待出来ないのですが、こういったものは草の根運動ですからね。もしも先週からの続きで、この記事に目を止めてくださっている「ゲゼル研究会」のメンバーの方がいらっしゃったなら、ぜひ彼女を応援してください。地域通貨やベーシックインカムに関心をお持ちの方なら、絶対に彼女の音楽も気に入ると思います。(根拠はありませんけど。笑)

 今年発表された彼女の新作は、『16 Years Later』というタイトルが付けられています。何が16年後なのかと言えば、デビューアルバムの『たからたち』が出てから今年で16年目なのですね。作者自らそういうタイトルを選ぶということは、この作品が彼女にとってひとつの節目の意味を持つものなのでしょうし、また新しい境地を開拓した自信作でもあるのだと思います。実は、ずっと一貫して多産な音楽活動を続けていらっしゃる宝達さんが、「歌」入りのアルバムを出されるのは、1999年の『天の庭』以来10年ぶりなのです。(『16 Years Later』の前身となる『Ring of Life』が昨年発表されていますので、正確には9年ぶりということになりますが。) この10年間は、ファンにとっては待ちわびた10年でした。というのも、この間に宝達さんは、夫君の石川高さん(笙演奏家)とのユニットでシンセサイザー主体のインストロメンタル・アルバムを何枚か出されていますが、彼女の魅力的な「声」をその中で聴くことは出来なかったからです。小さなヒットになったセカンド・アルバム『HOTATSU-NAMI』で初めて宝達さんの歌を聴いた時から、私はたいへん優れたシンガー・ソングライターとして宝達奈巳という人を捉えていました。思い返せば、初めて音楽を聴く快楽に目覚めた1970年頃から、洋楽邦楽とりまぜてたくさんのシンガー・ソングライターたちの歌が自分の青春を彩ってくれた。彼らのほとんどはフォークギター1本で歌う現代の「吟遊詩人」といったイメージを持つ人たちでした。宝達奈巳さんにフォークギターは似合いません。デビューアルバムの時から、彼女はシンセサイザーを自在に使いこなし、しかも単なるマニピュレーターとしてではなく、そこに生命を吹き込む稀有なアーティストとして私たちの前に現れた。

 日本でシンセサイザー・ミュージックが脚光を浴びるようになったのは、富田勲さんの作品が最初だったのではないかと記憶します。1970年代中頃のことです。その後、YMOや喜多郎さんの活躍などもあって、電子楽器はすっかり日本の音楽シーンに溶け込んだ感がありますが、それは何というか、手軽に安いコストで耳当たりの良い音を作り出すことが出来るという便利さの方向にどんどん流れただけのことであって、これを自己の表現に使う本当の意味での音楽家はとても少なかったのではないかという気がします。ましてや自作の詩を自作のメロディーに乗せて歌うシンガー・ソングライターというジャンルの人で、シンセサイザーに自己表現の可能性を見出した人は皆無に近かった。もちろんこの分野での偉大な先駆者にエンヤという人がいる訳ですが、現在に至るまでこの流れに連なるアーティストというのは、世界を見回してもそう多くはないのではないかという気がします(単に私が知らないだけかも知れません)。エンヤが『オリノコ・フロウ』で日本デビューしたのが1988年、宝達奈巳さんが1993年にデビューアルバムを出した時、「日本のエンヤ」と称されるようなことがあったそうです。『16 Years Later』のセルフ・ライナーによれば、エンヤは宝達さんの音楽形成史のレパートリーには入っていなかったようですし、本人としてはエンヤよりもVirginia Astreyに喩えられたかったなんて書いてらっしゃる。(バージニア・アストレイという人のことを私は知りませんでしたが、機会があればぜひ聴いてみたいと思います。) それでも電子楽器と孤独に格闘しながら、そこに音楽と詩の魂を刻みつけていくというスタイルにおいて、エンヤと宝達奈巳はとても近い位置にいるアーティストではないかと思う。フォークギターで作曲するシンガー・ソングライターにとっては、曲を生かすも殺すも編曲者次第というところがありますが、自らが演奏者かつ編曲者でもあるシンセサイザー・ミュージシャンは、作品の出来栄えに対する責任をすべてひとりで負わなければならない。もしかしてそれは、音楽家にとっての孤高にして理想的なあり方なのではないかとも思えます。

 これは私の以前からの持論ですが、詩人には一箇所に留まって円熟して行くタイプと、常に新しい境地を目指して変化して行くタイプのふたつがあるように思います。エンヤが前者のタイプだとすれば、宝達奈巳は典型的な後者のタイプの詩人です。こういうタイプのアーティストに対しては、新作が出るたびにファンはいわば挑戦状を突き付けられているようなもので、これまで作り上げて来た音楽脳のニューロン・マップを毎回書き換えなければならなくなる。これがエンヤの新作アルバムであれば、たとえ前作から7年という年月が経っていても、ファンは安心して聴くことが出来る訳ですが、宝達さんの新譜ではそうは行きません。今回のアルバムを最初に聴いて、まず私が戸惑ったことは、詩がすべて英語に置き換わっていたことでした。というのも、私が最高傑作だと考えている前作の『天の庭』では、日本語の詩(詞)による完璧な曲作りがなされていて、その意味でもこれは日本のポピュラー音楽がたどり着いた最高の到達点だと信じていたからです。(ファンですから、いくらでも賛辞を捧げちゃいますよ。笑) 新作の『16 Years Later』では、詞がすべて英語だというだけでなく、曲と曲のあいだに自作の英語詩の朗読が置かれています。これがまず作品を〈鑑賞〉することの妨げになってしまった。英語の作詞や彼女の朗読に問題があるという訳ではありません(彼女の英語での作詞や朗読はなかなかのものだと思います、私にはそれを評価する能力がありませんが)。そうではなくて、何故いま宝達奈巳が英語で表現する必然性があるのか、その点が理解出来なかったのです。だからアルバムに付けられた彼女自身の解説を読まなければ、今回の作品を自分のなかで消化するのにももう少し時間がかかっただろうと思います。

 詩も書けなければ、曲も作れない、私のような散文的な人間にとってはなかなか想像しにくいことですが、日本語で曲を作り歌うシンガー・ソングライターにとって、言語の問題はとても大きな〈躓きの石〉なのではないかと思います。現代日本語というのは、明治以降の急激な西欧化の流れのなかで人工的に形成されて来たとても〈いびつな〉言語です。古来、日本というのは「言霊の幸ふ国」であり、日本語は世界の言語のなかでも最も詩的に洗練されたもののひとつだった筈です。今日でも短歌や俳句を作る人は多いですから、その伝統が死んでしまった訳ではないでしょう。しかし、私たちの日常を振り返った時、詩を朗読をしたり聴いたりする機会はほとんどありませんし、日本語を口のなかでころがしていい気分になるという経験もなかなか味わえない。それにこれは自分のような宝達さんよりも上の世代の人間でも同じですが、戦後生まれの私たちは英語の歌を聴いて育って来たという事実も一方にある訳です。だから英語で歌うことは、彼女自身が言うように原点回帰であり、とても自然なことなのかも知れません。アルバムの解説には、今回の作品を解く鍵になる作者のこんな言葉が記されています。

 『その後日本語との関りは、万葉集などの古語の朗読へと導かれ、別の形で言葉の響きを追求していくこととなるが、英語のほうは数年に渡ってJRRトールキン作品などを徹底的に自分に刻みこみ、(かつて琉球古典音楽やケルト民謡などをそうしてきたように)、遂に07年初頭に「歌が降りて」きて、歌わずにはいられなくなる。英語の言葉の響きのままメロディーとなって歌詞が湧き上がる』

 なるほど、詩人の創造ということの楽屋裏を垣間見させてくれるような解説だと思います。もともと彼女は多作な作家ではありませんでしたが、このように何かを徹底的に自分にたたき込むことによって、その作品世界のリアリティは支えられていたのですね。これはまた現代において詩的創造をしようとすることの苦しさと同時に、可能性をも示唆している言葉だとも思います。1970年代くらいまでのシンガー・ソングライターは、それぞれ個性を競いながらも、先行する世代から引き継いだフォークソングの流れを汲んでいた人たちでした。宝達さんのようなそれより新しい世代の音楽家になると、むしろ自分の音楽のルーツをどこに求め、どこから創造の養分を汲み上げて来るかということすら、自己決定しなければならなくなった。そうして彼女自身がそうしているように、同時代の流行などには背を向けて、禁欲的とも言える自己陶冶を自らに課さなければならなくなったのです。これは一面、とても苦しいことであるに違いありませんが、見方を変えれば時代の制約に囚われずに、自分の飛びたい世界に向かって創造の翼を羽ばたかせることが出来る時代がやって来たとも考えられる訳で、才能あるアーティストにとっては本当に面白い状況になったとも言えるかも知れない。我々の前には、万葉集の世界も、琉球古典音楽の世界も、トールキンの世界も、すべてが開かれている。そこから養分を得て生み出された作品が、決してトラディッショナルなものの真似事ではなく、新しい真正な個性の表現になり得るということについては、彼女の音楽のすべてがそれを証明しています。

 宝達奈巳さんの音楽を紹介する記事を書くつもりだったのに、また三流の批評家みたいな文章を書いていますね。もう一度次回は、私がおすすめする作品について今度はきちんとした紹介を書きたいと思います。本当に素晴らしい作品群なので、少しでも多くの人に聴いてもらいたいと思うからです。それまで待ち切れないという方は、ぜひ彼女自身のホームページを覗いてみてください。アルバムの注文も出来ますし、1曲ずつのダウンロードも出来るようです。

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2008年12月23日 (火)

私の聴いて来た音楽(ポピュラー邦楽編)

 すでに中島みゆきさんと山崎ハコさんについては一章を割きましたので、今回は彼女たち以外の国内のアーティストについて書きます。若い頃から実生活では恋愛経験といったものがほとんど無かった自分ですが(そんなに特別なことでもないでしょう?)、いつも心の中には恋する女性がいました。しかも結構浮気者で、同時進行で何人かの女性に心を惹かれていたことも珍しくありませんでした。いつも彼女たちは「歌うたい」の姿に化身して、私の目の前に現れて来たものです。まあ、そんな作文をしてみたくなるほど、好きな女性シンガーが多かったのですね。もしも彼女たちの歌が無かったら、自分の青春はどんなに味気ないものだったことか。彼女たちの多くはもう音楽活動から離れてしまい、その近況も分からない人たちです。新譜を聴くことも出来なければ、昔の音源を手に入れることだって容易ではない。しかし、歴史に埋もれさせてしまうにはあまりに惜しい、まさに不朽の名作と呼ぶにふさわしい作品がたくさんあるのです。CDによる復刻は難しいとしても、せめてオリジナル・アルバムの構成のままデジタル化して、ダウンロード出来るようにならないものでしょうか。私自身は決して鋭敏な耳を持った音楽批評家ではありませんが、こうしたアーティストを音楽史のなかから掬い上げられない現代の批評精神とは一体何なのだろうと不審になることがあります。

1.稲葉喜美子

 ウィキペディアの見出しにもなっているので、いまでも根強いファンのいる人なのだと思います。1982年に発表されたデビューアルバム『願ひごと~公園にて』を初めて聴いた時の、新鮮な感動は今も忘れることが出来ません。子供の頃からラジオのFENでアメリカ音楽に親しみ、ジャニス・ジョプリンに憧れて育ったという稲葉喜美子さんは、酒と煙草が大好きで、大病を患ったこともあると言いますから、ジャニスのように破滅型の生き方を指向していた部分があったのかも知れません。ひりひりするくらい傷つきやすい心を持って、それを歌の世界に写し取ることに成功したという点では、おそらく彼女の右に出るシンガーはいないのではないかと感じます。同じ失恋をテーマにした歌でも、彼女の歌には中島みゆきさんの歌よりももっとずっと生々しい当事者感覚があって、恋愛経験の少ない自分でさえ心を締めつけられるような気持ちを追体験させられたものでした。時代が移り、恋愛をめぐる風景は変わっても、こういう感受性はいまの若い人にも通じるものではないでしょうか。レコード・プレイヤーを持っていないので、いま彼女の歌を聴きなおすことが出来ないのですが、自分の記憶の中から好きな曲を選ぶなら、『雨の音で目がさめた』と『夜汽車』という2曲が特に印象に残っています。

2.大友裕子

 和製ジャニスと呼ぶなら、大友裕子さんの方がさらに一枚上手かも知れません。もしも今のJポップの世界に、突如彼女のようなシンガーが現れたら、どれほどの事件になることだろうと想像してみます。その存在感のあるハスキーな歌声は、最近のポップスとは異質な世界に属するものだと感じます。いや、彼女がポプコンに優勝してデビューした1978年当時だって、私たちはたいへんな衝撃を受けたのです。宮城出身の東北弁まるだしの女の子の歌が、東京という都会の真ん中で炸裂したという感じ。デビュー曲となった『傷心』をはじめ、彼女の歌も恐ろしいような男と女の関係をテーマにしていて、この人は若いのにどんな過去を持っているんだろうといぶかしく思ったことを覚えています。だから偶然ラジオで聴いた彼女のライブのトークで、「こう見えても私って処女なんだよね」と話しているのを聞いた時は、驚きと同時に一種の親近感を感じたものです(こう見えても当時自分も童貞だったから。笑)。ウィキペディア情報によれば、数年間の音楽活動のあと、結婚されて引退したのだとか。幸せになってくれているといいなあ。いい曲がたくさんあるなかでも、自分が好きだったのは『独枕(ひとりまくら)』という曲。代表曲という意味では『傷心』ともう1曲、『死顔』という曲も恐ろしいほどの傑作です。

3.佐々木好(ささきこのみ)

 稲葉喜美子さんが1957年生まれ、大友裕子さんと佐々木好さんは1959年生まれ。へえ、みんな自分と同年代の人たちだったんだ。私たちの世代は、後世にろくな作品を残せなかった〈不作〉の世代だったと思うのですが、彼女たちだけは別です。北海道小樽出身の佐々木好さんがデビューしたのは1982年、私が彼女の歌を知ったのは翌年に発表されて小さなヒットになった『ストレート』という曲ででした。彼女のアルバムは全部レコードで持っていたし、CDで再版されたものも出来るだけ集めていました。冷たい北国の空気のように透明で、冬の到来を告げる雪虫のようにはかなげな彼女の歌声は、さりげない日常の風景の向こうにある別世界から響いて来るもののように感じられ、一種畏敬の念を感じながら聴いたものです。似たような作風の人なんて誰もいない、実に得がたいアーティストだったと思います。5枚あるアルバムの中では、2枚目の『にんじん』が代表作、名作『ストレート』はそこからのシングルカットです。佳曲揃いのなかでも私は特に『You』という曲が好きだったなあ。後期のアルバムのなかには、『縄文』だとか『雨雪風』といった何か歴史の魂にふれるような不思議な曲が散りばめられていて、これにも心を奪われました。

4.新保牧代(にいほまきよ)

 インターネットで検索しても、新保牧代さんの情報はほとんど得られません。かろうじて分かったのは、彼女のデビューが1978年だったこと、そして彼女の生まれが1958年だったことくらいです(おおっ!)。1枚のアルバムと、2枚のオリジナルのシングル盤だけが遺産でした。CDになったこともないし、再版を求めるファンサイトがある訳でもない。でも、新保牧代さんの『二十歳のエチュード』というアルバムは、私にとっては一生のたからものなのです。『ジルバ』という曲が小さなヒットになったことがありますから、覚えている方もいるのではないかと思います。古風な、と言ってもいいくらい端正な叙情性と、青春の暗さを振りはらうサバサバした明るさを合わせ持った人だったと思います。とても曲作りのうまい人なので、もっと活躍してもらいたかった気がするのですが…。アルバムのすべての曲が素晴らしいなかでも、特に私は『ひとりしずか』や『由比ヶ浜』といった曲が好きでした。レコードにはなっていないのですが、ライブ録音で聴いた『わが心のジプシー』という曲は、自分にとってまぼろしの名曲です。もうカセットテープも無くしてしまった。「♪電車に揺られて車の流れや、人の流れを見てると血が騒ぐ。どうしようもなく遠いところに行っちまいたくなるんだ。」そんな詞を持った歌だったと記憶します。そのメロディーを口ずさむと、私のなかでも血が騒ぐものがあるのです。

5.石黒ケイ

 山崎ハコさんと同じ事務所で、最初はアイドルのような扱いをされた人でしたが、シンガー・ソングライターとしての実力も相当なものだったと思います。彼女も1958年生まれですね。初期のアルバムにはハコさんが書いた曲が含まれている一方で、石黒ケイさんの方もハコさんに曲を提供したりしています。「幻想旅行」に収められていた『サンクチュアリーへ』なんて、実にカッコいい名曲だったよなあ。彼女にとって2枚目になるアルバム『女は女』(1978年)で自分の世界を確立して、4枚目の『アドリブ』(1980年)で作家としての頂点に達したというのが私の評価です。『女は女』は曲の順序を並び換えると、男と女の出会いから別れまでがひとつのストーリーとなって現れて来て、私は自分でそういうオリジナル・テープを作って聴いていました。『アドリブ』の方はアート・ペッパーやトゥーツ・シールマンスと共演した豪華なアルバムでしたね。好きな曲を挙げるなら、シングル盤にもなった『ひとり暮らし』と『サフランのように』を。インターネットで検索したら、彼女のオフィシャル・サイトが出来ていて、最近音楽活動を再開されたのだそうです。もしも機会があれば、いまの彼女のライブを聴いてみたい気がします。

6.小川美潮(おがわみしお)

 私が大学生のころ、チャクラという不思議なグループが人気を博したことがありました。とにかくボーカルが印象的で、一度聴くと耳について離れないほど個性的なのです。(『福の種』という曲が頭から離れずに困った経験があります。笑) そのリード・ボーカルが小川美潮さんだったのですね。その後ソロシンガーになって、何枚かの素晴らしいアルバムをリリースされています。彼女の場合は、ソングライターとしてよりもやはりシンガーとしての個性が際立っていたと思います。(いや、もちろん自作曲にも傑作が多いんですよ。) もしも最高傑作を1枚挙げるなら、『4to3』というアルバムを。詞の多くを工藤順子さんが書かれていて、それが素晴らしい楽曲とあいまって、美潮ワールドの魅力全開という感じ。「輪廻転生」がその隠されたテーマだったと私は解釈しています。愛の輪廻をテーマにした1曲目の『デンキ』から、死と再生の物語をつづった終曲の『窓』までをしみじみ聴かせたあと、人を食った大傑作『おかしな午後』でどんでん返しを演じてみせる、まったく心憎いアルバムだと思います。小川美潮さんと言えば、遊佐未森さん、甲田益也子さんとユニットを組んだ、細野晴臣氏プロデュースの『Love,Peace And Trance』というアルバムも素晴らしかったですね。

7.おおたか静流(おおたかしずる)

 今回取り上げたアーティストの中で、一番ポピュラーで安定した活動をしているのが彼女だと思います。おおたか静流の名前を聞いたことがない人でも、彼女の歌声を聴いたことのない人は少ない筈です。なにしろCMソングを数百曲も歌っている歌の職人といったような人ですから。自らボイス・パフォーマーと自称するほど、表現力豊かな七色の声を持った歌い手で、ソングライターとしても実力があるし、また人の曲をカバーする時の選曲も素晴らしい。傑作アルバムが多くて迷うのですが、この1枚を選ぶとするなら1997年発表の『Lovetune』というアルバムを。佳曲揃いのなかでも、あまり知られていない『Joy』という曲を、私はおおたか静流さんの最高傑作に挙げたい気がします。聴きようによってはとてもエロティックな、性と死のたゆたいといったものを感じさせる不思議な曲です。さらに好きな曲を挙げるなら、『Return』(1992年)というアルバムの『冬の花火』や『風の中に』も良かったなあ。昔の歌謡曲をカバーしている『リピート・パフォーマンス』というシリーズの中では、1969年のヒット曲だった『みんな夢のなか』が必聴の1曲です。

8.宝達奈巳(ほうたつなみ)

 宝達奈巳さんも実力あるクリエーターなのに、世間的には相応の評価をされていない人だと思います。1994年に『へび』という曲が話題になって、確かにそれは宝達ワールドの広告という意味では重要な曲だったのかも知れませんが(私もこの曲で彼女を知りました)、彼女の真髄を誤って伝えるものだったようにも思います。私はこの曲の入った『HOTATSU-NAMI』というアルバムを買って、いっぺんでファンになってしまった。インディーズ・レーベルから出ていたデビューアルバムの『たからたち』も手に入れたし、彼女がたぶん自ら転機を求めた『Stranger Than Movie』というミニアルバムも結構聴き込みました。そしてその後、たぶんJポップの評論家にだってほとんど知られていない大傑作『天の庭』がリリースされるのです。1999年のことです。私はこのアルバムを、日本のポピュラー史の十指に入る傑作だと信じています(まあ、ここに書いているアーティスト以外ほとんど聴かない人間の言うことですから、信憑性はありませんが。笑)。曲の良さとライブ感覚あふれるスリリングな演奏があいまって、奇跡のような傑作集になっている。ウソだと思うなら聴いてみてください。いまでも彼女のホームページで申し込めば、彼女自身が郵送してくれる筈です。『夕暮れ道をいく』だとか『Something Remained』だとか、ほんとは誰にも教えたくない私自身の〈たからたち〉です。

9.鴉鷺(あろ)

 白鳥英美子さんと言えば、30年前のトワ・エ・モアの時代から今日に至るまで、日本の音楽シーンを代表する女性シンガーのひとりと呼べる人でした。しかし、トワ・エ・モアとソロシンガー白鳥英美子のあいだに、「鴉鷺」というグループでの活動があったことはあまり知られていないのではないかと思います。素晴らしい3枚のアルバムを残したにも関わらず、いまではほとんど忘れられた存在と言ってもいい。1988年に発表された『鴉鷺』というファースト・アルバムを聴いて、ふつうにファンになってしまいました。たぶん非常に人気を博したグループだったとしたら、レコードを買うほどの動機も持てなかったかも知れません。アルバムのなかでは『萩』という曲が出色で、この1曲だけでも鴉鷺の名前は日本のポピュラー音楽史に残る資格があると思います。日本的な叙情がこのような完成度の高いポピュラー音楽となって結実した時代があったのですね。インターネットで調べると、鴉鷺のベスト盤のCDが発売されたことがあったようですが、その中にも『萩』は収録されていなかったようです。マスターテープは無事に保管されているのでしょうか?

10.五堂新太郎(ごどうしんたろう)

 ここまで9人の女性シンガーを紹介して来ましたが、最後はひとりの男性シンガー・ソングライターで締めくくりましょう。決してプロの歌手ではなく、放浪の人生のなかでただ一度だけ偶然の出会いがあって、その結果として1枚のレコードが我々の手元に残った、そんな解説をしたくなる稀有なアーティストです。「たむたむたいむ」という番組のDJだったかぜ耕士さんが、(確か)パチンコ屋で偶然隣り合わせたことが五堂新太郎さんがレコード・デビューをするきっかけだったと記憶します。1977年のことです。どんな経歴の人かも分かりません(一時期、小椋佳さんのバック・ミュージシャンをしていたという話を聞いた覚えがあります)。もしも歌詞の内容が自伝的なものであるなら、こんなプロフィールを想像します。奥さんには死に別れ、ひとり娘はもう嫁いで、わびしいひとり暮らしを続けている中年男。その彼の目に映るよしなしごとを実に叙情的に切々と歌っているのが『FADE IN』というそのアルバムです。かぜ耕士さんの作詞による曲も何曲か入っていた筈です。代表曲はシングル・カットされた『雪景色』ですが、その他にも『飛んでった日曜日』だとか『吊り橋』だとか、実に印象的な曲がたくさん入っていました。もちろんCDになったことなどありませんし、その1枚のレコードを残してご本人は沓としてゆくえをくらましてしまった。あれから30年が過ぎ、私もあのころの五堂さんと同じような歳になりました。いまもどこかで旅を続けていらっしゃるのでしょうか、それだけが気がかりです。

(追記です。今回取り上げたアーティストのことをインターネットで調べていて、気付いたことがありました。YouTubeのような動画サイトに昔の懐かしい曲が多くアップされているということです。しばし原稿を書く手を止めて、聴き惚れてしまいました。さすがにここに取り上げたような人たちは、ライブの録画が残っている訳ではありませんが、名曲のいくつかを聴くことなら出来ます。おすすめの曲にリンクを張っておきますので、もしも今回の記事で興味を持った方がいらっしゃいましたらクリックしてみてください。

稲葉喜美子 『夜汽車』
大友裕子 『傷心』
佐々木好 『ストレート』
小川美潮 『おかしな午後』
チャクラ 『福の種』
おおたか静流 『水の恋唄』
山崎ハコ 『やさしい歌』

 最後の山崎ハコさんのライブは、安田裕美さんとのご夫婦での共演ですね。昔からハコさんはギターが下手で、私たちファンはハラハラしながらライブを聴いていたものですが、さすがギタリストの安田さんとの息の合った演奏は安心して聴いていられます。それに歌っている彼女の表情の明るいこと。これはいいものを見せてもらった。眼福、眼福。)

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2008年11月24日 (月)

私の聴いて来た音楽(ポピュラー洋楽編)

 今週はエンヤの3年ぶりの新譜をiPodに入れてずっと聴いていました。やっぱりエンヤはいいなあ。好きなアーティストの、待ち望んだ新作をワクワクした気持ちで聴く、その楽しみは中学生の頃から数えてもう四十年来のものです。最近は年をとったせいか新しい音楽に接する機会がめっきり減ってしまいましたが、それでも時々こうした幸福な音楽との出会いがある。私たちがクラシックの名曲として親しんでいるたくさんの曲にも、それぞれ初演の時があって、同時代の音楽ファンを魅了したり熱狂させたりして来た筈です。二十世紀も半ばを過ぎると、現代音楽というものがすっかり一般の音楽ファンにとって手の届かないものになってしまい、新作を聴く楽しみはもっぱらポピュラー音楽が頼りということになってしまいました。きっと今の若い人も、携帯音楽プレイヤーで好きなアーティストの新譜を、期待と不安の入り混じった気持ちでドキドキしながら聴いているのだと思います。私が音楽を聴き始めた中学生の頃は、もうビートルズの現役時代は終っていました。だから自分の音楽人生は、ポスト・ビートルズの少し小粒なアーティストたちとの出逢いによって始まったと言っていいと思います。

1.サイモンとガーファンクル(Simon and Garfunkel)

 子供の頃から音楽は好きだったし、自分のおこづかいでレコードを買ったのもそれが最初ではなかったのですが、なんと言っても初めて音楽を聴くということの強烈な快楽を経験させてくれたのは彼らでした。すでにデュオを解散していた筈の1971年に、『アメリカ』という曲が日本国内でシングルカットされたことがありました。これが少年だった自分の心をヒットしたのです。いまふうの言い方をするなら、脳内快楽物質の出力スイッチが入ったという感じ。まだ英語を習い始めたばかりの頃で歌詞の意味もよく分からなかったけれど、一生懸命に辞書を引いて詞に隠された深い意味を探ろうとしていたっけ。少ないおこづかいを貯めて、LPレコードも買い始めました。今でも時々彼らの音楽が聴きたくなります。もしもこれからS&Gを聴いてみたいという若い人がいたら、ファースト・アルバムの『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M.)』から聴くことをおすすめします。後期の洗練された完成度の高い作品群と比べると、いかにも素朴で飾り気のないアルバムですが、まだ商業主義に染まってしまう前の彼らの音楽的原点がここにあります。

2.ドン・マクリーン(Don Mclean)

 長いあいだ自分にとってのベスト・シンガーはこの人でした。1971年に発表された『アメリカン・パイ(American Pie)』が有名ですが、私はこの曲がヒットした時にはあまり心を動かされるものが無かった。これに続くシングル盤が、画家のゴッホのことを歌った『ヴィンセント(Vincent)』で、これで心をつかまれてしまったのです。この曲はアメリカのビルボード誌では上位にランクインしなかったものの、イギリスのメロディーメーカー誌では1位になっていた筈です。やっぱりアメリカ人よりイギリス人の方が音楽が理解出来るんだ、そんな生意気なことを考えたのを覚えています。いまでも私はこの曲が入った『American Pie』というアルバムを、ポピュラー音楽史上の金字塔だと思っています。もう1枚推薦盤を挙げるなら、デビューアルバムの『タペストリー(Tapestry)』を。同名のアルバムをキャロル・キングも出していますが、発表はドン・マクリーンの方が先で、しかもこちらの方がずっと傑作(と私は昔から主張している。笑)。ペリー・コモも歌った『And I Love You So』はこのアルバムからの1曲です。

3.キャット・スティーブンス(Cat Stevens)

 ポスト・ビートルズのこの世代には、アメリカでもヨーロッパでも優れたシンガー・ソングライターが次々に登場しました。最近はもう名前を聞くこともなくなってしまいましたが、キャット・スティーブンスもそのなかのひとりでした。ギリシア人の父親とスウェーデン人の母親を持つエキセントリックな風貌と声を持ったシンガー。代表曲は『雨にぬれた朝(Morning Has Broken)』で、多くのミュージシャンにカバーされていると思います。他にも美しいメロディーを持つ佳曲が多くあります。美術の才能も持った人で、初期の頃のアルバム・ジャケットは自筆の絵で飾られていました。おすすめはやはり『雨にぬれた朝』が収録された『Teaser And The Firecat』、これが最高傑作だと思います。発表は1971年。その後、彼の音楽はビートの効いたロック調のものに変わって行き、曲の内容も宗教的なものに傾いて行く。私の守備範囲からははずれて行ってしまいました。インターネットで調べると、その後イスラム教に改宗して、音楽の活動からは遠ざかっていたのですが、2006年には28年ぶり(!)に新譜を出して音楽界に復帰したそうです。

4.ニール・ヤング(Neil Young)

 いまこの原稿を書きながら、久し振りに『After The Gold Rush』を聴いています。とてもいい気分。中学生の頃、クラスの悪ガキどもはみんな自分のお気に入りのアイドルを持っていて、お互いにカセットテープにダビングして自慢し合っていたものでした。ニール・ヤングやドノヴァンやピンク・フロイドに対抗するのに、軟弱なドン・マクリーンやキャット・スティーブンスではいかにも迫力不足で、なんとなく見下されているように感じて口惜しかった記憶があります(笑)。ただニール・ヤングのこのアルバムは、当時から文句なく気に入ってしまい、生涯の愛聴盤の1枚になりました。切々と訴えかけるボーカルは、余人をもって代え難いほどに個性的で、一度耳にすると忘れられないほど。深夜放送ファンでもあった自分にとって、このアルバムの中の『Till The Morning Comes』を聴くと、馬場こずえさんのパックインミュージックが思い出されて、それもほろ苦い青春の思い出となって甦って来ます。

5.レナード・コーエン(Leonard Cohen)

 確かこの人の歌を知ったのは、来日した時に話題になったことがきっかけだったと思います。年譜を調べると1975年ですから、私が高校生の時のことです。その頃にはもういっぱしの文学青年だった自分は、レナード・コーエンという人をミュージシャンというよりひとりの詩人として、自分のお気に入りリストに入れていたような気がします。実際レナード・コーエンはシンガー・ソングライターであると同時に、詩人でもあり作家でもあった人で、当時日本語に翻訳されていた『嘆きの壁』という小説を図書館で借りて読んだ記憶があります(難解で最後まで読み通せませんでしたが)。音楽の方には文句なくのめり込みました。有名な『Bird on the Wire』や、私が最高傑作だと信じる『Famous Blue Raincoat』なんて、いまでも歌詞をそらで暗誦出来るほどです。寡作ではあるけれども、息の長い創作活動を続けている人で、新作を出すごとにファンを驚かせてくれる。2004年に最新作が出ていますし、その後も人のアルバムをプロデュースしたりしています。1934年生まれといいますからちょっとびっくりです。

6.ジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki)

 フランスを代表するシンガー・ソングライターのひとり。この人も両親がギリシア人だったんですね。レナード・コーエンと同年の生まれであることも、今回ウィキペディアで調べて初めて知りました。この人の歌も(フランス語の歌詞は分からないけれども)文学的な香りを強く感じさせるものだと思います。代表曲のひとつ『私の孤独』では、「私はもうひとりぼっちじゃない、だって私はいま私の孤独と一緒だから」なんて、若い人の心をくすぐる詞で歌いかけます。フランス人じゃなくても、しびれるよね。私が持っているレコードは、ディスコグラフィーで見ると1972年に発表された2枚のアルバムで、特に『内海にて』と『バールベックのバラ』という曲が好きでした。ジョルジュ・ムスタキも70歳を過ぎて、今なお現役で活動しているんですね。自分が好きだったアルバムも含めて、彼の音楽の歴史をたどってみたい気もするけど、ベスト盤ならともかく、オリジナル・アルバムはなかなか手に入れることすら難しいようです。これは愚痴ですが、音楽を聴く手段がレコードからCD、CDからダウンロードと変化するにつれて、音質だけではない何か大事なものが失われてしまったような気がします。

7.ジョン・デンバー(John Denver)

 なんというか、「アメリカの良心」といったイメージの人だったと思います。飛行機事故で亡くなったのでしたね。もしも彼が今も生きていて、イラクやアフガニスタンの戦争をテーマに曲を作ったとしたら、どんな歌になったことだろう。ベトナム戦争の頃、『鷹と鷲(The Eagle And The Hawk)』という反戦歌を書いたジョン・デンバーを、21世紀になる前に失ったことは、アメリカにとって大きな損失だったと思います。(ちなみに2003年にイギリスの歌手ジョージ・マイケルが歌った反戦歌『The Grave』は、ドン・マクリーンの『American Pie』からのカバーです。) 何枚かLPレコードを持っていたなかで、特に好きだったのが『友への誓い(Aerie)』というアルバムでした(『鷹と鷲』もその収録曲の1曲です)。私はアルバムの中の『Casey's Last Ride』という曲が特に気に入っていて、これがクリス・クリストファーソンという人の曲だと知って、この人のアルバムも買ってみました。ところがオリジナルよりジョン・デンバーのカバーの方が(私にとっては)百倍も素晴らしくて、がっかりした経験があります。

8.ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)

 ニルソンと言えば、『Without You』が代表曲ですね。シンガー・ソングライターとしてよりも、七色の声を持つボーカリストとして存在感があったのではないかと思います。名曲『Without You』は、いろいろな人がカバーしていますが(と言うか、そもそもニルソンのこの曲自体がカバーでした)、誰も彼のようにこの曲を永遠のスタンダード・ナンバーにまで高めることは出来なかった。ニルソンのアルバムも何枚か持っていましたが、私が一番聴き込んだのは、1973年に発表された『夜のシミュルソン(A Little Touch Of Schmilsson In The Night)』というアルバムでした。これはジャズのスタンダードナンバーをストリングスのアレンジで組曲ふうに編曲したもので、ニルソンのボーカリストとしての本領が遺憾なく発揮された作品です。とにかく選曲も編曲ももちろん歌も、文句なしの完成度で、こんな充実したスタンダード・アルバムは他に聴いたことがない。あまりに聴き込んだものだから、今でも私は全曲を歌詞カードなしで歌えると思います(笑)。最近は新譜が出ないと思っていたら、ニルソンは1994年に若くして亡くなっていたんですね。

9.エンヤ(Enya)

 最初にエンヤの曲を聴いたのは、出世作の『オリノコ・フロウ(Orinoco Flow)』だったと思います。私が彼女の音楽にはまったきっかけは、テレビのドキュメンタリーでも使われた『The Celts』という曲でした。これは同名のファースト・アルバムからの1曲ですね。私がEnyaのベスト曲集を作るとすれば、どうしてもこの曲を冒頭に持って来ずにはいられません。Enyaのアルバムはどれも完成度が高くて安心して聴ける一方で、どの作品も似たような印象で、一種のマンネリズムに陥っているのではないか、そんなふうに思ったこともあります。おそらく彼女は常に新しい境地を拓こうとするタイプの芸術家ではなくて、ひとつところに留まって円熟して行く職人タイプの芸術家なのだと思います。いにしえの仏師が鑿一本で来る日も来る日も同じテーマに挑み続けたように。(シンセサイザーが彼女にとっての鑿なのですね。) エンヤふうの音楽は世間にいくらでもあるけれど、聴けば聴くほど輝きを増すヒーリング・ミュージックなんてそうそうあるものではない。この季節、彼女の新作は素晴らしいクリスマス・プレゼントになりました。

10.エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)

 といったような音楽趣味の私が、プレスリーというのは意外なチョイスに思われるかも知れません。私が好きなのはロックの帝王としてのプレスリーではなくて、「ゴスペル・シンガー」としてのプレスリーです。彼は生涯に4枚のゴスペル・アルバムを出しています。スキャンダラスなまでに華やかだった彼の音楽人生の、そこにだけは穏やかな静謐さが漂っているような、そんな雰囲気を感じさせるアルバムです。どこでその魅力に取りつかれたのか、いまではもう思い出すことも出来ませんが、ずいぶん長いあいだ私はこの4枚のLPレコードを手に入れるために探し回ったものでした。だから最後の1枚を偶然中古レコード店で見付けた時の嬉しさは、いまでも忘れることが出来ません。なかでもおすすめの1枚を挙げるならば、『How Great Thou Arte』というアルバムを。いや『His Hand In Mine』も捨て難いな。どちらも今ならAmazonでCDが簡単に手に入るようです。

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2008年10月26日 (日)

私の聴いて来た音楽(ワールド・ミュージック編)

 テレビも映画もほとんど見ない、最近は小説も漫画もほとんど読まないとくると、書きたいテーマも限られてしまうし、文章にも何と言うか、〈奥行き〉というものが無くなってしまうのを感じます。このことはブロガーとしての欠陥になるだけでなく、少なからず交友関係にも悪影響を与えています(「自己同一性」の話や「明るい自死」の話では、酒の席が盛り上がる訳もありませんから。笑)。世間一般的な意味で趣味は何かと尋ねられれば、これはもう音楽と答えるしかないのですが、これも人と共通の話題になりにくい音楽ばかりを聴いて来たので、人付き合いをよくすることには全く貢献していないのです。音楽の趣味がマニアックだという意味ではありません、マニアックな趣味なら、同好の士を見付けて薀蓄を語り合うのも楽しいものでしょう。私の聴いて来た音楽はジャンルもバラバラで、しかもただ好きなだけで薀蓄が深い訳でもありませんから、友達を作ることにも女性を口説くことにも役立ったためしが無い。そんな人間が音楽のことを書いても面白くも何ともありませんが、まあ、好きな音楽のタイトルを列挙しておくだけでも、インターネット検索でこの記事を探し当ててくれる変わった人もいるかも知れない、そう思って今回の記事を書くのです。まずは私がCDショップに行くと真っ先に向かうワールド・ミュージックのコーナーから始めます。

1.レディスミス・ブラック・マンバーゾ(Ladysmith Black Mambazo)

 南アフリカの男声コーラスグループです。もとは地元の教会などで歌っていたマイナーなグループだったのが、ポール・サイモンに〈発見〉されて、世界的な人気グループになりました。私も一時期すっかりはまってしまい、1年間くらい彼らの音楽だけを聴き続けたことがあります。数えてみたらCDを16枚も持っている。来日した時にはコンサートにも行きました。ちょうどネルソン・マンデラ氏が解放された翌日の公演で、コンサートはさながらお祭りのようでした。客席の後ろから現れて舞台に駆け上がった彼らに握手もしてもらったっけ。ほとんどがアカペラ(無伴奏)のコーラスなのですが、人間の声ってこんなに豊かな表現力を持っているんだと驚かされます。おすすめのアルバムを1枚挙げるなら、やっぱりポール・サイモンがプロデュースした『Shaka Zulu』でしょう。今ではアマゾンでも品切れのようですが、中古盤なら割と簡単に手に入るみたいです。

2.ドゥミサニ・マライレ&エファット・ムジュール
  (Dumisani Maraire / Ephat Mujuru)

 独裁政権下でアフリカの中でも最貧国のひとつと言われるジンバブエですが、もともとは豊かな自然に育まれた古い王国だったのだそうです。この国に古くから伝わる「ムビラ」という楽器があります。「親指ピアノ」と訳されることもある小さな素朴な楽器なのですが、その音色に魅せられてしまい、自分でも楽器を集めたことがありました(全然弾けないのですが)。インターネットで検索すると、日本人でこの楽器を習いにジンバブエまで行く人も多いらしい。たぶん日本人の心の琴線に触れるものがあるんだと思います。ドゥミサニ・マライレとエファット・ムジュールという二人のムビラ・マイスターが協演した『ショナ・スピリット(Shona Spirit)』というアルバムは、ムビラ音楽の最高傑作と言ってもいい作品です。何か不思議なグルーヴ感とヒーリング感覚が味わえます。伝統楽器ムビラのもっと呪術的な音に触れたいという方には、ステーラ・ランビサイ・チウェーシェの『KUMUSHA』もおすすめ。

3.ラヴィ・シャンカール(RAVI SHANKAR)

 ご存知、インド音楽の大御所です。シタールという楽器の音色も好きで、さすがにこちらは楽器を集めはしませんが、お気に入りのCDは何枚かあります。ビートルズ時代のジョージ・ハリスンが、シタールを学ぶためにインドのラヴィ・シャンカールを訪ねたという話は有名です。その後ふたりの交友は終生続いたようで、1997年にはそのジョージ・ハリスンのプロデュースで『チャント・オブ・インディア(CHANTS OF INDIA)』というアルバムを出しています。これが素晴らしいのです。ラヴィ・シャンカールの音楽も、ついにここまで清澄で平明なものになったか、なんて言い方をすると偉そうですが、肩肘張らずに聴けるのに実に奥が深い。特に最後から2曲目の『Prebhujee』という曲は出色だと思います。あともう1枚、ミニマル音楽の作曲家フィリップ・グラスとの共作『パッセージズ(Passages)』というアルバムも捨て難いですね。こちらはふたりの巨匠が作曲、編曲、演奏でコラボレートした作品集で、ジャンルの違いを超えた傑作になっています。

4.『Call of the Valley』

 インド音楽の有名な演奏家3人が協演した名作アルバム。と言っても、私はインド音楽に詳しい訳ではなく、たまたま聴いて愛聴盤になったのがこの1枚というだけなので、傑作という以上に語るべき薀蓄はありません。インターネット情報によれば、「シャントゥールの名人シヴ・クマール・シャルマ、インドの人間国宝でバンスリ(フルート)の名人ハリプラサッド・チャウラシア、ギタールのブシャン・カブラ」が参加しているとのことです。シャントゥールというのは、ハンマーダルシマーとも呼ばれるピアノの祖先のような楽器ですね。バンスリというのはインド特有の竹のフルート。ギタールというのはその音色から小型のシタールのようなものではないかと思います。とにかくその3つの楽器の音色が複雑に絡まり合い、曲の素晴らしさとも相俟って深い音楽体験をさせてくれる。気持ちを落ち着け、精神を統一させたい時に聴くのはこのアルバムと決めています。

5.マールタ・シェベスチェーン(MARTA SEBESTYEN)

 ハンガリーの国民的な歌手だそうです。日本ではあまり知られていないと思いますが、映画『イングリッシュ・ペイシェント』の主題歌を歌った人と言えば、思い当たる人もいるかも(私は思い当たりません。笑)。一度聴いたら忘れられないような独特な魅力のある声を持った女性シンガーです。この人にも一時期はまったことがあって、CDも何枚か持っています。ムジカーシュというグループにボーカリストとして参加しているアルバムも多いのですが、私はソロ・アルバムの方が好き。特にその中でも1枚を選ぶとすれば、『Apocrypha』という1992年発表のアルバムを。タイトルのApocryphaというのは、聖書などの「外典」や「偽典」を意味する言葉だそうで(インターネット情報)、このアルバムも宗教的な(しかもあまり敬虔とは言えないような)雰囲気に包まれています。こういう音楽を聴いてしまうと、最近の洋楽なんて聴いていられない気分になって来る。ぜひ深夜ひとりで部屋の電気を消して聴いて欲しいアルバムです。

6.マドレデウス(Madredeus)

 こちらはポルトガルのリスボンを拠点に活動するグループ。ポルトガルの伝統音楽と言って思い浮かぶのはファドですが、彼らはファドをベースに様々な音楽の要素をミックスさせて独自の音楽を創り出している人たちです(これもインターネット情報)。日本でマドレデウスを有名にしたのは、テレビCMにも使われた『O Pastor(邦題は『海と旋律』)』という曲で、私もこの曲を聴いてCD屋に走ったのを覚えています。ボーカルも素晴らしいのですが、ウィキペディアによればリードボーカルのテレーザ・サルゲイロは、ナイトクラブでファドを歌っていたところをスカウトされた人なのだそうです。彼女の歌の表現力は、やはりそういうバックボーンがあってこそなんですね。アルバムを1枚選ぶとすれば、やはりあの名曲が入った『EXISTIR(邦題は代表曲と同じ『海と旋律』)』を採りたい(すべてのアルバムを聴いている訳ではないので、これがベストとは言いませんが)。アルバム全体としても素晴らしい出来栄えです。

7.フェイ・ウォン(Faye Wong、王菲)

 テレサ・テンの中国語曲に惚れ込んでいることは既にこのブログで書きましたが、中国語圏で彼女に続く歌い手といえば、やはりこの人ではないかと思います。フェイ・ウォンはテレサの名曲をカバーしたアルバムも出していて、そのアルバムの製作中にテレサが急逝するという事件があり、彼女は台湾での葬儀にも駆けつけています。北京で生まれた彼女は、テレサ・テンの歌を聴きながら育ち、テレサに憧れて歌手を志したのだそうです。そのフェイ・ウォンの1枚、というか1曲を選ぶとすれば、中島みゆきの『ルージュ』をカバーした『容易受傷的女人』を挙げたいと思います。これはフェイ・ウォンを一躍スターダムに押し上げた曲で、〈歴史的名唱〉と言っても過言ではない作品です(『Coming Home』というアルバムの収録曲です)。中国語の意味は分からないけれど、とにかく切なくて、聴いていて胸が苦しくなるほど。最近はアジア圏でも音楽の流行り廃りが速いので、もうフェイ・ウォンなんて若い人は聴かないのかも知れません。でもやはり歴史に残したい歌手だと思います。

8.ミー・タム(My Tam)

 ベトナムを代表する女性シンガーのひとりだそうです。ベトナムの伝統音楽ではなく、ポップス系のミュージシャンに分類される人だと思います。たまたま友人から教えられて、『YESTERDAY & NOW』というアルバムをiPodに入れて聴いているのですが、その抜群の歌唱力と曲の良さでいっぺんにファンになってしまいました。歌として聴くと、中国語も美しい響きを持つ言語だけれども、ベトナム語というのも柔らかくて気持ちのいい響きの言語なんですね。曲の英語タイトルからすると、甘いラブソングが多いみたい。1970年代に思春期を過ごした自分としては、ベトナムと言うとどうしても戦争のイメージがあって、若い世代の中からこんな表現をする人も現れて来たんだ、そんなことを思って感慨にひたってしまうのです。ミー・タムの他のアルバムも手に入れたいと思っているのですが、CDショップにも無ければ、アマゾンやiTunesストアでも取り扱っていないんですね。どなたかCDの入手方法をご存知の方がいらっしゃったら、教えていただけると助かります。

9.スマトラ島バタク族の歌

 インドネシアのスマトラ島の原住民であるバタク族は、昔から首狩り族として恐れられていた民族なんだそうです。しかしまた、彼らは非常に美しいメロディの民謡を数多く持つことでも知られていました。私は若い頃からその代表的な民謡である「シンシンソ」という曲が好きで、レコードを探していた時代がありました。だから1990年代になって、ビクターの「WORLD SOUNDS」シリーズで『シンシンソ』が発売された時は嬉しかったです。このアルバムには、シンシンソを含むバタク族の民謡が、2組のミュージシャンによる演奏で収録されています。素晴らしいのは、プロの歌手でもない、日本人駐在員の方のお抱え運転手だったというハスギアンという人の歌声です。今ではもうこの人の消息も不明だということですが、こうした録音が残ったことだけでも幸運なことだったと思わなければなりません。シンシンソは『船歌』というタイトルでテレサ・テンも歌っています。

10.日本国内のワールド・ミュージック

 ワールド・ミュージックというジャンルに含めるべきか分かりませんが、日本にもトラディショナルなベースを持って活躍している注目のミュージシャンがいます。「TINGARA」は沖縄音楽を現代風に洗練させた楽曲で人気のグループ。もしもエンヤが好きだという人なら、間違いなくはまると思います。どのアルバムも完成度が高いのですが、もし1枚選ぶなら『さきよだ』を。「OKI」はアイヌ音楽の伝統楽器トンコリを復刻して、それを基本にトラディッショナル曲やオリジナル曲を聴かせてくれる人。おすすめは『KAMUY KOR NUPURPE』というアルバム。もうひと組、これはたぶんCDを入手することは難しいと思いますが、「もも」というグループを最後に紹介しておきます。たまたま野外ライブの演奏に出会って、その場で自主制作盤のCDを買いました。インターネットで探しても情報はほとんど無いと思います。いまはもう活動はされていないのかな。パーカッション、カリンバ、三味線などの伝統楽器に乗せて歌う嵯峨美雅子さんの温かいボーカルが素敵です。『光るいのちの歌』というのがライブアルバムのタイトル。どなたか近況をご存知の方がいらっしゃったら教えていただけますか?

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2008年10月19日 (日)

音楽を記憶する脳

 歳をとったせいでしょうか、最近はどうも新しいものに対する興味が減った気がします。本を読むのも、このブログのネタを探すために図書館には通っているけれど、小説というものはほとんど読まなくなったし、音楽に関しても昔からのお気に入りのアルバムは毎日聴いているけれど、新譜を探しにCDショップに行くことはほとんど無くなってしまった。特に音楽に関しては、若い頃から注目のアーティストが出す新譜を息をひそめるようにして待ちわびていた自分としては、そうしたワクワクする期待感を持てなくなったことは寂しい限りです。これはひとつには自分の好きなアーティストたちが活動のピークを過ぎて、新作をあまり出さなくなったことがありますし(レナード・コーエンやエンヤの新作が出れば、すぐにでもCD屋さんに飛んで行くのですが)、もうひとつには新作が出てもそれをじっくり聴き込んで、自分の心に刻みつけるという作業が面倒になったということもあるようです。

 映画や小説といったジャンルの作品ならば、初めて接した時の感動がたぶん一番大きいでしょうし、よほど気に入った作品でもなければ繰り返し観たり読んだりはしないのが一般的でしょう。ところが音楽に関してはそうではないような気がします。例えば好きなアーティストのコンサートに行って、初演の新曲が演奏されてもあまり気持ちが乗れないのに、自分の知っている曲が演奏されると一気にテンションが上がる、そういうことは多くの人が経験しているのではないかと思います。私の場合も、一回聴いただけでひとつの曲に惚れ込んでしまうということはほとんど無くて、やはり何度も聴き込んだ結果として、お気に入りの曲やアーティストが決まって来ている。いま自分のiPodに入っている曲は、古いものではもう40年近くも繰り返し聴き込んで、ふるいにかけられて最後に残った曲たちである訳です。これは考えてみれば面白いことだと思います。デジタル化された音楽自体は変わらない訳ですから、何と言うか、自分の脳の方がその音楽を受け入れるように変形する訳ですね。これは比喩的な意味で言っているのではなくて、新しいひとつの曲に馴染むということは、本当にその曲に合わせてニューロンやシナプスの結線が変わるのだと思います。もちろんそれでも馴染める曲とそうでない曲がある訳で、音楽の好みというのは、その曲に自分自身の脳のかたちがしっくり合うかどうかで決まるものと言ってもいいのではないでしょうか。

 いまの時代は人間の精神活動もすべて脳の働きで説明出来るとする考え方が優勢なので、音楽の記憶を含めたすべての記憶も脳の中に物理的な痕跡として残っていると考えるのが現代人の常識であるようです。人間の記憶の世界は、視覚的なものや聴覚的なものから、言語的なものや情緒的なものまで、実に多岐にわたる広大なものですから、その記憶を保存するメカニズムも非常に複雑なものであろうと想像されます。(私の読み齧っただけの知識でも、現代の脳科学は記憶の本質には迫り切れていないようです。) よく脳科学の入門書には、「おばあさんニューロン」なるものが登場します。私たちが自分のおばあさんの顔を見分けられるのは、特定のニューロン(群)におばあさんの特徴が記録されていて、それを記憶の抽斗から取り出すように引っ張り出して来られるからだとする説です。しかし「記憶の抽斗」というこの素朴な仮説は、今日ではあまり支持されないもののようです。むしろ記憶というものは特定のニューロンが個別に担っているものではなくて、脳の広い範囲のニューロンがネットワークを形成して少しずつ分散して記録しているものだとする説の方が有力らしい。(この立場をコネクショニズムと呼びます。) よく私たちは人間の脳をコンピュータに喩えることがありますが、記憶のメカニズムという点では、脳はコンピュータの記憶装置とは異なった仕組みで作動しているもののようです。

 例えば語学を勉強して外国語が話せるようになったとか、子供が補助輪なしで自転車に乗れるようになったとか、そうしたことも脳の特定の部位が進歩した結果というより、脳を構成するネットワークが組み替えられたことの結果として起こることではないだろうか、そう考えた方が常識的にも納得出来るものがあります。試験のために覚えた英単語は、試験が終わればすぐに忘れられてしまうかも知れません。しかし、いったん話せるようになった外国語、乗れるようになった自転車を、脳は簡単には忘れないでしょう。そういう学習は試験勉強とは違って、何かが脳全体として変化したという実感を伴うものではないでしょうか。もっと言えば、それを学ぶ前と後で、自分にとって世界が変わったと感じられるような体験と言ってもいいと思います。これはひとつの音楽を好きになるという体験でも同じだと思うのです。映画や小説と違って、音楽を本当に好きになるためには自分自身を作り変えなければならない。だからそれは結構しんどいことだし、そうやって獲得されたお気に入りの音楽は一生の財産にもなり得る。確かアインシュタインが、「あなたにとって〈死〉とは何ですか?」と訊ねられて、「モーツァルトを聴けなくなること」と答えたというエピソードがあったと思います。アインシュタインの脳の中には、難しい物理学の理論とともにモーツァルトの曲の数々が刻み込まれていたんですね。死によってこの財産を失うのが惜しいという気持ちは、平凡な音楽ファンの私にも実感として分かります。

 最初の話題に戻って、最近は新しい音楽を聴くことが少なくなったという話ですが、これはやはり年齢のせいで若い頃よりも脳の柔軟性・可塑性が低下したということがひとつあると思います。今回の記事を書きながら、思い付いたアイデアがあります。自分が中学生の頃のこと、音楽に関してひとつ鮮烈な体験をしたことがありました。試験勉強で夜遅くまで起きていた自分は、疲れて机の上に突っ伏して眠ってしまったのです。その時FMラジオから流れて来た曲に眠っている自分の心が反応して、気が付くと感動で滂沱の涙が流れていた。そんな経験は後にも先にもその時が初めてだったので、驚いたのを覚えています。(その時流れていたのはドン・マクリーンの『ヴィンセント』という曲でした。今でも私の財産目録の大事な1曲です。) つまり、眠っていても音楽を受け入れる脳の部分は機能していたのですね。そういうことであるならば、これを新しい曲を自分の脳に覚え込ませるために応用出来るのではないか。むかし睡眠学習器という怪しげな機械がありましたが、自分にとって新しい音楽を眠っているあいだずっとBGMのように流し続けてみたらどうだろう。1週間くらい毎晩それを続ければ、その音楽が好きになるかどうかは別にして、聴き慣れたものにはなるのではないでしょうか。ということで実験を始めてみることにしました。実験のやり方とその結果については、この記事のコメントでまたご報告したいと思います。

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2008年9月21日 (日)

歌うことがすべてという生き方

 前々回は中島みゆきさんの歌について書きました。今回は山崎ハコさんの歌について書きます。このふたりの歌に支えられて、それなりに苦しかった青春時代をなんとか乗り切ったという記憶が私にはあります。若い頃から文学にかぶれていた私は、ニーチェやドストエフスキーや小林秀雄の本ばかりを耽読していた時期がありました。それは確かに強烈なインパクトを自分の心に与えましたが(その影響が今も残っていることは、このブログを読み返してみれば一目瞭然です)、多分にそれは知的な領域での出来事に過ぎなかった。同時代を生きる彼女たちの肉声は、十代から二十代にかけての(今より多少は感受性豊かだった)自分の心のもっと深い部分に浸透して、自我を構成するものの一部になってしまった気がする。当時むさぼるように聴いた歌の多くを、いまでも心のなかで空で暗誦出来るところを見ると、そのことが確認出来るように思うのです。もしも五十歳を過ぎた現在の自分が、たとえこういった存在感を持った歌い手を初めて知ったとしても、ここまで深い出会いは体験出来なかった気がする。そう考えると、こういうものはやはり一期一会なのだとしみじみ感じるのです。

 奇しくも、と言っていいと思いますが、中島みゆきさんと山崎ハコさんは同じ1975年9月にレコード・デビューをしています。鮮烈なデビューを飾ったふたりのシンガー・ソングライターのその後の運命は、しかし、大きく異なったものになりました。ウィキペディアによると、みゆきさんは1970代から2000代まで4つの時代でシングル・チャートの1位を記録した唯一のソロ・シンガーなのだそうです。一方のハコさんは、同じくウィキペディアの記述を見てみれば、「所属事務所が倒産したことで一時期ホームレスにも近い極貧生活をしていたこともある」なんて書かれている。確かにオリジナル・アルバムという意味では、1996年の『唯心』を最後に新譜が出ていませんし、売れるか売れないかということは別にしても、山崎ハコの歌が一番輝いていたのは、やはり十八歳でデビューしてから数年間のことだったように思うのです。詩人という存在にはもともとふたつのタイプがあって、成熟型の詩人と燃焼型の詩人というものに分類出来るのかも知れない。みゆきさんがひとつの場所に留まって自分の世界を深化させて行く成熟型タイプの典型であったのに対し、ハコさんは青春の一瞬のきらめきをその時代にしか歌えない歌のなかに凝縮させた燃焼型タイプの典型だったように思われるのです。青春のきらめきなどと言えば、希望に満ちた若さや明るさを想像する人もいると思いますが、実は青春というものが最高の輝きを放つのは、自己の潜在的な力に対する不遜とも言える自負が、既成の社会に対する激しい嫌悪感や違和感を触媒として起爆した時にこそ現れるものではないかという気がします。これは例えばアルチュール・ランボーの詩や、尾崎豊の歌などを思い起こしてもらえば誰にも理解しやすいことでしょう。

 山崎ハコさんという人は、おそらく専門的な音楽教育を受けたことはないにも関わらず、ソングライターとして非常に早熟な開花をした人であったようです。デビューしたばかりの彼女が、初めてラジオの深夜放送にゲストとして出演したのは、馬場こずえさんの(懐かしい…)パックインミュージック第2部だったと記憶します。この番組でハコさんの歌を初めて聴いた自分は、彼女がゲストで出るというのでエアチェック(死語ですね)の準備をしてその日を待ちました。今でも実家のどこかにその時のカセットテープが転がっている筈です。確かその時の話では、彼女がコンテストで最初に歌った歌がデビューアルバムに収められている『影が見えない』という曲で、15歳の時に作った曲だということでした。これが彼女の処女作だったのか、私は知りません。が、今でもCDで聴けるこの曲を15歳の女の子が作ったという事実だけでも、初めて彼女の歌を聴く人には充分なインパクトがあると思います。そこには明らかな天才の刻印がある。天才というのは、凡人をはるかに抜いた天賦の才能を持った人という意味ではありません、凡人には考えも及ばない〈宿命〉を背負って生まれて来た人という意味です。(こういう言い方が誇張だと思われるなら、『飛・び・ま・す』という彼女のデビューアルバムをぜひ聴いてみてください。) 概してハコさんの歌は、心地よいBGMとして聴くのに適した歌とは言えません、聴く者の心に鋭い刃を突き付けずにはおかないような恐い歌が多い。だから初期の彼女のファンはみな、新譜が出るたびにこれと対決するような気持ちでレコードに針を落とした覚えがある筈です。しかし、実は山崎ハコの歌と一番真剣に対決せざるを得なかったのは、その後の彼女自身でした。

 デビューアルバムのタイトルにもなった『飛びます』という曲を始めとして、彼女の歌には〈旅立ち〉をテーマにしたものが多いのが特徴です。それも単に旅情を求める旅であるとか、あるいは若者によくある〈自分探しの旅〉といったようなものでは決してありません、いつも旅立つ先は人っ子ひとりいない荒涼とした風景の場所です。「愛も無い、優しさも無い、冷たいだけの海に向かって」(『何度めかのグッバイ』)、繰り返し彼女は旅立とうとする。例えば失恋のつらさや愛する者を失った悲しみといったものなら、その原因は自分というものの外にあるので、誰かの優しい言葉で癒してもらうことも出来るかも知れない。しかし、自分自身のなかから湧き起こって来る渇きや、遠い何ものかに対する憧れは、これは外部からの刺激で満たす訳にはいかない。ここではないどこかに向かって、彼女は常に何かに急き立てられているように見える。「自分自身を乗り越えて行く」というイメージを、彼女ほど一貫して持っているシンガー・ソングライターは他にいないのではないかと思います。青春の起爆力を社会体制への反抗という一点に集中させて燃焼してしまう若者は、やがて燃え尽きてその体制のなかに取り込まれてしまうのが普通でしょう。が、なかには(少数だけれども)その若さのエネルギーを深い自己沈潜という方向に向ける人もいるのです。特に初期の作品に見られる、恐ろしいほどのエネルギーの充溢と、今いる場所に留まることを許さない不安定さの感覚は、他のどんなシンガー・ソングライターの作品にも求めがたいものです。いや、ポピュラー音楽の世界にとどまらず、広く文学の世界を見回してみても、この半世紀のあいだに〈青春文学〉というジャンルで彼女以上の表現を達成したアーティストはひとりもいなかったのではないかと私は思うのです。

 もしも山崎ハコさんの作品を第1期と第2期に分けるとすれば、その分水嶺になるのは『幻想旅行』というアルバムだったと思います。これは文字通り〈旅〉をテーマにした企画アルバムで、実際に彼女が(たぶんコンサート・ツアーで)日本中を旅行して回った時の印象が、その土地の風景を織り込んで歌われた作品集です。1981年にパート1の東日本編が出て、翌年にパート2の西日本編が発表されました。(残念ながら、彼女の多くの初期アルバムと同様、これもCD化されていません。) 最初にこれを聴いた時、これは画期的なアルバムだと感じました。それまでの内向的で、自分の心のなかでだけ繰り返し旅立ちの歌を歌っていたハコさんが、現実の旅に出たのですから。そこには非常に内省的な青年が、初めて社会と触れ合った時に感じるような初々しい感動が満ちていた。これ以降、山崎ハコさんの歌には(深さはともかく)幅が出たように思います。いい意味でポピュラリティのある傑作が次々に生み出された。それと同時に、初期の内省的な山崎ハコの世界にどっぷり浸かっていたファンにとっては、新しい彼女の作品に戸惑いを感じる場面も多くなったのではないかと思います(私自身のことです)。最近のインタビューで、ハコさんは初期の名作『流れ酔い唄』を超える作品を生み出すことが出来ずに悩んだ時期があったと話しています。過去にあれだけの頂点を極めてしまったアーティストの苦しみを、我々ファンは思ってみることが出来なかった。そして山崎ハコもふつうのフォーク歌手になってしまったなどと、分かったような口を利いていた(私自身のことです。苦笑)。何のことはない、自分が大人になりそびれただけだったのに、それをハコの方が変節したなどとこじつけていたんですね。

 この3週間ほど、山崎ハコさんの音楽を集中的に聴き込んでいます。CDを買ってたぶん一度しか聴かなかったアルバムもありました。今年新しく出たシングル盤(『BEETLE』)も含めて、自分の持っているデジタル音源をすべてiPodに放り込んで、シャッフルモードで聴いていると、これが実にいいのです。デビューアルバムの曲と最近のシングル曲が続けて流れても全然違和感が無い。「自分にとって歌がすべて」と言っていた十代の頃の彼女の言葉は、掛け値なしに真実だったのだと実感しました。変わってしまったのは彼女ではなく、自分の方だったのです。山崎ハコという人は、デビュー当時から現在に至るまで、「ネクラ」の代名詞のように言われ続けて来ましたが(まったくイヤなコトバですね)、インタビュー記事を読むと、彼女自身がそのことで深く傷ついていたことが分かります。軽薄短小なんて呼ばれる時代の趨勢のなかで、彼女ほどアーティストとしても生活人としてもつらい孤独な道を歩いて来た人はそうはいないのではないか。それを思うと、青春時代にあれほど多くのものを貰っておきながら、ずっと彼女のファンであり続けられなかった自分がいまさら恥ずかしくなるのです。このさき彼女がどのように変わっていこうとも、自分はもう彼女の歌から離れてはいけない。彼女にとって歌が人生のすべてであるように、自分にとっては山崎ハコの歌が青春のすべてだったのだから…

 と、ちょっと感傷的にハコさんに捧げるオマージュを締めくくってみたところで、恒例の私が選んだベスト曲集です(笑)。ハコさんのような古い自分を振り捨てていくタイプの歌い手では、いろいろな時期の曲を集めて統一感あるベストアルバムを作るのは難しいと感じます。が、その統一感の無さというか、多様性こそがハコさんの本領であることを考えれば、これもまた味わいなのだと思い直すことにしました。自分が思い入れのある曲を集めると、どうしても初期の曲に選曲が偏ってしまうので、なるべくたくさんのアルバムから幅広く採るように心がけてみました。ということで、気になる曲目紹介はこちらをどうぞ。

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2008年8月31日 (日)

彼女の歌を母国語で聴ける幸せ

 大石吾郎さんがDJをしていたコッキーポップを毎日楽しみにしていた私が、初めて聴いた中島みゆきさんの歌は、デビュー曲の『アザミ嬢のララバイ』だったと思います。年譜を見れば1975年秋の発表ですから、もう33年も前のことになります。一世紀の三分の一にも当たる期間に亘って、中島みゆきさんは常に第一線のアーティストとして活躍して来ました、この息の長さにまず私は感嘆します。例えば演歌といったジャンルなら、彼女より活動期間の長い歌手もたくさんいると思います。しかし、自作の曲を歌うシンガー・ソングライターと呼ばれる人で、これだけ長いあいだ、これだけのクオリティで歌い続けている人は、世界中を見回してもそうはいないのではないだろうか。ビートルズが解散した後の1970年代は、アメリカでもヨーロッパでも日本でも、多くのシンガー・ソングライターが雨後の筍のように輩出した時代でした。その多くは一世を風靡する名曲の1曲か2曲を残してポピュラー音楽の表舞台から姿を消して行きました。それはまさにその時代を彩るBGMのようなものだったと思います。ところが、最初のヒット曲になった『時代』から最近作の『一期一会』に至るまで、彼女は同時代をはるかに超えた場所で独自の世界を作り上げて来た。振り返ってみれば、そこにあるのは今日の社会や世相を映し出す優れた作品という域を超えて、もっとずっと普遍的なものに触れている作品群であるように思えるのです。いまこの時代において、これはほんとうに稀有なことではないだろうか?

 …なんて、中島みゆきさんに捧げるオマージュを書き始めてはみましたが、自分の好きな音楽についてこんな美辞麗句をいくら並び立てても虚しいだけですね。実を言えば、デビューした頃からの中島みゆきファンだったにもかかわらず、この二十年くらいのあいだ、彼女の作品を自分から積極的に聴くことは無かったのです。初期のアルバムはほとんど集めていましたし(まだLPレコードの時代です)、たぶん『寒水魚』(1982年)、『予感』(1983年)の頃まではリアルタイムに彼女の作品を追いかけていたと思います。ところがレコードからCDの時代に変わると、自分のコレクションにみゆきさんの新譜が付け加わることは無くなってしまった。なんとなく、『寒水魚』というアルバムで中島みゆきの作品はピークに達して、もう自分としてはこれ以上いいかなという思いを持ってしまったのです。みゆきさんと同じく1975年の秋にデビューしたシンガー・ソングライターの山崎ハコさんにぞっこん惚れ込んでいたこともあって、どこか人の心の弱さにつけ込むような感じのみゆきさんの歌より、近寄りがたい孤高の道をひとり歩いて行くようなハコさんの歌の方が、当時の自分の趣味に合ったという理由もあります。最近、ふとしたことで、CD時代になってからのみゆきさんの歌をまた聴き始めて、改めてその世界の豊饒であることに驚いているといった次第なのです。最近の作品のなかに初期の傑作を超えるものが無いなんて、まったく根拠の無い思い込みだった。彼女のファンからすれば何をいまさらという話であるに違いありません。

 彼女が天性のメロディ・メーカーであり、また豊かな表現力を持った歌い手であると同時に、優れた詩人でもあることは多くの人が認めているところだと思います。最近、活動中止を宣言したサザンオールスターズの桑田佳祐さんが、ロックンロールに日本語は似合わないと言っていたような記憶があります。で、サザンの初期の曲はほとんど日本語の意味というものを解体してしまって、まるで外国語の曲を聴くような印象を与えるよう工夫されていたのだと思います。おそらく彼はミュージシャンとして、自分が日本語の国に生まれたことを残念に思っていた時期があるのでしょう。中島みゆきさんはまるで反対ですね、彼女ほど日本語の詞を大事に扱い、言葉の美しさを損なわないように苦心している音楽家も少ないのではないだろうか(もうひとり挙げるとすれば小椋佳さんでしょうか)。確かにメロディが素晴らしくても、日本語の詞が陳腐だと、それなら歌詞の意味が分からない外国語で歌ってもらった方がいいと感じる曲もたくさんあります。でも、みゆきさんの曲を聴くと、ああ、やっぱり日本語っていいなと素直に思う。いや、むしろ中島みゆきという表現者に出会えた現代日本語の幸福、なんてことまで考えたりします。彼女の曲は外国のミュージシャンにも多く取り上げられています。その独特なメロディ・ラインには、特にアジア人の心に共通に響く何ものかがあるような気がします。でも、中島みゆき作品の魅力の半分は、そのコトバの凄さにあることを思うと、母国語で彼女の歌が聴けることをしみじみ幸せだと感じるのです。

 今回、彼女のアルバムを集中的に聴いてみて、1990年代以降の曲には初期の曲とは違った特徴があるのではないかと感じました。まず全体的に曲の長さが長い。そしてひとつひとつの作品が、何というか演劇的な効果を狙って書かれていると感じさせるものが多い。と書いて気付きました、彼女が『夜会』と題されたコンサートを始めたのが1989年のことなんですね。私はビデオでしか観たことがないのですが、それはクラシックのオペラが総合芸術と呼ばれるのと同じ意味で、音楽と舞台の相乗効果を狙ったポピュラー音楽の総合芸術といったようなものを指向したものなのでしょう。そして自らが俳優でもあり歌手でもあるソングライター中島みゆきは、この舞台のために曲を書いているに違いない。これはクリエーターとしてのモチベーションを高く維持するためにとても有効な方法だし、またそれが多くのソングライターが陥ってしまうマンネリから彼女を救っているのではないかと思います。シェークスピアが不朽の名作を数多く残したのは、彼が書斎の人ではなく、自分の劇団を持つ座長で、実際の舞台のための脚本を書いていたことと大いに関係があります。よし、この場面ではこのセリフで観客を唸らせてやろう、そうたくらんでいた時のシェークスピアの脳の中では大量のドーパミンがドバドバ放出されていたに違いありません。これはクリエーターとしてとても幸福な状況だと言えます。彼女の場合もきっと同じですね。よく中島みゆきの歌は暗いなんて言う人がいますが、とんでもない、日本に1億2000万個ある脳のなかでも、彼女の脳ほどドーパミンをたっぷり浴びている脳はそうはあるまいと私は思っています。

 このところ自分が中島みゆきさんの歌に夢中になっているのは、CDではなくiPodで音楽を聴くことが多くなったためでもあります。(子供が小さいので、家ではじっくり音楽など聴いていられないのです。) 特に90年代以降の彼女のアルバムは、曲調も非常にバラエティーに富んでいて、正直に言って自分の好みではない曲も多い。これがiPodなら、自分の好きな曲だけを集めて、簡単に自分だけの中島みゆきワールドを作ることが出来る。これが楽しい。今回の記事を書いている目的は、この自分が作ったプレイリストを自慢するためでもあるのですが(笑)、確かにこの作業に没頭している時、私の脳味噌のなかでもドーパミンがチョロチョロと出ていた気がする。以前、このブログでテレサ・テンさんの中国語曲のベストを紹介したことがありました。当時は寝ても覚めてもテレサの曲が頭のなかを駆け巡っていて、自分の脳がテレサ脳になってしまった気がしましたが、今はそれがみゆき脳になった感じです。もしも興味のある方がいらっしゃいましたら、こちらの曲目紹介をどうぞ。

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