2016年12月24日 (土)

「絆クーポン」よくある質問と答え

1.クーポン券の受け取りについて

【Q】クーポン券を受け取るために、毎月市役所の窓口に行くのが面倒です。土休日は役所は休みですし、もっと簡単に受け取れる方法はありませんか?

【A】方法はいろいろあると思います。例えば自治体が運営しているさまざまな施設にも窓口を設置するアイデアはどうでしょう。専用の窓口でなくても構いません。インターネットにつながったパソコンと、受給者証のバーコードを読み取るバーコードリーダーがあれば、どこでもクーポン券の発行はできます。市役所やその支所には常設の窓口を置くことにして、その他にも公民館、公会堂、図書館といった施設にも臨時の窓口を置くのです。施設によっては土休日も営業していますから、市民にとっての利便性は高まるはずです。
あとはクーポンの配布を民間に委託してしまう方法もあります。給与支払を企業に委託する案は本文にも書きましたが、その他にも市内のショッピングセンターや金融機関などに委託する方法も考えられます。店内に窓口を設置すれば、客寄せにもなりますから、手を挙げる事業者は多いのではないでしょうか。
さらに、これは感謝給付の受給者限定になりますが、クーポン券を郵送で送るサービスがあってもいいですね。

2.窓口業務に必要な人件費は?

【Q】毎月、たくさんの人がクーポンを受け取りに窓口を訪れることになりますが、窓口業務にかかる人件費も相当なものになるのではないですか?

【A】簡単に試算してみましょう。人口10万人ほどの標準的な規模の市で「絆クーポン」を導入しました。個人のクーポン利用者が3万人、店舗を含む法人の利用者が1千社くらいになったと想定します。すると毎月3万1千人が窓口を訪れることになります。個人利用者の方は、受給者証をバーコードで読み取って、表示された金額のクーポンを渡すだけですから、対応にそれほど時間はかかりません。ひとり当たりの対応時間を2分とすれば、延べ6万分、つまり1000時間になります。これは6人/月くらいの工数に相当します。法人利用者の方は、クーポン券の半券を数える作業がありますから、それなりに時間がかかりそうです。1社当たり30分とすれば、延べ3万分、つまり500時間、3人/月くらいの工数になります。それ以外にも、期限切れのクーポン券の交換に来る利用者もいますから、窓口業務の月間工数は合計10人/月くらいと見積もっていいと思います。要するに人口10万人当たり、10人の専任職員を用意する必要があるということです。
 しかし、実際にはそれほどの工数はかからないでしょう。最初のQ&Aにもあったように、窓口業務の一部は民間に委託する選択肢がありますし、市の施設で(追加の人員配置は無しに)窓口業務の一部を担ってもらうこともできるからです。ここでは仮に6人の臨時職員を追加で配置するとして、年間ひとり500万円、合計3000万円の人件費を見ておきましょう。

3.市の財政負担はどのくらい?

【Q】かかる費用は人件費だけではないと思います。この政策を採用することで、市の財政負担はどのくらいの規模になるのでしょう?

【A】人件費以外の費用で金額が大きいものは、クーポン券の印刷費とシステムの構築運用費です。クーポン券の印刷費は、3万人の利用者に毎月平均2万円ずつのクーポンを配るとして、6億円分で5000円のクーポン冊子が12万冊。1冊当たりの印刷費を50円とすれば月に600万円、年間で7200万円になります。システムの構築費は大雑把に5000万円、運用費は年間1000万円程度と見ておきましょう。システムは一度構築すれば5年間くらいは使えるので、年間費用としては2000万円くらいを見ておけばいいだろうと思います。
 それ以外にも広報費や郵送費、ポスターやノボリの制作費などさまざまな費用がかかることが予想されます。さきほどの人件費と合わせて、ざっと1億5千万円くらいの予算を見ておけばいいのではないでしょうか。

4.実行予算は誰が負担するのか?

【Q】市の財政は赤字なのに、年間1億5千万円もの追加予算がどこから出るのですか?

【A】それは心配いりません。市の予算のなかには「絆クーポン」政策によって削減できるものもあるからです。まずは公務員の人件費。日本の地方公務員の数は約273万人ですから、日本の総人口1億2700万人で割れば、国民の2%以上が地方公務員ということになります。つまり10万人規模の自治体では、2千人程度の公務員を抱えている訳です。この人たちの平均年収を500万円として、その5%がクーポンに置き換われば、500万円×5%×2千人=5億円の人件費削減効果が見込まれます。さらに市の調達費も一律10%がクーポンに置き換わりますから、ここでも予算を削減できます。年間50億円の調達をしている市は、5億円の削減が可能だということです。(ただし、入札金額が多少上振れするので、実際の削減額はそれより小さくなるでしょう。)
 かかるコストを差し引いても、十分おつりが来ます。要するに「絆クーポン」政策によって自治体は儲かるのです。これは「絆クーポン」が政府通貨の一種であることを思い出していただければ、当然のこととして納得いただけるだろうと思います。ただ、儲かると言っても、議員さんや公務員の方たちにその儲けが行く訳ではありません。単に財政赤字が改善されるだけだと考えてください。行政クーポン政策で経済的な恩恵に与れるのは、あくまで社会保障分野で働いている人や子育て中の家庭などだけです。それが感謝通貨というものの基本コンセプトなのです。

5.国政との関係について

【Q】地方自治体が独自のクーポン券を発行して行政支出の一部に使うことを、国が認めてくれるでしょうか?

【A】正直なところ、そこは分かりません。取引額や給与の一部が「絆クーポン」に置き換わってしまうと、消費税や所得税の収入が減ることになりますから、財務省や国税庁は面白くないと思うかも知れません。例えばこの政策を「経済特区」として認めてもらい、国のお墨付きを得た上で実行できれば一番いいのですが、それは難易度が高そうです。
 ただ、クーポン形式の地域通貨を法的な根拠を以て禁止することは難しいだろうと思います。日本には明治時代にできた「紙幣類似証券取締法」というたいへん古い法律があって、今もこれが生きています。政府以外の機関が独自に紙幣を発行することを禁止する法律ですが、地域通貨に適用された事例は無いようです。
 Wikipediaの記述によれば、「2003年2月に財務省は「複数回流通は登録事業者間に限る」「換金は登録事業者が指定金融機関で行う」などの条件を満たせば「紙幣類似証券取締法」に違反しない、との方針を示した」とのことですから、事前の登録事業者制で、そもそも日本円との換金を認めていない「絆クーポン」は、取り締まりの対象にもならないだろうと思います。

6.通貨の流通ルールについて

【Q】個々の商品にクーポンの限度額を設定するのは面倒です。いっそ「絆クーポン」は日本円と同等に使えるようにして、売り手は受け取りを拒否できないルールとしてしまってはどうですか?

【A】確かに「絆クーポン」が日本円とまったく同じように使えれば、利用者にとっても便利ですし、お店にとっても値付けに余計な手間がかからないのでよいかも知れません。預かったクーポンは、次の仕入にも無条件で使える訳ですから、業者間の交渉も必要ありません。一見するといいことづくめのようです。
ところが、これは現実には不可能なことなのです。「絆クーポン」を日本円と同等に扱うと言っても、それは市内のクーポン扱い業者の間だけでのことです。市外の業者から仕入れる場合にはクーポンは使えません。すべての商品が原材料に至るまで市内で生産されているなら話は別ですが、そうでなければクーポン券の流通はどこかで行き止まりになってしまいます。そして最後にクーポンをつかまされた業者が一社で損をかぶることになってしまう。これは「絆クーポン」の主旨に反します。感謝通貨は、あくまでその主旨に賛同する人や企業が無理のない範囲で受け取るべきものなのです。

7.電子マネー方式の採用

【Q】紙のクーポンではなくて、電子マネーにしてしまえば、行政窓口やお店のレジの負担も減るのではないですか?

【A】その通りです。実は「絆クーポン」の最終的なあるべき姿は、私たちがふだん使っているようなICカード型の電子マネーにチャージできるお金にすることなのです。書籍版の『約束するお金と感謝するお金』では、感謝通貨は最初から電子マネーとして設計する前提にしています。「絆クーポン」を紙のクーポン券にする理由は、単に初期コストを落としたいからです。市には予算がありませんからね。もちろん予算が潤沢にあるなら、最初から電子マネーとして導入することもありです。可能であるならその方が望ましいと思います。人件費や印刷費のことを考えると、長い目で見れば電子マネーを採用した方が全体のコストは安上がりかも知れません。
電子マネー版の「絆クーポン」を導入するに当たっては、紙のクーポンとは異なるいろいろな工夫が必要になります。例えば、減価するお金というコンセプトをどのように実現するか? あるいは個人間でお金を授受するための方法はどうするか? これについて興味のある方は、ぜひ書籍版の『約束するお金と感謝するお金』をお読みください。

8.不正使用の防止について

【Q】偽造したクーポン券や使用期限切れの券を使われても、お店ではなかなか気付きにくいと思います。不正防止のためにはどんな対策がありますか?

【A】偽造しにくい紙幣を作る技術にはいろいろなものがあると思います。コピーしにくい特殊なインキを使ったり、ホログラムや透かしを入れたりといった方法が思い付きます。が、それが採用できるかどうかはコストとの兼ね合いで検討しなければなりません。最長2か月で使い捨てられてしまう「絆クーポン」の印刷には、あまりコストをかけたくないのが正直なところです。
使用期限切れの紙幣をひと目で見分けるためには簡単な方法があります。発行月によって紙幣の台紙の色や文字の色を変えればいいのです。今月使えるクーポン券はこの色ということが周知されていれば、顧客が使用期限切れの紙幣を間違えて使ってしまっても、お店はすぐにチェックすることができます。

9.事業者のクーポン券使用

【Q】企業や店舗が受け取った紙のクーポン券を、そのまま次の仕入や給与支払に回せば、減価損が回避できると思います。それは問題ありませんか?

【A】当然そう考える事業者は出て来るでしょう。でもそれは認められません。事業者が「絆クーポン」での支払や給与支給を行なう場合には、必ず自社の口座を通さなければなりません。これは「絆クーポン」を扱う上で守らなければならない基本ルールです。「絆クーポン」の基本的なコンセプトは、クーポンを扱うすべての個人や法人が平等に減価損を負担するということで、そのためにこのルールが必要なのです。
とは言っても、仕組みの上でこのルールを確実に守らせることは難しいと思います。個人事業者などが顧客から受け取ったクーポン券を、減価する前に他の個人事業者への支払に使ったり、家族の生活費の一部として使ったりしてしまうなんてことはありそうです。ただこれに対しては、あまり厳しく取り締まらなくてもいいのではないかと思っています。「絆クーポン」は、個人間で取引をする場合には同月内に何回流通させても構いませんし、むしろそれが奨励されます。個人商店や個人事業主によるプライベートなクーポン使用もそれに準じるものと考えるのです。法人格を持たない個人事業者では、口座を通さない簿外のクーポン取引を合法化してしまってもいいかも知れません。ただし、たとえ個人事業者であっても従業員の給与の一部に現物のクーポン券を混ぜるのは厳禁です。これは罰則の対象となります。

10.クーポン券と日本円との交換

【Q】クーポン券を金券ショップのようなところで売り買いすることは可能ですか?

【A】感謝通貨は日本円とは交換できない地域通貨というコンセプトで開発されました。ただ、これは通貨の発行元が交換には応じないということであって、市場での自由な交換を禁じるということではありません。もしも扱えるものなら、金券ショップで扱ってもらっても構いません。地域限定の減価するクーポン券になど値段がつくだろうかという疑問が出ると思いますが、ニーズはあるはずです。もしも使用期限切れ間近のクーポン券1000円分を日本円700円で買えるとしましょう。1万円の買い物に1000円のクーポンが使えることが分かっているなら、金券ショップでクーポン券を買うことにも意味があります。
これは感謝給付や給与の一部として、使い切れないほどのクーポンを受け取った人にとって、うれしいサービスかも知れません。クーポン券が使われないまま期限切れを迎えてしまうことは、クーポンの所有者のみならず、地域経済にとっても損失になりますから、むしろ推奨されるべきサービスとも言えそうです。ただ、金券ショップにとっては、クーポン券を買い取ることにはリスクがありますから、常にクーポン券を買い取ってもらえるとは限りません。むしろ使い切れないクーポン券は、個人間で無償で贈与される機会が増えるような気がします。その方が感謝通貨の本来の主旨にも叶っています。

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2016年11月13日 (日)

「絆クーポン」を始めませんか?(5)

9.「絆クーポン」政策のまとめ

 ここまでの説明で、「絆クーポン」の概要についてはご理解いただけたかと思います。本稿は自治体に向けた政策提案という目的で書いているものですから、これを実施するに当たって自治体が行なうべきことをもう一度まとめておきましょう。まず、市役所を始めとする市の行政窓口に「絆クーポン」の担当を置きます。ここで行なう月間の業務を時系列的に並べてみると、月の前半には小売店の担当者が使用期限切れになったクーポンの半券をたくさん窓口に持ち込んで来るでしょう。それを数えてその業者の口座に入金します。入金する金額は額面額の8掛けです。また月の前半には業者から振込依頼データが集まって来ます。その受付とチェックはコンピュータシステムが自動で行ないますが、エラーが起こった場合などの業者からの問い合わせに対応するのは窓口の仕事です。15日の深夜に業者間の振込処理が一斉に実行されます。これもシステムによって自動で行なわれます。残高不足が起こった場合に不足分の督促状を出すのもシステムですが、それを発送するのは人手の作業になるでしょう。

 月の後半になると、クーポン取り扱い業者や社会保障分野の業者などから、従業員の給与情報や感謝給付のもとになる勤務情報が集まって来ます。データチェックはシステムが行ないますが、トラブルや問い合わせへの対応は担当者が行ないます。その後、月末にかけては、窓口にクーポン券を取りに来る個人への対応で忙しくなります。利用者の利便性を考えると、平日だけでなく土休日にも開いている窓口を設けておく必要があるかも知れません。(従業員の多い企業などには、クーポンの新札を預けておいて、配布業務を委託してしまうのが現実的だろうと思います。) 窓口には時期を問わず期限切れのクーポン券を交換しに来る個人もいるはずです。その対応も窓口業務のひとつです。交換比率が8掛けであるのはすでに説明しました。クーポン券の新札は毎月20日頃に発行されます。クーポン券は月ごとに台紙の色を変えるなどして、ひと目で最新のクーポンが見分けられるようにしましょう。そうすることで行政窓口やお店での負担を減らせるはずです。

 もうひとつ市が行なうべき重要な仕事があります。「絆クーポン」に関する申請を受理し、審査をして認定を行なうという仕事です。お店や企業からは「絆クーポン」を取り扱いたいという申請が来ますし、社会保障関係の事業者からは感謝給付の対象事業者として認定して欲しいという申請が来ます。また子育てや介護をしている家庭からは、個人として感謝給付の受給申請が来るでしょう。これらの申請はインターネットで受け付けますが(紙での申請もできます)、審査と認定を行なうのは人間です。もっと正確に言うと、議会が作成した審査基準に従って、市の担当部門が認定を行なうということです。感謝給付というのは、市が私たち市民を代表して、社会の持続性を支える仕事をしている人たちを応援しようという主旨で実行されるものですから、審査は厳正である必要がありますし、審査基準は市民感情を反映したものである必要があります。

 さらに「絆クーポン」の担当部門が行なわなければならない業務として、クーポン流通の監視と分析ということがあります。市中に「絆クーポン」がどれだけ流通しているかということは、毎月の発行額と減価率で理論的に計算できる訳ですが、実際の市中残高は計算どおりにはなりません。発行されたクーポン券のなかには、交換期限が過ぎても交換されずに、消失してしまうものもあるからです。ただ、使用期限が過ぎたクーポン券の交換状況も市は把握している訳ですから、どれだけのクーポン券が交換されずに消失したかということも分かります。もうひとつ計画どおりに行かない要素として、業者間取引においてクーポン残高が不足した場合の市による補填ということもあります。こういった要素をすべて勘案して、クーポン流通の全体像を正確に把握するのです。これによって例えばどのような業種で「絆クーポン」があまり使われていないかといったことをチェックして、次に行なうべき対策につなげるのです。

 最後にコンピュータシステムが備えておくべき機能についても簡単にまとめておきましょう。行政クーポンシステムはふたつのサブシステムから構成されます。ひとつはメインとなる通貨流通システムで、そのなかには企業の口座管理や振込処理、個人の給与支給や感謝給付を行なう機能などが含まれます。もうひとつはインターネット上のポータルシステムで、そのなかには各種申請の受付やお知らせ機能、「絆クーポン」取り扱い業者の紹介ページなどが含まれます。コンピュータシステムとしては、それほど大規模なものではありませんし、技術的にも特に難易度の高いものではありませんから、構築費用もそれほど高額にはならないだろうと思います。(業者に見積を依頼すれば数千万円の見積書が送られて来るでしょうが、業務要件定義と基本設計までを発注者側でやってしまえば、もっとずっと安上がりにできるはずです。) 参考までに、このシステムの主要な機能の一覧を挙げておきます。

【通貨流通システム】

機能モジュール名 主要なシステム機能
口座管理 口座残高管理機能、入出金履歴管理機能、月次繰越時の減価機能
口座間振込管理 振込依頼受付機能、出金・入金データ集計機能、残高不足時の立替機能
感謝給付管理 感謝給付対象者管理機能、感謝給付データ受付機能、クーポン券配布機能
給与支払管理 給与対象者管理機能、給与データ受付機能、クーポン券配布機能
債権管理 残高不足時の立替機能、督促状出力機能、入金確認機能、未納金額管理機能
通貨流通分析 流通残高計算機能、産業別流通状況分析機能、税収との相関分析機能

【ポータルシステム】

機能モジュール名 主要なシステム機能
ポータルページ 「絆クーポン」の紹介、各種お知らせ・イベントの告知、よくある質問
企業・店舗向け機能 ログイン管理機能、クーポン取扱申請機能、通貨流通システムへのリンク
社会保障関連業者向け機能 ログイン管理機能、感謝給付認定申請機能(法人)、通貨流通システムへのリンク
個人利用者向け機能 ログイン管理機能、感謝給付認定申請機能(個人)、未発行クーポン残高参照機能
ショッピングモール 「絆クーポン」取扱店紹介、店舗サイトへのリンク、(ネット通販機能)

10.縦糸の経済と横糸の経済

 「絆クーポン」政策の主旨をひと言で言えば、企業と消費者のためのお金である日本円(銀行通貨)に対置させて、新たに生活人のためのお金(感謝通貨)を創り出そうという試みだと言えます。いま「対置させて」と書きましたが、このふたつのお金は、決して互いを排除するものでも互いに競合するものでもなくて、補完し合うものだという点を最後に強調しておこうと思います。現在の資本主義経済の最大の問題点は、経済的価値を創造する機会を営利企業が一手に独占してしまっているところにあります。行政クーポン政策(あるいはもっと広く政府通貨政策と言ってもいいのですが)を導入する目的は、企業に属さない個人の活動にも経済的価値の裏付けを与えて、特に営利企業が手を付けない分野での価値創造を促進しようというところにあります。

 ここでちょっとあなた自身のことを振り返ってみてください。あなたは最近誰かとのあいだで、個人的にお金のやり取りをしたことがありますか? 会社から給料を支払われたり、お店に代金を支払ったりすることは私たちの生活の一部ですが、個人間でお金の授受をする機会というのは思いのほか少ないのではないでしょうか? 例えばインターネットオークションやフリーマーケットのような場所では、個人間でのお金のやり取りも発生しますが、その割合は経済全体から見ればとても小さなものです。またそういうところで売り買いされているものの多くは、企業が製造した製品の中古品だったりする訳で、純粋に個人が産み出した価値が売り買いされている訳ではありません。少し乱暴に言えば、現在の通貨制度のなかでは、企業に属さない個人が独自の価値を産み出すことは、まったく評価されないし、また歓迎もされない仕組みになっていると言えるでしょう。

 別に個人間の金銭授受が法律で禁止されている訳ではないのですから、もっと気軽にお金を使えばいいのではないかとも思います。例えば、子供が熱を出したので保育園に預けられないといった時に、近所の家で預かってもらうといった状況を考えてみましょう。あるいは足腰が弱くなったお年寄りのために、クルマでショッピングセンターに行ったついでに買い物を頼まれるといった状況でもいい。そんな場合に、日本円でいくらくらいの謝礼を渡せば妥当だと思いますか? これは人によって感じ方が違うかも知れませんが、そういった近所付き合いのなかでの親切に対しては、金額の多寡にかかわらず、日本円をやり取りすることに心理的な抵抗を感じるのがふつうではないでしょうか。子供を1日預かるのに1000円、買い物1回につき100円、そんなふうに取り決めたとしても、近所付き合いのなかでのお金の授受はやはり気が引ける。お金を媒介させてしまうと、親切が親切ではなくなってしまうような気がする。

 これはどうしてかと言えば、現在のお金というものが私たちの感謝を表すために作られたものではないからです。私たちが毎日使っている銀行通貨は、銀行が事業を興す企業に貸し出すことで生まれるものです。(このことを銀行の信用創造機能と言います。) 企業は事業を成功させて、借りたお金に利子を付けて返さなければならない。銀行は銀行で、企業の事業計画を査定して、それがうまく行かなかった時の貸し倒れリスクを自ら背負わなければならない。そんな冷厳な通貨ルールのなかに、人の感謝なんて感情が入り込む余地はありません。私たちは、そのことを肌身で感じているからこそ、企業活動に関わらない部分に日本円が使われることに違和感を感じるのではないかと思います。日本円のような銀行通貨は、別名「信用通貨」とも言いますが、銀行通貨にふさわしいのはまさに「信用」であって「感謝」ではないのです。

 このことを裏返せば、私たちが個人間で価値を交換し合うためには、信用通貨ではない別のお金、つまり感謝を表すためのお金である「感謝通貨」が必要だということでもあります。「絆クーポン」はまさにこの目的のために創られたお金だと言えます。最初に行政が発行する時には、社会保障分野で働いている人たちや、無報酬で社会の持続性のために働いている人たちに対する感謝という名目で発行されるのですが、いったん世の中に出回ってしまえば、それをどう使うかは私たちの自由です。財布のなかに使い切れないクーポン券が余っていても、あわてる必要はありません。日本円はお店や企業に支払うお金と割り切って、近所付き合いや地域のちょっとしたボランティア活動などには「絆クーポン」を積極的に使えばいいのです。「絆クーポン」の使い手である私たちは、これまでのお金に対する考え方を大きく転換しなければならなくなるでしょう。

 日本円の経済が「縦糸」だとすれば、「絆クーポン」の経済は「横糸」に喩えられるかも知れません。縦糸だけでも、横糸だけでも、丈夫な布は織れません。価値の交換手段を銀行通貨だけに頼っている社会は、実は非常に破れやすく脆いものなのではないかと私は思っています。地球温暖化や環境問題がこれだけ深刻になっているのに、いまだに経済政策と言えば成長戦略しか打ち出すことのできない現政権のことを考えてみてください。驚くことに、銀行通貨の経済には「成長」という唯一の目標しかないのです。誰がどう考えても、有限な地球環境のなかで永遠の経済成長などあり得ないにもかかわらず、そこから持続可能な経済に移行するための道が私たちには見えていない。自治体による「絆クーポン」政策の試みは、ほんの小さな最初の一歩に過ぎませんが、持続可能な経済への転換に向けた壮大な社会実験でもあるのです。

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2016年10月23日 (日)

「絆クーポン」を始めませんか?(3)

5.減価するお金というアイデア

 この項では財政面から見た「絆クーポン」について考察します。ここが行政クーポンというものの最大のセールスポイントになるのですが、クーポン発行には財源が必要ないということをまず理解していただく必要があります。もともと「絆クーポン」は日本円とは交換できないものですから、払い戻しのための引当金も要らないのです。もちろんクーポン券の印刷代やシステム費用、窓口業務の人件費などはかかる訳ですが、クーポン券自体は財源の裏付けなしに、あたかも打出の小槌を振ったように何もないところから産み出すことができます。そんなものを市中に供給し続ければ、すぐにインフレが起こって、クーポン券の価値も暴落してしまうのではないか、当然そういう疑問が湧いて来ると思います。

 そのためにクーポン券には使用期限を設けています。クーポン券が発行月の翌月いっぱいで使えなくなってしまうとすれば、毎月同じ額のクーポンを発行したとしても、市中で流通するクーポン総額は増えも減りもしません。つまりインフレともデフレとも無縁になるのです。ただし、ある日を境に突然クーポン券が紙くずになってしまうのでは、利用者に無用な心理的圧力をかけることになりますし、期限日の直前には手持ちのクーポンを使ってしまおうとする人でお店が混乱するかも知れません。そこでクーポン券の期限を2段階で設定します。それが使用期限と交換期限というふたつの期限になります。

 「絆クーポン」は毎月20日頃に新札が発行されます。発行された月内には、まだそのクーポン券はお店では使えません。使えるのは発行月の翌月の1日から末日までの1か月間で、これはクーポン券の表面に「使用期限」として明記されています。使用期限を過ぎたクーポン券は、お店では使えなくなりますが、市の窓口に持って行けばその時点で一番新しい新札と替えてもらえます。これができるのが交換期限で、使用期限の翌月1日から末日までの1か月間になります。これも「交換期限」としてクーポン券に明記されています。つまり使用期限切れが近づいているクーポンを持っていても、それほどあせる必要はないのです。交換期限も過ぎてしまったクーポン券は、ただの紙くずになってしまいます。

 交換にデメリットがないかというと、そうではありません。新札との交換は等価交換ではないのです。交換手数料として2割が引かれます。500円分のクーポン券を交換に出しても、400円分の新札しか受け取れないのです(端数は切り捨てとします)。これはどういうことかと言うと、「絆クーポン」は月をまたぐ時点で必ず20パーセント分だけ目減りしてしまうということです。先ほど業者が口座にクーポン券を入金する時のルールを説明しました。この場合も預け入れは交換期限内に限定されて、しかも入金額は額面の2割引きになってしまうのでした。つまり、「絆クーポン」は、紙幣であっても銀行預金であっても、必ず月に20パーセントずつ減価するということなのです。

 地域通貨を論じる書物をひもどくと、よく「減価通貨」というアイデアが出て来ます。時の経過とともに額面額が減って行ってしまうお金のことで、「マイナス利子のお金」などと呼ばれることもあります。「絆クーポン」はこの「減価通貨」の一種なのです。マイナス利子のお金は、私たちがふだん使っているプラス利子のお金(つまり銀行通貨)とは正反対の性質を持つものになります。銀行通貨は銀行に預けておけば(多少は)プラスの利子が付きますが、減価通貨は口座に預けていても紙幣で持っていても、時の経過とともに目減りして行ってしまいます。当然、貯蓄のためには向かないお金なので、これを導入すると経済の流れがよくなります。経済格差を是正するという効果も期待できます。

 さらに減価通貨が持つ最大のメリットは、これを政府通貨として発行した場合、市中に流通する通貨量を行政が完全にコントロールできるという点にあります。簡単なグラフを描いてみましょう。ある自治体が毎月2割ずつ減価する行政クーポンを、毎月1億円分発行したとします。すると市中に流通するクーポン残高はどうなるか? それを示したのが次のグラフです。

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 これを見れば分かるとおり、減価通貨は毎月一定額ずつを発行したとしても、その流通量はある上限額で頭打ちになります。この例で言えば、市中の流通総額は5億円で一定になっていますね。これは当たり前の話で、流通している5億円の2割に当たる1億円がひと月ごとに目減りしてしまうのだから、毎月1億円の新札を発行しても流通総額は増えも減りもしないのです。計算式に表せば次のようになります。

[減価通貨の流通額]=[一定期間に発行する通貨額]÷[同じ期間の減価率]

 通貨の発行額や減価率は、行政が政策として決定できるものですから、減価通貨は行政によってコントロール可能なお金であることがお分かりいただけたと思います。しかも財源が全く要らないのですから、これは完全に持続可能性な政策だとも言えます。単に持続可能なだけではありません、減価通貨政策にはちょっとやそっとではインフレやデフレに振れないという柔軟性もあります。例えば毎月1億円ずつの行政クーポンを発行して、流通残高を5億円にコントロールしていた自治体が、地震などの震災対策としてある月だけ臨時に10億円分のクーポンを発行したとしましょう。この場合でも市中の流通額は、ほどなく5億円に戻ることがグラフを見れば分かります。つまり、減価通貨は災害支援のためのお金としても優れているのです。

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6.「絆クーポン」による給与支払

 ここまでの説明では、「絆クーポン」を利用する個人は、社会保障分野で働く人たちに限定されていました。それではこの新しい行政通貨が流通する範囲も限られてしまいます。そこでもうひとつ、個人にクーポンを配る別のルートを追加します。「絆クーポン」を取り扱う事業者は、そこで働く従業員の給与の一部をクーポンで支払えるようにするのです。クーポンの発行元である自治体が、そのようにルール決めをするということです。これで「絆クーポン」を使う人の層が一挙に拡大します。民間企業で働くサラリーマンもクーポンとは無縁でいられなくなるのです。

 どのように給与の一部をクーポンに置き換えるかは、「絆クーポン」の基本ルールに従います。つまり売り手側が販売額のいくらまでクーポンで受け取ってもいいかを宣言し、買い手側がその範囲でクーポンを混ぜて支払をするということです。企業で働く人は、労働を売った代金として給与を受け取っているのですから、この場合、売り手は従業員になります。例えば、30万円の月額給与を受け取っている人が、1割までクーポンで受け取ってもいいと宣言すれば、企業は日本円で27万円とクーポンで3万円を支払うことができるということです。

 とは言っても企業と個人の雇用関係では、雇い主の方が立場が強いのが一般的ですから、いくらクーポン受容率を決めるのは従業員の方だと言っても、それを企業に守らせるのは難しそうです。会社からの圧力で給与の2分の1をクーポンにされてしまうといった事態があちこちで起こるかも知れません。これを防ぐために、給与に対するクーポンの比率には行政が上限を設けることにします。例えば、給与総額の10パーセントを限度額としてクーポンでの給与支払を認めるといった具合にです。しかも、そこに基礎控除のルールも設けます。都道府県が定める最低賃金まではクーポン支払の対象外とするのです。このルールが無いと、実質的に最低賃金に満たない給与で働かされる人が出て来てしまいますから。例えば最低賃金が800円の地域で、時給1200円で働いている人は、差額400円の10パーセント、つまり時給当たり40円分までがクーポンになる可能性があるということです。

 企業は自らが持つクーポン口座から、従業員に対するクーポン給与の支払をします。と言っても、個人は「絆クーポン」の口座を持っていませんから、口座振込で支払うことはできません。(将来的には個人にもクーポン口座を持たせ、紙のクーポン券は廃止して電子マネーに統一したいと思いますが、今回の提案ではまだそこまでは行きません。) では、どうするか。業者間支払の場合と同様に、企業は「絆クーポン」のポータルサイトから従業員別の支払依頼を入力するのです。(もちろんcsvファイルによる一括処理もできます。) 従業員の方は、市の窓口に行って受給証を見せれば、その時点で最新のクーポン券を受け取れるという仕組みです。(クーポン券は給与支給月の20日以降、翌月いっぱいまで受け取れます。) クーポン扱い業者として登録した企業に対しては、行政が従業員の個人番号を記載した受給証を発行します。

 当然のことながら、企業が従業員給与の一部を「絆クーポン」で支払うようになれば、市場でのクーポン流通が活発になります。より多くの人がクーポンを使うようになるからだけではありません、給与支払にクーポンを使えるようになった企業は、より戦略的にクーポンを取り込んだ販売戦略を立てられるようになるからです。ふつうに考えればクーポンを扱いにくい輸入企業でさえ、従業員に支払う金額分までは顧客からの支払をクーポンで受け取れるようになります。クーポンを扱っている企業の従業員のなかには、その自治体の外から通勤している人もいるでしょう。そういう人は家にクーポン券を持ち帰っても使い途がありません。会社の近くで買い物をして帰るか、飲食をして帰るしかない。すなわちここでも市内経済が活性化するのです。

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2014年10月27日 (月)

パンデミックと民主主義

 西アフリカで発生したエボラ出血熱の広がりが懸念されています。感染力が強く、現在有効な治療法も無く、罹患者の致死率は50パーセントと聞けば、これは単なる重大ニュースというだけでは済まされないものです。すでにアメリカやヨーロッパでも患者の発生が報告されており、これが世界的なパンデミックに発展する可能性も否定出来ない状況です。アフリカ諸国と経済的なつながりの強い中国でこの病気が広がることを心配している記事もありました。

 この問題について、このブログでコメント出来るようなことは何もありません。ただ、日本を含む先進各国の対応がまったく後手に回っていて、それは現代の民主主義の弱点が露呈したものであるかも知れないということについては指摘しておきたい気がします。同じ西アフリカでも、ナイジェリアではこの病気の拡大を食い止めることに成功しているそうです。その理由は、ナイジェリアのような途上国では、欧米諸国と違って政府が強権的な政策(例えば国境封鎖のような?)を発動出来るからということらしい。なるほど。パンデミックと闘うためには、民主主義は足かせになるんですね。

 日本の各空港では、リベリアやギニアやシエラレオネからの帰国者・入国者に対して自主申告を呼び掛けています。入国検査の際に体温をチェックをするサーモグラフィーも導入されたようです。しかし、それだけです。なんて生ぬるい対策なんだろうと思うのは私だけでしょうか。アメリカよりも防護体制で劣っている日本は、ひとりでも罹患者を国内に入れてしまったら、もはや国内でのエボラ出血熱の流行を食い止める術はないのです。何故、入国禁止の措置を取らないのでしょう。それが無理だったとしても、入国希望者は全員いったん隔離して、感染の有無を調べた上で入国を許可するくらいのことは出来る筈です。いまこうしているあいだにも、成田や関空には西アフリカからの便が到着しているのです。

 民主主義が仇になって却って壊滅的な危機を招いてしまう、これは先進国に共通した問題なのかも知れません。福島第一原発の事故の際に、民主党政府は近隣地区の住民に緊急避難の命令も出さなかったし、子供たちに安定ヨウ素剤を配ることもしなかった。あれは危機意識が低かったからではありません、それをした時の世論の反応が恐かったからです。これは自民党政権でも同じだったでしょう。韓国のセウォル号沈没事故で、船内にいた高校生たちにその場を動くなと放送した乗務員のことを私たちは批判することは出来ません。平和ボケした私たちは、本当の危機がすぐそこまで近付いているのに、それを直視して行動を起こすことが出来ない、そこに現代の最も深刻な問題があるような気がします。

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2014年10月 9日 (木)

憲法9条にノーベル平和賞?

 あり得ない話ではないと思っていました。ノーベル賞のなかでもノーベル平和賞というのは、それ自体が政治的な意図を持ったもののように感じられるからです。そのことはオバマ大統領が就任した年に、まだほとんど何の実績も上げていないのにノーベル平和賞を与えられたことではっきりしました。要するに賞とは言っても、過去の業績に対する「賞賛」というよりは、将来の行動に対する「牽制」という意味合いが強いものなのですね。だとすれば、安倍政権が解釈改憲や武器輸出解禁といったタカ派政策に走れば走るほど、憲法9条はノーベル平和賞に近づくことになる。

 この件について何か書きたいと思っていたら、もう明日(10月10日)がノーベル平和賞の発表の日なのだそうです。私は護憲派なので、憲法9条がノーベル平和賞を受賞したら手放しで喜ぶつもりですが、まあ、冷静に考えてその可能性は限りなく小さい。落選すればもうこれに関して書こうという気力も失せてしまうに決まっているから、あわててこの記事を書いている訳です。

 仮に受賞が決まったとしたら、安倍さんはどういうリアクションをするのだろう? そこにとても興味があります。現行憲法について「みっともない憲法ですよ」という発言をした人です。一国の総理大臣が、自国の憲法を「みっともない」と形容すること自体驚くべきことですが、受賞者は「日本人」ということなので、総理大臣の一存で辞退することも出来ないでしょう。「内政干渉だ」と言ってノーベル委員会を非難するのも大人げない。もしも私が安倍さんのスピーチライターだったとしたら、正直お手上げです。

 もしもあなたが改憲派で、今回の騒動を苦々しく感じているなら、その苦々しさは一体誰に対してのものなのかと自分の心に問いかけてみてはどうでしょう。ノーベル賞に応募するなんてロクでもないことを考えた護憲派の連中に対してだろうか? それともこれを後押ししているように見える「進歩的知識人」に対してだろうか? いずれにしても、その憤りは「政敵」に対してのものであって、決して国の将来を憂いての義憤といったようなものではないことは明らかです。それは護憲派にとっても同じこと。仮にノーベル平和賞の受賞が決まって喝采を叫ぶ時、あなたの心のなかにあるものは、憲法の精神への共感や将来に向けた不戦の誓いであるよりも、安倍さんを筆頭とする改憲派の鼻を明かしてやったという底暗い愉悦であるに違いない。

 つまり憲法問題というのは、もはやニュートラルな政治的課題として論じることが出来ない事案になってしまっているということです。そこには護憲論を否定するための改憲論、改憲論を否定するための護憲論しかない。「護憲教」と「改憲教」のあいだの神学論争のようなものと言ってもいい。こういった状況を打ち破るには、第三者の意見を聴くのが一番だと思います。つまり、世界の国々が戦後の日本と日本国憲法の関わりをどう見ているかということですね。最近の朝日新聞の事件を見ても明らかですが、いまの日本国内には行き過ぎた自虐史観と過去から目をそむける歴史修正主義しかない。こんな時には素直に国際社会の声を聴くに如くはない。それが日本人に勇気を与えてくれる声であるならなおさらです。

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2014年10月 5日 (日)

新リベラル派宣言(Twitter風に)

  1. リベラルとは何か? 誰もが納得出来そうな簡単な定義がある。「もしもあなたがジョン・レノンの『イマジン』に共感する人なら、あなたはリベラルだ」というものだ。えっ、いまの日本の若者は『イマジン』を知らない? だったらサザンオールスターズの『ピースとハイライト』でもまったく構わないが…
     
  2. つまりリベラルというのは、現実を知らないおめでたい理想主義者ということである。日本でも一度だけ、こういう意味でのリベラルが政権を取ったことがあった。民主党の鳩山政権だ。鳩山由紀夫氏が国民の怒りと嘲笑を買って失脚した時に、日本のリベラルは死んだのである。その反動がいまの安倍政権だ。
     
  3. いまや自民党のなかの中道派でさえ、ほとんど死に体の様相である。そこに朝日新聞の誤報問題や批判記事の掲載拒否といった問題が重なり、もはや日本のリベラルは世間から嘲笑されるどころか、悪罵を浴びせられるようにさえなっている。当然、右派のマスコミやネトウヨと呼ばれる人たちはお祭り騒ぎだ。
     
  4. 人気のブログで内田樹氏が「若者よマルクスを読もう」と呼び掛けている。内田氏によれば、ソ連崩壊以後、全世界で共産主義に対する支持が失われ、民主主義国家のなかでいまも共産党が議席を保っているのは日本とフランスの二国だけなのだそうだ。今後、日本はマルクス復権の拠点になり得ると氏は言う。
     
  5. 日本を代表するリベラル派の論客が、21世紀にもなってマルクスに回帰しようと訴えている事実に驚愕する。現代人にとって「マルクスは死んだ」のは自明の前提ではないか。いまさら共産主義? いまさら唯物史観? いまさらプロレタリア革命? そんなものは歴史の彼方に葬り去られた迷妄に過ぎない。
     
  6. 仮に日本共産党が政権を取ったらどんな政治形態になるのだろう? 党の綱領によれば共産党は憲法も普通選挙も尊重する立場のようだ。しかし、生産財の私有は認めないと言う。つまり企業はすべて国営になる訳だ。それでいて統制経済は否定して、市場の自由を称揚している。――私にはまるで意味不明だ。
     
  7. 何故、共産主義は政治思想として破綻しているとはっきり言わないか? 仮に共産主義に固執するなら、普通選挙を否定して一党独裁を目指すべきだろう。それとも選挙で政権が替わるたびに、企業が国営になったり民営になったりするのか。共産党は共産主義の看板を下ろし、党名も変えるべきだと私は思う。
     
  8. 共産主義の失敗はとても単純な理由によるものだ。それは経済の問題を階級間の闘争の問題と取り違えてしまったところにある。このことがおそらく資本主義経済の本当の問題を隠してしまった。『万国のプロレタリア団結せよ!』しかし、残念ながら今日のプロレタリアは、団結するより起業することを選ぶ。
     
  9. 今日、リベラル派の選択し得る政策は「再配分政策」しかないように見える。その最たるものが北欧風の社会民主主義だ。つまり重い税負担による厚い福祉ということである。だが、これは端的に言って資本主義の果実を横流しするだけの政策に過ぎない。資本主義が行き詰まれば、社会民主主義も行き詰まる。
     
  10. 目新しい政策と見えるものが再配分政策の一変種ではないか、常に疑う習慣を着けるとよい。既存のリベラル政党が掲げる政策がどれも空想的に見えるのは、財源の裏付けがないからだ。将来のリベラル政党が拠って立つ政治思想というものがあるとすれば、それは再配分政策を超えたものでなければならない。
     
  11. 私の考えでは、従来のリベラル思想がすべて空想的なユートピア思想以上のものではなかったことには理由がある。社会主義や共産主義が生まれた時代には、まだ資本主義経済の本当の課題が見えていなかったのだ。すなわち、経済成長至上主義から脱して、持続可能な経済体制に転換するという歴史的課題だ。
     
  12. これこそがこれからのリベラルの旗印でなければならないと思う。格差の無い社会、失業者もホームレスもいない社会、そんなものは夢物語に過ぎない。それに再配分による格差の是正で、持続可能な社会が実現する訳でもない。環境問題や資源問題に比較すれば、格差や失業などというのは微小な問題である。
     
  13. 資本主義というのは、過去と未来から借金をすることで成り立っている経済システムだと言える。それは生命が40億年かけて蓄積した化石燃料を湯水のように蕩尽し、処理不能な有害廃棄物を未来に向けて投棄している。持続可能な社会を実現するためには、まずこの借金体質から抜け出さなくてはならない。
     
  14. そのためには環境保護に予算を付けたり、再生可能エネルギーに補助金を出したりするだけでは足りない。太陽光発電のコストは、火力や原子力の何倍にも上るということが常識のように語られるが、実はそれこそが錯覚だと気付くべきだ。日本円という単一の評価軸で測るからそう見えるだけだということだ。
     
  15. 私自身はゲゼル主義者を自称しているが、シルビオ・ゲゼルの政治思想や革命思想を信奉している訳ではない。ゲゼル思想のキモは貨幣理論にある。資本主義経済の抱える本当の問題は「利子が付くお金」そのものにあり、これが経済格差や環境破壊をもたらす原因になっている。つまりは仕組みの問題なのだ。
     
  16. 仕組みの問題であるということは、イデオロギーの問題ではないということだ。今日では資本主義はおおむね好ましいものとして受け入れられている。問題はそれをいかに是正し、補完するかということだ。そのためには従来の銀行通貨とは異なる新しい通貨、つまり「マイナス利子の政府通貨」が必要になる。
     
  17. 何故、持続可能な経済のためにマイナス利子の通貨が必要なのか? それは簡単な話だ。年利5%の銀行貸付は、年に5%以上の経済成長を求める。しかし、有限な地球環境のなかで永遠の経済成長はあり得ないのだから、どこかでブレーキをかけなければならない。マイナス利子とはそのブレーキなのである。
     
  18. では何故、それは政府通貨でなければならないのか? これも簡単な話だ。銀行通貨を利を求めるお金と呼ぶなら、減価通貨は利を求めないお金と言える。つまり非営利部門の発行でなければならないということだ。政府というのは、唯一国民が直接メンバーを選任出来るNPO団体だということを思い出そう。
     
  19. これからの経済は、利を求める「成長のための経済」と利を求めない「持続可能性のための経済」をはっきり区別しなければならない。このふたつの見分け方は簡単で、銀行が金を貸せるか貸せないかで明確に分けられる。銀行からの融資が得られない分野は、政府通貨で独自に市場化を進めなければならない。
     
  20. 何故なら経済成長を止めた社会では、税制度すなわち再配分政策だけでは、増大する社会保障費や社会基盤の維持費を賄い切れないからだ。そのことは、毎年約40兆円ずつ政府債務が積み増しているいまの財政状態を見れば明らかだ。経済成長の余禄で社会が維持出来た時代は、とうに過去のものなのである。
     
  21. 政府通貨は決して打出の小槌ではないし、政府の債務を帳消しにするものでもない。そこは誤解してもらいたくない。そうではなくて、政府通貨は銀行通貨の手が届かない経済領域を担うために導入されるのである。これまでの経済では採算の取れなかった再生可能資源やエネルギーといった分野がそれである。
     
  22. 石油やウランを使わない太陽光発電が、火力発電や原子力発電よりも高くつく理由は何か? それは発電の効率が悪いからではない、運用のための人件費が高いからだ。もしもソーラーパネルがまったくメンテナンスフリーで百年間稼働するなら、火力や原子力などは経済原理に従ってすぐに淘汰されるだろう。
     
  23. 企業経営者にとって、人件費というのは出来ればゼロにしたいコストなのである。少なくともゼロであっても経営に支障は無い。ロボットが仕入から生産、出荷までを自動でやってくれるならそれに越したことはないからだ。株主への配当は利益の一部だが、従業員の給与は経費の一部であることを思い出そう。
      
  24. 営利企業にとって顧客は欠かすことの出来ないものであるのに対し、従業員は必要悪である。ある企業の授業員はまたある企業の顧客でもある訳だが、両者をつなぐものは経済原理的には何も無い。経済の本質は循環にあるという点から見ると、資本主義経済はその最も本質的なところで欠陥を抱えているのだ。
     
  25. このことから資本主義が人間疎外の思想だと言うのではない、人間の労働力を有効に活用するためには甚だ効率の悪いシステムだと言うのだ。太陽光発電の例だけに限らない、自然保護にしても、社会保障にしても、持続可能な社会への転換のためには、産業の効率化よりも人間の労働力の有効活用が鍵になる。
     
  26. というのも、人間の労働力こそが再生可能資源の最たるものだからだ。なにしろそれは人類滅亡の日まで尽きることがない。この資源を持続可能な社会への転換のために使うことが、これからのリベラル思想の中心課題になる。減価貨幣はそのための唯一の解決策ではないにしろ、有力なツールのひとつである。
     
  27. 今後、先進国はメンテナンス経済の時代に入る。大規模な開発よりも、既存の設備やインフラを修繕しながら長く使い続けるという経済のあり方だ。ところがこれこそが日本円の経済にとって最も苦手な分野なのである。古い家電製品を修理するより、新製品を買った方が安いという現実がそれを証明している。
     
  28. 誰でも資源を節約して、余分な廃棄物を出さない生活が望ましいと分かっている。分かってはいるのだが、日本円の経済がそれを許さない。そんな状況は人間の知恵で乗り越えなければならない。オートメーション工場で産み出される製品を使い捨てる時代から、手間をかけた手仕事にこそ価値を認める時代へ。
     
  29. リベラル派にとって、信頼出来る経済システムの選択肢は決して多くない。しかも、現在の環境破壊や気候変動の速さを思い合わせると、我々に残された時間はあまりない。政策転換だけでこの危機を乗り越えることは不可能であり、持続可能性がビルトインされた経済の仕組みへの転換は最優先の課題である。
     
  30. かつて数多くの地域通貨が生まれては消えて行った。だが、今回の試みには成算があると私は思う。持続可能性のための負担を日本円から切り離すことは、産業界からも歓迎される筈だからだ。99%の我々にとって、自分たちの通貨、自分たちの経済が、これまで無かったことの方がむしろ不思議なのである。

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2014年9月 7日 (日)

介護を雇用の受け皿にしてはいけない

 少子高齢化の何が問題かと言うと、将来の人口減少ということでもなければ、労働力の低下による経済規模の縮小ということでもありません。いまの日本は狭い国土に多過ぎる人口を抱えている訳ですから、将来人口が減って行くことはむしろ好ましい変化だと言えます。労働力が低下して経済が縮小するというのも、総人口の減少にともなう適正な経済規模への移行ステップだと思えば、それほど悲観する話でもありません。少子高齢化の何が問題なのかと言うと、介護が必要な高齢者が急激に増えて行くのに対して、介護をする側の労働力が圧倒的に不足することが確定しているというその点にあります。要するに日本中が要介護の老人だらけになってしまい、家庭でも施設でもとても彼らの面倒を看きれなくなるということです。

 そのことはすでに社会問題として現れています。ニュースでは介護に疲れはてた挙げ句の殺人や心中といった事件をよく目にしますし、老人ホームの職員や介護ヘルパーが慢性的な人手不足に陥っていることは周知の事実です。少し前までは、長引くデフレ経済のなかで、介護職は将来の有望な労働市場になり得るといった言説もよく耳にしたものですが、見かけの景気が少し上向いただけでそんな楽観論は吹き飛んでしまう。だいたい介護というのは、端的に言えばおじいちゃん、おばあちゃんの下のお世話をするということですから、誰にでも出来るような仕事ではないのです。介護の現場で離職率が高いのも、給料が安いというだけの理由ではない筈です。

 私も要介護の親を抱える身の上なので、ケアマネさんやヘルパーさんと付き合う機会は多いのですが、介護の現場で働く人たちを見ていて強く感じることがあります。有能で利用者からの人望もある介護職の人たちを見ていると、つくづく彼女らにとって(ケアマネさんもヘルパーさんもどういう訳か女性が多い)介護というのは天職なのだなあと感じるのです。天職という意味は、職業訓練や国家資格によって介護のプロというのは養成出来るようなものではなくて、持って生まれた向き不向きがこれほどはっきりした職業分野もそうはないのではないかということです。天性の明るさ、くよくよしない性格、相手を笑顔にさせるユーモアのセンス、どれひとつとっても自分には欠けたものばかりです。たぶん介護職というのは、一部の選ばれた人にだけ許された職業ではないかという気がする。就職難のご時世で、介護の仕事は若い人にも注目されているようですが、そこには落とし穴もありそうです。10人の若者をプロの介護士に育て上げることは、10人の若者をプロのプログラマーに仕立て上げることよりずっと難しいのではないか。いや、難しいというより、それは不可能なことではないかとさえ思います。

 以上のような認識から、私は介護分野の仕事を、安易にこれからの有望な雇用の受け皿として見る見方には反対したいのです。おそらく、いつの時代にも介護職に向いている人は一定の割合で存在するのだろうと思います。しかし、それは逆に言うと一定の割合でしか存在しないということでもあります。どのくらいの割合なのだろう? 感覚的に言えば、介護が天職と言えるようになる人は10人にひとりもいないのではないか。にもかかわらず、介護が必要な高齢者は今後ものすごい勢いで増えて行く訳です。この事実に対して、政治はもっと真摯に向き合わなければならないと私は思います。いま政府は介護保険料の引き上げとともに、利用者負担率のアップ(応能負担の仕組みの導入)を画策しているようです。でも、政治がしなければならないのは、そんなことではありません。いくら保険料や負担率を上げたところで、焼け石に水であるのは分かり切ったことだからです。もっと根本的なところで介護制度そのものを見直さなければならない。

 これに対する私からの提案は3点です。まずひとつめは「老老介護」の推進ということです。老老介護と言えば、家庭内で高齢者の夫婦または親子が共倒れになるぎりぎりまで追いつめられているような暗いイメージを思い浮かべますが、ここでの意味は違います。それは行政が主導する制度的な老老介護のことです。つまり、介護施設に入所している人や、そこに通所で通っている高齢者のなかで、比較的元気な人に介護の必要な高齢者の面倒を看てもらおうということです。もちろん正規の職員ではないので、時給何百円といった給料を払うことは出来ませんし、介護資格を持った正職員と待遇が違うのは仕方ありません。それでも多少のアルバイト料くらいは出せるでしょうし、そこでポイントを貯めると将来自分が介護を受ける立場になった時に何らかの優遇措置を受けられるといったインセンティブを設けることなら出来る(例えば、ポイントと引き換えに夕食にビールが1本付くとか。笑)。いま政府は特別養護老人ホームへの入居資格を厳しくして、高齢者を施設から締め出そうとしていますが、私の考えは逆です。元気なお年寄りもどんどん施設に呼び寄せて、互助的なコミュニティを形成すべきだと考えているのです。

 これから要介護の年代に入る団塊世代の人たちや、それに続く自分のような世代の者たちが、心しておくべき基本原則があります。それはこれからの時代を担う若者たちに、自分たちの介護を任せるのはなるべくやめようじゃないかということです。なにしろ団塊というくらいですから、この世代は人口がとても多い。ただでさえ少子化で人口が減っている若い世代に、団塊老人たちの介護を押し付けるなんて、ほとんど犯罪に近いと私は思う。これは施設介護だけでなく、家庭内の介護についても言えることです。介護サービスを受けるためにお金を出せばいいという話でもありません。若い人たちには、老人の世話よりももっと大事な仕事がたくさんある筈です(もちろん介護の仕事が大事ではないと言っている訳ではありません、その点は誤解なく)。この国の高度経済成長を担って来た団塊の世代の人たちに対しては、最後まで誇りを持って、自分たちの始末は自分たちでつけろと言いたい。

 ふたつめの提案は、介護分野における技術革新を促進するということです。介護従事者はよく腰を痛めると言います。寝たきりの老人を起こして着替えをさせたり、入浴をさせたりするのは、とにかく重労働です。最近はSF映画にでも出て来そうなモービルスーツのようなものも開発されているようですが、もっといろいろな可能性が検討されていい。個人的には、ベッドに寝たまま人手を借りずに入浴可能な「自動入浴介助装置」や、人目につかず臭いも気にならずに排泄物の処理をしてくれる「自動おしめ交換器」のふたつはぜひとも実用化してもらいたいところです。介護というのは、介護をする側もつらいけれど、介護をされる側も心苦しいものだと思います。入浴や排泄の介助については、むしろ機械に任せてしまった方が双方とも気が楽だと思う。そんな装置があるだけで、介護の仕事がどれだけ楽になるか、想像してみてください。しかも高齢化は先進国に共通の悩みですが、そんな機械を発明出来るのは日本人をおいて他にはいないと思いませんか。国はこうした研究にこそ補助金をたっぷり付けるべきです。

 三つめの提案は、このブログですでに何度も書いている政府通貨による介護従事者への経済的支援ということです。そもそも介護や福祉といった分野で働く人たちの給料が安いのは、現在の通貨制度そのものに欠陥があるからです(と私は考えています)。これについてはこちらの記事もお読みいただきたいのですが、私たちが使える唯一のお金である日本円は、銀行と企業のあいだで結ばれた契約に基づいて発行されたもので、生活者同士の助け合いや親切を媒介するためには不向きなお金だということです。日本円のような通貨のことを、私は「約束するお金」と呼んでいます。しかし、経済成長の時代が終わり、持続可能な社会を築いて行くことが喫緊の課題である現代においては、日本円に対抗する(あるいはそれを補完する)「感謝するお金」というものがどうしても必要なのです。まあ、このことを論じ始めるととめどなくなってしまうので、これ以上深入りはしません。いずれにしても、これから日本の社会は重い介護負担に苦しむことになる訳ですが、その本質は決して財政問題でも少子化問題でもないということについては、ここにはっきり大書しておきたいと思います。

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2014年8月15日 (金)

謝罪の仕方を間違えた朝日新聞

 先週、エポックメーキングな出来事がありました。朝日新聞が、32年前の従軍慰安婦に関する記事について、誤報であったと謝罪する記事を載せたのです。この問題については、産経新聞など保守派のマスコミからの強い批判があり、またもともとの記事のソースが捏造されたものであったことが判明しているという事実もあって、朝日新聞は世論からも追い詰められていた訳です。長年、朝日新聞を購読して来た者としては複雑な心境です。なんだかだまされたような、あるいは共犯者にされたような気分になった。事実を知るまでは、自分も韓国の人たちの怒りに一部で共感していたし、従軍慰安婦など歴史上の捏造だと言い張る右派論客に対しては嫌悪感さえ抱いていた訳ですから。

 それにしても、今回の朝日新聞の謝罪記事は、謝罪の仕方として最悪なパターンの見本だったように思います。下手な謝罪は却って顧客の怒りを掻き立てることになる、そんなことはいまどきの企業人にとって常識でしょう。今日のようにCSR(企業の社会的責任)ということに世間が神経をとがらせている時代に、日本を代表する大新聞社のこの脇の甘さはいったい何だろう? 謝罪記事のどこが悪かったのかは改めて説明しません。いろいろな人がすでに書いていますからね。そこには言い訳や開き直りや論理のすり替えや、謝罪の際に絶対にしてはならないことがすべて揃っている。こんな謝罪ならしない方がマシでした。今回の記事は、企業としては非常に大きな決断だったと思いますが、そこにアドバイスする外部のブレーンはいなかったのだろうかという疑問が浮かびます。最近はCSRコンサルタントなんて肩書きを持つ専門家もいる訳ですから、いくらでも知恵を借りることは出来た筈です。謝罪するのに外部の専門家を雇うなんて不誠実ですって? そんなことはありません、謝罪というのは誠実さの問題である以上にテクニックの問題なのですから。

 もしも私が朝日新聞から委嘱されて、従軍慰安婦の誤報に対する謝罪キャンペーンを請け負ったとしたら、どんな企画を立てるだろう、そんな想像をしてみました。(ちなみに私はCSRコンサルタントではありませんが、企業人として過去に豊富な謝罪実績を持っています。笑) まず、謝罪の基本方針を明確にしましょう。御社の犯した罪は、ひとりのジャーナリストの嘘の証言をもとに、戦時中に日本軍が韓国人女性を組織的に強制徴用して、官製の慰安所に送り込んだというデマを流したこと、そしてその情報がデマだと分かってからも、長年に亘ってこれを撤回することを怠ったまま今日まで来てしまったことです。その影響たるや甚大なものでした。なにしろそれは今日の冷え切った日韓関係の端緒を作り、世界各国で韓国が繰り広げる半日キャンペーンにお墨付きを与えてしまったのだから。日本国内を見ても、時代錯誤としか思えない韓国人排斥のヘイトスピーチや嫌韓論の盛り上がりがある。それらのすべてが御社の責任だとは言いませんが、その大きな要因となったことは疑えません。

 となると、謝罪する相手は、決して朝日新聞の講読者だけではありませんね。すべての日本国民、さらにすべての韓国国民が対象になります。ということは、新聞本紙に謝罪記事を出したのでは不十分だということです。本紙とは別刷りの「号外」にして、街頭で配りましょう(もちろん本誌にも折り込みます)。発行日は特別な日、そうですね、いまなら終戦記念日に合わせましょうか。内容はとにかく事実の検証と謝罪に限定して、一切の言い訳や責任転嫁は無しです。それと同時に責任者の処分を発表します。ことの大きさからすれば、役員全員の退任くらいの決断があってもいいと思いますが、それが無理なら向こう1年間役員報酬をゼロにするくらいのことは発表したいところです。謝罪というものは、中途半端なものであってはいけません。関係者の誰もが「何もそこまで…」と思うくらい徹底したものでなくてはいけない。またこれに関して、すでに社を離れている元社員の責任を追及したり、訴訟を起こしたりするのもお門違いです。もう32年も経って、直接の関係者は社内に残っていないかも知れませんが、そんなことは関係ありません。お詫びはあくまで現在の朝日新聞社がするのです。

 号外の発行は、日本だけでなく韓国国内でも行ないます。こちらの内容は、誤報に対する単純な謝罪記事ではありません。いま韓国の一部の人たちは、日本の侵略戦争の犠牲になった慰安婦の像を世界各地に建てようとしている。朝日新聞には彼らに向かって直接語りかける責任があります。誤解を解くためではありません、そのような誤解を与えてしまったことに対する謝罪のためです。従って韓国版の号外には、どのようにして今回の誤報が発生してしまったかを説明するにとどめて、慰安婦像の問題や最近の日韓関係に関する懸念などには一切触れないものとします。そして自分たちの報道が、今日の韓日間の不幸な反目の原因になってしまったことに対する慚愧の念だけを前面に出すのです。またこれと同時に、この問題に対する意見を募るホームページも作りましょう。これは日本語版と韓国語版、出来れば中国語版も同時に開設します。そしてどこに投稿しても、残りの二つの掲示板にも翻訳されて、三つの掲示板が常に同じ内容を示すようにするのです(当然、投稿された意見の公開に当たっては、サイト運営者の事前チェックが必要になりますが、これは仕方ありません)。こういったページが出来ると、これは日中韓の国民が直接対話するための基盤になるでしょう。これはかなり画期的なことではありませんか?

 誰かも言っていましたが、今日の朝日新聞の迷走は、日本のリベラルの迷走をそのまま体現したものでもあります。この先も朝日新聞が国民の信頼を保ち続けるためには、新しい時代のリベラルのあり方を自らが切り拓いてみせなければならない。そのために今回の謝罪記事は、御社にとってひとつの大きなチャンスとなり得るものです。これをごまかしの小さな記事などで済ませようとしてはいけない。これを機会に、御社自身が大きな歴史的転換を遂げるくらいの覚悟で向かわなければならないのです。(…ところが実際には、そのチャンスを活かせず、ますます信頼を失う結果に終ってしまった訳ですね。終戦の日に当たり、そんなあり得ない空想をめぐらしてみました。)

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2014年7月 6日 (日)

「解釈改憲」は改憲の本丸に向けた布石?

 安倍内閣が集団的自衛権の容認を閣議決定しました。マスコミは「解釈改憲」は立憲主義を崩壊させるものであるとして一斉に反撥しています。私も護憲派のひとりとして、この閣議決定に対しては非常な憤りと危機感を持っているのですが、一方で憲法改正が悲願だった筈の安倍さんが、何故こうも急いで解釈改憲という妥協案に走ったのか、その点に疑問を抱かずにはいられません。政治家としての美学だとか後世の目だとかを人一倍気にするタイプの安倍さんが、拙速で美しくない解釈改憲ということにここまでこだわる理由はいったい何か? と考えて、ひとつ思い当たることがあります。そうか、解釈改憲は改憲という本丸に向けた布石だったのかも知れないぞ。

 今回の強引な閣議決定に対しては、多くの人が憲法改正という正式な手段を経ないのは姑息なやり方だと非難しています。改憲派も護憲派も同じコトバで非難しているのです。すでに第一次安倍政権の時代に、憲法改正のための法律(国民投票法)は成立している訳ですから、あとは世論がそれを歓迎する状況になれば、時の政権が憲法改正を国民投票にかけることを妨げるものは何も無い訳です。おそらくいまこの時ほど、世論が国民投票に対して容認的になったことはかつて無かったのではないか。それもこれも安倍内閣の強引な閣議決定が、国民の目から見てあまりにも目に余るものだったからです。しかし、もしもこれが安倍さんとそのブレーンの人たちの計算ずくだったとしたら?

 内田樹さんのブログには、安倍内閣が改憲ではなく解釈改憲を選んだのは、アメリカが憲法改正を望まないという意思表示をして来たからに違いないという考えが述べられていました。でも、それはちょっと裏読みのし過ぎというか、的外れな推測に過ぎないという気がします。東アジアでの軍事費を削減したいアメリカにとって、日本の軍事的プレゼンスが増すことは、単純に歓迎すべきことだからです。その内田さん自身、最近の記事では「国民的な議論を経た憲法の条文改正」に賛同的な発言をすることが多くなっている。もしも私の仮説の方が正しかったとすれば、内田さんより安倍さんの方が一枚上手だったということになります。このまま解釈改憲の方向性をさらに推し進めれば、いつかは「国民投票で白黒決着をつけよう」というところまで行き着くに違いない。

 しかし、私はこの「国民投票で白黒決着をつけよう」という発想にこそ、全身全霊をもって反対したいのです。というのも、現在の国民投票法は、世論を誤って誘導する下手なアンケート調査と同じで、主催者(時の政権)によってどうとでも結果を左右出来るようないい加減な法律でしかないからです。このことはずっと以前の記事で書きましたから、ここでその説明を繰り返すことはしません。興味のある方は、次の記事を読んでみてください(国民投票法案に関する私見)。よくテレビの街頭インタビューなどで、あなたは憲法改正に賛成ですか反対ですかなどと訊いている場面を見かけますが、自民党が考えている国民投票というのは、そのレベルの薄っぺらなものでしかありません。そもそもそのような粗雑なロジックの持ち主に、憲法改正の主導権など与えてはならないのです。

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2014年6月 8日 (日)

放射線被害論争にとどめを刺す

 ちょっと旬を逃してしまった話題ですが、人気漫画の「美味しんぼ」が論争を巻き起こしています。福島の放射線被害に関連して、主人公が鼻血を出す場面が、風評被害を煽るものだとして批判を浴びているのです。批判派は低線量の放射線を受けたくらいで鼻血が出るなんてまったくのデタラメだと言い、擁護派は放射線による健康被害の実態は解明されていないのだから、一概にデタラメとは言えないと答えます。この問題を傍から見ていて切ないのは、福島県知事をはじめとして、福島の人たちの多くがこの漫画に対して不快の意思表示をしている点です。ふつう被害者は、自分の受けた被害を過大に訴えることはあっても、過小に見せかけようとすることはありません。それでは裁判や示談の場で不利になってしまいますからね。ところが放射線被害には、当事者が被害の実態を隠そうとする傾向がある。そうしないと風評被害という二次被害を受けることになるからです。放射線被害には、被害者がはっきりと訴えを起こすことが出来ないという点で、性暴力の被害に似たところがあります。

 もう事故から3年以上経ったのに、放射線被害に関する論争はいっこうに収束する気配がありません。専門家と素人が入り乱れて、延々水掛け論を繰り返しているといった印象です。よろしい、だったら私がこの論争にとどめを刺してやろうじゃないか、というのが今回のテーマです。実はこの問題、放射線が人体に与える影響がまだ十分に解明されていないために答えが出ない、といった問題では全然ありません。答えはもっと単純なところにあります。私はそれを「放射性物質=ゴキブリ理論」というものを使って説明しようと思います。例えばここに一棟の新築マンションがあったとしましょう。駅からも近いし、内装も素敵だし、値段も手頃なので売り切れ間違いなしの物件です。ところが、ひとつだけ問題がある。新築にもかかわらずこのマンションにはゴキブリが大量発生しているのです。モデルルームを見学しに来た客の目の前をゴキブリが這い回っている。いくら駆除してもどこからか涌き出て来る。というようなマンションがあったら、あなたはそこに住みたいと思いますか? 現代の技術をもってしてもどうしても駆除出来ないゴキブリが棲みついているマンション、そんなものに商品価値がありますか?

 福島の放射線被害を過大に言いふらすなと言っている人たちは、ゴキブリ付きのマンションだって住民が健康被害を受けるなんてことはめったにない、風評被害を煽るなと言い募るデベロッパーと同じです。調べてみればここに棲息するゴキブリは、悪い細菌を持っていたり、病気を媒介する種類のものではないのかも知れない。しかし、問題はそんなことじゃないですよね。いくら専門家が、ここのゴキブリは無害ですと言っても、私たちはゴキブリ付きのマンションには住めない。科学的に見てどうかという以前に、まずたいていの人はゴキブリが大嫌いだからです。風評被害がどうこういう問題じゃない。放射性物質だってそれと同じです。いいですか、ここは重要なところですが、放射性物質は人体にとって危険だから排除しなければならないのではありません。いや、もちろんそれもありますが、それ以前に放射性物質は「汚い」ものだから我々の生活圏に近付けてはいけないのです。放射能に対する我々の嫌悪感や恐怖感、それは科学的な事実に裏付けられたものというより、生物としての本能に根差したもので、理屈によって抑えられるようなものではありません。

 よく「放射線は正しく恐れよう」なんて言い方をする人がいますが、これも一見賢そうに見えて、実は全然賢い意見ではありませんね。そのことはこれを「ゴキブリは正しく恐れよう」と言い換えてみれば分かります。人類のゴキブリに対する正しい対処法は、身の回りを清潔にして、それが発生しないような環境を整えること、万一発生してしまったら、その発生経路を突き止めて徹底的に駆除することです。決して壁(防護壁)を作って巣(格納容器)に閉じ込めることではありません。ゴキブリが這い回っているような環境では、たとえ病原菌や毒性のある物質は見付からなくても、人は健康を損なってしまう。さまざまな病気が心因性の原因によって引き起こされることは、現代医学の常識ではないですか(なかにはゴキブリを見て鼻血を出す人だっているに違いない)。人類が永遠にゴキブリとは仲良く共存出来ないように、放射性物質とは共存出来ない。これはもう理屈ではないのです。原発推進派も原発廃止派も、もういい加減にそのことに気付くべきだと思います。

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