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2016年2月14日 (日)

書評「ベーシック・インカムのある暮らし」(2)

 現在私たちが使っているお金(銀行通貨)は、企業活動のために最適化されたお金です。何故かと言うと、お金は銀行が主に企業に貸し出し、それをもとに企業は事業で収益を上げ、利子を付けて銀行に返済するというかたちで循環しているものだからです。それ以外のお金の流れ、例えば労働者が企業から受け取った給料で生活をし、行政が税金として集めたお金で公共事業や福祉政策を行なうといったことは、銀行通貨の本来の目的からすれば枝葉末節なことなのです。銀行は、借り手が期日通りに指定した額のお金を返済してくれればそれ以上の注文はない訳で、そのお金で国民が幸せになったかどうかなんてことには関心がない。その証拠に、国内の人件費が高いと見るや企業は海外に投資先を移し、国内の雇用を切り捨てますが、銀行は企業の海外進出にも平気でお金を貸します。

 このことを称して、著者は現在の銀行通貨(日本円)のことを「生産本位制マネー」と呼ぶのです。ここで言う生産とは、企業による価値創造の活動全般を指しています。これはつまり、日本円は私たち個人が生活をするためのお金としては最適なものではないということです。これに対して著者が新しく提案するのが「生活本位制マネー」であるところのE円である訳です。そしてE円の正体は何かと言えば、減価する政府通貨である訳です。(これは私が銀行通貨を「約束するお金」と呼び、新しく導入する政府通貨を「感謝するお金」と呼んだのとまったく同じ発想です。) 問題は、新通貨であるE円をどのように国内経済のなかで流通させるかという「通貨ルール」の設計です。この点にこの本の最大のオリジナリティーがあり、また私たち読者はその実現性を吟味する立場にあるのだと思います。基本的なコンセプトは文句なく素晴らしいので、残る問題はそれが実現可能なアイデアであるかどうかというところにあります。

 ベーシックインカム(BI)を減価する政府通貨で国民全員に配るのはいいとして、この新通貨を日本円とどのように共存させるのでしょうか。私がこの本を読んで理解した限りでは、それは次の3つのルールに集約できるようです。

①E円は売り買いの場で日本円とまったく同等の価値(1E円=1日本円)として流通する。通貨ごとの二重価格は法律により禁止される。

②売り手はE円での支払を拒否できない。税金でさえE円で納めることができる。但し一部の取引(不動産や株式など)には使えない。そのことも法律に明記される。

③民間の銀行や金融業者が独自のレートを決めてE円と日本円を交換することが認められる(むしろ推奨される)。BI銀行が目安としての公式レートを設定するが、民間はそれに従う必要はない。

 私も新通貨の流通ルールについてはアタマを悩まして来た人なので、この部分のルール設計が実は新通貨理論のキモであると断言できます。ここでも私自身の本との対比で恐縮ですが、古山さんのE円と私の感謝通貨の共通点は、上記の①の部分だけで、②と③はまったく異なるルール設計であることが読み比べていただければ分かると思います。そしてまた、この②と③はセットにしないと機能しないものだということが重要なポイントになります。次にそのことを説明します。

 減価するお金というのは、簡単に言うと人に嫌われるお金です。これは当然ですね、持っているだけで目減りしてしまうお金を好む人はいないからです。たとえそれが政府発行のお金だったとしても、もしも日本円と同じ額面価格を受け取るなら、日本円で受け取った方がいいに決まっています。ところが古山理論では、売り買いの場でE円での支払を拒否することは原則としてできないのです。そのように法律で決められるということです。これは過激な制度設計です。まず私たちの給与の一定部分がE円で置き換わるでしょう。私たちが買い物をする時にも、まずはE円で支払うことが当たり前になるでしょう。すると社会に流通するお金は、日本円よりもE円が優勢になります。まるで悪貨が良貨を駆逐するように、日本円は駆逐されてしまうことになる。日本の経済に大混乱を引き起こす事態になると思います。

 そこで第二のルールが導入されます。日本円とE円を交換可能とするのです。これは日本銀行やBI銀行がいつでも両替に応じますというのではなくて、民間の金融機関にふたつの通貨を交換する自由を与えるということです。減価するお金と国際的な信用ある日本円を交換するなんて不可能じゃないかですって? いや、そんなことはないんです。想像してみてください、もしもあなたが1万円札(日本円)を持っていて、それが現在のレートで11000E円と交換できるとすれば、ちょっと魅力的ではないでしょうか。もしもそれが貯蓄のためのお金なら、1万円札の方が有利ですが、生活費として支出するなら、E円に両替した方がお得です。なにしろE円は日本円と同じ額面価格で使えて、お店はそれを拒否できないのですから。

 交換レートを何パーセントにするかは、それを取り扱う金融機関が自由に決められます。E円を持て余している人は、たとえ割引手数料を払ってでも日本円に替えようとするでしょうし、生活費が不足している人は、手持ちの日本円を売ってE円を手に入れようとするでしょう。つまり市場が成立するのです。もちろん金融機関は手数料を取りますから、自分のところでE円を余分に貯め込まない限りプラスの利益を見込めます。みんながハッピーになる。そういう構想である訳です。私自身は、最初から新通貨を日本円とは兌換性のない通貨として設計していましたから、この着想は斬新でした。いち利用者の視点から見ても、減価する通貨がいつでもふつうの日本円と交換できるという安心感があるので、受け入れやすいという利点がありそうです。

 一方で疑問もあります。受け取り拒否のできない新通貨ばかりが市場に流通するようになった場合、これまで以上に日本円が退蔵されて、貧富の差が拡大するのではないか? 日本円と交換できる「悪貨」の導入は、グローバル経済のなかでの日本円の信用を大きく毀損するのではないか? 税金までE円での納入を認めてしまって、今でさえ借金まみれの日本の財政が立ち行くのか? こうした問題を十分検討し、シミュレーションを繰り返した後でなければ、実験的な導入でさえ危険過ぎるように思います。ただ数式に弱い自分にはとても扱いかねるような難問ですが、これは解く価値のある仮説であることは間違いありません。本書は、格差問題やベーシックインカムに関心を持っている人にはもちろん、ひとつの面白いシミュレーション問題を提起した本として、経済学の専門家よりも理系の読者に読んでもらいたい一冊です。

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2016年2月 7日 (日)

書評「ベーシック・インカムのある暮らし」(1)

 昨年、本を一冊出したら、すっかり脱け殻のようになってしまいました。本を出したと言っても、自費出版ですから、あまり自慢出来る話ではありません。出版社のオプションサービスを利用して、書店向けにチラシをFAXで送ってみたり、マスコミや著名人に献本してみたりもしましたが、まったく反応は無し。本の「あとがき」ではこのブログの宣伝もしているのですが、アクセス数が増える兆候も一向にありません。まあ、当たり前ですね。本が売れていないのだから、本を読んでこのブログにたどり着いてくれる人もいなければ、もともとアクセス数の少ないブログなので、記事を読んで本に興味を持ってくれる人もほとんどいない。早い話が「リンク切れ」している訳です。そんなわけで、このブログに自著の宣伝を書く気持ちも失せてしまっていたのです。

 と、まあ今年最初の記事なのに愚痴で始まりましたが、ふとインターネットで自分の本を検索してみたら、私の本にレビューがふたつ付いていました。しかも☆が4つと5つという高評価で、レビュー内容もきちんと作者の意図を汲んでくれているものでした。嬉しいものですね。少なくとも2冊は本が売れて、ふたりの読者の方が読んでくださった訳です。このことに元気をもらって、なんとかブログに復帰しようと思い立ちました。とりあえず自著の宣伝をページの右側に入れてみました。(アマゾンの紹介ページにリンクを張ろうとしたのですが、うまくいきませんでした。とりあえずリンクはこちらから。) そして今回は、もう1冊おすすめの本を紹介します。昨年12月に出たばかりの古山明男著『ベーシック・インカムのある暮らし “生活本位制マネー”がもたらす新しい社会』という本です。

 著者の古山さんと私とは過去に接点があります。話は6年前にさかのぼります。「ベーシックインカム・実現を探る会」に掲載された古山さんの講演録について、このブログで記事を書いたところ、当の古山さんからお礼のコメントをいただいたのです。古山さんの講演のテーマは、「減価通貨」で「ベーシックインカム」をやるということで、そのころ私も同じアイデアについてこのブログに試論を書いていました。当時からベーシックインカムという考え方は、ちょっとしたブームになっていましたが、それをシルビオ・ゲゼルの減価通貨とカップリングするアイデアは、自分のオリジナルだと思っていたのです。その冗談のようなアイデアについて考えている人が他にもいると知って、驚くと同時に興味を持ったのでした。その時の私の記事には、「いまの日本で、このようなニッチなテーマについて大真面目に考えて論じているのは、たぶん古山さんと私のふたりだけしかいない」だろうと書いています。

 あれから6年。古山さんとの交流がその後も続いた訳ではありませんが、お互いに自らの思想を深化させていたことが判明したのが去年の暮れでした。「減価通貨によるベーシックインカム」の思想がひとつの完成に到達したと感じた私は、それを1冊の本にまとめることを思い付きました。書き上げて出版社に持ち込んだけれども、取り上げてもらえなかったことについてはすでに書きました。老後の蓄えを切り崩して(?)自費出版で出すことになったのですが、その本の感想を初めてこのブログに寄せてくださったのが古山さんだったのです。古山さんご自身、ちょうど同じテーマで本を書いていたところだということがコメントには書かれていました。それが今回取り上げる「ベーシック・インカムのある暮らし」(ライフサポート社)です。

 前置きが長くなってしまいました。本書の美点はたくさんあります。まず、これは経済学者の視点ではなく、生活者の視点でベーシックインカム(BI)導入の必要性と必然性を説いた入門書として読めること。最近はもう一時のBIブームは下火になってしまったかの感がありますが、それにともなってBIの良い入門書というのも見当たらなくなっている。いまでもゲッツ・ウェルナーさんの本や山森亮さんの本なら手に入りますが、前者は実業家の視点、後者は経済学者の視点で書かれているので、BIの理解のためにはとてもいい本なのですが、「BIを実感」するためには少し食い足りないところがあります。そういう不足感が現今のBI論壇にはあったように思うのですが、その間隙を埋める役目を本書は担っていると言えます。

 すぐれた入門書というのは、ウィキペディアのようにその分野の知識を簡潔にまとめただけのものではありません。その思想なりアイデアなりが生まれて来た地点にまで読者を連れて行って、その誕生の必然性を生き生きと追体験させてくれるような書物のことです。この本には自分で考え抜いた人に特有の心に響く言葉がたくさん散りばめられている。例えばいくつか引用してみます。

「どれだけの人が働いたらみんなが生活できるだけの生産が可能か、これは科学技術の問題です。倫理・道徳の問題ではありません。」(p.18)

「ここに重大な問題があります。科学技術の進歩によって人間が労働から解放されたら、その解放された人たちはどうやって食っていくんですか?」(p.39)

「(就職活動の)場では、学生たちはリクルートスーツを着ないわけにはいきません。なぜ着るかというと、私はよく訓練されております、規格品でございます、そうアピールする必要があるのです。」(p.47)

「人間を商品にしてはいけません。商品として作られたものだけを商品とすべきです。」(p.51)

「目指したい国は、企業が世界一活動しやすい国ではなく、働く人が安心して働き、生活する人が不安なく生活できる国です。」(p.111)

 私の趣味でいくつか格言ふうに並べてみました。これだけでも著者の肉声が聞こえて来そうでしょ。私もBIの持つ意義や将来性については書いて来ましたが、この本からはそれが倫理的・歴史的な必然性として感じられるようになっている。そんな本は他には無いと思います。BIと言えば、「アイデアとしては面白いけれども実現性は無いよね」というのが平均的な捉え方だと思いますが、本書を読めば、むしろBIのある社会の方がこれからの社会のあり方として自然なのではないかと思えて来ます。BIの入門書として、本書が優れた一冊である所以です。

 しかし、もちろん本書は単なるBIの入門書ではありません。この本の前半部分はBIの意義と理念を説いた教科書ですが、後半はとても教科書と呼べるお行儀のいい内容ではありません。極めて過激な思想を盛り込んだ「革命の書」に変貌するのです。『ベーシック・インカムのある暮らし』という穏健なタイトルに釣られて読み始めると、裏切られることになります。何がそんなに過激な内容なのかと言えば、著者が考えているBIは日本円ではなく、日本銀行とは別の中央銀行(それを本書ではBI銀行と呼んでいます)が発行する新しいお金(それを本書ではE円と呼んでいます)によって支払うというのです。このE円は(もちろん)減価する電子マネーです。つまり、本書の最大のテーマは、BIの実現といったことではなく、現代の通貨制度に革命を起こすことなのです。

 私のこのブログの過去記事を読んだことがある方なら、あるいは私の著書『約束するお金と感謝するお金』を読んでくださった方なら、この減価通貨によるBIという思想が両者に共通するものであることにすぐに気付かれるだろうと思います。これまで誰も書かなかった同じテーマを扱った2冊の本が、しかも同時期に刊行されたという奇遇に対して、著者としては感慨を感じない訳にはいきません。ところが、この2冊は同じテーマを扱った単なる同工異曲の書物という訳にはいかないのです。私の本では、新通貨(感謝通貨と命名しました)はあくまで日本円を補完する第二通貨という位置付けであるのに対し、古山さんのE円は従来の日本円と対等か、あるいはそれに取って代わろうとする野心を秘めたものであるように見えます。古山さんの思想がここまで過激に進化しているとは思わなかった。その内容については次回あらためて見て行くことにします。

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