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2015年7月20日 (月)

本を作る(3)

■良い共同出版と悪い共同出版

 見積金額が予想していたよりはるかに高かったのです。新書判で初版2000部を刷るのに、著者負担額が約250万円もかかると言います。これはどう考えても適正な金額ではありません。そのことは暗算でもすぐに分かります。新書ですから、書店での売値は800円くらい、ということは、2000部全部売れても160万円程度の売上にしかならない。つまり著者としては、最初から持ち出しが決まっている訳です。逆に出版社としては、これでもしも著者が納得すればおいしい商売です。なにしろ著者からは初版が完売した場合に入って来る売上以上のお金が支払われる訳ですから。出版社にとっては書店ルートで売れようが売れまいが、利益は確保できている。まったくノーリスクのビジネスです。

 がっかりしてしまいました。一部の出版社でそのような見積りを送り付けて来るということは、いろいろな人の証言から分かっていました。しかし、自分の選んだ出版社に限っては、いや、自分が送った原稿に限っては、そんな理不尽な取り扱いはあるまいと高を括っていたのです。交渉をしようかとも思いましたが、どうせ無駄だろうと思い止まりました。講評を書いてくれた編集子の方は価格決定には関わっていないのだろうし、これが先方のビジネスモデルであることは明らかだったからです。はたしてこちらが見積金額が予想よりはるかに高いということを伝えると、先方からは何も言って来なくなりました。最初から「うるさ型」の客は相手にしない方針なのでしょう。あとで訴訟でも起こされたら厄介ですからね。

 今回、共同出版というものに少し関わってみて、いろいろ考えたことがありますので、それをここに書いておきます。繰り返しますが、共同出版というコンセプト自体は悪くないし、この分野で信頼のおけるビジネスモデルを実現する出版社が現れれば、それはこの国の出版文化にもきっといい影響を与えるはずだと思います。では、共同出版のあるべき姿とはどういうものか? 次の表を見てください。これは私が考える理想的な「良い共同出版」と、現実に存在する著者を食い物にする「悪い共同出版」の特徴をまとめたものです。それと対比させる意味で、自費出版についても表に追加しておきます。これを見ていただければ、出版というビジネスの裏側が少し理解できると思います。(クリックで拡大します。)

Shuppanhoushiki

 スペースの関係で通常の企画出版(商業出版)を表に載せられませんでしたが、それは説明するまでもないと思います。まとめればこういうことです。良い共同出版というものがあるとすれば、それは初版時は著者と出版社がリスクを分け合い、増刷になればそこから先の利益も両者で分け合うというビジネスモデルになります。出版というのは、初版の段階ではほとんど利益が出ず(むしろ赤字で)、増刷されて以降に利益が出るものですから、両者で協力し合ってなんとか増刷にまで漕ぎ着こうというのが正統な意味での共同出版なのです。ところが悪い共同出版(つまり現実の共同出版)では、その初期リスクをすべて著者に押し付けた上で、さらに通常よりも低い印税率で、初版在庫の所有権も著者に渡さないという片務的な契約条件なのですから、これはビジネスというより詐欺に近い。それでも一定のマーケットニーズがあるのは、出版というものが人の射幸心や自己実現欲求といったものに訴える分野だからでしょう。

 共同出版が著者と出版社で初期費用を分担し合うビジネスモデルだと言っても、実際には自費出版専門の出版社よりも安い費用で本を作るのは難しいと思われます。これは今回の経験で知ったことですが、本を作るのは印刷や製本という工程だけを見れば、意外なほど安くできるものなのです。良心的な自費出版専門の出版社では、インターネット上で簡単に費用が見積もれるページを公開しているところもあります。例えば、新書判で2000部の初版を刷るのに最低限必要なのは50万円程度です。もちろんそれだってふつうのサラリーマンには安い買い物ではありませんが、共同出版の見積りと比較すると5分の1です。共同出版が自費出版には無いメリットを顧客(著者)に提供できるとすれば、印刷費や製本費をさらに安くするよりも、編集や営業といった領域で協力することがメインになると思います。しかも本当にそれができるのは、出版社がその原稿の価値を確信していればこそです。

 もしも私が共同出版専門の出版社を立ち上げるとすれば、こんな経営方針にしたいところです。まず持ち込み原稿は厳しく審査する。完成度を問うよりも、粗削りでも何か光るものがある原稿を探します。それを作者とともに彫琢して市場に出しても恥ずかしくない作品に仕上げる。初版の印刷・製本費だけは作者に負担してもらいますが、その他の費用はすべて出版社が持ちます。つまり企業としての利益は、作った本を市場で売ることでのみ確保できるのです(当たり前のことですね、出版社なのだから)。そのためにはユニークな出版社としての認知度を高めることが何より重要です。つまり無名の新人を発掘する「目利き力」において突出したものがなければならない。大手出版社が出版不況を口実に、鉱脈のなかからダイヤモンドを発掘する仕事を放棄している以上、そこにビジネスチャンスがあると見る訳です。(あ、別に私の持ち込んだ原稿がダイヤモンドだと言いたい訳ではありませんよ。笑)

 ここに自費出版を専門にする出版社に対する差別化の要素もあるはずです。自費出版専門の出版社の弱味は、自社のブランド価値を生み出しにくい点にあります。基本的に来るものは拒まずで持ち込み原稿を出版していれば、当然その出版社の本は玉石混淆になるでしょう。そうすると書店に売り込む際にも、そういう先入観で見られることになる。いくら今回の本はお薦めですと出版社の営業マンが自信を持って売り込んでも、その営業費自体が著者が払うオプションに含まれていると知っている書店には響きません。これに対して目利き力のブランドを持った出版社から出る新刊は、書店も読書界も期待を持って迎えることでしょう。出版社の編集担当を志した人なら、誰もがそういう編集人になりたいと一度は思ったことがあるのではないかと思います。ということは、これは出版業として特殊なあり方ではなく、むしろその王道と言えるかも知れないということです。

 と、理屈では言っても、現実はそう甘いものではないのでしょうね。それができるなら、資金力も人材も豊富な大手の出版社がすでにそれをビジネスにしていなくてはおかしい。編集者が名も無い書き手の原稿に惚れ込んで、著者と一緒に立派な1冊に仕立て上げて、それでベストセラーが生まれるくらいなら何も苦労は要りません。むしろ編集者のそうした思い込みは、出版ビジネスのなかでは有害無益なものだという経験則が出来上がっているのではないでしょうか。出版不況というのは、つまりそうした状況そのものを指しているのかも知れません。――とまあ、余計な議論ばかりしていますね。次回はどうして私が共同出版を諦めて自費出版を選んだのか、その理由について書いてみたいと思います。これから自費出版をしてみたいと思っている方は必読です。

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2015年7月12日 (日)

本を作る(2)

■共同出版を検討する

 ほんとにインターネットというのは便利ですね。「共同出版」で検索すれば、いくらでも情報が出て来ます。共同出版というのは、簡単に言うと商業出版と自費出版の中間に位置する出版形態なのだそうです。ビジネスとして捉えた場合、新刊書が売れるかどうかは博打のようなものですから、出版社としてはなるべく確実に売れるものだけを選んで出版したい。ベストセラーを狙わなくても、固定ファンがいる作者のものだとか、時宜に叶ったテーマのものだとかが優先される訳です。

 まったく無名の作者の持ち込み原稿を気前よく採用していたら、そんな出版社はすぐに倒産してしまうでしょう。また一方で、自分の原稿を本にするためなら自費を投じてもいいと考える著者はいくらでもいる訳で、もしもその両者の思惑が一致すれば、リスクを双方で分担し合うという発想が出て来るのは自然です。それがすなわち共同出版の基本的な考え方であるようです。ビジネスモデルとしては何もおかしな点はないと感じます。

 要するにこういうことです。出版社に持ち込まれる原稿のたどる運命は、3通りに分かれます。ひとつめは出版社が自らのリスクで出版することを決定する場合で、これは企画出版と呼ばれます。原稿を書く人は誰もがこのルートに乗せることを夢見ている訳です。その対極にあるのが、出版社から商業出版に値せずと評価されてしまった場合で、それでも著者が出版を望むなら自費出版という選択肢が残されています。三つめがその中間に当たる共同出版で、これは出版社としてはある程度売れるという見込みを持ってはいるものの、リスクを一社で負うことは難しいという営業判断のもとに、著者に対して共同出資を逆提案して来るというものです。

 ところがネットで調べてみると、この共同出版というのがすこぶる怪しい。過去には詐欺まがいの商法で社会問題化したこともあったようです。出版社への持ち込み原稿や懸賞応募作品の著者に対して、「純然たる商業出版として採用するのは難しいけれども、このまま埋もれさせてしまうには惜しい作品です」などと甘言をもちかけ、法外の出資を募るというものです。著者の方は初めて自分の作品が誉められた嬉しさに、ついつい財布のひもを緩めてしまう。本は一応流通には乗りますが、もちろん売れるはずなどなく、わずかに配本された分もすぐに返本されてしまいます。ISBNコードが付いた本を出したという実績は残りますが、その小さな満足の代償として出版社をボロ儲けさせただけというオチです。

 つまり、共同出版というコンセプト自体は悪くないけれども、気を付けないとなかには悪質な業者もいる、ということのようです。で、私に共同出版を提案してくださった出版社さんがどうだったかと言うと……、実はよく分かりません。というのも、実際に見積もりをお願いする以前の段階で、先方から断られてしまったからです。こちらとしては新書判もしくはソフトカバーの廉価な本にすることを想定していたのですが(たくさんの人に読んでもらいたいですからね)、先方からの提案は箱入りの豪華本にするというものでした。おそらく特定の専門分野の書籍は、装丁を立派にして1冊当たりの単価を高く設定した方が儲かるという法則があるのかも知れません。または単に著者から高い出資金を出させるための計略だったのでしょうか。

 この一件から、がぜん共同出版というものに興味が湧いて来ました。ネット上には悪徳業者に騙されたというような体験談があふれているし、信用できる出版社を選ぶ際のアドバイスをしてくれているサイトもある。それらを読んで自分のなかにある程度、出版業界周辺の「土地勘」を養った上で、一番信頼できそうな共同出版専門の出版社に原稿を送って、見積りを依頼してみました。そういう出版社では、どんな原稿を持ち込んでも誉めちぎってくれるらしいから、どういった反応が返って来るか楽しみだぞ。そんな少し自嘲的な気分で返事を待ちました。

 1か月くらいで返事が来ました。正直な感想を言いますと、非常に的確で有益なコメントをいただいたという印象です。よく見かける歯の浮くような誉め言葉ではなく、きちんと原稿を読み込んで、作者の意図を汲み取った上で、改善のための小さなアドバイスまでしてくれている。もちろん基本のトーンは賞賛なのですが、決して空疎な美辞麗句を並べただけのものではありません。(実際にそこでの指摘を活かして若干の改稿をしたくらいです。) 何より嬉しかったのは、「全巻を通して弱者に対する作者の暖かいまなざしが感じられる」と評していただいたことで、自分としてはそのような意識は無かったので、この言葉には意表をつかれた感じでした。

 おっと、いけない、すでに相手の術中にはまっているぞ。こうして作者を気分よくさせて、出資を募るのが向こうのビジネスモデルだった。しかし、これは騙すとか騙されるといった次元の話ではありません。共同出版というのは、言ってみれば著者と出版社がイコールパートナーとして「ひと山」当てようというビジネスモデルなのですから、こちらもビジネスマインドを持って応じればいいだけの話です。私が見積りを依頼した出版社は、大手出版社系の共同出版専門の子会社で、営業力や配本力には定評のあるところでしたから、ここから先はふつうの商談として話を進めればいい。最初の誉めコトバなんて初対面の挨拶のようなものです。

 ということで、次に添付されていた見積書を見てみました。共同出版を生業とする出版社のなかには、持ち込まれた原稿の品質や可能性に応じて、著者に負担させる出資比率を変えて来るところもあるようです。それも理に叶った話です。ほんとうに売れそうな原稿なら、出版社は自分でリスクを負ってでも本にしたいと考えるはずです(他の出版社に持ち込まれても困るので)。その一方で、売れる見込みが小さい原稿はどうしても著者にリスクを負ってもらいたくなるでしょう(そのような原稿には編集や校正の費用も余分にかかるでしょうし)。つまり、共同出版にも、企画出版に近い共同出版と、自費出版に近い共同出版という2種類があるはずだということです。

 ということは、出版社が持ち込み原稿をどう評価しているかは、編集者のどんな誉めコトバよりも、見積金額を見ればはっきり分かるはずです。共同出版を選択するなら、著者をビジネスパートナーと見てくれるところと組まなければならない。著者を「カモ」としか見ないようなところとは、たとえどれほど実績や知名度があるところとでも組めない。そう心に決めて見積書を見てみました。――見た瞬間、目が点になりました。(次回に続きます。)

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2015年7月 5日 (日)

本を作る(1)

■ブログを休載していたワケ

 長いあいだブログをお休みしてしまいました。本業の方が忙しかったとか、親の介護で時間が取れなかったとか、言い訳はいろいろあるのですが、それだけが理由ではありません。実は本を書いていたんです。いや、正確に言うと、本にするための原稿を書いていたというべきですね。それがどんな内容のものか、それはおいおいご紹介するとして、今回は本を出そうと決意した無名のマイナーブロガーがぶち当たった出版業界の厚い壁のことと、その壁を前にしての悪あがきについて少し書いてみようと思います。

 このブログを開設してまもなく(2006年のことです)、自選の記事をいくつかまとめて出版社に送ったことがありました。もちろんすべて突き返されて来ました。なかには丁寧な手紙を添えてくださったところもありましたが、そこには現在の出版不況の下では無名の新人の企画原稿を取り上げることは難しいというようなことが書かれていました。そりゃあそうですよね、もしも私が1日に数万件のアクセスを誇るアルファブロガーであるならともかく、せいぜい数十件のPV(ページビュー)しかないふつうのブロガーが本を出しても注目される訳がない。もしもそれで評判になるくらいなら、すでにブログの段階で評判になっていなくちゃおかしい。(苦笑)

 でも、今回はちょっと違うぞという意気込みがありました。なにしろ今回はブログ記事を集めただけではない書き下ろしの原稿です。しかも、明快なテーマを掲げ、斬新なアイデアが随所に散りばめられた自信作でもある。まあ、内容が内容だけにベストセラーを狙えるようなものではありませんが、この本を読んで面白いと感じてくれる人は国内に数千人単位でいるんじゃないか、そんな故なき自信を持っていたのです。どこか一社くらい、この原稿に目を留めてくれる出版社があってもおかしくはない。

 最初は大手出版社の「新書本」の編集部を中心に、何社かに送ってみました。内容から言っても、原稿の分量からしても、新書判で出すのがふさわしいと感じていたからです。……全滅でした。送った原稿はだいたい次のような返信文が同封されて送り返されて来ました。

「時下、ますますご清祥のこととおよろこび申しあげます。
さて、このたびは当編集部に原稿をお送りいただき、ありがとうございました。
拝読のうえ検討させていただきましたが、残念ながら採用しないという結論にいたりましたのでここにお知らせいたします。
昨今の新書出版の状況は大変に厳しいものがございます。事情ご賢察のうえ、悪しからずご了承ください。
末筆ながら、今後のご活躍をお祈りいたします。」

 ……「お祈り」されてしまった。エントリーシートをたくさんの会社に送っては、面接にもたどり着けない就活生の悲哀が分かったような気がしました。これは講談社さんからの返信ですが、大手出版社からの返信はみな似たようなものでした。定型文なのでしょう、どこもパソコンで打ち出したもので、編集者の署名もありません。儀礼的にでも「拝読しましたが…」と書いてくれているところは親切な方で、「弊社では現在持ち込み原稿を一切受け付けていません」というにべもない返事のところも多かったです。

 大手はダメだと気付いた私は、こだわりのありそうな中堅どころの出版社をいくつか選んで送ってみました。こちらの方が手応えはありました。何より誠実さを感じたのは、そうした出版社の多くはちゃんと原稿を読んでくれているように見えたことです。なかには落ち込んでいる自分を元気づけてくれるような返信をいただいたところもあります。

「貴重な原稿を拝見させていただきありがとうございました。とても面白く読ませていただいたのですが、弊社のような単行本しかやっていない出版社ではなかなか難しく、お力になれずに誠に申し訳ありません。
良い編集者との出会いなどによって好機を得ることもあると存じます。ひきつづきご健闘されることを祈念いたします。」(晶文社さん)

「原稿をお送り下さりありがとうございました。
小社が刊行を続ける読み手の少なそうなものとちがい、嬉しいご提案と受けとめました。原稿は読みやすく、いい文章だと拝察しました。
分量からして「新書」での刊行が適当かと思いました。小社での刊行は無理です。どこかいいところとめぐり合いますように。」(日本経済評論社さん)

 どちらも署名入りの手書きの手紙です。同じお祈りされるにしても、こんなふうに言っていただけると救われる気がしますね。まあ、出版できないという点では同じなんですけど。なるほど、現今日本の出版文化は(そんなものがまだあるとすれば)、こうした中小の出版社の職人気質を持った編集者に支えられているのだなあ、そんなことを思ったりもしました。

 そうしたなかで、ある出版社からの返信には、企画出版として採用するのは無理だけれども、共同出版なら可能性があるという提案が書かれていました。もしも商業出版が無理ならば、自費出版もやむなしと考えていた自分でしたが、共同出版という選択肢については考えたことがなかった。と言うか、「共同出版」っていったい何?(以下、次回に続きます。)

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