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2014年10月27日 (月)

パンデミックと民主主義

 西アフリカで発生したエボラ出血熱の広がりが懸念されています。感染力が強く、現在有効な治療法も無く、罹患者の致死率は50パーセントと聞けば、これは単なる重大ニュースというだけでは済まされないものです。すでにアメリカやヨーロッパでも患者の発生が報告されており、これが世界的なパンデミックに発展する可能性も否定出来ない状況です。アフリカ諸国と経済的なつながりの強い中国でこの病気が広がることを心配している記事もありました。

 この問題について、このブログでコメント出来るようなことは何もありません。ただ、日本を含む先進各国の対応がまったく後手に回っていて、それは現代の民主主義の弱点が露呈したものであるかも知れないということについては指摘しておきたい気がします。同じ西アフリカでも、ナイジェリアではこの病気の拡大を食い止めることに成功しているそうです。その理由は、ナイジェリアのような途上国では、欧米諸国と違って政府が強権的な政策(例えば国境封鎖のような?)を発動出来るからということらしい。なるほど。パンデミックと闘うためには、民主主義は足かせになるんですね。

 日本の各空港では、リベリアやギニアやシエラレオネからの帰国者・入国者に対して自主申告を呼び掛けています。入国検査の際に体温をチェックをするサーモグラフィーも導入されたようです。しかし、それだけです。なんて生ぬるい対策なんだろうと思うのは私だけでしょうか。アメリカよりも防護体制で劣っている日本は、ひとりでも罹患者を国内に入れてしまったら、もはや国内でのエボラ出血熱の流行を食い止める術はないのです。何故、入国禁止の措置を取らないのでしょう。それが無理だったとしても、入国希望者は全員いったん隔離して、感染の有無を調べた上で入国を許可するくらいのことは出来る筈です。いまこうしているあいだにも、成田や関空には西アフリカからの便が到着しているのです。

 民主主義が仇になって却って壊滅的な危機を招いてしまう、これは先進国に共通した問題なのかも知れません。福島第一原発の事故の際に、民主党政府は近隣地区の住民に緊急避難の命令も出さなかったし、子供たちに安定ヨウ素剤を配ることもしなかった。あれは危機意識が低かったからではありません、それをした時の世論の反応が恐かったからです。これは自民党政権でも同じだったでしょう。韓国のセウォル号沈没事故で、船内にいた高校生たちにその場を動くなと放送した乗務員のことを私たちは批判することは出来ません。平和ボケした私たちは、本当の危機がすぐそこまで近付いているのに、それを直視して行動を起こすことが出来ない、そこに現代の最も深刻な問題があるような気がします。

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2014年10月 9日 (木)

憲法9条にノーベル平和賞?

 あり得ない話ではないと思っていました。ノーベル賞のなかでもノーベル平和賞というのは、それ自体が政治的な意図を持ったもののように感じられるからです。そのことはオバマ大統領が就任した年に、まだほとんど何の実績も上げていないのにノーベル平和賞を与えられたことではっきりしました。要するに賞とは言っても、過去の業績に対する「賞賛」というよりは、将来の行動に対する「牽制」という意味合いが強いものなのですね。だとすれば、安倍政権が解釈改憲や武器輸出解禁といったタカ派政策に走れば走るほど、憲法9条はノーベル平和賞に近づくことになる。

 この件について何か書きたいと思っていたら、もう明日(10月10日)がノーベル平和賞の発表の日なのだそうです。私は護憲派なので、憲法9条がノーベル平和賞を受賞したら手放しで喜ぶつもりですが、まあ、冷静に考えてその可能性は限りなく小さい。落選すればもうこれに関して書こうという気力も失せてしまうに決まっているから、あわててこの記事を書いている訳です。

 仮に受賞が決まったとしたら、安倍さんはどういうリアクションをするのだろう? そこにとても興味があります。現行憲法について「みっともない憲法ですよ」という発言をした人です。一国の総理大臣が、自国の憲法を「みっともない」と形容すること自体驚くべきことですが、受賞者は「日本人」ということなので、総理大臣の一存で辞退することも出来ないでしょう。「内政干渉だ」と言ってノーベル委員会を非難するのも大人げない。もしも私が安倍さんのスピーチライターだったとしたら、正直お手上げです。

 もしもあなたが改憲派で、今回の騒動を苦々しく感じているなら、その苦々しさは一体誰に対してのものなのかと自分の心に問いかけてみてはどうでしょう。ノーベル賞に応募するなんてロクでもないことを考えた護憲派の連中に対してだろうか? それともこれを後押ししているように見える「進歩的知識人」に対してだろうか? いずれにしても、その憤りは「政敵」に対してのものであって、決して国の将来を憂いての義憤といったようなものではないことは明らかです。それは護憲派にとっても同じこと。仮にノーベル平和賞の受賞が決まって喝采を叫ぶ時、あなたの心のなかにあるものは、憲法の精神への共感や将来に向けた不戦の誓いであるよりも、安倍さんを筆頭とする改憲派の鼻を明かしてやったという底暗い愉悦であるに違いない。

 つまり憲法問題というのは、もはやニュートラルな政治的課題として論じることが出来ない事案になってしまっているということです。そこには護憲論を否定するための改憲論、改憲論を否定するための護憲論しかない。「護憲教」と「改憲教」のあいだの神学論争のようなものと言ってもいい。こういった状況を打ち破るには、第三者の意見を聴くのが一番だと思います。つまり、世界の国々が戦後の日本と日本国憲法の関わりをどう見ているかということですね。最近の朝日新聞の事件を見ても明らかですが、いまの日本国内には行き過ぎた自虐史観と過去から目をそむける歴史修正主義しかない。こんな時には素直に国際社会の声を聴くに如くはない。それが日本人に勇気を与えてくれる声であるならなおさらです。

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2014年10月 5日 (日)

新リベラル派宣言(Twitter風に)

  1. リベラルとは何か? 誰もが納得出来そうな簡単な定義がある。「もしもあなたがジョン・レノンの『イマジン』に共感する人なら、あなたはリベラルだ」というものだ。えっ、いまの日本の若者は『イマジン』を知らない? だったらサザンオールスターズの『ピースとハイライト』でもまったく構わないが…
     
  2. つまりリベラルというのは、現実を知らないおめでたい理想主義者ということである。日本でも一度だけ、こういう意味でのリベラルが政権を取ったことがあった。民主党の鳩山政権だ。鳩山由紀夫氏が国民の怒りと嘲笑を買って失脚した時に、日本のリベラルは死んだのである。その反動がいまの安倍政権だ。
     
  3. いまや自民党のなかの中道派でさえ、ほとんど死に体の様相である。そこに朝日新聞の誤報問題や批判記事の掲載拒否といった問題が重なり、もはや日本のリベラルは世間から嘲笑されるどころか、悪罵を浴びせられるようにさえなっている。当然、右派のマスコミやネトウヨと呼ばれる人たちはお祭り騒ぎだ。
     
  4. 人気のブログで内田樹氏が「若者よマルクスを読もう」と呼び掛けている。内田氏によれば、ソ連崩壊以後、全世界で共産主義に対する支持が失われ、民主主義国家のなかでいまも共産党が議席を保っているのは日本とフランスの二国だけなのだそうだ。今後、日本はマルクス復権の拠点になり得ると氏は言う。
     
  5. 日本を代表するリベラル派の論客が、21世紀にもなってマルクスに回帰しようと訴えている事実に驚愕する。現代人にとって「マルクスは死んだ」のは自明の前提ではないか。いまさら共産主義? いまさら唯物史観? いまさらプロレタリア革命? そんなものは歴史の彼方に葬り去られた迷妄に過ぎない。
     
  6. 仮に日本共産党が政権を取ったらどんな政治形態になるのだろう? 党の綱領によれば共産党は憲法も普通選挙も尊重する立場のようだ。しかし、生産財の私有は認めないと言う。つまり企業はすべて国営になる訳だ。それでいて統制経済は否定して、市場の自由を称揚している。――私にはまるで意味不明だ。
     
  7. 何故、共産主義は政治思想として破綻しているとはっきり言わないか? 仮に共産主義に固執するなら、普通選挙を否定して一党独裁を目指すべきだろう。それとも選挙で政権が替わるたびに、企業が国営になったり民営になったりするのか。共産党は共産主義の看板を下ろし、党名も変えるべきだと私は思う。
     
  8. 共産主義の失敗はとても単純な理由によるものだ。それは経済の問題を階級間の闘争の問題と取り違えてしまったところにある。このことがおそらく資本主義経済の本当の問題を隠してしまった。『万国のプロレタリア団結せよ!』しかし、残念ながら今日のプロレタリアは、団結するより起業することを選ぶ。
     
  9. 今日、リベラル派の選択し得る政策は「再配分政策」しかないように見える。その最たるものが北欧風の社会民主主義だ。つまり重い税負担による厚い福祉ということである。だが、これは端的に言って資本主義の果実を横流しするだけの政策に過ぎない。資本主義が行き詰まれば、社会民主主義も行き詰まる。
     
  10. 目新しい政策と見えるものが再配分政策の一変種ではないか、常に疑う習慣を着けるとよい。既存のリベラル政党が掲げる政策がどれも空想的に見えるのは、財源の裏付けがないからだ。将来のリベラル政党が拠って立つ政治思想というものがあるとすれば、それは再配分政策を超えたものでなければならない。
     
  11. 私の考えでは、従来のリベラル思想がすべて空想的なユートピア思想以上のものではなかったことには理由がある。社会主義や共産主義が生まれた時代には、まだ資本主義経済の本当の課題が見えていなかったのだ。すなわち、経済成長至上主義から脱して、持続可能な経済体制に転換するという歴史的課題だ。
     
  12. これこそがこれからのリベラルの旗印でなければならないと思う。格差の無い社会、失業者もホームレスもいない社会、そんなものは夢物語に過ぎない。それに再配分による格差の是正で、持続可能な社会が実現する訳でもない。環境問題や資源問題に比較すれば、格差や失業などというのは微小な問題である。
     
  13. 資本主義というのは、過去と未来から借金をすることで成り立っている経済システムだと言える。それは生命が40億年かけて蓄積した化石燃料を湯水のように蕩尽し、処理不能な有害廃棄物を未来に向けて投棄している。持続可能な社会を実現するためには、まずこの借金体質から抜け出さなくてはならない。
     
  14. そのためには環境保護に予算を付けたり、再生可能エネルギーに補助金を出したりするだけでは足りない。太陽光発電のコストは、火力や原子力の何倍にも上るということが常識のように語られるが、実はそれこそが錯覚だと気付くべきだ。日本円という単一の評価軸で測るからそう見えるだけだということだ。
     
  15. 私自身はゲゼル主義者を自称しているが、シルビオ・ゲゼルの政治思想や革命思想を信奉している訳ではない。ゲゼル思想のキモは貨幣理論にある。資本主義経済の抱える本当の問題は「利子が付くお金」そのものにあり、これが経済格差や環境破壊をもたらす原因になっている。つまりは仕組みの問題なのだ。
     
  16. 仕組みの問題であるということは、イデオロギーの問題ではないということだ。今日では資本主義はおおむね好ましいものとして受け入れられている。問題はそれをいかに是正し、補完するかということだ。そのためには従来の銀行通貨とは異なる新しい通貨、つまり「マイナス利子の政府通貨」が必要になる。
     
  17. 何故、持続可能な経済のためにマイナス利子の通貨が必要なのか? それは簡単な話だ。年利5%の銀行貸付は、年に5%以上の経済成長を求める。しかし、有限な地球環境のなかで永遠の経済成長はあり得ないのだから、どこかでブレーキをかけなければならない。マイナス利子とはそのブレーキなのである。
     
  18. では何故、それは政府通貨でなければならないのか? これも簡単な話だ。銀行通貨を利を求めるお金と呼ぶなら、減価通貨は利を求めないお金と言える。つまり非営利部門の発行でなければならないということだ。政府というのは、唯一国民が直接メンバーを選任出来るNPO団体だということを思い出そう。
     
  19. これからの経済は、利を求める「成長のための経済」と利を求めない「持続可能性のための経済」をはっきり区別しなければならない。このふたつの見分け方は簡単で、銀行が金を貸せるか貸せないかで明確に分けられる。銀行からの融資が得られない分野は、政府通貨で独自に市場化を進めなければならない。
     
  20. 何故なら経済成長を止めた社会では、税制度すなわち再配分政策だけでは、増大する社会保障費や社会基盤の維持費を賄い切れないからだ。そのことは、毎年約40兆円ずつ政府債務が積み増しているいまの財政状態を見れば明らかだ。経済成長の余禄で社会が維持出来た時代は、とうに過去のものなのである。
     
  21. 政府通貨は決して打出の小槌ではないし、政府の債務を帳消しにするものでもない。そこは誤解してもらいたくない。そうではなくて、政府通貨は銀行通貨の手が届かない経済領域を担うために導入されるのである。これまでの経済では採算の取れなかった再生可能資源やエネルギーといった分野がそれである。
     
  22. 石油やウランを使わない太陽光発電が、火力発電や原子力発電よりも高くつく理由は何か? それは発電の効率が悪いからではない、運用のための人件費が高いからだ。もしもソーラーパネルがまったくメンテナンスフリーで百年間稼働するなら、火力や原子力などは経済原理に従ってすぐに淘汰されるだろう。
     
  23. 企業経営者にとって、人件費というのは出来ればゼロにしたいコストなのである。少なくともゼロであっても経営に支障は無い。ロボットが仕入から生産、出荷までを自動でやってくれるならそれに越したことはないからだ。株主への配当は利益の一部だが、従業員の給与は経費の一部であることを思い出そう。
      
  24. 営利企業にとって顧客は欠かすことの出来ないものであるのに対し、従業員は必要悪である。ある企業の授業員はまたある企業の顧客でもある訳だが、両者をつなぐものは経済原理的には何も無い。経済の本質は循環にあるという点から見ると、資本主義経済はその最も本質的なところで欠陥を抱えているのだ。
     
  25. このことから資本主義が人間疎外の思想だと言うのではない、人間の労働力を有効に活用するためには甚だ効率の悪いシステムだと言うのだ。太陽光発電の例だけに限らない、自然保護にしても、社会保障にしても、持続可能な社会への転換のためには、産業の効率化よりも人間の労働力の有効活用が鍵になる。
     
  26. というのも、人間の労働力こそが再生可能資源の最たるものだからだ。なにしろそれは人類滅亡の日まで尽きることがない。この資源を持続可能な社会への転換のために使うことが、これからのリベラル思想の中心課題になる。減価貨幣はそのための唯一の解決策ではないにしろ、有力なツールのひとつである。
     
  27. 今後、先進国はメンテナンス経済の時代に入る。大規模な開発よりも、既存の設備やインフラを修繕しながら長く使い続けるという経済のあり方だ。ところがこれこそが日本円の経済にとって最も苦手な分野なのである。古い家電製品を修理するより、新製品を買った方が安いという現実がそれを証明している。
     
  28. 誰でも資源を節約して、余分な廃棄物を出さない生活が望ましいと分かっている。分かってはいるのだが、日本円の経済がそれを許さない。そんな状況は人間の知恵で乗り越えなければならない。オートメーション工場で産み出される製品を使い捨てる時代から、手間をかけた手仕事にこそ価値を認める時代へ。
     
  29. リベラル派にとって、信頼出来る経済システムの選択肢は決して多くない。しかも、現在の環境破壊や気候変動の速さを思い合わせると、我々に残された時間はあまりない。政策転換だけでこの危機を乗り越えることは不可能であり、持続可能性がビルトインされた経済の仕組みへの転換は最優先の課題である。
     
  30. かつて数多くの地域通貨が生まれては消えて行った。だが、今回の試みには成算があると私は思う。持続可能性のための負担を日本円から切り離すことは、産業界からも歓迎される筈だからだ。99%の我々にとって、自分たちの通貨、自分たちの経済が、これまで無かったことの方がむしろ不思議なのである。

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