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2014年6月15日 (日)

Is The Singurality Near?

 今週はロボットや人工知能(AI)に関する記事が目につきました。週刊ダイヤモンドが「ロボット・AI革命」という特集を組んでいるほか、朝日新聞の一面でもこの話題が取り上げられていましたし、ソフトバンクが近く人間の感情を理解するロボットを発売するなんていうニュースもありました。最近はグーグルを始めとするアメリカのIT企業も、次の成長分野としてこの方面に積極的に投資しているらしく、ロボットやAIはいま最もホットな話題となっているようです。ただ、どの記事を見ても、新しい成長分野ということで手放しで歓迎しているといったトーンではありません。ロボットの進化によって産業の生産性が大きく向上することが期待される一方で、人間がロボットによって職を奪われるという負の側面も見えて来たからです。週刊ダイヤモンドの特集には、「待ち受けるのは競争か共生か」というサブタイトルが付けられています。

 しかし、機械によって人間の職が奪われるといった事態は、何もロボットの出現によって始まったことではありません。銀行のATMだって駅の自動券売機だって、それが登場した時には多くの人の職を奪った筈です。ロボット以前にも工場はオートメーション化によって大量の人員削減を行なっていました。いま、この問題が社会の関心を集めているのは、単にロボットの性能が向上して、ますます多くの職業分野にロボットが進出するようになったというだけのことではありません。人間がプログラムしなくても、ロボットが自ら考え、自律的に問題解決をする技術が実用化され始めている。そのことによっていわゆるホワイトカラーの非定型的な仕事まで、ロボットによって取って代わられるのではないかと危惧されているのです。非定型的な仕事というのは、例えば事業の企画書を作ったり、メールで顧客とやり取りをしたり、コンピュータシステムの開発をしたりといったようなことですね。こういった仕事を担当するのは、二足歩行をするロボットではありません、進化した人工知能です。知的作業をこなすためには、ロボットの身体は必ずしも必要無い訳ですから。そういう意味で、現在進行しつつあるのは、ロボット革命であるよりもAI革命であると言った方が正確です。

 「シンギュラリティ(Singurality)」というコトバがあります。日本語では「技術的特異点」と訳されることが多いようですが、要するに科学技術の進歩が「人間を追い越して」しまう時点のことを指します。もしもAIが人間よりも優れた知性を獲得する時代が来たら、理論的に言って、そこから先人間の役割は無くなってしまう。何故なら、人間より優れた知性は自らを改造してさらに高度な知性を獲得することが出来る筈だし、そうなればAIは人間を置き去りにして、独自の進化をたどり始めることになるからです。そこではまったく新しい科学理論や風変わりな工業製品が次々に生み出されることになりますが、もはや人間はそれを理解することも使いこなすことも出来なくなってしまう。つまりAIを持ったロボットが人間に代わって地球を支配するという、SFの世界ではお馴染みの展開が現実のものとなるのです。これがシンギュラリティのイメージです。その時、ロボットと人間の関係が「競争」になるのか「共生」になるのか、それは誰にも分かりません。分かっているのはただ、それを選択するのは人間ではなくロボットの側であること、そしてもしも「競争」が選択された時には、人間側にはまったく勝ち目が無いということだけです。

 来るべきロボット・AI時代(つまりシンギュラリティ以後)に向け、私たちはどのような準備をしておけばいいのでしょう? あるいは遺伝子操作などと同様に、AIも禁断の技術開発分野として、法律で厳しく制限すべきなのでしょうか? おそらくそのような議論が真面目に戦わされる日も遠くないのではないかと思います。が、私はこのような心配は杞憂に過ぎないと思っています。AIの進歩によって、ロボットが人間の後継者(ポストヒューマン)に進化するためには、AI技術における最も重要かつ決定的な課題がまだ解決されていないからです。それはどのようにすればAIに「感情」を持たせることが出来るのか、言い換えれば「心を持ったロボット」は実現可能かという問題です。AIはすでにチェスや将棋の世界では人間を超えた知性を獲得するに至っています(それを知性と呼ぶかどうかは別にして)。が、これはAIが人間の名人に勝ちたいという願望を抱いて、それを実現させた結果ではありません。また名人を破ったチェスソフトが、その瞬間に勝利の喜びを感じたという事実だって存在しない。そんなことは誰が考えても当たり前のことですよね。感情を持たないAIには、人間を支配しようか、それとも共存しようかといった意思すら持つことは出来ない、これもまた当たり前のことです。

 シンギュラリティ派の人たちは、AIが進化すれば自然に「自我」のようなものが芽生えて来ると信じているフシがある。しかし、これはまったく根拠の無い仮説です。いまのAI研究では、人間が教えなくても自ら学習して知識を深めて行く、ディープラーニングという技術が実現しているそうです。でも、そのことと心を持ったAIというものはまったく関係がありません。ディープラーニングの果てに自我が芽生えるなんてことは、原理的にあり得ないからです。と言うより、私たちはどのようにして物質が感情を持つかという根本問題に対して、まだ初歩的な仮説すら持っていないと言った方が正確でしょう。私はそれが科学技術研究のなかで、未来永劫不可能だと言っている訳ではありません。少なくとも自然は40億年という時間をかけてそれを実現した訳ですし、人類がそれを追試して成功させる日が来ないとも限らない。ただ、そのためには現在のAI研究とはまったく異なるアプローチが必要になる筈だし、そんなことを研究している科学者(マッドサイエンティスト?)もいないだろうと思っているだけです。一説によれば、シンギュラリティは2045年頃にやって来るのだそうですが、現在まだ萌芽さえ見せていない技術が30年後に実現するという予想は、私に言わせれば楽観的(悲観的?)過ぎます。

 私はシンギュラリティは来ないという方にチップをすべて賭けてもいいと思っているのですが、ロボット・AI技術がこの社会に与える影響を過小評価するつもりもありません。それによって人間の職業分野が脅かされるということは当然起こるでしょう。しかし、そこには社会の生産性が向上し、人間がつらい労働から解放されるという正の面もあるので、(ベーシックインカムや政府通貨などによって)社会制度をうまく転換させれば、ロボット・AI技術は豊かな社会の実現に寄与するものだと思っています。またたとえ人間が支配されるなんてことはなくても、高度化したAIには一定の脅威が無いとは言えません。例えばコンピュータウイルスは、それ自身が意思や感情を持っていなくても、インターネット上に拡散して深刻な被害を与えます。一度拡散してしまったウイルスは、作者ですらこれを退治することは出来ません。その程度の危険は、AI研究にもつきものだということです。これに対しては、ウイルス対策ソフトを不断にバージョンアップするように、地道に対策を施すしかない。それは豊かな社会を実現するために私たちが支払わなければならない税金のようなものです。

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