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2014年4月 6日 (日)

「集団的自衛権」という大ウソ

 このところやりたい放題の安倍政権が、集団的自衛権を容認する閣議決定をしようとしています。もともと安倍首相は憲法を改正して、自衛隊を戦争の出来る軍隊にすることが悲願だった筈です。憲法改正が現実的にはアメリカの反対があって難しいので、せめて解釈改憲によって集団的自衛権を認めさせようとしている、そういうことなのだそうです。これは内田樹さんの説ですが、そのような解釈がはたして正しいかどうかは別にして、私はそもそも「集団的自衛権」というコトバに大きなウソが隠されていると考えています。

 自国が他国から武力攻撃を受けた時に、こちらも武力で応戦することが出来るとするのが「個別的自衛権」です。単に自衛権と言った場合には、こちらを指します。これに対して「集団的自衛権」というのは、同盟国が他国から武力攻撃を受けた時に、いわば「助太刀」するかたちで応戦する権利のことです。これだけの説明でも、いろいろ疑問が湧きますね。同盟国を助けるために軍隊を出動させるというのが、どうして「権利」なのでしょう? むしろそれは「義務」として規定されるべきものなのではないだろうか? しかもそれが義務であるのは、軍事同盟を結んだ二国間で、一方が攻撃を受けたらもう一方が応戦しなければならないという取り決めがあった場合に限られます。つまり、軍事同盟の条項に、助太刀としての応戦を義務として記載することを国際法に照らして認めるかどうか、認めるならそれを集団的自衛権と呼ぶ、そういう用語の定義なら納得がいくのです。逆にそういう状況を想定しない限り、「集団的自衛」を国際法上の権利と称する理由が私には分かりません。

 日本がいま軍事同盟を結んでいるのはアメリカだけです。日米安全保障条約のことですね。誰もが知っているとおり、この条約は片務的なものです。アメリカは日本国内に130箇所を超える軍事基地を持ち、毎年6000億円もの駐留費用を日本に負担させている。その代償として、アメリカは第三国の攻撃から日本を守る約束をしている訳です。これに対して日本にはアメリカを守る義務を負っていません。ただ基地の提供と駐留費用の負担を行なっているだけです。このことを事実として認めるならば、安倍政権がゴリ押ししている集団的自衛権の容認というのは、事実上まったく意味の無いものになります。どことも双務的な軍事同盟を結んでいない日本には、集団的自衛権を発動する機会は無いからです。いや、こういう私の解釈は正しくないのかな? 集団的自衛権というのは、双務的な軍事同盟を結んでいない二国間でも容認されるべきものなのでしょうか? 当たり前に考えてみましょう、A国がB国から突然武力攻撃を受けたとして、その時A国と友好関係にあるC国がB国に応戦する権利はあるのか? これが軍事同盟を前提としない集団的自衛権です。もしもそれを国際法上認めるならば、今度はB国と友好関係にあるD国がC国に報復する権利も認められなければならない。こうして多くの国が、ふだんから敵対関係にある国を、この機に乗じて叩いておこうと考えて参戦する。二国間の局地的な紛争が、あっと言う間に世界戦争にまで発展してしまう危険性を孕んでいるのが集団的自衛権というものです。

 専門の法律学者が何と言おうと、そんなものを国際法上認める訳にはいきませんね。仮に集団的自衛権というものを認めるとするならば、その前提として国際法上で認められた明確な軍事同盟の締結が必要だし、その際にも紛争拡大を抑制するための厳密な条件が前提として定められていなければならない。おそらく安倍政権の、と言うか歴代自民党政権の悲願として来たことは、日本が集団的自衛権を獲得することでも、自衛隊を戦争の出来る軍隊にすることでもなかったのだと思います。アメリカとの軍事同盟を片務的なものから双務的なものに作り替えて行くこと、それが彼らの本当に追い求めていたことだったのだろうと思う。アメリカとの同盟関係は維持しながら、対等な独立国としての地位を取り戻したいということです。これはリベラル派の私にも共感出来ることです。でも、それだったらものの順序が違います。日本は集団的自衛権を獲得する前に、アメリカとの軍事同盟を双務的なものに変更すべく努力しなければならない。そのためには、日本国内の米軍基地にすべて撤退いただくか、またはアメリカ本土に自衛隊の基地を130箇所設置しなければならない(それでなければ、いざという時に日本がアメリカを守ることは出来ないから)。それをしないで集団的自衛権だけを容認したり、自衛隊を自衛軍に昇格させたりすることは、我が国の対米従属をより露骨なものにするだけです。

 安倍さんは、戦後生まれの新しい世代の首相として、もっと国際的な視野に立って政策の推進をして欲しいと思います。今回の集団的自衛権の問題にせよ、靖国参拝ということにせよ、この人がやっているのは「内弁慶な」アピールばかりです。なんだかクラスのガキ大将といったイメージで、現在の世界情勢を冷静に読んでいるようにはとても見えないのです。これからの世界情勢のなかで、最も懸念されることは西欧諸国とイスラム諸国のあいだの対立が激化して行くことです。その深刻さから比べれば、日本と中韓の対立なんて子供の喧嘩のようなものに過ぎません。日本は幸いにして、イスラム諸国とも(国民レベルで)友好関係を保っている珍しい国です。そういう立場を活かして、いま我が国が国際社会のなかでなすべきことは何か? それを考えるならば、憲法改正だとか集団的自衛権などという内向きの政策に政治的リソースを傾けている場合ではないと思うのです。

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コメント

初めて感想を書かせていただきます。

大変参考になる記事だと感じたのですが、一つ疑問点があります。
それは集団的自衛権を双務的な義務とした場合に、次のような場合はどうなるのかという点です。
A国がB国、C国と別個に同盟を結んでいる場合に、B国とC国が武力を伴う衝突を始めた場合、A国が防衛しなければならないのはどちらでしょうか。
先制攻撃を受けた側を防衛するのが正しいのかもしれませんが、偶発的な衝突の場合には、どちらが先か明らかにするのは困難なように思います。

どうか今後の記事を書く上で、参考になれば幸いです。

投稿: | 2014年4月20日 (日) 23時49分

集団的自衛権を、権利ではなく軍事同盟上の義務として捉えた場合、ご指摘のような矛盾が発生しますね。このことを論理的に突き詰めると、集団的自衛権が有効に機能するためには、複数の国とは同時に軍事同盟を結ばないか、あるいは軍事同盟を結んでいる相手国同士も軍事同盟を結んでいなければならないことになります。要するに、互いに軍事同盟で結ばれている複数の国が、その他の国に対して軍事的示威を行なうためにあるのが集団的自衛権と言えそうです。

投稿: Like_an_Arrow | 2014年4月21日 (月) 22時58分

返信ありがとうございます。

おっしゃるように、集団的自衛権を相互防衛義務とした場合、NATOのような多国間の統一同盟か単独同盟しか残り得ないように思います。
後者はもはや集団を構成することが禁止されるので、前者について考えたのですが、その場合には国際連合はどのような扱いになるのでしょうか。国連は平和に対する脅威への対処として、基本的には武力によらない手段による制裁を行うこととしていますが、同時に真に必要な場合、安全保障理事会の決定により、国連軍を組織することを認めています。また、世界には現在国連に加盟していない国が存在しています。
この場合、国連は国連非加盟国、並びに国家以外の集団に対処するための安全保障組織と考えると、国連加盟国は全て国連という同盟で結ばれているように思います。よって、集団的自衛権を義務とした場合の矛盾を回避するため、国連加盟国は国連以外の全ての同盟が、禁止されるのではないでしょうか。

疑問に感じたので、また感想をかかせていただきました。参考になれば幸いです。

投稿: | 2014年4月22日 (火) 00時02分

今回の記事は、そもそも集団的自衛権という考え方自体が、第二次世界大戦の戦後スキームのなかで生み出された大ウソではなかったか、という主旨で書き始めたものでした。だいたい国連憲章のなかで集団的自衛権が保障されているという事実そのものがいかがわしいので、これは連合国を中心に新たな世界秩序の形成を目指した国連自体のいかがわしさにも通じるものである、というところまで書きたかったのですが、勉強不足でそこまで議論が到達しませんでした(笑)。この問題については、またいつか取り上げてみたいと思います。

投稿: Like_an_Arrow | 2014年4月22日 (火) 23時33分

上の方、おもしろいコメントですね。世界全ての国が国連に加盟したなら、同盟国同士戦争は不可能になりますな。
思考を突き詰めていけばその通りだと思います。

投稿: ロシナンテ | 2014年5月28日 (水) 01時38分

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