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2013年1月15日 (火)

私の憲法改正案(但し前文だけ)

 第二次安倍政権の看板政策は、大胆な金融政策と財政出動によるデフレ脱却ということですが、今年の参院選でも自民党が勝利すれば、憲法改正ということが次の政策目標に入って来るのだろうと思います。そのために第一次安倍政権の時代には「国民投票法」なる法律も作ったのですから、安倍さんがこれに賭ける意気込みは並大抵のものではない筈です。私自身、過去にこのブログでも護憲派であることを公言していますし、この先の安倍政権の動きには懸念を持っている訳ですが、一方で自らが型にはまった教条的な護憲主義に陥らないよう自戒もしています。どういうことかと言うと、護憲主義を信奉するにしても、それは常に条件付きであるべきだということです。いまの日本国憲法がどんなに優れたものであるにせよ、それが人類史上最高の憲法であると断言することは、根っからの護憲派でも出来ないだろうと思います。要するに比較の問題だということです。それに代わり得る憲法案が現れて、それが国民の過半の支持を得るものであるならば、憲法改正に反対する理由は私にはありません(いや、あるけど飲み込みます)。すでに昨年の4月に自民党はかなり練り上げた新憲法の草案を公表しています。ということは、護憲派としてもただ憲法改正反対を唱えていればいい訳ではない、ボールはこちらにあると言うべきです。

 今年最初の記事で何を書こう、正月ボケした頭で考えたのは、昨年発表された自民党の新憲法案を批判的に読解するということでした。インターネットで検索すると、自民党のホームページに憲法改正草案に関するQ&Aが掲載されていました。単に草案を提示するだけでなく、ご丁寧にも改正の主旨について詳細に解説した想定問答集まで付けてくれているのです。自民党政権を選んだ有権者としては、目を通しておく必要のある文書だと思います。で、この正月休みにぼんやり目を通していたのですが、正直なところ、私はこれに好印象を持ってしまったのでした。何故いまこのような憲法改正が必要なのかが、率直に分かりやすく説明されている。さすが長年政権を担当して来た政党だけのことはあると妙に感心したものです。と同時に、自分が何故この憲法案を受け入れられないかという理由もはっきりした。そのことを今回は書こうと思います。両者を比較してみれば、現行憲法の際立った特色もはっきり認識出来るようになるし、またその限界も見えて来る。それを気付かせてくれるためのリファレンスとしては優れたテキストだと言ってもいいかも知れません。同時に、現行憲法と比較することで、自民党の憲法草案に決定的に欠けているものも指摘出来るだろうと思いますし、もしいま新しい時代に向けた新憲法を起草するとしたら、どういう内容のものでなければならないかということも見えて来る気がするのです。

 いや、新年早々から大風呂敷を広げるのはやめましょう。私が今回取り上げたいと思うのは、自民党のQ&Aの中にある「Q3 前文を改めた理由」という部分についてのみです。かねて私は、現行憲法の特徴はその前文において最も際立っていると思っていました。自民党もここに現行憲法の問題が凝縮されていると考えたようです。だから両方の前文を比べてみれば、憲法改正問題の核心部分が見えて来るように思えるのです。その他の個々の条文についても、護憲派からすれば看過出来ない問題がたくさんあるのは承知していますが(例えば、天皇の位置付けについて、国旗・国家の扱いについて、国防軍の設置について、公益及び公の秩序問題について、等々)、これらについてはすでに多くの論者が批判的にコメントを発表していますから、私がここで改めて取り上げる必要もないと思います(と言うより、書き記すべき独自の見解もありませんし)。まず私の心に大きな抵抗を感じさせたQ3の文章から引用してみましょう。

『Q3 「前文」を改めた理由は何ですか?

現行憲法の前文は、全体が翻訳調でつづられており、日本語として違和感があります。そして、その内容にも問題があります。
前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべきですが、現行憲法の前文には、そうした点が現れていません。
また、前文は、いわば憲法の「顔」として、その基本原理を簡潔に述べるべきものです。現行憲法の前文には、憲法の三大原則のうち「主権在民」と「平和主義」はありますが、「基本的人権の尊重」はありません。
特に問題なのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分です。これは、ユートピア的発想による自衛権の放棄にほかなりません。
こうしたことを踏まえ、今回、現行憲法の前文を全面的に書き換えることとしました。』(引用ここまで)

 この文章に自民党の(また一般的な改憲派の)憲法に対する基本姿勢がよく現れています。つまり現行憲法は「ユートピア的発想」に基づく非現実的なものなので、現実に合わせて作り変えなければならないという考え方のことです。私はここに憲法改正問題の核心があると見ます。それを保守対革新という政治的対立のひとつの現れとして捉えてもいい。保守派というのが理想より現実を優先する人たちの集まりだとすれば、革新派(リベラル)というのは現実より理想を優先する人たちの集まりだと言えるでしょう。しかし、この対立には答えがありません。どちらかが正しくてどちらかが間違っているというものではないからです。ただ、こと憲法に関して言えば、ユートピア思想に近いくらいの理想主義に傾いていることの方が、よりふさわしいのではないかと私は考えます。一国の憲法というのは、その国が進むべき大きな方向を指し示す海図かコンパスのようなものであって、いまの現実を映し出す鏡ではないからです。現実に合わないから憲法をその都度改正して行くというのは話が逆で、むしろ憲法の理想に向けて国のあり方を変えて行くことによって、一歩ずつでもその理想に近づいて行くことが出来る、そこに憲法というものの存在意義があるのではないかと考える訳です。そういう目で見たとき、自民党の新しい憲法案が未来に向けたどのような理想を語っているのか、甚だ心もとなく感じるのです。もう一度、日本国憲法の前文をおさらいしてみましょう。Q&Aが特に問題だとしている箇所です。

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』

 整った文章とは言えません、悪文と言ってもいいかも知れない。しかし、そこには「翻訳調でつづられており、日本語として違和感がある」ということで切って捨てることの出来ない迫力があると私には感じられるのです。自民党のQ&Aが指摘するように、ここには実はすごいことが書かれています。日本は(武力ではなく)他国を信頼することで、自国の安全と生存を図ると宣言している訳ですから。そこには右の頬を打たれたら左の頬も差し出せと言ったキリストの教えにも、あるいはガンジーの無抵抗主義にも通じるような理想主義があります。キリストやガンジーの理想主義が、単なる空想的なユートピア思想で終わらない理由は、その傑出した人物の言動や生涯がこの理想を裏打ちしているからでしょう。同じように、日本国憲法の絵に描いたような理想主義が単なる空想的なユートピア思想で終わらない理由は、それが戦争で死んだ300万人の命の重みで裏打ちされているからだと私は考えます。そう考えれば、翻訳調で悪文とも見える憲法前文の日本語に、何故あれほど日本人の心を打つ異様な迫力が籠められているのか、その理由も分かる気がするのです。こんな文章は、巧んで書けるものではない。それは戦後の焦土のなかから、いわば「グランド・ゼロ」からしか生まれ得なかった文章ではないかと私は思う。原文の起草者が日本人だったかアメリカ人だったか、そんなことはまったくどうでもいいような話です。

 あえて引用はしませんが、いかにも官僚の作文といった感じがする自民党案の前文と比較してみてください。書かれている内容ではなく、その言葉が魂に訴えかけて来るものに耳を傾ければ、違いは歴然としています。自民党案の前文には、「主権在民」や「平和主義」だけでなく「基本的人権の尊重」に関する記述もあります。「国や社会に対する愛情」も「国民福祉の充実」も「教育の振興」も「地方自治の発展」も「自然との共生」も「地球環境の保護」も何だってある。ただひとつ無いのは、理想に対する燃えるような想いだけです。言葉というものは正直なもので、いくらそつのない内容で字面よく書かれていても、「魂の無い文章」は一読でそれと見破られてしまう。自民党案の前文に書かれているようなことは、要するに自民党のマニフェストにも書かれていることで、それが私たちの心に響かないのは、マニフェストが私たちの心に響かないのと同じことです。これは私だけの考えかも知れませんが、憲法の前文というものは、それを読む者に対して、身の引き締まるような想い、心が鼓舞されるような想いを喚起させるものでなければならない。そうでなければ憲法の存在意義など無いというべきです。日本は戦後70年近くにも亘って一度も他国と交戦せず、自衛隊という軍隊は持っていても、その武力を一度も行使せずに封印して来ました。武力というものは、持っていれば使いたくなるのが常ですから、この自制は大したものです。日本国憲法が示す過激なまでの平和主義は、いまやこの国の国民性にまで深く根を下ろしています。

 さて、ここから先は蛇足でもあり、また今回の記事の本文でもあります。それでは現行の憲法に代わり得るような新しい憲法というものは、この先も永久に不可能なのか? 不可能ではない、と私は考えます。それはひとえに私たちが、平和主義を超えるような新しい理想を心に抱けるかどうかということにかかっている。日本は長く続く平和のなかで経済を発展させ、憲法に謳われているような「国際社会における名誉ある地位」をある程度実現したと言えます。しかし、いまの私たちは、それがゴールではないことも知っているのです。次の百年に日本が国際社会のなかで果たさなければならない使命とは何か? 憲法を改正すると言うなら、そこにこそ思いを致さなければならないので、自民党のようにいまの憲法が気に食わないから作り直そうなどというのは、話の順序が逆なのです。国民が次の百年に向けた共通の使命を自覚したときに、初めて新しい憲法というものが要請されるのだろうと思います。そういう視点から、もし私が新しい憲法(の前文)を起草するとしたら、どんな文章にするかを考えてみました。お正月にふさわしい話題であるような気もしますので、それをここに公開します。憲法には、国民が共有することの出来る「物語」も必要であるという考えに従い、私の前文は「あの日」の記憶から書き起こされることになります。

■私家版「憲法前文」(草案)

 平成二十三年三月十一日に東北地方を襲った大地震と津波、そしてそれに続いて起こった原子力発電所の事故は、我が国に歴史的な転機をもたらした。それはいかに文明が進歩しても、人間は自然の脅威の前ではほんの小さな存在でしかないこと、また科学技術への過信は大きな危険性をともなうものであることを、改めて我々に気付かせるきっかけとなった。我が国は、先の大戦から七十年を経て、平和憲法の下で急速な経済発展を遂げ、世界の先進国の仲間入りを果たしたが、いまや人類の経済発展そのものが、地球環境の持続可能性にとって大きな脅威となるような時代を迎えている。このような自覚のもと、日本国民はここに新たな憲法を制定し、経済成長を第一とする国のあり方を見直し、真に持続可能な社会を築くための制度や仕組みを模索するという、国を挙げての取り組みを始める決意を表明する。
 振り返れば、二十世紀は戦争や核兵器によって人類が滅亡の淵に立たされた世紀であった。今世紀になってその危機が過ぎ去った訳ではないが、それよりも今日の人類を脅かしているものは、温暖化を始めとする地球環境の悪化であり、文明を支える天然資源の枯渇であり、世界規模での爆発的な人口増加であり、経済のグローバル化にともなう格差の拡大といったことである。こうした世界的な状況のなかで、我が国はこれらの危機に率先して立ち向かう先駆者でありたいと思う。早い時期から公害問題に苦しみ、天然資源の不足に悩んで来た我が国は、いままた社会格差の拡大や少子高齢化という新たな難問に直面している。そうした状況に置かれた国が、身をもってこの危機を乗り越える道を指し示すことが出来るならば、それは他の国々に対してもひとつのお手本となるだろう。我々は、人類共通の課題である持続可能な社会の実現に向けた、ひとつのモデル国家としての地位を築きたいと願う。
 このことは、将来の科学技術の進歩をいささかも否定するものではないし、文明を捨てて過去に回帰することを意味するものでもない。人類は数千年来、地球という惑星の豊かさに育まれて生存し、進歩を重ねて来た。すべてのものは母なる地球が与えてくれたのである。しかし、これからの時代、人類はただ恩恵を受けるだけの存在として生存し続けることは出来ない。我々にはこの星の他に住む場所は無いがゆえ、たとえ数十億の人口を抱えようと、「地球一個分の生活」を逸脱する訳にはいかない。そのためには石油や原子力に代わる代替エネルギーの開発や、また地球環境の保護というに留まらない環境再生のための技術の開発が急務となる。これらは、短期的には経済的な見返りが期待出来ず、市場原理に任せているだけでは十分な研究投資が行なわれない技術分野であるが、誰かがそれに取り組まなければならないのである。我が国は、国がこれを強力に支援することによって、この分野で世界をリードする技術国家を目指す。そのための選択と集中を、国として大胆に推進して行く。
 先の憲法で、我が国は国際平和への貢献を誓い、そのことを通して国際社会での名誉ある地位を得たいという希望を述べた。ここに新たな憲法を制定するにあたり、我が国は現在の国際社会においてのみならず、百年後の我々の子孫と、百年後の国際社会からも尊敬されるような国になりたいという希望を述べる。これまで人類は、課題を未来に先送りにするかたちで発展を遂げて来た。持続可能な社会を構築するとは、この課題の先送りを止めるということに他ならない。もはや政治的なイデオロギーをかざして国と国とが対立している場合ではなく、信じる宗教の違いで民族同士が反目し合っている場合でもない。人類は、この地球上で生き延びられるかどうかというぎりぎりの瀬戸際に立たされている。たとえこの憲法が国際世論からは空想的と嗤われようとも、我々がこの挑戦から身を退くことはあり得ない。最初はたとえ孤立無援の小さな一歩だったとしても、やがて世界の多くの国々がこの歩みに合流する日が来、それが新たな人類の歴史の始まりにつながることを我々は確信している。

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コメント

本稿、今夏の参議院選挙で自民党が勝利し、憲法改正が俎上に載った時期には、拡散させてください。

国家とは人工的な構築物でしかない。
人工的な物は常に制御可能にしておかねばならない。
制御は常に批判的であらねばならない。

自分はこんな考えで憲法を見ています。

投稿: ロシナンテ | 2013年1月16日 (水) 03時41分

憲法改定する時期にきていますよね。
参考になります。

投稿: starfield | 2013年1月16日 (水) 20時05分

もう今回の参院選、グダグダ感がどうにもたまりません。

憲法
原発
米軍基地
TPP

問わねばならないことはすべて論理なはずです。
アベノミクスで少し飴玉しゃぶらせたらみんな喜んでしまった。
みごとに論理思考を放棄させてしまった。

そこに、強い日本、真ん中の日本、と安倍お得意の情緒思考。
本当にこのシナリオを安倍が書いたものなのだろうか。
安倍には本質的に政策立案能力は無い。嗅覚もない。
今、あの時と同じ事態に陥ったら、カン以上に取り乱す男。
政治家の器ではない。

しかし、参院選後いかにして延命しようか今から考えてる
死に体野党に何を託せると言うのか。

いっそのこと、
自民に投票して圧勝させて行くところまで行かせて、
「これじゃまずい」
世論の揺り返しに期待するしかないのかな。

なんか絶望感しか感じられない選挙です。

投稿: ロシナンテ | 2013年7月17日 (水) 00時46分

とにかく憲法を改正するのに、まず96条からという発想が許せませんね。それに「憲法改正」というコトバがそもそも嘘っぱちです。自民党の憲法草案は、憲法の改正ではなく、現行憲法の破棄です。まあ、そんなことも護憲派の誰かが言っていることの繰り返しに過ぎませんが…

投稿: Like_an_Arrow | 2013年7月22日 (月) 23時31分

初めまして。

私は憲法の前文が大好きです。どんなに揶揄されても好きなものは好き。それは揺らぎません。コトバというものは辞書で解説されるような意味を超えて人の心の奥底に響くことがあります。その一方で、理由はわからないけれども心が閉じて受け入れないモノもある。(例えば安倍さんのコトバ)

現行憲法がもっと良いモノになるという確信さえ持てれば変わることには何の抵抗もありません。Like_an_Arrow様の前文に対するお考え、頷きながら読ませていただきました。


投稿: 老嬢 | 2016年4月26日 (火) 09時52分

老嬢様、コメントありがとうございます。このような記事にコメントをいただけるととても嬉しいです。
自分でも久し振りに昔書いた記事を読み返してみましたが、憲法に対する基本的な考え方は何も変わっていないことを再確認しました。
憲法改正については、国を挙げて賛成・反対が分かれています。これっておかしな話ですよね。具体的にある改正案に対して賛成または反対と言うなら分かります。ところが今の憲法論議は、「憲法改正」そのものの是非を問うている。中身の無い議論とは、こういうものをいうのです。

投稿: Like_an_Arrow | 2016年4月29日 (金) 01時15分

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