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2012年8月12日 (日)

生活保護の廃止から始める社会改革(5)

【5】 人生の停車駅

 現在の生活保護制度から新しい制度への移行方法についても少し考えておきましょう。この新しい社会保障制度は、いわば壮大な歴史的実験ですから、いきなり全国に1万棟の住宅を建設するというのは無謀過ぎます。先行するモデル地区を選んで、小さな規模で始めるのが現実的でしょう。そこでの試行錯誤や改良を経て、徐々に全国に展開して行けばいい訳です。(例えば生活保護受給率が全国で最も高い大阪から始めるのはどうでしょう? 現在、政治力のある強力な首長が君臨している土地でもありますし。) 当然、移行期には従来の生活保護制度と新しい共同住宅制度が並立することになりますが、そのことは別に問題ではありません。現行の生活保護受給者から、希望者を募って優先的に入居させればいいだけのことだからです。(入居希望者は間違いなく集まると思います。生活保護を受けている人のなかには、お金だけを貰って仕事をしていないことを心苦しく感じている人たちも多い筈だからです。) 先行して運営を始める施設のなかでは、さまざまな問題が発生するでしょうし、それを解決することでさまざまなノウハウがたまるでしょう。そのノウハウこそが、次世代の健全なコミュニティ社会を築くための知恵の一部になるものだと私は考えているのです。

 ここまでの考察で、この共同住宅のことを、なにか理想的なユートピアのようなものとして描き過ぎてしまったかも知れません。しかし、もちろんここは貧乏人のユートピアなどではありません。例えば私の予想では、全国の共同住宅で毎年20件くらいの「殺人事件」が起こる可能性があります。これは驚くべきことではありません。日本は殺人事件の少ない国だとは言え、毎年千件以上はコンスタントにそれが発生しているのです。人口比にして10万人当たり1件程度です。ということは、200万人が暮らす共同住宅で20件程度の殺人事件が起こることはむしろ当然のことだと考えられるのです。ところが、いったんそのような事件が発生すると、マスコミや評論家といった連中が騒ぎ立てて、新制度への世間の風当たりが強くなる。施設建築反対の住民運動も起こるでしょう。この誤解は忍耐強く解いて行くしかありません。共同住宅が決して危険な場所でも迷惑施設でもないことを自ら証明して行くしかないのです。貧しさに虐げられて来た人たちが、たまたまひとつ屋根の下に集められて共同生活を送っている訳ですから、人間関係に由来するトラブルだって起こらない訳がない。ただ、それを最小限に食い止めるための工夫をすることが重要です。世帯ごとに個室を割り当てているのもそのためですし、施設内での仕事を強制しないのもそのためです。もしも殺人事件や傷害事件の発生率が、世間一般のレベルと同等かそれ以下に抑えられるなら、共同住宅が危険なところであるといった誤解も自然に解ける筈です。

 殺人事件と言えば、過去に犯罪歴のある人だってここには入って来ます。現在でも、刑務所を出所した人が生活保護を受けながらひっそり暮らしているという例はたくさんあると思います。共同住宅制度が始まってからは、彼らもここで入居者の一員として暮らすことになる訳です。そのことに心理的な抵抗を感じないようにするのは難しいことですが、これは乗り越えなければならないハードルです。貧しい人たちの共同住宅というコンセプトを実現するに当たって、大きな障害となって立ちはだかる問題があります。それは経済的な問題でもなければ、政治的な問題でもない、人の心の「偏見」という問題です。入居者に対する世間の偏見、さらには入居者同士のあいだにもある偏見。逆に言えば、それさえ克服することが出来れば(あるいは少なくともそれを無害な程度に薄めることが出来れば)、この制度は成功したも同然だし、この施設は少しだけユートピアのようなものに近づくのです。過去に犯罪歴のある人について言えば、希望の持てる観測もあります。日本では犯罪を犯した人の再犯率の高さが問題になっています。これは刑務所から出た人がなかなか再就職出来ず、生活に行き詰まって再び犯罪に走ってしまうという悪循環があるからです。入居者に仕事を与えることの出来る共同住宅なら、その悪循環を断ち切れる可能性があります。もちろん出所者のなかには明らかに反社会的な性格を持った人もいるでしょうし、そういう人を無制限に受け入れることで他の入居者を危険にさらす訳にはいきません。ここは生活に行き詰まった人たちの更生施設ではあっても、矯正施設ではないのです。犯罪的な傾向を持った人の矯正または教育といったことは、生活保障制度とは別の枠組で考えるべきことです。

 貧困問題と並んで、深刻化が懸念されているものに「引きこもり」の問題があります。現在、日本には70万人もの引きこもりの人たちがいて、その数が年々増加しているだけでなく、高年齢化が進んでいるという実態があるそうです。引きこもり期間は長くなれば長くなるほど、社会復帰が難しくなりますから、これは対策が急がれる問題です。いまは親の家に同居していて、経済的な困難には直面していない人たちが、親が亡くなった後にどうなるか? 私は以前から、共同住宅は引きこもりの人たちの社会復帰の訓練の場としてもふさわしいのではないかと考えて来ました。一般的に自分の部屋に引きこもっている人たちは、凶暴な反社会的な性格の人であるより、むしろ真面目で心の優しい人が多いのではないかと思います(私の印象では)。つまり、施設としては比較的受け入れやすいタイプの人が多いのではないかと思われるのです。もしも、長年引きこもりを続けて来た人が施設に入居して来て、そのまま居室に引きこもってしまっても構いません。そういう方のためには、食事は折り詰めにして、日に三度、そっと部屋に差し入れてあげるようにしましょう。そうすればいつかは一緒に食堂で食べられる日が来るかも知れない。仕事をしたいという気持ちになったら、まずは簡単な短時間の仕事から始めればいいでしょう。ここには厳しいノルマもありません。親がそれなりに裕福だと、ここへの入居資格が無いのでは?という疑問があるかも知れませんが、入居のための審査は本人の収入や資産を見るだけですから、多くの場合、問題は無いと思います。また、いきなり施設に入居することが難しいようなら、自宅からここに通ってもらっても結構です。居室を用意する必要もなく、安い賃金で働いてくれるなんて、むしろ施設にとってはありがたい存在です。(これを「サポーター制度」と呼ぶことにしましょう。)

 地域社会との信頼関係を築くことも、安定した施設の運営には欠かせない課題です。街の美化運動に協力したり、小学生の登下校の見守りをしたり、役場が主催するイベントに協力したり、やれることはいくらでもあります。またボランティアの奉仕活動だけでなく、地域で新たにビジネスを開拓するのもいいですね。例えばいま全国いたるところに耕作放棄地がありますから、施設でそれを借り受けて農業を始めるのはどうでしょう。採れた農作物は施設で食材として消費するだけでなく、地域の直売所などで売ることも出来ます。後継者のいない農家にとっては願ったり叶ったりの話です。入居者のなかからは、農業で自立する人も出てくるかも知れません。また施設内の介護の仕事を通して資格を取った人は、地域の福祉サービス提供事業者に介護ヘルパーとして登録して、地域のお年寄りや身体の不自由な方のところに訪問介護に行くことが出来ます。それは自分自身の経済的自立のためにもなるし、地域の福祉向上にも役立つことです。また施設内の託児所を一般にも解放して、地域の子供を預かれるようにすれば、それもビジネスとして成り立つかも知れません。いまは核家族化と少子化で、若いお母さんたちはひとりで育児に悩んでいる。ここには子育ての先輩たちもたくさんいますから、気軽に相談に来てもらってもいいのです。託児室は地域の若いお母さんたちのサロンのような場所になるかも知れません。――おや、またユートピアンの夢想癖が出てしまいましたね。しかし、実のところ、こうした前向きなユートピア志向こそが、健全なコミュニティの形成には必要不可欠ではないかとも思うのです。地域の人たちから、共同住宅が出来たことで街が明るくなったね、そう思ってもらえるくらいでないと、この制度は成功したとは言えない。

 私がこの生活保障のための共同住宅について書くのは、もう何度目のことでしょう? その都度思っていたことがあります。それはこの共同住宅にふさわしい、親しみやすいネーミングは無いものかということでした。この制度を成功させるためには、まず世間の偏見を取り除くことが重要であり、そのためにはイメージ戦略もおろそかに出来ません。ここ10年か20年くらいのあいだに全国に普及したものに「道の駅」というのがあります。私はクルマに乗らないので、その恩恵に浴する機会はほとんどないのですが、かねてこれは秀逸なネーミングだと感心していました。どこかの企業がマーケティング戦略で仕掛けたものではない、純粋にネーミングとコンセプトが受けて全国に広がったものと思われます。今回、これをもじって、「人の駅」というネーミングを思い付きました。(道の駅と同じく『人の駅 ○○○』というように後ろに地名を付けて、その施設の地域性や特色を表すようにします。) 高速道路にサービスエリアがあるように、一般道にもドライバーが気軽に立ち寄れる休憩所のようなものがあってもいいのではないか、これがたぶん「道の駅」の基本コンセプトだと思いますが、同じように私たちの人生のなかにも、疲れた時や行き詰まった時に気軽に立ち寄れる休憩所があってもいいのではないか、それが「人の駅」の基本コンセプトです。つまり、人生の停車駅。自己責任だとか成果主義だとかいうコトバが声高に叫ばれる昨今、私たちの人生のなかで一番欠けているものがそれです。「人の駅」というのは、特別な人たちを収容するための閉じた場所ではありません、多くの人たちが行き交う開いた場所です。ある人にとっては次の旅に出るための乗り継ぎ駅であり、またある人にとってはここが旅の終着駅になるかも知れない。人生のどのような行路にある人でもここでは歓迎されます。何故なら、それが駅というものだからです。


(追記です。5回分の連載をひとつのPDFファイルにしました。まとめて読みたいという方は、こちらをダウンロードしていただくと便利かと思います。↓)

「seikatsuhosho_20120818.pdf」をダウンロード

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