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2012年7月16日 (月)

生活保護の廃止から始める社会改革(1)

 生活保護受給者の増加に歯止めがかかりません。2005年に100万世帯を突破したというニュースがあって、そのことをこのブログにも書いた記憶がありますが、現在ではそれが145万世帯、200万人を超えています。これにともなって、2005年には1兆9千億円だった生活保護予算が、今年は3兆7千億円までふくれあがっている。7年間で倍増です。国の税収のほとんど1割近くが生活保護費として投入されていることになります。私たちが支払っている5%の消費税のうち、おおよそ3割(1.5%分)が生活保護世帯に「貢がれて」いると考えてもいい。いま野田政権は、消費税の増税に血道を上げていますが、いくら消費税率を上げたところで、この先さらに増え続ける生活保護予算に食われてしまうことは火を見るより明らかです。

 もしも財政の健全化や持続可能性ということを言うなら、まずはこの出血している患部の止血から始めなければならない。生活保護制度をどのように見直して行くかということは、これからの政治の重要なテーマですが、私は制度の見直し云々よりも、いったん生活保護そのものを廃止してしまって、ゼロベースで制度設計をやり直した方がいいのではないかと考えています。と言うのも、現在の生活保護制度は財政的に維持不可能というだけでなく、社会保障制度として根本的に欠陥の多過ぎる制度だと思っているからです。例えば、国民年金の最低額より生活保護費の方が高いという逆転現象がある(これでは真面目に年金を納めている人が不満を持つだけです)。また受給者は働くとその分給付が減らされてしまうので、勤労意欲を損なわれるという問題もある(これがいったん受給者になると、そこから抜け出せないという悪循環を生んでいます)。また最近話題になったように、近親者の扶養義務との関連というのも面倒な問題です(扶養義務を厳格化すると、ますます少子化が進みます。子供を持つことのリスクが増すから)。もちろんその他にも不正受給の問題があるし、逆に生活保護以下の水準で生活している世帯が数百万単位であるという問題もある。多少の手直しでまともな制度に作り替えることが出来るとはとても思えないのです。

 生活保護というのは、社会の生産性を低下させて、さらにはモラルをも破壊する、とても良くない制度です。貰っている人にとっては後ろめたく、貰えない人にとっては恨めしく、貰う必要の無い人にとっては腹立たしい、誰ひとり幸福にしないのが生活保護制度です。そんなものに3兆7千億もの税金を注ぎ込むなんてことは正気の沙汰とは思えない。おそらくこれからの政界再編のなかで、生活保護は中心的な争点のひとつになって行くでしょう。しかし、この問題は必要以上に私たちの倫理感情を刺激するテーマであることから、まともな政策議論の土俵には乗りにくいという懸念もあります。そのことは、生活保護関連のニュースに対するマスコミや一部政治家の反応を見れば想像がつくのです。とにかくこの問題を論じるに当たっては、すでに倫理的な色が付き過ぎている「生活保護」というものから、いったん視点をそらす必要があると思う。これから私が書くのは、生活保護に代わる新しい生活保障制度の提案です。すでにこれについては以前の記事で簡単なアイデアスケッチを描いていますが、今回はそれに肉付けして、具体的な政策提言としてまとめておこうというのです。この先を読んでいただく前に、こちらの過去記事に目を通しておいていただけると助かります。

【1】 インフラ整備にいくらかかるか?

 基本的な考え方はシンプルです。国は国民に対する最低限の生活保障をするために、これまでのように現金を支給するのではなく、徹頭徹尾「現物支給」で対応するという方針に転換します。生活保護に現物支給を取り入れるというアイデアは、自民党や維新の会の綱領にも見られますが、ここで私が提案するのは、生活必需品の一部を配給券のようなもので支給するといった中途半端なやり方ではありません。支援を必要とするすべての世帯が入居出来る共同住宅を各地に建設して、衣食住のすべてに亘って必要なものを現物ベースで提供して行くという構想です。ですから原則として入居者に現金は支給されませんし、施設のなかで生活している限り、現金は必要無いということになります。ポイントは、ある程度まとまった数の世帯が共同で暮らすことで、経済的な規模のメリットが生まれるということと、施設運営のなかで発生する仕事を分業化することで、入居者に仕事を与えることが出来るようになるということです。このへんはすでに以前の記事でも説明していますし、細部の検討は後ほどすることにしたいと思いますが、とりあえず連載第1回目のテーマは(また長い連載になるのかな? 笑)、そのためのインフラ作りにどのくらいの費用がかかるのかという問題を取り上げます。もしも財政面での実現性が乏しければ、この構想自体が絵に描いた餅で終わってしまうからです。

 現在の生活保護受給者は、145万世帯、200万人。仮にそのすべてが新しい共同住宅に入居するとした場合、どのくらいの数の施設を建築しなければならないでしょう? 分かりやすく、ひとつの施設に145世帯、200人が入居するとすれば、全国で1万棟の集合住宅を建てなければならない計算になります。全国にある公立の小学校が約2万2千校、中学校が1万校ですから、それに匹敵するくらいの数が必要になるということです。そう考えると、200万人という数がいかに膨大なものであるか分かりますね。いまの制度の下では、生活保護家庭はひっそり身を隠すように暮らしているのでそれほど目立たないけれども、実は町で見かける小学生や中学生と同じくらいありふれた存在だということです。それはともあれ、1万棟の集合住宅を建てるための建築費はどれくらいかかるのか? 145世帯を収容する建物といえば、かなり大型のマンション(ワンフロア15世帯で10階建てくらい)が想定されます。が、こちらはすべての居室を3LDKにする必要はなく、単身者用のワンルームと小規模世帯用の1Lまたは2Lが中心になりますから、建物自体は通常のアパートやマンションよりかなりコンパクトにまとまる筈です。さらに(私の構想では)風呂・トイレ・キッチンなどは、各居室でなく共用部分に設置されるので、この部分でも建築費を節約出来る。また堅牢で機能的な建物である必要はあっても、内装に凝る必要はないし、敷地の整備も最低限でいいので(それは入居者のための仕事として取っておきましょう)、そこでも費用を抑えられます。

 調べてみると、鉄筋コンクリート造りのマンションを建てる場合、建築費の坪単価は70万円くらいが相場であるようです。仮に入居者ひとり当たりの居室部分の広さを6坪(約20平米)とすると、200人×6坪×70万円≒8億4千万円。そこに共用部分(食堂と厨房、広い浴室とトイレ、集中方式の冷暖房設備など)を含めても10億円程度で済むのではないか(かなりアバウトな見積もりです)。設計と規格をある程度標準化すれば、注文建築の(一品ものの)集合住宅よりもかなり坪単価を下げられるという期待もあります。もしも初年度で1万棟を一挙に建設するとしても(そんなことは実際にはあり得ませんが)、建築費としてかかる費用は10億円×1万棟=10兆円です。消費税5%が約12.5兆円の税収に相当するので、今回の税率改正で増える税収分でお釣りが来る。これによって4兆円近い生活保護費を半分に圧縮出来るなら、5年間で元が取れてしまう計算です。消費増税を画策している野田政権と自民党は、増えた税収で公共事業を盛んにしたいのが本音のようです。10年間で200兆円なんて数字も聞こえて来る。政治家の利権と官僚の裁量権が増すだけで、どうせまた無駄な公共投資のオンパレードになるのだろう、そう思うと腹立たしい限りですが、もしもこのアイデアに出資してもらえるなら、私としては今回の消費増税に賛成してもいい。(笑)

 施設の上物はこれで何とかなるとしても、問題は土地をどうするかですね。望ましいのは全国にある国有地を活用することです。但し、国有地には山林や僻地など人が生活するにはふさわしくない場所が多いのと、市街地にある場合はすでに公共施設や学校や公園などが作られていて、転用が難しいというのが実態です。仮に人里離れた山林のなかに大規模な集合施設を作って、そこに例えば1万世帯くらいを住まわせるなら、最も安上がりで済みますし、住民専用の学校や商業施設などを作ることで、生活基盤を整備することも出来るかも知れない。しかし、それはなるべく避けたいところです。何故なら、貧困世帯をそのように場所的に隔離することは、新たな差別を助長することにつながりますし、入居者の社会復帰という点でも不利だと思うからです。今回の私の提案には、とても大事な基本コンセプトがあります。それは貧困家庭の生活保障を社会のなかで開かれた制度として実現して行くということです。とにかく現行の生活保護制度はその閉鎖性が問題のおおもとです。この10年くらいで私たちが学んだことは、貧困というのは誰にとっても他人事ではなく、長い人生のなかでは誰もがその当事者になり得るということ、そして私たちの社会が高齢者や障害者と共生して行かなければならないように、貧困家庭とも共生して行かなければならないということです。あとでまた説明しますが、生活保障施設は地域のなかで一定の役割を担うことになります。そのためにはロケーション的にも地域に溶け込んだ立地であることが望ましい。ちょうど地域の小学校や中学校がそうであるように。

 小学校や中学校と言えば、これを生活保障施設に転用するという考えもあります。いま全国的に、少子化で公立学校の統廃合が起こっていますが、その跡地を利用するというのは有望な選択肢です。また公務員住宅と併設してもいいし、市役所などの公共施設を建て替える際には、その上層階を充てるというアイデアもある。本来ならこの施設は敷地で農作物が作れるくらい広い土地を持っていることが望ましいのですが、都市部でそれは難しいでしょう。(学校の跡地なら運動場を農地に転用出来るかも知れません。) とにかくこれは、21世紀の日本にとって重要な社会インフラになるものですから、民間からの買い上げや寄付などの可能性も含めて、土地問題は何としても解決しなければならない。――ということで、これで今回の構想に必要な容れ物は出来たことにしましょう。問題は、ハードウェアの部分ではなく、それをどのように運営して行くか、そしてこの新制度をどのように国民に受け入れてもらうかというソフトウェアの部分です。次回からは論点をそちらに移して考えて行きます。

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コメント

無駄を省く話なのになぜ箱物建設から試算を始めるのでしょうか?一箇所に集めるのが効率的というのはわかりますが、安い住居を一括で借り上げてそこへ転居してもらえばいいとおもうのですが、どうでしょうか。

投稿: | 2012年7月16日 (月) 15時49分

何故ハコモノが必要なのか、その理由は連載が終わった時点でまた判断していただけたらと思います。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年7月17日 (火) 00時25分

ハコモノの理由の件了解しました。連載が終わった時点で改めてコメントさせてもらいます。

投稿: | 2012年7月17日 (火) 17時15分

>問題は、ハードウェアの部分ではなく、それをどのように運営して行くか、そしてこの新制度をどのように国民に受け入れてもらうかというソフトウェアの部分です。<
期待してます。

投稿: turusankamesan | 2012年7月17日 (火) 22時30分

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