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2012年7月31日 (火)

生活保護の廃止から始める社会改革(3)

【3】 財政面から見た共同住宅の現実性

 いくら生活保障を現物支給に切り替えると言っても、お金とまったく無縁の生活というのは、今の時代考えられません。しかし、入居者に現金を渡すことには、いろいろと問題があります。いわゆる「貧困ビジネス」のようなものに狙われる危険性がありますし、小遣いをすべてギャンブルに費やしてしまう可能性もある(生活保障を受けている人がギャンブルをしてはいけないのかという議論もありますが)。逆に小遣いをコツコツ貯めて、許される限度以上の隠し財産を築いてしまう人も出て来るでしょう。これらの問題に対する対策として、現金ではなく有効期限のある商品券のようなもので小遣いを渡すというアイデアを以前の記事で書きました。理論的にはそれが正解だと今でも思いますが、今回の記事の目的は現実的な政策提言をすることですから、ここはシンプルなやり方に変更しようと思います。入居者向けの商品券なんて面倒なものは作らない、現金で小遣いを渡すことにします。但し、厳しい財政から拠出するのですから、大きな金額は出せません。18歳以上の入居者ひとりに対して、一律月額5千円という金額でどうでしょう。たとえ寝たきりのお年寄りであっても、毎月5千円のお小遣いを受け取れるということです(寝たきりの高齢者をこの施設に入れるかという問題もありますが)。これが基本です。それ以外にも入居者が独自の収入源を持っているなら(国民年金や障害年金やアルバイト料や印税収入といったような)、そこから70%を入居費として控除された残りが、入居者が自由に使えるお金ということになります。この点については前回すでに説明しましたね。

 入居者のなかにも経済格差(小遣い金額の格差)が生じますが、これは仕方がありません。ただ、年金やアルバイト料などの〈副収入〉を持たない人でも、小遣いを増やす方法はあります。施設内の労働に対する報酬は「自立支度金」として積み立てられると書きましたが、その一部を現金で受け取れるオプションを作るのです。本人の希望により、報酬額の最大3割までなら現金で受け取れるものとしましょう。(私がここで3割だとか5千円だとかいう数字を出しているのは感覚的なものなので、実際の制度設計に当たってはもっと厳密な検討が必要になります。) ポイントは施設内で働く人と、施設外に働きに出る人のあいだで公平感が保たれるようにすることです。施設内での労働に対する月額報酬額の上限は5万円ということにしました(ここでは時間外手当はありませんから)。するとそこから最高1万5千円(3割)までは現金で受け取れることになります。基本の5千円と合わせて2万円が月の小遣いということになる。一方、施設外で働いて月に10万円のアルバイト収入がある人は、7万円を入居費として納めた残りの3万円が自由に使えるお金になる。基本の5千円と合わせて3万5千円が小遣いになります。一見両者には格差があるように見えますが、前者は小遣いの2万円以外に3万5千円を自立支度金として積み立てている訳で、そう考えればどちらがより優遇されているとは言えないと思います。この施設に入居する人は、最初は施設内の労働に従事して自立支度金を貯め、それが限度額に達する前に徐々にアルバイトやパートに切り替えて行き、最後にその企業に社員として採用されて(契約社員や派遣社員でも構いません)、施設を円満退所するというのが理想的な流れになるだろうと思います。それを期待してお金の設計もする訳です。

 自立支度金が限度額(50万円)に達してしまった人は、それ以上施設の中で働いてもわずかな小遣い銭にしかなりませんから(実質的な時給は、200円の3割で60円です!)、そこで勤労意欲を失ってしまうかも知れません。ただ、切り捨てられる賃金(最高3万5千円)の一部は施設の運営費に組み入れられ、そこで暮らす人々の生活向上に役立てられるということにすれば、まったく働き甲斐がなくなってしまう訳でもありません。それは共同体にとって二重に意味のある労働になるのです。つまり労働を通して施設の運営に直接寄与するだけでなく、経済的な支援にもなるということです。入居者のなかには、このように貧しい人たちが互助的に支え合う共同体が気に入ってしまって、ここに居ついてしまう人も出て来るかも知れません。私はこの共同住宅を、新しいコミュニティ社会の核となるものと位置付けたいのですが、その理想に近づけば近づくほど、入居者の「定着率」は高くなってしまうことも考えられます。しかし、そのことを問題視する必要はありません。これから社会の高齢化が進むに従い、入居者の高齢者比率もどんどん高くなって行くと予想されます。そんななかで、バリバリ働ける現役世代の人が施設に留まってくれることは歓迎すべきことなのです。一方、自立支度金を貯める必要が無く、施設内の労働時間も少ない高齢者にとっては、この施設は持っている収入の7割を支払うことで入居出来る老人ホームのようなものとなります。現在、少ない年金収入しか持たないお年寄りが、個室のある老人ホームに入ることはなかなか難しいと思いますが、ここなら条件さえ揃えば誰でもすぐに入居出来るのです。最近問題になっている孤独死ということに対する制度上の予防線にもなります。

 問題は、それが現在の生活保護制度と比べて、経済的に安上がりで済み、また将来的にも持続可能な制度として成立し得るのかということです。それを確認するために簡単な試算をしてみましょう。施設の建築費に関しては第1回目の連載で見積もりました。そこで必要になる10兆円という金額は、今回の計算からは除外します。あくまで運用費としてかかる部分の費用を比較します。現在の生活保護予算は3.7兆円、受給者は200万人ですから、ひとり当たりの年間経費は185万円、月当たり15万4千円くらいになります。ひとり当たりの運用費がそれ以下で済めば、とりあえず新制度の財政面での実現性は確認出来たものと考えていいでしょう。共同住宅でかかる主な費用の費目は、食費(食材費)、光熱水費、通信費、設備の補修費や什器の購入費、それに入居者に支払う賃金(自立支度金)と娯楽費(小遣い)といったところでしょうか。食材費は多く見積もってもひとり1日千円、月に3万円も見れば十分でしょう。光熱水費と通信費は合わせて、ひとり当たり1万5千円くらい(通信費には個人持ちの携帯電話料金や公衆電話代は含みません)。補修費や什器購入費、その他の雑費は読みにくいところですが、とりあえずひとり1万円ということにしときましょう(毎度のことですが、全然試算になってませんね。笑)。ここまでで5万5千円。それに娯楽費が一律5千円ですから、合計6万円。難しいのは施設内の労働に対して支払う賃金です。これは最高額が月に5万円と言っても、入居者全員がフルタイム労働をする訳ではないので(高齢者や子供、それに外部に働きに出る人もいるから)、平均して2万5千円も見ておけばいいと思います。これでひとり当たり8万5千円という見積り額が出ました。現行の生活保護制度と比べて、はるかに安い金額で収まります。さらに入居者が受給している年金やアルバイト収入の7割が運営費に加算されるのですから、財政面ではとても余裕があると言えそうです。

 と、ここまで書いて、あわてて付け加えておくべきことがあります。それは現在の生活保護予算の半分近くは、医療費として支出されているという事実です。ひとり当たり15万円強の生活保護費のうち、7万円以上が医療費で占められているのです。これは驚くべきことです。生活保護を受けている人のなかには高齢者や病気がちの人が多いとは言え、果たしてこの金額は妥当なものなのだろうか? よく指摘されるように、生活保護受給者は医療費が無料であることから、必要以上に頻繁に医者にかかっているという事実があるのかも知れません。それはそうでしょう、時間はあるのにお金が無いという境遇の人にとっては、医者に行くことだって数少ない娯楽のひとつでしょうから。おそらく医療機関にとっても、安定した診療費収入の見込める生活保護受給者は良いお客さんだという持ちつ持たれつの関係が出来ているのだろうと思います。そのことをけしからんと言っても始まりません。むしろこれも制度設計の欠陥であると見るべきです。共同住宅の入居者にとっても、医療費は無料であることが前提ですが、現在のように外部の医療機関を自由に受診出来る仕組みは見直すべきでしょう。定期的に担当医が回診に来て、そこで診察と簡単な薬の処方を行なえるようにする。外部の医療機関の受診が必要かどうかも担当医が判断します。もちろん病気によっては定期的な通院や入院が必要な場合もありますし、そこでの医療費も生活保障の一端として支出する必要がある訳ですが、可能な限り在宅医療で、すなわち施設での看護で対応したいところです。将来的には入院設備も備えた複合的な機能を持つ共同住宅の建設ということも視野に入れます。

 増大する医療費の問題は、年金や生活保護と並んでこれからの政治にとって最重要なテーマです。国の医療費負担が大きくなっている背景には、高齢者や生活保護受給者の気軽な通院ということ以上に、「社会的入院」と呼ばれる長期入院患者の増加があります。例えば精神科医院への入院ということで言えば、日本は先進国のなかでも圧倒的に1回当たりの入院日数が長いのです。そこには家族や地域社会が、退院して来た患者を受け入れられないという現実があるのでしょう。よろしい、それならば私たちのこの共同住宅でそうした患者さんも受け入れようじゃありませんか…と声高に言うことはしませんが、地域社会に根ざしたコミュニティが有効に機能し始めれば、社会的入院といったものは自然に減って行くのではないかと思う訳です。生活保護費や医療費が財政を圧迫している背景には、経済格差の拡大や少子高齢化の進行ということだけでなく、社会のなかから健全なコミュニティ機能が失われてしまったことがあるのではないかと私は思っています。コミュニティの復活ということは、多くの人が課題として共通に認識していることであり、そのためにいろいろな取り組みもされている筈ですが、それを大きな社会的運動にまで起爆して行くためには、そのための原動力と言うか、共通の情念のようなものが必要ではないかと思うのです。現代の市場万能主義の社会のなかで疎外され、貧困に追いやられた人々の怒りの連帯こそ、次世代のコミュニティ形成の核となり得るものではないか。そんな言い方をすると過激思想と受け止められてしまうでしょうか。

 話がいささか脱線しました。以上の大雑把な考察からだけでも、生活保障のための共同住宅構想が、生活保護と比較して財政的にも有利なものであることは説明出来たのではないかと思います。しかし、私が強調したかったのは、単年度の予算を比べての優劣ではありません。生活保護では受給者が固定される傾向にあるのに対し、共同住宅では入居してから再び自立するまでの道筋を示すことが出来、そのための強力なサポート体制が整っている、その違いが大きいと言いたいのです。これから社会の高齢化が進むにつれ、生活保護世帯は増えこそすれ減ることはないでしょう。若い世代のなかにも無年金の生活保護予備軍がたくさん控えています。200万人という数字を基準に制度を設計しても、すぐに限界に来てしまうことは明らかです。生活保障のための共同住宅は、人の出入りの激しい場所になるだろうと思っています。生活保護と比べて入居のための資格審査は緩いし、(私の考えでは)入居に対する心理的抵抗も小さいと思われるからです。例えば、自立支度金を50万円貯めた人が、アパートを借りて自活を始めたけれども、仕事が続かず半年後には施設に戻って来てしまったとする。まったく構いません。そのチャレンジ自体が価値あることだし、少なくとも半年分の生活保障費を節約することには役立った訳ですから。ここでは入居や退去のための引っ越し費用だってかかりません。それも施設が提供するサービスメニューに含まれているからです(引っ越しの手伝いも既存の入居者が行なう仕事のひとつで、規定の賃金が支払われるのです)。現在の日本には、生活保護水準以下で生活する貧しい世帯が数百万の単位で存在しています。その人たちが生活保護になだれ込んで来ることを行政は恐れている筈です。共同住宅はむしろそういった人たちが気軽に利用出来る施設を目指すのです。さて、次回はこの施設への入居資格や入居後の制約事項などについてもう少し考えてみます。

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2012年7月22日 (日)

生活保護の廃止から始める社会改革(2)

【2】 施設内での労働と報酬について

 現在の生活保護制度の何が一番の問題かと言えば、支給されるお金で最低限の生活は保障されても、受給者の「生きがい」に関しては何ひとつ保証されないという点ではないでしょうか。生活保護の問題をそんなふうに捉える人は少ないと思いますが、私の捉え方はそれです。民主党政権になってから、生活保護受給者が急増した背景には、若い勤労世代の人たちが広く制度を利用することになったという事情があります。不景気でリストラされた派遣社員の人たち、なかなか定職に就くことの出来ない失業者の人たち、ひと昔前なら行政の窓口で門前払いされていたそうした「働ける人たち」が、派遣切りといった社会現象がマスコミに取り上げられるなかで生活保護の対象として認められることになった。いったん受給者になってしまえば、もう最低賃金で働く生活には戻れません。働いても生活保護で受け取っている以上の給料を稼ぐのは容易ではありませんし、働けば当然のことながら生活保護は打ち切られてしまうからです。こうして生活保護制度は、憲法が定める「勤労の権利と義務」を自ら否定するものとなってしまったのです。これは社会にとって損失になるだけではなく、勤労から疎外される受給者本人にとっても大きな損失となるものです。すなわち生きがいの喪失という損失です。

 共同住宅をベースにした生活保障制度では、この点が違います。ここに入居する人たちは、その能力に応じて働くことを義務付けられるからです。もちろん現在の生活保護受給者のなかには、高齢者や障害を持った人も多い訳ですから、重労働には耐えられないということも多いだろうと思います。が、ここでの仕事は、派遣労働者を使い捨てる企業の仕事とは違います。8時間のフルタイム労働である必要はないし、顧客からのクレームにさらされるような仕事でもない。生活を共にする仲間たちのためのいわば家事労働に近い仕事です。お年寄りから子供まで、200人からの入居者が生活して行くのですから、必要な仕事はいくらでもあります。現物支給された食材を調理して、200人分の食事を作るのは入居者の仕事です。過去に調理人として働いていた人がいれば、とても助かりますね。過去に経験が無くても、将来調理人になりたい人がここで研鑽を積むというのもいいと思います。この施設は職業訓練の機会も提供するのです。高齢者が多いことから、介護のニーズも大きいでしょう。将来介護ヘルパーとして自立したい人にとっては、ちょうどいい訓練の場になります。クルマが運転出来る人は、配給物資の運搬や通院が必要な人の送り迎えに活躍してもらいましょう。ここで生活する子供たちが、将来再び貧困に陥らないよう、教育の機会も提供してあげたい。教師や塾講師の経験がある人は、施設内で学習塾を開いてはどうでしょう。もちろんその他にも、館内の清掃、風呂の準備、設備の保全、庭の手入れなど、施設の運営に欠かせない仕事はいくらでもある。入居者がそれぞれの特技を活かして仕事を分担して行く、それが基本的なルールです。構造改革派は好んで「自助」というコトバを口にしますが、彼らはそのための具体的な施策を示さない。私は構造改革派ではありませんが、貧困世帯のための共同住宅は、「自助」というテーマに対するひとつの現実解になると思っています。

 施設内の仕事が入居者の自助によって賄われると言っても、もちろん施設の運営そのものを入居者の自治に任せる訳ではありません。この施設の運営を、中央政府(たぶん厚生労働省)が直接担当するか、地方自治体に委託するかといったことは今後検討が必要ですが、行政の厳格な監督下に置かれることには変わりありません。専任の管理者が常駐するか、管理チームがその地区の複数の施設を巡回するかなどして、行政の主導によって入居者への仕事の割り振りや管理が行なわれることになります。もしも入居者のなかに、働けるのに働きたくない人がいたらどうするか? そういう人は退去させるか、または最初から入居を断るべきでしょうか? いや、この施設は生活保護に代わる最後のセーフティネットなのですから、そうした選別はすべきではありません。もしも同居人のなかに、よく働く人とほとんど働かない人がいたら、働く人から不満が出るのは当然です。でも、そうした不公平を是正する仕組みも用意してあります。ここでの仕事には(少ないながらも)報酬が出るのです。もちろん企業で働く時のような金額は出せません。時給にして200円くらいが妥当なところでしょうか。これは1日8時間、月に25日間働いて、5万円になる程度の金額です。国が定めた最低賃金以下ですが、これは賃金として支払われるものではなく、「自立支度金」という名目で支払われるものなので、最低賃金法には抵触しません。実はこの部分のアイデアが私の政策提言のセールスポイントなので、少々細かいルールになりますが、もう少し説明しておきます。

 ポイントは、施設内の労働に対して支払われる報酬は、そのまま本人に現金で渡される訳ではないということです。それは行政が管理する本人名義の銀行口座にプールされるのです。働いた本人のお金であるには違いないのですが、本人が自由に使えるようなお金ではないということです。では一体いつそれを使えるのか? 施設を出て自活を始める時に使えるのです。共同住宅に入居するためには、生活保護と同様、資産を持っていないことが条件になります。しかし、ここで生活しながら働けば、自分の口座に少しずつお金が貯まって行く。それで部屋を借り、家財道具を揃えて、自立するという途が用意されているということです。口座に貯められる自立支度金の額には上限を設けます。最高50万円までとしましょう(以前の記事では100万円としていましたが、それでは多過ぎる気がします)。50万円あれば、部屋を借りて、最低限の生活用品を揃えて、引っ越しまで出来ると思います。もしも勤労者が二人いる世帯なら、最高100万円の自立支度金になる訳で、子供がいたとしても自立には十分な額です。もしも個人口座に50万円が貯まったら、すぐに施設を追い出される訳ではありません。自立するためには、支度金を貯めるだけではなく、定収入を得られる仕事を持つ必要があります。その条件が整わないうちに施設を追い出されても、50万円を使い果たした時点でまた施設に舞い戻って来てしまうだけでしょう。だから自立支度金が限度額まで貯まっても、施設に居続けることは出来るものとします。但し、これ以降いくら施設内で働いても、それはタダ働きになってしまいます。(そのことで勤労意欲を失ってしまうという問題については、また後で考えます。) 厳しいルールのようですが、これは仕方がありません。施設に10年間入居して、500万円貯めて出て行ったなんていう前例を作る訳にはいきません。ここで支払われる報酬は、もとは国民の税金なのですから。

 生活保障制度を設計するに当たって重要なことは、働く能力を持った人をいかにスムーズに社会復帰させられるか、その道筋を描くことだと思います(生活保護がダメなのもその点です)。以前の記事でも、共同住宅に入居しながら外部の民間企業に〈通勤〉することを奨励していましたが、これは自立のための第一歩として大事なことです。企業に就職出来た人は、(いくらこの施設の居心地が良くても)自立する方向で努力してもらわなければならない。そうでなければ、全国1万ヶ所の施設がすぐにパンクしてしまうでしょうから。ただそのためには、施設としても就労を支援する仕組みを作っておかなければなりません。とても有能で、入居者からも人気のある調理人だったとしても、外部の飲食店に就職が決まれば、気持ちよく送り出してあげましょう。また就職による自立に際して、本人が口座に自立支度金を十分貯めていない場合には、最長2ヶ月間は施設からの通勤を許可するといった特例も設ける必要があります。問題は、就職は決まったけれども、そこで得られる給料が自立するために十分な金額に達していないといった場合です。日本では最低賃金が法律で決められていますから、フルタイムの従事者であれば給料だけで生活して行ける筈ですが、現実にはそうでない場合も多いでしょう。高齢者や身体の弱い人など、短いパートタイムで働きたいという人も多いと思います。彼らは現金収入を持っているので、もしも施設からの通勤が許されるとすれば、施設内の労働を免除される上に自由に使える現金を持つという〈特権階級〉になってしまう。これは施設内で働いている入居者から見て面白くありません。

 この問題は、自立するためには少な過ぎる金額しか貰っていない年金受給者についても当てはまります。現在の生活保護制度には、賃金収入や年金収入があっても、それが一定の基準に満たない場合は、不足分を生活保護費として補うという仕組みがあります。共同住宅という制度のなかで、これと同等の仕組みをどのように実現するかという問題があるのです。これはしかし解決が難しい問題ではありません。現金収入のうちの一定の割合を施設が入居費として徴収すればいいのです。地域によって生活保障の対象となる最低収入は異なると思いますが、徴収する比率は全国一律で構いません。例えばそれを70%としましょう。夫婦ふたりで国民年金を月に8万円受け取っている世帯が、生活保護費として月に7万円支給されていたとします。生活保護が廃止された後、この夫婦が共同住宅に入居した場合、7万円の生活保護費の支給が無くなる上に、8万円の年金の7割(5万6千円)を施設に徴収されてしまいます。その代わり、冷暖房付きの2部屋ある居室と3度の食事、その他生活に必要な一切のものが保障されるのです。しかも徴収された残り(2万4千円)は毎月の小遣いとしてキープ出来るとなれば、他の収入を持たない入居者から見れば、羨ましいような境遇です。でも、だからと言って彼らが妬まれる筋合いはありません、彼らが毎月納める5万6千円の〈上納金〉は、施設の運営費に加算され、そこでの生活の質を高めるために使われるのですから。これはすべての入居者にとって歓迎すべきことです。パートタイムで近所のスーパーに働きに出る人も、貰った給料の7割を施設に納めなければなりません。この人には施設内の仕事を手伝えないという負い目があるかも知れませんが、自分の稼ぎで施設運用を助けているということで、その負い目は相殺されるでしょう。もちろん働くのが好きな人は、施設の仕事と外の仕事を掛け持ちでこなしてもいいのです。

 最近、国民年金への加入率が下がっているそうです。将来の生活保護受給を当てにして、若い人が年金を払わないという事態が発生しているのです。これこそ明らかに生活保護制度の欠陥だと思うのですが、共同住宅による生活保障が実現すれば、こういう事態も解消されるのではないかと思います。若い時から年金に加入しておけば、老後、不幸にして共同住宅に入居することになったとしても、そのなかで(多少は)リッチな生活が送れるという目算が働くからです。もちろん国民年金の最低額より生活保護費の方が高いという、理不尽な逆転現象も無くなります。施設の運営に関わる内部の仕事と、入居者の自立につながる施設外の仕事の割合をどうバランスを取るかということは、この制度を持続可能な社会保障制度にしていくために重要なテーマです。そのバランスを調整するためのファクターとして、いま説明した現金収入に対する上納金の割合と、もうひとつ入居者が毎月受け取る「小遣い」の額を変動させるというアイデアがあります。いくら最低生活保障のための共同住宅とは言え、日常で使える小遣いがまったく無いのでは生きている楽しみが無い。当然、一定の範囲で入居者には小遣いが支給されるのですが、施設内の労働報酬の一部をその小遣いに上乗せすることが出来るというルールを追加してはどうだろう? それがあれば、下ろす当てのない自立支度金が満額まで貯まっている人でも、施設内の労働に対してモチベーションを持ち続けることが出来るのではないか? 次回はこのアイデアも含め、施設運営にまつわるお金の問題をもう少し考えて行くことにしましょう。

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2012年7月16日 (月)

生活保護の廃止から始める社会改革(1)

 生活保護受給者の増加に歯止めがかかりません。2005年に100万世帯を突破したというニュースがあって、そのことをこのブログにも書いた記憶がありますが、現在ではそれが145万世帯、200万人を超えています。これにともなって、2005年には1兆9千億円だった生活保護予算が、今年は3兆7千億円までふくれあがっている。7年間で倍増です。国の税収のほとんど1割近くが生活保護費として投入されていることになります。私たちが支払っている5%の消費税のうち、おおよそ3割(1.5%分)が生活保護世帯に「貢がれて」いると考えてもいい。いま野田政権は、消費税の増税に血道を上げていますが、いくら消費税率を上げたところで、この先さらに増え続ける生活保護予算に食われてしまうことは火を見るより明らかです。

 もしも財政の健全化や持続可能性ということを言うなら、まずはこの出血している患部の止血から始めなければならない。生活保護制度をどのように見直して行くかということは、これからの政治の重要なテーマですが、私は制度の見直し云々よりも、いったん生活保護そのものを廃止してしまって、ゼロベースで制度設計をやり直した方がいいのではないかと考えています。と言うのも、現在の生活保護制度は財政的に維持不可能というだけでなく、社会保障制度として根本的に欠陥の多過ぎる制度だと思っているからです。例えば、国民年金の最低額より生活保護費の方が高いという逆転現象がある(これでは真面目に年金を納めている人が不満を持つだけです)。また受給者は働くとその分給付が減らされてしまうので、勤労意欲を損なわれるという問題もある(これがいったん受給者になると、そこから抜け出せないという悪循環を生んでいます)。また最近話題になったように、近親者の扶養義務との関連というのも面倒な問題です(扶養義務を厳格化すると、ますます少子化が進みます。子供を持つことのリスクが増すから)。もちろんその他にも不正受給の問題があるし、逆に生活保護以下の水準で生活している世帯が数百万単位であるという問題もある。多少の手直しでまともな制度に作り替えることが出来るとはとても思えないのです。

 生活保護というのは、社会の生産性を低下させて、さらにはモラルをも破壊する、とても良くない制度です。貰っている人にとっては後ろめたく、貰えない人にとっては恨めしく、貰う必要の無い人にとっては腹立たしい、誰ひとり幸福にしないのが生活保護制度です。そんなものに3兆7千億もの税金を注ぎ込むなんてことは正気の沙汰とは思えない。おそらくこれからの政界再編のなかで、生活保護は中心的な争点のひとつになって行くでしょう。しかし、この問題は必要以上に私たちの倫理感情を刺激するテーマであることから、まともな政策議論の土俵には乗りにくいという懸念もあります。そのことは、生活保護関連のニュースに対するマスコミや一部政治家の反応を見れば想像がつくのです。とにかくこの問題を論じるに当たっては、すでに倫理的な色が付き過ぎている「生活保護」というものから、いったん視点をそらす必要があると思う。これから私が書くのは、生活保護に代わる新しい生活保障制度の提案です。すでにこれについては以前の記事で簡単なアイデアスケッチを描いていますが、今回はそれに肉付けして、具体的な政策提言としてまとめておこうというのです。この先を読んでいただく前に、こちらの過去記事に目を通しておいていただけると助かります。

【1】 インフラ整備にいくらかかるか?

 基本的な考え方はシンプルです。国は国民に対する最低限の生活保障をするために、これまでのように現金を支給するのではなく、徹頭徹尾「現物支給」で対応するという方針に転換します。生活保護に現物支給を取り入れるというアイデアは、自民党や維新の会の綱領にも見られますが、ここで私が提案するのは、生活必需品の一部を配給券のようなもので支給するといった中途半端なやり方ではありません。支援を必要とするすべての世帯が入居出来る共同住宅を各地に建設して、衣食住のすべてに亘って必要なものを現物ベースで提供して行くという構想です。ですから原則として入居者に現金は支給されませんし、施設のなかで生活している限り、現金は必要無いということになります。ポイントは、ある程度まとまった数の世帯が共同で暮らすことで、経済的な規模のメリットが生まれるということと、施設運営のなかで発生する仕事を分業化することで、入居者に仕事を与えることが出来るようになるということです。このへんはすでに以前の記事でも説明していますし、細部の検討は後ほどすることにしたいと思いますが、とりあえず連載第1回目のテーマは(また長い連載になるのかな? 笑)、そのためのインフラ作りにどのくらいの費用がかかるのかという問題を取り上げます。もしも財政面での実現性が乏しければ、この構想自体が絵に描いた餅で終わってしまうからです。

 現在の生活保護受給者は、145万世帯、200万人。仮にそのすべてが新しい共同住宅に入居するとした場合、どのくらいの数の施設を建築しなければならないでしょう? 分かりやすく、ひとつの施設に145世帯、200人が入居するとすれば、全国で1万棟の集合住宅を建てなければならない計算になります。全国にある公立の小学校が約2万2千校、中学校が1万校ですから、それに匹敵するくらいの数が必要になるということです。そう考えると、200万人という数がいかに膨大なものであるか分かりますね。いまの制度の下では、生活保護家庭はひっそり身を隠すように暮らしているのでそれほど目立たないけれども、実は町で見かける小学生や中学生と同じくらいありふれた存在だということです。それはともあれ、1万棟の集合住宅を建てるための建築費はどれくらいかかるのか? 145世帯を収容する建物といえば、かなり大型のマンション(ワンフロア15世帯で10階建てくらい)が想定されます。が、こちらはすべての居室を3LDKにする必要はなく、単身者用のワンルームと小規模世帯用の1Lまたは2Lが中心になりますから、建物自体は通常のアパートやマンションよりかなりコンパクトにまとまる筈です。さらに(私の構想では)風呂・トイレ・キッチンなどは、各居室でなく共用部分に設置されるので、この部分でも建築費を節約出来る。また堅牢で機能的な建物である必要はあっても、内装に凝る必要はないし、敷地の整備も最低限でいいので(それは入居者のための仕事として取っておきましょう)、そこでも費用を抑えられます。

 調べてみると、鉄筋コンクリート造りのマンションを建てる場合、建築費の坪単価は70万円くらいが相場であるようです。仮に入居者ひとり当たりの居室部分の広さを6坪(約20平米)とすると、200人×6坪×70万円≒8億4千万円。そこに共用部分(食堂と厨房、広い浴室とトイレ、集中方式の冷暖房設備など)を含めても10億円程度で済むのではないか(かなりアバウトな見積もりです)。設計と規格をある程度標準化すれば、注文建築の(一品ものの)集合住宅よりもかなり坪単価を下げられるという期待もあります。もしも初年度で1万棟を一挙に建設するとしても(そんなことは実際にはあり得ませんが)、建築費としてかかる費用は10億円×1万棟=10兆円です。消費税5%が約12.5兆円の税収に相当するので、今回の税率改正で増える税収分でお釣りが来る。これによって4兆円近い生活保護費を半分に圧縮出来るなら、5年間で元が取れてしまう計算です。消費増税を画策している野田政権と自民党は、増えた税収で公共事業を盛んにしたいのが本音のようです。10年間で200兆円なんて数字も聞こえて来る。政治家の利権と官僚の裁量権が増すだけで、どうせまた無駄な公共投資のオンパレードになるのだろう、そう思うと腹立たしい限りですが、もしもこのアイデアに出資してもらえるなら、私としては今回の消費増税に賛成してもいい。(笑)

 施設の上物はこれで何とかなるとしても、問題は土地をどうするかですね。望ましいのは全国にある国有地を活用することです。但し、国有地には山林や僻地など人が生活するにはふさわしくない場所が多いのと、市街地にある場合はすでに公共施設や学校や公園などが作られていて、転用が難しいというのが実態です。仮に人里離れた山林のなかに大規模な集合施設を作って、そこに例えば1万世帯くらいを住まわせるなら、最も安上がりで済みますし、住民専用の学校や商業施設などを作ることで、生活基盤を整備することも出来るかも知れない。しかし、それはなるべく避けたいところです。何故なら、貧困世帯をそのように場所的に隔離することは、新たな差別を助長することにつながりますし、入居者の社会復帰という点でも不利だと思うからです。今回の私の提案には、とても大事な基本コンセプトがあります。それは貧困家庭の生活保障を社会のなかで開かれた制度として実現して行くということです。とにかく現行の生活保護制度はその閉鎖性が問題のおおもとです。この10年くらいで私たちが学んだことは、貧困というのは誰にとっても他人事ではなく、長い人生のなかでは誰もがその当事者になり得るということ、そして私たちの社会が高齢者や障害者と共生して行かなければならないように、貧困家庭とも共生して行かなければならないということです。あとでまた説明しますが、生活保障施設は地域のなかで一定の役割を担うことになります。そのためにはロケーション的にも地域に溶け込んだ立地であることが望ましい。ちょうど地域の小学校や中学校がそうであるように。

 小学校や中学校と言えば、これを生活保障施設に転用するという考えもあります。いま全国的に、少子化で公立学校の統廃合が起こっていますが、その跡地を利用するというのは有望な選択肢です。また公務員住宅と併設してもいいし、市役所などの公共施設を建て替える際には、その上層階を充てるというアイデアもある。本来ならこの施設は敷地で農作物が作れるくらい広い土地を持っていることが望ましいのですが、都市部でそれは難しいでしょう。(学校の跡地なら運動場を農地に転用出来るかも知れません。) とにかくこれは、21世紀の日本にとって重要な社会インフラになるものですから、民間からの買い上げや寄付などの可能性も含めて、土地問題は何としても解決しなければならない。――ということで、これで今回の構想に必要な容れ物は出来たことにしましょう。問題は、ハードウェアの部分ではなく、それをどのように運営して行くか、そしてこの新制度をどのように国民に受け入れてもらうかというソフトウェアの部分です。次回からは論点をそちらに移して考えて行きます。

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2012年7月 8日 (日)

小沢一郎氏のための演説原稿 Part.2

 民主党の小沢元党首と消費増税に反対する議員50人が離党しました。今週中には小沢氏を中心とする新党が発足するそうです。とりあえず、この動きは歓迎です。消費増税に反対で、原発の再稼働にも反対の立場の自分としては、もはや民主党を支持する理由は何ひとつ無くなった。次の選挙で投票するなら、何を措いても脱原発を掲げる政党に一票を投じたい、そう思っているので、選択肢が増えることは望ましいのです。同じように感じている有権者は多いのではないかと思います。もちろん、新党結成はそれを狙ってのことなのでしょうが、有権者のニーズを汲み取るのも政治家としての重要な資質だとすれば、これは批判の材料にはならないと考えます。むしろ消費増税と原発再稼働にひた走る民主党に、大多数の議員が留まろうとしていることの方が私には奇異に思えます。

 まだ民主党が政権交代を果たす前に、当時の民主党代表だった小沢さんのための演説原稿という記事をこのブログに書いたことがあります(こちらです)。もしも自分が小沢氏のスピーチライターだったとしたら、彼にこんな演説をさせてみたいという主旨の記事でした。献金疑惑で公設秘書が逮捕され、小沢さんに民主党代表を降りるべきだという世論が高まっていた時のことです。いままたこの人は、マスコミや世論(の大勢)を敵に回して窮地に立たされている。構図は3年前と何も変わっていません。しかし私は、小沢一郎を政治的に抹殺したいと考えている勢力のことを考えると、どうしてもこの人に加担したい気持ちを抑えることが出来ないのです。今回もまた、自分としては小沢一郎という政治家が好きではないと前置きをした上で、それでも新党結成に当たっては小沢さんの口からこんな演説を聴いてみたい、そういう思いでスピーチ原稿の草案を書いてみます。

『民主党からの離党と新党結成の宣言をして以来、周囲の人からよくこう言われます、「小沢さん、顔色が前より良くなったね、表情も明るくなったみたいだ」。なかには「昔の小沢一郎が戻って来た!」なんて言う人もいました。確かにこの1週間、私はここしばらく味わうことのなかった心の張りを感じています。それと同時に、この3年間、自分の心がいかに大きなストレスで抑え付けられていたかをあらためて知りました。2009年5月に突然秘書が逮捕されて以来、私は政治家としての活動よりも、検察と闘うことにエネルギーを吸い取られて来ました。翌年には私自身が強制起訴をされ、現在に至るまで私はずっと刑事被告人の身分なのです。これは民主党が政権交代を果たし、その後迷走を重ねた時期とぴったり重なっている。最初の起訴を受け、私は党代表やすべての役職を降り、一兵卒として民主党に尽くすと誓いました。ところが、私が一兵卒でいるあいだに、民主党はもはや政権交代を果たした昔の民主党ではなくなってしまったのです。

 今回、私が志を同じくする方々と民主党を出て、新党を結成しようと決意した理由は単純です。それは有権者の皆さんに政策の選択肢を持ってもらうためです。私は、これまでの長い政治家人生のなかで、日本にもイギリスやアメリカのような二大政党制を根付かせたいという悲願を持って活動をしてまいりました。それが民主党による政権交代でようやく実現の緒についた。この悲願達成の喜びに比べたら、自分自身が新政権のなかで重要なポストに就けなかったことなど苦でも何でもなかったのです。民主党は、それまでの自民党の政策に対抗して、公共事業の縮小や福祉政策の充実を掲げて皆さんの支持を得ました。もちろん増税には反対の立場でした。これはいま振り返っても有効な政策上の対立軸だったと思います。ところが民主党の総裁が代わるごとに、この対立軸は曖昧にされ、とうとう三代目の野田総理のもとで、民主党は政策的にはかつての自民党とまったく区別のつかないものとなってしまった。選挙前にはマニフェストに書いていないことは実行しないと力説していた野田総理が、何故急進的な増税論者になってしまったのか私は知らんが、これは戦後の政治史のなかでも他に例を見ないほど、露骨で悪質な国民への裏切り行為であると思います。

 我々の新党は、消費税増税への反対と原発再稼働への反対を旗じるしに掲げています。これは世論に迎合した結果ではありません。それは本来ならば民主党が掲げるべき方針だった筈なのです。増税よりも歳費削減、大企業よりも国民生活を優先するというのが政権交代の理念であり、大義であった訳ですから。私どもはその原点にもう一度立ち戻ろうというのです。週刊誌などでは、私がむかし税制改革論者だったことをあげつらい、政策的に一貫していないと非難する向きもあるようです。しかし、私は私なりに一貫しているつもりです。実のところ私には、いま日本が消費税増税に動くべきなのか、原発は即時全面停止した方がよいのか、明確な信念の言葉で語ることが出来ないのです。正直に言って分からない。そんな定見なき男に政治家が務まるのかというご意見もあるでしょう。だが、実は私の政治的信念はそれとは別のところにある。それは増税や原発問題をめぐって国論がまっぷたつに分かれている以上、政治はその両方の受け皿を用意せねばならないという信念です。私自身、増税や原発再稼働を主張する人が許せない訳ではない、政策の選択に関してはさまざまな意見があるのは当然のことです。ただ、民・自・公が3党合意などといって国民から政策の選択権を取り上げてしまった、そのことが許せないのです。これは議会制民主主義の深刻な危機であると危惧しておるのです。

 これまで私は政界の「壊し屋」などと呼ばれて来ました。確かに新しく政党を立ち上げては解散するということを繰り返して来たのは事実です。しかし、それは私が政界をかき回すことが好きだったからでもなければ、自分自身の権力欲のためでもない、自民党の一党独裁体制を崩し、民意を反映出来る健全な多党制に移行したいという一念から行動して来た結果です。「小沢は政局の人ではあっても政策の人ではない」、――ことあるごとに私に向けられて来た批判の言葉です。小沢一郎が政策立案能力において劣っていることは本人が一番よく承知しておる。けれども私は決して政局をもてあそんで来た訳ではない。私にとって重要なのは、個々の政策論争よりも、正しく民意を反映した政策論争を戦わせることの出来る政治の基盤づくりだったのです。ところがこれに関しては、私自身の見通しも甘かった。民主党による政権交代は、そのまま健全な二大政党制にはつながらなかった。そのことはこの3年間の民主党の迷走ぶりで誰の目にも明らかになりました。本当なら私は、民主党と自民党による二大政党制の行方を見届けながら、無役のまま政界を引退するつもりでした。そしてもしも可能であるなら、これまで迷惑をかけどおしだった妻とも和解し、家庭人としてももう一度やり直したかった。が、政局ここに至っては、それも叶わぬ夢となってしまった。戦後六十有余年を経てやっと実現した二大政党制を、絵に描いた餅のままで終わらせる訳にはどうしてもいかない。

 国民の皆さんにお願いします、どうか新党を小沢一郎の党だと思わないでください。今回、増税法案に反対し、将来の保証もない新党に馳せ参じてくれたのは、ほんとうの憂国の士と呼べる議員の方々だ。いや、おそらく民主党のなかにも自民党のなかにも、政策的に我が党に近い考えをお持ちの方はたくさんいる筈です。この党を、そういう議員の方たちの受け皿にしたい。そのために小沢一郎という名が邪魔であるならば、私はいつでも第一線を退く準備がある。当面、最長老の私が党代表を勤めることになりますが、選挙後はまた一兵卒に戻る覚悟であることを皆さんにお伝えしておきます。昨年の東日本大震災とそれに続く原発事故は、我が国にたいへんな試練を与えました。しかし、これを経ることによって、これからの社会が向かう方向について、ほんとうに意味のある政治的な対立軸が見えて来たのも事実です。このチャンスをいま逃してしまったら、そして3党合意のまま実質的な官僚支配がこの先も続くなら、もう我が国に希望の持てる未来は無い。いま連日のように官邸の周囲を原発再稼働反対の人たちのデモが取り囲んでいます。誰が組織したものでもない、インターネットや口コミの呼び掛けで集まったふつうの人たちです。この季節にちなんで、あじさい革命なんて呼ばれているらしい。政治は彼らの声を置き去りにしてはなりません。私たちの党は、お金も無いし、後ろ楯となる組織も無い、次の選挙で何人が議員として残れるかさえ分からない弱小政党です。が、ここで政治家が動かなければ、市民発のあじさい革命も梅雨明けとともに自然消滅してしまうだろう。そうさせないためにも、どうかいまだけは皆さんの心のなかの「小沢一郎嫌い」をいっとき封印していただけまいか、これが本日皆さんにお伝えしたかった私の心からのメッセージなのであります。』(笑)

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2012年7月 1日 (日)

「造反五十七士」に期待する!

 野田政権が提出した消費増税関連法案に対する衆議院の採決で、党議拘束がかかっていたにも拘わらず、民主党議員の57人が反対票を投じました。もちろん小沢グループが中心ですが、その他の派閥の議員も含まれています。野党である自民党からは、造反議員を除籍しろという圧力がかけられています。57人が民主党から離脱すれば、衆議院で過半数割れをするからです。消費増税に政治生命を賭けると見栄を切った野田首相も、身内の造反議員を切る決断は出来ないらしい。自ら造反劇を演出した小沢氏は、明日(7月2日)には離党するかどうかの決断をすると言っているようですが、これもどちらに転ぶか分からない状況です。

 たとえいま野党から内閣不信任案が出され、衆院解散ということになっても、有権者の多くは投票したい政党を決められない状況でしょう。もしも小沢氏が新党を結成したら支持するかというアンケートに対して、支持すると答えた人はわずか15%だったそうです。これは私には少し意外でした。増税問題に関しては、民主党のなかで「筋目を通した」のはこの57人なのだから、もう少し世論の支持を集めてもいいと思ったからです。それだけ小沢一郎という人は、国民から嫌われているということなのでしょう。

 それにしても、大手マスコミがこぞってアンチ小沢キャンペーンを張っていることには、そら恐ろしさを感じずにはいられません。最近も小沢氏の離婚問題が週刊誌に大きく取り上げられ、妻の自筆の手紙なるものが公開されました。ところが、有田芳生さんのブログ記事によれば、掲載された手紙の筆跡には疑問があるというのです。そんな小細工をしてまで小沢氏を追い落とそうとするマスコミには、どんな深い闇が隠されているのだろう? そこに不気味さを感じる方が健全な市民感覚なのではないかという気がします。

 今回の造反劇では、ふたつの点を分けて考えるべきだと思います。ひとつは消費増税そのものに対する評価で、もうひとつは政治家としての誠実さの問題です。増税に関してはすでに政局絡みで採決されてしまったので仕方ありませんが、民主党のなかで今回増税に賛成票を投じた議員は、誠実さという点で(わたし的には)政治家失格なのです。そう心に決めました。もちろん造反議員のなかには、次の選挙を睨んで、死中に活を求めるという打算で反対に回った人もいる筈です。しかし、その動機がどうあれ、筋目を通したかどうかが重要だと考えます。そういう意味では、今回の法案採決は、有権者にとても有益な情報を与えてくれたとも言えます。

 政策で選ぶにせよ、人柄で選ぶにせよ、次の選挙では政党ではなく個々の候補者を見て私たちは投票しなければならなくなるでしょう。小沢新党が立ち上がるにせよ、あるいは腰砕けのまま民主党に留まるにせよ、今回のことは私たちの選挙に関する意識を高めるチャンスになるものです。いまは多くの議員が自身のホームページやブログやツイッターアカウントを持っていますから、有権者にとっては政治家個人の考え方や人となりを知る手段も増えています。とりあえず自分自身の参考のために、今回の造反議員57人プラス棄権・欠席した16人の名前と参照先を一覧表にまとめておきます。(1年半後には、ここに挙げたURLのうちどのくらいが残っているかと考えると、少し憂鬱になりますが…)

■ 消費税増税法案に反対・棄権・欠席した民主党議員

氏名     選挙区   投票 ホームページ     Twitter 
鳩山由紀夫 北海道9 ⑧ 反対 鳩山由紀夫 hatoyamayukio
横山北斗 青森1 ② 反対 横山北斗オフィシャルサイト  
階猛 岩手1 ② 反対 しな たけし shinatakeshi 
畑浩治 岩手2 ① 反対 畑こうじ  
小沢一郎 岩手4 ⑭ 反対 Ozawa Ichiro Website  
石山敬貴 宮城4 ① 反対 石山敬貴 KeikiIshiyama 
京野公子 秋田3 ① 反対 京野きみこ kyonokimiko 
石原洋三郎 福島1 ① 反対 石原洋三郎  
太田和美 福島2 ② 反対 太田かずみ  
中野渡詔子 比例東北 ① 反対 中野渡のりこ  
高松和夫 比例東北 ① 反対 Takamatsu Style  
菊池長右エ門 比例東北 ① 反対    
福島伸享 茨城1 ① 反対 福島のぶゆき  
小泉俊明 茨城3 ③ 反対 小泉としあき koizumitoshiaki 
山岡賢次 栃木4 ⑤ 反対 山岡けんじ  
小宮山泰子 埼玉7 ③ 反対 小宮山泰子ホームページ  
松崎哲久 埼玉10 ② 反対 松崎哲久 mztminshu 
三宅雪子 比例北関東 ① 反対 Yukiko Miyake Website miyake_yukiko35 
石井章 比例北関東 ① 反対 石井章公式オフィシャルブログ  
黒田雄 千葉2 ① 反対 黒田ゆう  
岡島一正 千葉3 ② 反対 岡島一正オフィシャルブログ  
岡本英子 神奈川3 ① 反対 岡本英子 okamoto_eiko 
橘秀徳 神奈川13 ① 反対 たちばな秀徳公式サイト touch_tachibana
樋高剛 神奈川18 ③ 反対 ひだか剛  
金子健一 比例南関東 ① 反対 金子健一 chiba11kaneko
水野智彦 比例南関東 ① 反対 水野智彦オフィシャルサイト  
相原史乃 比例南関東 ① 反対 相原史乃  
青木愛 東京12 ② 反対 青木愛  
木村剛司 東京14 ① 反対 木村たけつかWEBSITE  
東祥三 東京15 ⑤ 反対 東祥三  
初鹿明博 東京16 ① 反対 初鹿明博 AkiHatsushika 
小林興起 比例東京 ⑤ 反対 小林興起  
川島智太郎 比例東京 ① 反対 TOMOTARO.ORG  
中津川博郷 比例東京 ③ 反対 中津川ひろさと  
加藤学 長野5 ① 反対 加藤学 kato_gaku 
牧義夫 愛知4 ④ 反対 牧義夫  
鈴木克昌 愛知14 ③ 反対 鈴木克昌オフィシャルサイト  
橋本勉 比例東海① 反対 橋本べん公式ホームページ  
笠原多見子 比例東海① 反対

笠原多見子

 
大山昌宏 比例東海① 反対 大山昌宏Official Web Site  
平智之 京都1 ① 反対 平智之 tairatomoyuki 
熊田篤嗣 大阪1 ① 反対 熊田あつし kumaatsu 
萩原仁 大阪2 ① 反対 はぎはら仁  
村上史好 大阪6 ① 反対 村上史好  
大谷啓 大阪15 ① 反対 大谷啓  
辻恵 大阪17 ② 反対 つじ恵  
中川治 大阪18 ② 反対 中川おさむ  
熊谷貞俊 比例近畿 ① 反対 熊谷貞俊  
菅川洋 比例中国 ① 反対 すけがわ洋  
古賀敬章 福岡4 ② 反対 古賀たかあき kogaissei
福田衣里子 長崎2 ① 反対 福田えりこ  
山田正彦 長崎3 ⑤ 反対 山田正彦  
松野頼久 熊本1 ④ 反対 松野頼久  
福嶋健一郎 熊本2 ① 反対 ふっけん通信 fukken01
川内博史 鹿児島1 ⑤ 反対 川内博史 kawauchihiroshi
玉城デニー 沖縄3 ① 反対 Denny Dot Com tamakidenny
瑞慶覧長敏 沖縄4 ① 反対 瑞慶覧チョービン  
柳田和己 比例北関東 ① 棄権 やなぎた和己  
山岡達丸 比例北海道 ① 棄権    
黄川田徹 岩手3 ④ 棄権 黄川田徹  
橋本清仁 宮城3 ② 棄権 橋本きよひと hkiyohito
宮崎岳志 群馬1 ① 棄権 宮崎タケシ公式website  
石関貴史 群馬2 ② 棄権 石関貴史  
石森久嗣 栃木1 ① 棄権 石森ひさつぐのホームページ Dr_Ishimori
福田昭夫 栃木2 ② 棄権 福田あきお  
小沢鋭仁 山梨1 ⑥ 棄権 小沢さきひと公式ホームメージ OzawaSakihito 
村井宗明 富山1 ③ 棄権 村井宗明 Muraimuneaki 
篠原孝 長野1 ③ 棄権 しのはら孝  
梶原康弘 兵庫5 ② 棄権 梶原やすひろ  
玉置公良 比例近畿 ① 棄権 たまき公良  
空本誠喜 広島4 ① 棄権 空本せいき  
原口一博 佐賀1 ⑤ 棄権 原口一博公式ウェブサイト kharaguchi 
羽田孜 長野3 ⑭ 欠席 TSUTOMU HATA  

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