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2012年5月20日 (日)

経済学に関する素朴な疑問

 消費税の増税をめぐって国論が二分されています。不思議なのは、この問題に関しては、エコノミストと呼ばれる専門家のあいだでも意見がまっぷたつに割れていて、しかも互いに相手を論破したり説得したり出来ない状態がずっと続いているということです。増税賛成派が、このまま国の借金が増え続けると、日本もギリシャのように財政破綻すると脅かすと、反対派は増税すればますます景気が悪化して、却って財政破綻を早めると応酬する。憲法改正問題だとか死刑廃止問題だとかいうものとは違って、私たちの道徳観や政治的信条に抵触するような問題ではないと思います。消費税を5%から10%に上げることによって、景気や財政にどのような影響が出るか、それだけの単純な問題です。増税賛成派も反対派も、景気を回復して財政を健全化することが望ましいという点では意見が一致しているのです。景気回復と財政再建のためには、消費税は上げた方がいいのか、据え置いた方がいいのか、あるいは下げた方がいいのか。それは理論的・実証的に正解の出せる問題である筈です。数学を駆使した現代の精緻な経済学が、こんな単純な問題にも統一見解を出せないことには、一体どういう理由があるのだろうか?

 以前から疑問に思っていたことがあります。経済学の専門的な論文を覗いてみると、まるで数学の論文かと見まごうほど数式で埋め尽くされていることがよくあります。私のような〈文科系の〉初学者を近寄せまいとバリヤーを張られているかのようです。もちろん専門的な学問分野に素人が近づき難いのは当然のことだし、自然言語だけでは究明出来ないような学術的課題があることも理解出来ます。分からないのは、そこで操作されている数式に実際の数値が代入されて、その数式の妥当性が検証される機会がほとんどないように見えることです。これが物理学の公式、例えば有名なE=mc2という公式なら、実際の数字によってエネルギーと質量が等価関係にあることを示すことが出来ます(Wikipediaによれば、質量1kgは電力24,965,421,632kWhと等価なのだそうです)。ところが、経済学の教科書に出て来るような公式、例えばPT=MVだとかC=C0+cYといった式に実際の統計数値を代入して、これが普遍的に成り立つことが証明出来るのだろうか。非常に小さな経済モデル(もしも地球の人口が百人だったらというような)のなかでなら、その妥当性が証明出来るような公式もあるのかも知れません。しかし、現実のマクロ経済を対象にして、その数式を文字通り当てはめて「解」を求めるなんてことは、常識的に考えても出来そうにありません。

 このような素人の疑問に対しては、どういう反論が返って来るかも分かっています。物理学で扱っている自然的事象と比較して、経済学が対象としているのは非常に複雑な要素の絡み合った社会的事象なので、単純な数式をそのまま当てはめても、等式は成り立たないというものです。最近のコトバでは〈複雑系〉なんていうのでしたね。複雑系と呼ばれる対象のなかでは、個々の公式が成り立たない例外的な事象が常に発生している訳ではなく、そこに干渉する別の要素が多過ぎるために単純な公式は当てはまらないように見えるのです。経済を数理モデルによって解けると考えている人は、そのモデルを精緻に複雑にして行けば、正解に近付けるだろうと考えている訳です。適切なプログラムを準備して、スーパーコンピュータで計算させれば、消費税増税の影響ももっと正確に予想出来るようになるかも知れない。これは事実かも知れません。少なくとも、増税賛成派と反対派がいつまでも水掛け論を繰り返しているような状況にあって、どこかの大学の研究チームがスパコンでシミュレーションさせた結果を発表すれば、それはかなり世間の注目を浴びるだろうし、重要な研究として評価されるだろうと思います。日本はいま世界最速のスーパーコンピュータを持っているのですから、何故そういう用途でこれを活用しようとする研究者が現れないのか不思議です。これは現在の日本にとって、緊急かつ最重要の課題と言ってもいいようなものだからです。

 複雑系を扱う学問の代表である経済学が、このような方向で進化して行くことには期待が持てるような気がします。少なくとも、党派性や個人的利害を抱えた個々の経済学者やエコノミストが、勝手な意見を(そのひとつひとつにはとても説得力がある訳ですが)言い合っている現状よりはずっといい。もちろんスパコンを使えば、それで自動的に正解が導き出せると考えるほど単純な話ではないので、次に問題になるのは、複雑系の事象をどのようにモデル化するかということでしょう。様々な研究チームが、工夫を凝らした数理モデルを持ち寄ることになるかも知れない。これは一般の自然科学と同様に、仮説・検証のサイクルに乗せることが出来るものなので、無益な神学論争に陥る心配からは解放されると思います。むしろそこで提出される複雑系のモデルを修正し、精緻化して行くことこそが、経済学の発展と呼べるものかも知れない。――しかし、ここで人文系出身の私は、もうひとつの疑問を持ってしまうのです。それでは未来を正確に予想し、最適な経済政策を提言出来ることが、経済学の目指すべき理想の姿かと言えば、それだけでは不足なような気がするということです。本来あるべき経済学とは、未来を予想するだけではなく、未来を切り拓く役割を担っているものではないだろうか。

 よく経済学者やエコノミストと呼ばれる人の文章を読んでいると、今回の経済的事件(例えばリーマンショックやユーロ危機など)を、自分は何年も前から予測していたと書いているのに出会うことがあります。それがつまりその人の理論の正しさを証明していると言いたい訳です。でも、私はこれはおかしいと思う。 例えは競馬ではどんな大穴が出ても、予想を当てた人は必ず出て来るものです。それはその人の予想理論が正しかったのではなく、たまたま今回は運が良かっただけです。経済的事象に関しても同じだと思います。経済学の目指すところは、ある政策が経済に与える影響を予想したり評価したりすることではありません。これからの時代に経済はどうあるべきかを仮説で示し、それに向けて人々を説得し啓蒙して行くことこそが経済学という学問の本来の使命なのではないか。歴史上の偉大な経済学者、例えばアダム・スミス、マルクス、ケインズといった人たちは、優れた予想家だった訳ではなく、まさに未来の経済のあるべき方向を示した先覚者だった訳です(但し彼らによって社会がほんとうに良い方向に変わったか、そのことは疑問ですが…)。いまもまだ経済を論じる人のなかには、経済成長を目標に設定している人が多く見受けられます。しかし、資源問題や環境問題が地球規模で深刻になっている時代に、経済成長を至上命題とする考え方がこれからの経済思想においても主流であり続ける訳がない。現在ほど経済に大転換が迫られている時代はなく、そのための新しい経済理論が求められている時代はないと思います。そのビジョンが無いところで、増税に賛成・反対といった議論をしているのは空しいことです。

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