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2012年5月27日 (日)

「連邦型道州制」はあり得ない選択肢

 消費税の増税論議ほど差し迫ったものではありませんが、道州制による地方分権の推進ということも常に話題にのぼる政策テーマです。自民党政権時代には、将来の道州制導入をにらんで道州制担当大臣を置き、道州制ビジョン懇談会というものを設置していたそうですし、民主党のマニフェストには「道州制」の文字こそ見えませんが、地方への税源移譲、権限移譲ということははっきり謳われています。次の選挙で躍進しそうな大阪維新の会の「船中八策」にも、公約のひとつとして道州制が掲げられています。また先月には岡山県知事の呼び掛けで、「道州制推進知事・指定都市市長連合」というものが発足し、橋下大阪市長もそこに名を連ねているそうです。国政に対する国民の信頼が大きく揺らいでいる現在、地方分権に向けた動きには世論も期待を寄せているのではないでしょうか。このブログでは、これまで道州制や地方分権というものについて、ほとんど考察をして来ませんでした。正直に言って、あまり興味を掻き立てられるものが無かったのです。むしろ一種の胡散臭さを感じていたと言った方がいいかも知れない。今回は、私が何故道州制というアイデアに心惹かれないか、そのことについて少し書いてみたいと思います。

 道州制とひと口に言っても、論者によって考えていることにはずいぶん差があるようです。現在の47都道府県を10程度の州に統合して、地方行政の無駄を省こうという〈小さな政府〉指向の提案から、新設した州に立法権や徴税権まで与えて、日本をひとつの〈連邦国家〉にしてしまおうという大きな構想まで、同じ道州制というコトバで括ってしまうと誤解を招くようないろいろな考え方があります。ここでは国の権限を大きく州に移譲する、連邦制に近いかたちでの道州制というものに議論の焦点を絞りたいと思います。国全体を覆う現在の閉塞状況を打ち破るためには、そのくらい大きな構想が求められていると思うからです。私が読んだなかで、道州制の意義を最も雄弁に、しかも希望に満ちた言葉で語っているのは大前研一さんではないかと感じました。だからここからは大前氏による道州制構想を対象に考察して行くことにします。大前さんの文章には、いつも単なる政治批判、社会批判だけではない具体的な政策提案や独創的なアイデアが溢れていて、読みながら啓発されることが多いのですが、道州制についても明快に説明してくれています。少し長いですが、インターネットで見付けた文章から引用させていただきます。

 「日本は、もはや中央集権国家としては終わってしまった国だ。これからは地域ごとに統治機関を持ち繁栄を競争するようにならないと新たな活力は出てこない。そして北海道や九州など、地域ごとに違うリズム、違う方針を打ち出していく必要がある。

 北海道はおそらく極東ロシア開発の前線基地となるだろう。先進国の企業がそこに集結してくる。第二外国語はロシア語、ということも考えられる。逆に九州では東アジアの繁栄の真っただ中で黄海経済圏のハブの一つとなるだろう。第二外国語は中国語、そして多くの人が小学校から韓国語を学ぶことも考えられる。全国一律に英語を、という状況でなくていいのだ。

 航空ネットワークも、金融市場も、東京中心ではなくそれぞれの道州が決めていく問題となる。かなりの立法権および徴税権を道州に渡し、繁栄の方程式を自立的に作っていくことができるようにしなくてはいけない。世界中から資本、企業、技術、人材、情報を呼び込む競争が始まる。そして繁栄に取り残されたところは、逆に癒やしを求めるバケーション客とか高齢者のリタイアメントタウンなどで生計を立てることになる。米国で言えばモンタナ州とかバーモント州、ということになる。

 道州ごとに経済を膨らませるプランを立て、それをベースに繁栄を競うことになる。納税者の税金で景気を刺激するのではなく、世界に有り余る資金を吸引して繁栄する。それがわたしの提唱する「地域国家論」に基づく道州制というものだ。」 (『道州制に移行しなくてはいけない真の理由』

 リーマンショックやユーロ危機といった問題が現れる前に書かれた文章なので、ここに見られる未来指向の楽天主義はいまの時代の空気にはそぐわないものになっているかも知れません。それでも私はこれを単なる夢物語で片付けることは出来ないと感じます。規制緩和をして世界の成長を取り込めとは、構造改革派の人たちがいつも口にする主張ですが、それがこういう具体的なイメージで語られると、私のような(アンチ構造改革派の)人間にも魅力的に映るのです。おそらく大前さんは、日本がこれから見習うべき経済モデルとして、シンガポールや上海のような経済成長著しいアジアの都市を念頭に置いているのだろうと思います。キーワードは、金融や貿易の自由化、物流ハブ機能、安い法人税と高い人材流動性、といったものです。問題は、日本を10個の州に分割して、規制緩和を思い切って進めれば、それぞれの州がシンガポールや上海のようになれるのかという点です。たぶんそれが難しいのは、すでに日本は国内全体が一定の経済水準を達成してしまっていて、これから成長する余地は他のアジア地区と比べて小さいと思われるからです。現在のシンガポールや上海の経済的繁栄には、冷静に見ればやはり光と影の部分があるので、その成功は周辺地域から安い労働力や商品の供給を受けていることで成り立っています。中国の大都市では、現在の日本どころではない極端な経済格差があって、地方出身の多くの労働者はそれこそ奴隷のような状態に置かれている。シンガポールは、国としては成功したモデルと言えるでしょうが、それは労働者の流入を峻別することで一種の人工的なエリート国家を作り上げたという特殊事例だと思います。少なくとも1億2千万人の国民を抱える日本のお手本とはなり得ません。(東京だけに富を集中させ、他の地方からの〈移民〉を制限するという構想なら理論的には可能かも知れませんが…)

 現在の日本で経済政策に関する意見が大きく対立しているのは、基本的には「トリクルダウン派」と「ボトムアップ派」の対立であると見ることが出来ます。つまり経済成長を最優先にして、そこで得た富を貧しい人たちに配分するという考え方と、社会保障を優先して金持ちにはそれを支える税を負担してもらうという考え方です。しかし、このふたつはどちらか一方を選択しなければならないといったものではない筈です。その時々の社会情勢や経済情勢のなかで、両者のバランスをとりながら政策運営をして行くというのが、経済的に成熟した国の政府に課せられた課題だと考える方が現実的です。ともすれば対立する陣営の論客たちは、白黒を争って極端な議論に走りやすい。道州制論議などはその典型であるように思えます。大前さんのように率直に語ってくれると、その矛盾がとてもはっきり見えて来るのです。「繁栄に取り残されたところは」観光産業や退職者の誘致で食って行くというのが大前さんの構想ですが、徴税や財政の仕組みが別々である以上、貧しい州には観光地やリタイアメントタウンとしてのインフラを整備することさえ難しいということになり兼ねない。州ごとに「繁栄を競う」と言えば聞こえはいいけれど、実際には経済格差は広がる一方でしょう。トリクルダウン理論というのは、構造改革派・規制緩和派にとっての錦の御旗ですが、そもそも州ごとに財政の財布が別になってしまっては、トリクルダウンもへったくれもない訳です。例えばある州は税率は高いが社会保障も厚い、ある州は逆に税金は安いが必要最低限の社会保障しか無かったとする。私だったら現役時代は後者の州で働いて、退職後は前者の州に移住しますね。たぶんみんながそういう選択をするから、前者の州では財政が成り立たなくなる。するとすべての州が社会保障の切り捨てに走ることになります。究極の〈自己責任国家〉の完成です。徴税や社会保障にまで自治権を与えるという地方分権論者は、こういった基本的な問題についてどこまで考えているのでしょうか?

 私は国内の経済を成長する分野と社会保障が必要な分野に分け、その両方に別々の経済政策を当てることには賛成だし、必要なことだとさえ思っています。現在のままのやり方では、日本は増大する社会保障費で国全体が沈没してしまう。このための対策として、すでに私は「生活保護制度の見直し」や「政府通貨によるベーシックインカム」といった政策提案を別のところで書いています。いずれも実施するならオールジャパンで実施すべき政策です。地方分権というのは、その地方独自の産業を振興したり、住民サービスの質を向上させるといった目的のためなら進めるべきだし、そのための規制緩和は国が行なうべきでしょう。が、徴税権や立法権まで地方自治体に与えるという大きな政策転換は、もともと不可能なことであるばかりでなく、無理に実行すればこの国の社会システムを根底から破壊してしまう可能性が高い。現在の日本は、少子高齢化が進むなかで、年金制度を含む社会保障制度をオールジャパンでどう再構築するとかいう課題が待ったなしなのです。そんな状況のなかで、「連邦型道州制」などという机上の理想論を持ち出して政策論議を混乱させることは許されないというのが私の考えです。

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