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2012年5月 6日 (日)

自動車事故にメーカー賠償を

 悲惨な自動車事故のニュースが相次いでいます。私たちの周りにある工業製品のなかで、自動車ほど人間を不幸にするものが他にあるでしょうか。何故これほど大量の死傷者をコンスタントに生み出す危険な機械が、世の中に野放しにされているのか? 私が子供の頃(昭和30年代から40年代ごろ)には、自動車は「走る凶器」と呼ばれていましたし、「交通戦争」という言葉もよく耳にしました。それがその後のモータリゼーションの進展とともに、自動車の持つ負の側面は巧妙に隠され、私たちはまったく何の疑念も抱くことなくこの殺人機械と共存する道を選んでしまった。いや、こういうレトリックはよくありませんね。現代に生きる私たちは、たとえ自家用車には乗らなくても、自動車が無くては成り立たない生活を送っている訳です。つまり誰もが加害者になってしまったので、個々の事故に対しては責任追及をしますが、クルマ社会というものそのものの功罪を問うことは出来なくなっている。しかし、立ち止まってよく考えてみれば、この便利で豊かな社会は、年間7千人もの犠牲者の上に成り立っているとも言えるのです。交通事故の全死傷者数は、年間100万人を超えているそうです。ほとんど死傷者を出したことのない原子力発電所に対しては、これほど大騒ぎをするマスコミが、毎年多くの死傷者を出しているクルマ社会に対しては告発の声を上げることをしない。これは自動車メーカーが広告スポンサーだからというだけでは説明がつかないことです。

 多くの死傷者が出る交通事故が起こると、マスコミはまるで犯罪者のような扱いで運転者のことを実名報道します。いや、確かに現在の法体系の下では、交通事故を起こすことは犯罪に分類されるのかも知れませんが、私はこれに少し違和感があります。飲酒運転や故意の危険運転という事実があるならともかく、バスの運転手が居眠り運転で事故を起こしたといった場合に、私たちは彼を一般の殺人犯と同列に扱うべきなのだろうか。だって居眠りなんていうのは、誰にも経験のある人間の自然な生理現象ではないですか。もちろんプロの運転者として、居眠り運転などあるまじきものです。が、結果の重大さと原因の軽微さのあいだには、あまりに大きな隔たりがあり過ぎる。事故の原因だってそう単純なものではありません。最近は格安バスツアーの流行で、運転者の労務環境がひどいことになっていると言います。そこでツアー会社やバス会社の労務管理に問題は無かったかという観点で当局の調査が入る。しかし、今回の高速バス事故に関しては、高速道路のガードレールと防音壁の取り付け方が被害を拡大した要因だとも言います。であるなら、それを放置した当局の責任だって問われなければならない。そしてもっと根本的な問題として、運転者が居眠りをしたくらいのことで、多くの死傷者を出すような危険な機械を販売している自動車メーカーの責任はどうなっているのかと私は問いたい。

 だいぶ以前に三菱自動車のトラックが起こした脱輪事故で歩行者が亡くなった時には、メーカー責任が厳しく問われたことがありました。最近ではトヨタのレクサスがアクセルを踏んでいないのに勝手に加速する欠陥があると言って、アメリカで訴訟が起こされたことがありましたね(これは事実無根だったようですが)。つまり明らかに欠陥があると認められる場合にはメーカーにも賠償責任が発生しますが、そうでなければ使用者(運転者)だけが一義的な責任を負わされる仕組みになっている訳です。しかし、年間7千人の死者と100万人の負傷者を生み出している機械が、欠陥製品ではないという理屈は通らないと思う。今回私が考えたのは、自動車事故が発生した場合には、事故を起こしたクルマのメーカーに賠償責任の半分を負わせたらどうかということです。自動車事故による損害額は、対人・対物を合わせて年間で3兆2、3千億円にも上るのだそうです。呆れるような話です。日本国内の新車販売額は10兆円ほどですから、自動車メーカーは売上高の3分の1の損害を国内経済に与えている訳です。(もちろんそれを上回る経済効果を生み出しているという見方もあるでしょう。) それだけ危険な製品を世に送り出している代償として、事故の際の賠償責任をメーカーに負わせることは理にかなっているのではないでしょうか。実際にはその分の保険料が車体価格に上乗せされるだけなので、決して非現実的な話ではありません。メーカーはおそらく保険料を下げるために、安全なクルマの開発に本気で取り組むようになると思います。安全装置を搭載したクルマの事故率が低くなることが統計的に証明されれば、保険料も安くなる筈だからです。

 自動車事故を防ぐための技術も進歩していて、最近は危険を察知すると自動でブレーキが作動するようなクルマも販売されているようです。そういう技術が開発されているなら、何故すべての自動車に装着を義務付けないのかと私などは思ってしまうのですが、もちろんそこには経済的な理由がある訳です。すべての自動車の価格が、そのために数十万円高くなるとしたら、基幹産業たる自動車産業は深刻なダメージを受けることになるでしょう。メーカーが、安全装置の標準装備に積極的にならない理由にはもうひとつあります。もしも安全装置の誤動作などで事故が発生したら、その時にはメーカーが責任を問われることになるからです。人間の誤動作(居眠り運転やブレーキとアクセルの踏み間違えなど)はメーカーの責任範囲外なので、そこで事故が起こってもメーカーは痛くも痒くもない。しかし下手に安全装置など搭載してしまうと、訴訟を起こされる可能性が高くなるのです。この問題を解くのは簡単です。人間の誤動作と安全装置の誤動作とを比べて、どちらがより発生確率が高いかを見ればいいのです。当然人間の方が誤動作が多いだろうと私は思います(そうでなければ、まだ安全装置としての完成度が低過ぎる訳です)。もちろん安全装置を積んでいるからと言って、運転者の責任が免除される訳ではありません。安全装置を積んだクルマであろうとなかろうと、事故の際の賠償責任は、運転者とメーカーが折半で負うようにすればいい。交通事故を無くすための努力は、メーカーと運転者が共同で推し進めるべきものだからです。

 警察庁は交通事故に関する様々な統計データを発表していますが、自動車メーカー別、車種別の事故の発生件数や発生率などというものは発表していません。まずはそれを発表するところから始めるのはどうでしょう。とにかく交通戦争が常態化してしまった現代において、自動車メーカーだけが優遇され過ぎています。私は別に自動車メーカーに恨みがある訳ではありませんが、悲惨な事故のニュースに接するたびに製造者責任はどうなっているのだろうと考えずにはいられないのです。日本国内でメーカーに賠償責任を負わせる法律を作ったとしても、それで国内メーカーが不利になる心配はありません。国内で販売される輸入車にも同じ法律が適応されるので、競争上の有利不利はないのです。安全装置を義務付ける訳ではないので、安いクルマを買いたいという消費者からの反撥も無い筈です(むしろ事故を起こしても、賠償額の半分はメーカーが負担してくれるので歓迎されるでしょう)。メーカーは、国内販売するクルマにだけ安全装置を標準装備して、海外に輸出するクルマではそれをオプションにするといった販売戦略を採るかも知れない。まったく構いません。この法律によって日本国内の交通事故死傷者が劇的に減少すれば、先進国を中心にこれに追従する国が多く現れるだろうと思います。その時に安全装置の技術開発で先駆けている日本の自動車メーカーは、再び世界の市場を席捲することになるだろうというのが私の長期的な展望です。

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コメント

私の建設業界の建築士・建築施工管理技士の合格率はさておき、日本の年間の交通事故負傷者数を91万人、日本の人口を12.5,75億人として計算してみると0.9928..という数値。年間1%近い方々が何らかの事故に遭う確率。

投稿: 智太郎 | 2012年7月27日 (金) 10時56分

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