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2012年2月19日 (日)

「減価貨幣ベーシックインカム」の新構想(1)

 ユーロ危機が収まりません。危機の崖っぷちに立たされているギリシャでは、強いられた財政緊縮策に反対する国民のデモが過激さを増しています。つい数年ほど前までは、ユーロは没落しつつある米ドルに代わって、世界の基軸通貨の地位を狙う勢いを持っていた筈です。それがいまやユーロそのものの存続さえ危ぶまれる瀬戸際に追い込まれている。ユーロ加盟国の経済力や生産力が衰えた訳ではありません、グローバル化した金融資本に踊らされて、膨らむだけ膨らんだバブルがはじけて自壊したと言った方が正確です。金融というバーチャルな世界で起こった通貨危機は、しかしユーロ諸国のリアルな国民生活を直撃しています。

 これも何年か前までのことですが、産業界で企業のM&A(合併と吸収)がブームになったことがありました。メガコンペティションなんてコトバが現れ、業界1位と2位の企業しか生き残れないなどと言われたものです。際限なく規模の拡大を目指すこと、それは経済成長の時代が終わり、経済が成熟期に移行するなかでの生き残りゲームといった意味合いのものでした。いまになって振り返れば、そういうことだったのだと思います。経済全体のパイが拡大しているあいだは、ライバル企業同士は互いにシェアを奪い合うことなく成長出来ます。が、経済が飽和してしまえば、そうは行かなくなる。メガコンペティションというのは、いわば経済成長の時代の閉幕を告げる最後の打ち上げ花火のようなものだったのかも知れない。おそらくユーロというのも、同じ文脈で読み解けるものなのではないでしょうか。私はそれを一種の〈強者連合〉だと思っていたのですが、実は行き詰まった先進諸国の〈もたれ合い〉に過ぎなかったのかも知れないということです。であるならば、ここに来てそれが破綻の危機に直面していたとしても、何も不思議なことではありません。

 私はこれからの世界は、グローバリズムをこれ以上進展させるよりも、国または地方の経済を充実させる、ローカリズムの方向に向かうべきだと考えています。いわゆる地産地消を基本にして、身の丈に合った、地に足の着いた経済基盤を築くという方向です。通貨に関しても同じです。いまやドルやユーロと同じように、日本円も破綻の危機に直面しています。そう言っても、決して大袈裟なコトバと受け取られることはないでしょう。1千兆円を超す国と地方の借金のことを考えれば、いまだに円高が続いていることの方が不思議なくらいです。私は以前から、日本円とは別の第二通貨が必要だと主張して来ました。それは地域通貨というかたちでも、国が発行する〈国内限定通貨〉というかたちでもいい。要するに、日本円の信用が失われて、この国が超インフレに襲われる前に、国民生活をもっと根底で支えるお金を準備する必要があるということです。財政破綻は戦争ではないのだから、工場が破壊される訳でもないし、農地が荒廃する訳でもありません。人々が公正に価値を交換出来る手段を持ってさえいれば、財政破綻のショックは最小限に抑えられる、そこからの立ち直りも早いでしょう。将来、再び金融グローバリズムに国民生活をかき回されるリスクも減るだろうと思います。

 こうしたことは、グローバリズムに疑問を持つ人の多くが考えていることではないかと思います。ヨーロッパは地域通貨の発祥の地でもあるのに、何故ユーロ危機のなかで新しい通貨を流通させようという地域の動きが伝わって来ないのだろう? そのことをずっと不思議に思っていました。が、これは私の勉強不足に過ぎませんでした。先日の朝日新聞の朝刊に、フランスのトゥールーズという市を中心にソル・ヴィオレットという地域通貨が広まりつつあるという記事が載っていたのを見付けたのです。それだけではありません、他にもユーロと並行して使える地域通貨が各地に現れて来ているらしい。そう、それでなくてはおかしい。さっそくインターネットで「ソル・ヴィオレット」を調べてみました。しかし、ちょっとがっかりです。こちらの記事によれば、ソル・ヴィオレットを扱っている企業は約50社、個人会員は500人を越した程度なのだそうです。なんだ、それじゃ日本の各地で試行されている地域通貨と規模的に変わらないではありませんか。朝日新聞が報じるくらいだから期待していたのに、小さなローカルニュースに過ぎませんでした。私が知る限り、地域通貨が国家経済を動かすほどの規模にまで達したのは、2002年の通貨危機の時代にアルゼンチンで数百万人の利用者を獲得したRGTという通貨のみです。しかし、RGTは急速な規模の拡大とともに自壊の道を歩んでしまったのでした。

 前書きが長くなりました。これから私が書こうとしていることは、世界各地で試みられていながら、なかなか大きなムーブメントにまで発展しない地域通貨というものを、もっと画期的に広める方法は無いだろうかというテーマに関する試論です。このブログの過去の記事を読んでいただいている方なら、地域通貨に関してはすでに何度も記事にしているのをご存じだと思います。何故今回もう一度このテーマに取り組もうとしているのかと言えば、その理由はふたつあります。ひとつは以前発表したアイデアに対していくつか改良点が見付かったこと、そしてもうひとつは、世界的な通貨危機が進むなかで、経済のグローバリズムから地域経済を救い出すことは焦眉の急であるという気持ちが私をせかすからです。以前の記事はいわばアイデアスケッチのようなものでしたが、今回はもう少し具体的な提案としてまとめてみたいと思っています。先に少しタネ明かしをしてしまうと、タイトルにあるように、①地域通貨に減価する性質を持たせて、②それをベーシックインカムというかたちで社会に流通させようというのが基本的なプランです。何故「ベーシックインカム」なのかという点については、のちほど説明します。またベーシックインカムと言っても、私が考えているのは世間一般で考えられているそれとは少し異なる性質のものであるということも、おいおい説明して行きます。

【1】 「独立通貨」としての地域通貨

 インターネットの記事によれば、ソル・ヴィオレットはユーロと交換可能な通貨であるようです。交換比率は95:100。つまり95ユーロで100ソルが〈買える〉ということです。そしてこの100ソルを持って行けば、加盟店で100ユーロ分の買い物が出来るのです。消費者にはメリットがありますね。5%の値引きと同じことですから。問題はその5%を誰が負担しているかということです。記事では、この通貨を扱っている書店の、「5%の損失を後悔してはいない」というコトバが紹介されています。つまり損失は小売店が引き受けているのです。受け取った地域通貨では商品の仕入れが出来ないので、それを再びユーロに〈換金〉して(もちろん5%の手数料を払って)、それで次の仕入れや従業員への給料の支払いをする訳です。だからと言って、地域通貨を扱う小売店にメリットが無い訳ではありません。5%の値引きと引き換えに、他店との差別化が出来るからです。フランスにも書籍の再販制度というものがあるのかどうか知りませんが、単に店頭で5%の値引きをするより、「ソル・ヴィオレット取扱店」と看板に謳った方がイメージもいいでしょう。ただ、素朴な疑問として、消費者と小売業者のあいだで1回だけ流通して、すぐにその国の正式な通貨(法定通貨)に交換されてしまうようなお金が、果たして「通貨」と呼ぶにふさわしいものでしょうか? そんなものは「金券」とか「商品券」とでも呼ぶ方が合っているのではないでしょうか?

 ソル・ヴィオレットのような地域通貨は、どこでも採用されている標準的な方式のものですが、それが通貨として循環して行かないのには、ふたつの根本的な理由があると思っています。通貨の発行母体が地域のNPO団体や商店街のような小さな組織で、通貨の信用という点で利用者に不安を与えるということ、そしてもっと本質的な問題として、発行される通貨がその国の法定通貨と交換可能なものとして設計されているということです。一般的に地域通貨というものは、消費者に明らかなメリットがあるように作られています。さきほどの5%のプレミアムのようなものです。それが無ければ、誰も地域通貨なんて使いませんからね。これを受け取った小売店の立場に立ってみれば、もしもその通貨で仕入れが出来るならそうしたいところでしょう。さきほどの書店の例で言えば、手持ちの100ソルを両替してしまえば95ユーロにしかならず、そこで5ユーロの損が確定してしまいますが、100ソルをそのまま流通業者や出版社への支払いに使えるなら、損を被らずに済むからです。言い換えれば、損を上流の業者に押し付けることが出来る訳です。中間流通業者や生産者がソルを受け取るかどうかは、5%の損を被るデメリットを上回る差別化のメリットがあると判断出来るかどうかにかかっています。しかし、一般的に小売店と流通業者、流通業者と生産者との取引関係は、消費者と小売店の関係よりも固定的なものですから、「地域通貨取扱業者」という看板を掲げたところで大きく取引先が増えるというものではありません。結局、小売店から先には流通することなくすぐに換金されてしまい、そこで地域通貨はほんの短い一生を終えることになります。

 この問題の取りあえずの解決策として、地域通貨をその国の法定通貨に換金出来ない、独立した通貨として設計することを考えてみましょう。話はそもそも新しい通貨を作ろうということなのですから、それを別の通貨に換金するという発想自体、安直であるような気もします。地域通貨と法定通貨とは額面価格は合わせておく必要がありますが(通常は1:1に設定します、1ソル=1ユーロというように)、交換は認めないルールにするのです。この場合〈お釣り〉もダメです。地域通貨の高額紙幣を出して、法定通貨でお釣りが貰えるなら、それは通貨を交換したのと同じことになるからです。(法定通貨との兌換性のあるなしに関わらず、お釣りを出せないというのは、地域通貨に共通する一般的なルールです。) 法定通貨との交換も出来なければ、お釣りも出ない地域通貨、これはけっこう強気な制度設計ですね。誰がそんな通貨を受け取るんだろう? そんなものが流通するんだろうか? きっとあなたはそう思うでしょう。確かに95ユーロを出せば100ソルに交換出来るけれども、いったん交換してしまうと二度とユーロには戻せないというのでは、誰も恐くてそんなお金を持つことが出来ない。お金が流通するということは、要するに人と人とのあいだで〈信用〉が流通しているということです。私が受け取る1万円札は、明日も1万円として通用すると信じていればこそ、安心して受け取ることが出来る。ふつうの国の法定通貨は(北朝鮮やジンバブエのような国を除いて)、すでに一定の信用が確立されている通貨です。それと双方向に交換可能な地域通貨というのは、要するに法定通貨の信用を間借りしているに過ぎない訳で、本来の意味での独立した通貨とは呼べない、せいぜいが金券か商品券のようなものでしかないのです。

 法定通貨と交換出来ない(兌換性の無い)通貨のことを、今回の記事では仮に「独立通貨」と呼ぶことにしましょう。ここでは双方向に交換出来ない通貨という厳密な意味で使います。(これに対して、いつでも法定通貨に交換出来るタイプの通貨を「従属通貨」と呼ぶことにします。) 例えば、そうした独立通貨を国が〈政府通貨〉として発行したと仮定しましょう。地域通貨の話をしていたのに、突然、政府通貨に話題が転じたように思われるかも知れませんが、これは国際的に信用を持つ日本円に対して、国内だけで使える地域通貨を政府が発行するという意味だと理解してください。これを市中に流通させるには、どういう方法があるか? 双方向に兌換性を持たないのだから、プレミアムを付けて日本円と交換するという手は使えません。国が新通貨を流通させるためには、政府の支出の一部に使うという方法が考えられます。公務員給与や生活保護費、各種の補助金、政府調達の支払いなどに新通貨を混ぜて使うのです。例えば、今年の4月からすべての政府支出の1割を政府通貨で支払うと宣言する。それだけで(日本円の)財政支出が1割カット出来ますから、財務省は喜ぶかも知れません。が、国内経済は大混乱です。デノミだとか新円切り換えといった政策でも同じだと思いますが、政府による強権的な通貨切り換えは、経済的な混乱を招くより以前に、現在の代議制民主主義のもとでは実行不可能な政策であると言った方がいい。ところがもうひとつ、国民の反撥をあまり招かずに新通貨を発行することの出来る方法があるのです。それがベーシックインカムです。

 いや、ここで唐突にベーシックインカムを持ち出す必要はありませんね、かつて小渕政権の時に行なわれた〈地域振興券〉のようなやり方と言った方がいいかも知れません(覚えてますか?)。要するに国民全員に新通貨で給付金を配るという方法です。タダで貰えるものなら、文句を言う人もそう多くはない筈です。しかし、それが使えるお店が無いとしたら、やはり文句を言いたくなる。ここでいう新通貨が昔の地域振興券と違うのは、これを銀行に持ち込んでも日本円と交換してもらえないという点です。日本円との交換を保証されていた地域振興券でさえ、使えるお店は限られていました。(当時「地域振興券使えます」というステッカーを街のあちこちで見かけたものです。) せっかく政府通貨を配られても、それを使えるお店が無ければ、そんなものはただの紙屑でしかない。では、国が強制的にこの新通貨を流通させるような法律を作ったらどうなるでしょう? この新通貨を受け取り拒否した業者には重い罰則を科すのです。もちろん上限は設ける必要があります、例えば国内のあらゆる取引において、買い手側は取引額の最高1割までなら新通貨で支払うことが出来る、売り手側はそれを拒否出来ないといったルールにするのです。そんな法律が国会を通るとは想像出来ませんが、もし通れば新通貨は一定量流通するようになるでしょう。しかし、これは国内の景気を良くしたり、税収を増やしたりすることにはほとんど貢献しない。単に日本円部分のGDPを1割減らすことにしかなりません。独立通貨としての地域通貨が、地域経済の景気回復に貢献するためには、日本円の担っている経済を部分的に肩代わりするだけではダメで、新しい経済活動を喚起するようなものでなければならないのです。

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コメント


続き、期待しております。

てっきり、橋本新党を取り上げるものと思ってました。
橋本新党には、方策を出す前にそこに有る課題・問題を示して欲しい。
理念・哲学までは求めないけど、
設計図面を示す前に、新しい設計図がなぜ必要なのか、
変えねばならない課題・問題って何なの?
まずそれを明確に提示して欲しい。
提示した問題と、解決策との整合性においてこそ、
それを問題と見なす視座・意識が判明し、出された方策が適切であるか吟味できます。

問題を隠し方策だけ出す人が多すぎる。
それはネコだましかスローガンかでしかないですよね。

投稿: ロシナンテ | 2012年2月20日 (月) 06時00分

山崎元さんがまたダイヤモンドオンラインにBIのことを書いていますね。橋下新党が「維新八策」のなかにBIを織り込んだというのも、この記事で初めて知りました。BIをめぐるこういった議論はもううんざりという感じです。

山崎さんにしても原田泰さんにしても、エコノミストと呼ばれる人がBIを論じると、結局「効率のいい社会保障制度」というところに収束してしまうんです。橋下さんがBIに色目を使っているのも、官僚の裁量権を極小化したいからでしょう。なんだかみんな同じ穴のムジナという感じがします。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年2月22日 (水) 23時44分

もう少し、青くさく書きましょう。
その人の持つ理念とか理想が有って、そこから現状を見渡すとそこかしこに問題が見える。
人によってはそれを問題と感じてない事も有るので、見えると言うより見なした、が適切か。
その人は、見なした問題に対して何らかの方策を講じるよう考えた。
寝ないで考えて設計図を書き上げて披露した。
この一連のプロセスを開示して、初めて設計図=制度設計のなんたらかんたらを周りが吟味に
参加できる。
プロセスすっ飛ばしていきなりシステム変更をどうのこうの言う輩はガマの油売りよりはるかに
たちが悪い。

すべては『なぜ』から始まってる。
『なぜ』の問いを無視した論考は、是非の言いようも無い。

雰囲気をかもして雰囲気に基づいた賛否を決める、
破滅的思考でしかありません。

投稿: ロシナンテ | 2012年2月25日 (土) 04時47分

江戸時代は 金、銀、銭貨の通貨相場があったそうです。
国内にリラやドルやポンドの相場が在る様な
状態だったそうです。
ここに戻せば国内経済で為替の影響を気にする必要が
無くなるのではないでしょうか。

投稿: | 2016年5月 6日 (金) 12時07分

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