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2012年2月12日 (日)

持続可能性のために良いこと、悪いこと

 前回の記事で、これからのリベラル政党は「持続可能性」ということを政策の基本コンセプトにして、経済成長優先主義に対抗する対立軸を打ち出すべきだと書きました。ここでひとつ注釈を付け加えておく必要を感じます。というのも、持続可能性というコトバは近ごろ流行語のようになっていますが、これをお題目にしているだけでは、空想的なユートピア思想という以上のものにはなり得ないだろうと思うからです。地球温暖化を止めるためにはCO2の排出削減がたぶん必要なのでしょう。将来世代のリスク負担のことを考えたら脱原発を進めるのも避けられない課題です。しかし、そのような〈削減条項〉なら他にも無数にあって、しかもどれひとつ取っても目標を達成出来る可能性のほとんど無いものばかりです。いや、仮に日本だけがCO2の25%削減や脱原発に成功したとしても、世界にはこれから経済成長をしなければならない国がたくさんある訳で、そうした国々にも先進国の厳しい規制を課すことは、不可能であるばかりかフェアなことですらありません。資源や環境の問題は地球全体に関わる問題ですから、一国だけの取り組みでは持続可能な社会の実現に対してほとんど無力だと言わなければならない。そういう現実をよく認識すれば、政策としての持続可能性なんてことを軽々に口にすべきではないような気もします。

 持続可能性ということを絵に描いた餅にしないためには、どうすればいいのでしょう? 私の考えはこうです。私たちが何か持病を抱えながらも、すこやかに暮らして行くためには、病気を治そうとする努力だけでは駄目で、病気と折り合いをつけて生きて行くという知恵も必要です。現在の地球はすでに十分病んだ状態にある訳ですから、その病気を根治させようとか、病気の原因を取り除こうという発想だけではおそらく駄目で、むしろその病状を前提とした社会のあり方を考えた方がいいと思うのです。そういう発想の転換が無いと、人類の将来はひたすら暗いものになってしまう。一種の終末思想とでもいうのでしょうか。最近、日本の江戸時代は持続型社会のお手本だったというような論調をよく見かけますが、これは実りのない思想だと思います。現代人がいまの生活を捨てて、江戸時代の生活に戻るなんてことはどう考えても不可能だからです。いま私たちに必要なのは、過去を懐かしむことではなく、70億の人類がすこやかに幸福に暮らして行くために、この地球をどう作り変えて行けばいいかという「カスタマイズの思想」なのではないか。人間は地球という惑星にとりついた癌細胞のようなものです。まずはそのことを謙虚に認めましょう。癌は一般的に恐ろしい病気だと思われているけれども、癌細胞のなかにも悪性のものと良性のものがある訳で、人類が目指すべきはまさにこの良性の癌細胞というポジションだと思う訳です。基本になるのは、地球という惑星が本来持っている〈自然治癒力〉です。私たちはその限界を知った上で、宿り主である地球との共存を図らねばならない。

 人間を癌細胞に喩えるような表現を、新しい政党のマニフェストに書き込むのは無謀なことでしょうが、もっとふさわしいレトリックは別に考えるとしても、こうした思想の方が既存のグリーン政党が掲げているようなユートピア思想よりも、ずっと現実的だし政策の選択肢も広がるだろうと思う訳です。で、こういう考え方を採用した場合、現代社会のさまざまなテーマが持続可能性という観点からどのように評価されるべきか、少し考えてみました。以下に挙げるのは、いずれも今日議論される機会の多い政治的テーマです。「人類の生存のために地球をカスタマイズする」という視点から見た場合、これらは社会の持続可能性にとってプラスの政策となり得るのか、マイナスの政策でしかないのか、私の意見は次のとおりです。(今回はちょっと書き方を工夫してクイズ形式にしてみました。あなたが持続可能性をマニフェストに掲げる新党の政策担当者だったとして、それぞれの項目について○×で評価してみてください。そしてその理由も説明してください。解答はテキストを選択して反転させると現れます。もしも6問中5問以上が一致していたら、あなたはもう立派な〈ニューリベラル〉の仲間入りです。笑)

1.生物多様性 → ×

 最近の風潮では、生物多様性を否定するような議論を展開するにはよほどの勇気が要る。しかし、生物多様性はそれほどまでに無条件に称揚されるべきものなのだろうか? これまで地球上に存在したどんな生物でも、生物多様性のことを気にかけながら生存した種は無かった。人間だけである。人類が誕生する以前にも、地球上では数え切れないほどの種が絶滅して来た。人間が介在しない自然のなかでは、生物多様性が保証されるというのも、根拠の無い先入観に過ぎない。
 生物多様性が一般的に好ましいことは認めるが、過度にこれを尊重することは、結局は人類の文明を否定することにつながる。例えば、開発によって失われた森林を甦らせるのに、出来るだけ元の植生を再現するのと、生育が速く・炭素代謝の効率に優れ・木材としても有用な樹木を選択的に植えるのとでは、どちらが好ましいか? 審美的には前者が優れているかも知れないが、人間社会の持続可能性のためには後者を選ぶのが正解である確率が高い。人類は自分たちのために好ましい生物分布を作り出すという事業を、農耕や牧畜を始めた数千年前からずっと続けて来たのである。

2.遺伝子工学 → 

 もちろん遺伝子操作にともなうリスクを小さく見積もるべきではないだろう。しかし、このリスクは、地球を人間にとってより住みやすい星に改造するためには、あえて引き受けなくてはならないリスクだと考える。この技術が人類にもたらす恩恵には二種類ある。ひとつは医療分野における技術開発で、遺伝子の問題に由来する疾病や障害を予防したり治療したりするために利用される。そこには出生前診断の是非であるとか、障害を持った人の人権であるとか、倫理的に難しい問題が横たわっている。が、現にいま病気や障害で苦しんでいる人がたくさんいる以上、倫理的な議論を優先することで遺伝子治療や再生医療の進歩を妨げるべきではない。
 遺伝子工学へのもうひとつの期待は、食料問題の解決への手がかりを与えてくれるという点である。この先、人類を待ち受けている最大の課題は、地球規模での人口の爆発的増加とそれにともなう食料不足ということだ。発展途上国における人口増加の抑制ということと同時に、食料の増産も人類共通のテーマとなる。植物工場での育成に適した農業品種や環境適応性の高い畜産品種の開発に、遺伝子工学の援用は欠かせない。遺伝子組み換え食品が何となく恐いという消費者の感覚は理解出来るが、それは食べるものに不自由していない豊かな国に生まれた私たちの贅沢な好みに過ぎないとも言える。少なくとも化学工場で作られた様々な薬品を体内に取り込んでいる現代人が、遺伝子組み換え食品だけを選択的に忌避することは理屈に合わない。

3.ソーラー発電 → 

 ソーラー発電が持続可能性にとって好ましい理由は、それが再生可能なエネルギーだからというにとどまらない。これは以前からの私のかなり素人っぽい主張だが、太陽が運んで来るエネルギーを、地上で熱として発散させずに電気に変換することには、温暖化を直接抑制するという副次効果があると思われるからだ。(砂漠に大規模な太陽光発電所を建設すれば、その地域の地表温度は下がるに違いない。) 当たり前のことだが、地球温暖化の直接の原因はCO2ではない、太陽エネルギーである。太陽光発電は、地表で熱として発散されやすい太陽エネルギーを、電気エネルギーに変換して蓄積する技術なのだから、まるまる温暖化対策としても有効だと考えてよい。
 この理屈に従えば、風力発電や水力発電といった他の再生可能エネルギーよりも、太陽光発電が優れている点も明らかだろう。風力や水力には直接地表の温度を下げる能力は無いからである。(もっとも、ソーラー発電所から供給される電力も、使われてしまえば大部分が熱となって放出されてしまうに違いないが。) この観点からすると、日本で期待が持たれている地熱発電は立場が悪い。これは地中に封印されていた高温のエネルギーをわざわざ地上に解放しようという技術なのだから。ただ、一部の科学者はこれからの地球は寒冷化すると予想しており、その時は地熱発電の方が優位になるかも知れない。

4.バイオエタノール → 

 バイオエタノールが持続可能性の観点から注目されている背景には、〈カーボンニュートラル〉という性質がある。バイオエタノールを燃料として燃やせば当然CO2が発生するが、そのCO2は原料となる植物が大気中から吸収して固定したものを再び大気中に返しているだけなので、CO2の排出という点ではプラマイゼロ、つまりニュートラルという理屈だ。だが、そういう論法で行くなら、石油を燃やすことだってカーボンニュートラルなのである。石油は太古の植物が炭素代謝を行なった結果の産物なのだから、数十億年のタイムスパンで見れば、大気中のCO2はプラマイゼロになっている筈である。
 これからの時代にバイオエタノール政策を推進するべき理由は、もっと単純な理由からである。石油や石炭は掘り尽くしてしまえば無くなってしまうが、バイオエタノールは空に太陽がある限り(?)人間の生存するサイクルのなかで再生産可能なエネルギーだからだ。しかも太陽光発電や風力発電と違って、液体燃料として利用出来るバイオエタノールは、他の再生可能エネルギーでは代替出来ない地位を占めている。トウモロコシやサトウキビなどを主原料とするために、人間の食料と競合し、食料不足に拍車をかけるという批判もあるが、これは持続可能性という面から見れば批判には当たらないことだ。バイオエタノールの生産によって飢える人々が出るとしても、それは現在生きている我々が飢えるのであって、将来の人類にツケを回している訳ではないからである。

5.シェールガス → ×

 原発事故にともなう昨夏の電力不足を、なんとか乗り切ることが出来たのは、アメリカがシェールガスの採掘を本格化させたおかげなのだそうだ。つまりアメリカの天然ガス自給率が上がったために、世界的に見て液化天然ガスの供給にダブつきが出て、日本の火力発電所の急増する需要にも対応出来たのだという。シェールガス、あるいはオイルシェールは、次世代の化石燃料として期待されているものだが、持続可能性の観点から見ればもちろん×だ。数十億年のあいだに蓄えられた地球の遺産を食いつぶすという点では、従来の石油や石炭と変わらない。本当に人類の持続可能性ということを真剣に考えるなら、せめてシェールガスや海底油田などは、いざという時の蓄えとして、手付かずで将来世代に残しておくべきだ。
 あるいはこれを利用するとしても、その用途を厳しく限定することが必要だと思う。私たちのこれまでのエネルギー消費は、最適なプロダクトミックスというものをほとんど無視したものだった。例えば部屋の暖房のために、電力会社の電力を使うか、自宅のソーラー発電を使うか、都市ガスを使うか、石油ストーブを使うか、あるいは薪を使うかといったことは、個人の趣味の問題か、または家計の都合の問題に過ぎなかった。人類の持続可能性のために最適な部屋暖房という発想は無かったのである。しかし、これからはそうは行かない。電気自動車は実用化されても、旅客機は将来的にも電気では飛ばせないだろう。であれば、石油資源は航空機や宇宙ロケットのために取っておくべきではないか。これまで散々浪費してきた反省を活かして、シェールガス(オイルシェール)は市場原理に委ねるのではなく、国家(または国際機関)の管理下に置くくらいの政治的判断が必要だろう。

6.原子力発電 → 

 私は脱原発論者だが、未来永劫、無条件に原発は無くすべきだと考えている訳ではない。福島の事故によって、逆に明らかになった原子力発電の圧倒的な優位性を考えると、これをすっかり諦めるのはあまりに惜しい気がするからだ。端的に言って、原発が危険なのは、事故を起こす可能性をゼロに出来ないからではない、事故の際に放出される放射性物質の毒性が問題になっているだけのことである。ということは、放射性物質の毒性を消せるような技術が開発されれば、原発に反対する理由は何も無くなることになる。もしも放射性物質で汚染された土地にパラパラと撒くだけで、副作用も無く放射能が中和されるような薬品が開発されたとしたらどうだろう?
 それは夢物語だとしても、もう少し実現性のありそうな次世代技術として、放射性物質を出さない原子力発電というものならある。そう、核融合炉のことだ。燃料は海水中の重水素なのでほぼ無尽蔵、核分裂反応と異なり爆発の危険性も無く、放射性物質もほとんど放出しないというまさに夢の新技術である。現在、日本も技術参加する核融合実験炉がフランスで建設されている筈だが、福島の事故によってこのプロジェクトの重要性はさらに高まったと私は考える。天上の火を盗んだプロメテウスに喩えて、原子力は禁断の技術だなどというステレオタイプな脅し文句は、変革を恐れる守旧派のものだ。

 さて、ということで、あなたの考えと一致する意見はどのくらいあったでしょうか。最後にひとつお断りしておきます。今回の記事は半分がジョークです。でも、半分がジョークということは、残りの半分は本気ということなのですが…(笑)

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コメント

持続可能性を現状のカードで考えると、やっぱり行き詰まってしまうんですよねえ。
世界人口70億。
これをどうするか、でしかないでしょうね。
イノベーションとか資源大発見とかを無しにして、現在の世界成長曲線をそのまま延ばした線が地球許容限度にどこで到達するか、
そんなボーダーラインの設置は、世界共通認識としても必要には思います。
持続可能性論は、それを踏まえてからでなければリアルに落とせないのではないかと思います。

投稿: ロシナンテ | 2012年2月13日 (月) 04時13分

今回の記事は、持続可能性というコトバが世間ではあまりに無邪気に使われている気がして、そのことへの皮肉のつもりで書きました。でも、こういった考え方で、「反原発派」や「環境保護派」の人たちからの理解を得るのは難しいでしょうね。

今週、中沢新一さんらがかねて話題になっていた「緑の党のようなもの」を立ち上げました。グリーンアクティブという名前で、政党ではなく政治運動体という位置付けなんだそうです。「政治運動体」って一体なんでしょう? 何故自分が党首になって立候補すると宣言しないのでしょう? こんな及び腰な姿勢じゃ、200議席を目指すという橋下新党への対抗馬にもなりようがありませんね。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年2月15日 (水) 00時32分

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