« 「減価貨幣=ルームランナー」という説 | トップページ | 無罪と極刑のはざまで »

2012年1月22日 (日)

原発反対の世論を風化させてはいけない

 喉元過ぎれば何とやらで、一時は国を挙げて盛り上がっていた反原発の気運も、ここに来て少し後退気味になっているような気がします。今週のニュースで、政府は従来40年としていた原発の耐用年数を、条件付きで60年まで延長する決定をしたと報じられていました。耳を疑いたくなるようなニュースです。いまだに原発利権で結び付いた政財界の何者かが、裏で糸を引いているとしか思えない。国内の原発のうち何機かは、すでに稼働40年を超えています(事故を起こした福島第一原発は、昨年がちょうど40年目でした)。国内の54基の原発のうち、30年以上経過しているものは19基です。いまのうちに先手を打って、稼働延長への目途をつけておきたいという腹なのでしょう。同じ日のニュースで、東電が企業向けの電力料金を17%値上げするということも報じられていました。やがて家庭向けの電力も値上げされることになれば、原発反対派も考えを改めるだろう、そう高をくくっているのでしょうか。

 私は原発の専門家でもなければ地震の専門家でもありませんが、常識を持つひとりの市民として意見を言います。国内のすべての原発は即時停止して、廃炉・撤去の工程表を一刻も早く引くべきです。当初、東京電力の報告では、福島第一原発の事故は、地震が直接の原因ではなく、想定外の津波で電源が失われたことが原因だということでした。つまり津波を想定した電源系統の防護策さえ施しておけば、原発はマグニチュード9の地震にも耐えたと言いたいのです。その後の研究で、津波以前に、地震の影響ですでに電源は失われていた可能性があるとの指摘も出て来ました。どちらが正しいのか、私のような素人には分かりません。ただ、分かっていることがひとつだけあります。東日本大震災は、遥か大平洋の沖合で発生した海溝型地震で、原発は震源地の真上に建っていた訳ではない、ということです。内陸型地震だった阪神淡路大震災と比べて、東日本大震災では地震による建物の倒壊が少なかったことに注目しましょう。揺れの時間は長かったけれど、被災地は強烈な地震波の直撃を受けた訳ではない。マグニチュード9という数字にだまされて、あれ以上の地震は想定する必要が無いと考えるのは間違っています。本当に恐ろしいのは、原発を直下型地震が襲った時です。

 地震の揺れの強さを表すのに、私たちはふだん震度という単位を使いますが、震度6以上の強い地震を測定するには「ガル」という単位を使う方が一般的なようです。これはモノの加速度を測る単位で(ガルは加速度の法則を発見したガリレオの名前に因んでいます)、1ガルというのは1秒間に秒速1センチメートルだけ速度が増すことを表します。日本の原発は、だいたい600ガル程度の揺れにも耐える構造に造られているようです。600ガルというと、静止していた物体が1秒間に6メートル動くということですから、部屋のなかを家具が転げ回るような激しい揺れです。ところが実際の地震で計測された最大の揺れはどの程度だったかと言うと、2008年に起こった岩手・宮城内陸地震の時に震源近くの地震計が計測した4022ガルという記録があるそうです。これはギネスブックにも登録されている数字で、要するに人類が計測した最も激しい揺れということになります。秒速40メートル! それが起こったのが日本だったのです。当時は「山がひとつ消えた」地震として、テレビでも大きく取り上げられたので、覚えている方も多いでしょう。この地震のマグニチュードは7.2と発表されていますから、決して巨大地震と呼べるようなものではない。調べてみると、国内で2000ガルを越すような強い揺れが記録されることは、決してまれではないことが分かります。

 これも今週のニュースで、福井県の大飯原発の再稼働に向けて、経済産業省の原子力安全・保安院が行なったストレステストに激しい抗議デモが起こり、テストが一時中断したと報じられていました。結局、ストレステストは実施され(テストと言っても、専門家がデータの数値を見て話し合うだけのことのようです)、大飯原発は安全基準を大幅に上回る1260ガルの地震にも耐える構造であり、再稼働に問題なしという結論が出されたのだそうです。「専門バカ」というのはこういう人たちのことを言うのでしょうね。実際に2000ガルを越す地震が国内で何度も起こっている事実があるのに、政府が恣意的に決めた安全基準を上回っているから安全であるというのは、小学生にも通じない理屈です。地震というのは、地下にたまった地層の歪みエネルギーが一気に解放される、いわばバネの弾みによるものです。山をひとつ消滅させることが出来るほどの地震なら、原発を建屋ごと吹っ飛ばすことだって訳はない。4000ガルというのは、要するにそういうことです。いまでもインターネットでは岩手・宮城内陸地震のすさまじい爪痕を写真で見ることが出来ます。これを最近どこでも見かける原発の写真と重ねて想像してみましょう。むき出しになった原子炉の格納容器が地表にゴロゴロ転がっており、冷却プールから飛び出した使用済み核燃料がそこらじゅうに散乱している、そんな光景が目に浮かばないでしょうか。

 直下型地震の直撃ということを想定すれば、安全な原発なんてものはあり得ないと思います。福島第一の事故は、決して最悪の原発事故ではありませんでした。地震の揺れを感知して、原子炉の緊急停止装置はちゃんと作動したのです。そのおかげで〈あの程度の〉事故で済んだとも言える訳です。史上最悪の原子力事故だったチェルノブイリと比較すると、福島第一の事故で放出された放射性物質の量は10分の1でした。しかし、福島第一に貯蔵されていた核物質は、使用済み燃料も含めるとチェルノブイリの10倍以上あったとも言います。つまり、福島第一が最悪の事故を起こしていたら、実際に起こったことの100倍以上の被害を出していた可能性があるのです。私たちが福島の事故のことを思い出し、そこから何か教訓を得るとすれば、まず認識しなければならないのはそのことです。これは決して忘れてはならないことだと思います。私たちにとって本当の問題は、原発を止めるか止めないかということではありません、国内のすべての原発を止めた後に、莫大な量の使用済み核燃料をいかに安全かつ経済的に保管して行くか、そこに議論の焦点を移さなければなりません。

|

« 「減価貨幣=ルームランナー」という説 | トップページ | 無罪と極刑のはざまで »

コメント

未だなにも終わってないんですけどね。
明日、同じ規模の地震が東北を襲ったら、1~3号機が倒壊しプール内の燃料が散乱し冷却設備の保守員も近づけない。そんな状況の先に起きる事は?
何も終わってない、何も進展してない、神頼みな状況でしかないのが現状なはずなんですが、それを自覚してないのが果たして政府だけなのか。国民はどうなのか。

SPEEDIの即時公開を見合わせた事実からして、日本国は、予測しうる緊急時に国民に向けてアラートを出さない国であるのを晒してます。同じ事は、大地震の前兆を得ても公的機関は何も発動しないでしょう。

そんな風土の中に居て、何の疑問も感じない日本国民に、原発反対は、穢れを遠ざけてくれ、のようなものでしょう。


投稿: ロシナンテ | 2012年1月23日 (月) 06時12分

各地の原発が止まっただけでなく、国民全体も思考停止に陥っているような気がしますね。次の大地震に備えるという観点では、政治家も評論家も何も提言をする人がいません。天災は人間の都合など待ってくれないのに。

解せないのは、浜岡原発を止めた菅元総理が、この問題に関してその後何も発言していないことです。総理大臣は辞職しても、国会議員ではある訳ですから、やりかけた仕事は最後まで責任を持ってもらわなければ困る。所詮は政局に掉さすだけの人だったのでしょう。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年1月29日 (日) 23時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/53801255

この記事へのトラックバック一覧です: 原発反対の世論を風化させてはいけない:

« 「減価貨幣=ルームランナー」という説 | トップページ | 無罪と極刑のはざまで »