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2012年1月15日 (日)

「減価貨幣=ルームランナー」という説

 これからは経済成長よりも、持続可能性を最優先にする社会に変わっていかなければならない…最近では誰もが口にする意見です。私もこのブログのなかで、何度もそんなことを書いて来ました。確かに地球規模での環境問題や資源問題がある以上、この先も永遠に続く経済成長なんてことは幻想に過ぎない。一部の政治家やエコノミストは、いまだに成長戦略なんてコトバに執着しているようですが、時代錯誤も甚だしいと思います。アメリカではレーガン政権あたりが、日本では小渕政権あたりが、経済成長を第一の目標に出来た最後の政権だったということになるのではないでしょうか。もちろん今後もいろいろな技術革新があるだろうし、私たちの生活はこれまでよりもさらに便利で快適なものになって行くかも知れない。しかし、それは全体としての経済成長のなかで実現するものではなく、限られた資源の効率的な利用技術によってもたらされるものではないかと思います。少なくとも先進国においては、これ以上GDPの拡大を目指すよりも、現状維持を基本方針とすべきである、そういう考えがこれからは主流になって行くのではないかと思います。

 しかし、持続可能な社会への移行がどれほど時代の求める必然だったとしても、これをすべての国民が同じように受け入れることは難しいかも知れません。単純な話、私たちのような中高年はそれでもいいんです、若い頃に高度経済成長を経験して、豊かな未来に希望を馳せることの喜びも、その豊かさがある程度実現してしまった後の虚しさも、フルコースで味わって来た。残された余生を現状維持をモットーに生きることに何の不満もあろう筈はないからです。しかし、これから未来のある若者はどうか? 若い世代を対象にアンケート調査をすると、意外なことに現状に満足しているという回答が多いのだそうです。ワーキングプアだとか、ひきこもりだとかいったことが社会問題化しているので、さぞかし現状に対する不満も強いのではないかと想像するのですが、現実はそうでもないらしい。そこそこの豊かさと安定があれば、人は未来に希望が無くても生きていけるものなのか? まあ、そんなことは人それぞれなので、世代論として論じるべきことではありませんが、私には現状肯定派の若者が増えているという事実が、良い兆候だとはどうしても思えないのです。それが持続可能な社会に向けた、生物としての適応の結果であるなどという説には、とても賛成する気になれない。人は未来に希望が持てない時、現状を肯定するしかなくなります(手の届かなかった葡萄は酸っぱかったに違いないというあれです)。その心理的な機制は、政治に対する徹底的な無関心となって現れ、若い世代が政治に参加しないことで、ますます彼らの未来から多くのものが簒奪されるという構造になっている。政治に関心を持たない彼らの多くは、自らそのことに気づきさえもしないのです。

 いまの中国を見ても分かりますが、経済成長には社会のさまざまな問題を隠すという一面があります。特に格差の問題が、人々にさほど深刻に受け取られないという点が重要です。経済的に成熟した社会では、現在の格差は将来も変わらない格差として続くだろうと予想させるのに対して、経済が著しいスピードで成長している社会では、多少の格差があっても、裕福な隣人の姿は明日の自分の姿でもある訳ですから、格差があることがむしろ人々の勤労意欲を高め、社会の生産性を高めるという好循環を生む。日本でも1960年代から70年代にかけてはそうだったのです。もともと資本主義経済というのは、借金によって駆動される経済であると定義出来ます。銀行から年利5%でお金を借りて事業を始める人は、年に5%以上の利潤を生むことを義務付けられている。人が一番仕事熱心になるのは、他人から借りた借金を返すために働く時です。(バルザックやドストエフスキーといった人たちは、そのことをよく知っていて、借金生活を創造力の源にしていました。) これを社会制度的に実現したのが資本主義というものなのです。資本主義が社会主義に打ち勝ったのは、制度として優れていたからではない、資本主義のもとで他人のお金を借りて事業を始めた人たちが、借金を返すために必死で働いたからです。ところがいまの日本人は、借金どころか1400兆円もの個人資産を、それこそ〈しこたま〉蓄えた訳ですから、個々には貧富の差があったとしても、全体としては勤労へのインセンティブが昔に比べて低下している。国全体がどんどん貧しくなっていることには、そうした背景があるのだろうと思います。

 過去の歴史を振り返ってみて、つくづく思うことは、いかにこの借金をベースにした資本主義経済のあり方が、人間の自然な性向にうまく合致していたかということです。自分が子供だったころ、物価は毎年どんどん上がって行くものでした。子供心にもそれが当たり前のことのように思っていました。二千年の昔からそうだったのかどうか分かりませんが、少なくとも産業革命以来、ここ二百年くらいはずっとインフレ経済というのが私たちの社会の常態だった訳です。それが突然デフレに転じて、我が国ではそれがもう二十年も続いている。たまたま景気の谷間に落ち込んだといった話ではないと思います。おそらくこれは、地球という惑星の、資源的・環境的・地勢学的制約に人類が突き当たってしまったということなのだ。つまり、人類が他の惑星に植民でも始めない限り、次の〈ビッグウェーブ〉はやって来ないだろうということです。一方、人間の性質はそう簡単に変えられるものではありませんから、それにすぐに適応しろと言っても無理があります。特に若いころにフロンティア・スピリットを満たす経験を積んで来た高齢者が、いまの若い世代に向かって、これからは縮小均衡経済を目指せなんて言うのは、まったく身勝手な言い草だと私は思う。むしろこれからは限られた制約のなかで、いかにチャレンジしがいのある経済の仕組みを作って行くかということに人智を結集しなければならない。そう考えた時に、ひとつの可能性を与えてくれるツールとして、私の頭に浮かんで来るのが「減価貨幣」というものなのです。

 長い前書きでしたね。本論の方はすぐに終わります。減価貨幣というのは、マイナスの利子がつくお金とも言って、保有しているだけでだんだん目減りしていってしまうという性質を持った貨幣のことです。シルビオ・ゲゼルという思想家の考案によるものですが、このアイデアが電子マネーの技術を使って実用化出来るようになった、そのことに一部の好事家(?)たちが注目しているのです。これからの社会で、年に5%の経済成長を続けて行くことは不可能です。それではこの地球がもちません。しかし、お金そのものが年に5%の割合で減価して行くとすれば、それは5%のインフレと同じような効果を持ちます。確か経済学者のハイエクという人が、ゲゼルの減価貨幣のことをインフレ経済と同じじゃないかといって批判していたと思います。確かに持っているお金が目減りしてしまうということは、モノの値段が上がって行くのと同じことです。ところがやはりこのふたつは違うのですね。どう違うかと言えば、持続可能性という点において違うのです。ちょうどくるくる回る床屋の看板が、上へ上へと上がっているように見えるけれども看板自体は動いていないのと同じで、減価貨幣経済の下では恒常的なインフレが続いているように見えて、実は社会は一定の経済レベルに留まっていることが出来る。いや、床屋の看板という比喩じゃ外国人には伝わりませんね、いくら走っても同じ場所にとどまっているルームランナーのようなものと言った方がいいかな。本当は戸外で風を切って走りたいところですが、もしもそれが何かの理由で(例えば放射線問題などで)許されないならば、ルームランナーを使うことも選択肢に入れた方がいい。それでも十分運動不足解消にはなるからです。

 減価貨幣というものは、強欲な金融資本主義に対するアンチテーゼとして、理想化されながら言及されることが多いのですが、その本質はもっとノンシャランというか、遊び心を持ったものとして捉える方がいいのかも知れません。つまりそれは、比較的無害なかたちで人間の(経済的)闘争本能を満足させてくれるゲームであり、あるいは経済成長を疑似体験させてくれるアトラクションのようなものだということです。スリリングではあるけれど、そこでは実体経済のホンモノの経済成長は要請されない。ルームランナーのベルトが回っていれば、乗っている人は嫌でも歩くか走るかしなければならないのと同じです。これが例えば日本円によるベーシックインカムといったものであれば、受給者はいまのデフレ経済のなかでそれを全額貯蓄に回すことも出来るし、実際多くの人がそうするでしょう。これでは経済は活性化されない。よく減価貨幣の成功事例として、オーストリアのヴェルグルという町のことが取り上げられますが、1930年代初頭のヴェルグル町では、単に経済が活況を呈していたというよりも、町中がこぞって減価紙幣を他人に押し付けるゲームに興じていたと表現した方が当たっているのではないかと思います。(減価紙幣は通常のオーストリア・シリングの14倍のスピードで市場を駆け巡ったと言います。市民全員参加のババ抜きです。) 一見するとバブル景気のようにも見えますが、ここでは貨幣自体が貯蓄を拒否しているのですから、このバブルは原理的にはじけることがない。つまり持続可能な好景気な訳です。最近はエコノミストのなかにもベーシックインカムを推奨する人が増えて来ましたが、むしろいまの日本にふさわしいのは減価貨幣の方だと私は思います。

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