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2011年12月11日 (日)

さようならジャスミン

 ここひと月ほど、毎日の通勤時間を利用して中島みゆきさんの新譜を聴いています。今年の新作のタイトルは『荒野より』。昨年の『DRAMA!』(…のA面)があまりにも素晴らしかったので、それと比較は出来ないとしても、今回のアルバムも創造力の衰えをまったく感じさせない力作に仕上がっています。前にも書いたことですが、自作の曲を歌うシンガー・ソングライターというジャンルの人で、彼女ほど長く第一線で活躍している人は世界的にも珍しいと思います。今年はデビュー36周年で、今回のアルバムは38作目に当たるのだそうです。300曲を超すオリジナル曲のなかには、驚くほどの数の傑作がある一方で、凡作と呼ぶしかないような作品も少なからず含まれている。しかし、どんな凡作にも天才の刻印が刻まれているのが中島みゆきです。同時代を生きるクリエイターのなかでも、この人の天才性は際立っていると思う。とても誰かと並び称されるような人ではないと感じます。

 中島みゆきファンなら誰もが経験していることではないかと思うのですが、毎回、新作アルバムを最初に聴いたときに感じるのは、感動や興奮ではなく、戸惑いと違和感です。長年彼女の歌を聴いて来て、そういう経験は何度も繰り返している筈なのに、第一印象の悪さというか、拒絶感にはどうしても慣れることが出来ない。今回のアルバムは特にそうでした。いや、もしかしたら、これは自分だけの問題なのかな? 年のせいで音楽を受け容れる脳の機能が低下して来たのかな? みゆきさんの楽曲には、耳に馴染みやすい所謂〈いいメロディー〉の曲とは対極のところにあるものが多いと感じます。カラオケで彼女の歌を歌ってみると分かりますが(哲学者がカラオケ? 笑)、いつも聴いていてよく知っているメロディーの曲なのに、うまく音程が取れないことが多い。いや、これは私が音痴なだけかも知れませんが、理由はたぶんそれだけではありません。基本的に中島みゆきさんの楽曲には、転調や半音階を多用した複雑な旋律が多いのです。初期のアルバムに収められた曲には、シンプルなメロディーラインの名作が多かった筈ですが、後期になればなるほど曲作りが技巧的で難解なものになって来ている。

 だから最初に聴いた時には、なにか耳慣れない、一種不快なメロディーの寄せ集めのように聞こえてしまうのだと思います。それが何回か聴き込むうちに、自分の脳の方が変化して、いかにも自然で説得力あるメロディーとして像を結んで来るのです。この変化はほんとに劇的なもので、私が知る限り中島みゆき以外にそんな音楽体験をさせてくれる現代の作曲家はいません。おそらく、クラシックの名曲と言われる曲の多くも、私たちの脳のなかで独自の回路構成がすでに組み上がっているからこそ、名曲として聞こえるのではないでしょうか。ところがそれは子供の頃に出来上がった回路なので、自分の脳が変化して行く過程として追体験することが出来ない。『トルコ行進曲』や『ラプソディ・イン・ブルー』を初演で聴いた当時の聴衆が、どのようにこれらの傑作を受け取ったかは想像するのが難しいのです。(そう考えると、古今の名曲を子供の耳に無選択に流し込む現代の音楽教育というものも、見直す余地があるかも知れませんね。) みゆきさんは、専門の音楽教育を受けて作曲技法を学んだ人ではない筈ですから、天性のメロディーメーカーとしてそうした作品を紡ぎ出している訳です。

 『荒野より』について書こうと思っていたのに、話が脱線していますね。今回のアルバムのなかには、残念ながら中島みゆきの代表曲として残るような作品は無いというのが私の評価です。それでもアルバム全体をひとつの作品として聴いた場合、際立った特徴があることにも気が付きます。それを何と表現したものだろう。やまとことばよりも漢文調と言うか、メロディーだけでなく詞の内容においても硬質な曲が多いという印象を持ちました。力強く、格調高いが、その反面、説教くさく、教訓じみた曲が多い。シングルカットされた1曲目の『荒野より』から、最後の『走(そう)』まで、中島みゆきの曲に癒しを求めたい人たち、彼女の歌を聴いて泣きたい人たちには厳し過ぎる作品が並んでいるという印象です。いや、欠点を指摘しているのではありませんよ、これもみゆき作品のなかでは『世情』や『裸足で走れ』などの由緒正しい系譜に連なるものですからね。それに収録された11曲すべてが説教くさい訳でもなく、『バクです』や『あばうとに行きます』のような肩の力を抜いた曲もあるし、『鶺鴒(せきれい)』のような端正な秀曲も含まれている。あくまでトータルでの印象です。

 そんなアルバムのなかでも、一番テンションが高いのが『旅人よ我に帰れ』という曲でしょう。「僕が貴女を識らない様に 貴女も貴女を識らない」という歌い出しで始まるこの曲は、全編、男性が〈上から目線〉で女性に説教をしているような歌詞の内容なのですが、曲の最後の部分になって突然「癒しの中島みゆき」が姿を現すのです。このアルバムのなかでここだけです。「植えつけられた怖れに縛りつけられないで ただまっすぐに光のほうへ行きなさい」という囁きで始まるこの部分は、中島みゆきファンが息苦しい空気のなかで唯一解放されるところでもあります。作者は、この部分の効果を最大限高めるために生硬な歌詞を持つ曲ばかり並べたのではないかと思われるほどです。「私たちはジャスミン 茉莉花(まつりか)の2人」と呼び掛けられているのは、みゆきさんのファンなら誰でも知っているあの彼女、「ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて」と呼び掛けられていた彼女のことですね。「さようならジャスミン 私の妹 私とは違う人生を生きなさい」。ここに来て作者独特の癒しの物語が大きな円環をなして聴く者の心に降りて来る。中島みゆきを聴く醍醐味です。

 それにしても、歌詞カードを見ずに最初聴いた時には、「まつりかのふたり」が何の意味だか分かりませんでした(祭り課の二人?)。なるほどジャスミンは日本語で茉莉花というのですね。美しい響きの言葉だと思います。みゆきファンが中心になって、このコトバを流行らせられないものかな? 昔から「ネクラ」だとか「オタク」だとかいう美しくないコトバがあって、最近はさらに「喪男」だとか「腐女子」なんてひどい呼び方も出て来ているようですが、それに比べると「茉莉花」はいい。ぜひこれは男女の区別なく使いたいところです。みゆきさんに倣って、私も茉莉花の人たちを応援します。

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コメント

はじめまして

中島みゆきさんのファンなので過去の記事にコメントしてしまいました。
歌詞のジャスミンの意味がわからず、調べていたら、ここを見つけました。

今日、作曲に興味を持ち、音符の勉強を始めたんです。
きっかけは、夢に内田裕也さんが出て来て、心地よい曲が流れて来たからです。
カノンみたいな曲が出来たら言いなと思いました。
何で、夢に内田裕也さんが出て来たかと言えば、寝る前に、内田樹さんと高橋源一郎さんの『嘘のような本当の話(だったかな)』を読んだからです。


投稿: 小口和宏 | 2013年12月14日 (土) 00時09分

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