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2011年11月27日 (日)

産業の効率化は流通改革から

 グローバリズム全盛の時代に、これ以上国内産業を空洞化させないためには、まずは自分たちの消費スタイルを見直そう、前回はそういう話をしました。今回は、それと同時に国内産業の効率化をどう進めるかという話をします。というのも、TPP問題が議論されるようになって以来、日本の農業の非効率さがすべての元凶のように言われる風潮があって、私はこれに疑問を感じているからです。TPP推進派は、日本の農家も大規模化・機械化を進めて、生産性と競争力を高めるべきだと言います。日本でも昔は大地主が小作を使って効率的な農業を行なっていたのが、戦後の農地解放で小規模農家に分割されてしまい、効率化の道を阻まれた、そんな議論をする人もいます。確かに農業には規模のメリットがあるのは常識的にも理解出来ますし、狭い国土とは言っても改善の余地はあるのだろうと思います。しかし、日本の農業の競争力を高めるためなら、大規模化や機械化よりも先にやるべきことがあるのではないかとも思うのです。それは流通の無駄を省くことです。

 そんなことは指摘されるまでもなく、分かり切ったことだと言われるでしょうか? それはその通りなのですが、何故かTPPをめぐる議論のなかで、この当たり前の論点があまり取り上げられないことに不審を感じるのです。最近は、日本の米作農家でも、手間のかかる田植えをせずに、田に直接種蒔きをするところが現れているのだそうです(乾田直播または湛水直播と呼ばれる農法です)。これによって単位面積当たりの収穫量は1割程度減少するものの、人件費は3割程度削減出来る、そんな記事を目にしたことがあります。仮に従来の農法に比べて3割のコスト削減が出来たとしても、それで改善される生産性は20%程度に過ぎません。それで日本の農業が国際競争力を持つようになるなんて、とうてい考えられないことです。一方、国内の標準的な農産物流通では、農家の出荷単価と小売り単価のあいだには数倍もの開きがあるのだそうです。それだけの中間マージンが上乗せされているということです。法外な、と言っても過言ではない。この流通構造を温存したままでは、いくら生産過程での効率化を進めてもほとんど無意味です。TPPに加盟するにせよしないにせよ、日本の農業は変革されねばならない。が、変革されるべき対象は、農業そのものの生産性ではなく、流通過程の効率性だということです。

 農産物は一般的に、農家→農協→卸売市場→仲卸業者→小売店といった流通を経て消費者に届けられます。それぞれが中間マージンを乗せる訳ですから、米や野菜の小売値が高いのも当たり前です。農業の改革と言うのなら、大規模化だとか機械化なんてことよりも、この流通ルートの長さを何とかしなければならない。しかし、TPP反対派からはそんな声は出て来ません。何故かと言えば、TPPに最も強く反対しているのは個々の農家ではなく、組織力を持った流通業者の方だからです。ありていに言ってしまえば、農協(JA)なんてものは、農業利権に寄生する既得権団体以外の何ものでもない。日本の農業は守って行かなければならないけれども、農協を守る必要は無いとTPP反対派である私は考えます。農業という第一次産業において、価値を生み出しているのは農家であって、農協ではないからです。最近は産地直送を看板に掲げるお店も増えて来ているようですが、これはいい傾向だと思います。特に新鮮さが売り物である農産物においては、望ましい流通ルートは、「農家→小売店→消費者」か「農家→消費者」のいずれかでしかあり得ない。しかし、こういった流通改革は、業界の内部から自発的に起こることはないし、政策によって後押しされることもありません。TPPに反対する政治家だって、農業利権に寄生している団体を票田にしているから反対のポーズをとっているだけで、この利権構造を壊してまで農業を合理化するつもりなどないからです。その陰で割を食うのは、いつも安く買い叩かれる生産者と高く売り付けられる消費者です。

 農業の流通改革のためには、生産者と消費者が直接結びつくしかないだろうと思います。最近はインターネットを使って米や野菜を直販する農家も増えているようです。我が家でもここ数年、お米は秋田の農家から直接取り寄せているのですが、配送料込みでも値段は安いし、何よりも生産者の顔が見える安心感がある。農産物の場合、この安心感は大きな付加価値になります。輸入された野菜や果物では、これは望むべくもないことですからね。国内の中間流通は、価格競争力ばかりでなく、わざわざ商品の付加価値まで削いでいるのです。直売所やインターネットを介して、農家と消費者が直接取引をするようになれば、もっといろいろな付加価値のある商品が市場に出て来るのではないかと思います。例えば、非効率な農業の代表格のように言われているものに「棚田」があります。山あいの斜面の狭い土地に、まるで幾何学模様のように美しい水田が広がっている様子は、日本の原風景とも呼べるようなものです。その全国にある棚田が、いま後継者がいなくて危機に瀕していると聞けば、誰もがこれを守りたいと思う筈です(私も思います)。だったら「棚田米直販サイト」というのを立ち上げたらどうだろう。値段は少し高いけれども、地域や銘柄を指定して全国の棚田米が買えるショッピングサイトです。ここでお米を買うことが、日本の棚田を守ることにつながる。しかも顔の見える生産者が美田で作った、おそらくは無農薬か低農薬のお米ということになれば(農薬に関する情報も開示すべきでしょう)、それは購買者にとって最高のプレミアムになると思うのです。

 生産者と消費者を直接結びつけることが合理的なのは、農業だけではありません。現在の円高とデフレの影響で、家電メーカーも青息吐息の状態ですが、一方でここ何年かのあいだに家電量販店と呼ばれる業態が大きく成長しています。都心の歴史ある百貨店がどんどんつぶれて、家電量販店に置き換わっている。メーカーが慢性的な赤字経営で苦しんでいるのに、小売業者だけが肥え太るというこの状態は、やはり健全なものとは言えない気がする。かつて各家電メーカーは、系列店と呼ばれる小売店(街の電気屋さん)と共存共栄の関係を築いていました。いまや圧倒的な販売力を持ち、どこのメーカーに対してもロイヤリティフリーな量販店に、利益をすべて持って行かれるような構図になっている。何故メーカー自身がこの状況を変えようとしないのか、私には分かりません。本当の価値を生み出しているのは一体誰なのか? 私は家電量販店の隆盛にはたぶんにバブル的な要素があり、長続きしないのではないかと予想しているのですが、このバブルがはじけた後に、日本の家電業界全体が再生不能なほどに傷ついているのではないか、そのことの方が心配です。もはや系列店制度も崩壊して、流通そのものが戦国時代に入ったのだから、メーカーも直接消費者とつながるチャネルをどんどん開拓すればいいのです。都心の一等地に立派な店舗を構える量販店の販売コストを、消費者に負担させる必要など無い。もしも量販店の魅力が、異なるメーカーの競合機種を比較して購入出来る点にあるというなら、大手メーカーが共同出資して販売会社を作り、直営のリアル店舗を作ったっていい。メーカーが直接消費者の声を聴ける場を作ることは、本業のものづくりにもいい影響を与える筈です。

 今回の記事で、私は別に農協や家電量販店を敵に回そうとしている訳ではありません。私自身、家電量販店にはひとかたならずお世話になっていますしね(農協にはお世話になった記憶がありませんが)。ただ、これからの時代、本当に必要な価値を生み出している人たちや企業が報われる経済構造にして行かなければならない、そう思っているだけです。勤労者として私たちは、自分が社会にどのような価値を生み出しているのかを考えて仕事をしなければならないし、消費者として私たちは、自分が支払うお金がその価値を生み出してくれた人たちにきちんと届くのかを考えて買い物をしなければならない。迂遠なように見えても、そうした個人の自覚の上にしか、産業の本当の効率化はあり得ないと思うのです。規制緩和やグローバリズムの進展で本質的な何かが変わる訳ではない。TPP参加で日本の産業構造が効率化されるなどというのは神話に過ぎません。

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2011年11月20日 (日)

「Buy Domestic」を消費者の行動規範に

 結局、野田首相はTPP交渉への参加を正式に表明してしまいました。ご本人は「最後は自分の判断で決断した」とご満悦の様子ですが、「誰があんたなんかの判断にこの国を任せた?」というのが、まずおおかたの国民の偽らざる感想ではないかと思います。そもそも国民の審判を一度も受けたことのない横すべり首相に、そんな独断を許すこと自体、ルールのあり方として間違っています。もしもこの国の首相にそれだけの強い権限があるのだとすれば、首相辞任の際には必ず解散総選挙をすべきなのではないか。しかも、野田さんの問題はそれだけではありません。この人の優柔不断なもの言いは、さっそく米国とのあいだで「言った、言わない」の意見対立を生じさせている。これは危うい。鳩山さんや菅さんの時にも同じような危うさを感じましたが、どうも民主党の党首の人たちには、国を代表して外交の場に臨むということに対する基本的な心構えや鍛練が出来ていないように見受けられます。(企業人なら、そんなことは入社1年目に叩き込まれることだと思いますが。) こういう人は、ほんのリップサービスのつもりでとんでもないことを口に出し、周りはその尻拭いに翻弄させられるということを繰り返すものです。野田さんが何故TPPにそんなに強い思い入れを持っているのか分かりませんが、世界の選りすぐりのタフ・ネゴシエーターたちが集まる交渉の場に、こんな人を送り出すのは非常に危険なことである、私たちはそういう認識を持った方がいいと思う。 

 TPPを利用して、あるいは外圧を利用してこの国の産業構造を変革するという考え方に、私は真っ向から反対する意見を持っています。変革が必要だとしても、それは外圧によるものではなく、内発的なものでなければ本質は何も変わらないと思うからです。もちろんTPPのようなものに対する危機感が、産業界に内発的な改革への動機を与えるということはあるかも知れない。しかし、それを期待してTPPに参加するというのは本末転倒でしょう。このことは前回も書きましたね。私が今回もう一度このテーマを取り上げたいのは、もしも政治的な方針として今後もグローバリズムの流れが加速されるのであれば(本当はその流れを変えるために政権を交代させた筈だと思うのですが…)、これに歯止めをかけるのは私たちひとりひとりの自覚ある消費行動に頼るしかないということを言いたかったからです。TPPを中心になって推し進めているオバマ政権だって、2、3年前には自国民に向かって「Buy American!」なんて言っていた訳じゃないですか。ところが日本ではどうだろう。TPPに加盟するまでもなく、国内産業を外国資本や輸入製品によって蹂躙されるままに放置して来たのは、私たち国内の消費者だったのではなかったろうか? ここ20年くらいのあいだ、日本はデフレスパイラルから抜け出せずにいます。その原因を金融政策の失敗のせいだという学者もいるし、新興国の急速な経済成長のせいだという評論家もいる。確かにそれもあるのでしょうが、もっと根本的な理由は、私たち日本の消費者が値段が安いという理由だけで国産品よりも輸入品を好んで購買していたからです。地元の商店街がさびれて行くのは寂しいと言いながら、一方で郊外の大型ショッピングセンターに毎週通っていたのは誰だったか?

 市民運動として、例えば脱原発を訴える人たちは多いのに、何故「Buy Japanese!」を叫ぶ声は大きくならないのだろう? これだけ国内消費が低迷していて、デフレの原因だって分かっているのに、それを政府や日銀の無策のせいにばかりするのは、成熟した市民の態度とは言えないような気がするのです。と、こんなことを書くと、それじゃあお前は外国製品を排斥するのか、いまさら保護主義に戻れと言うのか、というお叱りの声が聞こえて来そうです。いや、私も高い関税を復活して、政策的に貿易を制限すべきだと言い張るつもりはありません。そんなことは世界情勢から見ても許される筈がない。しかし、個々の市民の行動規範というか、賢い消費者のふるまいとしては、国産品の購買を優先するという考え方は十分受け入れられると思うのです。むしろこれからの持続可能な社会のためには、それを新しい常識にすることが必要だとさえ私は考えています。ちょうど節電やゴミの分別やマイバッグの持参といったことが、現代人の行動規範として認知されているようにです。国内製品を優先して買うことが、何故持続可能な社会を実現することにつながるのか、その理由はいくつか挙げられます。例えば輸出入が減ることで、生産物の輸送にかかるコストが低減されます(ここでコストというのは、経済的なものだけでなく、環境負荷などの見えないコストも含めて考えています)。また生産されてから消費されるまでの時間が短くなることで、品質保持にかかるコストも低減されます(例えば水産物を冷凍保存したり、農産物にポストハーベスト農薬を使う必要が少なくなるでしょう)。さらに生産地を集積させずに世界各地に分散させておくことは、ある地域が大きな災害を受けた時に世界経済が受ける打撃をやわらげるという意味を持ちます(現在タイを襲っている大洪水のようなものは、今後さらに増えるに違いありませんから)。

 しかし、何と言っても「Buy Domestic」運動の最大の意義は、これが全世界的に問題になっている経済格差の拡大に歯止めをかけられる可能性を持つということでしょう。私たちが新興国から輸入された安い製品を買う時、誰が豊かになり、誰が貧しくなっているのかを考えてみれば分かります。ユニクロとダイソーとニトリですべての生活用品を買い揃え、休日はマクドナルドで外食しているような家庭が、はたして豊かな生活を送っていると言えるだろうか?(我が家のことですが。笑)。これらはここ10年間で最も成長した企業です。おそらく円高効果もあって、いま最高の利益を上げていることでしょう。日本にも豊かになった人はいる訳です。それでは生産地である中国や東南アジアの国々ではどうでしょう。確かに輸出産業が牽引して、これらの国は急速な経済成長を遂げている。が、農村から工場に出稼ぎに来ている労働者が、豊かな生活を送っているとは決していえない。はっきり言って、彼らも搾取されている訳です。誰に? 国際資本に。いま中国では新興の富裕層が誕生していますが、これは早いうちからうまく国際資本と結託することが出来た人たちでしょう。決して中国版のスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが生まれている訳ではない。何も新しい価値を生み出している訳ではありません。要するにバブルです。昔、鄧小平氏が市場解放政策に転じた時、「先富論」というのを唱えました。裕福になれる者から先に裕福になれというのです。これが中国の驚異的な経済発展につながったのは確かですが、結局裕福になれなかった大部分の国民は、単に貧しいだけでなく、奴隷のような生活に落ち込んでしまっただけでした。

 いまニューヨークを中心にして広がっている「99%の我々」運動というのは、1%の金持ちが99%の貧乏人を搾取する現在の社会構造に対する抗議である訳です。デモに参加している若者は、金持ちに重税を課すことを政府に求めているのかも知れませんが、これは一国の税制を見直すだけで是正出来るような問題でもないと思います。税というのは経済活動の結果に対して課せられるもので、一部の富裕層にのみ富が集まるように構造化されている現在のグローバル資本主義を根本から変えるものではないからです。グローバリズムに対抗するには、むしろ徹底したローカリズムを私たちの行動規範にすることの方が有効ではないかというのが今回の私の主張です。「Buy Domestic」というのは、そのための標語のひとつということなのです。――「それじゃあ、お前は今日から外国製の商品を一切買わないんだな? ショッピングセンターではなく、地元の商店街で買い物をするんだな?」、そう問い詰められるとちょっとつらい(笑)。値段のことはともかく、衣類や日用品なんて、そもそも国内で生産された製品を探すことの方が難しいくらいですからね。あらためて身の周りを見回してみると、いかに自分の生活が輸入品(と思われる製品)で囲まれているかに愕然としない訳にはいきません。「Buy Domestic」以前に、「Produce Domestic」を復活させなければならない。そのためには私たちの自覚的な消費活動だけでは間に合いそうもありません。この問題を考え始めると、やはり有効な対策は、〈国内限定の第二通貨〉しかあり得ないのではないか、そう思ってしまうのですが…

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2011年11月13日 (日)

TPPに替わる戦略はある!

 「改めて主張したい。まず交渉に参加すべきだ。そのうえで、この国の未来を切り開くため、交渉での具体的な戦略づくりを急がねばならない。資源に乏しい日本は戦後、一貫して自由貿易の恩恵を受けながら経済成長を果たしてきた。ただ急速に少子高齢化が進み、国内市場は停滞している。円高の追い打ちもある。貿易や投資の自由化を加速させ、国内の雇用につなげていくことが、ますます重要になっている。世界貿易機関(WTO)での自由化交渉が行き詰まるなか、アジア大平洋地域にはアジア大平洋自由貿易圏(FTAAP)の実現という共通目標がある。横浜で昨年開かれたAPECでは、FTAAPへの道筋の一つにTPPも位置づけられた。それに背を向けて、どういう戦略を描こうというのか。」

 ――これは今週火曜日の朝刊に載っていた、朝日新聞の社説からの引用です。なんだか意外な感じがしますね、朝日新聞がもろ手を挙げてTPP賛成に回っている。購読はしていても、ふだん社説なんてほとんど読まないので、朝日新聞社がTPP推進派の立場を明確にしているとは知りませんでした。マスコミ各社がこうした問題に対してはっきりとした態度表明をし、旗幟鮮明にすることに私は基本的に賛成です。それにしても(と私は思うのですが)、この社説の文章はひどい。私がTPP反対派だからそう感じるのではないと思います。語気の強さに、内容がまったく伴っていないのです。「貿易や投資の自由化を加速」させることが、どうして「国内の雇用に」つながるのか、その理路はどこに説明されているのでしょう? むしろ自由化によって国内の雇用が失われることを国民は心配しているんじゃないですか? 「アジア大平洋地域にはFTAAPの実現という共通目標がある」なんて断言してるけど、誰がそんな目標に合意しました? 「それに背を向けて、どういう戦略を描こうというのか」なんて脅し文句が効果を持つためには、FTAAPというものが多くの国民に了解されていなければならない筈です。でも、FTAAPなんて名前は聞いたこともないという人の方が、国民のあいだでは(私も含めて)大多数なんじゃないですか?

 TPPをめぐる議論はインターネット上でも白熱していますが、賛成論にせよ反対論にせよ、最近はこんな空疎な文章を探すことの方が難しいような気がします。こういうのを読んでしまうと、やっぱり新聞というものの社会的な役目は終わったのかなと思ってしまう。それはともあれ、「TPPを選択しないなら、他にどんな戦略があるのか?」という反語的疑問文は、TPP推進派の常套句でもありますから、TPP反対派の自分としてはこれに答える義務を感じます。たまたま新聞の社説を読んで感じた腹立たしさがこの文章を書く動機になっているのですが、これは一度はきちんと考えをまとめておくべきことでもあります。確かに反対のための反対では意味がありませんからね。私の考えでは、TPPの問題というのは、それだけを単独で論じるべきものではありません。これは日本がこれからも経済成長を最優先にして行くのか、それとは違う方向に転換するかの分岐点となるべきものだというのが基本的な認識です。いや、野田さんがTPPへの参加表明をしたからと言って、それで日本の将来が決まってしまうほどのものではないのかも知れませんね。これから日本が進むべき方向を決定づけるファクターのひとつであると言い直しましょうか。震災とそれに続く原発事故によって、この国では従来の保守対革新という政治的な対立軸がまったく無効になってしまったと私は捉えています。それはもっと別の対立軸に取って代わられるべきものなのです。

 もっと別の対立軸とは何か? それはもう誰もがよく知っているものです。一方のキーワードを「経済成長」とするなら、もう一方のキーワードは「持続可能性」というあれです。これに類似するキーワードなら、いくらでも挙げられます。「グローバリズム」「GDP」「投資効率」「最適地生産」「能力主義」vs「コミュニティ」「資源循環」「再生可能エネルギー」「地産地消」「互助主義」…。もっと端的に「エコノミー」対「エコロジー」と言っても同じです。そんな対立軸なんて目新しいものでも何でもありませんが、それが観念的なものからいよいよ現実的な争点となって私たちに突きつけられている、それが今日の世界の状況ではないかと思う訳です。いまアメリカやヨーロッパで起こっていることは、単に循環的な景気の谷に落ち込んでいるといったことではないような気がします。それは産業革命以来ずっと右肩上がりに続いて来た経済成長が、とうとう行き止まりの崖っぷちに到達してしまったということなのではないか。日本は世界に先駆けてこの状況に突き当たっていた筈なのですが、崖から先に転落したのはアメリカとヨーロッパでした。何故か? 日本人がコツコツ貯めて来た1400兆円の個人資産が、崖っぷちでふんばる支えとなっているからです。現在の日本円の独歩高は、要するにそのことを表しているのです。しかし、その支えだって、もういつまで保つか分からないというのが今の状況です。

 アメリカのTPPにせよ欧州中央銀行のギリシャ救済策にせよ、言っちゃ悪いけど、経済が没落して行く国々の最後の悪あがきのようなものじゃありませんか。もしも「アジアの成長を取り込む」なんてことを言うなら、現に成長を続けている中国や韓国やインドと組む方がよほど合理的というものです。もうひとつTPP推進派が口にする常套句に、「TPPを利用して」あるいは「外圧を利用して」というコトバがあります。これもヘンな話です。今週、テレビの深夜ニュースを見ていたら、医療分野の改革を進めるためにTPPを利用するという視点で特集を組んでいました。混合診療の問題(保険認定外の治療を受けると、認定部分の治療も保険対象外となってしまうという問題)やドラッグラグ(世界的に認可されている医薬品に厚労省が認可を下さないため、最新の治療が受けられないという問題)について、TPPがこうした閉鎖的な日本の医療制度に風穴を開けてくれるかも知れないというのです。でも、これは話が本末転倒です。TPPに加盟しないと、アメリカが最新薬を売ってくれないというならともかく、ここで取り上げられているのは純然たる国内問題ではないですか。これは私たち有権者が政治を通して正して行くべき問題でしょう。そこにTPPを絡めようとするところにウソがある。TPP推進論者の意見を子細に見てみると、だいたいがこの手のウソで出来ていることに気付きます。

 おっと、脱線した。問題の本質は、TPP参加の是非という小さな論点にあるのではない、日本がこの先も経済成長を最優先にしてやって行くのか、持続可能な社会に向けて舵を切り直すのか、私たち国民がどちらを選ぶのかという点にあるということでした。新聞の世論調査によると、TPPに賛成する人の割合(45%)が反対する人の割合(32%)を上回っている一方、脱原発に賛成だという人の割合は74%に達しているのだそうです。つまり原発には反対だけれども、TPPには賛成という意見の人が結構いるということです。私はこれに違和感がある。もしも既得権益の構造を打破するという視点に立てば、原発反対とTPP賛成は近い立場として括れるのかも知れません。原子力ムラと農業団体は同じ穴のムジナだという見方です。でも私は、こういう見方は庶民感情に訴えるものはあっても、長い目で見れば国の進む方向を誤らせるものだと思う。TPP参加の問題も原発存廃の問題も、その本質はこれからの社会の持続可能性という高次の問題につながるものです。規制緩和によるグローバル経済の進展が、大局的な見地から見て、ほんとうにいま選択すべき方向なのだろうか。原発にノーと言った時、私たちは多少電力料金が高くなっても、安全でクリーンな電力に切り替えて行くべきだと考えた筈です。それが例えば農産物に関してなら、生産性が高ければ(つまり小売価格が安ければ)、大型耕作機械と大量の農薬を使う大規模農法の方が好ましいと考えるのは矛盾している。素朴に当たり前に考えてみましょうよ、これからの日本の農業がヘリコプターでの種まきや農薬散布を取り入れることを私たちは本当に望んでいるのだろうか?

 根本的な問題は、「生産性」という概念が十分に吟味されることなくひとり歩きしている点にあります。これをグローバル経済での取引価格でのみ計ろうとすれば、日本の農業には今後も勝ち目は無い。しかし、環境に与える影響や単位耕作面積当たりの収穫量という観点で見れば、おそらく日本の伝統的な農業の優位性というのも明らかになると思います。TPPに替わるべき国家戦略のヒントはそこにあります。これは農業だけに限ったことではありません、狭い国土と乏しい資源のなかで国民経済をやりくりして行かなければならない我が国は、アメリカや中国と同じ戦略で戦うことは出来ないし、そもそも同じ土俵に乗るべきでもないのです。TPP推進派は、労働集約型の産業構造からの転換といったことを主張しますが、これがそもそも間違いのもとです。これからの社会は、何よりも資源の循環性や再利用性ということを最優先にして設計されなくてはならない。狭い国土に多くの人口を抱える我が国では、再利用可能な資源の最たるものである〈労働力〉を有効に活かすということを国家戦略の中心にすべきなのです。アメリカの大規模農園の多くは、農薬の大量散布や地下水の枯渇によって農業の持続性さえ危ぶまれていると言います。これを日本の将来の姿にしてはならない。短期間の経済効率性を追求して、将来に大きなツケを残すような政策は、この国ではもう支持を得られないと思います。TPPに反対する民主党議員の皆さんは、もしも党を割るほどの覚悟があるなら、例えば日本版「緑の党」を目指す勢力と合流して、新たな政治的な対立軸を国民に示して欲しい。もうすでにその機は熟しています。

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2011年11月 6日 (日)

パパンドレウ首相は正しかったと思う

 前回の記事でTPP参加への反対論を書きました。それと同時にいくら反対派が声を上げても、対米従属路線の野田政権が、見切り発車でTPP交渉に参加することは避けられない状況なのだろうとも思っていました。ところが、今週またこの問題は思いがけない展開を見せました。今月12日から始まるAPECのなかで日本が交渉参加を表明したとしても、もう手遅れだというのです。どういうことかと言うと、日本がTPPの交渉に参加するためには、米国政府と米国議会による事前協議と承認が必要で、そのためには最大5か月ほどかかるため、今からではもう来春からのTPP交渉には間に合わない可能性が高いというのです。日本政府はそのことを知ることの出来る立場にいたのに、適切な情報開示を行なって来なかった、野党からはそんな批判の声も出ているようです。

 このニュースを聞いた時の私の正直な感想は、「?」というものでした。だってもともとTPPというのは、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国で発足した経済協定でしたよね。アメリカは後から加入した新参者に過ぎなかった筈です。そこに日本が参加、じゃなかった、「参加交渉への参加」をするためにですね、何故アメリカ議会の承認を経なければならないのか。それじゃあブルネイ議会の承認はどうなっているんです? アメリカは日本にTPP参加を強く求めていたのに、何故いまさらそんな矛盾したことを言い出したのか? 実はこれは詐欺師がよく使う手です。お人好しの金持ちをつかまえて、あやしい儲け話を持ちかける。相手はためらって少し考える時間をくれと言う。3日後に意を決して電話をしてみると、あの話はもう締め切りましたと言われる。そこをなんとかと懇願すると、それじゃあ特別にうちの社長に取り計らってみましょうと答える。こうして単にだまされるだけでなく、恩まで着せられる訳です。人間心理のアヤで、その方が詐欺行為が見破られにくくなるんですね。こんな状況でもTPP参加に前のめりな野田さんは、どう見ても国際政治における〈いいカモ〉でしかない。屈辱外交もここに極まれりというべきです。

 財政破綻寸前のギリシャで、パパンドレウ首相がユーロ圏にとどまるか否か、国民投票を行なって決めると言い出しました。苦労をしてギリシャ救済策をまとめ上げたフランスのサルコジ大統領やドイツのメルケル首相は、このギリシャ首相の突然の発表にかんかんです。でも、ギリシャという国の将来を考えた時、私はパパンドレウさんの政治的決断はまったく正しいものだったと思います。交渉相手をかんかんに怒らせることだって外交駆け引きのテクニックのひとつでしょう(かんかんに怒っている方だって、自国民向けのパフォーマンスをしているだけなんだから)。ギリシャの国内には、フランスやドイツの屈辱的な救済策を呑むくらいなら、ユーロを離脱して自国通貨のドラクマに戻ろうという世論もあるのです。どちらに転ぶにせよ、この先のギリシャ国民を待ち受けているのは茨の道です。強い政治的指導力でこの困難を乗り越えることは不可能だと思います。どちらを選択しても、未来に大きな困難が待ち受けていると分かっている状況では、正しい政治的決断というものは原理的にあり得ない。後でその困難が現実となったとき、野党はその選択をした現政権を非難し、世論もそれに同調することは分かり切っているからです。こういう状況で政権が選べる最善手は、国民自身にそれを選ばせることでしょう。それは政治の責任回避ということではありません、来たりくる困難を乗り越えるためには、国民が主体的にそれに立ち向かい、誰にも責任転嫁をしないことが必要なのです。

 パパンドレウさんの乾坤一擲の決断は、内外からの強い反発でつぶされてしまったようです。このチャンスを逃したことは、これからのギリシャにとって長く禍根として残るのではないかと私は思います。しかし、考えてみれば、状況は日本も同じですね。TPPに参加するかどうかという選択肢は、どちらかを選べばバラ色の未来が約束されるといったようなものではないからです。端的に言って、どちらを選んでも日本国民は苦難の道を歩まなければならない。どちらを選んでも政権は「それ見たことか」という非難を受けることが必定なのです。だったらギリシャ首相の勇気に倣って、TPP参加も国民投票で決めてみたらどうだろう。たとえ日本の農業が大打撃を受けるにせよ、政治に見捨てられたというシナリオよりも、国民の総意でそうなったというシナリオの方が農業関係者も納得出来るし(たぶん)、農業の復活のためにもプラスに働くのではないだろうか。国民投票を経たあとでは、農業問題も単なる政治問題から国民全体の問題として認識されるようになるからです。(TPPに関しては、それ以前にその「素性の悪さ」を国民に周知徹底することの方が重要だとは思いますが…) 考えてみれば、日本にも「国民投票法」というものが出来たのですから、これを活用しない手はありません。もともとこれは安倍政権時代に憲法改正を目指して作られた法律ですが、震災後のいまとなっては憲法改正なんて誰も話題にさえしない。もっと喫緊の重要な案件への適用を考えるべきです。

 そう考えると、国民投票の対象にしたいテーマはまだ他にもいろいろありますね。例えば原発問題。これは国論を二分する難問で、原理的に正解の無い問題です。何故かと言うと、原発を継続するにしても廃止するにしても、メリットよりデメリットの方が大きいからです。もっと正確に言うなら、どちらを選択しても大きな不利益を被る人が出て来ることが分かっているからです。(もしも不利益を被る人がいないような政策なら、そもそも論争にさえならないでしょう。) こういう問題に対しては、いくら議論を尽くしても答えは出ません。かと言って国会決議で決めてしまったのでは、後々に遺恨が残る。むしろ国民投票にかけてもらった方が、私たち有権者としても納得が行くのではないか。原発問題だけではありません、増税問題にしても、年金改革問題にしても、郵政民営化問題にしても、政治的には正しい答えを出せない問題ばかりです。ここ何年ものあいだ、日本の政治が停滞しているのは、そうした問題ばかりが積み残ってしまっているからではないでしょうか。日本は民主主義国家のなかでも、国民投票を行なったことがない例外的な国です。私は、日本もはっきりした対立軸と政治的主張を持った二大政党制に向かうことが望ましいと考えているのですが、当面それが望めないのであれば、国民投票というツールを利用して閉塞した状況を打開する選択肢も考えるべきなのではなかろうか。ギリシャのニュースを聞きながら、そんなことを思ったのでした。

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