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2011年10月10日 (月)

生産性の問題を考えるために(7)

■ オルタナティブ経済の可能性について その2

 いま各地で原発反対の動きが活発になっています。しかし、市民レベルでいくら盛り上がったところで、新政権が原発再稼働を政治決定してしまえば、私たちにそれを阻止することは出来ません。これが仮に特定の企業や製品に反対するのであれば、不買運動に訴えるという手もあります。しかし、私たちが毎日使っている電力のなかから、原子力によって発電された部分に対してのみ不買運動をするなどという選択肢はあり得ない訳です。いや、まったくあり得ないこともありませんね、福島の事故以来、ドイツでは再生可能エネルギーを供給する発電会社に契約先を変更する家庭が増えているのだそうです。先日読んだ新聞記事に出ていました。何故ドイツではそんなことが可能なのかと言えば、発送電が事業分割されているのは当然の前提として、発電方式にかかわらず同一の料金になるような電力政策が採られているからです。要するにコストの高い再生可能エネルギーには政府の補助金が出ているのです。それを実現してしまうドイツ政府の政策遂行能力は羨ましい限りですが、おそらくこうした不自然な(つまり市場原理に反した)政策は長続きしないのではないかとも思います。再生可能エネルギーを購入する家庭や企業が増え過ぎれば、あるいはユーロ危機で国の財政が逼迫すれば、補助金の財源も尽きてしまうに違いありませんから。このことは菅元総理が置き土産として残して行った「再生可能エネルギー特別措置法」についても言えます。市場原理を歪めるこうした〈無理筋〉の政策は、長い目で見れば国力を減じるばかりか、社会の持続可能性さえも遠ざけてしまうのではないかという気がします。

 むしろ持続可能な社会のためには、これまでとは異なる〈新しい市場原理〉を開発する必要があるのではないか、それがこの連載のテーマです。(最初はもっと違うテーマだったような気がしますが、途中からそういうことになりました。笑) ここまでお膳立てが整えば、あとはもう奇抜なアイデアを待つ必要はありません。要するに再生可能エネルギーだけを選択的に買えるお金があればいい訳でしょう? だったらそういうお金を作ってしまえばいいのです。政府が発行する第二通貨、日本円とは異なる国内限定通貨は、そのためのお金ということになります。現在の日銀券というのは、株式会社である日本銀行が発行した〈利潤追求のためのお金〉です。日銀は印刷した紙幣を直接国民に配ったり、国庫に納めたりしている訳ではありません。日銀の発行したお金は、すべて民間銀行を通して世の中に出て行きます。しかもそれは社会に流通するお金のほんの一部に過ぎません。いわばタネ銭です。民間銀行は〈信用創造〉という美名のもと、このタネ銭を何倍にも膨らまします。こうして生み出された現在のお金は、本質的に〈終わりのない経済成長〉を目指すという使命を担わされているのです。そのことを私は批判的に捉えているのではありません。20世紀の後半くらいまでは、それでなんとかうまくやって来た。しかし、今世紀になって、終わりのない経済成長という神話は明らかに崩壊しました。サブプライム問題もユーロ危機も、要するにそのことの現れに過ぎないのだと思います。これからは成長無しにやって行ける経済体制と、それを支える新しいコンセプトのお金が必要だということなのです。では、何故その発行主体が政府でなければならないのか? 一般的な地域通貨のように専門のNPOを作って、そこが発行したのではダメなのか? 別に構いません。しかし、政府というのは、唯一国民が直接管理職を選ぶことの出来る国内最大のNPOなんですよ。だったらこれを使わない手はない。

 発案者の特権として、仮にこの新通貨を「エコ」と名付けましょう。エコノミーとエコロジーの両方を担うという意味でのエコです(安直?)。以前の記事で、私は政府発行の第二通貨に対して日本円と交換するオプションを工夫したこともありました。しかし、今回のエコは、日本円との交換が一切出来ない、文字通りの第二通貨として設計します。で、それをどうやって世の中に流通させるのか? これもいろいろなアイデアがあると思いますが、今回は一番簡単なやり方で始めます。政府が個人に給付しているお金の一部を新通貨に代えるのです。例えば、児童手当、失業手当、生活保護の給付金、国民年金、障害者年金といったものは、すべて支給額の一部がエコで支払われる。議員報酬や公務員給与ももちろん同じです。その比率を何パーセントにするか、新通貨を紙幣にするか電子マネーにするかといったことは、後でまた考えましょう。もちろんこのような通貨政策を国民の同意を得ずに実行することは出来ません。ここで政府の指導力が問われることになるのですが、この新通貨は現在の経済成長至上主義にブレーキをかけ、公平で持続可能な社会を実現するための切り札として導入するのだということを、国民に十分納得してもらわなくてはならない。そのための説明と広報活動は政府が責任を持って行ないます(民主党や自民党には無理ですね)。議員や公務員といった人たちが、率先してこの新通貨の利用者になるというのも、この点からすればふさわしいことです。エコは政府通貨ですから、その発行に日本銀行は関与しませんし、国債や準備金などの裏付けが必要になる訳でもありません。政府が持つ通貨発行特権によって、まさに打出の小槌のように発行出来るのです。もちろんこの通貨自体を持続可能なものにするためには、それを回収し循環させる仕組みも組み込んでおかなければならないのですが、この点についてもまた後で考えましょう。

 ある日突然、給与や年金の一部をこれまで見たこともない新しい通貨で受け取ったとしても、私たちはそれをどうやって使えばいいのでしょう? お店で出してもどこも受け取ってくれるところなどありません。もしも政府が法律を作って、1エコ=1円として流通させることを義務づけたらどうでしょう。売り手はエコでの支払いを拒否出来ないルールにするのです。そんなことをしたら、経済が大混乱を来すばかりか、せっかくの新通貨が台無しになってしまう。そうではなくて、新通貨の流通に関しては市場原理に任せるのが正解です。売り手になったつもりで考えてみてください、あなたが日本円なら喜んで受け取るのに、エコは受け取れない理由は何でしょう? 日本円ならそれで次の仕入れが出来るし、自分と家族のための生活費に充てることも出来る。ところがエコでは何も買えないということが心配なのですよね? しかし、あなたのお店でエコを使ったお客さんは、それで生活物資を手に入れた訳じゃないですか。それは夢でも幻でもありません。あなただってエコを受け取ってくれる売り手を探して、そこから商品を仕入れたり食料を買ったりすればいいんです。エコは日本円と違って、銀行には預けられないお金ですから、貯蓄には向きません。が、商売やふだんの生活のためには、結構役立つお金だということにあなたは気付くでしょう(と言うか、気付いて欲しい)。ただ、市場原理と言っても、ルールが何もない訳ではありません。新通貨を発行するに当たって、法律で定めておかなければならない最低限のルールがあります。ひとつは1エコ=1円として扱うというルール、もうひとつはエコを受け取るかどうかは売り手が自由に決められるというルールです。商品ごとに売価の何パーセントまでエコでの支払いを可とするかというところまで決められます。これは私の政府通貨論に共通する基本原則です。

 これだけの仕掛けで新通貨が流通するようになることが信じられないという人は、もう一度自分が商店主になったつもりで想像力を働かせてください。同じ商店街のライバル店では、最近すべての商品について売り値の2割までエコでの支払いオーケーという広告を出しました。つまり1万円の買い物をする場合、8000円+2000エコで買えるのです。これはあなたのお店にとって脅威ではありませんか? エコというのは特に導入当初は、使い途がなくて財布のなかで眠っているようなお金です。それが使えるお店が出来たとなれば、お客さんが殺到したって不思議ではない。すると次に何が起こるかと言えば、エコが使えるお店が急速に拡大して行くのです。それは小売店だけではありません、小売店に商品を卸す流通業者や、さらにその上流の生産業者にもエコを扱う業者は増えて行く。なにしろエコを扱わなければ、取り引きをしてもらえないんだから仕方ない。あなたはそのことを忌々しく感じるでしょうか? しかし、ここは考え方を転換してもらわなければなりません。エコを扱うというのはどういうことか? それはまさにあなた自身が「信用創造」をすることなのです。日本円というのは、銀行の信用創造機能によって生み出されたお金です。それに対し、エコの方はそれを使うすべての人が、お互いを信用し合っているからこそ価値が保証されているようなお金です。取り引きでエコを受け取れるのは、次に誰かがそれを受け取ってくれると信じていればこそでしょう。私はこれこそが本来の意味での「信用創造」なのではないかと思う。実体経済にほとんど何の価値も生み出さない銀行が、信用創造機能を独占している現在の貨幣経済の方がおかしいのです。

 では次に、何故この新通貨が再生可能エネルギーや環境に優しいエコ製品の購買に優先的に使われるようになるのか、その点を説明しましょう。これも市場原理の自然の帰結として説明出来ます。ひと言で言えば、それは日本が資源に乏しい国だからです。もっと正確に言えば、日本が化石燃料や鉱物資源などの〈再生不能な資源〉に乏しく、自前で調達出来るのは、水力や太陽光や地熱などの自然エネルギーや国内の労働力といった〈再生可能な資源〉に限定されるからです。たとえ市場でエコを扱う業者が増えたとしても、どうしてもエコでは商売が出来ない業者というのも出て来ます。例えば輸入品を専門に扱う商社などがそうです。海外への支払いにはエコは使えませんからね。ということは、石油を輸入しなければならない火力発電業者、ウランを輸入しなければならない原子力発電業者は、水力発電業者や太陽光発電業者に比べて電力料金に占めるエコの割合を低く設定せざるを得ないということになる訳です。ほら、エコは再生可能エネルギーを促進するでしょう? エコ製品の方はもう少し違う理由づけが必要です。私がここで定義したい「エコ製品」というのは、例えば燃費のいい自家用車のようなものを指すのではありません、メンテナンス性能が良く、長く使い続けられるような製品のことを指します。電気自動車が必ずしもエコロジカルだとは言えないと私が思うのは、搭載している蓄電池が大量の希少資源を消費していること、それに(現在のところ)耐久性が低いということがあるからです。むしろこれからの時代に求められるのは、一度買えば20年でも30年でも乗り続けられるクルマです。それじゃあ自動車メーカーがつぶれてしまうですって? 何を言ってるんですか、ひとつの製品を長く使い続けるということは、そこにメンテナンスという新たな市場が拓けるということじゃないですか。そしてこのメンテナンスということこそ、高い技術を持った労働者という日本が豊富に持っている再生可能な資源が最も活かせる分野なのです。

 もしも日本が石油やウランやレアメタルなどの地下資源に恵まれた国であったなら、国内限定通貨などという〈貧乏くさい〉政策に頼る必要も無かったでしょう。が、幸か不幸か日本は世界に先駆けて資源の枯渇に直面する運命にあるのです。そういう課題においても日本は世界の先進国なのですね。エコ通貨は、別に国内産業を優先する保護政策として設計する必要もありません。この考え方に同意してくれる国があるなら、最初から国際通貨として企画することも出来ます。しかし、そんなことは現実的ではないだろうから、まずは日本がそれを試行してみて、それに成功したら世界に広めるという方が可能性としてはアリでしょう。(それだって全然現実的ではないけれど。笑) 地球や人類の持続可能性というのは、一国だけの努力だけで成し遂げられるものではありませんが、それでも先鞭をつける国はやっぱり必要だと思う訳です。――さて、話はどんどん脱線して行くばかりですが、先ほど積み残してあった宿題があるので、それについて最後に少し触れておきましょう。国民に直接配ったエコ通貨を、どのように回収してインフレを防ぐかという問題です。これにはふたつの方法があります。税によってエコを回収するのと、エコそのものに減価性(自然に目減りする性質)を持たせて、世の中に流通するエコの総量を一定に保つという方法です。減価するお金というのは、初めて聞く人には分かりにくいかも知れません。これはシルビオ・ゲゼルという昔の偉い経済学者が考案した革新的なコンセプトです。しかし、それを説明し始めるとまた1回分の連載を使ってしまうので、ここでは私がお奨めする方法をひとつだけ紹介しておきます(過去の記事へのリンクですが)。日本経済のなかでエコを大きく循環させるためには、エコそのものの減価性と税制度(主に法人税)によってこれを回収する速度を適正に保つこと、そしてまた給与や賃金にエコを含ませる比率を法律で規制して、働く人が無理なくエコの経済圏に溶け込めるようにすることが重要になります。

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