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2011年7月24日 (日)

ボツになったアフォリズム集(4)

(そろそろ震災や原発事故の問題から離れて、本来のテーマに戻りたいと思っているのですが、なかなか気持ちがうまく切り替わりません。先週は書こうとした原稿がうまくまとまらず、一回投稿をお休みしてしまいました。今週も以前ツイッターに書いた文章の再録でお茶を濁します。困った時のアフォリズム集です。)

1.市場経済と経済政策

  • 自由な競争がある社会は望ましい、但しそこから脱落した人に対するセーフティネットの整備は必要だ。――こういう言い方をすれば誰も文句はつけられない。だが、問題は今日の社会が要求するセーフティネットの規模が、自由主義経済を圧し潰すほど大きいものになっているという点だ。
     
  • 成果主義や年俸制というのは、他社が育てた人材を横取りするための仕組みと言える。一見合理的だが、多くの企業がそれを採用すれば結局人材は育たなくなる。年功序列から成果主義に移行する社会は、未来への投資を止めた社会なのである。
     
  • 私たちが将来のためにお金を貯金をするということは、いまお金が必要な誰かからそれを奪っていることに他ならない。
     
  • ボランティア活動と言えば何か美しいもののように聞こえるが、それは要するに労働力のダンピングであり、最低賃金で働く労働者から仕事を奪うことである。「ボランティア募集」という広告を見たら、時給0円で働くことの陰で誰が笑い、誰が泣くのかを考えてみるべきだ。
     
  • 庶民が1円の値段の違いを気にしてスーパーで買い物をしている時、デイトレーダーはパソコン上で1億円のお金を動かしている。国内経済のなかに、金融資本が食い込むことの出来ない、生活人のための〈非武装地帯〉を設けることがどうしても必要だと私は思う。
     
  • 資金需要が無ければ、いくら量的緩和をしてもデフレ脱却の効果は無いという意見がある。が、資金需要はあるところにはある。どこにあるかと言えば、政府や自治体にはたっぷりとある訳だ。日銀による国債の直接引き受けが求められる所以である。
     
  • 政府の行なって来た経済政策がすべて間違いだったと言うのは正しくない。大抵の場合、それは単に他国より後手に回っていたというに過ぎない。しかし、経済政策において後手を踏むということは、大抵の場合、間違った政策を他国に先駆けて実行するより更に悪い結果を招く。

2.ベーシックインカムについて

  • 複雑さというものは既得権の発生する培養土である。あるいは発生した既得権を隠蔽する雑草地であると言ってもいい。ベーシックインカムを導入する意義は、何よりもこの複雑さを一掃して、既得権の構図を打ち破るところにある。
     
  • BIは「働きたいのに働けない人」に救いの手を差し伸べないと言う。果たしてそうか。むしろBIの導入によって、働きたくないのに働かざるを得ない人が働かなくてもよくなり、その結果として働きたいのに働けない人が働けるようになるのが自然の理路というものではないか。
     
  • BIのある社会では、完全雇用ということを政策の目標にしなくてもいい。ひとつにはBIによって最低水準の生活が保障されているからだが、さらに本質的にはBIによって雇用の流動性が高まることが期待出来るからである。
     
  • 日本の経済にとって最大の呪縛となっているものが労働力の流動性の低さという問題だろう。ベーシックインカムの一番の魅力は、この呪縛を解き放つ可能性を秘めているという点にある。
     
  • ベーシックインカムは、労働市場における流動性だけでなく、結婚市場における流動性も高める。夫のDVに苦しむ妻は子供を連れて離婚し、シングルマザーやシングルファザーは諦めていた婚活を始める。希望の持てる家族の再編が始まる。
     
  • 供給側に資金を提供するということは、貸し手が国であろうと銀行であろうと利子を付けての返済を前提としている。しかし、需要側への資金の提供というものは返済を求めない贈与であるしかなく、贈与であればこそ将来の負債として国民経済を圧迫することもない。
     
  • 産業の効率化ということは、これまでは資本家にとっての福音でしかなかった。ベーシックインカムのある社会では、それはすべての人にとっての福音になるのだ。

3.政治の混迷について

  • 驚くべきことに、この国では政治家としての資質や適性というものが、総理大臣になるまで試されることがないらしい。そこに登りつめるまで、我々は彼の何を見ていたのだろう?
     
  • 議員定数削減が国会で論じられている。早い話、これに賛成するのは定数削減されても選挙で生き残れる自信のある議員たちで、反対しているのはその自信が無い議員たちだろう。議員の給料を半分にすれば丸く収まる話なのに。
     
  • 官僚主義とは何か? 官僚主義を排すると言えば、官僚主義を排するための予算を要求してくる、それが官僚主義というものである。
     
  • これからの政治の課題は、「みんなが少しずつ我慢する仕組み」を作ることである。小泉改革の失敗は、国民に「痛みに耐える」ことを訴えながら、痛みを広く国民に分配せずに、一部の人たちにのみ激痛を押し付けたところにある。
     
  • 改革というものが難しいのは、それが〈既得権益〉との闘いになるからだ。最近の言葉でいう「Win-Win」の関係にならない改革は成功しない。資本家と労働者が、先進国と途上国が、そして私たちと百年後の子孫たちがともにWin-Winになること、それが真の改革である。
     
  • 政治的事件につきものの「陰謀説」というのは、一般的に考えられているほど有害なものではない。むしろそれは言論が健全であることを証明するものである。その健全性は陰謀説がいくら真実らしくとも証明不可能であることで担保されている。
     
  • 保革という対立軸が優れているのは、時代環境が変わっても、歴史が続く限り不変の対立軸だからだ。長く続く政界の混乱は、つまるところ日本の政治がこの対立軸を見失ったことに由来する。

4.社会保障制度の現実

  • 企業が競ってより良い製品やサービスを生み出すという市場原理の法則も、お金の集まる市場でしか成り立たない。もしもニーズのあるところにサービスがあると言うなら、この国にはホームレスも生活保護家庭も存在しない筈である。
     
  • 貯蓄好きは日本人の国民性だというのも、過去においてはそうだったかも知れないが、今は違うと思う。国も信じられない、地域社会も信じられないという不信感が、人を貯蓄に駆り立てているのだ。
     
  • 年間3万人もの自殺者がいるのに、行政がこれに積極的な予防策を講じないのは、自殺を財政の負担になる厄介者を淘汰するための調整弁とでも考えているからだろうか。
     
  • 年金支給年齢を5歳も引き上げるという改革は出来たのに、すでに支給されている年金を減額するという改革は絶対に出来ない。げに恐ろしきものは〈既得権益〉である。
     
  • これが事件としてのネズミ講であるなら、一部に勝ち逃げをする人たちがいたとしても、その人たちの利権は事件発覚後も続く訳ではない。ところが公的年金の場合、いったん受給資格を得れば、あとに続く世代がどれほどの損をかぶろうともその利権は死ぬまで続くのだ。
     
  • 年金をかけるのは、老後の生活を支えるためだけではない、長生きをし過ぎることに対する保険をかけるという意味もある。もっとはっきり言えば、平均寿命より早く死ぬ人が、長寿の人の余生を支えるということである。年金とは要するにロシアン・ルーレットである。
     
  • 政府も国民もこぞってリスクを先送りするやり方に加担している。リスクは先送りすればするほど、クラッシュした時のショックも大きい訳で、私たちは将来の子供たちに爆弾を投げ付けているのも同然である。

5.死刑制度と裁判員制度

  • 我々は次の世代によりよい世界を遺して行く義務がある。例えばそれは美しい自然の残る世界であったり、飢えや貧困の克服された世界であったりするように、死刑の廃止された世界でもある。
     
  • 死刑制度や安楽死について考えると、まだまだ西欧諸国に見習うべきことが多いと感じる。こうした領域での後進性を未成熟な個人主義のせいにするのは欺瞞だと思う。試行錯誤によって成熟するという経験が我々には欠けている。
     
  • 死刑制度は絶対主義としか相性が良くない。少なくとも信仰の自由を認めている国では、死刑制度そのものに矛盾がある。だから中国や北朝鮮やイスラム諸国では死刑は何の矛盾も無く存続し得るのである。
     
  • 死刑が国家権力の示威行為であることは、刑法で死刑となり得る犯罪の筆頭に内乱罪が来ていることからも理解出来る。
     
  • 動機が不明な無差別殺人犯の口から決まって聞かれる「死刑になりたかった」という言葉を、何故死刑存置派の人たちは聞きもらすのだろう?
     
  • 裁判員制度を評価するには、裁判員経験者の意見を聞くだけではなく、裁判員裁判で裁かれた元被告の意見も聞くべきだ。服役中の犯罪者がこの制度にどれだけ満足(あるいは納得)しているかということは、彼らの今後の更生という観点からも非常に重要なことだ。
     
  • 裁判員制度というものが始まって、刑事司法に対する国民の関心が高まっている筈なのに、裁判における有罪率99.9%の謎を誰も解こうとしないのは怪しむべきことだ。

6.死と安楽死の問題について

  • これまでさんざん自然をコントロールして来た人間が、何故〈死〉という最後の自然をコントロールしてはいけないのか?
     
  • 基本的な考え方として、私は「人間には自殺をする権利がある」という事実を認めるものだ。それを認めた上で、それでもなるべく自殺者が少なくなる社会をどうやって築いて行くか、それをみんなで考えて行くのが健全な社会であると考えるのである。
     
  • 安楽死の合法化に反対する人には、人間というものがどれほどまで苦しむことが出来る動物かということに対する想像力が欠けているのではないかと思う。
     
  • 死に対して受け身の姿勢でいる時、死への恐怖は最高潮に達する。死の床にいる者から〈尊厳死〉という最後の選択肢を取り上げることが、どれほど残酷なことか私たちは分かっていない。
     
  • 医療における安楽死が認められていないことが、自殺率の高さの原因のひとつではないかという私の仮説について。これはわざわざ証明するまでもないことだと思う、この国の自殺要因のトップは病苦なのだから。
     
  • 私たちは死後に執り行う儀式をいろいろ持っているが、人がまさに死んで行く際に行なう儀式というものを何も持っていない。そうした儀式が洗練された時代から振り返れば、延命措置によって徒に死を先送りしている今が、いかに野蛮な時代だったと見えることだろう。

7.道徳について

  • 起源を問うことに意味が無いものが存在する。道徳というものがまさにそうであり、愛というものもそうだ。
     
  • いつも不思議に思うことがある。何故我々の理性は、人間の精神の中に功利性の現れを見ると、それで何かが合理的に説明されたと思うのだろう?
     
  • 価値というものが生まれて来るのは、ひとりひとりの人間のかけがえのなさ、哲学の言葉で言えば自己同一性という地点からだけである。そして何度も指摘しているように、このことは理論的に証明不可能なのだから、道徳を科学的に基礎づけることも不可能なのだ。
     
  • 人間の道徳的なレベルには絶対的な点数の目盛りが付いている訳ではない。むしろ道徳性というものはベクトル(方向性)として測るべきものである。だからそれには到達点というものが無いし、最底辺というものも無い。
     
  • 道徳性というのは動的なものであり、完成された徳というのは一種の形容矛盾である。
     
  • 時代の閉塞感や悲観主義に窒息してしまわない方法がふたつある。行動を起こすことと考えることだ。
     
  • 赤ちゃんが母親の顔を見てにっこりする。そこに道徳の、つまり人間らしい心の出発点があるだろう。私たちは常にそこに立ち戻って、そこから始めるのである。

8.その他の哲学的断想

  • ある人間がある瞬間において深遠になるか浅薄になるかということは、ほとんど偶然の事柄に過ぎない。たとえそれが天寿を全うした荘厳な死の瞬間であったとしても。
     
  • 完全犯罪というのはアリバイが完璧である犯罪のことではない、そこに犯罪があったことさえ認知されないような犯罪のことである。
     
  • 我々は過去を美化し過ぎるか、さもなくば現代とは断絶した野蛮な時代として切り捨ててしまうかのどちらかである。むろんどちらも誤りだ。
     
  • 人はいつの時代にも、過去というものと切り離された特別な時代に生きていると錯覚している。その錯覚のことを「現代」と呼ぶ。
     
  • チェーホフの小説のやり切れなさは、その後日談というものを想像してみる時、一層ひしひしと迫るものがある。
     
  • 「結婚しても仕事は続けるつもりよ」―娘が言った。「就職しても仕事は続けるつもりさ」―若者が言った。
     
  • もしもこの世のすべての女性が美人ばかりだったなら、フェミニズムという思想も生まれて来なかったに違いない。(反論御免)
     
  • 人間は常に愚劣なことを言い、また書いたりもするものだが、それは彼が愚劣な人間だからでは必ずしもない。瞬間というものは常に多少は愚劣なものなのだ。
     
  • 恋愛というのは最も月並みな情熱だが、これを凌駕するためにはまったく月並みならぬ超人的な情熱を必要とする。
     
  • 権力を批判することも、時代に絶望することも、実はたやすいことなのである。どんな状況に置かれても希望を失わずにいることだけが容易ではない。私は戦略としての楽天主義を採る、言わば〈方法的楽天主義〉である。
     
  • 君たちは私の理想主義を非現実的だと言って非難する。だが、いいではないか、現代は高度に専門化した分業の時代である。君たちは君たちの現実主義を、私は私の理想主義を。
     
  • 金持ちになることも、世間の尊敬を受けることも、幸せへの道ではない。いや、そもそも幸せになることが人生の目的ではないと悟るところまで行けば、人は哲学者になれる。

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コメント

>権力を批判することも、時代に絶望することも、実はたやすいこ
となのである。どんな状況に置かれても希望を失わずにいること
だけが容易ではない。私は戦略としての楽天主義を採る、言わ
ば〈方法的楽天主義〉である。<
同意します。
私は哲学者になる気もその資質も無い。
でも、苦しみの無い死が作られたならば、あまたの人が哲学者に
なるでしょう。

投稿: turusankamesan | 2011年7月25日 (月) 00時22分

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