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2011年7月31日 (日)

自民党は原発推進を宣言すべし!

 地震と津波、同じような被害を受けながら、東北電力の女川原発は安全に原子炉の停止を行なうことが出来ました。もしも福島第一原発が、女川原発と同様に今回の事故を起こさなかったとすれば、日本各地の原発が次々と運転停止に追い込まれるような事態にもならなかった筈です。そう考えると福島の事故は、電力業界だけでなく、日本の産業界にとっても痛恨の出来事だったのではないかと思います。一方、もしもあの震災で原発に何のトラブルも起こらなかったとすれば、日本の原発は安全だということが再認識されて、2030年までに国内の電力発電量の50%以上を原子力発電によって賄うという政府の計画が、そのまま推進されていた可能性がある。それが達成されたあとで今回のような事故が起こったとしても、日本はもはや脱原発の方向に舵を切ることは出来なかったでしょう。そう考えると今回の事故はまさに絶妙のタイミングで起こったとも言える(原発事故で被災された方々には申し訳ない言い方ですが…)。後世の目から見れば、これは日本の、いや世界の歴史を転換させる重大な事件だったと振り返られるかも知れない。私は、9.11事件によって人類の歴史は半世紀くらい巻き戻されてしまったと考えていますが、3.11大震災は逆に、人類の歴史を新しいステージに押し上げるきっかけを作ってくれたのではないかと考えているのです。

 もうずいぶん以前から、私たちは環境破壊や天然資源の枯渇などによって、人類の未来に暗雲が垂れこめていることを予感していましたし、それに警鐘を鳴らす人たちもたくさんいました。しかし、エネルギーや資源をふんだんに使う快適な生活から、自分たちがそう簡単には抜け出せないことも一方で知っていた訳です。今回の事故とそれに続く電力不足は、そんな現代人にとって一種のショック療法になったとも言えます。いま多くの人が太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーに未来の希望を見ていることも、決して短絡的な思考に陥っている訳ではないと思います。ずっと先延ばしにして来た課題に、我々はようやく自ら向き合う覚悟を持ったのである。一部の評論家やエコノミストと呼ばれる人たちは、脱原発によって日本は貧しい国になると警告しています。それはその通りでしょう。しかし、脱原発を訴える人たちが、そのことに目をつぶっている訳でもないと思うのです。大きなリスクと隣り合わせの豊かな生活よりも、多少貧しくなっても将来に亘って安心出来る社会を選び取りたい、これが脱原発派に共通する想いでしょう。原発事故ではみんなが子供たちのことを心配しています。つまり日本の未来のことを心配している訳です。国民がこれほど真剣に国の未来のことを心配し始めたのは、かつてなかったことではないか。

 アンケートの結果を見ても、「脱原発」という方向性を多くの国民が支持しています(新聞調査で77%)。それは単にエネルギー政策の問題にとどまらず、日本が経済成長を目指す方向から、持続可能な社会を目指す方向に転換する、そのことが支持されているのだと思います。考えてみれば当たり前のことですが、経済成長と持続可能性というふたつの概念は相性の良いものではありません。この限られた地球という星のなかで、永遠に続く経済成長なんて理論的にもあり得ないからです。持続可能な社会を実現するためには、むしろ経済成長を自らの意志と判断で止めなければならない、いつかはその時が来る筈だ。少なくとも一定の経済成長を達成した先進国が、この点で先行事例を示さなければ、これから発展する途上国にとっても着地点が見えないことになる。フクシマの事故は、日本にとうとうその時が来たことを私たちに教えているのではないか。まあ、そこまで書くと脱原発派の人のなかにも違和感を感じる人が出て来るかもしれませんが、気分としてはそういうことではないかと思うのです。脱原発ということだけなら、コストの高い再生可能エネルギーよりも、液化天然ガスによる新世代の火力発電という選択肢もある訳で、猫も杓子も自然エネルギーでなければならないというのはおかしい。つまり「脱原発」は単に脱原発というだけの話ではなく、もっと大きな社会構造転換のシンボルになっているのではないかということです。

 いま日本の政治は、ほとんど機能停止状態に陥っているように見えます。私は脱原発の看板を掲げている限り、孤軍奮闘する菅首相をどこまでも支持したいと思っていますが、この論点を軸にして政治家が真っ向から議論を戦わせる場面がほとんど見られません。今週金曜日の朝刊では、玄葉大臣が議長を務める政府の政策検討会議が、「減原発」の方向を記した中間報告を出したと報じられていました。「反原発」が「脱原発」になって、今度は「減原発」ですか。報告書には「『反原発』と『原発推進』の二項対立を乗り越えた国民的議論を展開する」と書かれているそうです。これに対して新聞記事は「与野党や官庁、財界に反発の強い『脱原発』の表現は避けた」とコメントしています。民主党政権、嗤うべし。「脱原発」というコトバひとつ使えないヘナチョコ政治家どもに、この国の方向性を決める国民的議論がリード出来るものか。「反原発(脱原発)」と「原発推進」のあいだに、中間項なんてあり得ません。段階的に原発依存度を下げて行った先に、すべての原発の廃止があるなら、それは正しく脱原発と呼ぶべきでしょう。私が考えるに、脱原発をめぐる議論の論点はたったひとつ、国内に新しい原発の建設を許すか許さないかという点に尽きます。原発の耐用年数は40年、もしも新しい原発が造られなければ、遅くとも40年後には自然に脱原発が成し遂げられる筈だからです。この問題は国家百年の計、いや千年の計と言っても過言ではありませんから、原発廃止までに10年かかろうが40年かかろうが大した違いはありません。

 民主党が党内での意見調整も出来ず、国民の支持をどんどん失っているいまこそ、自民党は原発推進を党の基本方針として明確に打ち出してはどうでしょう。私自身は脱原発派ではありますが、こんな状況のなかでも説得力ある原発推進の議論は出来るのではないかと思っています。例えばこんな議論はどうでしょう。

 ――「原発をどうするかは、日本だけの問題ではない。たとえ日本が脱原発の方向を選択したとしても、世界的に見れば途上国を中心にまだまだ原発の数が増えることは間違いない。もしもいま、日本がこの分野での技術開発から降りてしまったら、世界には〈日本の技術抜きで〉造られた原発が林立することになるだろう。それが果たして世界をより安全にすることにつながるだろうか? 今週、中国で起きた高速鉄道の事故は、新興国が自前の技術に頼って、拙速に実用化を推し進めることの危うさを私たちに印象づけた。鉄道ならまだいい、事故が起こってもその国の国内問題だ。しかし、原発はどうか。原発事故は、いったん起こってしまえば一国だけの問題では済まされないことを、今回我々は学んだ筈だ。そしてここで忘れてはならないことは、福島で事故を起こした原発は、40年以上も使い続けた旧式のもので、しかも輸入品だったということだ。耐用年数を過ぎた40年落ちの米国製扇風機が火を噴いたとしても、そのことは扇風機一般の欠陥を意味するものではない。もっと早く品質の高い国産メーカーの製品に買い換えるべきだったのだ。原発も同じだ。今回の事故の原因は、一私企業が企業利益を重視するあまり、最新の安全性能を導入することを怠っていた点にある。もっと早く最新の原発に買い換えるべきだったのである。我々がこれから進むべき方向は、日本の技術を総動員して、安全性を徹底的に高めた原発を開発し、国内の原発を順次それに置き換えて行くこと、そしてそれを世界中に積極的に輸出して行くことである。それが実現して、初めて福島の教訓は活かされたことになるのだ。」

 …書きながら自分が原発反対派であることを忘れてしまいそうですが(笑)、いまの世界の情勢と、そのなかでの日本の役割という点から考えれば、これもひとつの見識ではないかと思います。この他にも、インターネットを少し検索すれば、説得力ある原発推進派の議論はいくらでも見付かります。そうした意見をまとめ上げて、自民党はこれからの時代の新しい原発推進策を毅然として国民に問うのです(もちろん福島原発の事故に関しては謙虚に反省の色も見せながら)。いまの世論の動向を見れば、一見これは無謀な政策決定のようにも見えますが、そうとも限らないと思います。反動は案外早くやって来るかも知れない。トラブルを起こした訳でもない原発まで、再稼働が出来ないいまの状況は異常なものです。経済界だけでなく、一般の国民のなかにもこの異常さに気付いている人は多いに違いない。冷静に考えてみれば、(少なくとも今後数十年は)やはり日本に原発は必要不可欠なのであり、必要不可欠である以上、それを安全なものに取り換えて行くのは当たり前の話です。そういう世論の受け皿になること、それはこれまで半世紀に亘って原子力行政を一貫して進めて来た自民党としての義務だと言ってもいい。このまま野党(野次政党?)として朽ち果てて行くより、次の選挙戦略としてもその方が賢明だと思います。

 自民党が原発推進宣言を出せば、党内で意見がまとまらない民主党も、脱原発を看板に掲げざるを得なくなります。この政策対立は、私はとても好ましいものだと思います。例えば、憲法改正や米軍基地問題なんてことは、震災後のいまの目から見れば小さな問題だったとも言える。いや、小さな問題は語弊があるかも知れませんが、少なくともそれは戦後日本というローカルな視点での問題だった訳です。ところが脱原発というのは、これから数世紀に亘る人類共通のテーマなのです。日本の政治がこれを争点とする二大政党制に移行すれば、現在の政治的混迷からもきっと抜け出せる。日本に強い政治が戻って来る。政界再編も自然に進みます。自民党の脱原発派は民主党に、民主党の原発推進派(新規原発建設容認派)は自民党に移ってもらう。そうなれば次の選挙は、実質的に脱原発をめぐる国民投票という意味を持つものになります。これは有権者にとっても非常に納得のいく話です。仮にいま菅直人首相がやぶれかぶれ解散をしたとしても、選挙の争点はまったくぼやけたままです。それは日本の政治をさらなる混迷に突き落とすだけのことでしょう。この状況から日本を救い出せるのは、ひとえに自民党の誠実な決断にかかっていると私は考えます。

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コメント

いつも自民党に反感を抱いている68歳・男性です。
ことの発端は、水俣病患者の救済に一番抵抗したのが当時の自民党政府だったからです。
新日本窒素を救うために、多くの国民を犠牲にするのを厭わなかったのが自民党政権です。

案の定、福島原発事故でも、推進してきた責任を取るべき自民党の諸氏は、反省すらせずに、原発維持をほのめかしています。
今こそ、国民が目を見開き、自民党と原爆投下を正当化している米国民に怒りを表す時だと考えます。

投稿: to_sisyun | 2012年9月16日 (日) 22時30分

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