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2011年7月 3日 (日)

持続可能な社会のためのエネルギー政策

 菅首相が推し進めようとしている「再生可能エネルギー特別措置法」は、果たして脱原発・エネルギーシフトへの切り札となり得るものなのでしょうか? 前回の記事では、そのへんの考察を端折って「原発解散」に一気に飛びついてしまいました。今回はもう一度最初に戻って、この問題について考え直してみようと思います。と言うのも、どうも「再生可能エネルギーの全量定額買い取り」という発想には胡散臭いものがある、そう感じるからです。私がこの考え方を最初に知ったのは、孫正義さんの立ち上げた「自然エネルギー財団」の説明資料によってでした。もしも今後20年に亘って、自家発電の電力を1キロワット時当たり40円で買い取ってもらえることが保証されていれば、太陽光発電への設備投資はペイする。つまりソーラーエネルギーは爆発的に普及するに違いないというのです。これは机上の理論ではないので、すでにヨーロッパ諸国(ドイツ、フランス、イタリア、スペインなど)では、20年以上も前から全量買い取り制度が始まっていて、その結果、これらの国々では発電量に占める再生可能エネルギーの割合が、日本などよりもはるかに大きくなっているというのです。

 この話が胡散臭いのは、多くの人が考えているように、孫さんが自身のビジネスを利するために政治的な働きかけをしているからではありません(それは事業家としては当然の動きでしょう)。電力会社に対して全量買い取りを義務付けるというスキーム自体がヘンなのです。最初に全量買い取り制というコトバを聞いた時、当然それは国が買い取るのだろうと思っていました。民間企業である電力会社に、無条件で買い取り義務を負わせることに、合理的な根拠があるようには思えなかったからです。自社で1キロワット時10円の原価で電力を製造出来るのに、何故外部から1キロワット時40円の電力を買って来なければならないのか。しかも売りつけられる量もタイミングも、市場の需要がどうなっているかになどおかまいなしです。これに対して電力業界側からの強い反発が無いのは、外部の電力を高く買い取ったとしても、その分を自社製品(電力)の価格に転嫁することを法律で保証されているからです。これまでもソーラー発電などで出来た電力を、電力会社が買い取るという制度はありました(全量ではなく余剰分を)。要するに、日本の高い電力料にはその分のコストが織り込み済みだった訳です。全量買い取り制度は、この歪んだ仕組みをさらに助長するだけではないのだろうか?

 もしも再生可能エネルギー法を制定するなら、国が1キロワット時40円で買い上げて、電力会社に1キロワット時10円程度で売る、しかも買い取る量とタイミングは電力会社が自由に決められるということにでもしなければ、市場経済の原則に合いません。もちろんこの場合にも、国の赤字は税で埋められる訳ですから、国民(電力消費者)の負担になるという点では同じです。しかし、再生可能エネルギーを国策として伸ばして行くことが目標なら、そこに税を投入することは合理的です。孫さんのような野心的な事業家が、発電事業に参入するとしても、それは市場競争に1プレイヤーとして参加する訳ではない、国から委託されて補助金事業に参加するといった意味合いになります。当然、利益事業というより公共事業に近いものであって、国からの規制や指導も入りやすくなるでしょう。話がそういうことなら分かりやすくていいと思います。おそらくこの方式の場合、国が買い上げた電力は、ほとんど電力会社に買い取られることもなく、捨てられてしまうだけでしょう。しかし、それは電力会社が直接電力を買い入れた場合でも同じです。いまでも電力会社は、第三者から高い電力を買う必然性などまったく無いからです(この夏は別として)。もしも国から電力会社への卸し価格が、10円ではなく5円だったとすれば、そこで初めて他の発電方式と比較して価格優位性が現れますから、電力会社は買い取った分だけ自社の発電量を落とす意味が出て来ます。もしも政策的に再生可能エネルギーを推進するなら、国はそこまで責任を取らなければならないと思います。

 この問題と密接に絡まったもうひとつの問題として、「発送電分離」ということがあります。これも欧米などではもう当たり前になっている方式だそうです。発電と送電を1社が独占していると、競争原理も働かず、技術革新も起こりにくい。送電事業を複数の事業者に競わせることは効率的でないが、発電事業の方はさまざまな技術を持った方式の異なる事業者が競い合っていい。そのために発電会社と送電会社を分離しようというのです。しかし、これも純粋な市場原理の観点から見れば、単なるまやかしに過ぎないと思います。ドイツでは福島の事故のあと、再生可能エネルギーを売りものにする発電業者に契約先を変える家庭が増えているのだそうです。意外なことに、それでも電力料金はほとんど変わらないのだと言います。何故かと言えば、発電方式にかかわらず政策的に料金体系が揃えられているからです。つまり税金でハンディキャップを埋めている訳です。発送電分離によって電力事業にフェアな自由競争がもたらされるなどというのは幻想です。太陽光発電などはよほど政府の強力な支援が無ければ価格競争で生き残れない筈です。つまるところ、全量買い取り制にせよ、発送電分離にせよ、電力事業に対しては政府の強い関与を排除することは出来ないのです。そしてそれでいいのだと思います。これからの電力政策をどうするかということは、この国の、いや、人類の未来に関わる大きな選択の問題であり、市場原理に任せていいような問題ではないからです。

 それにしても、再生可能エネルギーというものに共通した投資効果(エネルギー効率)の低さを思うと、脱原発の先にある未来が決して豊かな明るいものではないことに気付かない訳にはいきません。この先、原子力に代わる代替エネルギーとして、太陽光発電や風力発電が主役に躍り出るなんてことは、よほどの技術革新が無い限りあり得ないことだと思います。しかも新技術が圧倒的な低価格化をもたらさない限り、研究開発費を投じるのもムダということになりかねない。(たとえエネルギー変換効率80%のソーラーパネルが開発されても、価格が今の10倍だったら誰も使わない。) 孫さんの大平洋ソーラーベルト構想(最近は「電田計画」と名前を変えたのかな?)も、汚染された耕作地を有効活用するという点では優れたアイデアだと思いますが、20年後には巨大な廃墟が雨ざらしになっているだけかも知れません。そもそも脱原発がすぐに再生可能エネルギーの促進に結び付いてしまうのは、火力発電は温暖化を促進する悪いものだという先入観があるからでしょう。しかし、最新の天然ガスを利用した火力発電は、従来の重油による火力発電に比べてエネルギー変換効率が高く、発電量当たりのCO2排出量も格段に少なくて済むのだそうです。だとすれば、国内の原発が止まったあとの発電の主役は、再生可能エネルギーよりも間違いなくこちらでしょう。

 国が再生可能エネルギーを推進することに意味があるとしても、脱原発という当面のテーマとは分けて考えるべきだと思います。ここからは素人の思いつきになりますが、国が再生可能エネルギーを推進することの意味は、代替エネルギーの開発ということよりも、温暖化を直接コントロールする技術の開発という点にあるような気がするのです。温暖化の直接の原因はCO2ではありません、太陽光が持つ熱です。CO2を始めとする温室効果ガスは、太陽エネルギーを効率よく大気中に閉じ込めているだけで、それ自体が熱を発している訳ではないからです。以前にも書いたように、ソーラー発電というのは太陽光を熱として逃がさずに電力に変換するものですから、これを推進することはすなわち地球温暖化の原因を根本から抑えるという意味を持ちます。試算によれば、地上に降り注ぐ太陽エネルギーの1%をカットすることが出来れば、産業革命以降、人類が発生させたすべての温室効果ガスの効果をキャンセルしたのと同じことになるのだそうです。効率の良いソーラーパネルは、太陽光エネルギーの20%くらいを電気に変換することが出来ますから、例えばその電気を蓄電池にためて使わなかったとすれば、熱として発散するエネルギーも20%減少することになる(筈ですよね)。あとはソーラーパネルの面積だけの問題です。

 大気によって保温性を保たれたこの地球という惑星で、人間が温暖化をコントロールしようと思うなら、太陽エネルギーを熱として発散させずに、固定化させる技術の開発が何より重要になります。それは過去数十億年をかけて地球上の植物が行なって来た営みと同じです。そのためにはたくさんの要素技術が組み合わされなければならないでしょう。ソーラー発電はその入り口になるものです。政府は、ソーラー発電の促進によって温暖化を食い止めるという研究に予算を付け、京都議定書の約束が守れなかった場合にでも、国際世論を向こうに回して議論が出来る理論武装をすることです。そして排出権取引などという国際詐欺にこれ以上引っ掛からないようにすることです。ついでにもうひとつ、日本は地の利を活かして地熱発電の開発も急ぎましょう。こちらは代替エネルギー対策であると同時に、地球寒冷化への対策にもなります。今後もしも人類が太陽エネルギーを採り過ぎると、地上は逆に寒冷化するかも知れない。そんな時にマグマのエネルギーを地上に放出させてやることによって、寒冷化を中和してやるのです。考えてみれば、私たちが生活する地球という星は、太陽と地熱というふたつの巨大エネルギーに挟まれている訳で、これをうまくコントロールすることは人類の持続可能性にとって最重要な技術になる筈です。エネルギー問題などというのは、その技術の開発過程で自然に解消してしまうような問題でしょう。もちろんそれはこの先10年か20年のあいだに実現する技術ではなく、100年、200年先を見据えての技術ということになる訳ですが…

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