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2011年5月29日 (日)

「日本にも緑の党を」に賛成、だけど…

 福島原発の事故が、各国の原子力政策を大きく動かしています。ほとんど意思決定能力を喪失してしまったように見える日本政府よりも、外国の方が動きが速いのは皮肉なことですが、ここに来て原子力に関してはかなり明確な勢力図が描かれつつあるようです。はっきりと原子力政策を縮小する方向に舵を切ったのがドイツとスイス、今後も原子力を推進する考えを表明しているのがフランス、アメリカ、中国といった国々です。まあ、ドイツはフランスから大量の電力を買っている訳ですから、エネルギー政策転換のお手本とはとても言えないと思いますが、国民の意思がストレートに政策に反映される点は同じ民主主義国家として羨ましい限りです。

 ドイツで反原発の民意を代表しているのが〈緑の党〉です。ドイツ緑の党は、1998年から2005年まで連立政権の一翼として政権を担った実績のある大政党で、政権を離脱してからはしばらく低迷が続いていたのが、フクシマの事故で再び支持率を回復し、いまやメルケル首相率いるキリスト教民主同盟に次ぐ第2党の位置にまで躍進しているのだそうです。日本でもこれからの原発政策をどうするかということは、最も重要かつ緊急の問題である訳ですが、民主党のなかにも自民党のなかにも原発反対派と推進派の議員が混在しているような状況のなかでは、たとえいま解散総選挙になったとしても、国民はどこに投票していいのか分からない。え? ああ、そうでした、原発反対ということなら社民党がありましたね。私も比例区ではいつも(消去法の結果)社民党に一票を投じている選挙民ですが、この党が民主党や自民党と並ぶ第三極に躍進するなんてことは、百年待ってもあり得ないというのが現実です。

 人類学者の中沢新一さんが、内田樹さん、平川克美さんとの鼎談のなかで「緑の党のようなもの」を作ることを宣言したのだそうです。「のようなもの」という言い回しにどのような意図がこめられているのか分かりませんが、調べてみると日本にはすでに緑の党(のようなもの)が存在しているのですね。一番大きな勢力は「みどりの未来」という政党であるようです(今回初めて名前を聞きました)。ウィキペディアの説明によれば、現在の「みどりの未来」にたどり着くまでに、実にたくさんの名前の「緑の党のようなもの」が離合集散を繰り返して来たようです。「日本みどりの党」、「みどりといのちのネットワーク」、「ちきゅうクラブ」、「原発いらない人びと」、「希望」、「みどりの会議」、「みどりのテーブル」、「虹と緑」etc。この系譜のなかからこれまでに国政に議員を送り込んだ実績としては、俳優の中村敦夫さんと、いまは〈みんなの党〉に鞍替えした川田龍平さんの二人だけであるようです。本家ドイツの緑の党と比べて、その影響力の微々たること、まさに「緑の党のようなもの」と呼称するにふさわしいのかも知れません。

 現在の「みどりの未来」のホームページを見ると、この政党が掲げる基本政策集がエクセルとPDFでダウンロード出来るようになっています。一読して、何故この国で緑の党がメジャー政党になり得ないのか、その理由が分かったような気がしました。脱原発・自然エネルギー推進ということ以外にも、実に魅力的な政策メニューのオンパレードです。環境保護政党として、遺伝子組替作物の規制やクルマ社会からの脱却といったことを謳っているのは当然として、その他にも月10万円のベーシックインカムの支給だとか、地域通貨への支援だとか、死刑廃止だとか、選挙における供託金の廃止だとか、私がこのブログで主張して来たようなことはほとんどすべて網羅されている(どうせなら裁判員制度廃止も盛り込んで欲しかったけど。笑)。にもかかわらず、これを読みながら、私は共感よりも腹立たしさを感じました。こうした「理想」について語るのに、私のような無名のブロガーですらどれほど慎重にコトバを選び、自分のなかで議論を戦わせて来たか、その苦渋の跡を踏みにじられたように感じるからです。月10万円のBIなんて軽々しく言うけれど、その財源はどうするのでしょう? 原子力を自然エネルギーに転換するためのコストは誰が負担するのでしょう? これでは社民党のマニフェストと選ぶところがない。一から十まで机上の空論に過ぎないと感じます。

 雑誌『すばる』の6月号に、中沢新一さんの「日本の大転換」という文章が載っています。先の「緑の党結党宣言」を受けて基本的な考え方を述べたものだと思いますが、本屋で立ち読みをしてがっかりしました。そこには人類史におけるエネルギー転換の意味に関する〈大きな思想〉が語られているだけだったからです。もしも政治的勢力としての緑の党を目指すなら、こういう抽象的な〈上から目線〉の議論を出発点にしてはダメだと思います。脱原発を実現するために必要なのは、私たちの思想的な枠組みを転換することではない、再生可能エネルギーの産出コストを原子力よりも安くするための方法について戦略を練ることです。そのために税制を見直し、技術開発の研究費に対して思い切った予算化を行なうことです。(孫正義さんのメガソーラー構想も、〈いまある技術〉を前提にしてハコモノを先に建設するような工程表では失敗は目に見えています。いま投資するなら、基礎技術の研究開発に対してこそすべきでしょう。) これを日本の国策として、世界中のどの国よりも先行して取り組む方針を打ち出す。もしもそうした戦略的なエネルギー政策を掲げる緑の党が現れるなら、私はまっさきに党員になってもいいと思っています。

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2011年5月22日 (日)

危険で無意味な節電はもう止めよう!

 浜岡原発が止まって、この夏は全国的に電力不足になるという予想が現実味を帯びて来ました。政府は企業にも家庭にも15パーセントの節電を呼びかけています。ここで脳裏をよぎるのは、酷暑の昨夏、多くのお年寄りが熱中症で亡くなったという痛ましいニュースのことです。昨年は電力不足という訳ではありませんでしたが、高齢者のなかには「自然なものではない」冷房を忌避する傾向の人がけっこういらっしゃって、冷房機はあるのに「自然の暑さ」のなかで我慢をしていて熱中症にかかってしまった人が多かったと言います。今年はそこにさらに節電の心理的プレッシャーが加わる訳ですから、生真面目なお年寄りが真っ先に犠牲になってしまうのではないか、それをおそれます。

 少なくとも政府は、各企業や家庭に一律15%の節電を訴えるなんてことは止めるべきだと思います。特にお年寄りや病人や乳幼児のいる家庭は、節電の対象外とするというくらいのアナウンスをした方がいい。また電力消費量の大きなエアコンに代えて、いま扇風機が飛ぶように売れているようですが、あれも危険なものだということを政府広報か何かで告知した方がいいですね。私が子供の頃には家庭にエアコンなんてものはありませんでしたから、涼をとるための電気製品と言えば扇風機だけでした。そして毎年のように赤ちゃんやお年寄りが扇風機の風に当たって死んで行ったものです。子供たちは親から扇風機をつけっぱなしで眠ったりしないよう、きつく言われていました。最近の若い人たちはそんなことも知らないでしょうから、これも知識としてきちんと伝達しておく必要があります。

 多くの企業が独自に節電対策を打ち出しています。クールビズの服装にして、冷房の設定温度を高めに設定することは節電対策の基本でしょう。一方、勤務時間をシフトさせることで節電に協力しようという発想には疑問を持たざるを得ません。例えば出社時間を1時間繰り上げて、残業もしないよう徹底させれば、冷房の稼働時間は短くて済む。または工場の操業時間を深夜にシフトすれば、昼間のピーク時に電力を使わなくて済む。これは一企業の節電対策としては効果があるのでしょうが、社会全体として見た場合はどうなんでしょうか。夕方4時で退社したサラリーマンは、家に帰ればその分早くから冷房をつけることになる訳だし、途中で一杯やって行く人が多くなれば、居酒屋はその分早くから店を開けなければならなくなる。深夜に働く工員さんは、昼は家で寝なければならない訳ですから、工場の夜間シフトによって、家庭での昼間の冷房稼働率は大幅にアップする筈です。要するにピーク時の電力削減のためには「全体最適」を考えなければならない訳で、個々の企業や家庭がバラバラに節電に取り組んでも、逆効果になってしまう可能性が強いのです。

 冷暖房の必要が無い気候のいい5月に、何故政府は節電モードを解除しないのか、私には理解が出来ません。いま現在、東京電力管内でも電力は大幅に余っています。それなのに相変わらず駅のエスカレーターは止まっているし、オフィスの照明は暗くなったままです。エスカレーターが止まることで、お年寄りや身体の不自由な人たちが交通機関を使うことに苦労をしているのに、何故政府は、いや私たちは、そのことを見て見ぬふりをしているのだろう。オフィスの照明が暗くなることで、働く人たちの眼の健康は大丈夫なのだろうか。電力が不足しているならともかく、余っているんですよ。うがった見方をすれば、企業は節電ブームに乗って電気代を節約しているだけなんじゃないかとも思える。電気は東京電力の主力商品ですから、供給力は十分あるのに商品が売れなくなった東電の経営も心配です。福島原発の処理と地域住民への補償で企業の存続さえ危ぶまれている時に、主力商品の売上がガタ落ちになっては、今後の再建に向けた計画だって立たなくなってしまうに違いない。でも、東電が自ら「もっと電気を使ってください」とは口が裂けても言えませんよね。今後の安定した電力行政のためにも、ここは政府が行き過ぎた節電は止めようとアナウンスすべきなのです。

 この夏の電力不足に備えて、メリハリのある具体的な節電対策を早急に打ち出さなくてはなりません。一律15%なんて絶対にダメです。そんな大まかな方針だけで突き進んだら、この夏は本当に多くの人が暑さで命を落とす危険性がある。もしも私が政府の政策担当者だったら、どのような節電対策を国民にアピールするだろうか。まず人が集まるパブリックスペースでは例年通りの冷房温度を維持することを求めます。特に電車の中や百貨店などの店舗、飲食店などでは、独自の判断で冷房を弱くしたりしないでいただきたい。真夏の暑い陽射しを逃れて、やっと入ったお店で涼を取れないようでは、ほんとに都会では逃げ場が無くなってしまう。むしろ冷房を抑えることによる節電は、各家庭で励行してもらいましょう。家の中にいて暑さに耐えるのではなく、暑い日こそ外に出掛けようと提案するのです。(繰り返しますが、お年寄りや乳幼児のいる家庭はふだん通り冷房を使っていいし、使うべきです。) 例えばデパートが涼を求める人で賑わえば、景気対策としても有効でしょう。劇場や美術館などは、35度を超す猛暑日には割引料金を適用するなんてキャンペーンを行なってもいい。子供と一緒にプールもいいですね(海水浴は放射能がちょっと心配だけど)。要するにこの夏、国民はみんな夏休みが待ち遠しかった子供の頃の気持ちに戻ろうということです。

 夏を楽しむというコンセプトなら、もっと簡単で効果が確実な節電対策があります。「この夏は家族揃ってクルマで出掛けよう!」――ただそれだけのことです。考えてみれば、自動車というのは「自走機能が付いた小型の火力発電所」に他なりませんから、電力不足の折にこれを活用しない手はありません。家族みんなで出掛ければ、家で動いている電気製品はは冷蔵庫だけということになって、15%どころか90%以上の節電になるでしょう。クルマの中ならガンガン冷房を効かしても罪悪感を感じる必要は無い(EVに乗っている人は少し感じるかも知れませんが)。ましてこの夏は、火力発電所で使う重油を精製する際に作られるガソリンが余ることになるというのですから、これは一石二鳥のうまい手です。いや、クルマで出掛ける人が増えれば、観光地も潤って景気が上向くことまで考えれば、一石三鳥の名案と言っても過言ではありません。政府と自動車メーカーはタイアップして「夏はクルマで過ごそう」キャンペーンを展開すべきです。今年の夏は多くの企業で、ふだんより長い夏休みを導入する計画だそうですが、それで社員が「すごもり電力消費」に向かうようでは、節電対策としては逆効果にしかなりません。とにかく多くの人が家よりもクルマの中で過ごすことが大事、そのためには高速道路を夏期限定で無料にしてしまったり、ガソリン税を安くすることだって政治判断で出来ます。……おっと、これはいいアイデアだけど、大事なことを忘れていたぞ。かくいう私の家にはクルマなんて無かったんだ。まあ、自家用車も持っていない貧乏人は、みなさんが家族で出掛けているあいだ、家で気兼ねなく電気を使わせていただくことにしましょうか。(笑)

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2011年5月15日 (日)

これからの生活保障制度に関する私案

 震災から2か月余りが経ちました。被災地ではまだ多くの人たちが避難所生活を余儀なくされていますが、日本全体で見れば大多数の人々が徐々にふだんの生活に戻りつつあるように感じます。しかし、震災がこの国に残した爪痕の大きさは、実はこれから明らかになって行くのではないか、そんな気もしています。生産能力の低下により、すでに自動車の販売台数は震災前の半分にまで減少していますし、デパートの売上高も史上2番目という大幅な落ち込みを見せています。この夏の電力不足とも相俟って、多くの企業が業績悪化により倒産したり、リストラを迫られたりすることは必定です。その結果、失業率は大幅に上がるでしょうし、失業保険や生活保護などの社会保障費も急増することになるでしょう。そうでなくても財政危機が言われて久しいのです。そこに復興のための財政支出も加わる訳ですから、運にも見放されたように見える民主党政権のもとで、いよいよ国の財政破綻が現実のものとなる可能性は小さくないと思われます。

 これまでにもこのブログで、私はいろいろな政策提言を書いて来ました。なかには荒唐無稽な子供のアイデアに近いものもあったかも知れませんが、書いている時にはその都度真剣だったし、いいアイデアが浮かんだ時などは、自分自身が影響力の小さいマイナーブロガーであることに対して、いかにも口惜しい思いをしたものです(いまでもしています)。しかし、震災を経たあとの目で見ると、過去に夢中になっていたアイデアの多くがすっかり色褪せたものになってしまったことに気付きます。例えばこれまでに何度も「ベーシックインカム」のことを取り上げましたが、この時期にそんな夢物語のような政策について語ることには何か後ろめたささえ感じるのです。「財政予算をベーシックインカムに回すくらいなら、被災地の復興支援に回せよ」、そう言われてしまえば、ひと言も返す言葉が無いからです。そんななかで、たったひとつだけこれだけは現在の状況のなかでもこだわりたいアイデアがある。それは生活保護制度の見直し案についてです。これについても過去に何度か書いていますし、つい最近の記事でも取り上げましたから、このブログを定期的に訪れてくださっている方はまた同じネタかと思われるかも知れません。でも、これはこれからの日本にとって最重要な政策課題であるに違いない、私にはどうしてもそう思われるのです。

1.それはどんな政策ですか?

 現在の生活保護制度は現金支給を主体としていますが、それを現物支給に変えて行こうという考えに基づいた政策です。生活保護受給者に対して現金を渡すことをやめ、国が衣食住に必要なものを現物で提供するよう制度を変えます。具体的には、生活保障が必要な人たちのための共同住宅を作り、食事は食堂で一律のメニューで提供し、衣類や日常品はリサイクル品も活用しながら一定の基準で配給するといった具合に、お金を使わなくても最低限の衣食住が保障されるようにするのです。具体的に試算した訳ではありませんが、これによって従来の生活保障関連予算が大幅に削減出来ることは間違いありません。

2.生活保護家庭は強制的に移住させられるのですか?

 今後も国からの生活保障を受けたいなら、そういうことになります。住み慣れた土地を離れたくないという希望は当然あるでしょう。しかし、財源が国民の税金である生活保護費で、税金を納めていない人が希望の土地に住み続けるというのは、少々贅沢過ぎる話ではないでしょうか? 共同住宅は決して現代の強制収容所ではありません。このあとすぐに説明しますが、そこには憲法で保証された「最低限の健康で文化的な生活」があります。またその人の能力に合った仕事も提供されますし、働ける人はお金を貯めてそこから出て行くことも出来る。従来の生活保護制度につきものだった〈後ろめたさ〉の感情とは無縁な、新しい生活が待っているのです。それに共同住宅は全国各地に作られますから、空き部屋さえあればどこでも好きなところに移住出来る、その点も魅力でしょう。

3.当然個室なんて与えられないんでしょうね?

 居室は世帯単位での個室になります。単身者用にはワンルーム、夫婦や子供がいる世帯にはその人数に応じて複数の部屋がある居室が用意されます。但しキッチンは付いていませんし、風呂やトイレも共同です。「最低限の健康で文化的な生活」の定義については議論が必要ですが、例えば娯楽室や図書室のようなパブリックスペースはあってもいいと思います。また高齢者や健康面に不安のある人も多いでしょうから、冷暖房の設備は必須です。これは各居室にエアコンを設置するのではなく、全館集中方式にした方が経済的だしメンテナンスも楽でしょう。居室部分を可動式のパーティションで仕切ることで、入居者の世帯構成が変わっても柔軟に対応出来るようにします。施設の中で出会った男女が結婚した時や、新しく子供が生まれた時などは、現状よりも少し広い部屋に引っ越す権利を与えられます。子供が独立した場合や離婚の場合はその逆です。

4.私財の保有はどこまで許されますか?

 ここも議論が必要なところです。現在の生活保護制度でも、受給者が保有を許される財産には制限がある筈です。一定額以上の現金や不動産などを持っている人は入居出来ない、これは基本のルールです。(但しあとで説明するように、これには例外規程もあります。この施設を社会復帰や生活訓練の場として利用する場合です。) 自家用車の保有も認められません、現金収入が無ければガソリン代や車検代も払えませんから。では部屋にテレビを置くことやパソコンでインターネットに接続することはどうでしょう? おそらく現代における最低限の健康で文化的な生活のためには、それを禁止する訳にはいかないと思います。逆にテレビやパソコンを持っていない人には、世帯に1台ずつ貸し出す制度が必要かも知れません。その他の家財道具などに関しては、居室に無理なく持ち込める範囲で保有を許可します。これは共同住宅を出て自活する時に必要なものだからです。

5.入居のための条件や審査は厳しいのですか?

 入居のための条件は、現在の生活保護よりも緩いものとなります。生活保護を受けるためには、資産を持っていないことと働けないことが条件です。一方、共同住宅の方は、働く能力を持った人でも入居出来ます。入居のための審査はありますが、現在の生活保護でよく問題になる「水際作戦」、つまり行政の窓口が申請者を何かと理由をつけて追い返すようなことは少なくなる筈です。また入居希望者の方でも、不正をしてまで入居する意味はほとんどありません。資産を隠して入居しても、現金が貰える訳ではないし、見付かれば資産を没収されてしまうので割が合わないからです。逆にこれまで生活保護を受けていた人が入居出来ない場合が出て来ます。入院中の人や寝たきりで介護が必要な人など、プロフェッショナルなケアが必要な人たちです。共同住宅は生活支援施設であって、医療施設や介護施設ではないのでこれは仕方ありません。このような人たちには現在の制度を継続するか、または別の仕組みが必要です。ただ将来的には、医療や介護の機能もあわせ持った総合的な生活支援施設が出来ることが望ましいと思います。

6.そこに入れば仕事があるというのは?

 全国に200万人もいる生活保護受給者を、すべて収容するためには大変な数の施設を作らなければなりません。当然そこで必要になる人件費も膨大なものになると予想されます。それをなるべく外部の労働力を借りず、入居者自身が働くことで賄ってしまおうというのがこの政策のセールスポイントです。仕事はいくらでもありますよ。三度の食事の支度とその後片付け、館内の掃除や壊れた設備の修繕、衣類や寝具の洗濯、風呂の準備、庭の手入れ、お年寄りや乳幼児の世話、マイクロバスでの人の移送、施設の経理事務、etc。ここに入った人は、自分のこれまでの経験や能力を活かして労働するのが原則です。いまの生活保護受給者は、なかなか働きたくても働き口が見付からないというのが実情だと思います。ところがここでは誰もが働く機会を持てる。自分で仕事を作り出すことだって出来ます。パソコンが得意な人なら、館内でパソコン教室を開いてもいい。入居者の子供を集めて学習塾を開設するのもいいでしょう。広い敷地を持つ田舎の施設なら、庭に畑を作ったっていい。入居者が企画した仕事には行政の許可が必要になりますが、可能性は無限にあります。

7.施設内の仕事には賃金が出るんですか?

 出ます。入居者が企画し行政が認可した仕事も含め、施設内の仕事にはそれぞれの仕事に応じた報酬が出るようにします。但しこれは世間の賃金相場から見るとだいぶ安いものにならざるを得ません。どの程度が適切かは検討が必要ですが、8時間のフルタイム労働でも月額5万円を超えないくらいが妥当ではないかと思います。最低賃金以下ではないかですって? それはそうですが、これは実は労働賃金ではなくて、「自立支度金」という名目で支払われるお金なのです(だから最低賃金法にも抵触しないと思います)。しかも現金支給ではなく、その人の口座に入金されるというルールです。18歳以上の入居者は誰でも、入居時に専用の口座を作ります。自立支度金はそこにプールされるのです。この口座が引き出せるのは、口座解約時のみ、つまり施設を出て自活を始める時だけになります。フルタイムで1年間働けば、60万円くらいのお金は貯まりますから、アパートを借りて新しい生活を始めるためにも十分ではないかと思います。この制度は貯蓄のためのものではなく、入居者の自立を促すためのものですから、口座残高には上限を設けましょう。例えば100万円を上限として、それ以上働いても、それはただ働きになってしまうというようにです。

8.外に働きに出ては駄目ですか?

 施設から外部の企業などに通勤することは構いません。むしろ自立支援という意味では望ましいことです。ただ、この場合にもその企業が支払う賃金は、働く人本人ではなく、いったん施設が受け取り、その人の口座に入金することになります。その際に施設は賃金の一部を運営費という名目で徴収します。その割合は検討が必要ですが、例えば15万円の月給のうち5万円を施設が取って、残りの10万円を口座に振り込むといったイメージです。何故そんなことをするかと言えば、ひとつはこれによって国が負担する社会保障費を抑えるため、もうひとつは施設内で働く人とのあいだの賃金格差を是正するためです。現在の生活保護でも、受給者が働いて現金収入を得れば、その分支給額は減らされますが、それと同じことです。企業などで働いている人も、口座残高が100万円を超えたら、それ以上「自立支度金」は増えません。つまりその人の稼ぐ賃金は、全額施設の運営費となってしまいます。施設側にとってはありがたい話ですが、ふつうは100万円の現金と定職があれば施設を出て行くでしょう。こうして制度的に社会復帰が促進されることになるのです。

9.入居者は全く現金を持つことが出来ないのですか?

 確かにそれもちょっとつらいですね。刑務所の囚人だってタバコやお菓子を買うくらいは出来ますものね。いくら現物支給が原則だからって、タバコ銭も持てないのでは刑務所以下の待遇かも知れない。よろしい、ここは太っ腹なところを見せて、入居者には毎月決まった額のお小遣いを出しましょう。と言っても、そんなに大層な金額は出せない、せいぜい月に1万円程度に止めましょう。しかも、それは現金(日本円)で渡されるのではなく、政府が生活保障対象者のために発行する特別な金券で給付されるものとします。例えば100円券が100枚綴りになった回数券のようなイメージのものです。これは指定されたショッピングセンターや飲食店などでのみ使える金券です。(たいていは施設の近隣にあるお店です。お店は受け取った金券を銀行などで日本円に両替出来ます。) さらにこの金券には使用期限が印刷してあって、支給月の翌月中に使ってしまわないと無効になってしまうことにしましょう。さらにこの金券で買い物や食事をしても、お釣りは出ないルールとします。

10.何故そんな面倒な仕組みにするんですか?

 入居者に貯金をさせないためです。ここでは貯金はあくまで自立のためだけに許されるのです。月に1万円でも、10年間貯蓄すれば120万円になります。120万円の貯金を持っている人は、現状でも生活保護を受けられません(それを生活費として使い果たしてから生活保護の申請をすべきです)。これは税金で生活保障をしてもらうための最低限の規律だと考えてください。ただ、日常生活に必要なお金という意味では、その他にもいろいろ考慮しなければならないものがありそうです。例えば、通勤や帰省などで必要となる交通費は、たとえ交通機関でこの金券が使えたとしても、月に1万円の小遣い銭だけでは不足する場合もあるでしょう。こういった出費に対しては、個別の許可を受けた上で積み立てている自立支度金から支出出来るようにしましょう。入居者は申請により携帯電話を持つことも出来ますが、その通信費も同様の仕組みで個人負担とします。医療費は現状の生活保護と同じく公費負担ですが、指定された医療機関限定とさせていただきましょう。パチンコや競馬などのギャンブルは、入居中は全面的に禁止です。

11.引きこもりの息子を施設で預かって欲しいのですが…

 共同住宅は、生活保護に代わる生活保障のための施設であると同時に、ニートや引きこもりと言われる人たちの社会復帰の場にもなり得るのではないか、そう考えています。営利企業への就職が難しい人でも、貧しい人たちの互助組織のなかでなら生き生きと仕事が出来る場面があるかも知れない。少なくともそこで社会経験を積んだ上で企業に就職するというパスがあってもいいと思います。それに高齢者が多い施設の中に、健康な若者が入って来てくれることは、施設運営上も大歓迎なのです。労働力としても有用だし、多様な世代の人たちが共同生活をすることはコミュニティを健全に保つためにも役立つことですから。この人たちは入居に当たって、私的財産の持ち込みは厳しく制限されますが、資産調査によって入居を拒否されることはありません。これによって施設が引きこもりの若者たちで溢れてしまって、そのために生活保障が必要な人たちの入居枠が圧迫されてしまっては本末転倒ですが、考えてみれば社会復帰出来ずに家に引きこもっている人たちも支援が必要な点では同じなのです。経済成長のなかで核家族化が進み、社会的な紐帯が失われてしまったのが今の日本です。生活支援のための共同住宅は、この国に新しいコミュニティ文化を生み出すための拠点となることを期待されています。

12.最後に財政的な見通しを聞かせてください。

 いま日本には200万人の生活保護受給者がいます。国が負担する生活保護費は2年前に3兆円を超え、今年の予算は3兆4千億円です。つまりひとり当たり平均で年間170万円、月に14万円余りになります。そのなかには医療費なども含まれていますから、すべてが現金支給という訳ではありませんが、たいへんな高額であることは間違いありません。よく国民年金の満額よりも生活保護費の方が高いことが問題として指摘されますが、生活保障を〈お金で解決〉しようとしている以上、これは当然のことではないかと思います。現物支給なら、たぶん財政負担は半分以下になるのではないでしょうか(ひとり当たりの月間の食材費が3万円、光熱費が1万円、小遣いが1万円、その他諸経費が2万円でしめて7万円)。もちろん施設を建築するための初期投資は必要になりますが、これはこれからの時代に欠くことの出来ないインフラだとも考えられます。今回のような大震災に際しても、全国にこのような施設が数多くあれば、避難所生活をずっと短縮することが出来たでしょう。少なくとも、仮設住宅を何万戸も建てるよりはずっと有効な投資だろうと私は考えます。

 ――という訳で、思いがけず長い記事になってしまいましたが、基本的なところは説明出来たのではないかと思います。私がこのテーマについて書くと、「強制収容所」だとか「現代の姥捨山」なんて批判のコメントが返って来ます。しかし、どんなに財政が苦しくても、国は貧しい国民を餓死させる訳にはいかないのです。効率的な生活保障というテーマに対して、これ以外にもっといいアイデアがあるなら私の方が教えていただきたいものです。と同時に、この新しい共同体を強制収容所や姥捨山のようなものにしないために、私たち自身が偏見を捨てることも重要だと思います。今回の記事を書きながら、私はこの共同住宅に何か魅力的なネーミングが欲しいと思いました。この政策は、そうしたイメージ戦略も含めて構想する必要があります。ここから先は、みなさんの知恵もお借りしながらアイデアをふくらまして行きたい。批判することは容易です、ぜひ建設的なコメントをお寄せください。


(2012年8月12日の追記です。ここでの考察をさらに深めた新しい記事をアップしました。いくつかの点で本稿の考えを変えた部分もあります。ぜひそちらの記事も参考にしてみてください。)

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2011年5月 8日 (日)

原発問題に関する私的覚え書き

  1. 原発が危険だというくらいのことは誰でも知っていた。しかし、原発がこんなにも「汚い」ものだったことに、あらためて私たちは気付かされた。それが今回の事故の一番の教訓である。しかもこれは広島・長崎を経験した日本人だけの感覚ではなくて、世界中の人々が共通に持っている感覚であったことも私たちは否応なく知らされた。いまや日本は世界中から憐憫とそして忌避の目で見られている。
     
  2. 風評被害を広めるなと言う人は、多くの国々が私たちが想像した以上に「ニュークリア・コンシャス」であったという事実に目をふさいでいる。低濃度の放射性物質が健康に与える影響など大したことないと言う人は、それを誰に向かって言っているのか自省する必要がある。避難区域の住民に向かってそれを言うのなら、あなたは人でなしだ。日本製品の輸出先の国々に向かってそれを言うのなら、あなたは商売人として失格である。
     
  3. 感情的な議論が蔓延しているなかで、アタマのいい人たちは「正しい知識に従って放射能を怖がろう」といったことを言う。得体の知れないものを怖れるのは未開人の心性だというのだ。よろしい、では私たちは楽観論にも悲観論にも陥ることなく、放射能の危険性について正しい知識を持つことから始めようじゃないか。しかし、そのためにはひとつ政府にお願いしたいことがある、それは汚染地域(もちろん関東も含む)の住民に対して、最低でも世帯に1台、携帯用の線量計を支給して欲しいということだ。
     
  4. 例えば国内で販売されるすべての携帯電話に、高性能の線量計を組み込むというアイデアはどうだろう。「ガイガーカウンター付きケータイ」――これは究極のガラパゴス戦略と言ってもいい。放射線のいいところは、微少の線量でも比較的簡単な装置で正確に測定出来るという点だ。新たな技術を開発する必要も無いし、コストも大してかからないのではないかと思う。その上で、政府は国民が放射線と折り合って暮らして行けるよう啓蒙して行くのである。
     
  5. 外出する時、飲料水を飲む時、食品を買う時、または雨が降った時など、必ず線量計をかざして放射線量を計ることを日常の習慣として定着させるのである。おそらく今のような状況にあっても、スーパーに行って野菜や魚にガイガーカウンターを当てる行為は、多くの人にとってマナー違反としてはばかれるのではないかと思う。が、みんなでやれば恐くない。それが政府の推奨することであるならなおさらだ。これが定着すれば、買い物の際に毎回商品をチェックしなくても、流通段階で一定基準以上の汚染食品は自然に排除されるだろうし、基準以下の放射線量なら不当に排除されることもなくなるだろう。
     
  6. 私はジョークかアイロニーのつもりでこんなことを書いている訳ではない。本気である。すでにフクシマは取り返しのつかない現実の事故として起こってしまったのだ。汚染地域の浄化にはこれから長い年月を要するだろう。こんな場合に、風評被害を政府が抑えようとしても逆効果になるだけだ。むしろここは政府が先手を打って、「放射能と共存しよう」というキャンペーンを張ってしまった方がいい。最近は低濃度の放射線はむしろ健康にいいという説も出て来ているらしい。ある条件の下ではそれも真実だろうと私は思う。それも含めての「ニュークリア・コンシャスネス」ということである。
     
  7. もちろんこのガラパゴス戦略は諸外国にはまったく理解されないだろう。昔、メガネをかけカメラを首にさげた日本人が戯画化され、軽侮の対象となったように、いつも携帯ガイガーカウンターをかざしている日本人は世界中の嘲笑の的になるかも知れない。しかし、いつかは日本人のこの習慣が、先見の明を持ったものとして世界中から認められる日が来るだろうと私は思う。しかもそれはそう遠い未来のことではない。現在の世界の状況を考えれば、フクシマやチェルノブイリどころではない破局的な原子力事故が起こるのは、ほとんど必然とさえ思えるからだ。それがどこの国で起こるかは問題ではない。それが起こった時、世界中がパニックに陥るだろうが、すぐにみんな気付くだろう、そうだ、日本人のようにやればいいのだと。
     
  8. 今週、菅総理が浜岡原発の停止要請を出した。中部電力もこれを受け入れる決定をしたそうだ。良かった。震災以降、初めて菅さんが評価出来る政策を打ち出したと思う。だが、このまま日本が脱原発の方向に転換したとしても、時すでに遅しである。すでに日本は処理し切れないほどの核廃棄物を抱えてしまっているし、日本が原発を止めても途上国では今後も原子力へのニーズは衰えないだろうから。今回の事故の教訓を活かして、日本が世界に先んじるためには、原発を廃止するだけでは十分ではない、すでにある核物質とどう共存するか、そのお手本を身をもって示すことの方が重要である。これはヒロシマ・ナガサキ・フクシマを経験した国民の世界史的な使命と言ってもいい。

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2011年5月 2日 (月)

孫正義さんを支持します

 震災以来、ふだんはあまり読まない週刊誌をよく読むようになりました。とにかくテレビや新聞の報道では、いま知らなければならない一番大事なことが分からない、そういうもどかしさを感じるのです。何故そうなのかを考えてみると、理由は簡単なことだと気が付きました。今回の震災、特に原発事故のニュースに関して、テレビや新聞は政府発表の公的な情報にゲストとして呼んだ専門家の解説を付け加えて流すばかりで、当のテレビ局や新聞社の意見や立場というものを全くアピールしていないからです。例えば「原発のあり方については見直すべき時に来ているのではないか」といった論調の社説が現れる。そんなことは言われなくても当たり前のことで、いまさらそんな社説を読まされても腹が立つだけです。「今すぐ浜岡原発を止めよ!」という断固たる意見表明がマスメディアから発せられることはまずない(毎日新聞のコラムには載ったそうですが)。世間が原発反対派と推進派に分かれて激しく議論を戦わせているのに、マスコミ各社はどっちつかずの玉虫色の報道しか流しません。確固たる主張が無いから、取材の内容も浅いものにしかならないのです。そこにいくと一部の週刊誌は実によくやっていると思います。週刊現代は事故後一貫して反原発の立場を貫き、毎回100ページを超す濃い内容の記事を提供してくれていますし、週刊ポストは政界と東電の闇の部分に深く切り込んだ記事で、今回の事故の背景を伝えてくれている。ふだんは大衆向け路線で、メディアとしては格下と見られている(?) この二誌が、非常時においては特に頼もしく感じられます。

 その週刊ポストの先週号が、孫正義さんへのインタビュー記事を載せていました。インタビュアーはノンフィクション作家の佐野眞一さん。孫さんと言えば、被災地への義援金として個人で100億円の寄付をしたということがニュースで話題になりました。さすが日本一のお金持ちはスケールが違う、と私たちはびっくりした訳ですが(少し前に10億円を寄付したユニクロの柳井さんの影が一気に薄れてしまいましたね。笑)、孫さんは単にノーブレス・オブリージとしてお金だけを出した訳ではなかったのです。震災直後からほとんど不眠不休で被災地支援の活動を精力的に続けている。緊急用の災害用伝言板を1日で立ち上げ、メールやSMSの利用料を1週間無料にし、被災地にはたくさんの携帯電話と充電器を送り、全国の携帯ショップを拠点に募金を開始し、被災者のための支払い延期や破損・紛失対策を打ち出し…そうしたことをわずか数日間のうちにやってのけているのです。いや、それくらいのことなら他の通信事業者もやっているのかも知れませんが、孫さんがすごいのはその先です。西日本を中心に17の県の県知事に対して被災者の受け入れを要請し、合計30万人(!)の受け入れについて約束を取っている。そして震災十日後にはさいたまアリーナの避難所を訪れ、さらに福島入りして、被災者受け入れを申し出た佐賀県知事の親書を福島県の災害対策本部に届けている。かと思うと、私財から新たに10億円を投じて「自然エネルギー財団」なるものの設立を宣言し、国会議員やマスコミを呼んで財団設立のためのプレゼンテーションをしている。とても一企業家の行動とは思えません。

 この間の孫さんのツイッターでの発言を追ってみましたが、なるほど孫正義という人がいかに非凡であるかがよく分かりました。110万人のフォロワーのいる孫さんのもとには、被災地を始め全国からたくさんの支援の要請が舞い込んで来ます。そのひとつひとつに即断即決で「やりましょう」と答え、それをすぐに実現させて行く様子には小気味よささえ感じます。なかには「本業に専念すべきではないか」といった批判的なツイートも現れますが、きっとこの人のなかでは被災者を助ける仕事に本業も何もないのでしょう。そのスケールの大きさは、孫さん自身も尊敬するという坂本龍馬を彷彿とさせるものがある。孫さんの八面六臂の活躍を見ながら、ひとつ強く感じたことがあります。そうだ、自分がいま政治のリーダーに求めていたのはこの行動力だったんだ。震災から1か月あまりのあいだ、菅政権はいったい何をして来たか? 家を失った数十万人の国民をほったらかしにしたまま、復興構想会議なるものを立ち上げ、増税のための伏線を張った。放射線被害に関して正しい情報を開示せず、原発周辺の放射線濃度が国の定める基準値をオーバーするや、基準値の方を緩和するなどという暴挙に出た。大災害時に国民を守れない、いや守ろうとする意思さえ無い人たちに、政権の座に就いている資格など無い。非常時にこそ人はその本性をさらけ出します。今回の震災は、図らずも政治家の資質をふるいにかけるリトマス試験紙の役割を果たしたとも言えます。

 原発被害を過小評価したい陣営のなかには、大きな発信力を持つ孫さん自身がいまや風評被害の発信源になったなどと言う人がいます。しかし、それはものごとに責任を持とうとしない評論家の意見です。もしかしたら私たちは放射能というものを必要以上に恐れているのかも知れない、国際基準の10倍程度の濃度なら〈ただちに〉健康に影響するものではないのかも知れません。が、この問題に関しては、まだ学者のあいだでも意見が割れている以上、政治は常に最悪の場合を想定した上で国民の生命を守るように行動するのがセオリーでしょう。小学校の校庭から危険な値の放射線が検知されているのに、子供たちを避難させることもなく、校庭で運動することだけを禁止した上で授業を続けさせるなんていうのは、どう考えてもまともな政治的判断だとは思われません。せめて子供たちだけでも安全な場所に疎開させてやって欲しいという孫さんの意見は、議論の俎上に乗せることさえ無用なほど正しい意見ではないかと思います。地域を指定しての避難ということは、住民の自主判断に任せてはいけないのです。それは政治が強制すべきものです。コミュニティが強固であればあるほど、住民は逃げ遅れることになるからです。この点でも私は孫さんの意見にまったく賛同します。大震災に際して時の総理大臣が孫正義ではなく菅直人だったということこそが、日本にとって最大の国難だったと言えるかも知れない。

 福島原発事故があったにも関わらず、まだ国民の半数以上が原発維持に(消極的にかも知れませんが)賛成していることが信じられません。全国47都道府県のうち原発を擁しているのはわずか13箇所だけです。だから半数の国民にとって原発事故は他人事なのだろうか? しかし、反原発をひとつのイデオロギーにしてしまって、国を引き裂く対立軸にしてしまうのはうまいやり方ではない。孫さんは事業家らしく脱原発に向けた具体的な工程表を提示してくれています。中心となるアイデアは再生可能エネルギーの全量買取制度というものです。太陽光発電などで作られた電気を個人や企業から国がすべて買い取ることを約束する。1キロワット時につき40円、それを20年間に亘って継続することを国が保証すれば、再生可能エネルギーは急速に普及するだろう。これはヨーロッパではすでに20年も前から実行されていて、効果が確認されている政策なのだそうです。そのことも孫さんのプレゼン資料で初めて知りました。放射性物質で汚染されてしまった土地には、ソーラーパネルを敷き詰めて脱原発のシンボルとしてしまおう、これを孫さんは「東日本ソーラーベルト構想」と名付けています。なんて美しいヴィジョンなのだろうと思います。将来に向けた豊かな構想力とそれを構想で終わらせない行動力。インタビューで孫さん自身は政界に進出する気はないと明言していますが、時代がこの人を放っておかないのではないか、私にはそんな気さえするのです。

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