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2011年4月24日 (日)

原発事故をめぐる楽観論を検証する

 福島第一原発の事故に関しては、評論家やマスコミの論調が悲観論と楽観論とに大きく二分されつつあるように見えます。いろいろな言説(風説?)が飛びかっていて、私たち国民はいったい何を信じていいのか分からなくなっている。せめて子供だけでも東京を脱出させた方がいいのか、とりあえず原発から30キロ圏外なら幼児でも安全なのか? 原子炉が水素爆発を起こす可能性はどのくらいあるのか、もしもそれが起こった場合には東京にも住めなくなってしまうのか? 出荷制限を受けていない野菜や乳製品であれば、この先ずっと食べ続けても大丈夫なのか? 海に垂れ流されている放射性物質の影響はどのくらいなのか、関東東北の大平洋沿岸で獲れた海産物はこの先何年も食べられなくなってしまうのか? この夏は関東一円でも海水浴を控えるべきなのか? ――とにかくすべてが分からないことばかりです。こんな時は信頼出来る専門家の意見を参考にしたいと思うのですが、そういう人たちの意見もてんでんばらばらなので判断に困ってしまうのです。

 こういう時に楽観論を信じるか、悲観論に傾くかということは、ほとんどその人の気質の問題に帰されるような気がします。私自身は生来の(?)悲観派なので、どうしても楽観論には懐疑的になってしまいます。特に原発事故に関する政府の発表は信用が出来ません。今週はとうとう原発周辺の半径20キロ以内が立ち入り禁止区域になってしまいました(立ち入れば罰せられるのです)。放射能汚染が時とともに次第に深刻になって来たというなら分かります。が、福島原発からの大量の放射性物質の放出は、地震のあとの数日間に集中的に起こった出来事なのです(今のところは)。その時点でフクシマはすでにチェルノブイリと同じレベル7に相当する重大事故の条件を備えていた。政府と東電は知っていた筈です。ところがレベル7の認定が発表されたのは事故から1か月以上経ってからでした。それも統一地方選挙が終わった後のタイミングで発表された訳ですから、そこには何らかの政治的意図が働いていたと見るのが自然でしょう。この期に及んで国民の安全よりも政局の方が大事な政権与党と、危機管理能力がゼロの総理大臣のもとで、震災はいまも人災としての被害を拡大しつつあります。

 今回は原発事故に関して流布している楽観論を検証してみたいと思います。断るまでもなく、私は原発や放射能の問題に関してはまったくの素人です。でも、にわか勉強の素人目に見ても明らかにおかしいと思われる言説が多いのです。これから書く私の考え方が間違っているなら、その方がずっと好ましいことです。どうかこの問題に詳しい方がいらっしゃったら、私の間違いをご指摘いただきたい。そしてもしも私の考えに同意してくださる方がいらっしゃったとしても、ここに書かれていることをそのまま鵜呑みにせず、ご自身で情報を集めて考えていただくようお願いします。

【楽観論1】

「同じレベル7でもフクシマの放射能汚染はチェルノブイリの10分の1に過ぎない。」

 原子力施設から放出された放射性物質の総量によって事故のレベルは決められているのだそうです。決めているのは国際原子力機関(IAEA)です。原子力事故の深刻さをレベル1から7までの7段階に設定しているのです。チェルノブイリでは520京ベクレルの放射性物質が放出されたのに対し、福島原発では原子力安全委員会の試算で63京ベクレルの放出量だったそうです(京って兆のひとつ上の単位でしたっけ?)。どちらもレベル7の基準を満たしますが、その規模は10倍も違います。ただここで注意したいのは、福島の事故はまだ現在進行中であることです。チェルノブイリの520京ベクレルというのは、事故から25年間に放出された放射性物質の総量であって、事故から1か月しか経っていない福島を同じ基準で比較すること自体無理があります。むしろ考えておかなければならないのは、チェルノブイリの事故が原発1基だけだったのに対し、福島は3基の原発と4か所の核燃料プールが同時に被災して、その全てがまだ収束していないという点です。そこに蓄えられていた放射性物質の総量はチェルノブイリの10倍にも上るそうで、ということは事故の規模という点でもフクシマはチェルノブイリの10倍のポテンシャルを持っているということです。

 放射性物質の飛散は、三つの原子炉建家で立て続けに水素爆発が起こった3月12日から15日に集中的に起こったと見られています。その後は現場の作業員の方たちの文字どおり決死の対応によって小康状態が続いています。もしも事故の収束までこの状態が続くなら、現在避難区域・警戒区域に指定されている場所以外では、ふつうに生活を続けることに問題は無さそうです。問題は次に何か起こった時です。水素爆発によって原子炉の格納容器が破壊される、再臨界が進んで燃料プールの底が抜ける、余震で再び冷却機能が失われる、そのどれが起こってもチェルノブイリ級の事故に発展する可能性がある。もしもそれが複数の施設で連鎖的に起これば、チェルノブイリどころではなくなる可能性だってあるのです。原子炉建屋が爆発した時には、放射性物質は2、3日で関東にまで届きました(私たちはずっと後でそのことを知らされました)。関東と東北に住むすべての人が3日間以内に西日本や北海道に避難することは物理的に不可能です。たいへんなパニックが起きるでしょう。それを考えれば、将来の危険を見越して西日本に疎開している人たちは、正しい判断をしているとも言えそうです。たとえ結果的にそれが取り越し苦労に終わったとしてもです。(最悪の事故に発展してしまえば、日本の何処に逃げても同じことでしょうが…)

【楽観論2】

「1960年代には大気中の放射線量は現在の1万倍もあった!」

 この話を最初に知ったのは、広告で見た週刊紙の見出しからでした。さっそく気になって立ち読みをしてみると、こういう話です。1950年代から60年代にかけて、米ソは地上で数多くの核実験を行なっていました。その時に大気中に放出された放射性物質の量は莫大なもので、60年代の前半には現在に比べて最大1万倍の放射能が地上に降り注いでいたというのです。60年代前半と言えば、ちょうど私が幼少期を過ごした頃ですが、その時代の子供たちの多くが癌にかかったという事実はありません。だから今回の事故で発生している程度の放射線を過度に怖れる必要は無いというのです。ちょっと調べれば分かりますが、これもひどいゴマカシのロジックです。ふだん私たちが年間に浴びている放射線は2.4ミリシーベルト程度です(日本では1.5ミリシーベルトという観測結果もあります)。その大半は宇宙線や鉱物中の放射性物質に由来する自然放射線です。では、1960年代にはその1万倍の2万ミリシーベルト(20シーベルト)を超す放射線が毎年地上に降り注いでいたのでしょうか? だったら人類はもうとうに絶滅している筈です。(人間は5~10シーベルトの放射線を浴びれば死にます。) では何が現在の1万倍だったのか? これはセシウム137およびストロンチウム90という特定の放射性物質の濃度が、自然放射線と比べて数百倍から数千倍だったということなのですね。ところがセシウム137やストロンチウム90なんて、もともと自然放射線の中にはほとんど含まれていないものなので、それだけを取り上げて1万倍などと言っても意味は無いのです。

 それに「1960年代の放射線は現在の1万倍」と言う時の「現在」というのは、あくまで今回の原発事故より以前のことなので、これも誤解を与える表現です。事故後の放射線濃度ということでは、山梨日日新聞の記事にもっと信憑性のある(と私には思われる)記述がありました。東京でも3月21日~22日の降雨で放射線量が大きく増加しましたが、その時に観測されたセシウム137の降下量は24時間で5300メガベクレル/平方キロメートルで、これは1963年に観測された1年間のセシウム137の降下量の2.8倍に当たるのだそうです。なんのことはない、今回の事故によって、東京ですら1960年代の年間放射線量の3倍近い放射線(セシウム137)が「1日で」降って来たのです。さらに原発事故が核実験による放射線放出よりも深刻であるのは、核実験ではほとんど出ないヨウ素131が大量に放出されるという点にあります。子供を中心に甲状腺癌を発症させることが分かっているヨウ素131は、都内の浄水場でも基準値を上回る値が検知されて、大騒ぎになりました。多くの国が日本国内に滞在している自国民を帰国させると同時に、帰国出来ない人たちにはいち早く安定ヨウ素剤を配りました。ところが日本政府は原発周辺に住む子供たちにすら予防のための薬を配ることをしていない。そして「ただちに健康に影響が出る値ではない」などと無意味な説明を繰り返すばかりでした。これはもう政府による犯罪と言ってもいいほどの危機管理の甘さです。

【楽観論3】

「M9.0の地震でもこの程度の被害で済んだ日本の原発はやはり安全だ。」

 今回の地震がほんとうにマグニチュード9.0に相当するのか、その評価にも政治的思惑が働いているのではないか、その問題はとりあえず措きましょう。確かなことは、今回の原発事故は地震よりも津波によるものであったということです。阪神大震災などと比べてみれば分かりますが、東北3県でも地震そのものによる建物の倒壊は少なかったように見受けられます。これは地震の種類が海溝型であって直下型ではなかったからです。もちろんそれによる津波の被害は筆舌に尽くせないものだった訳ですが、原発から見れば今回の震災は最悪のハードアタックという訳ではなかったのです。原発事故の際には、「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」の3つが重要だと今回教わりました。福島第一原発では、原子炉を止めることには成功したが、その後の冷やす、閉じ込めることに失敗したのだと。もしも最初の止める作業にも失敗していたら、運転中の3基の原子炉は核燃料プールもろとも大爆発をして、津波の被害どころではない大量の死傷者を出していたかも知れない。この場合には西日本や北海道も深刻な放射線被害を免れなかった筈です。そうならなかったことは不幸中の幸いでした。

 私たちはわずか3年前に起こった宮城内陸地震のことをもう忘れかけています。M7.2という〈日本としては〉ふつうの規模の地震でしたが、山がひとつ消えてしまったほどの激しい地震ということで当時は話題になりました。震源が山間部だったために奇跡的に被害が少なかった訳ですが、この時に地震計が記録した4022ガルというすさまじい加速度はギネスブックにも認定されているそうです。こんな直下型地震が、全国に54箇所もある原発の近辺で起こったら? 日本の(というより世界中の)原発は耐震設計になっていますが、想定しているのはせいぜい600ガル程度の揺れです。地震の際に原子炉を止める仕組みは、運転中の核燃料に制御棒(250本もある)を差し込むことが基本です。今回のような震源が遠い地震では、制御棒も正常に作動したと思われますが、直下型地震で1000ガルを超すような揺れの中でも原子炉を正常に止められるかと言えば、常識的に考えて無理だと思います。(1000ガルは重力加速度を超える値なので、地表にただ置いてあるものはどんなに重い物体でも宙に浮きます。) 私たちが今回の震災から学ばなければならない一番の教訓はそれです。つまり今回はラッキーだったけれども、次回はそうは行かないかも知れないということです。M9.0の地震にもなんとか耐えた日本の原発などという言い方は、たくさん現れた震災妄言のなかでも最悪のものだと私には思われます。

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2011年4月17日 (日)

仮設住宅は復興のベースキャンプとなり得るか?

 震災から1か月余りが過ぎて、避難所生活を送る人たちのためにようやく仮設住宅が建ち始めました。大災害が起こった後に毎回繰り返される光景です。新聞によれば今週末現在で避難所で暮らす人は13万7千人、必要となる仮設住宅は7万2千戸と見積もられるのに、昨日(4月16日)までに完成したのはわずか276戸。入居者を決める抽選では50倍を超す当選倍率になっていると言います。避難所となっている体育館や公民館では、いまも広い板張りの床で、たくさんの人たちがふとんと毛布と段ボールだけの生活を続けています。劣悪な環境のなかで、体調をこわす人や亡くなる人も多く出ています。仮設住宅を建てるなら、何故もっと早く建て始められなかったのでしょう。避難所を確保して最低限の食事を配給しても、次にやって来るのは避難生活者の健康問題であることはあらかじめ分かっていたのですから、国は震災の翌日からでも仮設住宅の手配を始めるべきでした。特に避難所から出て行くことが難しい人たちのなかには、身寄りの無いお年寄りや体の弱い人も多いのではないかと思います。そういう人たちを1か月以上も体育館の床に放置しておくというのは、明らかに人為的に作り出された第二の被災であり、行政の責任が問われる問題です。この地震大国で過去の教訓が活かされていない点にも憤りを感じます。

 この1か月間に日本の各地で被災者を受け入れる動きが見られましたが、とっても奇妙だと思うのは、受け入れ先でやはり被災地と同じような「体育館の床にふとんと毛布」という光景が繰り広げられてしまうことです。埼玉県は福島県双葉町の被災者を町ぐるみ受け入れる決定をしました。ところが受け入れに使ったさいたまスーパーアリーナでも、その後移された廃校になった高校の校舎でも、被災者を待ち受けていたのはプライバシーの全くない床の上での生活でした。そりゃあ物資の面でも医療の面でも被災地よりはずっとマシなのは確かですが、これは被災者を受け入れる自治体側の態度としては無情と言うか非礼なことではないか、そう私には思えてしまうのです。1億2千万人が住むこの国で、わずか十数万人くらいの被災者に対して、何故すぐに部屋を用意出来ないのでしょう? 生活を再建するためには、仮の住居であってもまずはプライバシーの守られた部屋を保障されることが第一条件でしょう。たとえ震災という特殊な状況下にあっても、憲法に謳われた「健康で文化的な」最低限の生活が保障されなくていい訳はありません。全国には空き部屋になっている公営住宅がたくさんありますし、かんぽの宿や東京電力の保養所のようなところだって利用すればいい。もしも国が震災後ただちに毅然とした決定を下していたなら、避難所で失われたいくつもの命が救われたかも知れないのです。

 もちろんなかには、故郷を遠く離れて知らない土地の公営住宅に仮宿するよりも、故郷の小学校の体育館の方がいいという人もいるに違いありません。しかし、十数万人もの人たちがいまだに避難所生活から抜け出せない理由は、それだけではないようです。営業を終えて今は使われていない赤坂プリンスホテルが被災者の受け入れを行なっています。ところが入居した人の数は募集数を大きく下回っているのだそうです。高級ホテルでの避難生活は、少なくとも物理的には快適なものだろうし、希望者が殺到してもおかしくないと思うのですが(なんたって赤プリですよ!)、そうならなかったことには単純な理由がありました。被災地の避難所では食べ物や生活物資の配給があるので、とりあえずお金が無くても生活出来るのに対し、営業していないホテルの部屋を提供されても、食費や生活費は自分で賄わなければならないので、お金が無い人は入居出来ないというのです。同じような話が他でもありました。避難所として提供された公営住宅に行ってみたら、空き部屋には鍋釜も無ければもふとんも無く、まずは家財道具を買い揃えなければ生活が始められないことが分かった。悪いジョークのような話です。建設中の仮設住宅にどのような家財道具があらかじめ揃えられているのか知りませんが、これまで真面目に税金を納めて来た国民に対しては、国として取るべき最低限の「礼」というものがあるでしょう。いまの状況を見ていると、行政府の無能さというのはこういうところに端的に現れて来るものだとつくづく感じます。

 新聞に発表される数字を見ていると、避難所生活をしている人の数が日に日に減って来ていることに気付きます。震災直後には50万人以上いた避難所生活者が、十日後には40万人、そしていまは14万人以下に減っています。それはそれで結構なことだと思いますが、まだ本格的に仮設住宅が提供され始めた訳でもないのに、避難所を離れる人がそれだけ多いということは、一見平等に見える避難所生活の中にも、冷厳な経済格差の原理が働いていることを想像させます。お金のある人たちは、部屋を借りるなり縁故を頼るなりして、新しい生活への一歩をすでに踏み出している筈です。すると避難所にいつまでも残ってるのは、身寄りの無い貧しい人たちばかりということになる。もしかしたら、国が仮設住宅の建設を遅らせたのは、避難所にいる人たちのなかで〈自助努力〉によって出て行ける人とそうでない人をふるいにかけ、必要な仮設住宅の戸数を節約する意図があったのではないか、そんなふうに勘繰りたくもなるのです。また避難所にいる人たちのなかには、親類の家に身を寄せて肩身の狭い思いをしたり、なけなしのお金をはたいてアパートを借りるよりも、今は避難所生活に耐えながら仮設住宅が出来るのを待った方が得だ、そういう算段を働かせている人もいるかも知れない。もしも国が被災者にそんな無意味な根くらべを強いているのだとしたら、それも罪深い話です。

 もっとずっと簡単で、速効性・実効性のある救済策があった筈だと私は考えます。こういう時のためにこそ、日本には「生活保護」という制度があったのではなかったでしょうか? いや、分かっています、住民台帳も失われてしまった被災地では、受給資格の認定を正しく行なうことも難しいでしょうし、そもそも本人の戸籍確認が出来ない人だって多いに違いない。でも、そんなことがこの非常時に重要な問題だろうか? 家も家族も何もかも失い、生活の手立てを何ひとつ持たない人たちが実際に目の前にあふれているのです。本人の申請に基づいて、震災見舞金としてひとり一律30万円、生活保護費として月に8万円を支給すれば、被災者が不当に長く避難所に固着してしまうという弊も避けられた筈なのです。たとえ50万人にその金額を支給したとしても、1年間に必要となる予算は6300億円程度のものです。震災後、最初の1、2週間は緊急物資の提供やボランティアによる炊き出しが必要なのは当然のこととして、その後の生活の再建に必要なのはやっぱりお金でしょう。それは被災した人たち自身に、これからの生活に対する選択の自由を与えるものだからです。仮設住宅というのは、入居費がかからない代わりに、入居期間は2年間までと決められているのだそうです。しかし、産業も復興していない地域の仮設住宅に住まわされて、2年間でどう生活を立て直せばいいのでしょう? もしも生活保護を受けられるなら、被災地に留まって復興作業に取り組むことも出来るし、それが叶わなければ別の土地に移って新しい生活を始めることも出来ます。

 今月初めのニュースで、生活保護を受けている人の数が200万人に近づいたと報じられていました。1990年代には100万人くらいでしたから、わずか15年ほどの間に倍増したことになります。今回の震災で直接被災した人たちばかりでなく、経済の悪化により職を失って、生活保護に頼らざるを得なくなる人たちの数は今後さらに増えると予想されます。生活保護制度に関しては、私は以前から現金支給をやめて現物支給に切り替えるべしという意見を持っています。つまり生活保護世帯向けの共同住宅を建設して、そこに生活物資を供給するというやり方です(参考記事はこちら)。入居者は世帯ごとに個室を与えられますが、風呂やトイレは共同、食事も食堂で一律に供されることになる。この方法のメリットは、現金支給に比べて一人当たりにかかる費用が格段に安くて済むこと、そして生活保護を受ける人たちにすぐに仕事を提供出来るということです。食事を作るのも、設備の修繕をするのも、高齢者の介護をするのも、すべて入居者の仕事です。それぞれの得意分野を活かして出来ることをすればいい。施設内の仕事にも賃金が出ますが、それは現金で支給されるのではなく、その人の自立資金として口座に貯められることになります。こうして生活保護からの自立の道も確保されることになるのです。被災地においては、ここをベースキャンプにして地域産業の復興が始まります。入居者が自分の家を建てられるようになるのは、産業によって現金収入が得られるようになってからのことです。

 いま被災地に必要なのは、形だけの個室を備えたバラックのような仮設住宅などではなく、このタイプの共同住宅ではないかと思います。抽選に当たる人だけが入居して、はずれた人は避難所に留まるか別の土地に移住するしかない、そんな支援策ではその土地のコミュニティを弱体化させて、復興を願う人々の活力を奪ってしまうだけです。菅総理は復興会議なるものを立ち上げて、高台を切り拓いての宅地造成だとかエコタウン計画だとか言っているようですが、絵空事です。被災地の人たちに必要なのは10年後の夢ではない、現下の住む場所と仕事です。もしも被災地をこれからの日本の新しいモデルとしたいなら、他に選択肢は無い、これまでの生活保護制度に代わる「コミュニティ維持型の生活支援制度」の導入によって地域再生の成功モデルを作ることです。いまの財政状態では、どっちみち従来の生活保護制度は維持出来ないのです。私たちが今回の震災のなかで見た唯一の希望は、被災地の人たち、いやすべての日本人が持つ「絆」の強さということでした。そこに根差さない限り、どんな復興策も絵空事だと私は思う。東北の町々から、そこで生まれた小さな新しいコミュニティ施設から、これからの日本が変わって行く。つらいことだけれども大震災の教訓がこの国の再生に活かされたと評価されるためには、その方向しかないのではないかと私は思っています。

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2011年4月 9日 (土)

リフレ派休戦宣言

 原発推進派と反対派が震災前と変わらない議論を戦わせているように、リフレ派と反リフレ派も相変わらず党派性まるだしの議論を繰り返しています。いや、震災によりその対立はいっそう尖鋭化したようにも見えます。被災地の復興や傷んだ生産・物流ラインの復旧には、20兆円くらいの財政支出が必要だという試算もあるようです。年間50兆円を超す赤字国債を発行しなければやっていけない財政事情のなかで、どこからそんな復興予算が捻出出来るというのか、いまこそ十兆円単位での復興国債を発行して、それを日銀に直接引き受けさせるべきだ、これがリフレ派からの緊急動議です。それに対して反リフレ派の主張はこうです、日銀の国債引き受けには国会の決議が必要であり、その議案を提出するということ自体が「国債は危ない」(引き受け難の懸念がある)というシグナルを市場に送ることに他ならない、その時点で国債は暴落し日本経済はインフレに突入するだろう。リフレ派と反リフレ派の争点は、政府が日銀に国債を引き受けさせる政策、あるいは政府紙幣を発行する政策でも同じですが、要するに政府が〈通貨発行特権〉を発動する政策(シニョリッジ政策)を採ることによって引き起こされるであろうインフレが、果たしてコントロール可能なものかどうかという一点に集約されると言っていいと思います。リフレ派はマイルドなインフレ誘導は可能であると主張し、反リフレ派はハイパーインフレが起きると主張するのです。

 経済学の専門家ではない私には、どちらの主張が正しいのか判断することは出来ません。しかし、素人には素人なりの知恵の働かせ方があるので、世の経済学者と呼ばれる人たちのあいだでもこの問題に関しては意見が対立しているところを見ると、どちらが正しいかは誰にも分からないというのが真実に近いのではないかと考えています。私自身は直感的に、数十兆円程度のシニョリッジ、しかも使途が震災復興と限定されているシニョリッジによってハイパーインフレが起きる可能性はほとんどないと考えています。その考えは、震災発生以来、日銀がすでに100兆円以上のマネー供給を行なっている(つまり市場で国債を買っている)にもかかわらず、また一部の物資が非常な供給不足を起こしているにもかかわらず、インフレの兆候が見られないことからも確信に近いものになっているのですが、まあ素人の直感について書くのはやめときましょう(もう書いてるけど。笑)。また反リフレ派が主張するように、日銀による国債引き受けを国会が決議した場合と、それをせずに復興国債を発行して実際に引き受け難が起こった場合を比較した場合、どちらがマーケットに与えるショックが大きいかという点もここでは措きます(問題提起はしておきます)。そうしたリフレ派にとって有利な条件を考えに入れても、それでもいまは拙速なリフレ政策を提言すべきではないというのが今回私の書きたいところなのです。

 理由はふたつあります。ひとつめはリフレ派が常日頃から主張しているデフレギャップに関する議論です。日本は供給能力に比べて需要が不足しているので、そのギャップを通貨発行によって埋めることが経済を正常化するためにも必要だというのですが、その前提が今回の震災被害と今後長く続く電力不足によって崩れた可能性があります。逆に考えれば、これまでデフレギャップが大きかったからこそ、震災後も日本中がモノ不足でパニックに陥る事態にまではならなかったのかも知れません。が、そのバッファーも震災で使い果たしてしまった可能性がある。もうひとつの理由は、ここに来て世論が増税に対して容認的になっている点です。少なくとも震災復興の名目で期間を限って増税することには、多くの人が仕方がないと思っている。リフレ派にしても反リフレ派にしても、増税によって復興財源が手当て出来、しかもそれが経済を停滞させる要因にならないと分かっていれば、望ましいのは国債増発よりも増税であるという点では考えが一致しているのではないかと思います。いや、増税によって経済にブレーキがかからない筈はない、という声が聞こえて来そうですが、今回に限っては逆の効果が期待出来る理由もあるような気がするのです。つまり消費税を10%に引き上げ、アップした5%を復興税と位置付けて、それ以外の使途には使えないように法律で縛れば、自粛ムードで凍りついた消費が動き出すかも知れない、そんな気がするのです(当然、宮城・岩手・福島の三県は増税の対象外です)。経済学の教科書ではあり得ないことでも、庶民の感覚からすれば大いにありそうなことです。

 さすがにここに来て、行き過ぎた自粛は自粛しよう(?)という声があちこちで聞かれるようになりました。非常に古臭い硬直した道徳観の持ち主である石原都知事が、今年は花見を自粛するよう都民に通達を出しました。これほど誤ったメッセージもありません。むしろ今年こそ、いつにも増して盛大に花見をしよう、その際に出来れば東北産のお酒と食べ物を持ち寄ろう、そして花見の宴のなかではそれぞれの仲間でぜひ義援金を募って欲しい、そういうメッセージを発するべきでした。政府も行き過ぎた自粛に陥り過ぎないようにというコメントを出していますが、そんな平板なコトバでは国民の心には届かない。こういう時こそ、政治家は国民の心に訴える魅力あるコトバを紡ぎ出すべきなのに、総理大臣はじめそれが出来る政治家がひとりも存在しないというのがこの国の不幸です。原発問題に対する会見でメディアへの登場頻度が圧倒的に高くなった枝野官房長官のことを、次期総理大臣候補と目す人もいるようですが、私に言わせれば全然ダメです。発するコトバに魅力が無いから。枝野さんは弁護士出身だそうですが、無難な答弁をするというのは官僚に求められる資質であって、政治家に求められているのはもっと別の何かです。

 話が脱線しました。脱線ついでにもうひとつ今週目にとまった新聞記事の話題を。火曜日の朝日新聞オピニオン欄に、会計検査院の飯塚正史さんという方の復興財源に関する提案が載りました。震災発生以来、私が読んだ新聞記事で最も重要なことが書かれていると感じたのがこの記事でした。「決算剰余金寝かさず使え」と題された記事の要旨はこういうことです。2010年度の政府の決算剰余金は約30兆円ある、これは通常なら2012年度の予算に当てられるものだが、それを1年前倒しで今年度の予算に組み入れれば、国債や増税に頼らずとも復興財源は手当て出来るというのです。これにはびっくりしました。どこにびっくりしたかと言えば、まず第一に国の年間予算を決算してみたら剰余金が30兆円も出たということ。これは特別会計も含めた予算全体の話で、この30兆円というのはいわゆる〈霞が関埋蔵金〉ともかぶっているのだろうと思います。埋蔵金なんて民主党政権になってあらかた掘り尽くされてしまったのだろうと思っていたら、全然そうじゃなかったんですね。さらにびっくりするのが、剰余金は翌年度に繰り越されるのではなく、翌々年度まで寝かされるのがこれまでの慣習だったということです。国の決算が確定するのは7月なので、翌年度の予算編成には間に合わないという理由なのでしょうが、財務省が赤字財政と増税の必要性をこれだけ喧伝しているご時世になんと悠長なやり方なのだろうか。要するに、剰余金を隔年で繰り越せるほど国の財政にはまだ余裕があったということなんですね。

 この話が事実なら、政府は真っ先にこの提案を検討すべきです。増税や復興国債の検討はその後の話でしょう。剰余金の隔年繰り越しを廃止するという政策決定も、たった一度しか使えない〈奥の手〉ではありますが、それは決して〈禁じ手〉ではない筈です。そしてそれを実行するために法の見直しが必要ということであれば、これは紛うかたなく政治家に課された課題である訳です。実は私も震災後の記事で、政府は今こそ100兆円規模の国債を発行して、それを日銀に引き受けさせるべしなんて書いてしまったのですが、この考えは撤回します。リフレ政策が妥当であったのは、あくまでデフレギャップによって経済が停滞していた状況においてです。しかし、状況は変わってしまった。国内の供給能力が大きくダメージを受けてしまった以上、これからの経済政策はインフレ圧力がかかる中での舵取りになるだろうと予想されます。そんななかでシニョリッジを発動させれば、それこそハイパーインフレを引き起こすきっかけになってしまうかも知れない。だから増税政策が正解だと言いたい訳ではありません。状況が変わったのは、増税に対しても同じです。経済が縮小するなかで、増税によって財源を確保することが無謀であるのは理の当然だからです(復興税を設けるにしても、1年間くらいの期間限定にすべきです)。それより優先して検討すべきなのは、これまで眠っていたストックを有効に活用する政策です。剰余金の30兆円はそのために最も手を付けやすいストックでしょう。リフレ派も反リフレ派も、いまは平時の教条主義を捨てて、現実に則した第三の道を探るべき時だと思います。

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2011年4月 3日 (日)

原発反対派に転向します

 被災地の救済と復興に向けて国民の心がひとつになろうとしているのに、相変わらず専門家と呼ばれる人たちのあいだでは党派性むきだしの不毛な議論が繰り広げられているように見えます。今週号のアエラに「原発学者は揺るがない」という記事が出ていました。従来から原発に対して賛成あるいは反対の意見を持っていた専門家の人たちが、今回の原発事故の前と後でどのように考え方が変わったか、アンケートで調査したという記事です。結果は、意外というか当然というか、誰ひとりとして以前の自分の考えを変えた人はいなかったということでした。原発反対派が考えを変えないのは当たり前として、賛成派の専門家があくまで原発推進に固執していることには違和感を感じます。いや、他人事のように言うのはよくありませんね、私自身、これまで原子力発電に対しては比較的肯定的というか容認的な意見を持っていたからです。原発に賛成する意見を表明していた人間は、専門家であるか否かにかかわらず、以前の考えを撤回するか、もしも撤回しないならばその理由を説明する責任を負っていると思います。

 今回の福島原発の事故によって分かったことは、原発というのはそれ自体が停電に対して非常に弱いものであり、わずか数時間くらい電力を止められただけで原子炉は暴走を始める危険性があり、いったん暴走し始めたらもはやそれをノーマルな管理下に戻すことは不可能だということです。原発が危険だという知識は誰もが持っていたけれども、その危険性の正体を具体的にイメージすることはなかなか出来なかった。今回のことでそれがリアルな生きた知識として共有出来たとすれば、そのために私たちが支払った代償はあまりに高いものでした(これから支払う代償が、と言った方がより正確かも知れません)。もうひとつ、これも今回初めて知ったことですが、使用済み核燃料というものが原子炉と同じ建家の中に、金属製の防護壁に囲まれることもなく大量に保管されていたという事実にも驚かされました。こちらも常に水を循環させて冷やしておかなければ、熱崩壊を起こして大量の放射性物質を撒き散らすことになるらしい。何故そんなものが文字通り原子炉の〈真上〉にぶら下げてあったかと言えば、一定温度にまで冷却させなければ輸送することも出来ないという理由からでしょう。ところが冷却までには何年もかかるので、結果として原子炉建家内には常に大量の使用済み核燃料が置かれていることになる。万が一原子炉が爆発すれば、何が起こるかは素人でも想像がつきます。

 いま福島原発では、高濃度の放射性物質を含んだ汚染水の処理が緊急の課題になっています。海上公園として使われていたメガフロートを使って汚染水を〈汲み取る〉案も検討されているようですが、素朴な疑問があります。汲み取られた汚染水はどこに持って行かれるのでしょう? その水はどのように処理されるのでしょう? それを正しく処理する方法というものが果たしてあるのでしょうか? そこまで説明した記事を私は見付けることが出来ませんでした。今回の地震は千年に一度という規模のものだったと言いますが、使用済み核燃料は何万年もの未来まで、つまり人類史的には未来永劫に亘って危険物として管理して行かなければならないものなのです。私たちが原子力エネルギーを使えば使うほど、そんなものが世界中に蓄積されて行く訳です。千年に一度の天災も、百年に一度の戦争やテロも、核燃料の永遠に続く管理サイクルから見れば決して稀な出来事ではないとも言えます。福島の原発は廃炉になるでしょうが、それまでに数十年はかかるのだそうです。いや、たとえ事故を起こしていなくても、一基の原発を計画的に廃止するためには2、30年の年月がかかるらしい。原発はコストが安いなんて全くのウソでしたね。それは人類の未来をまるごと担保に入れて、高い金利で借金をしていたのと変わらないことでした。

 この期におよんでまだ原発を擁護しようとしている専門家や評論家に対して、強い憤りを感じます。いわく、これまでに事故で死亡した人の数は原子力発電所より火力発電所の方がずっと多かった、事故を起こしたのは古い型の原発であって最新型の原発ははるかに安全に設計されている、放射性物質は自然界にもたくさんあふれているので、この程度の漏洩で大騒ぎする方がおかしい。「デマに惑わされるな」というデマに惑わされないようにしましょう。問題は事故による死者の数でもなければ、自然放射線との危険性の比較でもありません。核物質というものを扱うこと、それ自体の危険性が問題なのだと思います。最近はメンテナンスが容易な小型の原発といったものも開発されているそうで、それをイノベーションなどと呼ぶ人もいますが、そういう人は日本中の町や村がそれぞれ1個ずつの小型原発を持つといった社会を夢見ているのでしょうか。深刻な原発事故の現実を見せられてしまったいま、規模の大小や安全性の程度に関係なく、私たちは原発とはこれ以上共存出来ないと感じています。その感覚の方が健全だと思います。福島の事故を受けて、ドイツでは脱原発を訴える緑の党が支持率を上げました。各国で原発推進政策の見直しが始まっています。福島の教訓が活かされている訳です。事故の当事者である日本だけが、その流れから取り残される訳にはいきません。

 いま日本では電力の3割を原子力に依存しているそうです。今回の事故が無ければ、その比率は今後もっと高くなっていたのでしょう。これが7割だったらともかく、3割ならまだ引き返せると思います。この夏の電力不足は心配ですが、3割の節電なら不可能なことではない。いま最優先で進めるべき技術開発は、省電力型のエアコンや安価なガスエアコンの開発でしょう。これはすぐにでも始めるべきだし、政府はその開発や普及に予算をつけるべきです。(電力消費が外気温によって大きく左右されるということも、この3週間で私たちが学んだことのひとつです。) エネルギー問題には専門家でなければ分からないことが多いとしても、大筋のところではどういう方向に進むべきか私たちは正しく知っています。まずは「脱原子力」ということが第一、そしてその後には「脱化石燃料」という課題が続いています。そしてどんなに困難でコストがかかろうと、再生可能エネルギー(風力、地熱、太陽光など)にシフトして行くことが私たちに許された唯一の道です。それを世界に先駆けて実現していかなければ、日本の国際的地位は低下して行く一方でしょう。私たちは身に染みて理解しました、「地震の多い原子力先進国」というレッテルを剥がさなければ、旅行客も呼べなければモノを輸出することも出来ないことを。党派性を持った評論家のコトバに惑わされてはいけない、まずは脱原発ということで民意をひとつにすることが重要です。

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