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2011年3月26日 (土)

電力危機を乗り切るためのアイデア

 関東・東北の計画停電は、この夏も次の冬も続くのだそうです。これからの季節はいいけれども、昨夏のような猛暑のさなかにも電力が制限されるのかと思うと本当にうんざりします。いや、被災地で過酷な避難生活を送っている人たちのことを思えば、そんな贅沢を言ってはいけませんね。ただ、このまま〈計画停電〉という名の無計画な節電対策が続くと、国の復興にもブレーキがかかってしまうことは間違いないので、なるべく産業の効率を落とさず、個人にとってもストレスの少ない節電方法を考案することは私たち全員の課題です。今回は私の考えた節電方法について書きます。すべてこれは電力会社による計画停電を止めることを前提にしたアイデアです。というより、計画停電を止めさせるためのアイデアと言った方がいい。なかにはネタに近いものもありますが、議論のたたき台にでもなれば幸いです。

1.自分に電気を使わせない工夫を

 電気のある便利な生活にどっぷり浸かっている私たちは、節電が大切だと分かっていても、なかなか実行するのは難しいものです。こんな時、自分や家族に無理強いをすればストレスがたまるばかりです。ここはむしろ発想を変えましょう。「電気を使うことの方がひと苦労」という状況を作ってやればいいのです。まず家庭で無くても済ませられる電気製品をピックアップします。例えば、食器洗い機、電気ポット、コーヒーメーカー、アイロン、ふとん乾燥機、マッサージチェア、空気清浄機etc。まあ、ピックアップされる製品はその家によって違うでしょうが、そうして選んだものを物置きか押入れの奥深くにしまってしまえばいいのです(しまう場所が無い大型の機器は、コンセントが届かない場所に移動させるだけでも構いません)。家庭で一番電気を食うエアコンは、本体をしまうことは出来ませんが、リモコンを隠すことなら出来ます。例えば家で使うエアコンは1台だけと決め、その他はリモコンを隠し、コンセントも抜いてコードを束ねて固く縛ってしまう。蛍光灯や電球は新しいものに替えて、その代わり半分の本数に間引いてしまいましょう。これなら意志の弱い私でも自然に節電が出来そうです。

2.アンペア低減にエコポイントを

 家庭で使う電力を総量で減らすための一番手っ取り早い方法は、契約アンペア数を低くしてしまうことでしょう。要するにブレーカーがすぐに落ちるようにするのです。これは野口悠紀雄さんが提案しているアイデアですが、電力会社との契約アンペア数が上がるごとに、現在の基本料金を累進的に高くすれば、多くの家庭で低いアンペア数に契約を変更するだろうというのです。(例えば30Aなら1000円、40Aなら4000円、50Aなら1万円といったふうに。) いいアイデアだと思いますが、ただこれだと各家庭ごとの特殊な事情が考慮されないので、一部で不公平感が出て来そうです。贅沢をしている訳ではなくても、大所帯の家庭や病人を抱えた家庭ではアンペア数削減は難しいからです(もちろんオール電化住宅に住む人も)。この問題は、多くの人が提案している〈電力税〉についても言えます。電力税を使用電力量に応じて徴収すれば、電気を無駄遣いしている人たちを懲らしめるばかりでなく、生きるために電気に頼らざるを得ない人たちの生存権をも脅かすことになる。私の提案はもっとマイルドなもので、現在の契約アンペア数にかかわらず、それを1段階下げるごとに国が報奨金を出したらどうかというものです。現在40Aの家庭が30Aにすれば1万円、60Aを40Aにすれば2万円もらえるといったイメージです。これなら誰も不幸にすることはありません。その手続きだって簡単です。せっかくいまエコポイント制度というものがあるのだから、契約アンペアの低減にエコポイントを付ければいいのです。節電の気運が高まっている今、これを実施すればかなりの家庭がアンペア低減に協力してくれるのではないでしょうか。

3.時限措置で残業代を廃止する

 こんな不況でも多くのオフィスでは深夜まで煌々と電気がついています。時節柄、当面のあいだ残業は止めませんか。残業を減らす最も効果的な方法は、残業代を廃止することだと思います。これは(特に民主党には)実行が難しいことだと思いますが、時限立法によって企業に時間外手当の支払いを免除するよう法律を改正するのです。大震災によって多くの企業が財務危機に陥ることが予想されますから、これは一時的な企業救済策としても有効だと思います。それにこれは日本人の働き方を効率的にするためのいいチャンスだとも言えます。私が働いているコンピュータ業界でも、日が暮れたころからエンジンがかかったように仕事を始める人が多い。半分は残業代のためでしょうが、半分は習慣の問題です。これが日本のホワイトカラーの労働生産性を著しく低くする原因になっている。夕方5時に電灯が一斉に消えるとなれば、定時間内にバリバリ仕事をするしかない。そして会社が引けたあとは、毎日まっすぐ家に帰るのではなく、なるべく夜の街にお金を落とすように生活習慣を改めましょう。

4.企業活動を24時間の3交代制に

 節電が必要と言っても、求められているのは電力を総量で削減することではなく、ピーク時の電力を平準化することです。いくら家庭で節電を進めても、企業活動に使われる電力がピークを押し上げているのでは意味がありません。しかし、このピークをならすのは実は簡単なことではないかと思います。1日24時間を8時間ずつ3分割して、企業活動を3交代制にすればいいのです。これまでも工場などでは、繁忙期には3交代で24時間操業することは普通にやっていたと思います。それを複数の企業が8時間ずつ交代で行なうというイメージです。例えば午前9時から午後5時までを「1勤」、午後5時から午前1時までを「2勤」、午前1時から午前9時までを「3勤」と呼ぶことにしましょう。本社機能や営業所などは「1勤」で固定するしかないかも知れませんが、電力を大量に使う製造現場などは「2勤」「3勤」でもいい訳です。(残業代は廃止されますが、夜働く人たちのために夜間手当や深夜手当は残します。) どの企業のどの事業所がどの勤務シフトを選ぶかは、基本的にそれぞれの企業が選択することになります。但し全体としての電力消費が平準化されるよう行政が指導を行なうことも必要でしょう。「2勤」や「3勤」を選択した企業には、電力料金や税制面で優遇することも検討します。とにかく電力供給が復旧するまでのあいだ、東京電力管内のどの事業所も残業無しの8時間操業にすることが基本で、それを事業所ごとにシフトさせることで電力需要のピークを無くそうという発想です。被災地に送る物資の生産などに携わる事業所では、例外として16時間操業、24時間操業も認められます。

5.もちろん鉄道やバスも終夜運行

 企業が交代制の24時間操業を行なう以上、働く人を運ぶ交通機関も24時間体制でバックアップする必要があります。つまり鉄道やバスは終夜運行をするということです。電力が不足しているさなかに、真夜中にも電車を走らせるのはおかしいような気もしますが、それは電力不足を総量で考えているからです。何度も言うように、問題は電力使用のピークアワーを解消することですから、これは正しい考え方なのです。昼間の運転本数を減らすことにすれば、鉄道会社の電力使用量が総量で大きく増加することもないと思います。線路の点検などが深夜に行なえなくなると、安全面に不安が出る可能性もあります。これに対しては土曜と日曜の深夜に運行停止時間帯を作って、そこで点検修理を集中的に行なうことでどうでしょう。これから日本は、深刻な需要不足と供給不足が起こって、経済が著しく落ち込むと予想されます。だったらこの際、日本という国を「24時間営業の国」にしてしまって、他の国が寝ているあいだにも大いに働いて大いに遊ぶというコンセプトにしてしまえばいい。もしも電力が復旧したあとにも、この24時間営業体制が私たちの生活習慣として定着するなら、日本の国際競争力は復興を突き抜けてぐんと伸びるだろうと予想します。

6.もちろん飲食店も24時間営業

 震災後、客が来なくなって飲食店が悲鳴を上げていると言います。行き過ぎた自粛モードは、却って日本経済を停滞させ、被災地の復興にもブレーキをかけるだけだという意見もよく目にします。私自身、3月11日以降、会社の帰りに飲んで帰ることがなくなりました。被災地の方たちのことを思うと自粛したくなるという気持ちももちろんありますが、それだけではなく帰宅難民になった時の記憶が強過ぎて、電車のあるうちに早く帰ろうという一種の〈帰巣本能〉が働いているのを感じます。ですから、電車の終夜運行が始まれば、客足は自然にネオン街に戻って来るだろうと思うのです。なにしろ終電を気にせずに飲めるんですから。そして日本が24時間営業国になるなら、当然飲食店も24時間営業にならなくちゃいけない。こちらは自発的な輪番制になるでしょう。さまざまな勤務シフトの企業が集まっている地域では、繁華街の飲食店が営業時間をずらしながらいつでもどこかはネオンを灯していることになる(まあネオン管はなるべく止めてLEDにした方がベターですが)。大きな工場の門前町のような地域では、当然その操業時間帯に合わせて店を開くことになるでしょう。この際風営法も改正して、例えばパチンコ店の深夜営業も認めましょう。電力需要のことを考えれば、パチンコ店だって時間をずらしての交代営業にすべきです。またこれも誰かのアイデアですが、お店では売上の一部を被災地への寄付に回すことにして、そのことを客にアピールすれば、この時期に外食をしたり遊んだりすることの後ろめたさも多少は緩和される筈です。

7.静岡県をまるごと60ヘルツ地域に

 もしかしたらこの夏の電力危機というのは杞憂に終わるかも知れない、ふとそんな不吉な予感がよぎりました。福島原発の放射能事故が深刻なものになれば、関東から脱出する人たちが増えると予想されるからです。そのことは考えないとしても、電力不足を解消するためには東京電力管内の人口を減らしてしまうのもひとつの方法です。例えば静岡県をまるごと中部電力の管区に移してしまうことは出来ないものでしょうか?(いや、静岡県でなくても山梨県でもいいのですが…) 西日本と東日本では電気の周波数が違うために、互いに電力の融通が出来ないなんて、まったくこの国の基本設計はどうなっているのだろうと思います。周波数を変換するための大規模な設備を作るには、新しい火力発電所を作るのと同じくらいのコストと時間がかかるのだそうです。これに対して、これまで50ヘルツだった地域を60ヘルツに変更することは技術的に難しいのでしょうか? 私には分かりませんが、可能性のひとつとして検討してみる価値はあるのではないかと思います。これによってその地域の家庭や企業では、使っている電気製品を買い換えなければならなくなるかも知れません。しかし、最近の多くの製品は両方の周波数に対応している筈ですし、買い換えが必要なら国が補助を出して、使えなくなった製品は被災地に送ればいいのです。将来的には、経営に行き詰まった東京電力を関西電力か中部電力に統合して、これを機会に全日本を60ヘルツで統一するというところまで構想しましょう。

8.停電は「ロシアンルーレット方式」で!

 ここまで述べて来たのは、電力会社が計画停電をしなくても電力危機を乗り切るためのアイデアですが、それでも電力不足は起きるかも知れません。そこで私が提案したいのは、事前に停電告知をしない「ロシアンルーレット方式」の強制停電です。例えば管内を25のグループに分け、電力使用量が供給量の95%を超えたらランダムにひとつのグループへの送電をストップします。その状況でまた95%を超えてしまうようならふたつめのグループへの送電を止めます。停電はいきなりやって来ますが、長くは続かないものとします。現在の3時間停電というのは家庭にとっても企業にとっても長過ぎます。せいぜい1時間、出来れば30分で停電は終わらせたい。停電するグループは、毎回ランダムに抽選で選ばれますから、さっき停電があったから今日はもう無いとは誰も言えません。(但し30分間停電した地域は、そのあとの1時間は停電しないというくらいの配慮は必要です。) このロシアンルーレット方式のメリットは、あらかじめ告知された計画停電と違って、管内のすべての電力利用者が常に節電をするインセンティブを持つことになるという点です。今はまだ非常時モードなので、ほとんどの人が節電に心がけていますが、暑い夏になれば計画停電に当たっていない地区の人は電気を惜しまなくなる可能性があります。これがロシアンルーレット方式ならば、次は自分の番かも知れないのでみんなが節電に協力する(一種のゲーム理論ですね)。それに停電は30分で終わるので、家庭でもオフィスでも大きな混乱は起こらないと思われます(夏の風物詩のようなものになるかも知れません)。工場にとっては短い停電でも致命的かも知れませんが、それを避けるために深夜操業に移行しているのでたぶん実害は少ないでしょう。また30分程度の停電なら、自家用のバックアップ電源装置を導入することで乗り切れる可能性もあります。何度も言いますが、とにかく今の計画停電というやり方は最悪です。何故電力会社が勝手に決めた停電計画で私たちの生活が掻き乱されなければならないのでしょう。それなら抽選によるランダム停電の方がまだマシです。政府と電力会社にはぜひこの方式を検討していただきたいと思います。

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2011年3月21日 (月)

大震災についての無力な断想

 発生から10日を経ても、今回の震災被害の全貌はまだ見えて来ません。死者・行方不明者の数は毎日上昇を続けています。昨日はとうとうその数2万人を超えましたが、それが最終的にどこまで達するのか、また何時それが判明するのかも見当がつきません。福島の原発ではまさに命をかけた現場での対応が続けられていますが、それが第二のチェルノブイリにならずに済むのか、いまだ予断を許しません。国を挙げてのこの非常時に、いつもの(平時の)テーマを取り上げてブログ記事を書くなんてことは出来ないと感じます。かと言って、ここで沈黙することも社会問題をネタにして来たブロガーとして自ら許せることではない。とりあえず今後の思索のための覚書として、今回の震災について思いつくままに断想を書きつけておきます。

■ 震災からの復興について

 今回の震災には、過去における大規模災害とは決定的に異なる性質があると思います。同じく大きな被害を出した阪神大震災においては、「復興」ということが国を挙げての共通の目標になりました。が、今回はおそらく単純に復興という目標を掲げることは出来ないし、それでは政策を誤ることになると思う。もちろん被災地にはいち早い復興が必要です、それは間違いありません。しかし、人口の半分が失われた地域、しかも高齢化が進み、観光が産業の柱であった地域を震災前の状態に戻すことは現実的に不可能です。美しい自然と豊かな海の幸に恵まれた三陸の町々、それはそこに住む人たちにとってのみならず、私たち日本人にとっても欠けがえのない故郷の原風景でした。でも、そのノスタルジーだけでは被災地の新しい町づくりは出来ない。むしろ発想を変えましょう。これは人口減少と高齢化が同時進行する我が国にとって、新しい地域開発の格好のモデルケースになり得ると捉えるのです。国は単純に復興資金をそこに投じるのではなく、国民から広くアイデアを募り、都会の若者が移住したくなるような町づくりを目指すべきです。

■ エネルギー政策転換の前に

 今回の震災は、様々な点でこの国に不可逆的な変化をもたらすことになるだろうと思います。エネルギー政策もそのひとつです。今後新たな原発の建設は、国民の反発があってほとんど不可能だろうという意見を読みました。おそらくその通りでしょうが、これは実は非常に危険なことではないかとも思うのです。事故を起こした福島原発は、稼働し始めてから40年という老朽化した原発で、ほぼ耐用年数ぎりぎりのものだったそうです。もしここで新規原発の建設がストップすれば、全国各地にある古い原発が退役することも出来ずに無理に延命させられる可能性がある。もしも今回の事故で、国内にあるすべての既存原発をすべて廃止するところまで世論が動けば別ですが、おそらくそれはあり得ません。電気のある快適な暮らしを求める一方で、新たな原発の建設を拒否するということは、第二、第三の原発事故を誘発する要因になり兼ねない。むしろ、今回の事故の教訓を活かして、日本は真に安全な原子力発電所の設計やその運営、また停止と廃炉の方法までを研究し直すべきではないだろうか。エネルギー資源の乏しい日本にとって、望ましいことではないとしても、原子力との共存は今後も避けられない選択肢ではないかと思います。

■ 津波への備えについて

 過去においても三陸地方は津波の被害を多く経験していたし、そのために防災意識は他の地域に比べても高かったのだろうと思います。だからこそ地震の大きさに比して、それでも死傷者の数は少なかったのかも知れません。しかし、生々しい津波の映像を見ながら、私は不謹慎ですが津波から命を守る手立てはもっとあったのではないかという気がしてなりませんでした。日本の木造家屋は、地震に対しても津波に対しても非常に弱い。おそらく津波に呑まれて倒壊した家の中にいた人たちが、最も高い確率で命を落としたのではないかと想像します。ところが一方で、水に呑まれた人の中には流れて来た浮遊物につかまって助かった人もいたし、自動車ごと波にさらわれた人の中には車体が浮かんだまま流されて助かった人もいた。これは素人考えですが、もしも津波の危険性のある地域では、例えば水に浮くライフジャケットをすべての家に配備しておいて、避難訓練でその使用法についても練習しておけば、死者数はかなり減らすことが出来たのではないでしょうか。日本という国に住む以上、地震や津波という災害を避けることは出来ない。これから本格的な復興が始まれば、被災地にも新しい家が建ち始めるでしょう。その際に従来の工法での木造住宅を建てたのでは今回の教訓が活かされないことになります。すべての建築物を鉄筋コンクリートにすれば良いというものでもないと思います(それは場合によっては津波の威力を倍加することかも知れません)。それよりも例えばなるべく瓦礫を出さない建築物、倒壊せずに水に浮く住宅といった方向性の方が現実的かも知れない。地震国である日本は、安価で安全な住宅設計において世界の最先端を行くべきです。

■ これから明らかになる経済的ダメージ

 まだ社会の関心は被災地の人々や原発事故に向けられているけれども、今後各企業が受けた大きな経済的損失が社会問題化するでしょう。東北に生産拠点を持つメーカーは、生産ラインの復旧までにまだまだ時間がかかるだろうし、これは日本人のメンタリティにも関係することだと思いますが、こうした非常時には生活必需品以外の消費を控える傾向にあるので(企業自らがコマーシャルを自粛していることからもそれは明らか)、これまで以上の深刻な需要不足に日本経済は悩むことになる筈です。当然、倒産する企業は激増するでしょうし、失業率も大きく上昇するでしょう。もしも政府の大規模な経済支援が無ければ、民間経済は壊滅的な状態に追い込まれると想像されます。いまこそ100兆円規模でのシニョリッジを発動すべきと前回の記事で書きましたが、そこで発行されるお金は被災地の復興に向けられるだけでなく、操業停止に追い込まれている企業の従業員に対する賃金補助などにも使われるべきでしょう。ここ十年余りのあいだ、日本は経済のグローバル化だとか国際会計基準の採用だとかいった方向に突き進んで来ましたが、それも根底から見直しが必要だと思います。こんな状況でも円高が更進しているのを見ても、日本経済が世界中の投機家に食い荒らされてしまっていることは明らかです。世界から見捨てられる日本経済に必要なのは外資を呼び込むことではなく、いかに自給自足の経済にシフトして行くかだと思います。

■ この国の新しいかたちを考えよう

 深刻な被災の現場にあってさえ、モラルハザードに陥らない日本人に対して世界中が目をみはりました。この日本国民の民度の高さは、これから国の再建にとって大きな無形の財産となるでしょう。が、残念なことにそれだけでは国を建て直すことは出来ないと思います。いくら世界から称賛の声が届いても、今回の震災で日本という国のブランド価値は大きく損なわれたと見るのが妥当です。今後海外からの観光客は大幅に減ることになるし、日本が地震国である以上、もはや観光を産業の柱にすることは将来に亘って諦めなければならない。原子力プラントの輸出はもちろん凍結されますし、鉄道や道路などのインフラ輸出においても、後々のメンテナンスのことを考えれば日本に発注することは不安があります。それ以前に、日本企業がリスク管理の観点から海外シフトをさらに進めることも確定的です。ひと言で言うなら、日本は世界のなかで「尊敬すべき可哀想な国」というポジションに落ち着くことになるのです。この現実を直視するなら、もはや経済大国としての誇りは捨てて、国内の生活産業に経済のリソースを集中すべきだと思います。ガラパゴス化、大いに結構。これからの高齢化社会に向けて、いかに国内の労働力を効率的に活用し、それを評価出来る経済の仕組みを再構築出来るか。私は以前から国内限定の第二通貨の提案をしていますが、震災によりその必要性はさらに高まったと見ます。

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2011年3月17日 (木)

リフレ政策でハイパーインフレは起きるのか?

 このところずっと経済の問題について書いています。私は経済学を専門に学んだ人間ではありませんが、経済に関しては自分なりの持論があって、そこからの主張を展開している訳です。経済問題に関しては、ほとんど論ずる人の数だけ対立する意見があって、いたるところで露骨な中傷をともなう喧嘩が繰り広げられている。だから経済について何か論じようという人は、まず自分がどういう立場の論者かを明らかにしておくことが親切です。最初から自分はこういう党派に属していると手の内を明かしておけば、無用な誤解や挑発を招かずに済みますからね。で、私が(経済問題に関して)どういう立場の人間かと言えば、①減価貨幣や地域通貨にシンパシーを持つゲゼル主義者であり、②ベーシックインカム実現に希望を抱くダグラス主義者であり、さらに、③政府は積極的な貨幣発行策でデフレを脱却すべしと説くリフレ派でもあります。どれも経済学の正統派からは外れた異端説に属するものですね(笑)。そのなかでも特に自分のなかでの関心の強さから言えば、①→②→③の順番なのですが、現在の日本において最も緊急かつ現実的な問題という意味では、③のリフレ政策に関するものが最初に来るでしょう。政府と日銀はお金をどんどん刷って、経済をデフレからインフレに導くべし。さて、この考え方は正しいでしょうか? 今回はこの問題について少し考えてみたいと思います。

 リフレ派だとかリフレ政策なんてコトバを知ったのも実は最近のことなのですが、私が(自覚的に)リフレ派になったきっかけははっきりしていて、原田泰(はらだゆたか)さんという人の本を読んで共感したからです。以前このブログの記事でも取り上げたことがありましたね。原田さんの主張は、たとえリフレ政策(お金をたくさん刷る政策)によって金利が上がり、国債価格が値下がりしていくつかの銀行が破綻することになっても、それで日本経済をマイルドなインフレ基調に戻すことが出来るなら、その方がずっと好ましい、デフレを今のまま放置すれば、銀行だけでなく財政も年金もすべて破綻してしまうだろうというものです。リフレ論者にも過激派と穏健派とがあって、過激派は新規発行国債を日銀に直接引き受けさせたり、さらには政府紙幣を発行するといったことまで主張するのに対して、穏健派の方は一定のインフレ率の目標値(インフレターゲット)を設定して、その目標達成のために日銀は財政法の規定の範囲内で努力すべしと主張します。原田さんはどちらかと言えば穏健派のリフレ派に属するのでしょうが、最近よくマスコミに登場するエコノミストの中には過激派と目される人も多いようです。例えば、森永卓郎さん、勝間和代さん、金子洋一さん、飯田泰之さんといった人たちがそうだと思います(間違っていたらご指摘ください)。政界では亀井静香さんが昔から過激なリフレ論者として知られていましたが、最近は超党派で「デフレ脱却議連」なんてものも出来て、国会議員のあいだにもリフレ派はじわじわ増えているようです。

 その後私もいろいろな人の意見を読んで、リフレ政策に対しては根強い反対論があることを知りました。なかでも反リフレ派の急先鋒と言えば、経済評論家で著名ブロガーでもある池田信夫さんではないでしょうか。(池田さんの文章も最近読み始めたばかりなのですが、とても着眼点が鋭くて刺激される文章が多い。なるほど人気ブロガーであるのも頷けます。) リフレ派はマイルドなインフレ経済こそ望ましいと主張する訳ですが、池田さんによれば現在の日本経済はマイルドなデフレと呼ぶべき状態であって、デフレスパイラルに陥っている訳でもないし(ホント?)、むしろ恐れるべきはこれがインフレに反転することだというのです。何故なら、インフレというものは政府や中央銀行によってコントロール出来るものではなく、古今インフレの暴走によって財政破綻した国の例はいくらでもあるのに対し、デフレで滅んだ国は無いのだから。端的に言えば、リフレ政策にはハイパーインフレを引き起こす危険性があるというのです。(ハイパーインフレという言葉は、学問的には年率数千パーセント以上の文字通り紙幣が紙屑になるようなインフレのことを指すのだそうですが、ここでは年率数十パーセント以上の激しいインフレという意味で使っています。いまの私たちの感覚からすれば、それでも十分「ハイパー」だと思います。) リフレ政策は何故ハイパーインフレを引き起こすのか? 池田さんは「その日」のことを次のようにシミュレーションしています。『日銀が国債を引き受ける日』というタイトルの記事です。少し長いですが、引用します。

『国会で日銀の追加緩和をめぐる論議が続いている。特に亀井静香金融担当相は「日銀が(国債の)市中からの買い入れだけでなく、国債を直接引き受けて財源をつくることをやればいい」と、これまでタブーとされていた国債の日銀引き受けに踏み込んだ。これはマクロ経済学の練習問題としておもしろいので、実際にやったらどうなるか考えてみよう。

日銀が国債を引き受けることは財政法で禁止されているが、国会が決議すれば可能である。かりに国会で「日銀は国債を100兆円買い取れ」という決議が行なわれたら、白川総裁以下、現在の日銀理事は全員、辞任するだろう。それに代わって亀井氏が(議員辞職して)日銀総裁になり、理事をすべてリフレ派に入れ替えれば、「無責任になることにコミット」できる。

市場はどう動くだろうか。国会決議が行なわれる見通しになった段階で、国債が売られて暴落し、入札が成り立たない事態も考えられる。このとき日銀が国債を引き受ければ国債は消化できるが、市中に大量の通貨が供給され、国民は通貨を実物資産に換えるため、インフレが起こるだろう。これによって円が暴落すると輸入物価も上がってさらにインフレになり、70年代のように物価が40%以上も上がることは十分考えられる。

「インフレ目標」でハイパーインフレを防ぐことはできない。インフレには資金需給による貨幣的要因と、政府の信用による財政的要因がある。通常のインフレは貨幣的現象だからマネタリーベースを絞ることで抑制できるが、中南米でよく起こるハイパーインフレは、サージェントも指摘するように通貨の信用が失われて実物資産に換えることによる財政的現象なので、信用を失った日銀がインフレを止めることはできない。逆に日銀が信用を失わなければ、国民は貨幣を実物資産に換えないので、インフレは起こらない。

国債が暴落すると、それを300兆円以上保有している邦銀は莫大な含み損を抱える。邦銀も最初は買い支えるが、支えきれなくなったら、含み損を避けるために売り逃げるだろう。彼らは横並びで動くので、売り始めたら国債はさらに暴落する。たとえば10年物国債の金利が(史上最高水準の)8%になると、額面利率1.2%の既発債の価格は62円になり、全体で110兆円以上の損失が出る。これは90年代の不良債権の純損失を上回り、邦銀のほとんどが破綻するだろう。

こうした事態が予見された段階で取り付けが起き、2008年の欧米のような状態になろう。欧米より悪いのは、財政も破綻しているため、政府が銀行を救済できない点だ。この結果、金融システムは完全に崩壊し、企業が大量に倒産して1000万人ぐらいが失業し、インフレで年金や金融資産の実質額は大幅に低下して高齢者の生活は破綻し、実質GDPも大幅に低下して、日本は60年代ぐらいの生活水準に戻るだろう。』

 まだ鳩山政権だった昨年の記事なので、事実はすでに古くなってしまっていますが、なかなか面白い考察だと思います(特に亀井日銀総裁というのは笑えます)。ただ、気になったのはここで挙げられている数字のことです。10年物国債の金利が1.2%から8%に上がると価格が62円になる(つまり38%も暴落する)というのはオッケーです。私もエクセルで確認してみました。ただそれで銀行が持つ300兆円の国債価格が110兆円以上(正確には113兆円)減損するというのは、素人目にも計算がおかしい。もしも銀行が持つ10年物国債がすべて残存期間10年の新しい国債ばかりだったとすれば、38%の暴落もあり得ますが、当然300兆円の国債のなかには今月償還期限を迎えるものもあり、残存期間5年のものもある訳ですから、113兆円という額の暴落はしません。もしも銀行が保有する国債の残存期間が均等にばらけているなら(ここ10年以上、政府はほぼ毎年30兆円以上の国債を発行して来た訳ですから、市中に出回っている国債も当然ばらけているでしょう)、300兆円に対する損失額は66兆円(22%)程度に収まると予想されます(計算根拠は下の図を参照)。すると銀行が被る損失額が90年代の不良債権の純損失を上回るという記述にも疑問が付きます。しかも、(これも今回インターネットで調べて知ったのですが)邦銀が持つ300兆円の国債残高のうち半分以上はゆうちょ銀行が持っているのです。民間銀行が持つ国債の額は、銀行によってばらつきはありますが、平均して総資産の18%程度です。仮に保有する国債価格が池田仮説に従って22%下落したとしても、毀損されるのは総資産の4%くらい。それで「邦銀のほとんどが破綻するだろう」というのはあり得ない推定だと思います。

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 一方、ゆうちょ銀行に関しては、厳しい見通しを持たざるを得ません。こちらは1行で158兆円もの国債を保有していて、それは総資産の80%を占めるものだからです。もしも22%の国債下落が起きれば、ゆうちょ銀行だけで35兆円以上の損失を出すことになります。これが民間銀行であれば、あっという間に破綻ということになるのでしょうが、それでもゆうちょ銀行は破綻しませんよね。他の民間銀行はともかく、ゆうちょ銀行だけは国が絶対に潰さないからです。池田さんの文章にある「欧米より悪いのは、財政も破綻しているため、政府が銀行を救済できない点だ」というのも、最初の仮定と矛盾しています。亀井総裁のもとで日銀は100兆円単位で国債を引き受けている訳ですから、政府には銀行を救済するための資金はいくらでもある筈です。すると何のことはない、ゆうちょ銀行の損失がそのまま日銀に移っただけということになります。日銀も株式会社である以上、財務状況の著しい悪化は免れませんが、そこはまあ目をつぶって、日銀には現在の日本経済の歪みを全部抱え込んでもらうしかない…というのが、過激リフレ派の主張である訳です。その結果、当然ゆうちょ銀行は再び国有化される(亀井さんは大喜びでしょうか)。ゆうちょ銀行の総資産に占める国債の割合が80%以上という数字を見てしまうと、そもそも郵政民営化という方針自体に初めから無理があったことが分かるのです。

 民間銀行もなんとか生き延び、ゆうちょ銀行も潰れないとなると、「取り付け騒ぎ」も起こりようがないし、そこからハイパーインフレに一直線というシナリオもあり得ないのではないでしょうか。(日銀に負債を押し付ける政策が優れているのは、同じ銀行でも日銀には取り付けが起きないという点です!) リフレ政策に反対する人たちは、たぶん本当に取り付けから始まるハイパーインフレを心配しているのだろうと思います。これは個人的な感想になりますが、エコノミストと呼ばれる人たちには(池田さんを始め)本当に生真面目な方が多いと思います。政府や日銀が信用を失えば、貨幣の価値が暴落してすさまじいインフレが起こるだろう、たぶん教科書的にはそれがセオリーなのでしょう。では、私たち国民はいまの政府や日銀をそれほど信用しているのだろうか? だからこそインフレにならないばかりかデフレがこんなに長く続いているのでしょうか? そんなことありませんよね。国民はもうずいぶん長いあいだ、日本の政治には幻滅しか感じなくなっている。日銀が何をやっているかなんて一般の国民は知りもしません。それなのに何故、円の価値は信じられ、信用不安からインフレに転じることがないのか? それは私たちが政治の低迷とは無関係に、この国と国民をお互いに信じているからではないでしょうか? 今回の記事を書いている途中に、まさに千年に一度という大震災が起こりました。凄惨な状況の被災地で起きていることを、私たちひとりひとりが目撃した筈です。それは世界中の人たちが驚くような光景でした。悲惨さに驚いたのではありません、強い絆で結ばれた人間の信頼が、恐ろしい状況のなかでさえいかに神々しいまでの光を放つものか、そのことに驚いたのです。経済理論が何と言おうと、こんな国で信用不安やハイパーインフレを起こすなんて容易なことではない、私はそう考えます。

 国難とも言える大災害を前にして、いま国会では増税論が勢いを増そうとしています。しかし、消費税の増税は災害で大きなダメージを受けたこの国の経済をいっそう冷え込ませるだけです。いまこそ大胆なリフレ政策に踏み出すべきです。つまり災害復興国債を百兆円規模で発行して、それを直接日銀に引き受けさせるのです。もしも白川さんが首を縦に振らないなら、池田さんのアイデアを採用して亀井さんと交代させればよろしい。ここで世の中に出て行く百兆円のお金は、被災地の復興に使われると同時に、日本円の価値を百兆円分だけ薄めることになります。当然ある程度のインフレは起こる筈です。でも、それをハイパーインフレにまで拡大させることは我々国民が許さない。インフレによって私たちの給料や資産が目減りするとしても、その目減り分のお金が被災地の人々を支援するために駆けつけるのだとすれば、一体誰がそれに不満を持つでしょう? 亀井さん、そしてデフレ脱却議連の議員の皆さん、どうかいまこそあなた方の頑張りが求められていることを自覚して欲しい。菅政権に任せておいてはこの国がガタガタに崩壊してしまう。政府が抱える借金など問題ではありません。子ども手当や高速料金を見直したところで、どれだけの財源になるというのでしょう。むしろ必要なのは大胆なシニョリッジ政策の発動なのです。いまこそ日本の政治が腹を括るべき時です。

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2011年3月14日 (月)

停電輪番制はダメ、節電は行政主導で!

 「3.11大震災」、のちにそう回顧されるであろう今回の災害に対し、机上の思索家がコメント出来るようなことは何もありません。しかも自分が被災地から遠いところにいる立場であってみれば、被災された方への激励の言葉も亡くなられた方への哀悼の言葉も偽善に満ちた虚しいものでしかない。避難所で冷静に行動している方たち、瓦礫のなかで救援に当たっている方たちの様子をテレビの画面で見て、この国の人々の民度の高さに改めて驚いています。

 身の回りで気がついたことについて、ひとつだけコメントを書き付けておきます。それは今朝から始まった輪番制の計画停電についてです。昨夜のニュースでこの対応策について知った時、状況が切迫していることを思い知ると同時に、東京電力の決断に賛嘆の念を持ちました。このまま電力供給を続ければ、予測出来ない停電が各地で起こる可能性がある。それよりも地域を限って計画的に停電させれば、不測の事故などもあらかじめ防げる筈だからです。今回の災害においては、原発の事故についてタイムリーに情報を開示していることも含め、東京電力は適切に行動しているように見えました。

 ところが今朝になって、計画停電は思ったほど周到なものでもなく、合理的なものでもないことを皆が知りました。停電区域のグループ分けが細か過ぎたため、首都圏近郊のJR線や私鉄線が寸断されて、ほとんど無秩序に運休することになってしまった。これは明日からでもやり方を変えるべきです。東電は基本的に送電をストップすることをせず、行政の指導で各鉄道路線について営業・運休を交代でさせればいいのです。例えば方面が比較的近い東海道線、東急線、京急線はそれぞれグループを分け、輪番制で運休させる。小田急線と京王線、中央線と西武新宿線、常磐線とつくばエクスプレス、総武線と京成線、西武池袋線と東武東上線…まあ、組み合わせの例が適切かどうか分かりませんが、そのように日替りで動く路線を変えて行く。そして鉄道を利用する客にも、自分の利用する路線が運休の日にはなるべく出勤を控えるようにお願いするのです。

 こうすれば通勤時の鉄道路線が比較的整然とコントロールされるでしょう。とにかく3時間ごとに強制停電というやり方は最悪です。朝出勤出来ても、夕方家に帰れない人が続出する。こんな輪番制はまったく無意味です。それと同時に政府は各業界に対しても操業の輪番制を敷きます。こちらは1週間単位で、上場企業に対して業種別に休む週を決めるのです。(中小企業保護の意味から、非上場企業は対象外としましょう。) 例えば、今週は鉄鋼・金属、電機、繊維・紙の各企業が操業停止、来週は化学、機械、輸送機器業界の各企業が休むといった具合です。(社会的混乱を避けるため、サービス、運輸、通信などの業界は規制対象外とします。) とにかく電力という産業の基盤であるリソースが不足している訳ですから、いかに限られたリソースを効率的に使うかを考えなくてはならない。その答えが地域別の強制停電である訳はありません。

 もちろんそれと同時に各家庭、各職場で節電を徹底させることは当然です。そして電力会社は電力消費量をモニターしながら、その結果を毎日政府に報告する。政府はそれを見て、徐々に規制を解除して行ったり逆に強化して行けばいい。コンピュータの世界では、電力不足や機器の障害などが起こった時、縮退運転という方法で対応する場合があります。これは機能を限定したり、アクセス数を制限することで、限られたリソースを最も効率的に使うための工夫です。いまの状況で求められているのは、「日本を縮退運転する」ことに他ならないと思います。そのために政府は強い指導力を示して欲しい。私自身、今日は通勤の足を止められてしまい、自宅待機をしているのですが、明日から一体どうしようと思い悩みながら、そんなことを考えた次第です。

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2011年3月 6日 (日)

財政破綻によるリセットを容認してはいけない

 まるで出口の見えない政治の混迷が続くなかで、財政破綻ということだけが唯一確定した未来のように語られ始めています。いくら国の借金が大きくても、毎年の財政収支を黒字にすることが出来れば、財政破綻はとりあえず先送り出来る。ところが国の一般予算の半分以上を毎年赤字国債で補っているというような状況では、誰が考えても日本経済は大丈夫だなんて言える訳がない。先日テレビを見ていたら、日本の財政破綻でひと儲けしようとたくらんでいるアメリカのヘッジファンドの社長がこんなことを言っていました、日本経済にはもういかなる処方箋も無い、チェックメイトだ、と。たとえ財政破綻が免れないものだとしても、こいつにだけは儲けさせたくないと思いました。サブプライム問題だって、すべての人が財産を失って路頭に迷った訳ではない、それをネタにひと山当てた連中だってたくさんいたのだろうと思います。彼らは次の大きなチャンスとして、日本の財政破綻を涎を垂らして待ち構えているのです。

 フランスの経済学者・思想家で、元欧州復興開発銀行総裁という肩書きを持つジャック・アタリ氏が、来日して経済誌のインタビューに応じています。この人の診断結果も同じでした。さすがに日本経済がチェックメイトだとは言わないけれども、破綻に陥るまでの期間は向こう5年以内、もしも5年以内の破綻が予測されれば実際には2年以内に起こるかも知れないという厳しい見立てをしている。アタリさんによれば、日本と同様に1990年代に債務超過の危機に陥ったカナダやスウェーデンは、歳出削減や増税を断行することで見事に危機を脱出したのだそうです。日本だけが20年ものあいだ打つ手も無く債務を膨らまして来たために、世界中でも他に例を見ないような深刻な事態に陥ってしまった。いや、日本の有権者だって何もせずに手をこまねいて見ていた訳ではありませんよね、私たちだって大きな危機感を持っていたし、それが一昨年の政権交代を実現させた訳ですから。ところが期待を背負った民主党政権は、本来だったら〈破産管財人〉の立場で国政に当たるべきだったのに、あろうことか自民党政権時代をさらに上回るようなばらまき予算を組んでしまった。それが2010年のことです。この時に日本という国の命運は決まってしまったと私は考えています。

 新政権がやるべきことは決まっていました。例えば公務員給与の2割カット、公共事業の3割カット、公的年金や福祉予算の1割カット、そしてその痛みを国民に納得してもらうために国会議員の議員報酬を5割カットするというようなことです。(5割カットでも彼らの年収は1千万円を超えています。) 沖縄の基地問題が公約通りに進まなかったことは仕方無かったとしましょう、相手のあることですからね。しかし、国内予算の削減は定数の三分の二を与えられた与党なら実行出来た筈の政策です。それをしなかったことが現在の支持率の低さの原因なのであって、菅総理の不人気だけが理由ではないと思います(もちろんそれも大きな理由のひとつだけど)。アタリさんによれば、財政危機が克服出来ないのは政治的な勇気の問題なのだそうです。うまいこと言うと思います。民主党政権に一番欠けていたのは公約を実行する勇気だったと言えば分かりやすい。何故、事業仕分けでノーを出した事業に対しても相変わらず予算をつけているのだろう。あれだけ国民が支持したのに、既得権者の抵抗に出会うとすぐに腰砕けになってしまう。ダム建設ひとつ、役人の天下りひとつ廃止出来ない。国民の期待に対する裏切りがこれだけ続くと、いっそ小泉政権時代が懐かしくさえなって来ます。

 今度解散総選挙があっても、国民のあいだには何ひとつ盛り上がる要素は無いでしょう。政治に期待が持てないということは、この国の未来に希望が持てないということと同じです。希望の無さは、無力感や投げやりな気分につながり、さらにそれはひそかに破局を待ち望む気持ちにまでつながっていく。いま政治家や官僚のあいだには、誰もはっきりそれとは言わないけれども、財政破綻待望論が静かに広がっているのではないか、そんな気がします。財政破綻は天災のようなもので、誰も責任を問われないという読みがあるからです。いや、政治家や役人だけではない、国民のあいだにさえ、いまの閉塞感を打ち破るためなら財政破綻でも何でも起こってもらって構わない、そんな気分が蔓延しつつあるのかも知れない。少し以前に、いまの格差社会をリセットするために戦争を待望するという若者の論説が話題になったことがありましたね。あれと同じ気分です。戦争は極端だとしても、財政破綻なら生命まで脅かされる訳ではないし(たぶん)、それにいったん財政破綻をしたロシアやギリシャのような国だって、その後順調に復興しているように見えるではないか。だったら日本も早いところリセットをして、20年以上も続く停滞から抜け出す道を選択した方が正解なのではないか?

 しかし、そのアナロジーは間違っていると思います。そもそも戦争によって社会の格差が無くなって、全国民が同じスタートラインに立てるなんてことは幻想ですし(特権階級は戦争のさなかでも財産を保全するし、子息が戦場に送られることもない)、財政破綻によって富裕層が資産の大半を失い、私たち貧乏人の借金が棒引きされるというのも錯覚でしかない。一部の無防備な金持ちが資産を目減りさせることはあっても、大きな破局を生き延びるのはやはり富と権力を持った人たちであり、我ら庶民はなすすべもなく大波に飲み込まれるしかないというのが現実でしょう。いま財政破綻が起こっても、戦後の焼け野原からスタートした時のような成長の余地がある訳でもありません。おそらく終戦の日の晴れた空を、多くの国民は大きな解放感をもって眺めたことでしょうが、財政破綻の日(円と株が暴落し、銀行の窓口に人々が殺到する日)には、誰も解放感など味わわないに違いない。それは開戦の日ではあっても終戦の日ではないからです。もしかしたらそれはこの国が滅亡に向かうきっかけの日であるかも知れない。いまもしも総選挙が近付いているなら、今度の選挙のテーマはどちらの政党がより多くの議席を獲得するかという点にはありません。当面の財政破綻を回避するためには、どの政党を選ぶかよりも、どういう経済政策を持った政治家を選ぶかの方が重要なテーマになるだろうと思います。

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