« 今年のブログ記事を振り返って | トップページ | 的外れなベーシックインカム批判 »

2011年1月10日 (月)

今年こそベーシックインカム元年に

 毎年感じることですが、ブロガーにとって正月休みというのは天敵です。親族が集まって、昼間からビールなんぞ飲みながら、ふだんは見ないテレビのバラエティ番組を見たり、子供たちと凧揚げやカルタ遊びなどしていると、もう昨年までの自分のテーマがほとんど脳味噌から消し飛んでしまう。いつもの日常に戻っても、何を書いたものやら途方に暮れてしまうのです。以前の自分の記事を読み返すと、なんだか難しいことが書かれています。こんな調子で今年も記事を書き続けなければならないのかと思うと、なんだか年の始めからひどい疲労感に襲われる。なるほど痴呆症になるというのはこういう感覚なんだろうなあと、ヘンなことまで考えてしまいます。

 さて、今年最初の記事は何について書こうかなと、正月ボケのアタマで考えていると、冒頭のタイトルが思い浮かびました。そうだ、今年こそ「ベーシックインカム元年」にしなくちゃならない。とりあえず他に思いつくテーマも無いし、タイトルに引きずられるように書き始めています。この1、2年でBIに関する議論は活発になりましたが(私もそのなかでほんの小さな片棒を担いでいるつもりです)、議論が深まれば深まるほど、その実現への道のりは遠のいて行くばかりだという感触があります。多少なりともBIに肯定的な考えをお持ちの方なら、そのアイデアを最初に知った時のワクワクするような気持ちに覚えがあると思います。何よりもBIというものは、希望に満ちた明るいものでなければならない。もちろん反対する意見にだって耳を貸さなければなりませんが、そこにはちょっとしたボタンのかけ違えがあるだけではないかと私は考えているのです。簡単に言って、BIに(思想的に)反対する人の意見は、BIというものを従来の社会福祉政策の代替物として捉えて、その前提で反対論を構築しているように見えます。だとすれば前提がそもそも間違っている(と私は考えます)。BIは新しい時代の福祉政策などではありません、技術進歩によって生産性が向上して、社会が総体的に豊かになる一方で、産業の効率化のために慢性的に雇用不足に陥っているような状況のもとでの、富の再分配の一方法に過ぎないと捉えるべきなのです。そう考えれば、BIの導入が福祉の切り捨てにつながるといった考え方は本末転倒であることが分かるし、もしもBIによって福祉が切り捨てられるくらいの豊かさの達成度であるなら、BI導入にはまだまだ時期尚早だったとも考えられるのです。

 最も説得力ある〈明るいBI論〉の代表論者である(と私が信じる)関曠野さんが、BI問題に関して断筆宣言をされました。一昨年に講演録として発表された『生きるための経済』は、日本のベーシックインカム論史に(そんなものがあるとして)燦然と輝く金字塔ではないかと私は思っています。これにたいへん触発されて、私自身も長編のBI試論を書いてしまった、それほど刺激的な論文だったのです(BIに興味のある方は必読です)。近代以降の銀行マネーを中心とした、〈負債によって駆動される経済〉からの離脱というところまでを射程に入れた、とても気宇壮大な構想がそこでは展開されていました。最近の関さんの論考は、むしろその射程の遠さゆえ、BI実現の難しさというところに論点が移って来ました。関さんによれば、今日の金融資本主義-租税国家-議会制政党政治という三点セットは、一体化されたひとつのシステムとして成り立っているので、その内部からこれを打ち破るシステムが生まれて来る可能性は無いというのです。リーマンショックを契機として、このシステムは急速な没落に向かっている。ギリシャやアイルランドの国家財政破綻、日本政府の莫大な財政赤字、そんなものを例に出すまでもなく、世界的規模で租税国家の解体が始まっているのです。関さんの立場は、現在の政治・経済体制が完全に瓦解するまでは、BIを論じても空論に陥るしかない、それよりもいまは座してこのシステムが完全に崩壊するのを待とうではないか、そう言っているように見える。理想主義とニヒリズムの恐るべき混淆…。しかし、この気分は私にもよく理解出来ます。

 新しい年の最初の記事ですから、私は関さんとは逆の発想で「今すぐにでも始められるBI」というコンセプトでひとつのアイデアを書き記しておこうと思うのです。そう、BIというのは始めようと思えば、今年からでも始められるものなんですよ。但しそのためには、ひとつだけ前提条件を認めてもらう必要があります。それは「BIは政府が国民に約束するものでもなければ、永続的な政策として保証するものでもない」ということです。私はBIというものを〈既得権解除装置〉という別名で呼びました。もしもBIを、国が国民に最低限の生活保障をするためのものと捉えるなら、それ自体が新たな社会福祉政策になってしまうし、すべての国民にとっての既得権となってしまうでしょう。実はこれではBIのご利益は無くなってしまうんですね。BIは生産と雇用のギャップを埋めるためのものですから、その差の大きさによって支給額も変わって来れば、制度の存廃も決定されてしかるべきものなのです。そういう意味では関さんがおっしゃっていたように、「基礎所得(Basic Income)」ではなく「社会配当(Social Dividend)」とでも呼んだ方がいいのかも知れません。画期的な技術革新などがあれば配当は増えるかも知れないし、大規模な自然災害などがあれば配当はゼロになってしまうかも知れない、それは当然なことである訳です。この前提に立てば、BIに対する代表的な反論にも答えることが出来るようになります。すなわちBIが導入されれば、人は(あまり)働かなくなって、製造やサービスの現場が深刻な人手不足に陥るだろうという意見です。BIは政府が保証するものではなく、たまたま幸運に支給されるものであってみれば、誰もそれを当てにして今の職を投げ出すということはなくなる筈だからです。もっとも、いまの政治不信の状況を考えれば、たとえBIをマニフェストに掲げる政党が政権を取っても、それで離職者が続出するなんてことは最初から考えにくいのですが。

 さらにこの〈不安定であんまり信頼出来ないBI〉という政策には、雇用のあり方を適正化する働きもあるのではないかという気がしています。現在の労働市場で最も深刻なのは、家計の支え手である中高年の失業ということではないかと思います。私もその予備軍である訳ですが、彼らにはパートやアルバイトでの働き口も十分に用意されている訳ではない。その分野でも職を奪い合うライバルがいるからです。遊ぶためのお小遣いが欲しい学生さんや、へそくりを稼ぎたい主婦といった人たちのことです。経済的には比較的余裕のあるこの人たちが、月に数万円のBIを受給するようになれば、安い賃金で働くことへのインセンティブも相当薄れるに違いない。彼らが労働市場から退出してくれるだけで、労使の力関係はだいぶバランスのいいものになるのではないかと私は思います。(実際のところ、経済的に差し迫っていない境遇にいる人たちの労働力ダンピングが、不当な低賃金の労働市場を成り立たせている点は見過ごせません。) またBIから最低限の生活保障という役割を引き剥がして、単なる配当金であると考えれば、支給額は10万円とか8万円とかでなくても構わないことになります。最近のBIをめぐる議論は非常に重たい内容のものが多いですが(例えば立岩真也さんとか)、BIというのはもっと手軽なものでもあり得ると思うのです。手軽と言えば、日本で唯一BIの実現を公約に掲げている〈新党日本〉が、月額5万円のBIを謳っていましたっけ。とりあえず今回はこれを採用しましょう。平成23年度の予算のなかで、二十歳以上の全国民に月額5万円のBIを配ることは可能か? (一昨年、私は月額8万円のBIを主張していました。昨年それが7万円になりました。そして今年は5万円…。だんだん現実的になって来たということでご勘弁ください。笑)

 今回の私の政策提言には3つのポイントがあります。ひとつは既に述べたように、BIは社会保障制度ではないという観点に立って、それを単年度で実施するということです。ふたつめはBIが暫定的な政策である以上、従来の社会保障制度を廃止することはせず、両方の制度を並立させるということです。みっつめはそれが単年度での実施であるなら、増税や赤字国債に頼らなくてもBIの財源は十分確保出来るということです。まず既存の社会保障とBIをどのように補完させ並立させて行くか、その点を説明します。これはそれほど難しい課題ではないと考えられます。受給者の意思によって選択出来るようにして、一方を選ぶなら他方を停止してしまえばいいからです。とりあえずBIの支給と引き換えに停止される既存の社会保障制度は、「老齢年金」、「生活保護」、「失業保険」の三つに限定しましょう。これらを受給している人たちは、新しく始まった月額5万円のBIと従来からの制度のどちらかを選択します。この選択はいつでも変更可能です。当然、金額の大きい方が選ばれることになるでしょう。月額6万円の国民年金を受け取っている人は、残念ですがBIに切り替えるメリットはありません。5万円を超える失業保険を受け取っている人も、受給期間中はBIを辞退することでしょう。BIは個人に対する支給ですから、この損得勘定は個人単位で行なえばいい訳ですが、生活保護だけは世帯単位での支給が原則ですから、選択も世帯単位になります。夫婦二人で10万円のBIと従来からの生活保護のどちらを取るかということです。(老齢年金にも世帯給付に近いところがありますが、こちらは個人で見ましょう。夫が月に20万円の年金を貰っている場合、夫はBIを辞退することになる一方で、妻は5万円のBIを受け取れるということです。) ここで節約された社会保障費は、当然BIの財源として予算に組み入れられることになります。

 この方式のメリットは、たとえBIの導入が失敗に終わっても、後戻りが可能であるという点にあります。これまでのBI論が現実的でないのは、もしもそれがうまく行かなかった場合の可逆性を組み込んでいなかったからだと思います。ともかくベーシックインカムなどというものは、歴史上どこの国でも本格的な政策として施行したことはないのですから、実際にやってみて何が起こるかなんて誰にも分からない。だったら失敗した場合に引き返せる道を用意した上で、期間限定で実施するというのはまったく理にかなったことではないかと思う訳です。もちろんBIが始まっても、従来の社会保障制度はどれひとつ廃止出来ませんから、行政コストを削減するというBIのメリットは放棄せざるを得ません。が、歴史を大きく転換させるかも知れない壮大な実験を行なうのですから、その程度のコストなんて安いものだと考えましょう。行政コストの削減を言うなら、BIが制度として軌道に乗って、後戻りの必要が無くなってからでも遅くないと考える訳です。政府は国民に対して、これが原則として1年限りの実験的な施策であることを明確に宣言した上で実施に踏み切ります。

 次に財源問題です。二十歳以上の日本人、1億400万人に月額5万円(年間60万円)のBIを支給するために必要な財源は62兆円。但し、従来の社会保障との選択制にする訳ですから、BIを辞退する人も相当数いる筈です。老齢年金の受給者は2600万人くらい、生活保護受給世帯は100万世帯を超えていますから、人数にしたら200万人くらいでしょうか、失業保険受給者はこのご時世だから100万人くらいはいるかな(インターネットで手早く調べただけのいい加減な数字です。ご勘弁)。ざっと3千万人弱がBI辞退予備軍になると思われます。少なく見積もっても、そのうち半分くらいの人は月5万円のBIには魅力を感じないでしょうから、辞退者は1500万人くらいになると想定出来る。するとBI受給者は9千万人にまで減ります。必要な財源は54兆円。先ほど増税は行なわないと書きましたが、BIとセットでひとつだけ新設したい税金があります。企業が労働者を雇うことに対して課税される「雇用税(人頭税)」です。フルタイムの労働者ひとりを雇うのに、月1万円の雇用税を企業は徴収される。(パートタイマーは労働時間に比例して減額されます。) これには財界が反対すると思われるかも知れませんが、そうとも限りません。というのは雇用税の創設と同時に法律で定められた最低賃金を廃止するからです。(BIと最低賃金法は並立出来ない、これは以前からの私の持論です。) 企業は雇用税を労働者の賃金から差し引いて払ってもいいし、収益を削って払ってもいい。最低賃金の保障が無くなっても、ワーキングプアが大量発生するといった事態にはなりません。BIのある社会では時給500円ではなかなか人も雇えない筈ですから。私の推計では雇用税による国の税収は7兆円程度になります。

 54兆円から7兆円を引いた47兆円がBI導入のために新たに必要となる財源です。これをどこから持って来るか? 今回の記事の眼目はここです。それを「デフレギャップ」から持って来るのです! いまこの国が何に一番苦しんでいるかと言えば、20年以上も続く慢性的なデフレに苦しんでいる訳です。つまり供給力が過剰で需要が不足しているということです。この需給のギャップこそが新たな財源になり得るものなのです。それは政府の〈通貨発行権〉を担保するという形での財源になります。その金額を正確に見積もることは誰にも出来ませんが、少なくとも数十兆円以上の規模のものであることは間違いない。これを来年度のBI予算に充てます。政府貨幣の発行ということではありません、日銀による「BI特別国債」の直接引き受けという形で実行されるのです。これは日本経済をインフレ方向に引き上げ、円高を抑制するための政策でもあります。政府が通貨発行権を行使するだけなので、増税などまったく不要。そして単年度で47兆円の新規発行通貨(もちろん日本円)をBIとして支出し、それで日本経済が目標のインフレ率に到達したら、残念ですがBIは単年度で終了するか、次年度は大幅に減額せざるを得ない。もしもインフレターゲットに未達ならば、BIは2年目も継続されます。(逆に初年度の途中で想定以上のインフレに振れれば、そこでBIを中止することもあり得ます。) とにかくこれによって今後の経済政策の基本方針が見えて来る。そして私が強調したいのは、一国を挙げてこんな壮大な経済政策の実験が出来るのは、世界中で日本だけだということです。これは中央銀行が10年以上もゼロ金利政策を続けているのに、国内経済がインフレにもならず円安にもならない、そういう国にだけ許された贅沢な選択肢だということなのです。

|

« 今年のブログ記事を振り返って | トップページ | 的外れなベーシックインカム批判 »

コメント

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
関さんの断筆宣言、私もメールニュースで知りました。その宣言には心情的には理解できるけれども「思想家の立場としてはどうなのかなあ」との第一印象です。
言い続けるのも一つの姿勢ではないか。今注目されないならその時が来て己の言葉の確かさが証明されれば良い、とも受け取れました。
それは「洪水が来るぞ」と警告した予言者が「ほれ見た事か」とシタリ顔になるような図式ではないかと。。。

本題に戻って、
>>まず既存の社会保障とBIをどのように補完させ並立させて行くか、その点を説明します。
これはそれほど難しい課題ではないと考えられます。受給者の意思によって選択出来るようにして、一方を選ぶなら他方を停止してしまえばいいからです。
とりあえずBIの支給と引き換えに停止される既存の社会保障制度は、
「老齢年金」、「生活保護」、「失業保険」の三つに限定しましょう。
これらを受給している人たちは、新しく始まった月額5万円のBIと従来からの制度のどちらかを選択します。
この選択はいつでも変更可能です。<<
選択の変更可能とは、社会保障制度とBIとで相互に行ったり来りを可能との事ですか。
だとしたら仕組み的には色々あってもオモシロイ発想ですね。

もう一つ、選択肢を国民に委ねるってのが果して国の姿勢として良いのかどうかです。
今までそんなのあったかどうか。国の示す姿勢と言えるかどうか。。。

投稿: turusankamesan | 2011年1月17日 (月) 05時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/50551159

この記事へのトラックバック一覧です: 今年こそベーシックインカム元年に:

« 今年のブログ記事を振り返って | トップページ | 的外れなベーシックインカム批判 »