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2011年1月16日 (日)

的外れなベーシックインカム批判

 『POSSE』という雑誌がベーシックインカムの特集を組んでいます。いや、刊行されたのは昨秋のことですから、「組んでいる」と現在形で書くのは適切ではありませんね。たまたま私が最近これを読んだというだけのことです。昨年は雑誌の『現代思想』がやはりBIの特集を組んだことがあって、この時にも私は読後の〈違和感〉について書いたものでしたが、今回読んだPOSSEの記事にも別の意味で感じるところがあったので、とりあえずの感想を書きつけておこうと思うのです。

 この雑誌は労働運動関係のユニオンが発行母体であるようで(私にはよく消息が分かりませんが)、そちらサイドからの記事が中心であることにはすぐ気付きます。一応、編集方針としてBI賛成派と反対派の論客を交互に組み合わせて、バランスに気を配った形跡が認められます。でも、どう贔屓目に見ても反対論の方が説得力で勝っていて、賛成派の論説は分が悪いと言うか、さらし者のようにそこに置かれているようにしか見えないのです。このことはBI反対派の記事がどれも論文形式なのに対して、賛成派の方はすべて編集者によるインタビュー形式だという点にも如実に現れています。まあ、思想的な立場がはっきりした雑誌なのだろうと思うので、そこに文句を言っても仕方ないのですが…。それにしても、ここに集められた論文たちが発散させている、何というか〈負のオーラ〉にはただならぬものがある。例えばこんな文章があります。

「どうやらベーシック・インカム論は、今の日本社会のなかで、①「あなたは今のままでいい」として、職場から排除された人々が職場のあり方そのものを変えようとするエネルギーを削ぐイデオロギー効果、②もともと駄目な人間に職業訓練など行うのは行政のお節介なので、そんな行政サービスを削減するための黙り賃としての支給、といった役割を担わされて流通し始めているようだ。」(p56)

 別に悪意があって引用している訳ではありません。ただ、こういった〈どぎつい〉レトリックが、はたして建設的な議論に道を拓くものだろうかと私はいぶかしく思うのです。(少なくとも私はこういう語法の人とはあまり議論をしたくない。) えてしてBI肯定派の言説は能天気で無責任なものですが、それでもこういった底暗さとは無縁のものです。そこにBIというものの功徳があるとさえ私は考えているのです。特定の思想的立場からのBI批判が不毛だと私が感じるのは、それがBIに代わる対案を提示していないという一点に尽きます。対案を示さない政治論争ほど虚しいものはない。有意義な討論というのは、①A案とB案を比較した場合どちらがどう優れているか、②両者にそれぞれ一長一短があった場合それをどう組み合わせればより良いC案が導き出せるか、というようなかたちでしか実現しないものだと思います。そういう意味で、BIというのはとても有効な議論のたたき台になります。それは完成された思想というよりも、ひとつの〈素材〉と捉えるべきものだと思うのです。これを型にはまった主義主張と受け取ってしまうところから不毛な議論が始まるのではないか。以下はこの雑誌に散りばめられたBI批判派の論点を私なりにまとめてみたものです。

  1. BIは社会保障の代替となり得ると主張することは、国に対して福祉政策における責任放棄の免罪符を与える結果になる。
     
  2. 福祉国家の未成熟をあたかも福祉行政の行き詰まりのように批判しているが、福祉行政にはまだまだ改善すべき余地がたくさんある。
     
  3. もともとBIの発想は新自由主義と相性の良いものであり、規制緩和や小さな政府といった資本側の主張を正当化するために利用される可能性が強い。
     
  4. 個人の抱える事情によって必要な最低生活費は異なる筈だが、BIはそうした個々の事情を考慮しない。
     
  5. BIでは「働きたいのに働けない人」は救えない。むしろBIの支給と引き換えに社会参加の機会が奪われる懸念がある。
     
  6. BIは賃金労働以外のところで生活を充実させるという強迫観念を植え付ける。これもひとつのパターナリズムである。

 まだ他にも書き漏らした論点があったかも知れませんが、こんなところで十分でしょう。どれも正論だと思うし、世間一般の平均的なBI論に対しては的確な指摘なのだろうと思います。問題はこれが議論の入口となって、対話を深めて行く方向には決して進まないだろうという点です。それはこれらの主張が、それぞれの論者自らが作り上げた仮想のBI論を論破しようというスタイルで書かれているからです。しかし、残念ながら現実のBI論というのはまだ決して一枚岩ではないし、BI推進派のなかでもいろいろな対立要素を含んで混沌とした状況にあるのが実態でしょう。そういう性格のテーマに対しては、上記のような定型的な反論をしてもほとんど意味が無い。だってBI推進派の誰も、これを読んで自分が批判されているとは自覚していないだろうから。要するに誰に向けられた反論なのか分からないのですね。学会の事情についてはよく分かりませんが、いまの時代、確立された権威だとか正統派の学説なんてものもほとんど解体されてしまっているのだろうと思います。あたかもそういうものがまだ存在しているかのような仮定のもとで、その権威に楯突くようなポーズをとることで自身のステータスを守ろうとしているなら、それは虚しいことです。いや、別に偉そうにアカデミズム批判をするつもりはありませんでした。例えば上に挙げたようなBI批判に対してなら、自分のような素人にだって簡単に反論が出来ます。

  1. そもそもBIを福祉行政の代替物として捉えることが誤解だとも考えられる。BIと福祉が並立しにくいのは、ひとえに財政的理由からであって、何かの主義主張に基づくものではない。BIか福祉かを選択しなければならないとすれば、もちろん福祉を優先すべき。
     
  2. 福祉行政に改善すべき余地がたくさんあるのはその通りだと思う。その改善すべき点のひとつとして〈選別主義に基づく給付あるいは控除〉という問題がある。BI的な発想を福祉行政の改善に役立たせる道もあるのではないか。
     
  3. 規制緩和や小さな政府といった発想のすべてが悪いものなのか。おそらくいまの政治の混迷は、大きな政府と小さな政府というものを単純に対峙させてしまう、その発想の貧困にあるような気がする。BI導入の結果、政府は小さくなるかも知れないが、小さな政府を実現するためにBIを利用するのは本末転倒。
     
  4. 個人の抱える事情を考慮しないというのがBIのBIたる所以なのだから、それを批判しても無意味。もしもBIだけで生活が賄えないなら働けばいい訳だし、それが叶わない人は社会保障制度で支えるべき。
     
  5. 「働きたいのに働けない人」はこれからどんどん増える。生産性が向上した社会ではそれが当たり前。むしろBIの導入によって、働きたくないのに働かざるを得ない人が働かなくてもよくなり、その結果として働きたいのに働けない人が働けるようになるのが自然の理路というもの。
     
  6. 「賃金労働以外のところで生活を充実させる」ということは、BIにともなう強迫観念というより、これからの時代に共通なテーマと捉えた方が自然だし生産的(少なくとも先進国においては)。パターナリズムなんてくそくらえ。人類は何のために何千年、何万年も頑張って来たの?

 こんなふうに書いて来ると、私自身が考えているBIというのもかなり偏ったものであることが分かりますね。要するに、私は国が国民の生活を最低限保障するというBIの理念に対して懐疑的である訳です。この点になると私はやはり関曠野=C.H.ダグラスの理論に還りたくなってしまう。つまりBIというものが正当化されるのは、国に国民の生活を保障する義務があるからではなく、現代人は過去の人類が膨大な試行錯誤や創意工夫を通じて作り上げて来たものの正当な相続人であるからだというのです。それはいわば過去の遺産が生み出す配当のようなものです。配当であるならば、受け取れる金額もその時々の条件によって変わって来るし、必ずしも最低限の生活保障をするという条件だって満たさないかも知れない。BIに関して建設的な議論を目指すなら、どのようにして受け継いだ過去の遺産を最大限に活かして配当額を大きくして行くか、そして私たち自身がさらに遺産の価値を高めて次の世代に引き継いで行くか、そのことを具体的な政策として論じなければならないと思う。もちろんそこにはもうひとつ、もっと本質的な意味での議論が待っている筈です。それはつまり、人類はこの先もこのような高生産性の社会を目指して突き進んで行くのか、あるいは持続可能な社会を目指すために効率化や生産性向上に歯止めをかけて、スローダウンする方向に転換するのかという問題です。これは非常に大きな問題ですが、これを避けてはBIに賛成も反対もあり得ないだろうと私は考えています。

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コメント

>>それはつまり、人類はこの先もこのような高生産性の社会を目指して突き進んで行くのか、あるいは持続可能な社会を目指すために効率化や生産性向上に歯止めをかけて、スローダウンする方向に転換するのかという問題です。これは非常に大きな問題ですが、これを避けてはBIに賛成も反対もあり得ないだろうと私は考えています。<<
全く同意致します。右肩上がりの成長神話とBIは両立不可能と直感しています。その根拠を模索中なんですが、生活に追われて頓挫したまま、デス。
この議論も、程遠い先の向こうを目指す話なんでしょうねえ。

投稿: turusankamesan | 2011年1月18日 (火) 01時49分

turusankamesanさん、こんにちは。今年もどうぞよろしく。なかなかコメントのご返事もできなくてすみません。

今年は「実現性のあるBI」というのをテーマのひとつに取り上げようと思っています。生産性や効率化の問題もこれと関係して来ます。まあ、じっくり考えて行きましょう。

投稿: Like_an_Arrow | 2011年1月19日 (水) 00時15分

ベーシックインカムの代案、増税も必要なく即実施可能、
財源は失業保険料、
代案と言うより市場原理の資本主義社会には適している、
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/001.htm

職能別労働組合で実施すれば最高
(参考)ベーシックインカムを実施する場合も支給額は求人倍率1を限度にすべき(労働力が不足しないために)

投稿: 平和太郎 | 2013年5月21日 (火) 10時33分

働きたい人は働く権利を買う、働きたくない人は働く権利を売る
ロボットが増えて職が少なくなればなるほど働く権利は高く売れる
▼巷間哲学者の部屋の論理にも合致しますね

BIの代案:労働力不況カルテル(働く権利の売買)
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/001.htm

投稿: 平和太郎 | 2013年6月 4日 (火) 16時52分

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