« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月26日 (日)

尖閣問題で私にも言えそうなこと

 事件はとても後味の悪い結末になりました。尖閣諸島沖で操業していた中国船籍の漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した事件です。いや、衝突というよりも、漁船が巡視船に二度にわたり「体当たり」をして来たというのですから、正しくは攻撃を受けたというべきでしょう。船長の逮捕はその場の判断としても妥当だったのではないかと思います。ところが、これに対する中国政府の対応は、すばやくまた苛烈でした。逮捕勾留された船長の即時釈放を求めて、閣僚級以上の要人の交流中止、予定されていた青年訪中団の受け入れ中止、さらには日本に対するレアアースの禁輸と、制裁措置を矢継ぎ早に打ち出して来たのです。これに対して日本政府は後手に回るばかり。いったんは勾留延長までしたのに、その期限が切れるとあっさりと船長を釈放してしまった。船長が勝ち誇ったようなVサインとともにチャーター機に乗り込む映像を、多くの日本人は臍を噛むような気持ちで見つめた筈です。なんでいつもこういうことになってしまうのだろう? もしもこれが逆の立場だったらと想像してしまいます。もしも日本の漁船が領海侵犯で中国の巡視船に拿捕されたのだとしたら、日本政府はどういう対抗措置を取れるだろう。中国は即時釈放になど応じるだろうか。今回の事件によって、いまだにかの国に対しては朝貢外交が続いていることを私たちは思い知らされた訳です。

 とにかく日本政府は対外的なアピールでいつも負けています。今回の事件では、衝突時の映像を記録したビデオがあるそうですから、一刻も早く公開して国際世論を味方につけるべきでした。漁船本体と船長以外の乗組員を釈放してしまったのもまずかった。どうせ逮捕に踏み切るのなら、事件はなるべく大きく取り上げて、ことを荒立てるべきでした。いま中国は、日本だけでなくASEAN諸国とも領海問題で争っていて、その横暴なやり方が批判の的になっているのです。もしも今回の事件で日本が気骨あるところを見せれば、そうした国際世論を束ねることだって出来た筈です。前原外相もタカ派と言われている割には不甲斐ありませんでしたね。「国内法に従って粛々と」なんて呑気なことを言っている場合だったのだろうか? 今回の事件は明白な「領海侵犯」であり「違法操業」なのだから、むしろ日本としては機先を制して中国政府に抗議すべきだったと思います。相手が日本の領海を侵し、故意の衝突事件まで起こしているのに、何故こちらが制裁を受けなければならないのでしょう? 中国の国内法で日本人が死刑を執行される時代に、政府がそんな弱腰でこの国と国民を守れるのだろうかと正直心配になります。

 衝突した漁船が中国側のスパイだったのかどうか、それは分かりませんが、ことの展開が中国政府が描いたシナリオ通りに進んでいるのだろうということは想像がつきます。韓国政府は、領海侵犯した中国漁船を年間に5000隻も拿捕し、5000人以上の漁船員の身柄を拘束しているという事実があるのだそうです。それなのに中国が韓国に対して強烈な制裁措置を採ったという話は聞きません。今回の事件は、明らかに尖閣諸島の領有権をめぐって、今後日中両国のあいだで繰り広げられるであろう駆け引きにおける、中国側からの強烈な先制パンチだったと考えられる。そもそも日本は尖閣諸島を自国領土と定めていますが、それは中国も同様なのです。歴史的に見て、尖閣諸島の領有権がどちらに帰属すべきなのか、これも両国にそれぞれ言い分があって、容易に決着を見出だすのは難しいことのようです。日本にしてみれば、明治時代、1895年の閣議決定で正式に領土であることを決定したと主張しているし、一方の中国では、14世紀にすでに「釣魚島」は発見され命名もされており、実効支配がその時から始まっていると主張している。実は中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは1971年のことで、それはその前々年に尖閣諸島の海底に大規模な油田の存在が確認されたからだと言います。が、そのことをもって中国の領有権主張には正統性が無いと言い募っても、それは第三者を説得出来る議論にはならないでしょう。

 この問題について専門家の意見はどうなっているのだろうと思い、インターネットをいろいろ検索していると、田中宇(たなかさかい)さんという方の文章が目に留まりました。国際問題に詳しいジャーナリストという肩書きの人だそうです。それによると、1978年に日中平和友好条約が結ばれた時、鄧小平さんの提案で尖閣諸島に関しては領土問題としないことが合意され、それ以来日中両国は尖閣問題で対立しないという了解のもと、領土紛争を棚上げして来たのだそうです。「今回、日本側がそれを破棄し、日本の法律を使って中国漁船員を逮捕するという、領有権をめぐる強い主張に踏み切ったので、中国政府は驚き、怒ったと考えられる。」 へえ、そうだったんだ。それが暗黙の協定だったとしても、協定を一方的に破ったのは日本側だったというのです。そう説明されてみれば、今回の事件で中国政府が見せている異常なほどの強硬姿勢も理解出来るような気がします。田中さんの文章の後半では、今回の日中対立の背景にはアメリカの策略があり、菅内閣が親中派の岡田さんを外務大臣から降ろして後任に強硬派の前原さんを就けたのも、米政府から菅首相への圧力があったのかも知れないといった仮説が書かれているのですが、これはまあ話半分に聞いた方がいいでしょう(実際にそんなこともあり得るかも知れませんが)。日本国内の報道だけを見ていると気付きにくいことですが、世界の情勢はいまも危ういパワーバランスの上にかろうじて均衡を保っている、これは間違いないところだろうと思います。

 温厚なリベラル派として私が信頼する池田香代子さんのブログでも(実は最近読み始めたばかりなのですが)、田中論文を取り上げて、「早く鄧小平時代の両国の外交の知恵に立ち戻っていただきたいものです」と書かれています。私もそう願うひとりですが、一方で21世紀になった今日でも日本が未解決の領土問題を周辺に抱えていることに不安を感じます。今回のようなことは今後も繰り返し起こるでしょうし、そのうちには軍事衝突という事態だってあり得ないとは言えない。むしろ今回の事件をきっかけに、民主党政府は中国に対して領土問題解決のための話し合いを再開するよう持ちかけてはどうでしょう。もちろん両国の話し合いで解決するなどとは考えられません(両国の国民とも絶対に譲歩しないだろうから)。で、話し合いが暗礁に乗り上げたところで、国際司法機関に調停を仰げばいい。おそらくハーグの国際司法裁判所だって、こんな問題は扱い兼ねるに違いない。でも、結論なんて出なくてもいいんです。国際裁判で係争中ということになれば、少なくとも二国間の暗黙の了解という状況よりも安定した状態を作り出せる。もしも結論が出たなら出たで結構、中国に領有権が認められたなら日本は潔く引き下がるし、日本に領有権が認められたなら、尖閣諸島は日本と中国の共同統治領と位置付けて、権利の半分を与えてしまえばいい。今後、経済問題や資源問題で中国と良好な関係を保って行かなければならない我が国にとって、いかに国としての威信を傷つけずに中国に譲歩して行くかが政治の重要な課題であることだけは間違いないからです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年9月19日 (日)

代表選の結果に思うこと

 政治の変わり目では、これまでにもいろいろと政局絡み、選挙絡みの話題について記事を書いて来ました。今後の政界予測のようなことを書いたこともありますが、読み返してみると予測はほとんどはずれています。これはきっと政治に対する自分自身の過大な期待を織り込んでしまうからだと思います。私がいまの政治に対して抱いている期待というのはただひとつ、実現性を担保された真に魅力ある政策の選択肢を国民に示して欲しいということだけです。二大政党が基本的な政策をめぐって理を尽くした議論の応酬をしている、あるいは与党のなかで対立する陣営が真剣な政策論争を戦わせている、そういう当たり前な政治の風景を見てみたいというだけです。「政治とカネ」なんてことでいくら論戦を重ねても、そんなものはこの国の将来に何も資するところはない。そんな議論は国会の外でやってくれと言いたくなります。それなのに現在の国会で我々が目にするのは、国民そっちのけで相手のスキャンダルを追及するような場面ばかりです。せっかく政権交代が実現したのに、政治をそこまで堕落させてしまった鳩山・小沢両氏の罪はまことに重かったと言わざるを得ない。

 今回の民主党の代表選というのはいったい何だったのでしょう? それは昨年から続く政権交代劇の第二幕であり、今も権力の中枢に居座り続ける〈自民党的なるもの〉との最終決戦なのだ、そんなことを先日の記事に書きました。まあ、ちょっとしゃれた警句を吐いてみたかっただけなのですが、そんなコトバでは何を言ったことにもなりませんでしたね。今回の代表選ではっきりしたことは、いまの日本を代表する二人の政治家が、これからの政治が向かうべき方向について何ひとつ具体的なビジョンを持っていなかったということです。一応、政策論争らしきものはありました。政策オンチの菅候補からは、ほとんど支離滅裂なコトバしか聞かれませんでしたが、対立する小沢候補からは、ある意味驚くべき政策構想が飛び出して来た。「無利子の永久国債を発行して、それを財源に地方に高速道路を作る」、「地方自治体に配るお金を一括交付金にして総額を削る」――マジすか? これを聞いた時、一瞬自分が昭和の御代にタイムスリップしたのかと思いましたよ。もしやこれが実行に移されたかも知れないと思うと、ほんとに〈無策の〉菅氏の方が勝ってくれて良かった。もっとも最初から「選挙戦が終われば、どちらが勝ってもノーサイド」なんて言ってるようじゃ、政策論争もどこまで真剣だったのか分かりませんが。

 これはツイッターにも書いたことですが、菅さんが首相の座にいる限り、必ず1年以内に再び小沢待望論が出て来るだろうと思います。もしも今回の代表選で菅氏が敗れていたとしても、国民のあいだに菅待望論は出て来そうにありませんから、今回の勝負はどちらに転んでも菅氏にとって分が悪いものだったのです。「一兵卒に戻って頑張ります」と言う小沢氏の表情に現れた余裕は、負け惜しみや強がりではなかった筈です。代表選によって菅さんの人気は多少持ち直したようなところがあると思いますが、このまま菅内閣が過去3か月に見せたような政権運用を続けたとしたら、間違いなく国民の支持率はまた急低下するでしょう。個人的な期待を言うなら、私は今回の代表選の結果を受けて、小沢党が民主党から離脱してくれればいいと思っていました。いまの民主党と自民党の顔ぶれを見れば、もう一度政界再編を起こさない限り、安定した政権基盤は出来ないだろうと思っているからです。が、その期待が叶えられることはありそうもない。小沢氏にしてみれば、今回の選挙で十分存在感をアピール出来た訳ですし、菅内閣が迷走して支持率が地を這っている頃には、検察審査会の不起訴決定が出て、政治とカネの問題にも決着がついているだろうという読みがある筈です。そうなれば、自分から立たなくても国民が自分を立たせずにはおかない。国民は今回の選挙が露払いの前哨戦に過ぎなかったことをあらためて思い知ることになるのだ。

 信念を持って推し進めるべき政策構想など無いが故に、派閥も立場も異にした政治家たちが呉越同舟でいられる、なんという貧しい政治の風景でしょう。実を言えば、現在の日本で最優先に実行すべき政策はたったひとつしか無いと私は考えています。それは税金の無駄遣いをどう減らすべきかとか、経済成長と格差是正のどちらを優先すべきかとかといったような問題よりも、もっとずっと本質的かつ喫緊な課題への対応です。バブルが崩壊して以来、日本はずっとデフレ不況にあえいで来ました。デフレというのは、単純に言えばモノよりもお金の価値が高くなって、そのために人々がモノよりもお金を欲しがる状態のことです。当然モノは(売りたい値段では)売れなくなって、逆にお金は貯め込まれる一方になる。そういう状態のことをデフレと呼ぶ訳ですから、日本は「デフレによる不況」に見舞われていると言うより、「デフレという不況」に閉じ込められていると言った方が正確です。菅総理は代表選の翌日、大規模な為替介入を行なって円高に歯止めをかけました。これは評価されていい決断だと思いますが、そもそも何故このところずっと日本円だけが独歩高になっているのかを政治家は考えなければならない。それは日本が比較的サブプライム問題の影響を受けなかったからでもなければ、アメリカなどに比べて外国からの借金が少ないからでもない。モノの値段が高くなるのは、需要に対してそのモノの供給が少な過ぎる時です。全世界的に見て日本円の値段が高騰しているのは、要するに日本円の供給が不足しているからだと考えられる。つまりデフレを脱却するためには、政府(と日銀)が日本円を増発する方向に政策を転換しなければならないのです。

 日本では長いあいだ実質的なゼロ金利政策が続けられて来ました。ゼロ金利の下では、それ以上の金利引き下げによって景気を刺激することが出来ません。それで次に政府と日銀が採用したのは、〈量的緩和〉という政策でした。これは銀行などが持っている国債を日銀が買い取って、市場に流通する日本円を増やす政策でした。しかし、それはすでに発行されている市中の国債を日本円に両替するだけですから、日本円そのものが増発されている訳ではありません。いま求められているのは、これから発行される国債を日銀が国から直接買い取る政策です。もっとはっきり言えば、政府が国債を発行する代わりに、日銀が日本円を発行することで税収不足を補う〈打出の小槌〉政策の採用です。これならば日本円そのものが増える訳ですから、円高は抑えられ、デフレはインフレに転じ、その上政府の借金も減るという三つの成果が期待出来る。もちろんこれは尋常の金融政策ではありませんから、反対する人も多いに違いありません。が、いまこの国が置かれた状況そのものが尋常ではないのですから、これに対応するのに尋常ならざる政策を採用することにためらいは要らないと思います。つまるところ、それは財政破綻に至る前にどこかで実行すべき政策であって、問題はいつ誰がそれを実行するかということだけです。私はもう菅政権にそのこと以外を期待する気持ちはありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月12日 (日)

まずは総理大臣の選び方から見直そう

 自民党が安定与党だった時代に比べて、総理大臣という職責の重要性が増したような気がします。自民党時代には、総理大臣というのもいわば年功序列の結果であって、誰がなってもさほど大きな違いは無かった。その安定感が崩れたのは、小泉純一郎という人が総理になった時からでしょうか。確かに「自民党をぶっ壊す」だとか「郵政民営化のためなら命も要らない」なんて決め台詞を吐きながら、思い切った政策を次々に繰り出すパフォーマンスは国民にとって見物でした。その記憶が鮮明だったからこそ、それに続く歴代の総理大臣はみな国民の期待に応えられず、不人気であることがすなわち政権の短命さにそのままつながるようになったのです。賞味期限はせいぜい半年、政権の寿命はわずか1年です。鳩山さんが突然総理を辞任して、そのあとに菅さんが就任した時、民主党政権への支持率は10%台からいきなり60%台に跳ね上がりました。大きな政策転換があった訳でもないのに、この支持率の変化は理解出来ないと新聞の社説は書きました。しかし、こんな理解しやすい話はないと私は思いました。要するに国民は新しい役者を求めているのです。政策を求めているのではないのです。だから舞台に新しい人が上がれば、とりあえずは拍手を送って期待の大きさを示してみせる。ほら、この観客の期待に応えるような演技を見せてごらん、つまらなかったらすぐに舞台から引きずり降ろしてやるから。

 嫌な時代になったものだと思いますが、それが現実であるなら仕方がありません。問題はそれほど重要なものになった総理大臣というポジションが、政党の内部人事として決まってしまうことです。今週の火曜日には新しい総理大臣が決まります。菅さんが続投するのか、小沢さんが新しく選ばれるのかで、おそらくこの国が向かう方向は相当違ったものになる。にもかかわらず、それを選ぶのは民主党議員と党員・サポーターというごく限られた人たちなのです。さらに民主党の場合には、自民党や共産党などと違って、外国人でも党員・サポーターになれるそうですから、大多数の国民を差し置いて、一部の外国人が日本の総理大臣選びに関わるという信じがたい事態も起こっている。私はもう民主党には大して期待もしていませんが、政界再編で民主党の次に現れる政権政党には大いに期待しているので、まだいまは無いその政党に向けて総裁選びのやり方を変えることを提案したい。つまり議員や党員の思惑ではなく、とにかく国民が支持する人物という基準で新しい総裁=総理を決めるという方法です。支持率が低下すれば、どんなに優秀な総理大臣であっても政権を維持することは出来ない、それはここ数年私たちが目撃して来たとおりの事実です。またこれは(たぶんに衆愚政治に近いとは言え)この国で民主主義が正常に機能していることの証左でもあります。であるならば、最初から国民の人気投票で総理大臣を決めるという考え方もあっていいのではないか。

 日本でも国民が直接総理大臣を選べる〈首相公選〉の制度を採り入れよう、そんな意見も一部にはあります。しかし、ここ数年のあいだに何人もの首相が交代するのを見て来て、私たちがつくづく感じたことは、リーダーの資質というのはその人を実際にリーダーに据えてみなければ試せないということです。(小泉さんがあれほど舞台受けする政治家だったことを、安倍さんがあれほどひ弱な政治家だったことを、鳩山さんがあれほど常識はずれの〈宇宙人〉だったことを、誰があらかじめ予想出来たでしょう?) アメリカの大統領選が合理的であるのは、長い選挙期間を通して、候補者の思想や資質が徹底的に試され、国民にとって未知数の人物をいきなりリーダーに据えるというリスクを制度的に回避している点にあります。仮に日本で首相公選の制度を導入しても、単にその時点での人気投票というかたちで制度設計をしたのでは、相応しくない人物が頻繁に代わる現状を大きく変えることは出来ないと思います。では、どうすればいいか? アメリカの大統領選のように競わせればいいのです。かつて自民党の最盛期には、派閥同士の対立や駆け引きのなかで政治家は鍛えられ、その中から総裁に相応しい人物がふるいにかけられて行く仕組みが出来上がっていたと言います。もう今は派閥の時代ではありませんから、古い自民党方式を復活させることは不可能です。であるならば、それに代わる新しい仕組みを考え出す必要がある。

 私の試案はこうです。政権政党の議員で現役の閣僚である人全員に対して、総裁に立候補する権利を与えます。我こそ次期総理に相応しいと思う大臣は、いつでも立候補することが出来るのです。立候補の届出があった時から総裁選に入ります。但し、これは投票の無い選挙戦です。投票ではなく、何で総裁を決めるのかと言えば、世論調査による国民の支持率で決めるのです。立候補があった翌月の初めに第1回目の世論調査を行ない、立候補者の支持率が現総理の支持率を5ポイント以上上回っているなら、総裁選は翌月も続行されます。もしも対立候補が5ポイント以上上回れないようなら、その立候補は取り下げられ、その人はその後1年間立候補の資格を失います。そして3か月連続で5ポイント以上のリードをキープすれば、その時点で自動的に総裁交代、新総裁が新総理になり、ただちに内閣を解散して組閣を行なうという流れになります。同時期に複数の閣僚が立候補することも出来ます。この場合には、支持率が3か月連続で現総理を5ポイント以上上回るという条件の他に、その3か月のあいだに対立候補を抑えて常にトップの支持率を保つことが条件として加わります。例えば現役総理Aに閣僚Bが挑戦して、2か月連続で5ポイント以上のリードを保ったとしても、3か月目に対立候補Cが立候補してBを上回る支持率を獲得したなら、Bの挑戦は失敗に終わるのです。(総理大臣の任期切れや辞任の際の総裁選びの方法については、また別にルールを定める必要があります。単純にその時点で立候補者を募り、支持率が最も高かった人を暫定的に総裁にすればいいと思います。)

 閣僚人事は総理大臣が決めますから、もしもこの方式を採用すると、新総理は自分の派閥に属する政治家だけを集めて組閣し、対立候補が現れないようにするかも知れません。そうなるとそこでまた政治が停滞してしまいます。そこでもうひとつルールを追加します。内閣の支持率が3か月連続で20%を割ったら、その時点で内閣は総辞職しなければならないことにするのです。新総理が極端な派閥人事で安定政権を作ろうとしても、それは国民が許しません。このルールがあれば、死に体のレームダック政権がダラダラと延命して、日本の政治が空転することも無くなります。注目していただきたいことは、以上のような改革は、国の法制度を変えなくても政党の内規を変えるだけで実現出来てしまうということです。民主党のあとに来る新政党が、こんなルールを引っ提げて登場したら、それだけで国民からは絶大な支持を得られるのではないだろうか。ひとつ違和感を持たれる点があるとすれば、この政党では選挙ではなく世論調査で重要な決定がなされるという点でしょうか。しかし、党所属の議員や党員だけで行なわれる選挙よりも、世論調査の方がよっぽど国民の意思を正しく反映していると考えるのは私だけでしょうか。それどころか、投票率が60%くらいしかなく、若者の政治離れが言われる昨今では、国政選挙よりも世論調査の方が民意を正しく吸い上げられる方法であると言えるかも知れない。もちろん世論調査は第三者機関が公平かつ厳密な方法で行なうことが大前提です。

 ここ何年ものあいだ、日本では何人もの総理大臣がコロコロ代わり、それが国際社会での日本の信頼を傷つけて来たと言われます。今回私が提案した〈世論調査に基づいた下克上方式〉による総裁選びが実現したら、これまでよりもさらに総理大臣の任期が短くなるという心配はあるでしょうか? これは私の個人的な観測ですが、おそらく国民の人気投票によってふるいにかけられたリーダーは、派閥選挙の結果として国民に押し付けられたリーダーよりも長持ちするのではないでしょうか。いずれにしても、現代の民主主義では国民の支持率が政権の安定性を決めているのですから、最初から国民の支持率に従って政権や総理大臣を選んだ方がボタンのかけ違いも少なくなるだろう、それが理屈です。その結果、第二、第三の小泉純一郎が現れ、この国の政治に力強さが戻って来るだろうと予想します。但し、それによってこの国がより望ましい方向に向かうかどうか、それは分かりません。そこまでの担保を世論に求めることは無理というものです。世論が政治家ではなく、政策を正しく選択出来るようになるのは、まだまだ先のことだろうと思うからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 5日 (日)

これは政権交代の第二章ではないか

 世間では民主党の代表選の話題で持ち切りです。菅氏と小沢氏の一騎討ちという構図は、マスコミにとってもおいしいネタですから、選挙が行なわれる14日まで連日トップニュースで報じられることになるのでしょう。これを単なる民主党のお家騒動と捉えれば、いい加減うんざりするような話でしかありませんが、実はこれは昨年の政権交代劇の第二章の幕開けであって、これを経なければ本当の意味での政権交代は完遂しないのだと考えれば、また別の意味で興味が湧いて来るようにも思えます。民主党が政権を取ったとき、これは今後長く続く政界再編劇の始まりに過ぎないのではないか、そういう予感を私たちは持ちました。その予感の中心にはつまり小沢一郎という人がいた訳です。

 今回の代表選を私がどう捉えているかというと簡単です。日本の政権中枢のなかに今も残っている〈自民党的なるもの〉との最終決戦という位置付けです。小沢一郎というのはそれを象徴するひとつの記号であって、いわば最後に倒すべき〈ボスキャラ〉の役割を担っているということですね。実を言えば私は、菅さんという政治家にはあまり期待していません。いや、期待はしていたのですが、首相に就いてからの3か月の言動を見ていて、やはりこの人は一国のリーダーとしての資質を持った人ではないと思わざるを得なくなった(多くの国民がそう感じたと思います)。菅首相だけではありません、年金改革という大命題を与えられている長妻厚労相にしても、「コンクリートから人へ」という政策転換の最前線にいる前原国交相にしても、普天間問題や拉致問題でまったく存在感を示せなかった岡田外務相にしても、私たち国民の期待に応えるパフォーマンスを発揮しているとはとても言えない。しかし、一部の利害関係者だけが密室で談合して国の重要政策を決めていた前政権の頃から比べれば、格段の進歩があったということも認めなければならないと思うのです。もしも今回の代表選で小沢首相が誕生したとすれば、おそらく極端な派閥人事で閣僚を入れ換えるだろうし、そうなれば国民は期待を裏切られる以前に、政治に対する期待を持つことすら出来なくなってしまう。

 これに対して、一部では〈小沢総理待望論〉というのも勢力を拡大しているようです。とにかくあまりに言葉の軽い、安定感の無い総理大臣ばかりが続きましたからね。政治が空転している今こそ、一度はこの国の舵取りを小沢氏に託してみてもいいのではないか、そういう気分が世間の一部に醸成されているのです。木曜朝刊の読者投稿欄には、「清潔な無能より灰色の有能を」という見出しの文章が載っていました。国民のあいだに根強く残る小沢待望論を、これほど的確に言い表したキャッチフレーズも無いと思いました。菅首相は短期間のあいだに現実路線に大きく方向転換をして、これは官僚に籠絡されたのだろうという観測もあります。その点、小沢さんは発言がぶれないし、今でもマニフェストの原点に立ち返れと言っている。彼なら普天間の県外移設という難題をもう一度政策の俎上に乗せ、アメリカともタフな交渉をしてくれるかも知れない(あり得ないけど)。政治というのはつくづく幻想の上に成り立っているものだと思います。小沢と言えばいつもその上に〈剛腕〉という枕詞が付きますが、ひとつの形容詞によってこれほど買い被られた政治家もそうはいないのではないか。

 しかし、大多数の国民はもう少し冷静です。世論調査では、次期首相に相応しいのはどちらかという質問に、菅氏と答えた人が69%もいたのに対し、小沢氏と答えた人は15%ほどだったからです。もしも国民が直接次の総理大臣を選べればいいのですが、残念なことに私たちにはその一票が与えられていません。投票権を持っているのは412人の民主党所属国会議員、2382人の地方議員、そして34万人余りの党員・サポーターといった人たちです。(党員とサポーターとの違いは年会費の違いだそうです。党員が6000円なのに対してサポーターは2000円。ずいぶん安いんですね。今からでもサポーターに登録すれば投票権を貰えるのかな?) 票の配分は国会議員ひとりが2ポイントずつを持ちトータル824ポイント、地方議員はトータル100ポイント、党員・サポーター分は300ポイントになっているそうです。もしも〈首相公選〉という制度があれば、世論調査の結果からも菅首相の続投は確実な筈です。しかし、民主党議員の派閥構成を見れば小沢氏の方が有利に見えるし、党員・サポーターも自ら所属する組織の利益を守るという動機で投票するのでしょうから、世論の動向とは正反対の選挙結果になることも十分予想出来ます。国民にとってやるせないのは、議員投票が無記名の秘密投票であることです。これだけ明確な世論の意思表示があるのに、あえてそれに逆らった投票をしても(明示的には)それが知られることがない。これは実現する可能性の強い小沢政権のありようを今から暗示するような事実です。せっかくここまで政治がオープンになって来たのに、また密室政治、談合政治に逆戻りするということです。

 いずれにせよ今月14日には結果が出ます。問題はその後のことです。どちらが勝ったにしても、選挙後は協力して挙党一致でやって行くなんてことを言っていますが、そんなことが可能なのでしょうか? 選挙で白黒を決したことで、両派閥が再び結束するなるなんてことがあり得るだろうか? あり得ないし、あってはならないことだと思います。そんな欺瞞に満ちた挙党体制を私たちは見たい訳ではない。端的に言って負けた方は党を割るべきだし、そこから政界再編の第二幕が始まるというのがあるべき方向でしょう。この国ではまだしばらく政治的な混乱が続くことになりますが、半世紀以上も続いた政治構造を転換するのですから、ことが一朝一夕には成らないのは当たり前の話です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »