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2010年8月 8日 (日)

本当に必要なたったひとつの金融政策

 このブログで財政問題について最初に取り上げたのは、セイニアーリッジ(シニョレッジ)政策のことについて書いたこちらの記事でした。これも私が愛読している「経済コラムマガジン」というページで、政府貨幣という考え方があることを知り、これに触発されて書いたものです。まだマイナス利子のお金のことも、ベーシックインカムという言葉も知らなかった頃の記事です。先日の記事で取り上げた原田泰さんの本を読んでいたら、セイニアーリッジ政策に関するとても大胆で、しかも説得力のある文章に出会いました。『奇妙な経済学を語る人々』という本の中にある「デフレは生活コストを下げるよいものか」という論文です。出版は2003年ですから、小泉内閣が進めていた構造改革の真っ只中ですね。しかし、ここに書かれていることは今もまったく古びていないと感じました。それどころか、デフレによる景気の停滞が止まらない今こそ、何を措いてもセイニアーリッジ政策の発動が待ったなしなのではないか、そういう気持ちにさせられたのです。それくらい原田さんの議論には強い説得力がありました。

 原田さんご自身は、セイニアーリッジ政策だとか通貨発行特権といった言葉は使っていません。それどころか「日銀の国債引き受け」政策に好意的な人が自説を補強するためにいつも持ち出す「デフレギャップ」なんてことにもひと言も触れていないのです。おそらくそんなコトバでカムフラージュをするから、この政策は何かいかがわしい〈禁断の政策〉めいて聞こえるのだ、そういう隠された信念があるのかも知れません。論文では、長く続くデフレがいかにこの国の経済を停滞させて来たかということを、いろいろな例証を挙げて説明したあと、いきなり重大な結論に跳び移ります。ここからは本文を引用しながら説明を続けることにします。自分の文章でリライトするよりも、本文を読んでいただいた方がずっと説得力がありそうに思えるので。

「必要なのは、デフレを終わらせることである。デフレを終わらせるために必要なのは、お札を刷ることだけである(日本銀行が、なるべく公平な形で資産を買うことである。すなわち、まずは国債の買い切りオペの増額が望ましい)。」

 短い文章のなかで、たいへん重要なことがさらりと語られています。日本のお金と言えば「日本銀行券」のことですから、お金を刷るということは日銀券を追加発行するということです。最近は財政赤字の解消策として政府紙幣の発行を主張する人も増えていますが(私も主張しました)、現在のお札とは異なるデザインの政府券を発行して、日銀券と一緒に流通させるなどというのは、(経済学者の目からはともかく)生活人の目から見てあり得ない選択肢です。しかし一方で、政府から(一応)独立した立場の日銀が、何も無いところから打出の小槌のように日銀券を発行出来る訳でもない。だから日銀による国債の買い切りということになる訳です(買い取った金額分の日銀券が新たに発行されることになります)。

「幸か不幸か、日本には700兆円の国債、地方債がある。それを全部買い切って、途中でインフレにならないということがあるだろうか。もし、ならないのであれば一向にかまわない。日銀が買い切った額だけの通貨発行益が財政収入として得られるわけだから、それだけで財政再建ができてしまうことになる。それでもインフレにならないのなら、税金を徴収することをやめて、財政支出をすべて通貨発行益でまかなえばいい。日本は無税国家になれる。
 もちろん、こんなうまい話はない。途中で必ずデフレから脱却することができる。そして、インフレ率が2%前後になった時点で買い切りオペを中止すればよいだけである。」

 単純明快な論旨だと思います。世界にはインフレに悩む国が多いのに、日本は逆に長いあいだデフレで悩んでいる。たぶんそんな国は他にはありません。これは何かがおかしいのです。何がおかしいのかと言えば、こういう状況で当然採られるべき金融政策が採られて来なかったということなのですね。つまりお札を刷るという政策です。莫大な額の国債が出回っていて、しかもデフレ経済から抜け出せないなんて、考えようによっては政府にとってこんなおいしい状況は無いとも言えます。なにしろデフレ脱却のためにお札を刷ってもいい、いやむしろ積極的に刷るべきだというお墨付きを与えられているようなものですから。日本では潜在的な供給力に対して需要が不足している、そんな議論に巻き込まれたら果てしなく論争が続くだけです。それよりも、論より証拠、700兆円の国債・地方債があって(現在は800兆円以上)、しかもインフレにも円安にもなっていない訳ですから、セイニアーリッジ政策は政府にとってひとつのオプションではなく、むしろ履行すべきひとつの義務だと言ってもいいくらいだと考えられるのです。では、何故そんな当たり前の政策が実行出来ないのか?

「この状況で、デフレを阻止するためにインフレターゲット政策を採用し、国債の買い切りオペを拡大していけばどうなるだろうか。金融緩和によって、名目金利が上昇した場合、長期国債の価格が下落する。金融機関は短期で借りて長期で貸しているため、純資産が減少する危険がある。すなわち、日本銀行がインフレターゲット政策を採用し、消費者物価上昇率が2%になるまで断固として国債の買い切りオペを続ければ、マネーサプライが上昇し実質金利が下がるが、やがて景気が回復し、物価も名目金利も上昇する。名目金利が上昇すれば、国債価格が下落する。銀行が多大な国債を抱えている現状では、それによって多くの損失を被るかもしれない。」

 金利が上昇すれば国債価格が下落するというメカニズムは、(原田さんも書いているとおり)簡単な理屈です。年利1%の10年もの国債を持っている人は、もしも金利が上がって年利3%の国債が発行されたら、当然買い換えたいと思うでしょう。でも残存期間がまだ何年もある1%国債を額面価格で買い取ってくれる人はいません(それなら3%の新規国債を買った方がずっと有利な訳だから)。長期国債を持っている人にはインフレを恐れる理由があるのです。そして日本で誰が国債を大量に持っているかと言えば、銀行や証券会社や生命保険会社といったところである訳ですから、そういう企業のなかには金利上昇によって経営が苦しくなったり、倒産するところも現れるかも知れない。しかし、そうした(国債を大量に抱えている)金融機関を救うために日本をデフレ漬けにしておくことはナンセンスだと原田さんは言います。もしもインフレターゲット政策を採用せずに今のままの状況が続けば、銀行のみならず、財政も年金もすべて破綻してしまうだろう、と。

「銀行がいずれ破綻しなければならないとしたら、今、わずかな銀行が破綻した方がずっとよい。しかも、国債を大量に抱えている銀行が破綻した方がずっとよい。銀行が破綻して困るのは、銀行の貸出先の企業が雇用を抱えているからだ。国債を大量に抱えている銀行とは、その分だけ貸出先が少なく、破綻しても雇用問題がそれほど深刻でない銀行だ。将来の大きな損失を避けるために、今、小さな損失に耐える方がましではないだろうか。しかも、破綻するのは大きな雇用問題を抱えていない銀行である。これこそが、理想的な構造改革ではないだろうか。少なからぬエコノミストの唱える構造改革とは空語であり、デフレ脱却と過大な銀行部門の整理という真の構造改革を行わないための口実である。」

 なかなか辛辣ですが、納得出来る説明です。私のような経済の門外漢でも、金利の上昇→国債価格の暴落→銀行の破綻→ハイパーインフレの到来ということが、なにか当然の図式のように頭にインプットされています。きっとどこかで読みかじった知識なのでしょう。でもこの本によれば、日本の銀行の資産のうち国債が占める割合はわずか1割程度なのだそうです。その国債の価格が1割下がったとしても、資産の目減りは1パーセントに過ぎない。それでもつぶれてしまう銀行があるならば、そういう銀行は国債を貯め込む一方で貸し渋りをしていたような銀行でしょうから、つぶれてもらっても日本経済にとって大した損失ではなさそうです。とにかく日本では家庭部門があまり国債を持っていないことが救いです。次に引用するのは、この論文の結論と言ってもいい部分です。

「デフレこそが構造改革を妨げている。デフレ不況のなかで、日本人は自信を失い、希望を失い、解決策にならない政策をめぐっての堂々巡りを続けている。誤った金融政策でデフレが続くからこそ、景気対策が求められ、公共事業が肥大化し、財政支出の効率が低下し、構造改革が必要になる。デフレが続くからこそ、銀行の経営が悪化し、公的資金の注入が求められる。税金で銀行が救われるなら、俺も救えというモラルハザードが蔓延するのは当然である。倫理の欠如も、自信の喪失も、これまでの日本人には見られなかった鉄面皮な態度も、すべてはデフレのなせるわざである。そしてそれを引き起こしたのは、90年代から続く、誤った金融政策だった。一見、構造問題に見える公共投資の増大、公的金融機関の肥大化も、デフレのもたらす不況によって生じたものである。デフレ脱却によって生じるマイナス、名目金利の上昇による国債価格の下落など取るに足りぬマイナスである。
 デフレを終わらせるとは、大きな利益のために小さな利益を捨てることだ。構造改革とは、大きな利益のために小さな利益を捨てることなのだから、デフレ脱却こそが最大の構造改革である。」

 この本が出版された2003年当時よりも、今はもっと事態が悪化しています。民主党は待ったなしの財政再建に向けて、事業仕分けだとか消費税率のアップだとか、迂遠な政策で足踏みをしている場合ではないと思います。国の予算のうち、今年はとうとう約二分の一が税金ではなく国債で賄われるという事態になってしまいました。国債の大量発行が始まったのは、小渕政権下の1998年からですから、今後はまさに国債の大量償還時代という未知の領域に突入する訳です。国の財政が大量出血をしている今、必要なのは止血という応急処置です。日銀の国債引き受けについては、財政規律を乱すものだという意見もあるかと思いますが、そこで得られる通貨発行益が既存国債の償還という目的のためにだけ使われるのなら、財政規律の混乱を心配する必要もないと思います。ましてやそれを実行するのが、国債を大量に発行した前政権から交代した新政権であるならばなおさらのことです。

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コメント

お金をいっぱい刷っても意味ありません。
なぜか。そう、刷ったお金が銀行に流れようとも、貸す価値がない企業に貸せば、下手すりゃ不良債権化しますので、それじゃあ、銀行は困るのです。
新生銀行の二の舞ですぜ。

つまり、規制緩和が急務なんですね。規制なんてものは老人の既得権益にすぎないですから、とっとと緩和しちゃえばいいのです。
そうすれば投資機会も増える可能性がでてきますから。

投稿: バーナンキ | 2010年8月12日 (木) 04時06分

増刷されたお金は、銀行を介して民間に貸し出される訳ではありません。それは単に国の負債を帳消しにするだけです。簡単に言えば、政府の借金棒引きですね。それはすなわち今日の減税あるいは将来の増税抑止につながります。そして税負担が軽くなることによって景気が回復すれば、民間の資金需要も増加する。これがことの順序です。お金を刷っても意味が無いなんてことはないと思いますよ。

投稿: Like_an_Arrow | 2010年8月13日 (金) 10時23分

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