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2010年6月 6日 (日)

政策としてのベーシックインカム論(1)

 世間は突然の首相交代でかまびすしいけれども、私たちはそんな目先の小さな変化に目を奪われることなく、もっと重要ないつもの問題に戻りましょう。中央公論の6月号に、原田泰(はらだゆたか)さんという方のベーシックインカムに関する論文が掲載されています。経済企画庁や財務省で要職を務めたあと、現在はエコノミストという肩書きを持つ人のようです。最近はベーシックインカム(BI)について書かれた文章を目にすることも珍しくなくなりましたが、これを実現するための方法論について考察されたものはまだまだ少ないような気がします。そういう意味で、この論文はとても興味深く読むことが出来ました。大手の論壇誌にこのような文章が載るということは、BIが理念として論じられる段階を過ぎて、具体的な政策として論じられる段階に来たことを示しているのかも知れません。今回はこの論文を読んで感じたことについて、思いつくまま書いてみたいと思います。これから自分としても〈政策としてのBI〉について考察を深めていかなくてはならない、そのためのきっかけにしたいと思うのです。

 原田さんの論文は、BIが所得制限無しの一律給付であるべきことの理由づけから説き始めて、BI論議ではおなじみの「想定される批判論」への回答で締め括られています。そのために文章全体の焦点が多少ぼやけているように感じられるのですが、この論文の真骨頂と言うか、独自の価値は、具体的な数字を挙げながらBI実施のためのシミュレーションを行なっている点にあります。よく読むとなかなか大胆な考え方が含まれていて刺激的な内容です。ツッコミどころ満載と言ってもいい。実は私はそういう論文が大好きなのですが、要旨をまとめれば以下のようになります。

  1. BIの支給額は月額7万円、年額84万円。
  2. 支給対象年齢は20歳から64歳まで。65歳以上は年金があるのでBIの対象外。
  3. 主な財源は所得税。従来の累進課税を廃止して、一律30パーセントのフラット・タックスを採用。
  4. 所得税に対する各種控除(配偶者控除、扶養控除、基礎控除)も廃止。
  5. 未成年にはBIが支給されない代わりに、子ども手当は継続。
  6. 生活保護、雇用保険は廃止。その他の福祉費も半分に削減。
  7. 雇用対策としての側面がある公共事業や農業予算なども大幅削減。

 まず私にとって目新しかったのは、年金受給年齢に達した人にはBI支給が必要無いという考え方です。なるほど、もしもそうならBIの財源問題を考える上では非常に助かる話です。特にこれからの高齢化社会では、所得税を払わないけれどもBIをもらう人がどんどん増えることになる、これはBI推進派にとって頭の痛い問題だった訳です。でも、そうでした、彼らには年金があったんですね。もちろん反対意見はあると思います。BIが制度としてスタートした時点で65歳以上である人にとっては、特に不公平感が大きいに違いありません。彼らはまったくこの新制度の恩恵を受けられない訳ですから。ただ、これはBIという政策が持つ避けられない問題だとも言えます。子供の頃からBI(のようなもの)がある社会を夢見て大人になった私などから見ても、いまさらBIが創設されても、自分の人生、もう手遅れだという気持ちが強い(笑)。現在の日本の社会は、高齢者に優しく若者に厳しい社会だと言えると思います。その理由は、比較的経済的にも恵まれた高齢層が既得権を手放さないからです。年金というのは、払い込んだ金額よりもたくさんの配当をもらえるというたいへん結構な制度ですが、その恩典を受けられるのはお年寄りだけです。BIというのは、いわば二十歳からもらえる掛け金の要らない年金のようなものですから、これは端的に言って若者を支援する制度だと言えるでしょう。近年、この国で若者に希望を与えられるような政策が立案されることは、絶えてありませんでした。ここまで深刻な世代間格差が定着してしまった背景には、政治的な作為(あるいは無作為?)があった訳です。このバランスを回復するためにも、年金受給年齢までの〈つなぎ〉の支援策としてのBIというのは当を得たアイデアだと思うのです。

 すぐに出て来る疑問は、年金受給資格を持っていない高齢者はどうするのかということです。年金の未納問題は最近に始まったことではないし、現実に基礎年金さえ受け取れないお年寄りはたくさんいるのですから。そういう人たちが制度のはざまに取り残されてしまう。もしも特例として彼らにもBIを支給するとしたら、真面目に年金を納めて来た人たちから不満が噴出します。いや、それ以前に若い人たちだって誰も年金など払わなくなる。年金制度そのものが崩壊してしまいます。考えられる対応策はひとつしか無いと思います、年金を受けられない65歳以上の人に限って生活保護制度を残すというものです。生活保護ですから、収入や資産を持っている人は受けられません。厳格な資力調査(ミーンズテスト)もここだけは残さざるを得ない。BI推進派としてはとてもつらいところだけれども、仕方がありません。この問題は、いまのままでは持続不可能な年金制度を、この先どうやって立て直して行くかというもうひとつの難問とつながっています。こちらはすでに長年に亘って年金を納めて来た既得権益者がたくさんいるという点で、BIの導入よりも実はもっと難しい問題だろうと私は考えています。ゆくゆくは年金制度もBIに統合してしまって、少なくとも基礎年金の部分はBIで置き換えて行くのが正解だろうと思うのですが、難しいのはそこに至るまでの工程です。これは私の予測ですが、もしも今後本格的なBI論議が政治の舞台に乗って来るとすれば、それは年金改革という文脈のなかで要請されたものとして現れて来るような気がします。もっと簡単に言えば、日本の年金制度を救うものはBIかも知れないということです。でも、これはまた改めて考察すべき問題ですね、いまはここまでにしときましょう。

 原田論文のもうひとつの大胆な提案は、一律30パーセントの定率所得税の導入ということです。2008年の雇用者所得は262兆円だそうで(GDPの5割強)、単純にこれに3割の課税をすれば79兆円の税収になりますから、それだけでBIの財源としては十分で、お釣りまで来るというのです(原田方式ではBIに必要な費用は63兆円になります)。同じ年の所得税の税収が16兆円であることを思うと、にわかには信じられないような話です。と言うよりも、所得総額が262兆円もあるのに、税収が16兆円しかないということの方が不思議ですね。単純に計算しても、総額で6.1パーセントの徴税しか出来ていない。Taxrate_7 これはいろいろな税控除があるために、実効税率がとても低いレベルに留まっているということなのでしょう。 現在の所得税率(右の表) を見てみれば、6.1パーセントという実効税率がいかに低いものであるかが分かります。BIがあることを条件に各種の税控除を廃止するというのは、BI論議のいわば暗黙の前提ですから、それだけでもかなりの税収増が期待出来ると考えられます。「税控除無しのフラット・タックス」という方式は、シンプルで公平感も高いので、私自身はとても魅力的だと思うのですが、いきなりそこまで大胆な税制改革を断行しなくても、もう少しマイルドな方法があるような気もします。それに、原田さん自身も注記されているとおり、一律30パーセントの税率では、年収400~1000万円の中間層がBIを加算しても実質的に年収ダウンしてしまうんですね。ここは給与所得者の人数分布でもボリューム・ゾーンなので、この層からの賛同が得られなければ政策としての実現は難しいと思います。また数の上では少数派の高額所得者(現行は税率40パーセント)が、BI導入に合わせて25パーセントもの減税になるというのもバランスが悪いような気がします。

 ということで、私も原田さんに倣って月7万円のBI支給を目標に所得税率の改定案を作ってみました。ポイントは年収が低い人ほどBI導入による恩恵を多く受けられ、途中で逆転現象が起こらないようにすることです。そのために累進課税の仕組みは残します。現在は最低税率が5パーセント、最高税率が40パーセントのところを、最低税率20パーセント、最高税率45パーセントまで引き上げます。累進性を現在よりもなだらかにするため、年収100万円ごとに1パーセントずつ上昇して行くように設定してみました。国税庁のページにあった「民間給与実態調査(2008年)」の表をもとに、新しい税率で国の税収と個人の納税額をシミュレートしたのが下の表です。(クリックで拡大します。)

Taxsim

 給与所得の総額207兆円に対して、所得税の総額が47兆円になっています。(計算が正しいかどうか、気になる方はエクセルで確認してみてくださいね。) これだけでも現在の所得税16兆円に対して30兆円以上の税収増になります。(現状の税率でも計算上は26兆円近い税収になるのです。それだけ控除額が大きいということです。) この表は民間企業の給与所得者についての集計ですから、自営業者や公務員を含めれば、給与総額も税収額ももっと大きくなります。原田さんの挙げている262兆円というのは、それも含めた総額なのでしょう。もしもその部分の所得分布がこの表のものと近いならば、トータルの所得税額は60兆円くらいになると想定されます(47.5×(262/206.8)≒60)。もうこれだけで目標の63兆円にほぼ近付きましたね。さらにこの表から分かることは、こういう設定の累進税率なら、年収2280万円の人でもBI実施後の年収が(わずかですが)プラスになるということです。(さすがに年収4100万円の人は、76万円の増税になります。) なんだか数字のトリックのような気もしますが、これは税控除の影響を考慮していないからそう見えるだけで、現実にはどこかで収入減が発生するのだろうと思います。税控除は、同じ収入の人でも条件によって異なりますから、それを一律の税率設定で是正することは不可能です。と言うより、もともと選別主義に基づいた税控除と一切の選別をしないBIとは、基本的な思想において相容れないものなんですね。

 私の結論も原田さんと同じです。BIは現在の経済の仕組みのなかでも問題なく実現出来る。BIというのは、つまるところ所得の再分配政策の一種に過ぎないということを再認識しましょう。262兆円もの個人所得があるのに、なんだかんだと理由をつけて税控除を設けたために、最終的に16兆円しか所得税収入が無い。これは政治による所得の再分配がうまく行っていないことの何よりの証拠でもある訳です。何度でも同じことを書きますが、国全体で見て供給力が需要力を上回っているいまの経済状況では、所得(または資産)の再分配を適切に行なっただけで、経済の歯車がうまく回り始める可能性が高いのです。BIというのは経済政策の最終目標ではありません、生産性が高まり豊かになった時代が要請する当たり前の仕組み、これからの時代の経済にとっては欠かせない前提条件なのだと思います。原田さんの論文には、公共事業の妥当性に関する問題だとか(「能力のある人が無駄に働くことのコストは、働かないことのコストよりもずっと大きいのではないだろうか」)、国内で働く外国人労働者の問題だとか(「移民は、年500万円以上を間違いなく稼げる人に限定して認めるしかない」)、政策としてのBIを考えるに当たって、避けては通れない重要な問題についての言及もあります。これにインスパイアされた自分としても、もう空想的な夢見るBI論議は卒業して、現実的な政策論としてのBIに考察の軸足を移したいと考えるのでした。

(※追記です。本文中に掲載した税額シミュレーションの表に若干の誤りがありましたので修正しました。これに合わせ本文の数字を一部直したところがあります。また、読者の方が自由にシミュレーション出来るよう、もとのエクセルファイルもアップしておきます。2010年6月12日)

「Tax_Simulation.xls」をダウンロード

(※さらに追記です。この記事は連載として続きを書いて行こうと思い立ちました。そのためにタイトルを少し変え、通し番号を付けました。続編はこちらになります。2010年6月20日)

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コメント

所得税を一律にすると、納税額を割り出すのがシンプルになるので、
納税コストが下がる(人に頼むとは人件費が高い)、他良いことが多いと思う。

年金受給者にはベーシックインカムを渡さないという条件設定をするのは面倒(なるべくシンプルなのがいいと思うので)、年金はベイシックインカムが支給されることを前提に再計算して、支給額を減額して年金そのものを民営化した方がいいと思う。

未成年に関しては、子供手当があるのでいらないというのはその通りだと思った。

投稿: yasuyasu | 2010年6月 7日 (月) 00時28分

BI=所得税・累進性イキ賛成です。。

大勢はフラットタックス派が多いようでが。

BI実施後の雇用流動化による、所得分布がどうなるか(基本的に格差は拡大する気がします)を考えた場合、フラットタックスは危険性高すぎと思います。

現状ベースを前提で、試算するのは如何なものか??

どう考えても、累進性イキで、社会実験後フラットタックスに変えられれば、変えるが現実的だと個人的には思いますです。

投稿: ヒロタロウ | 2010年7月 1日 (木) 19時37分

初めまして。
その原田論文が発表されて以降の情勢を考えると、
BIが導入されるとすれば、
その財源は消費税の増税によって賄われるのだろうかというような状況ですね。

消費税を上げるにしても、インボイスなる仕組みが無ければ機能しにくいという面があるようなので、
所得税で賄うよりかは難しそうですね。

投稿: 小野山 | 2011年1月 1日 (土) 04時27分

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