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2010年6月20日 (日)

政策としてのベーシックインカム論(2)

 6月号の『現代思想』がベーシックインカム(BI)の特集を組んでいます。書店で『現代思想』なんて雑誌を買ったのは何年ぶりだろう? たぶん20年ぶり、いや、もっとかな? この2週間、通勤の鞄に入れて電車の中で読んでいました。全部の記事を熟読したという訳でもないのですが、BIをめぐっていまどんな議論が戦わされているのか、だいたいの見取り図がアタマに入ったような気がしました。なるほど、ずいぶん難しい問題が論じられているんですね。(『現代思想』なんだから当たり前か。笑) 「ネオリベ」だとか「リバタリアン」だとか、特定のレッテルを貼って人や思想を分類しようとするやり方に私はどうしても馴染めない。昔からそうでした。ベーシックインカムが机上の理想論ということで反論されることは当然としても、あるいは「働かざるもの食うべからず」という旧い倫理観から嫌悪されることは理解出来るとしても、現代思想という閉鎖された空間のなかで、一般人の手の届かない議論に落ち込んでいることに対しては、違和感、というか一抹の寂しさを感じるのです。自分にとってBIとは、ただただ晴れやかで喜ばしくあるべきものだから。いや、2年も前からBIについていろいろ書いて来たくせに不勉強も極まりないですね。BIエバンジェリストの行く手に立ちはだかるものは、勤勉を尊ぶ日本人のメンタリティだけではないようです。

 以前私が非常な感銘を受けたBI論の筆者、関曠野(せきひろの)さんも一文を寄稿されています。いろいろな人がそれぞれの立場から現実的な(?)BIを論じているなかで、関さんの論考だけが異彩を放っているといった印象を受けました。ふつうBIを論じる人は、いまの財政のなかでどうやってそれを実現するかという点でアイデアを競う訳ですが、関さんの論点はそれとはまったく違います。C.H.ダグラスの「社会信用論」を足がかりに、私たちが当たり前だと思っている現在の貨幣経済を疑うところから議論は出発するのです。ですから、関=ダグラス理論によってBIが実現したとしても、毎月私たちに支給されるお金はいまの日本円ではありません、新しい政府通貨なのです。過激な思想でしょう? 日本円ばかりでなく、米ドルもユーロもその本質は銀行マネーであり、要するに元々は誰かの借金です。負債によって駆動されているこのネズミ講のような経済体制を大転換させない限り、世界経済は今後もバブルとその破綻というサイクルを繰り返すしかない。この基本的な認識に私もまったく同意するのですが、ただこのような〈大きな思想〉が具体的な政策となって実現する可能性は非常に小さいということもまた認めざるを得ません。今回の関さんの論考でも、テーマは社会信用論の理論的な妥当性ということよりも、その実現の困難さということにフォーカスされています。「社会信用論が議会制国家と馴染まない根本的な理由は、先述したように近代租税国家は銀行マネーと一体の制度だからである。それゆえに議会制や政党政治の枠内で通貨改革やBIが実現する可能性はゼロと見ていい。そして問題はこの租税=議会制国家にとって代わり社会信用論をプログラムとして実現することが可能になる政治共同体とはどんなものなのか私も含めて誰にも見当がつかないことである。」

 いまこの引用文を書き写しながら、ひょっとしたら中国政府が人民元を使ってやるなら、これに近い政治体制が実現するかも知れないという考えが脳裏をかすめました。が、そのアイデアに深入りするのは止めましょう。すでにBIに関する夢物語はこのブログでさんざん書いて来ましたし、今回の記事では、いまの日本の政治体制および経済状況のなかで、どうやればBIが実現出来るか、そこに論点を絞りたいと思っているからです(たぶん不定期の連載になると思います)。だから導入のためのハードルが高そうな「減価貨幣」だとか「政府通貨」といったおなじみのアイテムも、今回は封印するつもりです(とても残念だけど)。前回の記事ではエコノミストの原田泰さんの政策論を取り上げましたが、『現代思想』の特集巻頭には日本におけるBI研究の第一人者である小沢修司さんの構想が掲載されています。今回はこれをもとに考えてみます。さすがに専門の研究者である小沢さんのプランは緻密で、BIによって代替することの出来る社会保障費を個別に検討しながら、削減した社会保障費と所得税とでBIの財源が確保出来ることを示しています(そのためには所得税率は一律45パーセントになるそうです!)。私がびっくりしたのは、BI導入で廃止される社会保障費のなかに厚生年金を含む老齢年金・遺族年金がすべて含まれているということです。BIと年金というのは全く別の制度なので、たとえBIが導入されてもすぐに年金を廃止するなんて出来っこない、そう私は考えていました。これに関して前回取り上げた原田論文では、年金受給が始まる65歳を境にBIから年金に切り替えるというアイデアを提示していました。それでもずいぶん思い切った考え方だと思ったのに、BI研究の第一人者がこうも簡単に年金廃止を計画に織り込んでしまうだなんて…

 私はまだ小沢さんの著書を読んでいないので、単なる〈早とちり〉かも知れませんが、経済学や社会学の専門家である人たちが、単なる数字合わせでBI構想を論じているように見えることは、ひとりの生活人として大いに不満です。考えてもみてください、すべての国民にBIが支給されるようになるからといって、年金が廃止されることにあなたは文句が無いですか? 二十歳の若者ならいざ知らず、すでに年金受給資格が成立している自分のような中高年からしてみると、これはとんでもない話です。年金で老後の生活プランを立てている人たちの多くは、月に6万円程度の基礎年金だけを当てにしている訳ではないからです。厚生年金や共済年金に加入していた人は、納付期間や納付額によっても違いますが、月にまあ15万円とか20万円といった金額が支給されるだろうと皮算用をしている(甘いかな?)。それが一律8万円のBIで置き換えられてしまったら、いくら我慢強い日本人でも暴動が起きますよ。このことひとつ取っても、とても小沢方式は現実的な政策提案とは言えない気がします。年金問題が難しいのは、この制度がまだ受給資格を持っていない人たちも含めて、二十歳以上の日本人のほとんどすべてに複雑な既得権の網を張り巡らしてしまっているからです。もしもこれが原田方式ならば、65歳になると同時にBI支給は打ち切られてしまい、老後は従来の年金が支えることになりますから、BIという新制度への不満は(高齢層から)出るにしても、年金における既得権が侵されるという事態にはならない。この点だけを考えれば、原田案の方が優れているし、現実味もあるだろうと思います。

 それにしても、小沢論文に掲載されている数字を見れば、BIを論ずるためには年金制度改革案とセットでなければならないということがはっきり分かります。BI導入によって社会保障費が大幅に削減出来るということが、まことしやかに語られている訳ですが、これも実はウソだということがよく分かります。小沢さんの試算によれば、BIによって削減可能と思われる社会保障費は52兆円にも上るのだそうです(2007年の統計)。でも、実はそのうちの46兆円は年金の給付金なんですよね。BIによって確実に削減出来ると思われる生活保護費や失業給付などは、BIの原資として期待するには桁がひとつかふたつ足りないのです。原田さんのように、年金とBIを截然と分けてしまうのもひとつの考え方ですが、長いスパンで考えればBIと年金を融合させて行く方向性が、やはり政策として検討されるべきでしょう。「百年安心」なんて見え透いたキャッチフレーズを信じている人なんてもう誰もいませんし、経済成長が止まったこの国において、現在の年金制度が持続可能なものではないことは明白なのですから、65歳以上の高齢者を年金制度に丸投げした前提でBIを構想するというのは無責任な議論ではないかと思う訳です。いや、それよりも、BIを論じる人の多くが、現在の財政支出を組み換えることでBIの実現可能性を証明しようとしているところに不誠実さを感じますね。いまの日本の財政は、予算の半分以上を国債に頼っているという異常事態に陥っている訳ですから、それと同じ枠組のなかでBIが実現可能に見えたとしても、それは持続可能な制度ではあり得ない。BIを考えることは、「国家百年の計」を考えることです。ということは、BIを論じる人は、日本の財政の百年先までの持続可能性にも責任を持たなければならないということでもあります。

 また議論の風呂敷が広がりかかっているぞ。現実的な政策の問題に話を戻しましょう。(この連載では、筆者はまだどんな結論も持っていません。書きながら考えて行こうというスタンスです。そのために議論が行きつ戻りつするのはご容赦ください。) 国家財政をすべて考慮に入れながら、持続可能なBIを構想することはたいへんな難問ですが、国民の目線からどういうかたちでならBIと年金が統合出来るか、統合して納得出来るかという方向性なら比較的容易にアイデアを出せるような気がします。残された時間でそれを簡単に描写しておきましょう。すでに書いたように、年金制度を変えることが難しいのは、既得権を持った人が不満を持つだろうからです。二十歳以上の国民が全員加入している(筈の)国民年金部分だけを考えてみましょう。国民年金の受給額は、最高額(二十歳から60歳まで40年間納付した場合)でも67000円ですから、それより多い金額が支給されるなら問題は無い…かと言えば、そういう訳にはいきません。真面目に掛け金を納めて来た人も、そうでなかった人も同じ一律のBIを受け取って、年金制度は解消するというのでは、ほとんどの国民は納得しない筈です(少なくとも私は納得しない)。しかもこれが年金の二階建て部分(厚生年金や共済年金など)まで廃止されたのでは暴動が起きる…ということはさっきも書きましたね。では、こうした不満をなるべく解消するかたちでBIと年金をどう作り変えて行くか?

 まず、二十歳以上の国民全員に月額7万円のBIを支給することを前提とします。その月から国民年金の納付制度は廃止します。つまりこれ以降誰も掛け金を払う必要は無くなるし、また払う権利も無くなるのです。すでに納められた納付実績は別会計として管理しておき、それを原資に国民年金の制度自体は継続します。具体的に言えば、最長40年から最短1ヶ月までの納付期間に正確に比例した支給額を算出し、一度でも国民年金に加入した実績がある人なら、65歳に達した時点でその金額がBIに上乗せされるかたちで支給されることになるのです。これ以降、国から国民年金に対する追加の支出も原則的には無くなります。いまある積立金を、経済成長率や国民の平均余命などをもとに適切に割り振って、使い切ったらそれでおしまい。(それまでに7、80年はかかるでしょう。) 一方、厚生年金や共済年金などは今後もいまの方式を継承して存続させることとします。これは労働収入の途絶える老後の備えです。加入は完全に任意とし、国や事業者負担をどうするかは別検討ですが、会計的にはなるべく独立性の高いものにします。当然、現在より支給水準は下がる可能性が高くなりますが、これは持続可能性のためなので仕方ありません。それでもなんとか生きて行けるようにBIを創設するのですから、この問題は手当てされている訳です。理論的に考えれば、以上の基本方針が一番フェアで納得感のある年金・BI統合案ではないかと思うのですが、いかがでしょうか? これが認めてもらえるならば、そこから初めて現実的なBI論議に入れるようになります。そしてそれは原田さんや小沢さんが試算したものとは違う内容のものになる筈です。次回はもう少し詳しくこのプランの実現可能性について考えてみようと思います。(考えた結果、全然実現可能性が無いという結論になるかも知れませんが。笑)

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コメント

こんにちは。突然のコメント失礼します。。

私も現代思想六月号やっと読みました!!

小沢修司氏は月八万/総額115兆→所得税フラット45%は知ってたのですが・・・・厚生年金他年金二階部BIに代替だったのですね・・・・

>年金で老後の生活プランを立てている人たちの多くは、月に6万円程度の基礎年金だけを当てにしている訳ではないからです。

ちょっと、補足説明させて頂きます。(私の推測ですから、絶対あってる保証はありませんが・・・)
厚生年金に関しては、払い込み料に対応する払戻しが発生する筈です。積立金に対する債務超過等ありますが、その清算に関して、類似の提案・過去ありました。

2002経済同友会_年金改革
http://www.doyukai.or.jp/database/teigen/021205_1.pdf
(PDF五枚目以降等、後半部ご参照)

多分、このような清算・解体を想定しているのではないかと、まちがってるかもですが、類推されます。
ご参考まで。大変乱文にて失礼します。。

(類似の議論で、現状の厚生年金を完全積立方式に復元する際の、二重の負担をどのように付け替えるかという議論も逆バージョンですが、参考になると思います。)

投稿: ヒロタロウ | 2010年7月 1日 (木) 17時58分

さきほど、コメントしたものです。。

政策としてのベーシックインカム論(3)・・・を読まずに
コメントしてしまい・・・・大変失礼しました!!。。

自分もBIと年金の関係に興味があり、ただ、あまり、そういう記事無く、大変興味深く読ませて頂きました。。

そうなんです、(3)で仰ってるように、年金の一階と二階部って、相当ゴマカシだらけという気はしています。そもそも1985年に結合した際の理由が、一階・国民年金が立ち行かなくなったことだと思われ・・・必然的にかなりいい加減では・・・と思ってます。

大変乱文にて失礼します。

投稿: ヒロタロウ | 2010年7月 1日 (木) 18時31分

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