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2010年6月27日 (日)

政策としてのベーシックインカム論(3)

 政策としてのBIを考える前提として、現在の年金制度を何とかしなくちゃならない、これが前回の問題認識でした。まずは国民年金(基礎年金)の部分から見て行きましょう。私の基本的な考え方は、国民年金はBI創設に合わせて廃止するというものでした。但し、すでに9600万人もの人たちがなんらかのかたちで国民年金を納めていて、そこに既得権を持っているのですから、いきなり廃止してBIに乗せかえるという訳にもいかない。でも、この問題を解くのは実は簡単なことではないかと思っています。世間でネズミ講が事件になった場合、事後処理としてやるべきことは決まっています。主催者が保有する資産を可能な限り保全して、それを被害者に適切に分配すること。国民年金というのは、いわば国が仕掛けた大規模なネズミ講のようなものだった訳ですから、ここでもそのやり方を適用すればいいのです。もちろん出資した金額のほんの一部しか返って来ないことに被害者は不満を持つでしょう。でもネズミ講に引っかかる人には、自己責任というものもある訳だし、それは国民年金においても同じです。なんと言ってもこれは私たちが選び出した政治家が作った制度なんですからね。前回の記事では、積立金は65歳以上になった人にBIに上乗せするかたちで返還するというアイデアを書きましたが、考えてみればそんな面倒なことはまったく必要ありませんでした。いまこの時点で一括で返金してしまえばいいんです。そうすれば国民年金を管理する組織も解散出来るし、事務処理も安上がりで済みます。

 この場合、いくらくらいのお金が私たちのもとに戻って来るのでしょう? ちょっと興味があるので試算してみました。まず現在国民年金にどのくらいの積立残高があるかということですが、厚生労働省のこちらのページを見てください。平成20年3月の公的年金の残高は、厚生年金が127兆円、共済年金が52兆円くらいあるのに対し、国民年金はわずか8兆円あまりしかないのだそうです。子ども手当を満額支給するための財源が5兆円くらいだったことを考えれば、いかにも少ない金額ですね。それに国民年金にしても厚生年金にしても、純粋な積立方式ではなく、国庫負担がある前提で運営されて来たのですから、たとえバランスシート上では厚生年金と国民年金の残高がそんなふうに分かれていたとしても、その金額に正当な根拠は無いのではないかと思います。もしも国民年金を廃止するなら、この点は調整が必要です。考えられる最も妥当な方法は、これまでに納付された実績と支出された実績に合わせて残高を計算し直すことでしょう。公的年金が国民年金と厚生年金(共済年金)の2階建て方式になった昭和61年以来、それぞれの年金でどれだけの納付と支出があったのか、ネットで調べてもちょっと分かりませんでした。(分かったのは公的年金というものが相当などんぶり勘定であるということだけです。) まあ、いまは正確な数字である必要はないので、それぞれの年金の支給金額で比較しましょう。先ほどのページの表によれば、平成19年度の年金支給額(月額)は国民年金が1.51兆円(平均5.8万円×2601万人)、厚生年金と共済年金の合計が2.64兆円(平均17.6万円×1502万人)ということになります。つまり国民年金は、規模的に言って公的年金の約36.4パーセントを占めているということです(1.51/(1.51+2.64))。同じ表から公的年金の積立残高の合計は187.8兆円であることが分かります(8.3+179.5)。このことから国民年金の実質的な積立残高は68兆円くらいであろうと想定します(187.8×0.364)。

 この68兆円を、国民年金に一度でも加入したことのある人全員で分け合います。トータルで9608万人いる加入者(被保険者7007万人+受給権者2601万人)のあいだで、どのようにこれを山分けすれば最も公平感があるでしょう? 私のアイデアは納付した月数の比率で分配するというものです。国民年金の掛け金は時代によって変わって来ていますが、それは物価にスライドしていた側面もあるでしょうから、納付金額そのものよりも納付月数で比べた方が公平だと考える訳です。すると年金加入者のあいだには最短1ヶ月から最長480ヶ月(40年)までの序列が出来上がります。あとは全員の納付月数を合計して、68兆円をその月数で割れば1ヶ月当たりの還付金が求められます。その計算を正確にやろうと思ったら、たぶんインターネットでは見付からないようないろいろな数字が必要になりますから、ここでは深入りするのはやめましょう。ここは単純な仮定で行きます。もしもすべての国民年金加入者の平均加入年数を20年(240ヶ月)と仮定すれば、加入1ヶ月当たりの還付金は約3000円になります(68兆円/(9608万人×240ヶ月))。すなわち、40年間フルタイムで年金を納めた高齢者で最高144万円が還付されるということです(3000円×480ヶ月)。年金を25年間納めて来た50歳の人なら90万円(3000円×300ヶ月)、まだ5年しか納めていない若者には18万円(3000円×60ヶ月)が還付されます。それだけの一時金がみんなに配られて、それで国民年金はすべて店じまい。その翌月からは、国民年金よりも若干高額のBIが国民に一律に給付されるとなれば、生活に支障を来す人もいないし、誰からも大きな文句は出ないのではないかと思います。

 いや、それでも文句を言う人はいるでしょうね。この方式で国民年金を廃止するとすれば、一番割を食ったように感じるのは、長い年金納付の時代が終わってこれから年金を受け取る時代に入ろうかという団塊の世代の人たちだと思います。その少し下の50代の人間(私はそこに所属します)だって、不満は大いにあります。なにしろこれまでに数百万円は納めて来た筈なのに、戻って来るお金は100万円くらい、還付率は2割くらいしかないのですから。こんなことなら国民年金になど加入せず、自分で貯金を積み立てて来た方がずっとよかった(実際にはサラリーマンだからそういう選択肢は無かったのだけれども)。しかし、この不満はBIのある社会に移行するための心理的コストとして甘受しなければならないものだと私は考えています。厳密に言えば、すでに年金を受給している高齢者の方たちに対しては、これまでに受け取った月数に応じて還付金を減らすという考え方もあります。そうすれば、高齢者への還付率が下がるのと引き換えに、現役世代の人たちへの還付率はもう少し高くなる。その方がフェアだという意見もあると思います。しかし、私はその方法はあまり採りたくないのです。すでに年金制度の受益者になっている高齢者の多くは、戦中・戦後の苦しい時代を生き抜いて来た人たちです。団塊の世代からいまの四十代くらいまでの世代の人たちが、平和で豊かな戦後の日本に生まれて働いて来られたのも、私たちの親の世代である彼らの苦難があったからこそだとも考えられます。BIという政策の本質は、国全体がより若い世代へ投資することにより、この国の未来を切り拓くということにあります。それと同時に、この政策は高齢者を切り捨てるものであって欲しくない。そのために踏ん張らなければならないのは、団塊世代とそれに続く我々の世代だと思うのです。

 と、ここまで国民年金を廃止する方法について考えて来た訳ですが、それよりもさらに厄介なのは、厚生年金と共済年金をどのように〈国庫負担を無くす方向で〉改革して行くかということです。それが出来なければBIの財源なんて、どうひねっても出て来る訳はないですからね。しかも平均の受給月額が17.6万円という老齢年金は、BIではカバーし切れない部分ですから、うまく制度を設計して行かないと、すでに年金を受給している人たちの生活を直撃しかねない。年金問題の専門家でもない私に、妙案がある訳ではありません。これについても私の論点は、いかに国民が心理的に納得出来るストーリーを組み立てられるかという点に絞られます。問題は、少子高齢化が進み、経済成長がストップするこれからの時代に、いかにして厚生年金(共済年金)という夢を年金加入者に見続けさせることが出来るかという、その一点にあるのです。そしてそれは決して無理難題ではないと思います。もしもあなたが民間の保険会社の商品企画部に所属する社員で、これからの時代に向けた終身の老齢年金を設計しなければならない立場だったと想像してみてください。よほど掛け金を高くしなければ、そんな個人年金は成り立たない筈です。しかし、厚生年金改革を目指す私たちには、120兆円という積立金があるのです。最悪、国民年金と同じようにその積立金を加入者に分配して年金解散するという選択肢も含め、現存の加入者が納得出来るような制度の見直しは可能な筈だと思うのです。すでに年金を受給している高齢者世代には、国民年金の清算にともなう一時金返還と同時に、厚生年金部分の月額見直しに同意していただきましょう(当然、共済年金は厚生年金に統合される前提です)。但し、夫に先立たれた高齢女性の多くが受け取っている遺族年金については、たとえわずかでも減額すべきではないし、それは障害年金でも同じです。年金改革はこの国の将来を拓くために避けて通れない関所なのであり、あらゆるパターンを慎重に考慮して、これで行くという方針を決めたなら、あとは毅然として年金改革を進めることが肝要です。

 考えられる簡単な方法の一案を書きつけておきます。厚生労働省のこちらのページを見ると、平成19年度の厚生年金の保険料収入は21兆9691億円、それに対して厚生年金部分への保険料給付は22兆3179億円になっています。その差、3488億円。これを積立金の120兆円を使って埋めて行きます。たまたま平成19年は収支が均衡していましたが、これから少子化が進めばもっと多額の積立金を取り崩す場面も増えるでしょう。その最高額を例えば2兆円と決めておくのです。それでも不足した分は国庫から負担するのではなく、支給額を削ることで対応します。そして積立金を使い果たしたあとは(最短でも60年後のことです)、毎年国庫から2兆円を限度に負担することで公的年金としての優位性を維持する。そんなルールを加入者に明示すれば、脱退する人も含めて加入者が納得した上で持続可能な年金制度が再設計出来るのではないでしょうか。厚生年金に関するニュースを検索すれば、2008年は単年度で10兆円もの赤字になったということが、さも重大な事件のように報道されていました。読んでみれば、なんのことはない、サブプライム問題に絡んだ株価や債券の下落で、積立金の運用に赤字が出たというだけのことです。そんなことは大した問題ではありません(下がった株価はすでに戻して来ています)。本当の問題は、積立金の運用ではなく、毎年の年金収支を予測可能、制御可能な範囲に収めるスキームをどうやって作るかです。そのためには、大枠では数十年先までの予算方針を決め、個別には国民の気持ちに寄り添ったきめ細かな制度改定を行なって行く必要がある、というのが今回の私の結論になります。

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2010年6月20日 (日)

政策としてのベーシックインカム論(2)

 6月号の『現代思想』がベーシックインカム(BI)の特集を組んでいます。書店で『現代思想』なんて雑誌を買ったのは何年ぶりだろう? たぶん20年ぶり、いや、もっとかな? この2週間、通勤の鞄に入れて電車の中で読んでいました。全部の記事を熟読したという訳でもないのですが、BIをめぐっていまどんな議論が戦わされているのか、だいたいの見取り図がアタマに入ったような気がしました。なるほど、ずいぶん難しい問題が論じられているんですね。(『現代思想』なんだから当たり前か。笑) 「ネオリベ」だとか「リバタリアン」だとか、特定のレッテルを貼って人や思想を分類しようとするやり方に私はどうしても馴染めない。昔からそうでした。ベーシックインカムが机上の理想論ということで反論されることは当然としても、あるいは「働かざるもの食うべからず」という旧い倫理観から嫌悪されることは理解出来るとしても、現代思想という閉鎖された空間のなかで、一般人の手の届かない議論に落ち込んでいることに対しては、違和感、というか一抹の寂しさを感じるのです。自分にとってBIとは、ただただ晴れやかで喜ばしくあるべきものだから。いや、2年も前からBIについていろいろ書いて来たくせに不勉強も極まりないですね。BIエバンジェリストの行く手に立ちはだかるものは、勤勉を尊ぶ日本人のメンタリティだけではないようです。

 以前私が非常な感銘を受けたBI論の筆者、関曠野(せきひろの)さんも一文を寄稿されています。いろいろな人がそれぞれの立場から現実的な(?)BIを論じているなかで、関さんの論考だけが異彩を放っているといった印象を受けました。ふつうBIを論じる人は、いまの財政のなかでどうやってそれを実現するかという点でアイデアを競う訳ですが、関さんの論点はそれとはまったく違います。C.H.ダグラスの「社会信用論」を足がかりに、私たちが当たり前だと思っている現在の貨幣経済を疑うところから議論は出発するのです。ですから、関=ダグラス理論によってBIが実現したとしても、毎月私たちに支給されるお金はいまの日本円ではありません、新しい政府通貨なのです。過激な思想でしょう? 日本円ばかりでなく、米ドルもユーロもその本質は銀行マネーであり、要するに元々は誰かの借金です。負債によって駆動されているこのネズミ講のような経済体制を大転換させない限り、世界経済は今後もバブルとその破綻というサイクルを繰り返すしかない。この基本的な認識に私もまったく同意するのですが、ただこのような〈大きな思想〉が具体的な政策となって実現する可能性は非常に小さいということもまた認めざるを得ません。今回の関さんの論考でも、テーマは社会信用論の理論的な妥当性ということよりも、その実現の困難さということにフォーカスされています。「社会信用論が議会制国家と馴染まない根本的な理由は、先述したように近代租税国家は銀行マネーと一体の制度だからである。それゆえに議会制や政党政治の枠内で通貨改革やBIが実現する可能性はゼロと見ていい。そして問題はこの租税=議会制国家にとって代わり社会信用論をプログラムとして実現することが可能になる政治共同体とはどんなものなのか私も含めて誰にも見当がつかないことである。」

 いまこの引用文を書き写しながら、ひょっとしたら中国政府が人民元を使ってやるなら、これに近い政治体制が実現するかも知れないという考えが脳裏をかすめました。が、そのアイデアに深入りするのは止めましょう。すでにBIに関する夢物語はこのブログでさんざん書いて来ましたし、今回の記事では、いまの日本の政治体制および経済状況のなかで、どうやればBIが実現出来るか、そこに論点を絞りたいと思っているからです(たぶん不定期の連載になると思います)。だから導入のためのハードルが高そうな「減価貨幣」だとか「政府通貨」といったおなじみのアイテムも、今回は封印するつもりです(とても残念だけど)。前回の記事ではエコノミストの原田泰さんの政策論を取り上げましたが、『現代思想』の特集巻頭には日本におけるBI研究の第一人者である小沢修司さんの構想が掲載されています。今回はこれをもとに考えてみます。さすがに専門の研究者である小沢さんのプランは緻密で、BIによって代替することの出来る社会保障費を個別に検討しながら、削減した社会保障費と所得税とでBIの財源が確保出来ることを示しています(そのためには所得税率は一律45パーセントになるそうです!)。私がびっくりしたのは、BI導入で廃止される社会保障費のなかに厚生年金を含む老齢年金・遺族年金がすべて含まれているということです。BIと年金というのは全く別の制度なので、たとえBIが導入されてもすぐに年金を廃止するなんて出来っこない、そう私は考えていました。これに関して前回取り上げた原田論文では、年金受給が始まる65歳を境にBIから年金に切り替えるというアイデアを提示していました。それでもずいぶん思い切った考え方だと思ったのに、BI研究の第一人者がこうも簡単に年金廃止を計画に織り込んでしまうだなんて…

 私はまだ小沢さんの著書を読んでいないので、単なる〈早とちり〉かも知れませんが、経済学や社会学の専門家である人たちが、単なる数字合わせでBI構想を論じているように見えることは、ひとりの生活人として大いに不満です。考えてもみてください、すべての国民にBIが支給されるようになるからといって、年金が廃止されることにあなたは文句が無いですか? 二十歳の若者ならいざ知らず、すでに年金受給資格が成立している自分のような中高年からしてみると、これはとんでもない話です。年金で老後の生活プランを立てている人たちの多くは、月に6万円程度の基礎年金だけを当てにしている訳ではないからです。厚生年金や共済年金に加入していた人は、納付期間や納付額によっても違いますが、月にまあ15万円とか20万円といった金額が支給されるだろうと皮算用をしている(甘いかな?)。それが一律8万円のBIで置き換えられてしまったら、いくら我慢強い日本人でも暴動が起きますよ。このことひとつ取っても、とても小沢方式は現実的な政策提案とは言えない気がします。年金問題が難しいのは、この制度がまだ受給資格を持っていない人たちも含めて、二十歳以上の日本人のほとんどすべてに複雑な既得権の網を張り巡らしてしまっているからです。もしもこれが原田方式ならば、65歳になると同時にBI支給は打ち切られてしまい、老後は従来の年金が支えることになりますから、BIという新制度への不満は(高齢層から)出るにしても、年金における既得権が侵されるという事態にはならない。この点だけを考えれば、原田案の方が優れているし、現実味もあるだろうと思います。

 それにしても、小沢論文に掲載されている数字を見れば、BIを論ずるためには年金制度改革案とセットでなければならないということがはっきり分かります。BI導入によって社会保障費が大幅に削減出来るということが、まことしやかに語られている訳ですが、これも実はウソだということがよく分かります。小沢さんの試算によれば、BIによって削減可能と思われる社会保障費は52兆円にも上るのだそうです(2007年の統計)。でも、実はそのうちの46兆円は年金の給付金なんですよね。BIによって確実に削減出来ると思われる生活保護費や失業給付などは、BIの原資として期待するには桁がひとつかふたつ足りないのです。原田さんのように、年金とBIを截然と分けてしまうのもひとつの考え方ですが、長いスパンで考えればBIと年金を融合させて行く方向性が、やはり政策として検討されるべきでしょう。「百年安心」なんて見え透いたキャッチフレーズを信じている人なんてもう誰もいませんし、経済成長が止まったこの国において、現在の年金制度が持続可能なものではないことは明白なのですから、65歳以上の高齢者を年金制度に丸投げした前提でBIを構想するというのは無責任な議論ではないかと思う訳です。いや、それよりも、BIを論じる人の多くが、現在の財政支出を組み換えることでBIの実現可能性を証明しようとしているところに不誠実さを感じますね。いまの日本の財政は、予算の半分以上を国債に頼っているという異常事態に陥っている訳ですから、それと同じ枠組のなかでBIが実現可能に見えたとしても、それは持続可能な制度ではあり得ない。BIを考えることは、「国家百年の計」を考えることです。ということは、BIを論じる人は、日本の財政の百年先までの持続可能性にも責任を持たなければならないということでもあります。

 また議論の風呂敷が広がりかかっているぞ。現実的な政策の問題に話を戻しましょう。(この連載では、筆者はまだどんな結論も持っていません。書きながら考えて行こうというスタンスです。そのために議論が行きつ戻りつするのはご容赦ください。) 国家財政をすべて考慮に入れながら、持続可能なBIを構想することはたいへんな難問ですが、国民の目線からどういうかたちでならBIと年金が統合出来るか、統合して納得出来るかという方向性なら比較的容易にアイデアを出せるような気がします。残された時間でそれを簡単に描写しておきましょう。すでに書いたように、年金制度を変えることが難しいのは、既得権を持った人が不満を持つだろうからです。二十歳以上の国民が全員加入している(筈の)国民年金部分だけを考えてみましょう。国民年金の受給額は、最高額(二十歳から60歳まで40年間納付した場合)でも67000円ですから、それより多い金額が支給されるなら問題は無い…かと言えば、そういう訳にはいきません。真面目に掛け金を納めて来た人も、そうでなかった人も同じ一律のBIを受け取って、年金制度は解消するというのでは、ほとんどの国民は納得しない筈です(少なくとも私は納得しない)。しかもこれが年金の二階建て部分(厚生年金や共済年金など)まで廃止されたのでは暴動が起きる…ということはさっきも書きましたね。では、こうした不満をなるべく解消するかたちでBIと年金をどう作り変えて行くか?

 まず、二十歳以上の国民全員に月額7万円のBIを支給することを前提とします。その月から国民年金の納付制度は廃止します。つまりこれ以降誰も掛け金を払う必要は無くなるし、また払う権利も無くなるのです。すでに納められた納付実績は別会計として管理しておき、それを原資に国民年金の制度自体は継続します。具体的に言えば、最長40年から最短1ヶ月までの納付期間に正確に比例した支給額を算出し、一度でも国民年金に加入した実績がある人なら、65歳に達した時点でその金額がBIに上乗せされるかたちで支給されることになるのです。これ以降、国から国民年金に対する追加の支出も原則的には無くなります。いまある積立金を、経済成長率や国民の平均余命などをもとに適切に割り振って、使い切ったらそれでおしまい。(それまでに7、80年はかかるでしょう。) 一方、厚生年金や共済年金などは今後もいまの方式を継承して存続させることとします。これは労働収入の途絶える老後の備えです。加入は完全に任意とし、国や事業者負担をどうするかは別検討ですが、会計的にはなるべく独立性の高いものにします。当然、現在より支給水準は下がる可能性が高くなりますが、これは持続可能性のためなので仕方ありません。それでもなんとか生きて行けるようにBIを創設するのですから、この問題は手当てされている訳です。理論的に考えれば、以上の基本方針が一番フェアで納得感のある年金・BI統合案ではないかと思うのですが、いかがでしょうか? これが認めてもらえるならば、そこから初めて現実的なBI論議に入れるようになります。そしてそれは原田さんや小沢さんが試算したものとは違う内容のものになる筈です。次回はもう少し詳しくこのプランの実現可能性について考えてみようと思います。(考えた結果、全然実現可能性が無いという結論になるかも知れませんが。笑)

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2010年6月13日 (日)

「たられば」を許さないPOGルール

 毎年、6月上旬のこの時期だけは、気持ちをブログに専念させることが出来ず、1本の記事を書くにも難儀します。ワールドカップじゃありませんよ、POGの指名会があるんです。このブログに目を留めてくださっている方はご存じないかも知れません、POGというのは競馬の「ペーパー馬主ゲーム」のことです。もう10年以上も続けているかな。最近は自分で馬券を買うこともほとんど無くなりましたが、仲間と楽しむこのゲームだけはどうしても卒業出来ない。日本ダービーで盛り上がってから、今年の2歳馬がデビューするまでのこの時期、私たち競馬ファンはお祭りのように気持ちが高揚する毎日なのです。今回は私たちのサークルがどんなルールでPOGのドラフトを行なっているか、それをお伝えしようと思います(ちょっと他のことを考える余裕が無いので)。このブログ始まって以来の脱力系記事ですね。(笑) 

 ホンモノの馬主になるのは金持ちの特権ですが、馬主になったつもりになら誰でもなれる、それがPOGです。誰が考案したのか知りませんが、ノーベル賞なみの発明だと思います。こんなに安上がりに1年間楽しめるゲームが他にあるだろうか? 「強く美しいサラブレッドは好きだけど、競馬というギャンブルはどうも」という人にも、POGはおすすめです。ルールは簡単、何人かの仲間を募って、ドラフト会議を開く。これからデビューする今年の新馬を10頭くらいずつ選んで、そのオーナーになる。あとは1年間、自分の持ち馬を応援しながら成績を競うのです。得点をどのように計算するかは、そのサークルごとの取り決めです。競走馬が実際に獲得した賞金額を得点にしているところもあれば、レースのグレードごとに勝利ポイントを決めているところもある。私たちのサークルは「相馬眼」の確かさという名誉を賭けているだけですが(ホント?)、わずかなチョコレートを賭けてギャンブルの気分を味わっている人たちもいるらしい。伝統的にこのゲームでは、チョコを賭けることになっているのです。え、日本円を賭けている人たち? いる訳ないじゃないですか、裁判員制度まであるこの国で。

 ゲームのルールは単純でも、ドラフトのやり方にはサークルごとの流儀があります。一般的な方法はプロ野球のドラフト会議を思い浮かべてもらえば分りやすいと思います。各チームが一位指名の選手の名前を書いた紙を投票箱に入れる。もしも複数のチームが同じ選手を指名していたら抽選になります。もちろん単独指名なら交渉権はそのチームが獲得します。抽選に負けたチームは、残った選手から再指名する(再指名チームが複数あるなら、ここでも投票箱を使うべきです)。こうして一巡目の指名が終わったら二巡目に入ります。だから抜きん出た選手がいる場合など、指名順位をどうするかが重要な戦略になりますし、くじ運に強いのも監督の資質のひとつということになる。POGの場合も同じです。指名馬がバッティングすればじゃんけんということになる訳ですが、もしも自分が一位指名したにもかかわらず、じゃんけんで負けて人に取られた場合、その馬が大活躍をして皐月賞やダービーまで勝ったりしたら、1年間のあいだ悔しさは増すばかりということになります。

 これはせっかくのゲームをストレスの多いものにするだけでなく、ふだんの競馬観戦においても邪念が紛れ込む要素になりますから(だって、じゃんけんで負けて人に取られた人気馬を、あなたは素直な気持ちで応援出来ますか?)、ルールの改善が必要なところです。私たちのサークルで採用しているドラフト・ルールは以下のようなものです。全員が投票用紙を書いたら、ランダムに1枚ずつ開票して行き、その都度オークションを行なうのです。もちろん競りかける人がいなければ、その馬は無償で投票した人のものになります。しかし、競りかける人がいれば、最も高い値段をつけた人がその馬を落札します。同じ巡目でその馬に投票していなかった人もオークションに参加出来ます。(本当にその馬が欲しい人だけでなく、単に値段を吊り上げるために競りに参加する人もいるし、値段を吊り上げるだけのつもりだった人が落札させられてしまうこともあります。ここは駆け引きです。) 1回の巡目で各人が取る馬は1頭とは限りません。オークションで他人の指名馬を競り落とせば、何頭でも自分のものに出来ます(費用はかかりますが)。その1巡で馬を取れなかった人が、追加指名をすることは出来ません。馬は必ず投票され、開票されるという手続きを取って誰かの手に落ちるのです。当然、ドラフトが進むうちに各人が取った頭数にばらつきが出来ますが、これは構いません。規定の頭数の馬を取り終わった人から抜けて行き、最後の1人になったら好きな馬を取ることが出来ます。オークションの売上はプールされ、参加者全員に均等に割り戻されます。これはこれから始まる1年間のポイント・レースのハンデとして記録されることになります。もうひとつ大事なルールがあります、開票された馬がオークションになった場合、その巡目でその馬に投票した人は無料でオークションに参加出来るのですが、そうでない人にはオークションへの参加料が課せられるのです(競り落とせなかった場合には参加料は取られません)。そうしないとむやみにオークションを誘発することになるし、本当に欲しい馬に投票するインセンティブが無くなってしまいますからね。

 オークションで支払われる金額や参加料もチョコレート換算です。参加料の方はどれくらいの額が妥当か、それぞれのサークルのレートによって異なる筈ですから、あらかじめ試算して合意しておくことが必要です。積極的にオークションに投資して人気馬を集めた人は、最初にその分のマイナスを背負ってスタートすることになります。そのビハインドを撥ね返せる素質馬と見込んだからこそ、高い値段で買い取ったということになるのです。合理的でしょ? 私たちは長年この方式でやっているのですが、これのいいところは、「あの時じゃんけんに勝っていたら」、「一位指名の馬をこちらにしていれば」、そんな言い訳を一切許さないという点です。本当に欲しい馬は、先行投資をすれば必ず取れるのですから。完璧な自己責任の世界です。またそこまでして自分の持ち馬にしたのですから、1年間を通じてその馬を応援する気持ちにもいっそう熱がこもりますし、人の馬に対しても素直な気持ちで声援を送れるようになります。いいことずくめ。ということで、こんな説明で分かっていただけましたか? POGをやる人にとっては参考になる情報だと思うのですが…って、こんなところで油を売っている場合じゃなかった。今日はこれからドラフト会議なんです。自信の馬は選んであるし、今年こそ万年最下位の汚名返上だ!

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2010年6月 6日 (日)

政策としてのベーシックインカム論(1)

 世間は突然の首相交代でかまびすしいけれども、私たちはそんな目先の小さな変化に目を奪われることなく、もっと重要ないつもの問題に戻りましょう。中央公論の6月号に、原田泰(はらだゆたか)さんという方のベーシックインカムに関する論文が掲載されています。経済企画庁や財務省で要職を務めたあと、現在はエコノミストという肩書きを持つ人のようです。最近はベーシックインカム(BI)について書かれた文章を目にすることも珍しくなくなりましたが、これを実現するための方法論について考察されたものはまだまだ少ないような気がします。そういう意味で、この論文はとても興味深く読むことが出来ました。大手の論壇誌にこのような文章が載るということは、BIが理念として論じられる段階を過ぎて、具体的な政策として論じられる段階に来たことを示しているのかも知れません。今回はこの論文を読んで感じたことについて、思いつくまま書いてみたいと思います。これから自分としても〈政策としてのBI〉について考察を深めていかなくてはならない、そのためのきっかけにしたいと思うのです。

 原田さんの論文は、BIが所得制限無しの一律給付であるべきことの理由づけから説き始めて、BI論議ではおなじみの「想定される批判論」への回答で締め括られています。そのために文章全体の焦点が多少ぼやけているように感じられるのですが、この論文の真骨頂と言うか、独自の価値は、具体的な数字を挙げながらBI実施のためのシミュレーションを行なっている点にあります。よく読むとなかなか大胆な考え方が含まれていて刺激的な内容です。ツッコミどころ満載と言ってもいい。実は私はそういう論文が大好きなのですが、要旨をまとめれば以下のようになります。

  1. BIの支給額は月額7万円、年額84万円。
  2. 支給対象年齢は20歳から64歳まで。65歳以上は年金があるのでBIの対象外。
  3. 主な財源は所得税。従来の累進課税を廃止して、一律30パーセントのフラット・タックスを採用。
  4. 所得税に対する各種控除(配偶者控除、扶養控除、基礎控除)も廃止。
  5. 未成年にはBIが支給されない代わりに、子ども手当は継続。
  6. 生活保護、雇用保険は廃止。その他の福祉費も半分に削減。
  7. 雇用対策としての側面がある公共事業や農業予算なども大幅削減。

 まず私にとって目新しかったのは、年金受給年齢に達した人にはBI支給が必要無いという考え方です。なるほど、もしもそうならBIの財源問題を考える上では非常に助かる話です。特にこれからの高齢化社会では、所得税を払わないけれどもBIをもらう人がどんどん増えることになる、これはBI推進派にとって頭の痛い問題だった訳です。でも、そうでした、彼らには年金があったんですね。もちろん反対意見はあると思います。BIが制度としてスタートした時点で65歳以上である人にとっては、特に不公平感が大きいに違いありません。彼らはまったくこの新制度の恩恵を受けられない訳ですから。ただ、これはBIという政策が持つ避けられない問題だとも言えます。子供の頃からBI(のようなもの)がある社会を夢見て大人になった私などから見ても、いまさらBIが創設されても、自分の人生、もう手遅れだという気持ちが強い(笑)。現在の日本の社会は、高齢者に優しく若者に厳しい社会だと言えると思います。その理由は、比較的経済的にも恵まれた高齢層が既得権を手放さないからです。年金というのは、払い込んだ金額よりもたくさんの配当をもらえるというたいへん結構な制度ですが、その恩典を受けられるのはお年寄りだけです。BIというのは、いわば二十歳からもらえる掛け金の要らない年金のようなものですから、これは端的に言って若者を支援する制度だと言えるでしょう。近年、この国で若者に希望を与えられるような政策が立案されることは、絶えてありませんでした。ここまで深刻な世代間格差が定着してしまった背景には、政治的な作為(あるいは無作為?)があった訳です。このバランスを回復するためにも、年金受給年齢までの〈つなぎ〉の支援策としてのBIというのは当を得たアイデアだと思うのです。

 すぐに出て来る疑問は、年金受給資格を持っていない高齢者はどうするのかということです。年金の未納問題は最近に始まったことではないし、現実に基礎年金さえ受け取れないお年寄りはたくさんいるのですから。そういう人たちが制度のはざまに取り残されてしまう。もしも特例として彼らにもBIを支給するとしたら、真面目に年金を納めて来た人たちから不満が噴出します。いや、それ以前に若い人たちだって誰も年金など払わなくなる。年金制度そのものが崩壊してしまいます。考えられる対応策はひとつしか無いと思います、年金を受けられない65歳以上の人に限って生活保護制度を残すというものです。生活保護ですから、収入や資産を持っている人は受けられません。厳格な資力調査(ミーンズテスト)もここだけは残さざるを得ない。BI推進派としてはとてもつらいところだけれども、仕方がありません。この問題は、いまのままでは持続不可能な年金制度を、この先どうやって立て直して行くかというもうひとつの難問とつながっています。こちらはすでに長年に亘って年金を納めて来た既得権益者がたくさんいるという点で、BIの導入よりも実はもっと難しい問題だろうと私は考えています。ゆくゆくは年金制度もBIに統合してしまって、少なくとも基礎年金の部分はBIで置き換えて行くのが正解だろうと思うのですが、難しいのはそこに至るまでの工程です。これは私の予測ですが、もしも今後本格的なBI論議が政治の舞台に乗って来るとすれば、それは年金改革という文脈のなかで要請されたものとして現れて来るような気がします。もっと簡単に言えば、日本の年金制度を救うものはBIかも知れないということです。でも、これはまた改めて考察すべき問題ですね、いまはここまでにしときましょう。

 原田論文のもうひとつの大胆な提案は、一律30パーセントの定率所得税の導入ということです。2008年の雇用者所得は262兆円だそうで(GDPの5割強)、単純にこれに3割の課税をすれば79兆円の税収になりますから、それだけでBIの財源としては十分で、お釣りまで来るというのです(原田方式ではBIに必要な費用は63兆円になります)。同じ年の所得税の税収が16兆円であることを思うと、にわかには信じられないような話です。と言うよりも、所得総額が262兆円もあるのに、税収が16兆円しかないということの方が不思議ですね。単純に計算しても、総額で6.1パーセントの徴税しか出来ていない。Taxrate_7 これはいろいろな税控除があるために、実効税率がとても低いレベルに留まっているということなのでしょう。 現在の所得税率(右の表) を見てみれば、6.1パーセントという実効税率がいかに低いものであるかが分かります。BIがあることを条件に各種の税控除を廃止するというのは、BI論議のいわば暗黙の前提ですから、それだけでもかなりの税収増が期待出来ると考えられます。「税控除無しのフラット・タックス」という方式は、シンプルで公平感も高いので、私自身はとても魅力的だと思うのですが、いきなりそこまで大胆な税制改革を断行しなくても、もう少しマイルドな方法があるような気もします。それに、原田さん自身も注記されているとおり、一律30パーセントの税率では、年収400~1000万円の中間層がBIを加算しても実質的に年収ダウンしてしまうんですね。ここは給与所得者の人数分布でもボリューム・ゾーンなので、この層からの賛同が得られなければ政策としての実現は難しいと思います。また数の上では少数派の高額所得者(現行は税率40パーセント)が、BI導入に合わせて25パーセントもの減税になるというのもバランスが悪いような気がします。

 ということで、私も原田さんに倣って月7万円のBI支給を目標に所得税率の改定案を作ってみました。ポイントは年収が低い人ほどBI導入による恩恵を多く受けられ、途中で逆転現象が起こらないようにすることです。そのために累進課税の仕組みは残します。現在は最低税率が5パーセント、最高税率が40パーセントのところを、最低税率20パーセント、最高税率45パーセントまで引き上げます。累進性を現在よりもなだらかにするため、年収100万円ごとに1パーセントずつ上昇して行くように設定してみました。国税庁のページにあった「民間給与実態調査(2008年)」の表をもとに、新しい税率で国の税収と個人の納税額をシミュレートしたのが下の表です。(クリックで拡大します。)

Taxsim

 給与所得の総額207兆円に対して、所得税の総額が47兆円になっています。(計算が正しいかどうか、気になる方はエクセルで確認してみてくださいね。) これだけでも現在の所得税16兆円に対して30兆円以上の税収増になります。(現状の税率でも計算上は26兆円近い税収になるのです。それだけ控除額が大きいということです。) この表は民間企業の給与所得者についての集計ですから、自営業者や公務員を含めれば、給与総額も税収額ももっと大きくなります。原田さんの挙げている262兆円というのは、それも含めた総額なのでしょう。もしもその部分の所得分布がこの表のものと近いならば、トータルの所得税額は60兆円くらいになると想定されます(47.5×(262/206.8)≒60)。もうこれだけで目標の63兆円にほぼ近付きましたね。さらにこの表から分かることは、こういう設定の累進税率なら、年収2280万円の人でもBI実施後の年収が(わずかですが)プラスになるということです。(さすがに年収4100万円の人は、76万円の増税になります。) なんだか数字のトリックのような気もしますが、これは税控除の影響を考慮していないからそう見えるだけで、現実にはどこかで収入減が発生するのだろうと思います。税控除は、同じ収入の人でも条件によって異なりますから、それを一律の税率設定で是正することは不可能です。と言うより、もともと選別主義に基づいた税控除と一切の選別をしないBIとは、基本的な思想において相容れないものなんですね。

 私の結論も原田さんと同じです。BIは現在の経済の仕組みのなかでも問題なく実現出来る。BIというのは、つまるところ所得の再分配政策の一種に過ぎないということを再認識しましょう。262兆円もの個人所得があるのに、なんだかんだと理由をつけて税控除を設けたために、最終的に16兆円しか所得税収入が無い。これは政治による所得の再分配がうまく行っていないことの何よりの証拠でもある訳です。何度でも同じことを書きますが、国全体で見て供給力が需要力を上回っているいまの経済状況では、所得(または資産)の再分配を適切に行なっただけで、経済の歯車がうまく回り始める可能性が高いのです。BIというのは経済政策の最終目標ではありません、生産性が高まり豊かになった時代が要請する当たり前の仕組み、これからの時代の経済にとっては欠かせない前提条件なのだと思います。原田さんの論文には、公共事業の妥当性に関する問題だとか(「能力のある人が無駄に働くことのコストは、働かないことのコストよりもずっと大きいのではないだろうか」)、国内で働く外国人労働者の問題だとか(「移民は、年500万円以上を間違いなく稼げる人に限定して認めるしかない」)、政策としてのBIを考えるに当たって、避けては通れない重要な問題についての言及もあります。これにインスパイアされた自分としても、もう空想的な夢見るBI論議は卒業して、現実的な政策論としてのBIに考察の軸足を移したいと考えるのでした。

(※追記です。本文中に掲載した税額シミュレーションの表に若干の誤りがありましたので修正しました。これに合わせ本文の数字を一部直したところがあります。また、読者の方が自由にシミュレーション出来るよう、もとのエクセルファイルもアップしておきます。2010年6月12日)

「Tax_Simulation.xls」をダウンロード

(※さらに追記です。この記事は連載として続きを書いて行こうと思い立ちました。そのためにタイトルを少し変え、通し番号を付けました。続編はこちらになります。2010年6月20日)

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