« 私の考える休日分散化案 | トップページ | 裁判員制度施行1年に思うこと »

2010年5月23日 (日)

基地問題こそ国民投票で

 迷走する鳩山政権のアキレス腱とも言える普天間問題について、内田樹さんがブログで取り上げています。いまの時代、切れ味鋭く自説を展開する論客といった人はたくさんいますが、常識的な地点に立ち帰って私たち自身がものを考える時の視点を与えてくれる論者はほんとに少ないと感じます。どんなジャンルの発言であろうと、内田さんの言うことなら耳を澄まして聴き取ろうと思っている私にとって(なにせ「タツラー」ですから。笑)、今回の基地問題に関する文章もまったく得心のいくものでした。いま新聞やテレビは鳩山首相の公約違反を追及することに血道を上げているけれども、もともと基地問題の本質がそんなところに無いことは誰でも知っている訳です。いや、鳩山さんという人が、一国の首相としての資質に欠けた人であるのは隠れようもない事実だったとして、そこに目を奪われてことの本質を見失ってはいけない。問題は戦後65年を経たいま、これからの日米関係をどう見直し、在日米軍基地をどうして行くかという問題に関して、国民的な合意をいかに形成して行くかということです。これに対する内田さんの結論は単純明快です。「なぜ、日本国民が結束して米政府に対して「基地は要らない」という要求をなすための合意形成を支援するといういちばん常識的な仕事をメディアは選択的に放棄するのか。」 私もまったく同感です。

 今回の記事のなかで引かれているチャルマーズ・ジョンソンさんという方のインタビューは、基地問題というと及び腰になる私たち日本人の目を覚まさせ、勇気づけるものだったと思います。そうか、日本は普天間移設をアメリカに具申する以前に、普天間飛行場なんて要らないと言えば良かったのか。アメリカにとっても普天間は軍事的に必須なものではなく、これにこだわっているのは海兵隊と空軍のあいだの縄張り争いの結果に過ぎないのだそうです。この説も私には耳新しいものでした。現在の沖縄の状況を見ていて思うのは、沖縄の人たちはほんとうに基地に苦しめられているけれども、その怒りは自国の政権に向かうだけで、基地そのものに対する憎悪となって燃え盛ることは少ないのではないかということです。これは私が沖縄の戦後史をよく知らないからそう思うだけかも知れません。今週も1万7千人の人たちが人間の鎖となって基地を囲むというデモンストレーションを行ないました。しかし、それは果たして駐留米軍やオバマに対するアピールなのだろうか、それとも沖縄だけに基地を押し付けて日米関係の現実から目をそらして来たヤマトンチューに対するアピールなのだろうか? 内田さんの記事によれば、国内の米軍基地を縮小することに成功した韓国では、「基地周辺でのレストランや商店への入店拒否などの激しい排斥運動を通じて国民の意思を示した」のだと言います。普天間基地や嘉手納基地の周辺で、米兵入店お断りの看板を出しているレストランや商店がどのくらいあるのか、私は寡聞にして知らないのです。

 誤解しないでください、私は沖縄でも米軍に対する直接的な排斥運動を活発にすべきだなどと言いたいのではありません。むろんそういう闘い方だってあると思うし、なかにはそういう活動を主張している人もいるでしょう、それはそれで尊重すべきだと思います。また過去を振り返れば、米兵による暴行事件に抗議するため実力行使に出た住民と当局が武力衝突を起こしたことだってあった筈です。(おそらくそれは米軍によってではなく、日本の警察によって鎮圧されてしまったのでしょうが。) しかし、この二十一世紀の沖縄で、また日本で、武力も辞さないというほどの激しい基地排斥運動が盛り上がるとは、私にはどうしても思えないのです。それはひとつには日本人の心性がひと昔前に比べて温和になった(草食化した?)ためでもあるし、またあまりに長く基地と共存して来たために、基地を前提とした経済圏や生活圏が出来上がってしまっているためでもあります。だからここで韓国の例を出して、それをお手本にするという考え方にも私はなにか違和感があるのです。それにそうしたかたちでの反対闘争を煽ることは、これまで以上に基地周辺の住民だけに緊張とリスクを強いることでもあるんですよね。基地問題というのは、例えば原子力発電所の建設問題などとは違って、純然たる外交問題です。私たちは鳩山首相の外交能力のあまりの低さに腹を立てているのであって、基地の国外移転という方針に反対している訳ではない。であるならば、ここで鳩山さんを引きずり下ろしたところで何の解決にもなりません。基地問題は(短命そうな)鳩山首相や民主党政権よりもずっと長いスパンで考えるべき問題です。

 安倍政権時代に自民党が強行採決した国民投票法が今週施行されました。これは憲法改正の手続きについて定めた法律ですが、その他の用途には使えないのでしょうか? 今年は日米安全保障条約の締結50周年の年に当たります。安保条約というのは10年ごとに契約更新する決まりのものですから、今年はその更新年でもある訳です。60年安保だとか70年安保と言えば、ずいぶん遠い過去の話のようにも思えます。あのころ確かに国は安保賛成・反対で二分されていた。せっかく政権交代という地殻変動が起こったのに、何故いまこれを原点に帰って評価し直そうという機運が盛り上がらないのでしょう? 理論的に言えば、私たちには安保条約を更新しないという選択肢もあるのです。(但しそのためには相手国に対して1年以上前に通告しなければならないことも条約で決まっているそうですが。) であるならば、2020年をとりあえずの目途に国民の意思を確認してみるというのはどうでしょう。そのために国民投票という手段を使うのです。沖縄でも徳之島でも、住民は一致団結して基地に反対している訳ではなく、賛成する人だって結構な数いる訳です。これは国全体で見ても同じでしょう。マスコミの論調だけで、国民がみんな基地に反対していると思うのは早計ですね。その確かな基礎データも無いところで、強力な外交政策を進めるのはもともと無理だったのだと思います。日米安保の将来について、また普天間基地の国外移転について、国が正式に国民の考えを問う。これは国際世論に対するアピール度も高いし、日本の外交戦略にとって強いバックアップとなるに違いない。何かを決断するなら、それからでも遅くありません。

 これは以前にも書いたことですが、日本の保守派が憲法改正に並々なる意欲を持っている理由が私には分かりません。憲法と基地とが、敗戦によってアメリカから押し付けられたものだったとして、そしてそのふたつのくびきから離脱することが、日本が独立した国家としての矜持を取り戻すために必要な条件だったとして、何故その順序は憲法改正が先なのだろう? 違うでしょ。いまアメリカは在日米軍基地の縮小や撤退など考えてもいませんが、憲法改正をして日本が集団的自衛権を持つことは望んでいるのです。「基地存続かつ憲法改正」という選択は、端的に言って日本のアメリカに対する軍事属国化をさらに推し進めることでしかない、どうしてそういう発想を日本の保守派はしてみないのか。私自身はかねて護憲派であることを公言していますが、自分の胸に手を当ててよく考えてみれば、もしもこの国から外国の軍隊が完全撤退したあかつきには、新しい自主憲法を持つこともアリかなと思っている。でもその逆は絶対にダメです。もしも国民投票という新しい政治ツールを導入するなら、それを国民同士の思想的分断のために用いてはならない、むしろ外交戦略の強力なカードとして用いるべきでしょう。

|

« 私の考える休日分散化案 | トップページ | 裁判員制度施行1年に思うこと »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/48431607

この記事へのトラックバック一覧です: 基地問題こそ国民投票で:

» これでは哨戒艇「天安」の兵士は浮かばれないのでは? [ちょっと一言]
 韓国の哨戒艇[天安」が沈没した原因が北朝鮮の魚雷攻撃だとの調査結果が公表され、アメリカ・韓国・日本が北朝鮮制裁に大きく踏み出そうとしている [続きを読む]

受信: 2010年5月23日 (日) 16時37分

« 私の考える休日分散化案 | トップページ | 裁判員制度施行1年に思うこと »