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2010年5月16日 (日)

私の考える休日分散化案

 というわけで、連休の混んだ観光地をめぐりながら休日分散化の必要性を痛感したのですが、一方で民主党が検討している休日改革が、一部の人たちのあいだではえらく不評だということも知らされたのでした。私がおかしいと思うのは、これに反対する人たちが民主党の原案をそのまま受け取って、その欠点をあげつらうばかりで、ここから前向きな議論をしようという意思がまるで無いように見えることです。確かに民主党が取り組んでいる政策には、着眼点はいいのだけれども、具体的な実施方法となると詰めが甘いと言うか、ほんとによく考えて政策を練っているのだろうかと疑わせるようなものが多いと感じます。ロジカル・シンキングではありませんが、導入の目的をはっきりさせて、予想される課題をひとつずつクリアして行く方向で考えれば、もう少し緻密で反論に対しても抵抗力ある政策が立案出来るのではないかと思うのですが。今回は頭の体操も兼ねて、私がもしも休日分散化法案を作るとすればどんな形にするか、それを考えてみたいと思います。

 休日を分散化する目的は、観光地や高速道路の混雑緩和ということよりも、余暇の機会を平準化することによる消費の促進と、サービス産業で働く人の労働の効率化ということが第一義であると考えます。休日を分散化させることで、国内の余暇消費が拡大し、余暇産業が潤わないようでは、この政策を採用する意味はまったく無い。まずここが基本です。現在のように春と秋の連休に余暇消費が集中している状況では、これを迎え入れる余暇産業の側がキャパシティ・オーバーを起こしてしまっていて、機会損失をこうむっているに違いない、これが私の仮説です。もしもほんものの政策担当者なら、いろいろ調査をしたり統計を取ったりして、この仮説が正しいかどうかを確認すべきでしょうが、それは端折ります。オンシーズンとオフシーズンでは旅館や旅行会社の設定する価格が大きく異なっている、そのことだけでも機会損失があることの証拠になるだろうと考えるからです。(休日が分散化されることで、オンシーズンに高い宿泊料を設定出来なくなる高級旅館などは、却って経営が苦しくなるだろうという意見もあるようですが、この考え方は本末転倒です。「値段を高くしても客が来る」ということよりも、「値段を安くしなくても客が来る」というのがサービス業の正しいあり方でしょう。) 観光地の混雑や高速道路の渋滞をニュースなどで知っている私たちは、それだけでもう出かける気力も失せてしまいます。一方であまりに閑散としている場所に出かけるのも気が引けるという人もいるかも知れない。休日を分散化することで、国内の観光地が年間を通じていつも適度に賑わっているという状況を作り出せれば、潜在的だった余暇消費が最大化するだろう、そう予想する訳です。

 このように休日分散化の目的をはっきりさせるなら、民主党のプランにはそもそも根本的な欠点があることが分かります。民主党が検討している休日分散化案は、全国を5つのブロックに分けて、ちょうど桜前線が北上したり、紅葉前線が南下したりするように連休の時期をずらすというもののようです。しかし、レジャーと言っても「安・近・短」が主流である昨今の状況で、このような大雑把な地域別の休日設定では、分散効果はほとんど期待出来ないだろうと思います。ブロックが大き過ぎるのです。観光地の混雑緩和は、ブロックをまたいで移動する観光客の数で決まる訳ですから、理論的に言えばブロックは小さければ小さいほどいい。どのくらいまで細分化するのが適切でしょう。県? 市? 町? 実は休日に関する制度改正で、真っ先に配慮しなければならないのは、法律で有給休暇を保証されている労働者ではなく、学校に通っている児童・生徒の方です。私が考える休日ブロックの最小単位は学校になります。では、学校ごとに独自に休日を決めさせればいいかと言うと、この場合小学生と中学生の子供がいるような家庭で家族揃っての休みが取れなくなってしまう。この問題を完璧にクリアすることは不可能ですが、最も妥当な解は公立学校の学区別にブロックを設定することでしょう。小学校の学区より中学校の学区の方が広ければ、広い方をブロックにします。両者が包含関係になく部分的に重なっているようなら、合わせてひとつのブロックにするのです。これで地元の別の学校に通う兄弟が同じ日に休めることになる(可能性が高くなる)。

 学校に通う子供たちの休日は学区単位で独自に決めるとして、問題は大人の休日をどうするかです。一般的にサラリーマンや公務員の通勤圏は、学区の境界をはるかに越えていますから、同じ学区内の企業や役所が一斉に休んだとしても、親が子と一緒に休めることになるとは限りません。それにこれは休日分散化に反対する人たちの論拠ですが、民間企業は取り引きの関係上、独自には休みにくいという事情がある。同じ会社で本社と支店の休日が異なるというのも、ビジネスの上では不都合であるに違いありません。この問題に対する私の提案は少し大胆なものになります。法律上、学校以外では国が定める休日をすべて廃止するのです。いや、正月元日くらいは国民の休日として残しましょうね。それ以外は日本国では一年中すべてのウィークデイが営業日となる。(もちろん多くの企業や公共機関で、正月の三が日や土曜・日曜を休日としている慣行は変わりません。) その代わり、働く人は従来と同じ日数の休日を、自身の余暇計画に従って取得出来るものとします。いま国民の祝日は(正月元日を除いて)年間に14日あります。この年間14日という休日がすべての働く人に法律で保証されるのです。つまり、現在の有給休暇とは別に14日間の休みを取る権利が与えられるということです。有給休暇は消化されなくても罰則規定はありませんが、この14日間の休暇取得は労働者の基本的権利であり、守られなければ雇用者側が罰則を受けるものとします。

 細部のルールは詰めが必要です。例えば従来の有給休暇と新しい余暇休暇(と呼ぶことにします)を運用上どうやって区別するのか? 急な病気や怪我で仕事を休んだ場合、企業はそれを余暇休暇として消化させたがるかも知れません。規定日数を休ませなければ罰則がありますからね。でもこれはダメです。あくまで余暇休暇は国民の祝日の代替であって、病気や怪我のための備えではないからです。いや、たとえ本人の希望であっても、事後の余暇休暇申告は認めないようにすべきでしょう。余暇休暇は、働く人と企業のあいだの合意によって成立するものではなく、働く人と国とのあいだの約束として取り決められるものなのです。手続きとしては、年に1回または半期に1回、働く人が自分で休暇計画を立て、それを国に申告して、国から雇用企業に通達するようにすればベストです。納税者番号制度が出来れば難しいことではありません。もちろん中小企業などでは、多数の社員が同時に休んでしまうと操業に差し支えるところも出て来るかも知れません。そんな場合は労使であらかじめ調整しておいて、社員の休暇取得を分散化させておくか、あるいは逆に一斉に取得させて会社全体を休業日にしてしまうといったことで対処出来ると思います。これは別に違法なことではありません。非正規社員についても、休暇は国と個人のあいだの約束事ですから、自社の社員ではない派遣社員だからといって、その人にとっての休日に出勤を強制することは出来ません。ただ、短期間の労働力が欲しい企業は、直近に余暇休暇がたくさん入っている人を雇うのは敬遠したいでしょう。これは仕方ありません。派遣契約やアルバイトで働こうという人は、年に2回まとめて11日間ずつの休暇を取り(土日を4日と余暇休暇を7日)、そこで思い切りリフレッシュしたあと、今後半年間は余暇休暇を取らないことを採用面接でアピールするなんてことも出来ます。それはそれで魅力的な働き方かも知れません。

 休日分散化にはいろいろな観点で〈いちゃもん〉をつける人がいて、そのひとつひとつに真面目に反論している余裕は無いのですが、日本人の国家意識を解体するものだなんていう言われ方をすると、ひとこと言い返したくなります。昔は国民の祝日を「旗日(はたび)」なんて呼んで、どこの家でも門に日の丸を掲げたものでしたが、最近はそんな光景もすっかり見かけなくなりました。建国記念日であろうと天皇誕生日であろうと、国民が心をひとつにして祝日を寿ぐなんていう美習は、すでに前世紀に消え去ってしまったと思われます。民主党案では国民の祝日を廃止する訳ではなく、祝日を休日にするという法の規定を変えるだけのようです。もしも祝日が休日でないことに違和感があるなら、祝日の方を動かして日曜日に充てればいいだけの話です。すでにハッピー・マンデーというかたちで、日にちを特定しない祝日はある訳ですから、それほど突飛な話でもありません。(さすがに天皇誕生日だけは、12月の第4日曜という訳にはいかないでしょう。これは「平成の日」とでも名称を変えましょうか。春分・秋分の日は、名前だけ残せば別に祝日でなくてもいいような気がします。) それよりも地域別の休日が定着すれば、その地域独自の新しい祝日が生まれるだろうと思いますし、それを記念するイベントなども各地で開催され、有名無実化した国民の祝日などより、よほど住民の心をひとつにするいい機会になるのではないでしょうか。国家意識というものが重要だとしても、その土台になるのは自分たちの住む土地に対する愛着でしょう。いまの日本人に欠けているものは、抽象的な国家意識などというものではなくて、地に足のついたコミュニティー意識なのだと思います。

 また国家経済というマクロの視点から見た場合、休日分散化は需要の促進に効果があるだけでなく、生産性の向上にも貢献するだろうと期待出来ます。なにしろ企業の操業日が年間14日も増える訳ですからね。もともと日本では、諸外国と比べて有給休暇の消化率がきわだって低い一方で、逆に国が定める休日の日数は多いという矛盾があった訳です。そうでもしなければ、日本人は仕事を休まないという事情があったのでしょう。でも、考えてみれば、機械化・自動化の進んだ現代の企業では、社員の1割が休んだからといって(一般的に)生産量が1割減る訳ではありません。むしろ操業日が減ることの方が生産量に直接影響する筈です。だとすれば休日分散化は端的に日本の生産力を向上させますね。これはこの国の国際競争力回復にも役立つのではないでしょうか。さらに仕事の現場では、人が交代で休んでも業務に影響を与えないような工夫が進むでしょう。サービス業や流通業などでは、ほとんど年中無休が当たり前になっている昨今、この現場改革はきわめて重要だと思います。飲食チェーンの(名ばかり)店長さんなんて、いま大変なことになっているそうじゃないですか。(彼らを休ませる仕組みは一刻も早く制度化するべきです。) これは今後進展させるべきワークシェアリングにも道を拓くものだし、さらにその先にはベーシックインカムのある社会さえ見えて来る。そう考えれば、この国の本当の構造改革は、休日分散化から始まる、そんなふうにも言えるのではないかと思うのです。

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コメント

なるほど。
実感のある休日から意識を変えていく、ということですね。
個人的には休日の分散化自体に異論はありません。
たた、たしかに有名無実化した休日ではありますが、
(国家意識がどうのということではなく)それを
変えることにはちょっと抵抗があります。
例えば10月10日が体育の日になったのは東京五輪の
開催日という歴史があって、他の休日もそれぞれに
何かしら意義なり意味があったはずですが、
(自分もそうですが)東京五輪を過去の映像でしか
知らない世代が増えたことや、暦に合わせて移動する
ようになったことが希薄化した原因のひとつでは、と
思います。だからこれまでの休日は尊重し、日にちや
日数は固定したほうが良いと考えています。
(時代の流れで変える休日はあるでしょうが。)

もちろん、反対するばかりじゃ能がありません。
「休日分散化」を別の面から考えてみました。
以前の「人頭税」とは逆の考え方になると思います。
つまり、法人税についてなのですが、ごく単純に
法人税とは利益に対して課せられる税、ですよね。
で、それを上げろ下げろがよく問われるのですが、
法人税そのものはとりあえず置いといて、人件費の
何割かを(助成金ではなく)還付金とすることが
できないかなあ、と思いました。

・雇用保険、健康保険、厚生年金などが保障されている。
・労働時間が月間(年間)平均○時間以内に守られている。
他にもあると思いますが正社員と同じ待遇であることを
条件に申請すれば、人数分の還付金が支払われる。
(強制ではないです)
もちろん、虚偽の申請にはそれ相応のペナルティが
課せられます。
結果的には法人税の減税になりますが、減税分の効果が
会社にとっては正社員を増やすほうがメリットとなり、
労働者にとっては待遇改善、また労働時間をオーバー
しないよう労働時間の短縮やワークシェアなど適正な
労働環境になるのでは、と思います。
たしかに休日に合わせて休みをとる人が増えるでしょうが、
観光地でも還付金の効果で雇用が増えることにより、
サービス面も含めいくらか解消されるのではないでしょうか。

と、スーパーの長いレジ待ちをしながら、
ぼんやりと妄想してました。

投稿: あかみどり | 2010年5月18日 (火) 11時38分

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