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2010年4月18日 (日)

安楽死法制化に反対する思考の矛盾

 医療における安楽死の問題を考えています。私自身は医療関係者ではありませんし、死と向き合っている患者という立場の人間でもありません。インターネットで検索すれば、医療の現場で悩み苦しむ人の日記や身近に迫った死と闘う人の手記など、心を揺さぶられる文章がたくさん見付かります。そんななかに、哲学者を自称する人間のいかにも思弁的な考察をさしはさむことなど恥知らずなことだとも思います。しかし、この問題について、医療の現場にいる方々や専門家のあいだにも深刻な意見の対立があることを見聞きしてしまうと、自分も何か言わずにはいられない気持ちになってしまうのです。というのも、基本的な認識として、医療における安楽死の問題には、すべての人がとは言わないまでも、多くの人が合意出来るような前向きな解答がある筈だと信じているからです。安楽死に賛成だ、反対だと言っている人たちは、実は単にボタンをかけ違えているだけなのではなかろうか、そう考えているのです。

 前回の記事で私は、〈日本尊厳死協会〉という組織の活動に対する苦言を書きました。今回はそれと対立する〈安楽死・尊厳死法制化を阻止する会〉という組織の主張に対する疑問を書こうというのです。この会は、哲学者の鶴見俊輔さんや社会学者の立岩真也さんといった錚々たる知識人の方たちを発起人に、多くの障害者団体や難病患者団体などがメンバーとなって構成されている組織のようです。会の主旨はこちらの声明文のなかに分かりやすく要約されています。尊厳死協会と対決しようという姿勢も明らかです。この会が医療における安易な安楽死の選択に対して警告を発する理由はまったく明快そのもので、そこに批判をさしはさむ余地は無いように思えます。私たちは将来自分が不治の病に冒され、死を待つだけの身になっても、簡単には死なせてもらえないことを知っています。現代の医学は、病人の意向などおかまいなしに、たくさんのチューブをつないで少しでも長く生かそうと手を尽くすものだからです(少なくとも多くの人がそういうイメージを持っています)。だから多くの人が延命治療の拒否ということに簡単に同意署名をしてしまう。実際にそれを体験した訳ではないにもかかわらず、もしも本当にその時が来たら自分の気持ちがどう変わるか分からないにもかかわらず、です。病床で苦しんでいる人が「死にたい」と言うのは、現下の苦痛を取り除いて欲しいと言っているので、本当に死にたい訳ではないというのも(一般的には)その通りだろうと思います。そして緩和医療の進んだ今日では、「激痛のため生命を絶つなどということは、もはや過去のこと」であるというのも、(多少疑わしいけれども)まあその通りなのでしょう。

 また、延命措置を拒否する事前指示書(リビングウィル)が普及して、それが法的効果を保証されることになったら、難病患者や障害者といった弱い立場の人たちに対して、尊厳死という自己選択を迫る無言の圧力になる可能性があるという懸念についても、理解が出来るし、共感が出来ます。こう考えて来れば、〈安楽死・尊厳死法制化を阻止する会〉の主張に対して、私自身、基本的には何も異論が無いことが分かります(自分で書いていてそれがはっきりしました)。ただ問題は、その政治的な立ち位置の曖昧さなのです。名前が表しているように、この会は安楽死の〈法制化〉に反対する目的で結成された会である訳です。現在の日本では、医療現場における安楽死というものに対しては、法律上何も規定がありません。これを許可する規定が無いばかりでなく、これを禁止する規定も無いのです。ということは、会の名前を字義どおりに取れば、「法制化を阻止する会」にとって現状維持が最も望ましいということになります。これは言葉尻を捉えて言っている訳ではありません、この会は安楽死・尊厳死の〈合法化〉に対して反対しているだけではなく、それとは逆の〈違法化〉に対してさえも、すなわち安楽死・尊厳死の法律による全面禁止ということにも(消極的に)反対しているのだろうと私は推測しているのです。何故かと言えば、もしも医療現場における安楽死選択の完全禁止ということを正面から訴えれば、おそらくその主張は世間から大きな反撥を受けることになるからです。言ってみれば、寝た子を起こさないために、この会はあえて現状肯定を、つまり法制化阻止を訴えているのではないかということなのです。

 ここは重要なところです。何故なら、この国では安楽死が法的にグレーゾーンに置かれっぱなしにされているがために、事件化することのないグレーな安楽死が日々選択されているという事実があるからです。安楽死を条件付きで合法化している欧米諸国では、時に常識を疑わせるような安楽死事件が起こったりして、私たち外国人の耳にもそれが届いて来ます。でも、これは実は健全なことなのだと思います。そうした事件や事実が明るみに出るたびに、議論が積み重ねられ、より望ましい方向に制度が調整されて行く道筋が出来ているということだからです。法制化を阻止する会は、安楽死が合法化されることで弱者が〈強いられた尊厳死〉に追い込まれて行くと主張します。しかし、すでにそんなことは現実にいくらでも起こっているに違いないのです。法的グレーゾーンのはざまで、それが事件化しないことの方が問題だと何故考えないのでしょう。ここにこの会の思考の矛盾があります。本当に医療における安楽死に懸念を持っているなら、はっきりとした法的禁止を求めるなり、あるいは隠された安楽死を白日の下にさらけ出すために、医療現場での〈内部告発〉を奨励するキャンペーンを張るなりしたらどうでしょう? しかし、そんなことは出来る筈がない。それをすれば、彼らはほんとうに世論から孤立してしまうだろうから。だから仕方なく「法制化阻止」という消極的な立場に落ち着かざるを得ないのです。私には「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」という名前は、端的に言って「安楽死・尊厳死に対する議論を阻止する会」と同義に聞こえます。例えばこの会の人たちは、安楽死を認めることは「転がりやすい坂道」を行くことだという常套句をよく口にします。だからブレーキをかけながら慎重に降りようというのではなくて、坂道そのものを封鎖してしまえというのが〈法制化阻止〉というコトバにこめられた意味なのです。

 私はこの会の人たちが、本当に良心的で誠実な人たちであることを疑いません。向いている方向だって正しい。ただ戦略が間違っていると言いたいのです。実際、もしもこのまま〈日本尊厳死協会〉が勢力を拡大して、会員が百万人を突破するようなことにでもなれば、これは恐ろしいことだと思います。それに歯止めをかけるとすれば、こういった会の頑張りに期待するしかありません。どこの国でも一般大衆は安楽死が大好きなのです、ピンピンコロリと死にたいのです。これに対峙するためには、法制化反対ということを政治に訴えるための集会を開いたり、デモ行進をしたりといった戦略ではダメだと思います(それはひょっとしたら逆効果かも知れません)。この国が安易な安楽死を認める方向に流れることを〈阻止〉するために、いま必要なことは、むしろ素朴に安楽死・尊厳死を信奉している人たちを啓蒙することなのではないでしょうか。「そんなに心配しなくても、現在の緩和医療はあなたを耐えがたい苦痛のなかで孤独に死なせたりはしないから」、そういう親身な言葉がけこそが、ほんとうに実りある対話に道を拓くのではないだろうか。医療制度や介護制度の不備を突くのは、それからの話です。とにかくいまは安楽死賛成派と反対派のあいだに心を割って対話が出来る土俵が無い。まず歩み寄るべきなのは、反対派の方々ではないかと私は思います。尊厳死協会の中枢にいる人たちはともかく、12万人の会員の方たちは、素朴に死の床での苦痛に怯える善男善女といった人たちなのでしょう。そういう相手に論争を仕掛けても詮ないことです。必要なのは、論争ではなく対話。そしてこれは私自身の希望的観測になりますが、その対話のなかから「合意出来る安楽死要件」という結論も出て来るのだと思います。欧米諸国で1980年代から安楽死議論が活発になったとすれば、日本はまさに失われた三十年です。もう猶予は無いと思います。いまこの瞬間にも〈事態の打開〉を切実に待ちわびる人たちがたくさんいるのですから…

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コメント

初めまして。
このようなスライドを以前制作しました。
もしかしたら、かなり過激に思うかもしれません・・・
「このような意見もあるのだ」という感じで受け止めていただければありがたく思います。

「発達障害者にも死ぬ権利を」
http://www.youtube.com/watch?v=JY6Je1mLcRQ

「安楽死を精神的な苦しみにも適用すべき」
http://www.youtube.com/watch?v=2DdqqXfyex4

「末期という条件は安楽死に必要か?」
http://www.youtube.com/watch?v=NjB2PSqqipo&feature=plcp

「死ぬ権利の基本的な考え」
http://www.youtube.com/watch?v=q9AVNvpFoxk&feature=plcp

「死ぬ権利、認めてもらえませんか改訂 」
http://www.youtube.com/watch?v=nU4-DNbKDJM&feature=plcp

投稿: 金田一 | 2013年3月22日 (金) 23時51分

金田一さん、情報をありがとうございます。

この問題については、死をタブー視するあまり、誰も踏み込んだ議論をしないことが問題ではないかと思っています。動画を拝見しましたが、過激過ぎるなんてことはありません。賛否は別として、まっとうなご意見だと私には思われます。

私のこの記事はもう3年ほど以前に書いたものですが、安楽死問題については、昨年の後半にもう少し踏み込んだ考察をした記事を書いています。連載8回の長文なので、ぜひお読みくださいとは言いにくいのですが、ご参考になれば幸いです。

『「尊厳死法制化」の何が問題なのか?』
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-d737.html

投稿: Like_an_Arrow | 2013年3月25日 (月) 01時36分

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