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2010年4月25日 (日)

ベーシックインカムで3K職場は人手不足に陥るか?

 コメントをいただいたので、この問題について少し考えてみようと思います。ベーシックインカムについて考えることは、この国の未来の希望について考えることですから、小さなネタでも書くことがあれば取り上げて行きたい。前向きに、この制度を実現するための方法を模索する方向で考えて行きたいと思っています。ベーシックインカム(BI)については、いろいろなところでいろいろな人が、賛成・反対に分かれて議論しています。でも、私の考えではそうした議論はあまり意味が無いと思う。いずれにしても今後、BIあるいはそれに似た制度が求められるのは、時代の流れとして必然だろうと思っているからです。技術が進歩して生産性が向上した社会では、豊かさをみんなで分かち合う仕組みがどうしたって必要になります。道徳的な見地からそれが必要だというだけでなく、経済的な合理性の面からも必要になるのです。であるならば、その趨勢に逆らうことを目的とした議論は無益なだけだという気がします。むしろBI実現に向けた課題をひとつひとつクリアして行く方策について、議論のリソースを振り向けた方が賢いと思うのです。

 さて、BI導入でいわゆる3Kと呼ばれる職場での働き手がいなくなるのではないかという問題についてです。これは「働かざる者、食うべからず」といった道徳的な反論とは違って、具体的で建設的な議論のしやすい問題だと思います。(道徳的な反論に対する議論も、BI実現のためには避けて通れないものではありますが…) もしもすべての国民が、月に(例えば)8万円の基礎給付を受けるとしたら、誰も好き好んで3K労働になど就く人はいなくなるだろう。そうなれば、社会の基本的な機能が麻痺してしまう事態だって考えられる、これが今回の問題設定です。「3K」というのは、「きつい」、「汚い」、「危険」の略です。どんな職種があるでしょう? まあ、誰でも思い付くのは、工事現場での作業員だとか町工場の工員、ゴミ収集や汚物収集といった業務、また最近では福祉現場の仕事を思い浮かべる人もいるのではないかと思います。(私が従事しているコンピュータ関係の職種でも、仕事はとても〈きつく〉て、プロジェクトの部屋は相当〈汚く〉て、過労死の〈危険〉といつも隣り合わせです。) どれも報われることが少ない割りに、社会にとっては大事な仕事ですよね。BIのある社会で、こういった仕事に人をつなぎ止めるためには、ふたつの方法しかありません。つまり従来よりも高い賃金を保証することと、機械の導入や環境の整備によって〈3K〉の状況を改善することです。

 賃金に関して言えば、国や自治体が雇い主である公共の仕事と民間の仕事で、対策の難しさに差があると思います。公共サービスの仕事のうちで人が集まりにくい職種については、単純に賃金設定によって雇用の調節が図りやすいと言えるでしょう。さいわい日本ではまだアメリカほど公共分野の仕事を民間に委託する動きが進んではいませんから、政策でコントロール可能な部分は多いでしょう。(当然、税負担は増しますが、BIのある社会では税体系も現在とはガラっと変わりますから、それ自体問題にはなりません。) 問題は、民間の仕事です。これは市場の調節機能に任せるより仕方無いのではないかと思います。建設の仕事や運送の仕事、また部分的には福祉の仕事なども、人件費を消費者価格に転嫁して乗り切るしかないでしょう。そのため住宅価格や宅配便の送料や有料老人ホームの入居費などは、多少寝上がりするかも知れません。また海外の安い製品と競争しなければならない製造業では、業務の効率化・省力化・自動化を進めて、作業者ひとり当たりの生産性を上げることでしか高賃金は支えられないでしょう。現在のように派遣労働者を安く使い捨てるという発想では、企業は存続出来ません。安い賃金では人が集まらなくなる訳ですからね。民間企業に対しては、政府は労働者の賃金を保証するための政策を採るのではなく、むしろ効率化の方向を後押しするような政策が求められると思います。BIが実現した社会では、完全雇用ということが政策の目標ではなくなります。ここは私たちも考え方の転換が必要です。実のところ、BIがあれば人は働かなくなって、国内の生産力が落ちるという心配は本末転倒なので、むしろ産業が効率化されて恒常的に人あまりの状況になっている社会では、BIのようなもので需給調整をするしかないというのが基本の考え方なのです。

 おっと、議論が抽象的になって来た。もう一度、人手不足の現場に視点を戻しましょう。産業の効率化や自動化なんて絵に描いた餅のような話をしなくても、3K現場での人手不足をさほど深刻に考えなくてもいい、もうひとつの理由があります。それはBIのある社会ではワークシェアリングが当たり前になるだろうということです。3K労働が〈きつい〉のは、仕事そのものがきついこともありますが、それが8時間(以上)のフルタイム労働だからという面もあります。もしも月に8万円のBIが支給されるなら、作業は多少きつくても実入りのいい仕事を1日4時間だけやって、あとは好きなことをして暮らすという生き方もなかなか魅力的です。たぶん若い人にもそういうライフスタイルはアピールするのではないかな。企業はこれを可能にする労働環境を準備する必要があるし、政府も法の整備などでバックアップする必要がある。もちろんそれは「非正規雇用」ということになるのでしょうが、現在のようなBIが無い社会での派遣社員といった悲惨な境遇とは訳が違います。なにしろ選択権はこちら側にあるのだから。雇用保険にさえ加入していない、まったくセーフティネットが無い状態での非正規社員という立場は、どう言い繕っても奴隷状態でしかない。しかしBIがあれば、無理をしてフルタイムの3K労働を続ける必要も無いし、職場の険悪な人間関係の中で我慢をして心を病む必要もない。最近よく言われる「ブラック企業」のようなものも自然に淘汰されるのではないでしょうか。いまの学生さんの「就活」に関する苦労話などを聞くにつけ、労使の力関係が健全なバランスを失っていることを感じるのですが、BIにはそれを正常化する効果が期待出来る、これが大きいと思います。

 3K職場の環境改善ということについて言えば、もっと明るい見通しが立ちます。この分野こそ、日本が世界の先頭に立って技術開発を進めて行くべき分野だと思うからです。これまでだって、これに関しては日本の技術が世界に貢献している度合いは小さくありません。工作機械のシェアでは日本は世界のナンバーワンですし、現場の重労働から人を解放してくれる機械群(フォークリフトやベルトコンベアから建設車輌、工業ロボットまで)は、だいたいが日本のお家芸といったものでしょう。これにプラスして、今後は福祉現場での支援機器のようなものにも潜在的なニーズがあると思います。入浴介助にしたって排泄介助にしたって、命の危険は無いとしても相当な3K労働であることには変わりありません(きつい、汚い、臭い)。福祉の仕事を志した人の多くが、仕事を辞めてしまう理由は、給料の安さということもありますが、この3Kに耐えられないというもうひとつの理由もあると思います。それに耐えてこそ、ホンモノの介護士だという意見もあるかも知れません。でも、私はそうは思わない。お年寄りが大好きで、おじいさんやおばあさんから実の子か孫のように慕われている介護士さんが、おむつ交換だけはどうしても生理的に受け付けないという場合もあるかも知れない。そんなくだらない(とあえて言います)ことのために、福祉の仕事が嫌いになるなんてもったいない。「自動おむつ交換機」があればいいんです。もしも自分が寝たきりになって、介護を受ける身になったとしたら、何が嫌かって、若い女性におむつを交換されたり、数人がかりで風呂に入れられることほど気が引けて恥ずかしい思いをするものはないと思う。そんな介助は人目の無いところで機械にやってもらいたいものです。もしも世界中で、そんな機械を開発出来る国民がいるとしたら、お尻を洗う便器を発明してしまった日本人以外にはあり得ないと思いませんか?

 なんだかベーシックインカムとは全然違う次元の話をしているようにも見えますが、そんなことはないんです。私にとってベーシックインカムとは、理想とすべき新しい経済体制のことでもなければ社会保障政策の一形態でもない、技術の応用によって快適さを追求すれば、自然にそこに行き着いてしまうごく当たり前の制度に過ぎないのです。BIを論じる人のなかには、支給金額はいくらが適正かといったことで議論を戦わせている人もいますが、そんなことは大して重要ではないと思います。BIが実現した社会では、そもそも貨幣価値というものに対する人々の考え方も大きく変わってしまうでしょうから。極端な話、BIはそもそも日本円で配る必要さえ無いかも知れないのです。製造の現場で、流通の現場で、福祉の現場で、サービスの現場で、農業の現場で、人が過酷な労働から解放されて、1日4時間働けば十分やって行けるような社会になれば、お金なんて単に交換チケットのようなもので済んでしまう。海外のブランド品がどうしても欲しいと言う人は別にして、私たちふつうの庶民は、技術の進歩によってもたらされた富を互いに交換する、最低限の手段を持っていればいいのです。夢物語ですって? それを夢物語で片付けてしまう人は、BIのある社会への入場券をまだ手に入れていない人なのだと思います。

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コメント

ベーシック・インカム、若しくはそれに類する仕組が必要である、というのは仰る通りだし、3K労働に関する考察も同意です。 あと、BIに関しては必須条件として、きちんとした国民総背番号制度が無ければマトモに運用出来ないと思います。(国民総背番号はBIでなくても必須だとは思いますが) BIを世界で初めて本格的に導入したら、非常に大きなインパクトがあると思います。 多分、米国債をもっと大量に買い続けて欲しい米国は、日本にそれをやらせたくないのではないか、とも推察しますが、民主党政権は米国とは仲が良くなさそうですから、その辺りからも期待出来るかも知れませんね。 それと、ふと思いついたのですが、「減価する貨幣」をBI支給用に作り出し、その貨幣が定期的に少しずつ減価してゆけば、皆がより早く色々な物品やサービスに交換したくなるので、経済の活性化も進むと思うのですが如何でしょうか?(減価する貨幣についてのアイディアは、私のURLをご覧下さい)

投稿: 島崎丈太 | 2010年4月26日 (月) 00時41分

こんにちわ。
ボクも巷のBI議論は何かズレてる気がしています。
BIって、単に日本というOSにこれから必要となるソフトの
ひとつであって、たとえば年金もかつてはそうだったと思います。
ただ、バージョンアップや不具合の修正を怠ってきたのが
本当の問題であって、BIもそれは変わらないはずです。
はじめてもいないBIの重箱の隅を議論の中心にすること
自体がズレてるし、もうそういう段階ではないと感じます。

さて、3Kというコトバが一般的になったのはいつ頃だろう。
それまで3Kが当たり前だった仕事は効率化や自動化によって、
2Kや1K、そして0Kとなったことで逆にKを意識する余裕が出来、
3Kというコトバや考え方が出てきたように思うのです。
もし、BIが現実となればそこから新たな3Kが出てくるだろうし、
また逆にこれまでの3Kが2Kや1K、そして0Kになることも
同じくらいあるのではないでしょうか。
それは人と人がつながることで、かも知れません。

投稿: あかみどり | 2010年4月28日 (水) 14時43分

こんにちは。( ̄ー ̄)ニヤリ
なにやらお見苦しいモノを見せてしまったようで恥ずかしいですが、少しだけ言い訳させてください。
支給金額が5万がいいか8万がいいか15万がいいか、
は本来の意図してる所では無いです。
生活保護世帯までを対象に、5万で賄って足りないところは各自が勝手に努力しろ、と切り捨てた論理に反論してるんです。

ということで、3k職場へのコメントをば。
私がBIを支持する理由のひとつに、企業と労働者とで対等な立場の構築、てのが有ります。
対等と書くとまた誤解され易いんですが、労働環境・処遇に改善を求め実施して貰う立場、くらいの意味です。

実際、奴隷状態に近い「非正規雇用」で働いてきた経験から見ると、「非正規雇用」者に限らず、正社員ですらもマトモに
企業に何かを言える状況ではありません。
・座ってでも可能な作業を立たせて8時間労働(精神論)
・時計の所持を認めず現場リーダーの合図で食事・休憩(囚人か)
・昼食時間の短さに駆け足で食堂へ、5分で流し込む(早飯早●芸の内)
まあ、ざっと並べてもこんな職場に社員さん、派遣さん、パートさんが一緒になって働いてる。みんな不満だが言える立場にない。

BIにて生活の保証が後支えになれば「いつでも辞められる」チカラを確保でき、モノを言う者も現れる。
或いは人離れで困惑した企業側が歩み寄って環境改善に努めるかもしれない。

ただ、それでもなおキツイ・キタナイ・キケンな仕事は残ります。専門性を必要とされる作業ならシェアも難しい。
そういう仕事に、報酬だけをインセンティブにするのはどこか片手落ちな気がします。
誰かが専属でやらねばならない3k職には、世の中がもっとスポットを当て日陰の労働から日向の労働に意識替えさせていく必要が
あるのではないかと考えてます。紫綬褒章だけがテレビで騒がれますが、藍綬褒章などももっと取り上げて良いものだと思いますし、
その授与基準を広くしてもいいのではないかとも思います。

まあ、思い付いたのがメダル位でしたんでこのような例を挙げてみただけで、社会が認める・称賛する3k職、という視点も必要なの
ではないかと言う提案です。一昔前の共産圏みたいで恥ずかしい提案ですがね。

投稿: turusankamesan | 2010年4月29日 (木) 14時35分

島崎丈太さん、コメントありがとうございます。

国民総背番号制度というと反撥する人が多いのですが、納税者番号制度は私も必要だと思っています。これがあれば失われた年金記録問題だって、ここまで深刻にはならなかった筈ですよね。

> それと、ふと思いついたのですが、「減価する貨幣」をBI支給用に作り出し、その貨幣が定期的に少しずつ減価してゆけば

はい、私も同じことを考えて、記事にしたことがあります。これについてはいろいろな人がいろいろなアイデアを出し合えばいいと思っています。

『社会信用論と自由経済思想(1)』
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-9879.html

◆ ◆ ◆

あかみどりさん、コメントありがとうございます。

「日本というOSにこれから必要となるソフトのひとつ」という表現はとてもいいですね。公的年金制度の見直しと今後の持続性という問題はほんとうに難しい問題で、究極的に言えば、年金もゆくゆくはBIに置き換えて行くしかないと思っているのですが、その議論はまだ時期尚早だという気もします。自分だってもう年金受給資格を満たすくらい長く年金を払い続けて来ましたから、急に年金廃止でBIに統合なんてことになったら、絶対反対したくなるに違いありません。(笑)

仕事の効率化や自動化によって、逆に「K」が意識されるようになったというのも、きっとそうなのだろうと思います。だとすれば、これはいい変化ですよね。BIが始まることによって、効率性だけじゃなく安全性や職場の快適さも促進されて、またワークシェアリングによって労働の過酷さも緩和されるといったことになるといいのですが。それがあかみどりさんの言われる「人と人がつながること」の結果であるとすれば、BIの未来は明るいと思えます。

◆ ◆ ◆

turusankamesanさん、コメントありがとうございます。

BIの効能のひとつが、「企業と労働者とで対等な立場の構築」ということにあるのは同感です。ただ、この問題は決して単純ではないとも思うんです。労働者の「いつでも辞められる」チカラが強くなれば、安い賃金や劣悪な労働環境しか提供出来ない下請け企業は廃業せざるを得なくなる。発注者である大企業に値上げを求めても、市場が安い製品を求めている以上、応じることは出来ません。そしてその市場の大多数を占めているのは、安い賃金で働いている労働者なのです。この〈三すくみ状態〉が続く限り、企業と労働者の対等な立場なんて、どこまで行っても絵に描いた餅だろうと思います。いや、世界中の労働者の賃金が、日本円ベースで同等レベルになれば、もっとバランスのいい労使関係が実現するのかも知れません。でも、そんなことは未来永劫あり得ないでしょう。だから私はむしろ、産業を効率化=無人化する方向に希望を持ちたい気がしているんです。

実際に3K労働の現場を体験されているturusankamesanさんには、机上の理想論のように思われるかも知れません。でも、私たち労働者が日本円のために働いている限り、私たちの競争相手は企業ではなく、中国やインドやベトナムの労働者なんですよね。そんなところで勝負しても仕方が無いと思いませんか? 例えば私自身について言えば、企業労働者としての仕事よりも、このブログのために勉強したり文章を書いたりしていることの方がずっと生きがいを感じられる。turusankamesanさんだって同じじゃありませんか?(最近の文章がとても明るい気分に満ちているので、そう推測します。) もしもBIが実現して、少なくともフルタイムで働かなくても生活出来るようになれば、それだけでも私は満足なんですけど…

投稿: Like_an_Arrow | 2010年4月30日 (金) 23時15分

私自身は本来ワーカーホリックです。(レイバーホリックじゃないですよ)。
達成感・到達感のある仕事は厳しくもあり楽しくでもあり、でした。

しかしながら、現在の労働においてそのような恵まれた環境で働いてる人達がいか程にいるでしょうか。
ほとんど全ての作業がルーティン化・規格化されており、そこからのフィードバックで更なる改善・高効率化を図る。
そこに関わる労働者は、システムを最大効率に高めるためのセンサー的役割でしかありません。
センサーがすべき作業は監視・異常検知・障害除去・清掃です。そして又システムを起動させる。
これは製造業に限った話ではありません。サービス業でも同じです。常にシステムを安定に稼働させるためのセンサーとしての労働です。

世に働くほとんどの人達が、現実にはルーティン作業の継続ではありませんか。
センサーになるか否かは別としても、労働とは、本来ルーティン作業の継続だと思います。

三すくみ状態はどこかのチカラを大きくすることで簡単に崩れます。
劣悪な環境しか提供できない経営者は廃業すべきですし、するしかないでしょう。
待遇改善に努力し、雇用促進にチカラをいれた経営者の元には労働者も集まるでしょう。
「いつでも辞められる」チカラを持った労働者が、そのチカラを無軌道に行使するのではないか?
数の中には居るでしょうが、大方の人間は、心地よく働ければ些細なことに文句は言わないもんです。
「心地よく働く」、当たり前の話がこの日本においては当たり前では無いのです。
都心にて、人身事故にて毎日のように電車が止まる。
これは決して「当たり前」の世界じゃないんです。

投稿: turusankamesan | 2010年5月11日 (火) 22時09分

なるほど。ひと昔前は企業のなかで働く労働者を、1個の「歯車」に喩えたりしたものですが、最近は「センサー」なんですね。分かるような気がします。

「心地よく働く」ことを妨げているのは、労働環境や待遇の悪さばかりではないような気がします。自分が1個のセンサーであると自覚した人に、心地よく働ける可能性はあるのでしょうか? 時給1000円でセンサーとして働くよりも、時給300円でもいいからやりがいのある仕事をしたい。そんな人にとってはBIは有効かも知れませんが…

投稿: Like_an_Arrow | 2010年5月15日 (土) 01時38分

こんばんは。コメントへの返答ありがたく、それにまたコメントしたくなってしまいます(悪い癖)。(。・w・。 )
BIが表す塊の一側面には『幸福論』がありそうですね。

>自分が1個のセンサーであると自覚した人に、心地よく働ける可能性はあるのでしょうか?<
うーん、人それぞれなので私個人の意見としてなら、「それも良し」 ですね。
労働って元々単調でつまらないモンじゃないですか。そこに体力的・精神的苦痛が伴えば正にレイバーですよ。
ただ、体力的苦痛は環境改善で補える部分が大です。

精神的苦痛は、難しいテーマだなあ。
単調作業に耐えられる精神力、実際そのような労働に携わって十年二十年な人と接すると、尊敬の念すら覚えてしまいます。
当然その方達も自らがセンサーである事を自覚しており、センサーとしての役割を忠実に正確に全うする事を自身の誇りとしてますし、私はそれを否定する気はさらさら有りません。
「心地よく働け」れば、私も彼らと同じ心境になれるんじゃないかなとも思ってます。
今働いてる大半の人達は、昨日も今日も明日も同じ作業の繰り返し、単調な毎日=日常性の中に、妻とか恋人とか子供の成長とか趣味とかの喜びを見いだして生きているんじゃないかと思います。
それでいいんだと思います。
日々の生活の中に何がしかの喜び・楽しみを見いだし、それを励みに働く。BIがその快なるものを後支えして保証してくれれば、私はそれでいい のではないかと思ってます。

投稿: turusankamesan | 2010年5月18日 (火) 04時16分

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