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2010年3月22日 (月)

ベーシックインカムの財源問題について

 五年前にこのブログを開設してから、たぶん一番たくさんのアクセスを集めた記事は、『ベーシックインカムについて考える(1)』と題したこちらの記事です。自分が書いて来たたくさんの記事の中で、何故これがナンバーワンなのかと言うと、それにははっきりした理由があります。Google検索で、あるキーワードを入れると、この記事が一番先頭に来るのです。それは「ベーシックインカム 財源」という(AND検索の)キーワードです。(私が気が付いた半年くらい前から、トップの座を譲ったことがありません。「ベーシックインカム」単独では残念ながらトップ100にも入らないのですが。) 確かに最近はベーシックインカムというものが話題になっていて、これに関心を持った人は、「でも財源はどうするんだよ?」と考える訳ですから、この記事はそういう問題意識を持った人が最初に目にする文章になってしまった訳です。

 たいへん申し訳なく感じています。と言いますのも、この記事は私がベーシックインカム(BI)について書いた最初の記事でして、確かに財源問題に関する意見は述べられているものの、それは初学者らしい間違った考えだったからです。この記事のなかで私は消費税を60パーセント(!)にしてBIの財源に充てるべしなんて書いている。バカ言っちゃいけません(笑)。これは当時読んだゲッツ・W・ヴェルナーさんという人の本の影響なのですが、その後自分でもBIについていろいろ読んだり考えたりして、財源問題についても全く違う考えを持つに至りました。で、今回の記事は、BIの財源をどこから持って来るかという問題について、お詫びの気持ちもこめて訂正しておこうと思って書いているのです。願わくはこの記事が、くだんの過去記事を抜いて検索トップに来てくれんことを。と言っても、それはGoogle社のランキング・アルゴリズムの問題なので、こちらとしてはいかんともしがたいものなのですが…

 私の基本的な認識は、BIというものを格差是正策や景気浮揚策の一種として捉えてはいけないということです。ほら、もう過去に書いたことと矛盾してる。でも、そこが今回の記事で説明したいキモの部分なのです。もしもBIが単なる所得再配分のためのものであるなら、あるいは(もう少し経済通っぽい言い方をして)この国のデフレギャップを埋めてGDPを牽引するためのものであるなら、そんな経済政策はBI以外にもいろいろある訳だし、実現までのハードルが高そうなBIにいま注目する意味は無い。むしろ話は逆で、BIは現代の社会が抱える問題を解決するための手段ではなく、これからの社会が向かう方向を指し示すひとつの指針として捉えるべきものなのである。いろいろ考えた結果、私はそういう結論に達したのです。つまり、まずベーシックインカムありきではなくて、ベーシックインカム(のようなもの)を実現するためには、いまの社会や経済の仕組みをどう変えていかなければならないかということ、その問題を私たちが不断に考え続けていくことにこそ、この政策の本当の意義があるということなのです。

 しかし、どうも議論が先走っていますね。この記事はベーシックインカムについて初めて興味を持った人に向けて書いているのでした。インターネットなどでBIの財源に関する議論を読んでいると、まずたいていの人は現在の財政構造のなかで、どうやりくりしてBIの原資を捻出しようかと考えている。これがそもそもの間違いだと私は思うのです。例えばBIが実現した社会では、他のいろいろな社会保障制度を廃止出来るので、そのための予算はすべてBIに回すことが出来る、そんなふうな議論があります。こういうゼロサムの発想で考えると、BIが現在の経済構造を根底から変えるブレークスルーの可能性を持った政策だということを見誤ってしまう。BIの最も基本にある考え方は、産業が効率化して豊かになった社会では、その豊かさをすべての人に行き渡らせる仕組みを持つべきだというものです。人道的見地からそうするのが正しいからというのではなく、そうしないと需給のバランスが崩れて経済の持続性が失われてしまうからです。ですから「BIは面白そうだけど財源はどうするんだ?」という問いは、BIの本質を分かっていない人の問いだと言わざるを得ない。(偉そうに言い切ってますね。笑) 財源はあるんです。いや、もしも財源が無いと言うなら、それはまだ産業の効率化が十分ではないか、あるいは効率化の果実がどこかに偏って集まっているかのどちらかでしょう。BI推進派の私たちは、そこのところの実態をよく見定めなければなりません。

 例えばいまの政治が取り組んでいる課題に、無駄な公共事業の廃止というものがあります。「事業仕分け」が多くの国民にアピールしたところを見ると、無駄な公共事業が多いということは国民的なコンセンサスになっているのだと思います。でも、無駄な公共事業の「無駄」とはどういう意味なんだろう? こういう問いの立て方が、BIの議論には欠かせないものなのです。川の上流に巨大なダムを作る、それによって二百年に一回起こるかも知れない洪水を防ぐことが出来る、過疎の町に立派な公会堂を作る、それによって地元のお年寄りがふだん触れることの無かった芸能を楽しめるようになる、こういったことについてどこまでが無駄でどこまでがそうでないかを判断するのは難しいことです。もしも赤字経営であるものはすべて無駄と言うなら、公共事業なんて廃止して、すべてを民間に委託してしまえばいいことになる。しかし、ベーシックインカムの実現ということをひとつの軸として置けば、それに資する事業とそれを阻む事業という大枠での分類は出来るのではないかという気がします。それはつまり「雇用創出効果」というものを度外視して、その事業が産出する社会的な富(アウトプット)とその事業が消費する社会的な資源(インプット)の差で、「BI実現への貢献度」を測るというやり方です。

 私がよく引き合いに出す例で言えば、産業の効率化と集積化が極度に進んで、あらゆる製品(工業製品も食料品もすべて)がたったひとつの工場から産み出されているような未来の社会を想像してみてください。これは究極のオートメーション工場で、人間はひとりも働いていない。つまり雇用はゼロです。原材料やエネルギーも、地下数千メートルの〈マグマ溜まり〉から自給しているので、外部から買い入れる必要が無い。むろん野菜や食肉なども自社工場で育成しているものを使用しています。イメージとしては、これがBI社会における理想の企業像ということになる(あくまで私個人のイメージです)。これはまた言ってみれば究極の平等社会の到来とも言えます。なにしろすべての人は等しく失業者なのですから。それでも決して貧しい社会という訳ではありません。そこではBIが当たり前であるばかりか、お金というものも単なる配給チケットのようなものとしてしか見なされなくなります。これは「賃金労働」こそが正しい人間の労働であり、それを奪われた人間には生きがいも尊厳も無いと考える人にとっては、とうてい受け入れ難い社会のあり方だと思います。また人間と自然の共存を目指している〈環境派〉の人たちから見ても、唾棄すべき思想であるかも知れない。BIという思想を突き詰めていくと、どうしてもそうした価値観の対立にぶつかる、そのことはBIに賛成するにせよ反対するにせよ認識しておいた方がいいと思います。

 おっとベーシックインカムの財源問題を考えていた筈だったのに脱線しました。ただ、以上のような考察からも、BIの財源を消費税や所得税に求めるのは間違いだということは結論出来るだろうと思います。産業の効率化による果実は、まずは企業部門に集まるのですから、BIの原資は第一義的には法人税に求めるのが正解でしょう。そもそも失業者ばかりの社会では、税金を納められるのは企業しかない訳ですからね。いま国の税収のうち、法人税が占める割合は二割程度です。しかもこれは景気の変動によって大きく振れる不安定な税ですし、また日本は他の先進国に比べて法人税が高いのだそうですから、これをさらに増税してBIの財源に充てようなどというのは非現実的です。しかし、それは現在の法人税の仕組みを前提に考えているために、そう思われるだけかも知れません。ベーシックインカム実現のためには、この法人税というもののあり方を根本的に見直すことが欠かせないと私は考えるのですが、これについては次回の記事でまたあらためて考察したいと思います。ベーシックインカムの財源問題について、ここからが本題ということになります。

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コメント

本題、期待してます。 ( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: turusankamesan | 2010年3月25日 (木) 10時04分

ぜひ、期待しててください。(⌒ー⌒)フッフ

投稿: Like_an_Arrow | 2010年3月27日 (土) 06時55分

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