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2010年2月21日 (日)

死の恐怖を克服する方法について

 哲学とは死を迎えるためのレッスンだという言い方があります。少なくとも哲学者を自称する人間が、死の恐怖に圧倒されて思考停止の状態に陥っているようじゃ、何のための哲学だか分かりゃしない。先週書いた記事が、自分でもあんまり恐ろしいものだったので、それを中和するために、今回もう一度「死」について書きます。今度のテーマは「死の恐怖を克服する方法」についてです。私が思うに、死の恐怖というのもそう単純なものではない。少なくともそれは三つの要素から成り立っていると考えられます。死の恐怖から逃れたいと思っている人は、自分が死のどの側面を恐れているのか、まずは自己分析をしておく必要があります。

 死の恐怖のひとつめは、世界と自分との関係が断ち切られることに対する恐怖です。例えば、自分が死ぬことによって、遺された家族はどれほど嘆き悲しむことだろうと考える。あるいは自分が一家の経済を支えている立場なら、死んでも死に切れない気持ちになるのも当然だと思います。この世を去ることで断ち切られるものは、家族との関係だけではありません、「まだやり残した仕事がある」、「もう一度会いたい人がいる」、「行ってみたかった場所がある」、どんな些細なことであっても、「この世の未練」と感じられることがひとつでもあれば、安らかな死というものにとっては一点の陰りになる可能性がある。逆に、「この世でやるべきことはすべてやり遂げた、もう未練は何も無い」と心から思える死に方があれば、それは誰もが羨む理想の死に方だと言えるでしょう。

 こういう意味で理想の死を迎えられるかどうかは、その人の運次第というところもありますが、ふだんからの努力や心がけによる部分もあります。結婚して子供をもうける、仕事である程度の地位に着く、万一に備えて生命保険をかける、子供に遺せるだけの財産を築く、定年後には海外旅行をする、何かひとつライフワークと思えるものを作る、古今の名作と呼ばれる本を読む、遺言書を書く、生前に墓を建てておく、こうしたことはすべて「この世の未練」を断ち切るための準備だと言えないこともない。私なんてこのブログを書いていることだって、ほとんど安らかな死を手に入れたいという動機だけで続けていると言っても過言ではない気がします。またこれは一般論ですが、この世に未練を残さないためにはある程度の〈長生き〉ということも必要でしょう。うんと歳をとれば、いい加減生きることにも飽きたという心境にだってなれるかも知れない。こうした条件をすべて満たした理想の死に方を、私たちは「大往生」というコトバで呼んでいます。

 死の恐怖のふたつめは、死に移りゆく過程に対する恐怖とでも呼ぶべきものです。もっと分かりやすく言えば、死ぬ前に長患いやひどい病苦を味わうのはごめんだということですね。須原一秀さんという哲学者が書いていましたが、人は誰でも眠るような安らかな死で人生を終えたいと思っているけれど、そういう死に方が出来る人というのは本当にまれなんだそうです。自然死だとか老衰死と聞けば、テレビドラマに出て来るような静かに目を閉じる臨終シーンを思い浮かべますが、そんなことは現実には滅多にない。人間の生命力というのは相当しぶといもので、死の床にある病人や高齢者でも、身体は最期まで死に対して激しく抵抗するのがふつうだと思います。これは周りで見ている方もつらい。前にも書きましたが、私たちは〈死〉を〈眠り〉のアナロジーで考える習慣があるけれども、このふたつは実はまったく正反対のものです。眠りは身体からの要請によって引き起こされるものであるのに対して、死は身体からのあらゆる抵抗を振り切って遂行されるものであるからです。最後の最期において、私たちの心は死と身体とがせめぎあう激戦場と化してしまう。(もっとも臨死体験から生還した人たちの証言によれば、激しい苦悶のあとには実に気分の良い解放の瞬間が待っているそうですが…)

 このタイプの恐怖を胸に抱いている人が、生前心がけておくべきことはあまり無いような気がします。いくら健康に注意したって、人間はいつかそれで命を落とす病気に罹ってしまう。せいぜいそれがあまり過酷な病気でないことを祈るだけです。終末期の苦痛の緩和ということについては、現代の医学がいろいろな処方を私たちに提供してくれていると思いますし、この先さらにこの分野での研究は進んで行くだろうと期待出来ます。ただ、医学が進歩することによって、却って終末期における悲惨さが増している面もあることを私たちは忘れてはいけないと思います。延命技術の進歩によって、現代人はほとんど自分の意思とは無関係に、長いあいだ死の床にくくりつけられる傾向があるからです。もう勝敗のついている勝負を、文字どおりドクター・ストップも無しに、延々と続けさせられるのは非常につらいことです。このことに不安を感じている人は、まだ元気なあいだにリビングウィル(終末期の治療方針に対する要望書)を書いておいて、徒な延命措置の拒否ということをはっきり意思表示しておくのがいいかも知れません。これは医療における安楽死の問題です。ここにはいろいろ難しい議論があることは分かっていますが、その議論を先延ばししていることこそが問題だと私は思っています。ちなみに私自身は、安楽死について積極的に賛成する勇気は無いものの、これを一定範囲では容認したいという考えを以前から持っています。

 最後に残った死の恐怖の三つめは、死によって自分という存在が永遠に失われてしまう、そのことに対する恐怖です。この世の未練というのとも違うし、死ぬ間際の苦痛が恐いというのとも違う、もっと何か漠然とした、自分が生まれて来たことの根源的な不安に結びついたような恐怖です。人はこの世に自分の意志で生まれて来る訳ではないし、(たいていの場合)自分の意志で死んで行く訳でもありません。誰のどういう意図によるものか分かりませんが、人は突然無の世界から呼び出され、かりそめのあいだこの世界を生きて、また無の世界に帰って行く。私たちは自分が生まれて来た理由も、やがて死んで行かなければならない理由も知らされていないのです。古来、哲学者たちは(生と)死に対するこの三番目の恐怖を好んでテーマとして取り上げて来ました。私たちの恐怖を静めてくれる(場合によってはさらに掻き立ててくれる?)優れた警句や箴言もたくさん遺されています。でも、逆に言えば、そうした言葉にすがらなければならないほど、我々にとって死への不安や恐怖は圧倒的なものなのだとも言えるかも知れない。もちろんこれは誰にでも当てはまることではないと思いますが、少なくとも私は死というものに対してそのような感触を持っているのです。

 人によっては宗教がこの恐怖をやわらげてくれるという主張もあるでしょう。しかし、もともと宗教というものと縁の薄い現代人にとって、何かを信じることで死の恐怖から解放されるというのは、なかなか想像することが難しい経験です。いや、これは私だけの考え方かも知れませんが、たとえ自分が信仰心を持っていたとしても、それで対処出来るのは先ほど説明した一番目と二番目の恐怖に対してだけで、この三番目の恐怖に対しては無力だという気がするのです。というのも、たとえ死んだあとに天国での永遠の生を保証されたとしても、今度は〈この自分〉が天国で永遠に生きるということが恐ろしく感じられるに違いないからです。それが天国ではなくて、輪廻転生だったとしても同じです。もしも生まれ変わりによる来世というものがあったとしても、それで死ぬことが少しでも恐くなくなるかと言えば、そんなことはない。むしろそうやって輪廻転生を繰り返しながら、〈この自分〉というものが果てしなく未来に投げ出されて行くというのは、もっと恐ろしいことであるようにも思える。ここまで来ると、それはもはや死への恐怖ではなくて、存在すること自体への恐怖とでも呼ぶべきものかも知れません。死ぬのも恐いし、生きているのも恐い、どこにも逃げ場の無い進退きわまった断崖絶壁の恐怖…。で、自分も過去の哲学者たちに倣って、これに対するひとつの処方箋を書いてみたいと思うのですが、――おっと今夜はもう時間が無くなってしまった。この続きは次回またということにしたいと思います。

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コメント

興味深い講ですねえ。哲学的に感じられますw
死に対する一般的な恐怖は、痛み・苦しみではないでしょうか。
ピンピンコロリが体現しているように、
楽に死にたい
というのが普通人の一般的日本人の感覚ではいかと。

この感覚を元に小説を書いてみたい願望が有ります。
まったく、痛み、苦しみも感じずに自殺できる薬物が国家承認の元に許された時、人が己の死を、自由な己の意思で決められるものとする時が来る。
死に対する恐怖を消し去った時、私は何を想い何をするか、その時、他者の存在はどこまで己を確認足らしめてくれるか、
妻・子ども・親・恋人・職場・電車の中の赤子・飼っているネコ・誰かが
そんなテーマです。
少し重かったですか。。。

投稿: turusankamesan | 2010年2月23日 (火) 00時22分

> 興味深い講ですねえ。哲学的に感じられますw

だから哲学者なんですってば。「自称」ですけど。(笑)

> 人が己の死を、自由な己の意思で決められるものとする時が来る。

この問題に関しては、ぜひこちらの記事も参考にしてみてください。

『「死」に絡め取られない生き方』
http://philosopher.cocolog-nifty.com/essay/2008/10/post-183f.html

投稿: Like_an_Arrow | 2010年2月23日 (火) 23時42分

三番目の恐怖について共感してくれるヒトが周りに居なかったので、自分がアブノーマルだと思ってました。同じような考えを持つ人が居る事を知ってすこし安心しました(笑)終わりがないって深く想像する度にゾクっとします。

投稿: のぶ | 2010年5月 7日 (金) 02時06分

初めてまして。私は普通の主婦なのですが(>_<) 母の死をきっかけに、よく死について考え、運良くこちらの記事を目にして第三の恐怖というものに私は縛られているんだ、と分かり少し心が救われました。
本当に時々死への恐怖で怯えて涙が止まらなくて眠れない夜を過ごします。
カウンセリングに行っても良い答えは見つからないかもしれません(*_*)
記事を読ませて頂いて、本当に少し心が落ち着きました。これからの長い人生の中で死への恐怖を克服するための道しるべを示してくれたように思います。
ありがとうございます。

投稿: お茶 | 2011年2月26日 (土) 01時18分

お茶さん、コメントありがとうございます。

自分の書いた駄文をこのように真剣に読んでくださる方がいらっしゃると思うと、身が引き締まる思いがします。「死の恐怖」というものは、それにとらわれると本当に生きて行くエネルギーをすべて吸い取られるような強烈なものですよね。病気ではないので、お医者さんにかかったり、薬を飲んだりすることで、この恐怖を克服するのは難しいのではないかと思います。

文面からお茶さんはまだお若い方ではないかと感じました。私は五十代のもう中高年と呼ばれる世代の人間ですが、若い頃には死を考えると本当に心が麻痺するような鋭い痛みを感じたものでした。でも、年をとって来ると、相変わらず死は恐ろしいけれども、若い頃のような鋭い痛みではなく、鈍痛といったような感触に変わって来ました。これは私が死の恐怖を克服したためではなく、単に加齢とともに感受性が鈍って来たためだという気がしています。

だから〈死〉というものに対して、こんな気楽な文章が書けるのかも知れません。この先、老年と言われる年代に入って、死が今よりもっと身近なものになっても、きっと若い頃に味わったような激烈な恐怖心は追体験できないのではないかと思っています。だから、変な話ですが、お茶さんのコメントを読んで、何か懐かしいような、羨ましいような気持ちにさえなったのです。

おそらく生涯のうちにそう長くは味わえない今の気持ちを、むしろ楽しんでくださいなんて無責任なことは言いません。でも、私の経験から言うと、これは長い人生のなかでは一過性のものだと思います。大丈夫ですよ、いつかそんなふうに鋭い感受性でものごとを捉えていた時代を懐かしく思い出す日が来ますから…

投稿: Like_an_Arrow | 2011年2月27日 (日) 00時08分

はじめまして。突然すみません。
死の恐怖を克服したくて、こちらにたどり着きました。
私は最後の三つ目の恐怖から逃れられなくて、どうしようもなく辛く、夜眠れなくなるので眠くなるまで起きていたり、昼間肉体的に疲れるよう体を動かしたりしています。何か重症て感じですよね。
ブログにリンクを貼らせてください。もしもご都合が悪いようでしたら外しますのでお知らせください。宜しくお願いいたします。

投稿: りえ | 2011年6月14日 (火) 23時53分

りえさん、コメントありがとうございます。

この三つめの恐怖というのは、分かる人には分かるけれども、ふつうはなかなか人に分かってもらえない、そういう意味でもつらいものですよね。精神科のお医者さんに行っても、何を訴えていいのか分からない。若い頃、私も意を決してお医者さんを訪ねたことがありましたが、まるで違う世界にいる人と話しているようで、余計に孤独を感じたものです。

りえさんのページ、拝見しました。とてもセンスのいい、感度の高いブログですね。リンクを張っていただいて光栄です。私のこのブログにはリンク集を用意していませんが、素敵なブログなのでここで紹介させていただきますね。よろしかったらこちらにもまた遊びに来てください。

『富士山の麓から。。。』(りえさんのブログ)
http://bintang.airputih.net/

投稿: Like_an_Arrow | 2011年6月15日 (水) 23時39分

初めまして。
死の恐怖を克服する方法の記事を探しながら貴殿の哲学者のブログが見当たりました。死の恐怖を克服すると云う事はいくら種々の理屈が解釈出来たとしても克服は一般の人には難しい問題ではないでしょうか。私もその一人に含まれています。
gooardant


投稿: Cathy Servais | 2013年8月23日 (金) 11時13分

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