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2010年1月10日 (日)

「子ども手当」よりも「母親年金」を

 以前の記事でも書いたように、私は民主党の「子ども手当」というものを、ベーシックインカム導入の先駆的な政策となり得るものとして評価していました。そのためには子ども手当には所得制限はあってはならないし、この政策をどのようなかたちで実行するかは今後の民主党政権を占う試金石であるとも書きました。ようやく昨年末になって、鳩山首相の決断によって、子ども手当には所得制限を設けないという方針で決着したようです。小沢一郎氏は所得制限を主張していたそうですから、鳩山さんの決断はそれなりに評価出来るものだと思います。が、ここに至るまでこれだけ政権内でゴタゴタがあって、国民がそれを目撃してしまった以上、マニフェストの目玉であったこの政策は、もうほとんど本来の意義を失ってしまったと私は考えます。

 所得制限無しの子ども手当は、少子化対策の切り札だった筈です。確かに子供ひとり当たり年間に31万2千円の経済的支援が受けられるというのは、子育て家庭にとっては朗報です。それなら諦めていた二人目、三人目の子供を持とうかと話し合ったご夫婦も多いのではないかと思います。但し、それはこの制度が永続的で信頼の置けるものであるという安心感があればこその話です。今回の一連の騒動を見てしまった以上、私たちは何時また所得制限が復活するかも分からないし、それ以前にこの制度が長続きするかどうかも分からない、そういう疑心暗鬼を持ってしまった。これがこの政策にとっては一番まずいのです。閣内にいろいろな意見があるのは仕方無いとしても、鳩山さんはそれを説得した上で、この政策は民主党の最重要政策であり、民主党政権が続くかぎり他の財政予算を削ってでもこれを継続すると力強く宣言すべきでした。それをしなかったということは、つまり子ども手当が前政権の「定額給付金」と同様の、ほとんど効果の無いバラ撒きに終わってしまうことを意味しています。この政策に必要な予算はいくらだと思いますか? 年間5兆3千億円ですよ。それだけのお金があれば、もっと有効な子育て支援策がいくらでも打ち出せただろうに。が、それも今となってはもう手遅れです。

 世論調査によれば、国民の約半数が子ども手当には所得制限を設けるべきだと回答していたのだそうです。この事実を知った時にも私はたいへんがっかりしました。そんなふうに回答した人たちの想像力の乏しさに対してです。簡単に所得制限なんて言うけれど、ある金額で線引きをして、子供ひとり当たり年間30万円以上の給付金を配ったら、世帯間で所得の逆転現象が起こって大変なことになる、その点については既に指摘しました。それ以外にも問題があります。もしも世帯単位で所得制限を課すなら、共稼ぎ夫婦のあいだではきっと偽装離婚が増えるでしょうし(我が家でも冗談半分でそんな夫婦の会話がありました)、これから結婚しようとしている若い人のあいだでは籍を入れない事実婚が一般化するでしょう(共働きの間は事実婚、退職と同時に入籍というのがお得です)。それにまた「高額所得者にまで子ども手当を支給するのはおかしい」なんていう意見も、まったくの浅慮だと思います。子ども手当の原資は税金なのですから、むしろたくさん税金を払っている高額所得者には、傾斜配分でより多額の子ども手当を支給したっておかしくはない。いや、もしも金持ちには子ども手当など必要無いと言うのなら、所得による制限だけでなく資産による制限も検討すべきだと思うのですが、そんな議論をする人もいません。要するに、少し考えれば「所得制限派」の主張なんて簡単に言い負かすことが出来る筈のものなのです。それだけの理論武装もせずに子ども手当なんて公約を打ち出した民主党の無責任さにも腹が立ちます。

 私がこのブログで何度も取り上げているドイツの経済学者シルビオ・ゲゼルは、スタンプ紙幣を考案したことで有名ですが、もうひとつ重要なアイデアを私たちに遺してくれました。「母親年金」という考え方です。ゲゼルはマルクスと同様、土地が地主によって私有されていることを問題視して、土地の国有化を提唱した人でした。土地の国有化と聞けば、私たちは血生臭い共産主義革命を連想して嫌悪感を覚える訳ですが、ゲゼルの改革論はもっとずっと穏やかで、現代の私たちにも受け入れやすいものです。国は地主にその時の時価に見合ったお金を支払って土地を接収します。もちろん一度に支払える訳はありませんから、全土を国有化するには何十年もかかります。国有化した土地は民間に貸し出され、そこから得られる地代は税収と並ぶ国の重要な収入になります。で、ゲゼルさんは、この地代収入を一般の国家予算に組み入れるのではなく、母親年金に使おうと考えたのです。つまり子供を育てている母親に対する給付金のことです。何故そうするのが妥当かと言うと、そもそも土地が地代を生むのは、土地の価値を支えるための一定の人口密度があればこそです。そして母親という存在が子供を産み育てることで、国の人口を支えている以上、地代は母親に還元するのが筋であると考えた訳です。なんて美しい思想でしょう! これもゲゼルさんの言葉の意訳ですが、現代の女性は子供を産み育てることで、国家経済に最重要な貢献を果たしているにもかかわらず、報われるどころか搾取ばかりを受けているのです。これは彼が生きた時代から百年経ったいまでも、事情はまったく変わっていません。

 同じ子育て支援という政策でも、その背後に哲学があるのと無いのとでは、なんと大きな隔たりがあることだろうか。そう思うと、いまの政治に対する失望がますます深くならざるを得ません。もういまさら子ども手当を白紙撤回して、制度設計からやり直すなんてことは出来ない相談でしょう。だったらせめて、「子ども手当」の呼び名だけでも変えて、「母親年金」にしてみたらどうでしょう。そうすれば昔の偉人が抱いた高邁な理想を思い出す〈よすが〉くらいにはなるのではないだろうか、そんなことすら考えたくなるのです。おそらく「母親年金」というコトバに対しては、違和感を感じる人も多いのではないかと思います。子供を育てているのは母親だけではない、シングルファザーだっていっぱいいるし、最近は父親が積極的に子育てに参加している家庭だって多いのではないかと。しかし、自分としては、むしろそんな時代だからこそ、母親年金という命名にこだわりたい気がする。私は女性が自由に職業を選択出来て、男女の違いによって差別を受けない社会は素晴らしいと思います。今日の社会が多少なりともその点で進歩を遂げたとすれば、それは女性たち自身が声を上げて来たことの結果でしょう。しかし、男女平等が声高に叫ばれる一方で、自ら声を上げられない者もいる。子供たちのことです。子育てが難しい時代というのは、親よりも子供にとっての受難の時代と言えるのではないかと私は思います。もしも子供に寄り添い、子供を慈しむことが、広義における母性の役割と言えるなら、これを支援することは政治の役割です。子ども手当に所得制限はあり得ても、母親年金に所得制限を設けるのは不自然です。母性とは本来、経済的な理由によって制限を受けるべきものではないからです。

(追記です。母親年金というキーワードでインターネットを検索していたら、とてもいい記事に出会いました。今回の私の文章はこの記事に触発されて書いたものです。やはりシルビオ・ゲゼルの思想に共感する方なのですね。久しぶりにトラックバックを送ってみたくなりました。)

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