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2009年10月18日 (日)

減価貨幣は持続可能な社会を約束するか?

 このところずっと減価貨幣とベーシックインカムの問題について考えています。ベーシックインカムというのは、冷静に考えればゼロサム経済のなかでの所得再配分方法のバリエーションのひとつに過ぎない、これに対して減価貨幣というのは、ゼロサム経済の枠組そのものを打ち破る可能性を秘めたものである、これが前回の記事の要旨でした。そしてこのふたつを組み合わせることで、現代社会は「富の再配分によって阻害されない持続的な経済の発展」を実現出来る可能性がある、というのが最近の私の主張だった訳です。けれども、ここで言う「持続可能性」とはあくまで持続可能な経済システムのことを指しているに過ぎません。今日、私たちにとって持続可能性が大きな課題であるのは、経済の問題以上に地球環境の問題が差し迫ったものとしてあるからです。今回はこの大きな問題について考えてみます。シルビオ・ゲゼルの思想に惚れ込んでいる私の設問はこうなります、「減価貨幣によって環境破壊は食い止められるのか?」。

 ベーシックインカムについて考えるヒントを与えてくれた関曠野さんが、ゲゼルの減価貨幣についてコメントを寄せられています。意外なことにC.H.ダグラスの社会信用論を高く評価する関さんは、減価貨幣に対しては非常に厳しい評価を下されている。このふたつの思想は、私にはとても相性のいいもののように思えるのだけれども、何故だろう? 私が「関=ダグラス理論」に疑問を感じるのは、公共通貨でベーシックインカムを実行した場合、どうやってインフレを抑えられるかというその一点です。それは思想的な当否ということではまったくなく、ただ実践的な可否としてどうかということです。(それとも私がまだ見落としている要素が何かあるのかな?) ですから、関さんが書かれているような、「要するにゲゼルはマクロ経済学以前の人で、金融資本や大企業による市場の支配といったことは彼の視野の外なのです」といった批判が学術的に妥当なものであるかどうか、私にはまったく興味が無い。減価貨幣以外にこの難問の解があるのなら教えて欲しいと思っているだけです。ただ、関さんの減価貨幣に対する批判のなかで、ここだけは核心を突いていると感じたところがあります。というのも、シルビオ・ゲゼルの思想に心酔している私自身でさえ、この点に関しては同じ疑問をずっと心のなかで感じていたからです。これを指摘する関さんの文章は、簡潔で端的で分かりやすい。引用します。

 『ところで手持ちのお金を使わないでいると毎年少しずつ減価していくという仕組みは、貯蓄に対する処罰的な課税だと言えます。商業にはプラスでしょうが、このように処罰の恐れによって動く経済があっていいものでしょうか。また人々に消費を強制することはエコロジカルどころか、欲しくない商品まで買わせる浪費的な消費の奨励につながりかねません。これに対してダグラスの国民配当は、贈与を経済の原動力とするものです。』

 ダグラスの主張する国民配当(ベーシックインカム)なら、浪費的な消費を助長しないのかどうかはともかく、減価する貨幣というものが「欲しくない商品まで買わせる」働きをするのは常識的に考えてもありそうなことです。聞くところによれば、減価貨幣を導入した町では、人々は預金利子に期待することが出来なくなったので、長期的なリターンを期待して、例えば〈植樹〉に投資するといった行動に出たそうです。ゲゼル派の私たちが好んで取り上げるエピソードではありますが、これだけで減価貨幣がエコロジカルであることの例証になっているとはとても思えません。減価貨幣は通常のお金に比べて流通速度が速くなるのが取り柄ですから、景気が良くなる一方で関さんが指摘するような浪費的な消費を促す危険性は大いにありそうです。目減りするお金に常に急きたてられている生活は、最近流行の〈ロハスなライフスタイル〉などというものからは最もかけ離れたものでしょう。百年前に活躍したゲゼルさんは、環境保護が人類共通の課題になる前の時代の人ですから、その経済理論に環境持続のための仕掛けがビルトインされていなかったとしても、それは当然のことだと思います。

 これも関さんの文章からの受け売りですが、ダグラスの社会信用論の基本となる考え方に、「A+B理論」というものがあります。生産コストのうち労働者の賃金や給料に当たる部分をAとして、その他の原料費や減価償却費や支払い利子といった部分をBとすると、A+Bは常にAより大きい訳ですから、労働者は理論的に言って企業が生産する製品をすべて買い取ることは出来ないことになる。すなわち、近代的な工業生産の社会においては、常に購買力は生産力に対して不足しており、モノは豊かなのに労働者は貧しくてそれが買えないという状況に陥ると言うのです。ここからベーシックインカムによる購買力の下支えという発想が出て来る訳です。この考え方を最初に知ったとき、なるほどと思うと同時に、どこか理屈がおかしいぞという気持ちになりました。ダグラスの時代から見れば、今日では製品に占める人件費の割合はさらに小さくなっていると思いますが、だからと言って大量の製品が売れ残って経済が危機に瀕している様子もない。一部に売れない在庫を抱えている企業はあるにしても、総体として見れば生産量と購買量はほぼ均衡している筈です。もちろんそこには企業による生産調整ということもあるし、税による所得の再配分ということもある訳ですから、ダグラスの理論が現代にそのまま当てはまるものではないと思います。しかし、私が感じた違和感はそんなことではない、ダグラスのA+B理論にはもっと根本的なところでトリックがあるのではないかということなのです。いや、そんな分析はもう何十年も前に誰かがしているに違いありませんが、私は私で考えてみた。

 最初私が考えたのは、ダグラスは工業生産における〈分業〉というものを考慮していなかったのではないかということでした。自動車工場で働く労働者は、自分たちの給料で自分たちが作った製品をすべて買い取ることは出来ない、それはその通りでしょう。しかし、今日の社会では多くの製品を多くの企業が分業して生産している訳ですから、ひとつの工場が生み出した製品はそこで働く人たちだけによって消費されなければならない訳ではありません(当たり前ですね)。ただ、この解釈は社会全体で生産に対する需要が枯渇しないことの説明にはなっていても、生産力と購買力とが釣り合っていることの説明にはなっていません。社会全体の生産コストを見れば、やはりA+B>Aであることに変わりはないからです。で、次に私が考えたのは、ダグラスは製品の〈耐用年数〉というものを考慮していなかったのではないかということです。もしも自動車という製品が3ヶ月くらいの耐久性しかなく、私たちが1年に平均4回もクルマを買い換えなければならないとすれば、平均的な所得でそれを賄うことはとても不可能でしょう。が、幸いなことに自動車にはふつう10年くらいの耐久性があるのですから、そんな頻繁に買い換える必要は無い。3ヶ月分の給料でクルマを1台買うことは難しくても、10年間分の給料からその費用を工面することなら無理なく出来る訳です。要するに、商品の耐久性というものによって規定される消費スピードというものを考慮せずに、単位時間当たりのAとA+Bを比較してもまったく無意味なのです。なんだ、ぜんぜんダメじゃん、ダグラスさん。(笑)

 と、ここまで考えて、はたと気が付いたことがある。そうか、これってゲゼル理論を拡張するためのアイデアとしても使えるじゃないか! ゲゼルの主張は、貨幣は商品とは違って時間の経過とともに古びたり傷んだりすることがない、だから売り手と買い手のあいだに対等な取り引きを成り立たせるためには、お金にも減価する性質を与えるべきだというものでした。だったら逆の発想で、商品の耐久性をうんと高めれば取り引きは対等なものに近付く筈である。実際、ゲゼルさんが有名な「ロビンソン・クルーソー物語」を書いた時代には、家庭用の冷蔵庫や冷凍庫も無かったし、プラスチックやポリエステルのような合成素材も発明されていなかった訳です。そういう時代の制約のなかで考えれば、商品の減耗に合わせて貨幣も減価させなければならないという発想はごく自然なものでした。この思想はその後の歴史のなかで大きな成功を収めることは出来ませんでしたが、一方で技術の分野では大きな革新が次々に起こり、商品の耐久性や信頼性は格段に進歩した。今日、市場で売られている商品の多くは、百年前の商品のようにただお金と交換されることを受け身で待っているだけではありません。需要に生産が追いつかない人気商品は、中古品に新品より高いプレミアムがつくということも実際に起こっています。この場合、もちろんその商品の〈耐久性〉が人気の秘密ではない訳で、現代では商品の需要を決定する要素もとても複雑なものになっていると思われます。(保存料を含まないオーガニック食品の方が商品価値としては高く見積もられるというようなこともありますから。) ただひとつだけ言えることは、一般的に商品の耐久性が増して、買い換えのサイクルが長くなればなるほど、環境への負荷は減るだろうということです。

 とりあえず今回の結論です。減価貨幣はふつうに考えても環境保護に役立ったりはしません。それは単に商取引における対等性を担保して、循環可能(持続可能)な経済の仕組みを目指しているだけだからです。しかるに、貨幣の魅力を減ずることで持続可能な経済に近付くものなら、商品の魅力を増すことでも同じ効果が得られる筈である。そして耐久性や購入後のメンテナンス性の良さは、商品の魅力の一要素であると同時に、過剰な生産や不用品の廃棄を抑制するという意味で環境持続性にも直接つながると考えていいだろう。(ただし耐久性が増しても、廃棄された後に環境への負荷となる合成素材や有害物質などについては、まだまだ改良の余地がある訳ですが。) なんだかとても当たり前の結論で、面白くも何ともありませんでしたね。もうひとつ問題として残るのは、製品の耐久性を限りなく高めることは、メーカーにとって自殺行為であるかも知れないという点でしょうか。ちょうど現在がそうであるように、不況期においては特に買い換え需要が低下しますから、耐久性の高い製品はメーカーにとっては本音のところ癌のような存在であるに違いない。これは事実かどうか分かりませんが、家電メーカーなどは営業戦略上わざと耐久性に期限を持たせているといった話も聞きます。(自動車メーカーでそれが出来ない理由は、重大な人命事故につながる可能性があるからです。) いくら環境に優しい社会が実現しても、そのために企業がバタバタと倒産してしまったのでは意味が無い。これに対する解決策は何かあるのでしょうか? さて、原稿書きのタイムリミットが来てしまいましたから、この問題についてはまた次回考察することにしたいと思います。

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コメント

はじめまして。愚樵と申します。
社会信用論と減価通貨&BIの話、面白く読ませ頂きました。
私も減価通貨には関心を寄せている者のひとりです。

さて、当記事には「減価通貨が消費を強制する」という話が出てまいりました。私はここは疑問に思うのですね。

フィシャーの交換方程式 MV=PTから考えてみますと(M=通貨量、V=通貨流通速度、P=物価、T=取引量)、

「減価通貨が消費を強制する」というのは、Vの増大に比例してTも増える、Tの増加はエネルギー消費に繋がるから非エコロジカルだということなのですが、そうとばかりは言えないように思います。

Vの増加がTを増大させるのは需要が増加するからですが、減価通貨&BIは、一方で労働者の勤労意欲を減退させることになると私は推測します。これは、供給の側から考えるとTはむしろ減少することになるということです。であるならば、Mは一定と仮定しますと、V増大T減少ということになって、Pの上昇という結果になると考えられるのですね。
(Pの上昇は、既成の減価しない通貨の価値を総体的に減じさせる効果があります。)

この予測が正しいかどうかはわかりませんが、減価通貨の導入すると、MVPTの4つのパラメータの収束値が、現在の減価しない通貨のそれとは違ったものになることは間違いないと思います。

投稿: 愚樵 | 2009年10月24日 (土) 06時27分

愚樵さん、こんにちは。コメントをありがとうございます。

この問題を考えるに当たっては、減価貨幣とBIを分けて考える必要があると思います。愚樵さんがおっしゃるように、BIが実現すると労働量が減少するかも知れませんが、そもそもBIが実施出来るくらいの社会では、産業が高度に効率化されていて、生産コストに占める人件費の割合がうんと小さくなっている筈ですから、BI実施によって供給力が大きく損なわれるということもないと思います。と言うか、そんなふうに人件費に頼る部分が極小化していることが、BI実現のための前提条件だとも言えるのではないでしょうか。

これに対して、(BIを伴わない)減価貨幣の方は、これは単純に通貨の流通速度をコントロールする政策ですから、Vが大きくなるのに比例してTも大きくなる。その仕組みそのものには、生産量を抑制する働きは無いのではないかと思います。と言うことは、オートメーション化が今より進んだ未来の社会で減価貨幣によるBIが実施されると、理論的には究極の浪費社会が到来するとも考えられます(笑)。まあ、ご指摘のとおりMVPTは全然別の仕方で収束するのかも知れませんけど。

やはり地球環境という面での持続性については、経済政策によってではなく、環境を守ろうというひとりひとりの意志と、それをバックアップする環境技術の進歩によってしか成し遂げられないのではないかと思います。それにしても、CO2と温暖化の因果関係についてさえ専門家のあいだで意見が分かれているような状況では、最終的にはこの地球という惑星の「自己治癒力」を頼るしかないのが現実かも知れないという気もしています。

投稿: Like_an_Arrow | 2009年10月25日 (日) 15時36分

こんばんわあ。( ̄ー ̄)ニヤリ

ただいま、山崎元氏のブログ『王様の耳はロバの耳』の中の「ベーシックインカム7つの長所」コメント欄にて、私の挑発(失礼)に食い付いて頂けました。
氏とBIに関する議論に発展すればありがたいのですが。
経済のプロフェッショナルに経済に関する議論をふっかける暴挙、かもしれません。
尚、議論の展開上おそらく財源論にまで言及することに
なるだろうと推測しています。
その際は、減価する政府通貨として私の考え及び貴サイトも紹介させて頂くことになるかと思ってます。
その際はよろしくお願い申し上げます。

投稿: turusankamesan | 2010年4月21日 (水) 01時16分

山崎元さん、知ってます。ダイヤモンド・オンラインなどでエッセイを書かれている方ですよね。経済評論家と言われる人の中では、とてもバランスのいい温かい文章を書かれる方で、私は好きです。

山崎さんのブログとコメントも拝見しました。著名なエコノミストなのに、親身にコメントに返事を書かれていらっしゃる。私なぞ見習うべきですね。(笑)

私自身は山崎さんのコメントに共感を覚える部分が多いですが、turusankamesanさんとの議論が実りあるものになるといいですね。

投稿: Like_an_Arrow | 2010年4月22日 (木) 23時29分

こんばんわ。( ̄▽ ̄)
やはりと言うか当然というか、山崎さんから「貴殿のBI額の根拠を示せ」なる問いかけが来ました。
財源論としては私も「公共通貨」を出さざるを得ません。
山崎さんのコメント欄に書くには大きすぎる故、別個にブログサイトに記してみましたが、その際、貴サイトでのベーシック・インカム方式比較のエクセル表に私案を追加したものを使わせて貰ってます。
不都合あるようでしたなら、その旨お伝え願います。即刻閲覧不可にします。
本来なら Like_an_Arrow氏のみが閲覧可能とし、その許可を得てから公開とすべきなのですが、設定手続がやたら不便なものですので、ご返事頂けるまでパブリックとさせていただきます。
『ベーシック・インカム たられば』
http://d.hatena.ne.jp/turusankamesan/20100424

投稿: turusankamesan | 2010年4月24日 (土) 21時48分

turusankamesanさん、こんにちは。

とうとうBIを専門に扱うブログを立ち上げられたのですね。おめでとうございます。
エクセル表の使用については、全然問題ありませんよ。というか、私も古山さんにお断りもなく勝手に比較表を作って掲載しているくらいですから。

BIの財源に関しては、最近は「人頭税」でやるというアイデアが自分では気に入っているのですが、どなたからも賛同もいただけなければ、反論もいただけない。マイナー・ブロガーの哀しい現実ですね。(苦笑)

投稿: Like_an_Arrow | 2010年4月25日 (日) 02時58分

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