« 社会信用論と自由経済思想(6) | トップページ | 社会信用論と自由経済思想(8) »

2009年7月19日 (日)

社会信用論と自由経済思想(7)

 天下国家の経済政策について論じるとなると、読者の方からの批判も覚悟しなければなりませんし、それなりに緊張もします。かたやベーシックインカム導入後の庶民の暮らしを考えることなら、あまり気構える必要もありませんし、もともと楽しい想像ですから、いろいろアイデアも浮かんで来るような気がするのです。ここまでの連載を通して読んでくださった方なら、「減価する電子マネー」とそれを格納する「電子ワレット」がどのようなものか、ある程度のイメージは持っていただけたのではないかと思います。でも、実はこの新しいお金の最大の特長がどこにあるか、その真骨頂とでも呼ぶべき特質については、まだ説明していませんでした。今回はそれを説明します。毎日1パーセントずつ減価するお金は、たいていの商品よりも速いスピードで価値を失ってしまうお金ですから、支給された国内円はとりあえずモノに代えるという消費動向になって現れるかも知れません。それほど高価ではない日用品で、買い置きしても無駄にならないもの、例えば洗剤だとかトイレットペーパーだとか保存食品だとかの需要が一時的に増えるかも知れない。しかし、まもなく私たちは気付くのです、ワレットには毎日新しく3000円が湧き出て来るのだから、消費する以上のスピードで買いだめする必要は無いことに。私の想定どおり、商品価格の平均2割が国内円になるとすれば、3000円を使い切るためには日本円と合わせて15000円の買い物をしなければならない。夫婦ふたりの世帯なら、1日に3万円です。これは使いでがある、というより、それでは日本円部分の家計がもちません。結局、せっかく支給された国内円のうち、かなりの部分が使われずに、むなしく電子ワレットのなかで蒸発して行ってしまうのではないか? いや、きっとそうなるに違いありません。

 ところが、そんななかで一部の人たちはきっとこんなことを考え始めるのです、このお金をお店で使おうとするから使い切れないのだ、むしろ個人と個人の取り引きに使えばいいのではないかと。そう、今ふうのコトバで言うなら、「BtoB」や「BtoC」の取り引きではなく、「CtoC」の取り引きでこそ、国内円はその本領を発揮するのではないかということです。(Bはビジネス、Cはコンシューマーの略です。) すぐに思い付くのは、休日に各地で催されているフリーマーケットだとか、インターネット・オークションのようなものです。現在はこうした個人間の取り引きにも、私たちは日本円を使うしかありません。それ以外のお金を私たちは持っていないからです。私もたまに近所で開催されるフリマを覗くことがありますが、100円の値札が貼られているものでも、なかなか飛ぶように売れるという訳には行かないようです。だっていまどき日本円の100円はとても貴重ですからね。しかし、これが国内円のある時代になったら? みんなお財布(電子ワレット)の中には、使い切れない国内円が余っている訳でしょう。こりゃ§100だろうが§500だろうが使いますよ。こうしてフリーマーケットは空前の活況を呈することになる。日本中の広場という広場が、フリマ会場になってしまうかも知れん(笑)。インターネット・オークションも、主催企業が国内円の使用を認めるなら(認めざるを得ないでしょう)、いま以上に盛んになると思います。その時ヤフーのような企業が、手数料を国内円で受け取れるかどうか、ここは見ものです。もしも既存のオークション企業があくまで日本円にこだわるなら、そんな企業は淘汰されてしまうに違いない。余談ですが、オークションの場合には、売り手は日本円と国内円の比率だけを決めて出品することになります。あなたの秘蔵の品を国内円100パーセントで売りに出したら、あっと驚くような高値がつくかも知れませんよ。

 つまるところ、私たちが購入する商品やサービスのうち、最後まで絶対に国内円でまかなえないのは、海外からの輸入に依存している部分のものだけなのではないかと思います。日本は天然資源に乏しい国ですから、国内円に馴染まない経済の領域はかなり大きいに違いない。(もしも国内通貨を導入する国が世界にいくつも現れたら、通貨の内外比は各国まちまちになるでしょう。) それでも特に人件費にかかわる部分、つまり私たちが労働によって価値を生み出している部分は、これは純国産の価値創造と呼べる訳で、働き手の意識の持ち方次第で国内円にシフトすることが出来る部分だと思います。これも過去に何度も書いていることですが、いまの日本では介護施設など福祉の現場での人手不足が深刻になっています。福祉を志す若い人は多いにもかかわらず、あまりの激務と低賃金で人が定着しないという悲しい現実があるのです。現在のような日本円オンリーの経済体制では、儲かるビジネスになる分野にしかお金が集まらない。貧しい人たちのための福祉は、行政からの補助によって、すなわち日本経済の〈おこぼれ〉によって細々と運営されている。何故そうなってしまうかと言えば、例えばお年寄りの介護をするといった貴い労働を正当に評価する経済の仕組みを、私たちが持っていないからだ。考えてもみてください、福祉を志す若者が、その分野でひと旗揚げてお金持ちになってやろうなんて野望を抱いていると思いますか? 世間には輸入ブランド品に囲まれて暮らすのが好きという人もいれば、お年寄りの笑顔に囲まれて暮らすのが好きという人もいる、それは個人のライフスタイルの問題だから、甲乙つける筋合いものではありません。が、私たちの待ちわびている国内円というものが、どちらのライフスタイルを応援するものであるかは言うまでもないことです。

 国内円の導入は、私たちの生き方の選択肢を広げるものであると同時に、私たちのこれまでの生き方に反省の目を向けさせるものでもあると言えます。これは公務員や介護職員の方たちだけの話ではありません、この不便なお金が世間に普及した時、企業は間違いなく私たちの(日本円の)賃金を切り下げて来るだろう。その代わりに私たちはみな平等に(国内円の)基礎所得を持つ。ブランド品も買えなければ海外旅行にも行けない、それどころか先立つ日本円が無ければ、お店でも満足に使えないようなお金です。このお金を価値あるものにするために、私たちは何をしなければならないのか? もしもあなたが住む家を持っている人なら、国内円のベーシックインカムだけでもなんとか餓死しない程度に生きて行けるかも知れません。でも、それだけでは実にもったいないと私は思います。確かに私たちには、日本円をバリバリ稼げるような技能も無ければ才覚も無い。現在の職を失えば、明日からすぐ路頭に迷うような身の上です。しかし、それでは私たちはこの社会の中でまったく必要とされていない人間なのだろうか? 誰かの役に立ちたい、自分に出来る仕事があればやらせて欲しい、そういう当たり前の欲望が、これまでは日本円の高いハードルに阻まれてなかなか叶えられなかったのです。ところが今は、私たちの手の中には国内円というものがある。とにかく外に出て、人に会い、これで価値を交換し合うという実験をしてみようじゃありませんか、童話の「わらしべ長者」のようにね。すべてはそこからしか始まらない。ほら、あそこにパン屋さんがあるから入ってみましょう。ここで売っているパンは、国内円だけで買えるんだそうです。なるほど障害者の人たちが働く作業所で作られたパンなのですね。みんな頑張っているんだなあ。なんだか自分にもやれそうな気がして来たぞ。私もぜひこの新しい「人間の経済」の環に参加させてもらえないものだろうか…

 おっといけない、また白日夢の世界に入り込んでしまった(笑)。要するに、ここで言いたかったことは、カジュアルなお金の導入は、私たちの働き方もカジュアルなものに変えるだろうということです。よくベーシックインカムが導入されると、国民はみな働かなくなってしまうのではないかと心配する人がいますが、支給されるのが減価マネーであればそんな心配は無用です。むしろ価値が高騰し過ぎた単一通貨というものが、国内の労働市場を堰き止めて、価値の創造を阻む最大の要因になっていることに気付かなければいけない。私は日本円と国内円で合わせて1千兆円のGDPを実現するというプランを描きました。これは誇張でも何でもないので、これまでは経済的な評価を与えて来られなかった様々な労働が、国内円によって正当に価値を見積もられ、取り引きの対象として扱われるようになれば、それだけでもGDPは倍増する可能性がある。むしろそれを計算に入れて来なかった従来の経済学の方に問題があったとさえ私は言いたいのです。これによって例えばこれまではボランティアに頼らざるを得なかった福祉分野の仕事にも、(国内円での)正当な報酬が支払われるようになる。それもGDPの一部です。(ちなみにボランティアというのは労働力のダンピングですから、それ自体大きな問題をはらんでいるものだと私は考えます。これはまた別のところで取り上げるべきテーマですが。) 賃金支払いのルールとして、日本円対国内円、2対1の原則というのを私は想定しました。これは雇用する側に適用されるルールです。こうした縛りが無ければ、国内円の導入によって新たな貧困層が生み出されることになってしまう。だから必要なルールではあるのですが、働く側の人間からしてみればそんなルールに縛られる必要は無い訳で、自分のライフスタイルに合わせて必要なお金を必要なだけ稼げばいい。

 そうだ、ひとつ説明するのを忘れていたことがありました。仕事を探しに街に出掛ける前に、電子ワレットの機能について簡単におさらいをしておきましょう。この小さな装置がベーシックインカムそのものであることは説明しました。日本中のお店でこれが使えることも説明しました。もうひとつ、まだ説明していなかった重要な機能があります。それは個人が持つ電子ワレット同士でお金をやり取りする機能です。イメージとしては、子供が携帯ゲーム機をくっつけてポケモンを取り換えっこするのと同じと考えてください。フリーマーケットなどで個人間でお金の支払いをする時には、この機能が使われます。これは銀行口座を経由しないので、まったく税金のかからない取り引きになります。国は無理をして、こうした〈草の根取り引き〉に課税しようとする必要はありません。むしろこれを野放しにしておくことで、活発な国内円の循環を促した方が、経済全体の活性化にもつながると考えられます。(国民経済の実態把握のため、何らかの方法で情報を捕捉する必要はあるかも知れません。) これは使えると思いませんか? 市役所の掲示板には、「不用品売ります」のコーナーと並んで、「仕事頼みます」のコーナーが出来るかも知れない。「庭の芝刈り、半日§5000。昼食付き」、「引っ越し手伝い、1日§10000。¥での謝礼も若干あり」、そんな貼り紙がたくさん出るのではないでしょうか。基本的にいまの日本では労働力が余っている訳ですから、そこに〈定常的に余りがちなお金〉を供給してやれば、どのような経済効果が現れるか、誰でも想像がつくことだと思います。それからもうひとつ蛇足。この電子ワレットは格納出来る金額に限度額があります。§30万未満ではオーバーフローしてしまうから、そうだな§50万くらいでどうだろう。これによって個人用の電子ワレットが、企業の脱税に使われることを抑制出来ますし、裏社会での不法な取り引きなどに使われる危険性も減らすことが出来る。(まあ、やくざさんの業界が§なんてものに興味を持つとも思えませんが。) それ以上の金額の国内円を扱う人は、銀行に個人口座を持てばいいのです。

 少しトリビアルな追記をしておきます。電子ワレット同士でお金をやり取りする仕組みを、携帯ゲームの通信機能のようなものと説明しましたが、ここには少し工夫が必要だと思います。というのも、私たちはふだん個人間でお金を授受する習慣を持っていないので、ちょっとした仕事や小さな親切のようなものに対してお金でお礼をすることに心理的な抵抗を感じるだろうと思うからです。特にチップを渡すという習慣の無い我が国では、旅館の仲居さんに心づけを渡す時にもお札をティッシュで包んだりしている。これは日本人の心ばえの奥ゆかしさと見ることも出来るし、また私たちが〈生のお金〉というものをどこか汚いもの、忌むべきものと感じていることの現れと見ることも出来る。新しい国内通貨は、こうした心理的抵抗感とは無縁のものであってくれないと困ります。私の理想としては、電車で席を譲られたお年寄りが、相手の親切な若者にさりげなく渡せるようなもの、つまり「ありがとう」の言葉に添えて自然に伝わるようなものであって欲しい。これを実現出来るかも知れない要素技術のことを、つい最近のニュースで読みました。次世代の自動改札は、ICカードを取り出してかざさなくても、ポケットに入れたままでも読み取ってくれるものになるのだそうです。人間の身体に流れる微弱な電流を利用するらしい。この技術を応用しましょう。誰かに国内円を贈りたい人は、指先で軽く相手の身体に触れるだけでいい、贈られる側の電子ワレットに受信準備など必要ありません。(国内円の授受においては、基本的に受け手側の拒否オプションは無いのです。) 口に出して「ありがとう」、「どういたしまして」が言えないシャイな日本人のために、授受が成立したら電子ワレットが優しい音色を出すというのはどうでしょう。携帯電話の着信音のように、いろいろ個性ある音色を選べるようにしたらいい。街なかにはたくさんの親切があふれ、たくさんの音色があふれることになる。

 国内通貨による新しい「人間の経済」のことを考えると、いろいろなアイデアが湧いて来るし、また解決しなければならない課題が多いことにも気付きます。ここから先は、これからの時代を担う若い人たちに考えてもらいたいところです。今回の記事でも気付いていただけたのではないかと思うのですが、「人間の経済」を実現するためには、何よりも私たち自身のお金に対する意識を変革しなければなりません。社会のいろいろなルールが変わると同時に、私たち自身も変わらなければならないのです。今回私が書いているようなことは、その大まかなアウトラインに過ぎないのであって、具体的な方法論については若い人の感性でデザインしていただきたいのですね。何故なら、現代の経済が抱えている大きな歪みは、これからの時代を生きる若い人たちが背負わされた重荷であるからです。それをどのように作り変えて行くか、決定するのはあなたたち若者に与えられた権利です。いまの政治はダメダメだけど、あなたたちには柔軟なとらわれない発想力があり、また自由に駆使出来るテクノロジーがある。私たち年寄りは、そうやって若い人たちが作り出した新しい経済システムに、(多少恥ずかしかったり時間がかかったりするかも知れませんが)慣れるよう努力をして行きましょう。ただ、現在の経済に対する反撥心から、従来の日本円の経済を全否定することだけはいけません。それは近代日本が成立するなかで、先人たちがたいへんな苦労をして作り上げて来た遺産だからです。C.H.ダグラスが言うように、あなたたちにはその正当な相続人としての権利があるのです。いかに日本円の経済と国内円の経済とを、喧嘩させずに調和させて行くか、それがあなたたちに課せられた一番の課題ということになる訳です。…ということで、しめくくりのコトバのようにも見えますが、まだ連載は続きます。書き残してしまった重要なポイントがまだふたつかみっつあるからです。次回がいよいよ最終回になると思います(たぶん)。

|

« 社会信用論と自由経済思想(6) | トップページ | 社会信用論と自由経済思想(8) »

コメント

こんにちわ。
先日、NHKスペシャル「マネー資本主義」を見ました。
金融工学と聞こえはいいけど、中身は単なるギャンブルと
変わりないよなあ、と感じました。しかもいつのまにか
私たちも同じ土俵に立たされ責任だけを負わされていた
なんて・・・。

生活保護費のピンハネや年金をエサにした犯罪など
他人を信頼することをリスクと感じてしまう時代は、やはり
悲しいですよね。BIが他人への信頼をリスクからメリットに
変える、そんなお金になってほしいものです。

投稿: あかみどり | 2009年7月23日 (木) 10時06分

あかみどりさん、こんにちは。いつもタイムリーにご返事が出来なくてすみません。

NHKの番組は見ませんでしたが、マネー資本主義の恐ろしいところは、金融投資などとは縁が無い私たちでも、知らず識らずに同じ土俵に立たされてしまうところにあるのかも知れませんね。100円ショップで日常品を買い揃えている自分は、安い賃金で過酷な労働をさせられている中国の人たちを搾取しているのと同じではないか、そんなことを考えたりもします。

おかげさまでこの連載もなんとか完結しました。あかみどりさんが適切なコメントをくださったので、書き進める上でもとても助かりました。この問題については、これからもまだ書き続けていきますので、機会がありましたらぜひまたお立ち寄りください。

投稿: Like_an_Arrow | 2009年8月 1日 (土) 08時31分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/45680577

この記事へのトラックバック一覧です: 社会信用論と自由経済思想(7):

« 社会信用論と自由経済思想(6) | トップページ | 社会信用論と自由経済思想(8) »