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2009年7月12日 (日)

社会信用論と自由経済思想(6)

 これは巨額の資金が注ぎ込まれる国家的なプロジェクトですから、失敗することは許されません。しかも、人類の歴史を振り返っても、ひとつの国全体でこれを試した例など無い訳で、過去の失敗から学ぶことも出来ない。とにかくよく考えて、あらゆる可能性について想像するしかありません。減価貨幣を実際に導入した事例として、1930年代のふたつの都市のことを私たちは知っています。ドイツのシュヴァーネンキルヘンとオーストリアのヴェルグルです。どちらも世界大恐慌のさなかに、奇跡のように経済が復興した成功事例として伝えられている訳ですが、皮肉な見方をすれば、失業率が30パーセントというような不況のどん底にあったからこそ、あの華々しい成功があったのかも知れない、そんなふうにも想像することが出来るのです。これは今日の社会にも通じることです。長引く不況やひどい経済格差のなかで、国民はやぶれかぶれで政権交代でも何でも起こってくれと思っている。仮にいまどこかの無責任な政治家が、「減価貨幣でベーシックインカムをやります」という公約を掲げたら、有権者からは一定の支持を得られるのではないでしょうか? 非道な金融資本主義に対する嫌悪感からだけでも、国内円は人々に歓迎されるような気がします。しかし、やがて景気が回復して、失業率も低下して来れば、日本円に比べて価値の低い第二通貨なんてものには誰も振り向かなくなるのではないだろうか。その時には、国内円を頼りに生活を組み立てて来た貧困層の人たちが、再び直撃を受けることになる。景気の循環によって、国内円部分にだけハイパーインフレが起こるという最悪のシナリオも想定出来ないことではありません。

 もしも国家事業として第二通貨の導入を行なうなら、それは不況脱出のための一時的な策であってはならないと思います。それは不況・好況にかかわらず、持続可能な政策でなければならない。文字どおり「国家百年の計」でなければならないのです。もっとはっきり言うなら、この国の500兆円のGDPのうち、250兆円を国内円の市場(プアマンズ・マーケット)にして、それをこれからの時代の社会保障の基盤にしようなどというみみっちい考え方ではなく、500兆円の日本円市場はそのまま維持しながら、その上にさらに500兆円の国内円市場を開拓して、合計1千兆円のGDPを実現する、そのくらいの目標設定にしなければならないということです。日本円と国内円が車輪とエンジンの関係になって、この国の経済を牽引して行くというイメージです。…と、少し景気づけをしたところで、この二重通貨体制のなかで政府の果たすべき役割は何かという問題に移ります。とにかくこれまでに誰も見たことのない、減価する電子マネーなんてものを導入する訳ですから、まずは国が率先してそれを使ってみせなくてはならない。税の一部を国内円で徴収することについては前回説明しました。国は集まった国内円の使い途をどうするか? まずは公務員の給与の一部にこれを充てることにします。民間企業の場合は、給与にどれだけの比率で国内円を含めるかは、個々の雇用契約によって決められますが、公務員の場合にはすべて一律になります。全国に400万人いる国家公務員と地方公務員、全員が対象です。国内円が通貨として発効した日から、公務員給与の(例えば)2割が国内円で支給されるようになる。もちろんその時までに、政府支給の電子ワレットが国民のあいだに行き渡っていなければなりませんし、銀行オンラインも完成していなければなりません。

 当然、これだけですぐに国内円が活発に流通し始める訳ではありません。個人が新しいお金を受け取っても、これを使えるお店がどこにも無いからです。ドイツのシュヴァーネンキルヘンで史上初の減価紙幣が登場した時には、最初にこれを使えるようにしたのは紙幣発行者が開設した商店でした。我々もこれを見習いましょう。国や地方自治体は、公務員の生活を保障するという名目で、全国各地に国内円が使える官製のマーケットを作ります。この時にはベーシックインカムの支給も始まっている訳ですから、これは一般の国民も利用することが出来ます。新しいお金が流通するようになるまでは、生産・流通・販売の全領域に対して、国が(日本円での)補助金を出すなり税制面で優遇するなりして、バックアップする体制を取ることが必要だと思います。そして国内円の市場が自律的に回るところまで来たら、徐々にそこへの(日本円での)関与を薄くして行けばいいのです。また国や自治体が国内円を使うのは、公務員給与の支払いに対してだけではありません。公共事業などの政府調達についても、契約価額の(例えば)2割を国内円で支払うことを法律で定めます。政府が調達するもののなかには、当然国内円が流通しやすい分野のものとそうでないものとがある筈ですが、それを個々に考慮することはしません。政府調達の一部に国内円を使うことは、財政を緊縮することが目的ではなく、民間部門に国内円市場を作り出すための呼び水にすることが目的だからです。(例外はあります。例えばアメリカから戦闘機や軍艦を買うのに、支払いの一部は国内円といういう訳には行かないでしょう。米軍への「思いやり予算」については、ぜひ国内円を混ぜたいと思いますが。笑) これによって担当する業者が赤字を引き受ける必要はありません。日本円で8億円が必要な公共工事なら、10億円で入札すればいい訳ですから。それでも国内円をどれだけ経営資源として有効活用出来るかということは、企業の競争力に大きく影響する要素にはなります。

 国と自治体が財政支出の何パーセントを国内円でまかなうかということは、経済政策の要とも言える重要な指標になります。ひとつの考え方としては、この部分も市場原理に任せて、すなわち収税額に占める国内円の割合に合わせて変動させるという方法もあるかと思います。しかし、おそらくそれは非常に不安定な経済状況を作り出すだけのことでしょう。二重通貨政策を採用する政治的な目的は、国内通貨によって国民の基本的な生活を安定させることで、国際通貨(我が国の場合は日本円)の競争力を削がないようにするということが第一です。日本は戦後の高度経済成長で世界第二位の経済大国になりました。それにともなって日本円も非常に強くなったのです。(私が子供の頃は、1ドルは360円で固定だったのですから、単純に4倍の価値向上があった訳です。) しかし、経済成長が止まって、少子高齢化の社会に移行しつつある現在、そのような高騰してしまった日本円ですべての人件費を払い、福祉や医療を支えることは現実的に不可能になっている訳です。日本にはまだ高度な技術力や生産能力があり、国際的に高い競争力を保持しているにもかかわらず、国内の人件費や福祉にかかるコストがその足を引っ張る構図になっている。であるならば、そのふたつの経済を政策的に分離してしまえばいいのではないかというのが発想の根本です。共産主義とはまったく思想の出発点が異なりますが、一種の統制経済であることに違いはありません。この政策の実行に当たっては、政治の強力なリーダーシップが必要不可欠です。だからそれを実行出来るのは、自民党政権でも民主党政権でもあり得ない、そのあとに現れる真の国民政党にこそ託すべき政策だと考えます。

 とは言うものの、これが即「大きな政府」を意味するものではないという点は強調しておく必要があります。むしろこの経済政策によって、行政は画期的にスリム化するのではないかと考えられます。今後ますます財政の負担になることが懸念されている生活保護制度なんてものも、基本的には廃止されることになる筈です。すべての国民にベーシックインカムが支給される訳ですから、もうそんなものは必要が無くなる訳です。(尤も労働収入のまったく無い貧困家庭のために、少ない額の日本円の支給は今後も必要かも知れません。) これは単に生活保護費の削減にとどまらず、生活保護の認定や支給にかかわる行政側の経費もすべて削減出来ることを意味します。同じことは他の多くの社会保障制度にも当てはまります。失業保険は原則廃止、医療保険・介護保険・児童手当・障害者手当のようなものも大きく見直されることになるでしょう。それどころか国民年金だって、ゆくゆくはベーシックインカムに一本化されることになる。現在の「失われた年金記録問題」を見ても分かるように、これらの〈選別主義〉に基づく社会保障制度は、非常に高い行政コストと引き換えに私たちが手にしているものです。ベーシックインカムの良いところは、評価も選別もせずに全ての人に同額を支給するだけなので、行政コストがとても安上がりで済むという点です。しかも私の提案する「自動的にお金が湧き出る」電子マネーなら、この政策にかかる公務員の人件費はほぼゼロです(笑)。構造改革派もそうだったし、いまの民主党の公約でも同じですが、現在の社会制度をそのままで国や地方の人件費だけ削減しようとしても、どこかに歪みが現れるのは分かり切ったことです。この国の政治家は何故もっと大きな構想力を持てないのだろう?

 国が第二通貨を流通させるためにすべきことはそれだけではありません。税制の見直しも、国内円の流通促進という観点から一貫性を持って行なわれるべきです。前回の記事で、法人税のあり方をどうするかという問題が棚上げにされていました。この観点に立てば、おのずから方向性は見えて来ます。例えば国内円での売上高比率が高い企業に対しては、日本円部分の法人税を減税するという政策が考えられます。もともと日本の法人税は、先進諸国のなかでも高い方だそうですから、この減税による国内円シフトへのインセンティブは充分あるのではないかと期待出来ます。もしもあなたがトヨタの社長だったと想像してください、自動車メーカーが新車を100パーセント国内円で売り出すことは不可能ですが、販売価格の20パーセントを国内円にすれば税の優遇が受けられるとなれば、それは業績目標のひとつとなり得ます。しかもディーラーが販売価格の何パーセントを国内円で受け付けられるかという点をめぐって、ホンダや日産とのあいだに熾烈な競争が起こることは必至ですから、これは単なる減税策にとどまらない、企業戦略の中心課題にさえなる可能性がある。すると何が起こるでしょう? 生産が国内に回帰するのです。自動車メーカーや家電メーカーが国内円で製品を販売するためには、下請けを含めた製造工程の多くを国内に持って来なくてはならない。そうしなければ調達費や人件費で国内円を消化することが出来ないからです。こうして空洞化しつつあった国内の製造業がよみがえる。政府は税制に優遇措置を設けることで、そこにいっそうの拍車をかけるのです。

 また国内の産業でも競争の少ない分野、例えば電気・水道・ガスのような公共料金や鉄道運賃などについては、別の方法で国内円へのシフトを誘導します。つまり、これらの公共性の高い企業に対しては、国内円部分の法人税率を高く設定するのです。電力会社が従来どおり日本円で電力料金を徴収していたのでは、国内円の収入がまったくありませんから、国内円での税金が払えない。少なくとも電力料の一部は国内円で徴収せざるを得なくなります。国内人件費の2割、法人税の2割が国内円というのが標準になれば、公共料金や交通運賃なども自然に2割が国内円という相場になるのではないか。ただ、運賃に関してはシステム上の工夫が要りますね。切符の自動販売機や自動改札などは利便性が命ですから、1回のタッチで日本円と国内円を同時に支払えるハイブリッド型の電子ワレットがどうしても必要になりそうです。そう考えると、最初から電子ワレットはハイブリッド仕様で設計しておくべきですね。この点は以前の記事を訂正しておくことにしましょう。(今回の連載は、書きながらいろいろアイデアをひねり出しているので、前後で矛盾するところがあるかも知れません。その点はご容赦ください。そう言えば、国が支給するレジシステムの仕様にも少し変更が必要になりますね。) もうひとつ、小さなことですが思い付いたことがあります。電子ワレットで支払いをする時、もしも国内円の金額が不足していたら、不足分は日本円から引き落すルールにしておくということです。つまり商品の売買において、国内円の支払いは日本円で代替出来ることを法律に明記しておくのです(その逆はダメですが)。こうすれば電子ワレットを忘れて来ても電車には乗れるし、国内円の残高不足で自動改札が閉まってしまうこともないし、外国人観光客が街で途方に暮れることもなくなる。消費者にとっては、貴重な日本円を無駄にしないためにも、国内円の重要性は増すことになるでしょう。

 ここでは仮に国内の貨幣流通量のうちの2割を第二通貨にする前提で話を進めて来ましたが、この数字の妥当性はもっと綿密な計算によって検証すべきでしょう。そして国はあらゆる方法を駆使して、適切な通貨の流通比率を守るよう努力する。国内円の流通量と流通速度は、コンピュータによってリアルタイムにモニターすることが出来ますから、対策はすばやく打つことが出来ます。信用創造の機能を民間に払い下げてしまった現在の経済の仕組みでは、経済対策として国が出来ることも限られています。国家予算規模の資金を動かして、利をむさぼろうとする国際金融資本に対して、各国の政府がいかに非力であるか、世界はそのことを身をもって体験している訳です。国が完全にコントロールすることの出来る第二通貨の導入には、今後も繰り返し襲って来ると思われる国際金融資本の攻撃から、国民を守る力と方法を国が持つという意味もあるのです。さて今回は、国家の財政というマクロ経済の部分について考えてみました。次回は視点を変えてミクロ経済について、つまりこのような経済体制のもとで私たちひとりひとりの生活がどう変わるかということについて考えてみることにしましょう。この連載も、いよいよ最終回に近付いて来た、かな?

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コメント

こんにちわ。
そういえば、景気の良い時の場合を考えていませんでした。
というか、好景気がどんなものかよく知らないのだけれど…。

さて、今の景気だからベーシックインカムが盛り上がっている
けれども、実際にその場限りの花火では困りますよね。
景気は再び良くなるはずだし、たとえばネットの登場以後に
世の中の仕組みやサービスがそれに合わせて変化したように、
BI以後もそうなるような流れを官民で造る必要がありますね。
もちろん造るだけでなく、持続するための維持や研究も含めて。
(ネット関連が今では新たな産業になっているように、まずは
法律や公共事業で整備し、それから民間産業にという具合に。)

個人的には少なくとも医食住関連のほとんどはBIのみで
賄えるシステムであってほしいと考えてます。
(BIの根本理念の最低限の生活保障という意味でも)
住に関しては家賃だけでなく、ライフラインやすでに公共
インフラといって良いケータイ(電話)や電車、バスなど
近距離の公共交通機関も住環境という意味で有り、かな。

ただ、一番の不安はコンピュータなんですよね。
やはり分散型でないと、たまの電車のシステムトラブルでさえ
大変ですから、それが日々のお金となれば…おぉ、怖っ。

それにしても、ベーシックインカムがだんだんと公共事業の
ように思えてきました。
今でこそ悪くいわれる道路にしても、当時は必要不可欠な
ものだったわけで、単に日本中のほとんどに行き渡って
あまり効果が見えなくなったから、そう思われてるのかな。
20世紀の公共事業がインフラや箱モノと呼ばれる、いわば
ハード的であるのに対して、21世紀はソフト的なものが
中心になってくるのでしょうか。

投稿: あかみどり | 2009年7月15日 (水) 11時13分

あかみどりさん、こんにちは。拙い文章にずっとお付き合いいただき、ありがとうございます。

>そういえば、景気の良い時の場合を考えていませんでした。というか、好景気がどんなものかよく知らないのだけれど…。

ということは、あかみどりさんはきっとまだ若い方なのですね? 私自身は五十代の人間ですが、バブル景気の頃はほとんど仕事場と自宅の往復に明け暮れて、やはり身をもって好景気を体験したことがありません。(笑)

>個人的には少なくとも医食住関連のほとんどはBIのみで賄えるシステムであってほしいと考えてます。

少なくとも「質」を問わなければ、基本的な生活はすべてBIで賄えることが望ましいのはもちろんです。ただ、難しいのは「住」の部分ですね。これは今回の連載でもあえて触れていない部分なのですが、家賃というものに占める国内円の割合を大きくすることは簡単には行きそうもない。商品やサービスは労働によって生み出せますが、土地はそうは行きませんから。ゲゼル主義では、土地は最終的には国がすべて管理することになります。これについては別の記事で説明していますので参考にしてみてください。

ゲゼル思想研究日誌(3)
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_d639.html

>ただ、一番の不安はコンピュータなんですよね。

これはその通りです。もしも国内円銀行のシステムが止まってしまったり、回線網にトラブルが起きたら、日本経済そのものが大変な影響を受ける。でも、これは現在の日本円についても同じことだと思います。ただ、国民ひとりひとりが持つ電子ワレットは、中央コンピュータのトラブルとは無縁ですし、ワレット同士でのお金の授受も可能ですから、最低限の国民生活は回っていくような気もします。

>それにしても、ベーシックインカムがだんだんと公共事業のように思えてきました。

もちろんその通りです。これは社会の新しいインフラ作りであり、国が行なう最大の事業というべきものです。次期政権には無理だとしても、将来の国民政党には、ぜひこういった政策も視野に入れて欲しいものですね。

投稿: Like_an_Arrow | 2009年7月20日 (月) 06時48分

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