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2009年7月26日 (日)

社会信用論と自由経済思想(8)

 もしも『社会信用論と自由経済思想』というタイトルに興味を覚えて、この記事に目を止めた方がいらっしゃったとしたら、まったく期待はずれの内容でがっかりされたことと思います。今回の記事は、関曠野(せきひろの)さんの講演で「社会信用論」というものの存在を知り、それにインスピレーションを受けて書き始めたのですが、自分としてもこれほど長い連載になるとは思ってもいなかった。タイトルが意味するところは、ベーシックインカム(社会信用論)を実践するのに、減価貨幣(自由経済思想)を用いたらどうかという思い付きだけで、C.H.ダグラスやシルビオ・ゲゼルの思想を研究した成果が報告されている訳ではまったくありません(実際、何も研究などしていない訳だし)。いつものように無責任な夢物語を語っただけだとも言われそうです。ただ、連載を終えるに当たってひとことだけ言い訳をさせていただくなら、やはり経済学というのは何よりも「実学」である訳で、過去の思想家の足跡をたどるだけでは意味が無い。ダグラスもゲゼルもケインズもマルクスも、その時代の経済が抱えていた矛盾ととことん向き合って、そこから新しい経済の仕組みを切り拓くに至った人たちです。彼らの思想を研究するということが、単なる歴史研究に終わっていい筈がない。私はたまたまマルクスの思想にもケインズの思想にも、気持ちがしっくり来ないタイプの人間だったのですが、ゲゼルの思想とダグラスの思想にはたいへん心がときめいた。専門家の方から見れば、今回の私の着想には根本的な欠陥があって、検討にすら値しないものかも知れませんが、自分の心がときめいたという事実だけは報告しておきたかったのです。

 この新しい経済の仕組みのことを、関さんの講演のタイトル『生きるための経済』にちなんで、「人間の経済」という名前で呼びたいと思います。ひとつ積み残した問題は、この人間の経済に子供たちをどのように参加させるかということです。以前、このブログでベーシックインカムについて書いた時、もしも子供にも一律にベーシックインカムを支給すれば、少子化問題などいっぺんで解決するだろうと書きました。しかし、それは日本円で支給した場合です。子だくさんの夫婦が、月に数十万円の国内円を受け取っても、あまり生活の足しになるとは思えません。やはり少子化対策には、日本円での育児手当のようなものの方が効果があると思います。むしろ私がここで考えているのは、子供が成長して行く過程で初めて触れるお金は、日本円よりも国内円の方が相応しいのではないかということです。ベーシックインカムがある社会では、人はお金に対する意識そのものを変えなければならないと私は書きました。国内円というものが憲法で保障された、国民の基本的権利であることをいくら頭で理解していても、これまで日本円でさんざん苦労して来た私たちには、国が無条件で支給するお金に対しては一種の〈うしろめたさ〉の感情を拭い去れないような気がします。もしも国内円を「ネイティブ・マネー」として、心理的抵抗なく使いこなせる世代が登場するとすれば、それはこれから大人になる子供たちが最初でしょう。ですからこれは経済政策のためというよりも、教育用のツールとして子供用の電子ワレットを準備することがぜひとも必要だと思うのです。いまの子供たちは、小学校に上がる前からゲーム機を上手に使いこなしている訳ですから、これに慣れることなんて朝飯まえの筈です。

 最初は国内円を入れたり出したりするだけのシンプルなもの、だんだん学齢が上がるに従ってお小遣い程度のベーシックインカムがプレゼントされるような仕様にすればいい。その都度、電子ワレットを交換する必要などありません、これにはカレンダーと時計が内蔵されているのですから、最初からそのようにプログラミングしておけばいいのです(むろん減価機能も忘れずに)。親御さんや周りの大人たちは、ぜひこれを積極的に使って子供たちとコミュニケーションをとって欲しい。昔から子供にお金の使い方を練習させるために、お手伝い券や肩たたき券のようなものを渡している家庭も多いのではないかと思います。ところが、これは日本円に慣れるための練習としてはいいのですが、国内円にはあまり相応しくありません。あらかじめ対価として一定の金額が決まっており、自分の労働がいくらのお金に相当するのかを予測することは、日本円の経済を身につけるためには欠かせない訓練です。が、国内円の方はもっと自由で即興的なお金であるのが特長です。子供を褒める時、子供に愛情をそそぎたい時、思い付いたら国内円を贈ってあげてください。そしてママが頑張った時には、子供の方から贈られる習慣も作ってみてください。(可愛い音が鳴りますから、小さなお子さんも大喜びです。) 実際、これは大人が考える従来の意味でのお金ではなく、「ありがとう」や「うれしい」の気持ちを表す感情表現のひとつなのです。日本円の価値を支えているものが人々の「信用」だとすれば、国内円の価値を支えているものは人々の「善意」です。そのことを身をもって覚えた子供たちが、ベーシックインカムのある世の中に巣立って行く。これは幸福な社会のイメージではありませんか? もちろん、子供たちだって、小学生くらいになれば、世の中には国内円だけでは買えないものがたくさんあることを悟ります。欲しいものを買うためには、パパのように会社で働いて、日本円を稼がなければならないことも分かって来る。しかし、それを覚えるのはずっと後からでも構わない訳です。

 もうひとつ私が気にしているのは、日本にいる外国人の方たちのことです。国内円は日本円で代替出来るルールがありますから、電子ワレットを持っていなくてもこの国での生活に支障はありません。それでもやはり日本に滞在しているあいだは、世界のなかでいち早く「善意本位制」に移行したこの国の経済を体験していただきたい気がするのです。ここは思い切って、外国人労働者の方や旅行者の方にも、滞在期間中のみ有効なベーシックインカム付きの電子ワレットを貸与してしまいましょう。日本で働いている人は、国籍には関係なくこの国の経済に貢献してくれている訳ですから、ベーシックインカムを受ける理由があると私は考えます。外国人旅行者にまでベーシックインカムを支給するのは、ちょっと大盤振る舞いかも知れませんが、なに、それで国庫が痛む訳でもありませんし、構わないじゃありませんか。政府はいま国内産業育成の観点から、年間1千万人の旅行客を海外から呼び込もうという計画を立てています。日本を訪れる人には、もれなく日に§3000の基礎給付が配られる。これはちょっと魅力的な観光資源になりませんか? 旅行客はたまった国内円を自国に持ち帰ることが出来ませんから、なるべく滞在中にそれを使ってしまおうとする。すると合わせて外貨もたくさん落して行ってくれるという仕組みです。誰もだまされたなんて思わないでしょう、日本人なら誰もが当たり前に享受している平均20パーセントの価格ディスカウントを、旅行客の方たちにも差し上げようというだけのことですから。

 そしてさらにこの外国人向け電子ワレットには、おそるべき壮大な国家戦略が隠されているのです。1930年代に減価紙幣で大成功を収めたヴェルグルには、世界中から視察団や観光客が押し寄せたと言います。減価するお金というものをひと目見ようとしてやって来たのですね。世界で初めて減価する電子マネーを国家として導入する日本にも、各国の政治家や経済学者や人権団体の人たちが大挙して視察にやって来ます。私の計画では、日本は「人間の経済」を実現させた華々しい成功を世界にアピールしたあと、日本発のこの経済システムを丸ごと海外に売りに出します。外国からのお客さまに電子ワレットを貸し出して、その使い心地を試していただくことで、いわば国全体をショーケースにしてしまうのです。輸出するのは電子ワレットや銀行オンラインといったハード面の設備だけではありません。国内円を導入するに当たって我々が突き当たったさまざまな困難や、それを乗り越えるために払って来た努力や培ったノウハウを、そっくりパッケージ化して売りに出すのです。これは間違いなく売れるだろうと私は踏んでいます。と言いますのも、経済大国である日本がこれを導入して成功を収めたということは、我が国の経済が従来よりも自給自足に近付いたということであり、その分海外からの輸入に頼る部分が減ったことを意味します。輸入品に直接関税をかける訳ではありませんが、保護主義政策に近い効果があるのです。もしもこれを世界のいくつかの国が採用し始めたらどうなるでしょう。周りの国々が自給自足経済に移行するなかで、自国だけがその流れに乗り遅れるとすると、その国の政府はたいへんなリスクを背負い込まなければならない。成功事例がいくつかの国で現れれば、世界中の国はなだれを打ったようにこの新しい経済システムを採用することになる(んじゃないかな?)。

 これは今日の世界が向かっているグローバル化とは正反対の方向性ですが、何か問題があるでしょうか? いくら各国の国内経済が充実しても、世界から貿易が無くなる訳ではない。自国の特産物を輸出して、自国で生産出来ないものを輸入するという、本来の貿易のすがたに戻るだけのことです。またこの新しい経済システムは、貧しい国を食い物にしないという点でも、グローバリズムとは一線を画します。実際これを導入することは、先進国だけでなく貧しい途上国にもメリットがあるのです。今日私たちを苦しめている格差問題のなかでも、一番深刻なのは個人間の格差よりも国と国のあいだにある格差です。しかもこのふたつは根っこは同じ問題です。グローバル化した国際金融資本が、貪欲にお金を吸い上げることで末端が干からびるという構図に変わりはないからです。国内通貨は金融資本に対する防波堤ですから、導入の効果はむしろ金融資本主義の恩恵を受けていない貧しい国の方が大きいとも考えられます。国際的に評判の良くない独裁政権にだって、電子ワレットは喜んで販売しましょう。それでその国の国民が救われるなら、独裁政権を助ける以上の効果があったことになる。現在世界各地で見られる国家間の対立や軍事政権による圧政などは、その背後に経済問題があることを見逃してはいけません。貧しい国の政府にとっても、予算の要らない「打ち出の小槌」の導入は歓迎すべきことである筈です。特に恒常的なインフレに悩まされているような国にとっては、まずこれを導入して国民経済を安定させることが、貧困脱出への第一歩になるでしょう。貧しくてインフラも整っていない国々では、銀行オンラインの敷設は不可能ですが、その場合電子ワレットだけでも充分です。重要なのは、その国の人民が誰からも搾取を受けずに、価値を交換し合うことの出来る基盤を持つことなのです。この電子ワレットは太陽電池で動くヘビーデューティー仕様ですから、世界中どこに持って行っても使えます。しかも日本製だから故障知らずだ。

 こうして日本で成功した経済システムは世界に伝播して行きます。世界中の人々が電子ワレットを手に、日々の経済活動を(つまり生活を)営む時代がやって来る。この時、電子ワレットのもうひとつの驚愕すべき新機能がベールを脱ぎます。ある日突然、世界同時に現れるのです。それは世界中の人民が共通に使える統一通貨への変換機能というものです。説明します。各国で使われている電子ワレットは、毎日その国の通貨でその国の政府が決めた金額のベーシックインカムを産出しています。国によって貨幣単位は異なりますし、経済格差による貨幣価値の違いもある訳ですが、ベーシックインカムの金額が、ひとりの人が人間らしく生きられる最低保障額であるというコンセプトは世界共通の筈です。これを統一通貨の単位として採用します。こちらは通貨の名前ももう決まっている、「エヴァ」というのです。(エヴァというのは、シルビオ・ゲゼルが主著のなかで提案している世界統一通貨の名称です。私が考える人民統一通貨とはコンセプトが違うのですが、私はゲゼルさんへの尊崇の念からも、これ以外の名前を思い付けません。) 新しく付け加わったシステムメニューから、電子ワレットを「エヴァ・モード」に切り替えてみましょう。§3000の残高が100エヴァに変わりました。もしも中国だったら200元、インドネシアだったら30万ルピアが100エヴァに相当するのかも知れません。たとえもとの通貨がいくらであっても、100エヴァというのが世界共通で合意されている人間ひとりが1日生きて行くために必要な金額という点では変わらない。もちろん国によって、それで買えるものは違います。でも100エヴァあれば世界中どこに行ってもなんとか生きて行けるという点は共通なのです。電子ワレットは、異なる通貨間での取り引きは出来ませんが、双方がエヴァ・モードに切り替えれば、どこの国の人とも取り引きが出来るようになる。これが世界中の人民が共通に使える統一通貨ということの意味です。(もちろんエヴァに切り替えても毎日1パーセントの減価率は変わりません。国によって時差の違いがありますから、減価タイミングをどうするかについては技術者の皆さんに少し頭を悩ませてもらう必要があります。)

 さあ、これを持って世界に飛び出しましょう! 世界の国々が国内通貨を採用して以来、従来の米ドルによる貿易額は確かに減りました。その代わり、国をまたいで人々が直接価値を交換し合うエヴァの取り引きはどんどん増えています。このことが世界経済をどれほど豊かにし、また安定した平和を築くために貢献しているか、そのことを想像してみてください。これまでにも世界には、ユーロのような国家をまたいだ国際通貨が存在しました。アジア圏でも統一通貨「アキュ」を導入出来ないかという議論があったようです。しかし、ユーロにしてもアキュにしても、どう考えても人民のためのお金ではない、それは国家同士の損得勘定が生み出した一種の〈強者連合〉による国際通貨です。そして私たちはすでに経験を通して知り過ぎるほど知っているのです、強者連合が出来るところ、必ずそこには食い物にされる弱者が生み出されるということに。そんな経済、そんな政策はもうたくさんだ、と私は思います。20世紀に生まれた私たちは、21世紀になればもう少しマシな世界が実現するのではないかと思っていました。いま21世紀も最初の10年が過ぎようとしているのに、世界は何ひとつ変わっていません。むしろ10年前よりも、国家間、世代間、個人間の経済格差は増すばかりです。私たちはもう自国に救世主のような政治家が登場して来ることにも期待はしていません。重要なのは、政治に期待することではなく、私たちが世界市民として価値を共有し交換出来る手段を持つことなのです。それさえあれば、国籍の違いも人種の違いも宗教の違いも、もう私たちの絆を引き裂くことは出来ない。いま私たちが手にしているこの小さな「エヴァ」さえあれば、愚かな政治家どもによって歴史の針が戻される心配もなくなるのです。


(今回の連載をひとつのPDFファイルにしました。まとめて読みたい方は、こちらをご参照ください。)

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2009年7月19日 (日)

社会信用論と自由経済思想(7)

 天下国家の経済政策について論じるとなると、読者の方からの批判も覚悟しなければなりませんし、それなりに緊張もします。かたやベーシックインカム導入後の庶民の暮らしを考えることなら、あまり気構える必要もありませんし、もともと楽しい想像ですから、いろいろアイデアも浮かんで来るような気がするのです。ここまでの連載を通して読んでくださった方なら、「減価する電子マネー」とそれを格納する「電子ワレット」がどのようなものか、ある程度のイメージは持っていただけたのではないかと思います。でも、実はこの新しいお金の最大の特長がどこにあるか、その真骨頂とでも呼ぶべき特質については、まだ説明していませんでした。今回はそれを説明します。毎日1パーセントずつ減価するお金は、たいていの商品よりも速いスピードで価値を失ってしまうお金ですから、支給された国内円はとりあえずモノに代えるという消費動向になって現れるかも知れません。それほど高価ではない日用品で、買い置きしても無駄にならないもの、例えば洗剤だとかトイレットペーパーだとか保存食品だとかの需要が一時的に増えるかも知れない。しかし、まもなく私たちは気付くのです、ワレットには毎日新しく3000円が湧き出て来るのだから、消費する以上のスピードで買いだめする必要は無いことに。私の想定どおり、商品価格の平均2割が国内円になるとすれば、3000円を使い切るためには日本円と合わせて15000円の買い物をしなければならない。夫婦ふたりの世帯なら、1日に3万円です。これは使いでがある、というより、それでは日本円部分の家計がもちません。結局、せっかく支給された国内円のうち、かなりの部分が使われずに、むなしく電子ワレットのなかで蒸発して行ってしまうのではないか? いや、きっとそうなるに違いありません。

 ところが、そんななかで一部の人たちはきっとこんなことを考え始めるのです、このお金をお店で使おうとするから使い切れないのだ、むしろ個人と個人の取り引きに使えばいいのではないかと。そう、今ふうのコトバで言うなら、「BtoB」や「BtoC」の取り引きではなく、「CtoC」の取り引きでこそ、国内円はその本領を発揮するのではないかということです。(Bはビジネス、Cはコンシューマーの略です。) すぐに思い付くのは、休日に各地で催されているフリーマーケットだとか、インターネット・オークションのようなものです。現在はこうした個人間の取り引きにも、私たちは日本円を使うしかありません。それ以外のお金を私たちは持っていないからです。私もたまに近所で開催されるフリマを覗くことがありますが、100円の値札が貼られているものでも、なかなか飛ぶように売れるという訳には行かないようです。だっていまどき日本円の100円はとても貴重ですからね。しかし、これが国内円のある時代になったら? みんなお財布(電子ワレット)の中には、使い切れない国内円が余っている訳でしょう。こりゃ§100だろうが§500だろうが使いますよ。こうしてフリーマーケットは空前の活況を呈することになる。日本中の広場という広場が、フリマ会場になってしまうかも知れん(笑)。インターネット・オークションも、主催企業が国内円の使用を認めるなら(認めざるを得ないでしょう)、いま以上に盛んになると思います。その時ヤフーのような企業が、手数料を国内円で受け取れるかどうか、ここは見ものです。もしも既存のオークション企業があくまで日本円にこだわるなら、そんな企業は淘汰されてしまうに違いない。余談ですが、オークションの場合には、売り手は日本円と国内円の比率だけを決めて出品することになります。あなたの秘蔵の品を国内円100パーセントで売りに出したら、あっと驚くような高値がつくかも知れませんよ。

 つまるところ、私たちが購入する商品やサービスのうち、最後まで絶対に国内円でまかなえないのは、海外からの輸入に依存している部分のものだけなのではないかと思います。日本は天然資源に乏しい国ですから、国内円に馴染まない経済の領域はかなり大きいに違いない。(もしも国内通貨を導入する国が世界にいくつも現れたら、通貨の内外比は各国まちまちになるでしょう。) それでも特に人件費にかかわる部分、つまり私たちが労働によって価値を生み出している部分は、これは純国産の価値創造と呼べる訳で、働き手の意識の持ち方次第で国内円にシフトすることが出来る部分だと思います。これも過去に何度も書いていることですが、いまの日本では介護施設など福祉の現場での人手不足が深刻になっています。福祉を志す若い人は多いにもかかわらず、あまりの激務と低賃金で人が定着しないという悲しい現実があるのです。現在のような日本円オンリーの経済体制では、儲かるビジネスになる分野にしかお金が集まらない。貧しい人たちのための福祉は、行政からの補助によって、すなわち日本経済の〈おこぼれ〉によって細々と運営されている。何故そうなってしまうかと言えば、例えばお年寄りの介護をするといった貴い労働を正当に評価する経済の仕組みを、私たちが持っていないからだ。考えてもみてください、福祉を志す若者が、その分野でひと旗揚げてお金持ちになってやろうなんて野望を抱いていると思いますか? 世間には輸入ブランド品に囲まれて暮らすのが好きという人もいれば、お年寄りの笑顔に囲まれて暮らすのが好きという人もいる、それは個人のライフスタイルの問題だから、甲乙つける筋合いものではありません。が、私たちの待ちわびている国内円というものが、どちらのライフスタイルを応援するものであるかは言うまでもないことです。

 国内円の導入は、私たちの生き方の選択肢を広げるものであると同時に、私たちのこれまでの生き方に反省の目を向けさせるものでもあると言えます。これは公務員や介護職員の方たちだけの話ではありません、この不便なお金が世間に普及した時、企業は間違いなく私たちの(日本円の)賃金を切り下げて来るだろう。その代わりに私たちはみな平等に(国内円の)基礎所得を持つ。ブランド品も買えなければ海外旅行にも行けない、それどころか先立つ日本円が無ければ、お店でも満足に使えないようなお金です。このお金を価値あるものにするために、私たちは何をしなければならないのか? もしもあなたが住む家を持っている人なら、国内円のベーシックインカムだけでもなんとか餓死しない程度に生きて行けるかも知れません。でも、それだけでは実にもったいないと私は思います。確かに私たちには、日本円をバリバリ稼げるような技能も無ければ才覚も無い。現在の職を失えば、明日からすぐ路頭に迷うような身の上です。しかし、それでは私たちはこの社会の中でまったく必要とされていない人間なのだろうか? 誰かの役に立ちたい、自分に出来る仕事があればやらせて欲しい、そういう当たり前の欲望が、これまでは日本円の高いハードルに阻まれてなかなか叶えられなかったのです。ところが今は、私たちの手の中には国内円というものがある。とにかく外に出て、人に会い、これで価値を交換し合うという実験をしてみようじゃありませんか、童話の「わらしべ長者」のようにね。すべてはそこからしか始まらない。ほら、あそこにパン屋さんがあるから入ってみましょう。ここで売っているパンは、国内円だけで買えるんだそうです。なるほど障害者の人たちが働く作業所で作られたパンなのですね。みんな頑張っているんだなあ。なんだか自分にもやれそうな気がして来たぞ。私もぜひこの新しい「人間の経済」の環に参加させてもらえないものだろうか…

 おっといけない、また白日夢の世界に入り込んでしまった(笑)。要するに、ここで言いたかったことは、カジュアルなお金の導入は、私たちの働き方もカジュアルなものに変えるだろうということです。よくベーシックインカムが導入されると、国民はみな働かなくなってしまうのではないかと心配する人がいますが、支給されるのが減価マネーであればそんな心配は無用です。むしろ価値が高騰し過ぎた単一通貨というものが、国内の労働市場を堰き止めて、価値の創造を阻む最大の要因になっていることに気付かなければいけない。私は日本円と国内円で合わせて1千兆円のGDPを実現するというプランを描きました。これは誇張でも何でもないので、これまでは経済的な評価を与えて来られなかった様々な労働が、国内円によって正当に価値を見積もられ、取り引きの対象として扱われるようになれば、それだけでもGDPは倍増する可能性がある。むしろそれを計算に入れて来なかった従来の経済学の方に問題があったとさえ私は言いたいのです。これによって例えばこれまではボランティアに頼らざるを得なかった福祉分野の仕事にも、(国内円での)正当な報酬が支払われるようになる。それもGDPの一部です。(ちなみにボランティアというのは労働力のダンピングですから、それ自体大きな問題をはらんでいるものだと私は考えます。これはまた別のところで取り上げるべきテーマですが。) 賃金支払いのルールとして、日本円対国内円、2対1の原則というのを私は想定しました。これは雇用する側に適用されるルールです。こうした縛りが無ければ、国内円の導入によって新たな貧困層が生み出されることになってしまう。だから必要なルールではあるのですが、働く側の人間からしてみればそんなルールに縛られる必要は無い訳で、自分のライフスタイルに合わせて必要なお金を必要なだけ稼げばいい。

 そうだ、ひとつ説明するのを忘れていたことがありました。仕事を探しに街に出掛ける前に、電子ワレットの機能について簡単におさらいをしておきましょう。この小さな装置がベーシックインカムそのものであることは説明しました。日本中のお店でこれが使えることも説明しました。もうひとつ、まだ説明していなかった重要な機能があります。それは個人が持つ電子ワレット同士でお金をやり取りする機能です。イメージとしては、子供が携帯ゲーム機をくっつけてポケモンを取り換えっこするのと同じと考えてください。フリーマーケットなどで個人間でお金の支払いをする時には、この機能が使われます。これは銀行口座を経由しないので、まったく税金のかからない取り引きになります。国は無理をして、こうした〈草の根取り引き〉に課税しようとする必要はありません。むしろこれを野放しにしておくことで、活発な国内円の循環を促した方が、経済全体の活性化にもつながると考えられます。(国民経済の実態把握のため、何らかの方法で情報を捕捉する必要はあるかも知れません。) これは使えると思いませんか? 市役所の掲示板には、「不用品売ります」のコーナーと並んで、「仕事頼みます」のコーナーが出来るかも知れない。「庭の芝刈り、半日§5000。昼食付き」、「引っ越し手伝い、1日§10000。¥での謝礼も若干あり」、そんな貼り紙がたくさん出るのではないでしょうか。基本的にいまの日本では労働力が余っている訳ですから、そこに〈定常的に余りがちなお金〉を供給してやれば、どのような経済効果が現れるか、誰でも想像がつくことだと思います。それからもうひとつ蛇足。この電子ワレットは格納出来る金額に限度額があります。§30万未満ではオーバーフローしてしまうから、そうだな§50万くらいでどうだろう。これによって個人用の電子ワレットが、企業の脱税に使われることを抑制出来ますし、裏社会での不法な取り引きなどに使われる危険性も減らすことが出来る。(まあ、やくざさんの業界が§なんてものに興味を持つとも思えませんが。) それ以上の金額の国内円を扱う人は、銀行に個人口座を持てばいいのです。

 少しトリビアルな追記をしておきます。電子ワレット同士でお金をやり取りする仕組みを、携帯ゲームの通信機能のようなものと説明しましたが、ここには少し工夫が必要だと思います。というのも、私たちはふだん個人間でお金を授受する習慣を持っていないので、ちょっとした仕事や小さな親切のようなものに対してお金でお礼をすることに心理的な抵抗を感じるだろうと思うからです。特にチップを渡すという習慣の無い我が国では、旅館の仲居さんに心づけを渡す時にもお札をティッシュで包んだりしている。これは日本人の心ばえの奥ゆかしさと見ることも出来るし、また私たちが〈生のお金〉というものをどこか汚いもの、忌むべきものと感じていることの現れと見ることも出来る。新しい国内通貨は、こうした心理的抵抗感とは無縁のものであってくれないと困ります。私の理想としては、電車で席を譲られたお年寄りが、相手の親切な若者にさりげなく渡せるようなもの、つまり「ありがとう」の言葉に添えて自然に伝わるようなものであって欲しい。これを実現出来るかも知れない要素技術のことを、つい最近のニュースで読みました。次世代の自動改札は、ICカードを取り出してかざさなくても、ポケットに入れたままでも読み取ってくれるものになるのだそうです。人間の身体に流れる微弱な電流を利用するらしい。この技術を応用しましょう。誰かに国内円を贈りたい人は、指先で軽く相手の身体に触れるだけでいい、贈られる側の電子ワレットに受信準備など必要ありません。(国内円の授受においては、基本的に受け手側の拒否オプションは無いのです。) 口に出して「ありがとう」、「どういたしまして」が言えないシャイな日本人のために、授受が成立したら電子ワレットが優しい音色を出すというのはどうでしょう。携帯電話の着信音のように、いろいろ個性ある音色を選べるようにしたらいい。街なかにはたくさんの親切があふれ、たくさんの音色があふれることになる。

 国内通貨による新しい「人間の経済」のことを考えると、いろいろなアイデアが湧いて来るし、また解決しなければならない課題が多いことにも気付きます。ここから先は、これからの時代を担う若い人たちに考えてもらいたいところです。今回の記事でも気付いていただけたのではないかと思うのですが、「人間の経済」を実現するためには、何よりも私たち自身のお金に対する意識を変革しなければなりません。社会のいろいろなルールが変わると同時に、私たち自身も変わらなければならないのです。今回私が書いているようなことは、その大まかなアウトラインに過ぎないのであって、具体的な方法論については若い人の感性でデザインしていただきたいのですね。何故なら、現代の経済が抱えている大きな歪みは、これからの時代を生きる若い人たちが背負わされた重荷であるからです。それをどのように作り変えて行くか、決定するのはあなたたち若者に与えられた権利です。いまの政治はダメダメだけど、あなたたちには柔軟なとらわれない発想力があり、また自由に駆使出来るテクノロジーがある。私たち年寄りは、そうやって若い人たちが作り出した新しい経済システムに、(多少恥ずかしかったり時間がかかったりするかも知れませんが)慣れるよう努力をして行きましょう。ただ、現在の経済に対する反撥心から、従来の日本円の経済を全否定することだけはいけません。それは近代日本が成立するなかで、先人たちがたいへんな苦労をして作り上げて来た遺産だからです。C.H.ダグラスが言うように、あなたたちにはその正当な相続人としての権利があるのです。いかに日本円の経済と国内円の経済とを、喧嘩させずに調和させて行くか、それがあなたたちに課せられた一番の課題ということになる訳です。…ということで、しめくくりのコトバのようにも見えますが、まだ連載は続きます。書き残してしまった重要なポイントがまだふたつかみっつあるからです。次回がいよいよ最終回になると思います(たぶん)。

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2009年7月12日 (日)

社会信用論と自由経済思想(6)

 これは巨額の資金が注ぎ込まれる国家的なプロジェクトですから、失敗することは許されません。しかも、人類の歴史を振り返っても、ひとつの国全体でこれを試した例など無い訳で、過去の失敗から学ぶことも出来ない。とにかくよく考えて、あらゆる可能性について想像するしかありません。減価貨幣を実際に導入した事例として、1930年代のふたつの都市のことを私たちは知っています。ドイツのシュヴァーネンキルヘンとオーストリアのヴェルグルです。どちらも世界大恐慌のさなかに、奇跡のように経済が復興した成功事例として伝えられている訳ですが、皮肉な見方をすれば、失業率が30パーセントというような不況のどん底にあったからこそ、あの華々しい成功があったのかも知れない、そんなふうにも想像することが出来るのです。これは今日の社会にも通じることです。長引く不況やひどい経済格差のなかで、国民はやぶれかぶれで政権交代でも何でも起こってくれと思っている。仮にいまどこかの無責任な政治家が、「減価貨幣でベーシックインカムをやります」という公約を掲げたら、有権者からは一定の支持を得られるのではないでしょうか? 非道な金融資本主義に対する嫌悪感からだけでも、国内円は人々に歓迎されるような気がします。しかし、やがて景気が回復して、失業率も低下して来れば、日本円に比べて価値の低い第二通貨なんてものには誰も振り向かなくなるのではないだろうか。その時には、国内円を頼りに生活を組み立てて来た貧困層の人たちが、再び直撃を受けることになる。景気の循環によって、国内円部分にだけハイパーインフレが起こるという最悪のシナリオも想定出来ないことではありません。

 もしも国家事業として第二通貨の導入を行なうなら、それは不況脱出のための一時的な策であってはならないと思います。それは不況・好況にかかわらず、持続可能な政策でなければならない。文字どおり「国家百年の計」でなければならないのです。もっとはっきり言うなら、この国の500兆円のGDPのうち、250兆円を国内円の市場(プアマンズ・マーケット)にして、それをこれからの時代の社会保障の基盤にしようなどというみみっちい考え方ではなく、500兆円の日本円市場はそのまま維持しながら、その上にさらに500兆円の国内円市場を開拓して、合計1千兆円のGDPを実現する、そのくらいの目標設定にしなければならないということです。日本円と国内円が車輪とエンジンの関係になって、この国の経済を牽引して行くというイメージです。…と、少し景気づけをしたところで、この二重通貨体制のなかで政府の果たすべき役割は何かという問題に移ります。とにかくこれまでに誰も見たことのない、減価する電子マネーなんてものを導入する訳ですから、まずは国が率先してそれを使ってみせなくてはならない。税の一部を国内円で徴収することについては前回説明しました。国は集まった国内円の使い途をどうするか? まずは公務員の給与の一部にこれを充てることにします。民間企業の場合は、給与にどれだけの比率で国内円を含めるかは、個々の雇用契約によって決められますが、公務員の場合にはすべて一律になります。全国に400万人いる国家公務員と地方公務員、全員が対象です。国内円が通貨として発効した日から、公務員給与の(例えば)2割が国内円で支給されるようになる。もちろんその時までに、政府支給の電子ワレットが国民のあいだに行き渡っていなければなりませんし、銀行オンラインも完成していなければなりません。

 当然、これだけですぐに国内円が活発に流通し始める訳ではありません。個人が新しいお金を受け取っても、これを使えるお店がどこにも無いからです。ドイツのシュヴァーネンキルヘンで史上初の減価紙幣が登場した時には、最初にこれを使えるようにしたのは紙幣発行者が開設した商店でした。我々もこれを見習いましょう。国や地方自治体は、公務員の生活を保障するという名目で、全国各地に国内円が使える官製のマーケットを作ります。この時にはベーシックインカムの支給も始まっている訳ですから、これは一般の国民も利用することが出来ます。新しいお金が流通するようになるまでは、生産・流通・販売の全領域に対して、国が(日本円での)補助金を出すなり税制面で優遇するなりして、バックアップする体制を取ることが必要だと思います。そして国内円の市場が自律的に回るところまで来たら、徐々にそこへの(日本円での)関与を薄くして行けばいいのです。また国や自治体が国内円を使うのは、公務員給与の支払いに対してだけではありません。公共事業などの政府調達についても、契約価額の(例えば)2割を国内円で支払うことを法律で定めます。政府が調達するもののなかには、当然国内円が流通しやすい分野のものとそうでないものとがある筈ですが、それを個々に考慮することはしません。政府調達の一部に国内円を使うことは、財政を緊縮することが目的ではなく、民間部門に国内円市場を作り出すための呼び水にすることが目的だからです。(例外はあります。例えばアメリカから戦闘機や軍艦を買うのに、支払いの一部は国内円といういう訳には行かないでしょう。米軍への「思いやり予算」については、ぜひ国内円を混ぜたいと思いますが。笑) これによって担当する業者が赤字を引き受ける必要はありません。日本円で8億円が必要な公共工事なら、10億円で入札すればいい訳ですから。それでも国内円をどれだけ経営資源として有効活用出来るかということは、企業の競争力に大きく影響する要素にはなります。

 国と自治体が財政支出の何パーセントを国内円でまかなうかということは、経済政策の要とも言える重要な指標になります。ひとつの考え方としては、この部分も市場原理に任せて、すなわち収税額に占める国内円の割合に合わせて変動させるという方法もあるかと思います。しかし、おそらくそれは非常に不安定な経済状況を作り出すだけのことでしょう。二重通貨政策を採用する政治的な目的は、国内通貨によって国民の基本的な生活を安定させることで、国際通貨(我が国の場合は日本円)の競争力を削がないようにするということが第一です。日本は戦後の高度経済成長で世界第二位の経済大国になりました。それにともなって日本円も非常に強くなったのです。(私が子供の頃は、1ドルは360円で固定だったのですから、単純に4倍の価値向上があった訳です。) しかし、経済成長が止まって、少子高齢化の社会に移行しつつある現在、そのような高騰してしまった日本円ですべての人件費を払い、福祉や医療を支えることは現実的に不可能になっている訳です。日本にはまだ高度な技術力や生産能力があり、国際的に高い競争力を保持しているにもかかわらず、国内の人件費や福祉にかかるコストがその足を引っ張る構図になっている。であるならば、そのふたつの経済を政策的に分離してしまえばいいのではないかというのが発想の根本です。共産主義とはまったく思想の出発点が異なりますが、一種の統制経済であることに違いはありません。この政策の実行に当たっては、政治の強力なリーダーシップが必要不可欠です。だからそれを実行出来るのは、自民党政権でも民主党政権でもあり得ない、そのあとに現れる真の国民政党にこそ託すべき政策だと考えます。

 とは言うものの、これが即「大きな政府」を意味するものではないという点は強調しておく必要があります。むしろこの経済政策によって、行政は画期的にスリム化するのではないかと考えられます。今後ますます財政の負担になることが懸念されている生活保護制度なんてものも、基本的には廃止されることになる筈です。すべての国民にベーシックインカムが支給される訳ですから、もうそんなものは必要が無くなる訳です。(尤も労働収入のまったく無い貧困家庭のために、少ない額の日本円の支給は今後も必要かも知れません。) これは単に生活保護費の削減にとどまらず、生活保護の認定や支給にかかわる行政側の経費もすべて削減出来ることを意味します。同じことは他の多くの社会保障制度にも当てはまります。失業保険は原則廃止、医療保険・介護保険・児童手当・障害者手当のようなものも大きく見直されることになるでしょう。それどころか国民年金だって、ゆくゆくはベーシックインカムに一本化されることになる。現在の「失われた年金記録問題」を見ても分かるように、これらの〈選別主義〉に基づく社会保障制度は、非常に高い行政コストと引き換えに私たちが手にしているものです。ベーシックインカムの良いところは、評価も選別もせずに全ての人に同額を支給するだけなので、行政コストがとても安上がりで済むという点です。しかも私の提案する「自動的にお金が湧き出る」電子マネーなら、この政策にかかる公務員の人件費はほぼゼロです(笑)。構造改革派もそうだったし、いまの民主党の公約でも同じですが、現在の社会制度をそのままで国や地方の人件費だけ削減しようとしても、どこかに歪みが現れるのは分かり切ったことです。この国の政治家は何故もっと大きな構想力を持てないのだろう?

 国が第二通貨を流通させるためにすべきことはそれだけではありません。税制の見直しも、国内円の流通促進という観点から一貫性を持って行なわれるべきです。前回の記事で、法人税のあり方をどうするかという問題が棚上げにされていました。この観点に立てば、おのずから方向性は見えて来ます。例えば国内円での売上高比率が高い企業に対しては、日本円部分の法人税を減税するという政策が考えられます。もともと日本の法人税は、先進諸国のなかでも高い方だそうですから、この減税による国内円シフトへのインセンティブは充分あるのではないかと期待出来ます。もしもあなたがトヨタの社長だったと想像してください、自動車メーカーが新車を100パーセント国内円で売り出すことは不可能ですが、販売価格の20パーセントを国内円にすれば税の優遇が受けられるとなれば、それは業績目標のひとつとなり得ます。しかもディーラーが販売価格の何パーセントを国内円で受け付けられるかという点をめぐって、ホンダや日産とのあいだに熾烈な競争が起こることは必至ですから、これは単なる減税策にとどまらない、企業戦略の中心課題にさえなる可能性がある。すると何が起こるでしょう? 生産が国内に回帰するのです。自動車メーカーや家電メーカーが国内円で製品を販売するためには、下請けを含めた製造工程の多くを国内に持って来なくてはならない。そうしなければ調達費や人件費で国内円を消化することが出来ないからです。こうして空洞化しつつあった国内の製造業がよみがえる。政府は税制に優遇措置を設けることで、そこにいっそうの拍車をかけるのです。

 また国内の産業でも競争の少ない分野、例えば電気・水道・ガスのような公共料金や鉄道運賃などについては、別の方法で国内円へのシフトを誘導します。つまり、これらの公共性の高い企業に対しては、国内円部分の法人税率を高く設定するのです。電力会社が従来どおり日本円で電力料金を徴収していたのでは、国内円の収入がまったくありませんから、国内円での税金が払えない。少なくとも電力料の一部は国内円で徴収せざるを得なくなります。国内人件費の2割、法人税の2割が国内円というのが標準になれば、公共料金や交通運賃なども自然に2割が国内円という相場になるのではないか。ただ、運賃に関してはシステム上の工夫が要りますね。切符の自動販売機や自動改札などは利便性が命ですから、1回のタッチで日本円と国内円を同時に支払えるハイブリッド型の電子ワレットがどうしても必要になりそうです。そう考えると、最初から電子ワレットはハイブリッド仕様で設計しておくべきですね。この点は以前の記事を訂正しておくことにしましょう。(今回の連載は、書きながらいろいろアイデアをひねり出しているので、前後で矛盾するところがあるかも知れません。その点はご容赦ください。そう言えば、国が支給するレジシステムの仕様にも少し変更が必要になりますね。) もうひとつ、小さなことですが思い付いたことがあります。電子ワレットで支払いをする時、もしも国内円の金額が不足していたら、不足分は日本円から引き落すルールにしておくということです。つまり商品の売買において、国内円の支払いは日本円で代替出来ることを法律に明記しておくのです(その逆はダメですが)。こうすれば電子ワレットを忘れて来ても電車には乗れるし、国内円の残高不足で自動改札が閉まってしまうこともないし、外国人観光客が街で途方に暮れることもなくなる。消費者にとっては、貴重な日本円を無駄にしないためにも、国内円の重要性は増すことになるでしょう。

 ここでは仮に国内の貨幣流通量のうちの2割を第二通貨にする前提で話を進めて来ましたが、この数字の妥当性はもっと綿密な計算によって検証すべきでしょう。そして国はあらゆる方法を駆使して、適切な通貨の流通比率を守るよう努力する。国内円の流通量と流通速度は、コンピュータによってリアルタイムにモニターすることが出来ますから、対策はすばやく打つことが出来ます。信用創造の機能を民間に払い下げてしまった現在の経済の仕組みでは、経済対策として国が出来ることも限られています。国家予算規模の資金を動かして、利をむさぼろうとする国際金融資本に対して、各国の政府がいかに非力であるか、世界はそのことを身をもって体験している訳です。国が完全にコントロールすることの出来る第二通貨の導入には、今後も繰り返し襲って来ると思われる国際金融資本の攻撃から、国民を守る力と方法を国が持つという意味もあるのです。さて今回は、国家の財政というマクロ経済の部分について考えてみました。次回は視点を変えてミクロ経済について、つまりこのような経済体制のもとで私たちひとりひとりの生活がどう変わるかということについて考えてみることにしましょう。この連載も、いよいよ最終回に近付いて来た、かな?

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2009年7月 5日 (日)

社会信用論と自由経済思想(5)

 今回は私の提案する「減価する電子マネー」が実際に導入されたあとの社会というものを想像してみることにします。果たしてこれが現実性のあるアイデアかどうか、いろいろな思考実験をしながら確かめてみたいのです。まずはこのお金を持って行きつけのスーパーマーケットに入ってみることにしましょう。目新しいのは商品の値札に見慣れない記号が書かれていることです。例えばこんな表示です、「¥700/§300」。これは日本円で700円と国内円(新通貨)で300円という意味のようです。(“§”という記号に特別な意味はありません。国内円を表す通貨記号と捉えてください。) 単に「¥4000」といった値札を付けた商品もあります。なるほど「魚沼産コシヒカリ」ですか。国内円は1円たりとも受け付けないという生産者の強気な姿勢が感じられますね。同じお米でも、銘柄によって「¥1500/§500」というのもあれば、「¥1200/§1200」なんてのもある。これはどちらを買うか迷うところです。一方では「§100均一」なんて売り場もあります。これは地元で採れたちょっと形の悪い野菜などを売っているのですね。朝の開店と同時に売り切れてしまう人気のコーナーです。その他にも、本日の目玉商品として国内円だけで買える商品も結構あります。いくつかのスーパーを買い回りすれば、国内円だけで必要な品物は買い揃えられるかも知れません。輸入食品は日本円の比率が高くなる傾向がありますが、これは当然のことでしょう。むこうのバナナが「¥198/§48」なのに対して、こちらのメロンは「¥98/§398」。値段から産地や生産者の顔が想像出来て面白いですね。私が一番気になるお酒のコーナーを覗いてみると(笑)、どのメーカーのビールも価格の10パーセントが国内円と設定されているようです。これはきっと税制との関係でそうなっているのだろうと思います。

 では、次にレジに向かいましょう。このスーパーでは、レジも国内円に対応した新型のものに入れ替えています。商品はバーコードで読み取られ、日本円と国内円が別々に集計されます。日本円の支払い方法は従来と同じです。国内円の方は電子ワレット(個人用の電子マネー機器を今後こう呼びます。ワレットはお財布です)を読み取り機にタッチするだけですから、会計に時間がかかるということもありません。(最初の頃は、お客さんが電子ワレットのロックを解除するのに手間取る場面も多く見られましたが、最近はみなさん慣れたようです。) なかには現金での支払いをせずに、1回のタッチですべての会計を済ませている人もいます。あれは国内円と日本円を両方チャージ出来る新型のワレットを使っているのでしょう。支払われた国内円がこのあとどうなるのか、それについても少し説明しておかなければなりません。レジの中には店舗専用の電子マネー(ICチップ)が仕込まれています。これは個人用とは違って、毎日ベーシックインカムが自動チャージされることのない業務用の電子マネーです。むろん深夜3時に1パーセント減価する機能は個人用と同じです。レジにたまった国内円は、このスーパーを展開する企業の本部に送られます。各店舗の売上をまとめるのもやはり業務用電子マネーです。さらにそれはこの企業が持っている専用の銀行口座に送られます。これは国が直接運営する無店舗の銀行で、扱っているのは国内円のみです。もちろんこちらも毎日1パーセントずつ口座残高が減ります。それでもこの銀行口座が有利な点もあります。それは口座間の振込手数料がまったくかからないという点です。現在の民間銀行は、振込金額に応じてかなりの手数料を取りますが、それがゼロなのです。ただ、預け入れの限度額に応じた一定の口座維持費はかかりますが(こちらは日本円です)。この銀行口座は個人でも持つことが出来ます。ネットショッピングやオークションなどをする人には、とても便利なものになると思います。要するに、この国内円というお金は、国が支給するICチップと国が管理する銀行口座という閉じられたループの中を、減価しながらぐるぐる巡るものなのです。

 それでは次にもっと小さな個人商店を覗いてみましょう。ここにも国内円対応のレジが置いてありました。聞いてみれば、これは国が非常に安価に貸し出しているものなのだそうです。こちらは回線経由で店主の個人口座と直接結ばれています。このレジが便利なのは、客が客自身の口座から携帯する電子ワレットに国内円をチャージする機能も備えていることです(いま思い付いたアイデアです)。手持ちの国内円が無くても、日本中どこの店に入っても電子マネーを補充することが可能なのです(口座に残高があればですが)。面倒な操作も必要ありません、入金したい金額を入力してレジにかざすだけ。ワレットに記録されているID番号から持ち主の口座を判定して、指定された金額を引き出して来るだけです。もちろん手数料などかかりません。…で、何の話でしたっけ? そうそう、個人商店の話でした。この新しい通貨が導入されて以来、多くの個人商店で客足が戻ったと言います。その理由はこのお店の値付けを見れば分かります。先ほど見学した大手スーパーと比較すると、明らかに国内円の使える割合が大きいのです。からくりは簡単、家族経営の小さなお店なので人件費はかかりませんし、大きな設備投資などもほとんど無いので、日本円を必要とする割合が大手企業よりもずっと小さいのです(これは経営者のライフスタイルにも拠るところです)。置いてある商品は、ほとんどが国内産のものばかりです。安い輸入品を大量に仕入れるためには、大企業の持つネットワーク力が不可欠ですが、地元の質の良い商品を(国内円で)少量仕入れるためには、生産者との信頼関係が何よりの武器になります。だから小さな個人商店でも、仕入れる商品の開拓や値段の設定などに、いろいろ工夫や努力の出来る余地があるのです。これまでの安値で買い叩いて大量一括仕入れをするというビジネスモデルが(部分的にですが)通用しなくなって来たとも言えます。ほら、店のおやじさんの表情も明るい。商店街に昔の活気が戻って来たみたいです。

 国内円が企業と企業のあいだでどのように流通して行くか、その点についてもう少し詳しく見てみましょう。前回も説明したように、販売価格の何パーセントまで国内円で受け付けるかを決めるのは売り手側です。これは小売店だけでなく、中間の流通業者や生産者についても同じです。小売店の店頭価格に国内円の占める比率が高い商品は、当然流通過程でも国内円主体で取り引きされていたのでしょうし、生産者も国内円主体で出荷したものと想像されます。ここまでは前回の復習です。そして先ほども説明したように、銀行口座間の取り引きに手数料はかかりませんから、国内円部分の支払いは毎日決済が原則になるだろうと予想されます。何故なら、お金を払う側としては、月末締めの翌月末払いなんていう悠長なことでは、資金がどんどん減って行ってしまいますから、払えるものは一刻も早く払いたいと考える筈だからです。通常の商取引では、資金繰りのことを考えて、買い手は支払いをなるべく遅らせたいと思うものです。ところが減価するお金の場合には、この発想が逆転します。売り手が「掛け売り」で構わないと言っても、買い手がそれを許してくれないのですね(笑)。結果として国内円は、個人→小売店→流通業者→生産者というルートをすごいスピードで駆け抜けて行くことになります。減価するお金は、とにかく「手離れのいい」「貯め込まれない」お金ですから、それを導入するだけでも取り引きがめざましく活発化するのです。そもそも常識的に考えれば、物を買うタイミングとお金を支払うタイミングに現在のような大きなずれがあること自体おかしなことです。これは商品よりもお金が優位であるが故に、取り引きにおいても買い手が優位に立ち、優位な側が相手に圧力をかけているという構図に他ならないと思います。

 さて、次の問題はこうして企業間で取り引きされた国内円が、どのようにして個人の消費者に還流して来るかという問題です。それを説明する前に、今度は近くにある職業安定所(あ、ハローワークだ)に立ち寄ってみましょう。国内円が導入されてから、失業率が劇的に改善されたと聞いていますが、そのからくりを探ってみようと思うのです。最近は職安もシステム化が進んでいて、求職者はパソコンで求人票を検索出来るようになっています。(私も過去にずいぶんお世話になりました。笑) おおっ、ここにもありましたよ、例の記号が! 「SE募集。基本給、¥120,000/§60,000」。なるほど、そういうからくりだったのか! 商品の仕入れにだけ国内円を使っても、企業は集まって来る大量の国内円を捌き切れません。国内円は供給連鎖(サプライチェーン)の上流にどんどん溜まって行くばかりです。これを経済の大きな循環にするためには、当然企業としては従業員への賃金の支払いの一部にこれを使えなくてはならない。そしてもちろん使えるのです。但し、その割合には上限を設けることが必要でしょう。どのくらいが妥当かな、仮に日本円の総支給額の二分の一までということにしておきましょうか。日本円の20万円にプラスして国内円の10万円が上乗せされるといったイメージです。もちろん国内円の割合は一律ではありません、それは雇用者と被雇用者のあいだで個々に取り決められることになります。優秀な人材が欲しい企業は、高給を提示するだけでなく、全額を日本円で支払うことを約束しなければならないかも知れません。逆に職に就きたい個人にとっても、能力や経験以外にもうひとつアピール出来るポイントが増えることになります。つまり国内円で給料を受け取れるということを履歴書に書くことが出来るのです。これは採用する企業にとってはかなり魅力的な条件となる筈です。

 働く人への給料の支払い方法も、日本円の部分は従来どおり月給制が主流ですが、国内円の部分は日払いが当たり前になるだろうと思います。企業にすれば減価するお金は一日も早く手放したい訳だし、個人にしても使いにくい国内円を月末にまとめて支払われるより、毎日少しずつ受け取った方が便利だからです。とにかく振込手数料がかからないのですから、このへんは各企業が自由にやり方を決めればいい訳です。(こう考えると、個人の銀行口座は働く人すべてに必須ですね。) 税金のことについても簡単に触れておきましょう。ベーシックインカム導入後の税の体系をどうするかということは、実はこの制度の根幹とも言うべき重要な問題です。個人の所得税に関して言えば、日本円の収入と国内円の収入を分けて考えます。つまり法律によって決まっている税率が、日本円部分と国内円部分にそれぞれ別個に適用されるということです(国内円部分については累進課税ではなく、一律の税率=フラット・タックスになります)。これは地方税についても同じです。サラリーマンが源泉徴収によって税金を引かれるのも従来と同じです。国内円での税金は、給料の支払い単位で納めてもらうことになります。つまり「毎日納税」です。フラット・タックスなので年末調整なども必要ありません。そうだ、ヴェルグル町で実際にあったように、税金を一括前倒しで支払いたいという人も現れるかも知れませんね。しかし、これは国の財政上、受け付けることが出来ないと思います(この点はまた次回説明する予定です)。その他の税金についてはどうでしょう。まず消費税というのは、減価貨幣の導入とともに廃止されます。なにしろ政府は、年間100兆円以上の政府通貨発行権(セイニアーリッジ特権)を手に入れるのですから、財政赤字なんて言っていたのはいつの時代の話だということになる。相続税や贈与税、固定資産税のようなものは、残念ながら従来どおり日本円で払っていただきます。これらの税金は、価値を無傷で貯め込むことの出来る日本円の経済圏に属するものだからです。(もしも莫大な国内円を遺して死んだ人がいたとしても、そこから相続税を徴収する必要は無いと思います。個人資産としての国内円は、たとえそれが1億円だろうが10億円だろうが、2、3年でほぼ30万円に収束してしまうお金なのですから。むしろ相続人が派手に使ってくれた方が経済的効果があるというものです。)

 細かい制度の設計について説明し始めると、だんだんほころびが出て来るような気がしますが(笑)、気にせずにもう少しだけ説明を続けます。企業が納める法人税や企業会計のあり方はどうなるかという点です。日本円の部分の経済活動に関しては、納税も含めて従来の会計規則がそのまま継続されます。企業はこれまでどおりの決算を行ない、損益計算書を作って、利益に対しては日本円での納税を行ないます。問題は国内円部分の決算と納税をどうするかという点です。日々減価するお金なんてものについて、正確な決算報告をするなんて至難の技だ、たとえそれが可能だったとしても、大規模なコンピュータ・システムが必要になるに違いない、もしもそんなふうに考える人がいたら、それは完全な誤解です。それどころか、企業はほとんど何も事務作業をする必要すら無いのです。と言うのも、国内円の企業間取り引きについては、すべて国が運営する「国内円銀行」が把握していますから、各企業の決算処理は銀行が代行して行ない、企業は銀行から送られて来る決算資料をそのまま株主に公開すればいいだけなのです。大企業だろうと個人事業者だろうと、脱税や粉飾決算は一切不可能。ただ税率や納税方法をどうするかということについては、別途検討が必要ですね。こちらは個人の所得税のように一律の税率という訳には行かないと思います。例えば取引額に5パーセントの課税をするのであれば、それは消費税の復活と変わらない。法人税はあくまで利益部分にかかるものだからです。もしかしたら国内円部分の法人税は必要無いのかな? まあ、そのへんはまた改めて考えてみることにしましょう(少し息切れ。笑)。さて次回は、このような経済改革のなかで国が果たすべき役割について考察します。減価貨幣を流通させるためには、経済活動の一端を担うプレイヤーとして、国の役割がきわめて重要になる筈なのです。(この連載、いったい何時まで続くんだろう?)

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