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2009年6月14日 (日)

社会信用論と自由経済思想(2)

 最初にひとつ算数の問題です。ベーシックインカムが実現して、すべての国民が毎月10万円の「国民配当」を受け取れる時代がやって来ました。ただ、これは現金で支給されるのではなく、国民のひとりひとりが持つICカードに電子マネーとしてチャージされるものとします。しかもこのICカードには不思議な機能が備わっていて、チャージされたお金が毎日1パーセントずつの割合で目減りして行ってしまうのです。そこで問題。もしもこの電子マネーを全く使わずに、毎月の10万円をそのまま貯金して行ったとしたら、1年後、2年後の残高はどうなっているでしょうか?

 毎日1パーセントの減価率というのは結構インパクトが大きくて、10万円が1ヶ月後には7万数千円ほどに減ってしまいます。それでも1ヵ月経てばまた10万円がチャージされるので、残高は17万数千円に回復する。では、そうやって減ったり増えたりした結果、12ヵ月後、24ヵ月後の残高は? もしもあなたが理系の方であれば、この程度の問題は方程式を立てて簡単に解いてしまうものと思います。が、悲しいかな、文系の私には方程式というものを立てることが出来ないので(笑)、こういう時にはエクセルで表を作って、実際に数字を入れて確認するしかありません。で、下のグラフがエクセルで作った2年間の残高の推移です。縦軸が金額で、横軸が経過日数になります。

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 おおっ、なんと金額が収束しているじゃないですか! 実はこのグラフを見た時の驚きが、この連載を書かせる原動力になっているのです。なんとなく自分の予想では、残高はゆるやかにどこまでも増加して行くのではないかと思っていたからです。(こんなに数字に弱いようでは、とても経済学者にはなれませんね。) 減価率を変えてシミュレーションしても同じです。収束する時期に違いはあっても、どこかで残高は上限に突き当たる。これは私にとってはとても嬉しい発見でした。何故なら、シルビオ・ゲゼルが考案した「減価する貨幣」でベーシックインカムをやれば、それは「持続可能な政策」になることが分かったからです。私が関曠野さんの講演緑を読んで直感した、社会信用論と自由経済思想との統合というのは、要するにそのことだったのです。

 だが、議論を急ぐのは止めましょう。私の過去の記事を読んでくださった方には説明は不要でしょうが、初めての方のために「減価する貨幣」というものについてもひとこと解説しておく必要を感じます。ゲゼルもダグラスと同様、銀行の利子というものを諸悪の根源と見る訳ですが、ダグラスが銀行から利子を生み出すもとである信用創造の特権を取り上げ、国家に貨幣発行権を移そうとしたのとは全く違う発想で、ゲゼルは貨幣というものの〈物理的性質〉そのものを変えて、貨幣自体がマイナスの利子率を持つように、すなわち放っておくと価値が目減りしてしまう性質を持つように出来ないかと考えたのです。荒唐無稽な発想に思えますよね? しかし、そのために彼は「スタンプ紙幣」というものを考案して、その具体的な運用方法を著書に書き記したのです。それは裏面に52個のマス目が印刷された紙幣で、それぞれのマスには日付が1週間単位で書かれているものでした。この紙幣の所有者はその日付が来たら、そのマスに政府発行の印紙を貼らなければ、紙幣が使えなくなってしまうのです。こうして紙幣を所有することに、税金(印紙税)がかかるようにするというのがゲゼルのアイデアでした。それがつまり紙幣の保有にマイナスの利子が付くということなのですね。当然、そんな紙幣は銀行では預かってもらえないし、銀行から融資を受けるにしても、銀行への支払い利子と印紙税の両方を払ってまで、お金を借りようという事業家はそうはいないでしょう。要するに、ゲゼル経済学でも、やはり銀行というものは成り立たなくなるのです。

 シルビオ・ゲゼルが唱えた自由経済思想の要点を、私なりのコトバで簡単にまとめると、「お金というものは人々に好まれ過ぎているので、お金にも少し人々に嫌われる性質を与えよう」ということだったと思います。(専門の研究者の方が聞いたら、呆れるか怒りだすような解説ですね。笑) 私たちがお金で商品を買う時、優位な立場にいるのは買い手の方です。たいていの商品は、放っておけば古びて価値を減じて行きますが、お金の方は古びて価値が下がるということがないからです。この立場の不均衡が、経済にたいへん良くない影響を与えている、と私たちゲゼリアンは考えます。お金が選好され過ぎることにより、取り引きは不活発になり、お金はむやみに貯め込まれる一方になる。(どこかで聞いたような話ですが…) ところが、もしもお金が商品と同じように、時間の経過とともに古びて価値を減じて行く性質のものだったらどうでしょう? 商売人が商品を早く売り捌いてしまいたいと思うように、金持ちは早くお金を手放してしまいたいと思うに違いない。ここで売り手と買い手のあいだに、初めて対等な関係が生まれるのです。当然、取り引きは活発になり、お金はすごいスピードで市中を駆けめぐるようになります。国民がGDPの3年分もの資産を貯め込むなんて馬鹿げたことだって起こる筈がなかったのです。(そもそも日本人の個人資産1500兆円のうち、どれくらいが利子で積み増したものなのか、あなたは考えたことがありますか?) マルクス主義にしろダグラス主義にしろ、たいていの経済学説が目指しているのは、適切な富の分配をどうするかということです。ところが、ひとりゲゼル主義だけは、すでにある富をどのように分配するかということよりも、お金そのものにいわばターボエンジンを搭載して、経済をフルパワーで牽引してしまおうと考えるのです。これが単なる机上の空論ではないことは、世界大恐慌のさなか、1932年にオーストリアのヴェルグルという町で何が起こったかを調べていただければ分かる筈です。

 ゲゼルさんの思想について書き始めると、話がどんどん脱線して行ってしまいますね。ベーシックインカムのことに話題を戻しましょう。今回の記事は、関さんの講演緑から受けたインスピレーションをもとに書いている訳ですが、政府貨幣でベーシックインカムをやるとすると、発行した貨幣はどのように社会の中で循環して行くかが問題になります。その点についての説明が、関さんのお話からは抜けているのですね。政府が民間銀行に代わって、企業に無利子でお金を貸し出すのはいい。それはやがて返済されるべきものですから、社会の中で循環して行くことが出来ます。ところがベーシックインカムは、返済の義務の無いお金ですから、社会の中にどんどん蓄積して行くしかありません。行き着く果ては恐ろしいインフレです。少なくとも乱発された政府紙幣は、早晩紙くず同然になってしまうに違いない。これは単なる仮説というより、間違いのない論理的帰結と言ってもいいと思いますが、もしも政府貨幣でベーシックインカムをやりたいなら、他に選択肢は無い、発行する貨幣は「減価貨幣」でなければならないのです。それもおそらくゲゼル式のスタンプ紙幣では難しいでしょう。ゲゼルさんはベーシックインカムのために減価貨幣を考案した訳ではありませんから、商品の減耗率に合わせて年に5パーセント程度の減価率を考えていました。ベーシックインカムとして配られるお金がインフレを起こさないためには、とてもそんな減価率では間に合わない。私は毎日1パーセントずつの減価率というのが、結構いい線を行っているのではないかと思います。これを実現するためには、どうしても現代のテクノロジーの力を借りて、「減価する電子マネー」というものを開発するしかないのです。たぶんシルビオ・ゲゼルが今の時代に生きていたとしたら、同じことを考えるのではないかと思います。

 ここで先ほどのグラフをもう一度見てください。月々10万円のお金を全国民に支給すること自体には、何も財源が要りません。それは政府貨幣でやるのですから。それどころか新しく紙幣を刷ることすら必要ありません。それは電子マネーでやるのですから。そして注目していただきたいことは、国内に出回る政府貨幣の総額は、この国の人口に比例して、ある一定のレベルで安定するということです。それはどのくらいの金額でしょう? グラフから読み取れることは、毎月の10万円をそのまま貯金しても、毎日1パーセントずつ減価するお金であれば、月の途中での期間変動はあるものの、平均して33万円くらいの金額で頭打ちになるということです。(あとでまた説明しますが、電子マネーによるベーシックインカムは「毎日支給」が原則になるので、この期間変動というものも無くなります。) このことは言葉を換えて言えば、国民ひとり当たり平均33万円という「基礎貯蓄」(これをベーシックバランスと名付けましょう)を持つということだとも言えます。すると1億2千万人×33万円で、約40兆円という金額になります。これは1年間の国民総生産(GDP)500兆円の8パーセント、金融総資産1500兆円のわずか2.7パーセントに過ぎません。国がすべての国民に月額10万円のベーシックインカムを支給しても、その残高がそのくらいの金額に収まるということは、私には驚くべきことのように思われます。それを可能にしているのが、減価貨幣というコンセプトなのですね。社会信用論と自由経済思想が互いに補完し合うものであると私が言う意味は、ベーシックインカムは減価貨幣によって初めて実現性のある政策たり得、減価貨幣はベーシックインカムによって初めてその本来の威力を発揮する、という意味なのです。

 さて、「社会信用論と自由経済思想の幸福な結婚」という作り話はこれでおしまいです。しかし、まだこれでこの連載が終わる訳ではありません。実は私が今回の記事で企てたかったのは、この一見夢物語にしか見えない「減価貨幣によるベーシックインカム」というアイデアに、もっと具体的な肉付けを与えることだったからです。「なるほど、そんなやり方ならベーシックインカムというのも、試してみる価値があるかも知れないな」、読者の方にそう感じさせることが出来れば、とりあえず私の企ては成功したと言えます。「減価する電子マネー」というアイデアも、そのための道具立てのひとつなのです。また、このテーマについてきちんとまとめておくことは、これまでにこのブログでさんざん思い付きを書き散らかして来たことへの、自分なりの責任のつけ方だという想いもあります。だから私の過去の記事を読んだ方には、あらかじめ言い訳をしておきますが、これから私が書くことは、決して過去のネタの使い回しということではありません。むしろその集大成と考えていただきたい。そのことをお断りした上で、話を先に進めます。次のテーマは、「社会信用論と自由経済思想」というカップリングに、さらに「地域通貨」のコンセプトをブレンドするというものです。

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コメント

はじめまして。

”ベーシック・インカム(BI)”を検索しているうちに、
こちらのブログに出合いました。
少し前に”BI”を知って、いくつかのサイトや本を読み、
妄想していましたが、Like_an_Arrowさんがこのコラムで書かれている
毎月10万円の電子マネーの配当、と全く同じアイデアに行き着きました。
ただ少し違うのが、ある程度の制限をつけることです。
まず、使える分野が医食住+寄付に限定。それから、
換金、貯金、借金、運用、持ち越しできないなどの制限です。
つまり、生きていくため(病気を治す、食べる、雨露をしのぐ)に
必要な一定の保障を約束するための制限です。
足りない分、それ以外の分野は(働ける人は)働いて稼ぐという考え方です。

定額給付金が景気に大した貢献をしなかったのは、
低額と1回きり、それから有効期限のない現金だったからだと思いました。
もし、有効期限があれば同じ額でも違う結果になっていたと思います。
ともかく、使わなきゃ損するよという風に持ってこないと
それでも心配な国民性からして使うより貯める、換金する、
切り詰めてでも持ち越そうとするに違いありません。
それでは給付金の二の舞で景気も首も回らなくなる気がします。
なので、”限定的BI”を思いつきました。

ま、ボクも文系アタマなので数字に自信はありませんが、
”BI”が皆のモチベーションを上げるはずだとは思います。

長々と失礼しました。

投稿: あかみどり | 2009年6月15日 (月) 10時06分

あかみどりさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

電子マネーによるBIというのは、私たち一般の生活人にとっても、とても魅力的な考え方だと思います。私はどちらかと言うと、関曠野さんの考えに近いところがあって、BIでギャンブルをしようがお酒を飲もうが構わないと考えるのですが、これは考え方の違いというより、嗜好の違いといったものですね。

この連載はもう少し続けるつもりなので、よろしければまた覗いてみてください。一部ネタバレになってしまいますが、こんな過去記事も参考にしていただけたらと思います。

『減価する電子マネーが日本を救う?』
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_fc55.html

『日本円が電子マネーに代わる日』
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_dbb6.html

投稿: Like_an_Arrow | 2009年6月16日 (火) 05時14分

コメントへの返事、ありがとうございます。

ボクも基本的にはギャンブル、お酒もOK。
行き着く先のゴールはほぼ同じという考え方です。
ただ、BIが国家レベルで行われたという前例がありません。
理論的に120%可能でも実際とは異なる結果となることも十分にありえます。
たとえば、イチロー選手でも理詰めだけではホームランは打てないと思います。
ほんの少しのタイミングのずれでファール、風向き次第で外野フライや
場外ホームランとやはりどこへ飛ぶのかは読めないと思うのです。
野球と政策がイコールとは言いませんが、100年どころか
10年も持たずに不安にさせた年金制度しかり、例を挙げれば
キリがないくらい理論と現実がかみ合わない政策があるのも事実です。

つまり、BIの根っこである”必要最低限の生活保障”というアイデアを
国民の大多数に浸透させるのが先ではないかと考えています。
この世間知なり、共通認識の土台がしっかりしていないと、
Like_an_Arrowさんが提案する”減価する電子マネー”や
お酒、ギャンブルなどの議論になった際に無用の混乱や
駆け引きの材料、捻じ曲げや矮小化を招く気がしてなりません。
まず、BIのアイデアを共有しそれを育てることから始めよう。
そのためにはじめから何でもOKから規制する方向より、
皆がある程度の納得をしてから規制を解除していく方向が、
心理面でもBIの存在価値を違ったものにするのではないでしょうか。

ということで、(限定的)BIを提案したわけです。

投稿: あかみどり | 2009年6月16日 (火) 09時58分

・・・って、肩にチカラ入り過ぎですね。
イカン、イカン。

ところで、肝心なことが抜けていました。
過去の記事はもちろん拝見しました。
なぜ、目減りするの?とは思っていましたが、
心理的にはまだですが、なるほど、そういうかと
腑に落ちるものがありました。

これ以降の記事も楽しみにしています。
それでは。

投稿: あかみどり | 2009年6月17日 (水) 13時25分

あかみどりさん、コメントありがとうございます。

私も日曜ブロガーなもので、なかなかコメントへのご返事も出来ないことが多くて恐縮しています。

このベーシックインカムと減価貨幣というテーマは、考えれば考えるほど面白いと感じます。今回の連載は、とにかく突っ走れるところまで突っ走って行きますので、ぜひ今後ともお付き合いください。

投稿: Like_an_Arrow | 2009年6月18日 (木) 05時38分

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