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2009年3月 1日 (日)

死刑を選択した高校生たちに

 次に掲げるのは、今週水曜日の朝日新聞、読者投稿欄に載っていた記事のひとつです。どうしても心に引っ掛かるものがあって、これについて何か言わずにはおれない気持ちになりました。懲りもせずまた死刑の話です。まずは記事を全文引用します。

『生徒の7割が「死刑」を選択

 裁判員制度導入を前に今年度は新たな授業を行った。高校1年の公民の授業で、日本の死刑の歴史や死刑執行の現状などを詳しく説明した。
 そして、第2段階として、昨年4月に23歳の女性が同じマンションの男性に殺害された東京都江東区の事件をめぐる検察と弁護側の論点の対立を紹介した。加えて、この残虐な事件に「無期懲役」か「死刑」かの判断を自分で考えることに意味があると伝えた。
 被害者が1人であっても検察が死刑を求めた事件の例も説明した上で、判決が出る18日前に考えをまとめてもらった。結果、生徒の7割は「死刑」を選択した。東京地裁で裁判長は、「死者の人格、遺族の心情を踏みにじるきわめて卑劣な犯行」などと述べながらも、「無期懲役」の判決を下した。
 被害者が1人であることや被告に前科がないことなどが理由であった。過去の判例を踏襲したこの「無期懲役」の判決は、高校生の出した「死刑」判決や国民感覚からずれている気がする。』

 このブログの過去の記事を読んだことがある人なら、私がこの投書を読んだ時に感じた心の憂鬱を察していただけるものと思います。ここで取り上げられている事件というのは、犯人の男が若い女性を強姦目的で部屋に連れ込み、殺害した挙句に遺体をバラバラにしてトイレに流したというショッキングな事件です。心理的なインパクトの強い事件だったので、マスコミもこれを好んで取り上げました。当然、裁判の結果が世間の注目を集めていたのです。検察は被告に死刑を求刑し、世論もこれに同調していたのだと思います。私がこの投書記事を読んでとても不安に感じることは、教師という立場の人が、ほとんど意図的とも思えるはっきりとした目的を持って、教え子を死刑賛成に導くように指導している、そのことに非常に危険なものを感じてしまうからです。これは単に私自身が死刑制度に反対する立場の人間だからということではありません。

 この先生は、「日本の死刑の歴史や死刑執行の現状などを詳しく説明した」と言います。それでは、現在世界では死刑を廃止する国が増えており、すでに135ヶ国が死刑を法律上廃止あるいは実質的に停止しており、いまも死刑執行を続けている国は62ヶ国に過ぎないことは説明したのでしょうか? さらに先進国と言われる国のなかで死刑を存続させている国は日本とアメリカの2ヶ国だけであり、アメリカでも50州のうち22州ではすでに死刑を廃止または停止していることは教えたのでしょうか? そしていま日本は国連を始めとする世界のいくつかの機関から、死刑を廃止するよう勧告を受けているという事実については伝えたのでしょうか? 投書の文面からすると、どうもこの先生は初めから結論ありきで、もしかしたらこの投書記事を書きたいがために教え子を誘導したのではないか、そんな疑念さえ湧くのです。死刑制度への賛否はいま、国民挙げての一大テーマです。教師という立場を利用して、世論に迎合したような厳罰主義を高校生の心に刷り込むことなど、許されざる越権行為であると私には思えます。

 私は不思議でならないのですが、死刑制度に賛成する人たち、あるいは積極的に賛成しないまでも是認している人たちは、今の高校生が社会の中核を担うことになる数十年先にも、日本が当たり前のように死刑を存続させていると考えているのでしょうか? いまはまだ時期尚早だけれども、やがては日本も死刑廃止の方向に向かわざるを得ない時が来る、もしもその程度の視界を持った人なら、高校生に「国民感覚」への同調圧力をかけることよりも、これからの日本が死刑制度とどう向き合って行くかという、より本質的な問題を考えるためのきっかけを与えることの方がよほど重要だという私の意見に賛成していただけるのではないかと思います。50歳の私たちは、死刑賛成派のまま大した逆風も受けずに現役を引退出来るかも知れない、しかしこれからの社会を担って行く高校生たちには、そうは行かないのです。彼らは、日本があくまで死刑制度を続けるにせよ、いつかはそれを廃止するにせよ、自分たち自身が納得出来て、外国に対しても堂々とそれを説明出来るような国民思想を築き上げていかなければならない。それを考えるための種子を生徒たちの心に蒔いておくこと、それこそが教師としての務めでしょう。

 世を挙げての「犯罪者を憎みましょう」キャンペーンに日々さらされている若い人たちに、私ならむしろこう話してあげたい気がします。日本が死刑廃止になかなか踏み出せない理由は、日本人の高い道徳心にこそあります。決して日本が道徳的に後進国だからではありません。その証拠に、日本は欧米諸国と比較しても、犯罪の発生率がとても低い安全な国だという事実があります。他方で、日本は先進国のなかでも際立って自殺する人の比率が高い国だという事実もあります。殺人は少ないけれども自殺の多い国、このことは一体何を意味しているのでしょう? 私の考えでは、日本人は他人を責めることよりも、自分自身を責める傾向の強い国民なのです。自分だけが不幸になったからと言って、それを他人や社会のせいにして犯罪行為に走る人は少ない(たまにそういう人もいますけど)。むしろそんな時には、多くの人が自ら死を選んでしまうのです。またこのことが、私たちの犯罪に対する厳しい態度の理由にもなっているのですね。日本人は自分自身を赦せないように、特に同じ日本人である犯罪者を赦せないという強い感情を持っているからです。(外国人の犯罪者に対しては、私たちは憎しみよりも恐怖をより多く感じる傾向があるようです。) これが日本が自殺大国であり犯罪小国であることの理由だろうと思います。これから私たちが取り組まなければならない課題とは、この日本人の道徳的特質を保ちながら、いかに自分を責める心や犯罪を憎む心を前向きなエネルギーに転換させて行くかということです。と言うのも、自分を責める心や犯罪を憎む心というものは、それ自体としては何も建設的なものではないからです。「殺人犯は死刑にしろ!」、「少年犯罪にも厳罰を!」といったマスコミのスローガンに踊らされている限り、日本はいつまで経っても死刑廃止国の仲間入りは出来ないし、また自殺大国の汚名も拭い去ることが出来ないのではないかと私は考えるのです。

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コメント

お久しぶりです。もう書いてくるな、と思ってたかもしれませんが。

>現在世界では死刑を廃止する国が増えており、すでに135ヶ国が死刑を法律上廃止あるいは実質的に停止しており、いまも死刑執行を続けている国は62ヶ国に過ぎないことは説明したのでしょうか?

これは駄目でしょう、世界の多数派・趨勢が死刑廃止であるから、日本もそうするべきだ、という議論の方向性は。

それなら世界の多数派・趨勢が死刑を復活させようということになったらどうするんですか。「それが世界の趨勢だから」死刑復活させるべきなんだ、とその流れに従って意見を変えなきゃいけないんですか?そういう多数決主義で死刑廃止を唱えらている訳ではなかったはずですよね?

7割の生徒が死刑求刑ということですけど、あくまで机上の裁決、しかも熟考した判定でもないと思いますね。現実にその裁判の裁判員であったならそう簡単にこういう数字が出てくるわけではないと思うので、この教師のやり口はともかく、悲観するのは文字通り早とちりの杞憂ではないかと思います。

さて、僕は裁判員制度に付いてちょっと意見が変わってきました。Like_an_Arrowさんの方向とは根元の部分が違うんですけど、今、死刑が存在するこの現状でこのままこの制度を持ち込むのはどうやらかなりまずい、という風に考えるようになりました。しかもこの裁判員制度、死刑がありうるような重犯罪のみで用いられるというのも問題だと今更ながら気付きました。どうしてこういきなり高いハードルで新しい制度をぶつけるのか。やはり議論が足りなさ過ぎる。死刑についても、裁判員という制度についても。

こんな国家的な法制度の一大変化なのに、テレビで議論している所を見た事が無い。ちまちました企画ではやってますけど。これはコマーシャルなんて抜きでゴールデンタイムで全テレビ局が一斉に放送して然るべき内容じゃないですか。導入の賛否も導入自体もうやむやでは後々問題が大きくなるような気がします。いや、しっかりした準備をしていてさえ、これは大変な変化なんですから。

投稿: 法哲 | 2009年3月 7日 (土) 15時35分

法哲さん、コメントありがとうございます。
いただいたコメントのトーンが以前と少し変って来たのかなと感じます。個々にご返事させていただきますね。

>それなら世界の多数派・趨勢が死刑を復活させようということになったらどうするんですか。「それが世界の趨勢だから」死刑復活させるべきなんだ、とその流れに従って意見を変えなきゃいけないんですか?

幸いなことに、現在のところ世界にそういった動きは見られないようです。私がインターネットで参照した情報は少し古いようで、今週の新聞には、いま世界で死刑を事実上存続させている国は59ヶ国と出ていました。さらに減ったんですね。これは多数決とか、そういう問題ではないでしょう。私は単純に「人類の道徳的向上」ということを信じています。死刑廃止はその重要なプロセスのひとつだと思っているのです。確かに法哲さんのおっしゃるように、多くの国で死刑が復活するという場合も想像出来なくはありません。しかし、それは世界が戦争やテロリズムや貧困によって荒廃し、人々の道徳心が著しく衰えた時にのみ起こり得ることだという気がします。世界がそういう方向に向かわないようにすることが、今を生きる私たちの義務だと思っています。

>さて、僕は裁判員制度に付いてちょっと意見が変わってきました。Like_an_Arrowさんの方向とは根元の部分が違うんですけど、今、死刑が存在するこの現状でこのままこの制度を持ち込むのはどうやらかなりまずい、という風に考えるようになりました。

「根元の部分が違う」かどうか分かりませんが、私は以前から死刑のある国で裁判員制度のようなものがあってはならないと、繰り返し主張して来ました。もう一度これは分かりやすく書くつもりですが、死刑存置国で採用していいのは、参審制ではなく陪審制なのです。制度設計に根本的なミスがあるのです。と言うか、そんな単純なことさえ分からない者たちによって、こんな制度が導入されようとしていることに危機感を覚えるのです。ご存知のとおり、私自身は陪審制にも参審制にも反対の人間です。それでも現実に日本で市民の司法参加を法制化するなら、今からでも陪審制に切り替えるか、あるいは参審制導入に合わせて死刑を廃止するかのいずれかしかないと考えています。

>こんな国家的な法制度の一大変化なのに、テレビで議論している所を見た事が無い。ちまちました企画ではやってますけど。これはコマーシャルなんて抜きでゴールデンタイムで全テレビ局が一斉に放送して然るべき内容じゃないですか。

でしょう? だから私のようなマイナーブロガーだって、一生懸命声を上げているのじゃないですか。定額給付金の問題でもそうですが、とにかく今の政治は国民の声も聴かずに、愚劣な政策や法制度ばかりを量産している。もういい加減にしてくれと言いたい。こういう状況に対応するためには、国民の側も作戦を変えなければならないと思います。法哲さんのところには裁判員選任の通知書が届きましたか? 残念ながら私のところには来ませんでした。このまま行けば、誰も制度にストップをかけられないというだけのくだらない理由で、裁判員制度はスタートするでしょう。この制度を廃止に持って行けるのは、通知書を受け取った人たちの勇気ある「良心的出頭拒否」だけです。

投稿: Like_an_Arrow | 2009年3月11日 (水) 23時57分

いや、死刑の廃止という主張はあくまでそれ独立で論じられるべきもので、世界の趨勢がどうの、他の国がどうの、というのは全くお門違いだと思うのです。例え日本以外のすべての国で死刑が行われていたとしても、死刑を廃止する、という結論に達したのなら、たとえ日本単独でも死刑を廃止するという立場を貫くべきでしょう?その「世界の趨勢」論法を持ってくると、議論が不純になると思いますね。

「根元の部分が違う」というのは、僕は Like_an_Arrowさんのような死刑廃止論者ではないから、ということです。と言って死刑推進論者でもない、という、まあ、どっちつかずの立場なんですが。

僕はまず、死刑制度と裁判員制度は別個で考えるべきだと思います。もちろんこの二つが合体することで大問題が起こる、ということはよく分かっていますけど、それぞれ独立でも十分色んな議論がなされるべき事案なわけで、それすらも為されていない。

とは言え、これは実はLike_an_Arrowさんにとっては計算外の歓迎すべき事態になるのではないかとも予測しています。本当にこの制度が始まって、いざ死刑が選択されるような事案で、人々はこれまで観念的にしか感じられなかった死刑について、恐ろしくリアルに(関わった裁判員は特に)感じざるを得ないわけですから、これは本当に死刑廃止という選択が現実味を増すのではないか、と思うわけです。

それというのもこれまでの死刑は外野から、裁判官が下した判決について無責任にああだ、こうだと言い合ってきたわけですから。これでは「死刑」という派手な結論の方が幅を利かせるというものです。

投稿: 法哲 | 2009年3月12日 (木) 23時49分

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