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2009年2月 8日 (日)

ボツになったアフォリズム集(2)

  1. 刑罰の主たる目的を、「報復」、「抑止」、「教育」のいずれに置くかということは、その国の歴史や国民性と深く関わる問題であるに違いない。
     
  2. 世間を騒がす凶悪で非道な犯罪が行なわれた時、それは被害者にとってだけではなく、それを見聞きした我々ひとりひとりに試練を与えるものなのだと思う。我々は、この世で病気や障害や貧困といった試練に出会うように、犯罪という試練にも出会うのである。
     
  3. 日本のように治安が良く、犯罪が少ない国に向かって、画一的な世界の基準で死刑廃止を迫る国連や西欧連合の主張は、捕鯨禁止をヒステリックに叫ぶ環境団体の主張と選ぶところはない。
     
  4. 頑固な死刑反対論者であっても、裁判員になった以上自分の思想信条をいったん棚上げして、現行の法制度を認めた上で、すなわち死刑という選択肢もあり得ることを承認した上で、裁判員として出廷することを求められているのだろうか? だとすれば、そこに私が参加するどういう意味があるというのだ?
     
  5. 模擬裁判では、被害者遺族の意見陳述が裁判員の判断にそれほど大きく影響しないことが確かめられたと言う。しかし、模擬裁判で検証するのに、こんなに相応しくないテーマも他にはあるまい。
     
  6. 犯罪被害者の心を救うためには、応報感情を満たしてやることしか選択肢が無いのか? それは長い目で見れば、被害者の心に精神的後遺症を残すだけではないのか?
     
  7. 修復的司法というものの技術を考案すること。これに関して私はひとつのアイデアを持っている。それぞれ別々の殺人事件の加害者と被害者が(つまり互いに相手を取り替えて)話し合いを持つというものだ。自分の肉親を殺した本人に相対して、自分がどのような役どころを演じればいいのか、それを知っている人がいるなら教えて欲しいものだ。
     
  8. 今週の報道から。障害のある息子を殺した父親に裁判官が言った言葉。あなたの子供が障害を持って生まれたことにも意味があるし、あなたがこの先罪を償いながら生きて行くことにも意味がある。この言葉は無条件に私の心を打つ。が、それはまたこの事件が被害者遺族がいない事件だからこそ言える言葉だとも思う。
     
  9. 自分には社会的な良識があり、刑事裁判で被告人を正しく裁くことが出来ると信じている善良な人々に、私は心底嫌悪を覚える。「モンスター裁判員」。
     
  10. ワーキングプアやニートと言えば、私たちはそこにマイナスのイメージしか見ようとしないが、過度な物質的豊かさを求めない、そういう賢い生き方を選択している若者たちも生まれ始めているようだ。基本的な生活が保証されてさえいれば、人間はなんと少ないもので満足出来ることか。こういう考え方をこれからの時代の通念として広めて行くことは、持続可能な社会を作るためにも必要不可欠なことだと思う。
     
  11. 若い男女が出会う。まず気になるのは相手の経済力だ。社会の互助的な仕組みが機能していた昔の日本なら、貧しくても幸福な家庭というロールモデルを目指すことも出来ただろう。が、今日の社会はそういうものを許さない。今の日本には貧乏人の住む場所が無いのだ。非婚化の原因は単純なところにある。
     
  12. 労働のモラルは既に高いレベルに到達している。最近の企業の不祥事を見ると、それには疑問があると見る人もいるだろうが、内部告発によってこれまでは隠されていた企業の不祥事が明るみに出されるようになったのも、私は労働のモラルが進化した証拠だと見る。むしろこれから私たちが学ばなければならないことは、「消費のモラル」をどう高めて行くかではないか。
     
  13. 景気の悪化で企業の内定取り消しということが問題になっている。CSRなどというコトバが流行しているのに反比例して、企業倫理は地に堕ちている。こんな時代の就職戦線を勝ち抜くためには、学生は当然「内定かけもち」で行くしかないだろう。いくつかの企業から内定をもらっておいて、1社を除いて卒業時にドタキャンする訳だ。そのことを社会倫理にもとる行為だと非難する根拠を、いまの産業界は持っていない。
     
  14. とにかくお金に換算出来る労働だけが価値のある労働だという偏った認識を変えなければならない。そしてお金に換算出来ない労働を交換出来る、お金に代わる媒介物が必要なのだ。地域通貨の目指すべき目標はここにある。
     
  15. 幸いなことに、1万円のキャビアは100円の納豆よりも100倍美味しい訳ではない。
     
  16. 炊き出し風景を見ての感想。意地の悪い見方をすれば、以前からホームレスだった人にとっては、とても過ごしやすい年末年始だったのではないだろうか?
     
  17. 日本にもとうとう金持ちのための城塞都市というものが出来始めたらしい。これを思い切り笑いのめしてやれるような、貧乏人のための幸福で活気ある町を私は作ってみたい。
     
  18. 今日我々が税金を支払うことを当然だと思っているくらい、ベーシックインカムを受けることは当然だと思うような社会を作らなければならない。与えられるものはすべて労働の対価であるか、あるいは富める者からの施しであると考えるのは、生きるための物資が不足していた時代、生きるためには他人を蹴落とさなければならなかった時代の思想である。
     
  19. 日本の年金が制度として崩壊してしまった以上、これに代るものが必要なのは自明の理である。ベーシックインカム以外にこれに取って代わることが出来るものの候補があるだろうか?
     
  20. 最近は共産党に入党する若者が増えているそうだ。『資本論』もよく売れているらしい。搾取・被搾取の構造を打ち壊すために、21世紀にも階級闘争と革命が必要だと言うのだろうか? 問題は階級の対立にあるのではなく、貨幣の流通速度をコントロールする技術にあるというシルビオ・ゲゼルの思想は、いまだに目新しいものである。
     
  21. 最近は不祥事を起こして議員を辞める政治家も多いが、そんな候補者を選んでしまった地元の選挙民は、自分たちの鑑識眼の無さを恥じるべきだろう。実際には選挙が終わってしまえば、もう地元の代議士と有権者の関係はそこで切れてしまい、その人を選んだ責任などという意識などこれっぽっちも持ち続けることはない。そして次にその人が私たちの前に現れて来るのは、次回の選挙の時という訳である。
     
  22. 日本人の伝統的なメンタリティの面から見直してみれば、日本のリベラル派というのは政治思想としての左翼というよりも、単なる判官贔屓の国民性を代表しているだけのものかも知れない。もしもそういうメンタリティを日本のリベラル層が持っているなら、彼らの支持政党は常に振り子のように揺れ動く可能性がある。
     
  23. 政治の究極の目標とは、ひとりひとりの国民が「いい時代に生まれ合わせた」と感じられるような社会を作り出すことにある。
     
  24. 海賊が出没する海域への海上自衛隊の派遣が問題になっている。これが問題となる理由は、日本の自衛隊が持つ装備が、専守防衛を旨とする軍隊にはまったく役立たずのものでしかないという点にある。例えば敵を死傷させることなく、ただ相手の戦闘能力だけを奪ってしまうような武器というものを考えてみよう。自衛隊に必要なのは、そういう種類の武器である。日本はそうしたものの開発に軍事予算を集中投下してはどうか。そしてこの「人道兵器」を日本は世界中に輸出すればいい。もしもその分野の技術で世界をリード出来れば、日本は再びものづくりで食っていけるようになる。
     
  25. 日本がいまの平和ボケから抜け出すにためには、完全な非武装中立国家になってしまうのも一手である。そうなれば、政治には常に緊張感が張りつめ、抜け目の無い外交戦略を強いられるようになる。これこそ今の政治に欠けているものではないか。
     
  26. 今の時代、問題なのは権力による専横よりも、それを許してしまう市民の無関心だろう。
     
  27. 残虐な拷問による死刑を楽しんでいた歴史上の暴君たちは、人間があまりにあっけなく死んでしまうことに物足りなさを覚えたに違いない。
     
  28. セデーション。現代はきめこまかなサービスの時代なのだから、死に方も自分で選べるようになることは少しも不思議ではない。そんな時代が来たなら、人の最期を自然死に任せていた時代がなんと野蛮に見えることだろう。
     
  29. 遺される者に自分の断末魔の苦悶を長時間見せつけること、あるいは医者に安楽死をさせてやってくれと頼み込まざるを得ないような立場に追い込むこと、それは死んで行く者の作法として立派なものとは言えまい。
     
  30. 死は死んで行く者にとってはなんら倫理的な事柄ではないが、遺された者には倫理的な意味を残す。
     

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