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2009年1月18日 (日)

明るい福祉の時代を予見します

 前回の続きです。「福祉」をこれからの日本の基幹産業のひとつにしようなどと言うと、おそらく違和感を覚える人も多いのではないかと思います。例えばそこから破綻したコムスンのような、福祉を食い物にする悪徳企業といったものを連想する人もいるでしょう。実際問題として、この国では基本的に福祉とお金の相性が良くないのではないかという気がします。福祉というもののイメージは、私たちのなかでボランティアだとか慈善事業だとかに結び付いていて、お金儲けの手段としての福祉というものに基本的な拒絶反応を感じているようなところがあります。このことが福祉というものが健全な産業に成長するための阻害要因になっているのではないだろうか。今週読んだ新聞の読者投書欄に、福祉施設の職員として働く娘さんを持つ方からの訴えが載っていました。誇りとやりがいを感じて始めた仕事なのに、あまりの低賃金と激務に職場を去って行く若者が後を絶たないというのです。福祉の仕事が低賃金であるのは、いまの制度上この業界にお金が集まらない構造が出来上がっているからであり、福祉の仕事が激務であるのは、あまりの低賃金で人が辞めて行った後に、残された人にかかる負担が大きくなっているからでしょう。この悪循環を看過している政治の無策は、もっと糾弾されて然るべきものだと思います。

 日本の福祉政策を根本的に立て直して行くためには、ふたつの方向性で考えて行く必要があると思います。ひとつは福祉の仕事そのものの合理化や効率化をもっと進めること、もうひとつは福祉業界に流れ込むお金の総額をもっと増やすような仕組みを作ることです。私は以前書いた記事で介護保険制度というものの問題点を指摘したことがありました。この制度が始まった2000年以降、私たちサラリーマンは毎月介護保険料という名目で給与天引きをされている訳ですが、それで高齢者介護に携わる人の給料が上がったという話は聞きませんし、行政がそのような指導をしているという話も聞きません。だとすれば私たちが収めて来たお金はどこに消えてしまったのだろう? おそらくこの制度によって、介護サービスを提供する事業者の数は増えたのだろうし、介護ヘルパーという職業の人の数も増えたのだろうと思います。当然そのサービスを安い料金で受けることが出来る利用者の数も増えたのでしょう。そういう意味では福祉の裾野を広げることには役立って来たものと思われます。問題は、この制度によって高齢者福祉というものが民間の競争原理が働かない官製の事業になってしまったというところにあります。なにしろ介護支援を利用する人の負担額はたったの1割で、残りの9割は行政が負担する仕組みになってしまったのですから。これを福祉制度の充実と考えてはいけないと思います。介護保険制度が出来てとても助かったという利用者は、その陰でワーキングプアと呼ばれるような安い賃金で働く福祉労働者が大量生産されていることを忘れてはいけないと思う。

 マクロ的な大きなお金の流れで考えて見れば、介護保険のような行政による画一的な福祉政策は、福祉業界を痩せ細らすことにしかつながらないでしょう。日本の高齢者は、全体として見れば世界で一番裕福な人たちである筈です。この国の福祉政策で最優先に考えるべきことは、この人たちが喜んで〈身銭〉を切りたくなるような魅力的なサービスを、民間の事業者が開発することを助ける仕組みを作ることです。もしも介護保険が無ければ、在宅介護のために自己負担で家政婦さんを雇うしかなかった世帯が、安く利用出来る介護サービスに切り替えることになる。利用者からすればこんなありがたい制度は無いでしょうが、それは要するにこの業界全体に投下されるお金を絞ったことにしかならない。(どうなんでしょう、私はよく知らないけれども、介護保険制度が始まって以来、家政婦さんの業界は壊滅的な打撃をこうむったのではないでしょうか?) 貧しい人も裕福な人も一律の料金で同じレベルの福祉サービスを受けられる制度というのは、決して福祉の充実にはつながらない筈です。介護保険制度は3年に一度ずつ見直しをされて、これまでもその度に事業者や利用者のあいだに動揺と混乱をもたらして来ました。今年もまたその3年目の年に当たるのですね。今回はどんな改悪が行なわれることやら。

 福祉のような貧しい人たちのセーフティネットに深く関係する分野では、一度作ってしまった制度は簡単に元に戻せないという問題があります。だから制度の見直しには慎重であるべきなのですが、すでに定着してしまった介護保険制度をこのまま続けて行くことも、ますます少子高齢化が進む状況のなかでは不可能なことだと思います。私はブログの記事を書く時に、単なる政策批判だけではなく何かひとつでも前向きな提言を書くことを方針としています。で、今回この問題に対する私の提言は、次のようなものです。まずは福祉の現場で働く人たちの待遇改善ということを第一に考えて、そこを起点に制度設計の見直しを図って行く。例えばこの業界の最低賃金を、労働基準法で定めている最低賃金よりも高く設定します。出来れば時給2000円、それが無理と言うなら1500円くらいでどうでしょう。これなら1日に8時間働いて、月に20日間で24万円になります。とにかく現状のようにこの業界で働く人がどんどん辞めて行く状況を改善して、福祉に人を呼び戻さなければならない。そのための原資は定額給付金の2兆円を使って…と言いたいところですが、これでは福祉産業を自立させるためになりません。ここは利用者の負担額を上げるしかないでしょう、つまり日本人の1500兆円の個人資産を当てにする訳です。現在の1割負担を、(医療費の自己負担率に合わせて)3割負担にするくらいでどうだろう。その分、介護保険からの負担を減らすのではなく、従事者の賃金アップに使うのです。もちろんそのことで介護を受けることが出来なくなる貧しい世帯の人たちに対しては優遇措置を採ることも必要です。

 たぶん自分のような素人の考えることですから、実際の政策として取り上げようとすれば、そう簡単には行かない問題もたくさんあるのだろうと思います。でも、先入観なしに虚心坦懐に考えてみましょうよ。いまの日本は産業の高度化や経済のグローバル化で、慢性的に余剰の労働力を抱えている。一方、高齢化社会の到来でこれから福祉のサービスを受けなければならない人たちの数は急激に増加する。そして総じて日本の高齢者は豊かな個人資産を持っているという事実がある。この3つの条件が揃っていれば、どう考えてもこれからは「明るい福祉の時代」が到来すると予想して良さそうなものじゃないですか。ところが政治がそれを阻害しているのです。今年もしも政権交代が起こるものなら、新しい政府にはひとつ福祉というものを核にしてこの国の明るい未来を描いていただきたいものです。貧しい人や不幸な人を助けるのが福祉だという誤った観念を捨てることが出来さえすれば、それは全然難しいことではない筈なのです。

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