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2009年1月12日 (月)

正月の炊き出し風景に思う

 この正月、都内の公園に子供を連れて遊びに行ったら、炊き出しの風景に出会いました。マスコミの報道ですっかり有名になった日比谷公園の「年越し派遣村」ではありません。もっと小さなありふれた公園なのですが、おそらく百人以上の人が集まっていたと思います。きっと同じような光景は、この年末年始に都内だけでなく全国各地で見られたのではないでしょうか。労働市場の流動性が際立って乏しいという、我が国特有の事情があるなかで、非正規雇用というものだけを促進した政府の罪は、それだけで政権を交代させられるに十分なほど重いと思います。が、一方で、このような国を挙げての危機のなかで、多くのNPO団体やボランティアの人たちが当たり前のように行動を起こして、政府の失策をリカバーしている。派遣村でインタビューを受けていた失業者の方は、久し振りに人の心の温かさにふれてもう一度頑張ってみようという気持ちになりましたと答えていました。ことの深刻さに心が重くなる一方で、そこにひと筋の希望の光を見たような気がしたのは私だけではなかったと思います。

 日比谷公園の派遣村に限って言えば、これは世間の目を意識したかなり露骨な政治的イベントだったのだろうと思います。霞ヶ関の官庁街のすぐ隣り、厚生労働省の目と鼻の先で炊き出しをやるというのは、なかなか洒落が利いている。活動の中心となったのは、ホームレスの支援などで有名なNPO団体を率いる湯浅誠さんという人だったようです。よくマスコミにも登場するので、名前だけは知っていました。今回のことで興味を覚えて、図書館で湯浅さんの本を一冊借りて来て読んでみました。私は何につけ感心しやすいたちの人間ですが、それにしてもこの人の文章からは強い感銘を受けました。まだ若い人だけれど、鋭い批評精神と行動力を合わせ持った人なのですね。文章もいい。こういう人が現れて、またその周りに共鳴する人たちが集まって、ひとつの社会運動を形成して行く、それはとても健全なことではないかと思いました。インターネットでいろいろな人の意見を拾ってみると、今回の派遣村の活動にはある種の違和感を感じるという人も多いようです。もしもこれを単純に人道的な観点からだけ見れば、そこには不純な動機が隠されているように見えるのかも知れません。でも、これは単なる慈善活動などではないのですね。はっきりとした政治的意図を持ったデモンストレーションだった訳です。そういうものとして見れば、これはほとんど完璧に企画され実行されたプロのお仕事だったようにも見える。おそらく公園の使用許可だってあらかじめ取ってあったのでしょう、官憲とぶつかる場面もありませんでしたし、テント村が満杯になると厚労省の講堂を開放させるなんていうウルトラCもやってのけている。まったく大したものです。

 湯浅さんの本には、いま日本で貧困を生み出しているのは政治であるという明確な主張がこめられています。(私が読んだのは『貧困襲来』という本です。) 私もその考えには100パーセント賛成なのですが、現在の財政状況とこれからの経済状況を前提に考えると、単に行政が社会のセーフティネットを充実させるといった方向性だけではとても追いつかないのではないかとも思います。現代の貧困には、構造的にふたつの根本的な原因があるのではないかと私は考えています。ひとつは日本を含む先進国の通貨と、成長しつつある途上国の通貨のあいだにある著しい貨幣価値の不均衡です。日本では家を持たない単身者が月に10万円で生活することはほとんど不可能ですが、これが中国なら同じ金額で10人の工員さんを雇うことが出来る訳です。正社員と派遣社員であっても、同じ仕事には同一の賃金を支払うというのが労働に関する基本的なルールです。しかし、たとえ国内の労働法制の改正でそれが実現したとしても、国際間に残る激烈な賃金格差はどうしようもない。世界のどこかに「1万円で1ヶ月働きます」という労働者がいる限り、国内の労働者に仕事が回って来ないのは当然です。もうひとつは産業の高度化にともなって、単純な肉体労働や事務作業というものが必要とされなくなって来ているということです。工業ロボットにしてもコンピュータにしても、その本質は人間の労働力に取って代わる目的のものです。合理化や効率化と言えば聞こえはいいが、要するに仕事の現場から人間を排除するために導入されたものです。労働力のグローバル化と産業の高度化、このふたつが今後も進展する限り、国内の労働力過剰は解消される見通しが立ちません。

 手厚い福祉で知られる北欧の国々のように、日本ももっと社会の富の再分配が進んで、セーフティネットの網の目からこぼれ落ちる人が出ないような社会になればいいと思います。ただ、そんな社会が実現したとしても、すべての人が自分の能力に応じたやりがいのある職業に就けるようになる訳ではありません。限りなく無人に近い工場が生産する製品を、生活保護を受ける大多数の国民が消費する社会が、はたして幸福なものと言えるだろうか。仕事を通じて社会に貢献し、その対価として賃金を受け取ることが人間らしい生き方の基本条件だとすれば、生活保護のようなセーフティネットを整備することだけが政治の役割でもないと思います。もちろん職業訓練や教育によって、国内の労働力を新しい産業に向けて再構築すること、それも重要な政策であることは間違いありません。しかし、すべての労働者が高度な熟練工や技術者になれる筈はありませんし、パソコンなどの電子機器に熟達出来る訳でもありません。どうしたってそこには供給可能な労働力を前提とした国内産業の再構成というものが必要になるだろうと考えられるのです。これからの社会のあり方を考えた時、方向性はほとんどひとつしか無いと私は思います。すなわち少子高齢化の社会を支える「福祉」を国の大きな産業に育てるという方向です。高齢者介護を中心とする福祉の仕事は、機械化の難しい労働集約型の職業分野であり、しかも海外への労働力の移転で空洞化する心配の無い分野でもあります。これをいわば〈第四次産業〉と位置付けて、産業構造の大変革を行なうのです。

 これを実現するために、政府が行なうべきこと、また民間で行なえることはたくさんあります。例えば生活保護制度を現在のように現金支給によるものではなく、物資と労働力の提供によるサービス主体のものに変えて行く。そうすればそこには新たな雇用が発生しますし、今後とも増え続けるであろう生活保護予算の削減にもつながるでしょう。例えば民間のNPO団体による失業者やホームレスの支援にしても、一時の緊急避難的なもので終わらせるのではなく、失業者の人たちの労働力を取り込むかたちで組織化して、持続可能な仕組みを作ってしまう。今回の派遣村のような試みが惜しいと思うのは、そこにはあくまでサービスを提供する側とサービスを受ける側、施す者と施される者という二分法が厳存していて、せっかく働き盛りの男たちが集まっているのに、彼らの労働力がまったく活かされていないことです。NPO職員やボランティアがすべての差配を取り仕切ってしまえば、それは永続的な仕組みにはならないでしょうが、例えばホームレスの人たちが自ら運営する仕組みを作ってしまえば、今回の不況のような時にも自分たち自身で生活を防衛する体制が出来ることになる(むろん場所や支援物資の提供は必要になる訳ですが)。今日の社会には常態としてホームレスの人たちがいる以上、行政も協力してそういう仕組みを作ることはむしろ当然のことではないかとさえ思います。

 このコンセプトは高齢者福祉の分野にも応用出来ます。例えば老人ホーム。今後も増え続ける高齢者のことを考えると、老人ホームもそこで働く介護者の数も絶望的なほど不足することが目に見えています。一部では外国の若い人たちを介護者として受け入れる試みもあるようですが、自分たちの親の世代を自分たちで面倒見られない社会の方がどうかしている。ここは発想を転換して、老人ホームに入居する高齢者の労働力を活用する仕組みを作ってしまったらどうだろう。今は高齢者と言っても元気な人たちが多い訳ですから、入居者が一部の仕事を受け持って、専門スタッフの仕事量を軽減させればいい。もちろんそこでの仕事にも少ないながら賃金が支給される。それは入居する人にとっての生きがいにもなるでしょう。要するに、介護する側と介護される側という垣根を取っ払って、人のお世話が出来るあいだは当たり前のようにお世話をし、人のお世話を受けなければならなくなったら当たり前のようにお世話を受ける、そういうルールで施設を運営すればいいのではないか。重要なのは、これは昔からの当たり前な社会ルールそのものだという点です。今日の経済至上主義は、人と人のつながりの部分まで金銭で測る習慣をすっかり定着させてしまいました。介護にしろ育児にしろ、これまで経済的な価値観では見捨てられて来た部分にこそ、ほんとうに大事な価値があるのかも知れない。私が夢に見る〈第四次産業〉はそこに照準を合わせます。そこに従事する人は、社会を新しい価値観に導く先発隊になるのです。

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